21 絶海の探偵、前編
廃棄品に偽装する形で巧妙に設置された電子機器と、万が一のために準備された自爆用の爆発物。
それらに囲まれながら、男は静かに通信設備を起動する。
「……こちらE-4。舞鶴湾より通信している」
『首尾はどうだ?』
「問題ありません。当初の予定通り、イージス艦の航海データ奪取の計画に移ります」
『ご苦労。では、もう一方の件はどうなっている?』
もう一方の件、と聞かれて男は少しだけ言葉に窮した。
イージス艦の航海データは確かに日本の重要機密であり外交に大きな位置を占める情報だ。
しかし、もう一方の情報が国際情勢に与える影響を思えば見劣りしてしまうことは間違いない。
その言ってしまえば「大事な方」の収穫が芳しくないのは、男にとって矜持を少しばかり傷つける事実であった。
「……『山の翁』が数週間前まで日本にいた事は確かです。調整役(フィクサー)を通して公安の動きを確認しましたが、事前情報に間違いはないと思われます」
『ほう……では、噂の方も?』
「はい。金髪にヘーゼルの瞳、外見年齢は10歳程度の少女と機密資料にも記載されていました。ただ、直接の確認は取れておりません」
『それは構わん。直に接触するのは時期尚早だ。それに下手に手を出してしまえばメキシコの二の舞になりかねん』
冗談めかして笑う声に、男は言葉を返せなかった。
メキシコで半年前に起きた事件は、権力を持つ者全てに震撼を与えたと言って過言無いものだ。
メキシコ上院議員30名が一晩のうちに失踪させられた件は、未だにその隔絶した手法を解明するにいたっていない。
彼らが『山の翁』に目をつけられたのは、そもそもかの暗殺者を亡きものにしようとしたためだ。
麻薬カルテルと裏で繋がっていた彼らは、間接的にカルテルに被害を出した山の翁を疎ましく思った。
それで山の翁に依頼を出すフリをして逆に山の翁本人を暗殺する計画を企てた。
もちろん計画は失敗。
暗殺に関わった議員30名だけでなく、その計画を主導した麻薬カルテル幹部数名も謎の失踪を遂げたのだった。
以後、『山の翁』に手を出すことは権力者の間でほぼタブー視されているのが現状だ。
依頼を出すことそのものを抑制しようという動きもあったが、あまり上手くいっていない。
『山の翁』は絶対の暗殺者だ。
秘密裏に消したい人間がいる限り、依頼者が尽きることは無い。
『それで、見つかったのか?稀代の暗殺者を見抜いたという人間は』
「……いえ」
どんな機材でも記録できない、どんな人間でも覚えていられない暗殺者の姿形。
それを唯一覚えていられるという、裏社会で囁かれる注目点。
男のもう一つの任務とは、その人間の情報を入手することだった。
『公安に情報が無かったということか?』
「はい。山の翁の外見情報を提供した人物についての記載は一切見当たりませんでした。公安が掴んでいないとは考えられませんので、意図して文書化していないのだと思われます」
『小賢しいことだ。情報管理の甘い日本にしては随分と気合いが入っている』
「己の命がかかれば豚とて木を登るのでしょう。如何しますか?」
通信機越しに重い息が聞こえる。
男の上司たる彼も、かの暗殺者に憂慮しているのだろう。
苦々しいという感情を隠さぬ掠れた低い声が、ザラザラとした秘匿回線の電子音声となって届いてくる。
『……やむを得ん。イージス艦のデータを持って帰還せよ。上層部の石頭には私から言っておく』
「はっ!」
『ここだけの話だ。先日、党幹部3名が死体で発見された』
「っ!?それは山の翁の……?」
男は思わず息を呑んだ。
ある幹部が対立派閥に命を狙われていたのは前から知られていたことだ。
暗殺対策として所在地は秘匿されていたし、入念な人員監視も行われていたはずだ。
たとえ相手がルパン三世だとしても侵入には苦労を強いられるだろう警備が敷かれていたと男は聞いていた。
『死因は圧死。死体にはどれも大蛇にでも絞められたかのような鱗状の痣が全身に残っていた。死亡当時の状況も不可解極まりない。彼らはSPが離席した30分後にはすでに亡くなっていたそうだ。高層ビルの36階、オフィスの一室で』
「……」
『監視カメラの映像が不自然に乱れて使えなくなっている点、ここまでの異常をオフィス内に配置された20名のSPの誰も気付かなかった点から、この件は山の翁の仕業とほぼ断定できるだろう』
山の翁の暗殺は常に異常と共にある。
あまりにも不気味な死に様に、新興宗教と結び付けて語られることもあるその絶技。
『上も他人事ではないということだ。再度山の翁の情報を狙うことも想定しておけ』
「……はい」
男の声は硬さを帯びざるを得なかった。
裏社会の伝説に肉薄する。
その可能性を目の前に帰還しなければならない現状に、残り香のような僅かな屈辱を噛み締めていた。
◆◆◆
「あーっ!あいつ、ハサンじゃねーか?」
「ホントですね!サッバーハさんです!」
「歩美、話してくる!」
少年探偵団の3人がそう言って飛び出すのを、コナンは驚いて目で追った。
グラスホッパーが音信不通となりもう3週間。
ヴェスパニアで別れてから会えていないことに、コナンは心配と焦燥を等量おぼえていた。
あの国で起こったのは何だったのか、それとグラスホッパーはどう関係しているのか、彼女は果たして無事なのか。
気を揉んでスマホをチェックするのにもそろそろ疲れ始めていたときだ。
コナンは甲板で走り出す子供たちの視線の先に目を向けた。
「……グラスホッパー!」
「っ、し、シェリングフォード!?何故ここに、いや、そう言えばイージス艦で、」
慌てた声は今年会ったばかりだというのに、どこか聞き慣れた親しみを感じる少女のものだった。
舞鶴湾から出航してしばらく経ったイージス艦「ほたか」の甲板。
先ほどの演習で起きたトラブルも一段落し、体験航海らしい落ち着きが戻ってきたそこに、覚えのある金髪がなびいている。
白磁の肌がかあっと赤く染まり、グラスホッパーは「ぴゃっ」という擬音が相応しい動きで角張った砲塔の裏に隠れてしまった。
砲塔の影から顔だけ出してこちらを伺うグラスホッパー。
それを不思議そうに歩美が見つめている。
「ハサンちゃんはそこで何してるの?隠れんぼ?」
「し、シェリングフォードと会うなどまったく想定していなかった……どうかそっとしておいて欲しい」
「どうして?コナン君もハサンちゃんにとっても会いたがってたよ!ねぇコナン君!」
突然話をふられてどう答えたものかと考えたが、歩美の発言も嘘ではない。
グラスホッパーの反応はいつに無いものだが、特に深く考えずにコナンは率直に聞くことに決めた。
「オメェ、無事ならメール返せよ。心配しただろうが。聞きたいことも溜まってるし、早くこっち出てこい」
しかしグラスホッパーはますます小さく丸まって目を逸らした。
何かを躊躇うように目線を左右に泳がせ、上目遣いにコナンを見やる。
そして細く小さな覇気のない声を漏らした。
「……できない。このような無様な姿をシェリングフォードに晒すなど、そんなことは幾ら何でも、そんな……」
「無様って。何があったんだよ」
ようよう小さく体を縮めたグラスホッパーは、恥じ入るように言葉を切った。
人間らしい感情がありありと見える様にコナンも多少安心したが、どうにも事の次第が分からない。
コナンには、彼女の声も姿も別れた時となにも変わらないように見える。
流れるような黄金の髪は潮風に吹かれながらも輝きを放っているし、滑らかな薄絹の肌は傷一つ無い。
コナンが半目でグラスホッパーを睨むと、ようやく彼女は重い口を開き始めた。
「……今の私はとても弱っている。とても弱いし、動きも遅い」
「そんな風には見えねぇけど」
「刀を振っても第2の再現は難しい。防御においても対戦車誘導弾程度で行動不能になってしまう。ホワイトハウスの踏破など30分もかかるかもしれない」
「それの何がどう弱いんだよ」
「こんな様ではとてもシェリングフォードを守れない……!」
「むしろお前の中で俺の身に何が起こる予定なんだ」
ああだめっ!と嘆くようにグラスホッパーが両手で顔を覆った。
歩美は何だか分からないがとりあえず肩を寄せて彼女を慰めている。
元太と光彦は2人とも訳が分からないという顔をしているが、コナン自身も同じような顔で大きくため息を吐くこととなった。
ともかく、グラスホッパーは無事らしい。
何が起こってこんな奇妙な反応をするようになったのかは謎だが、特に大きな問題も無いようだし質問は後回しで良いだろう。
「サッバーハさんもイージス艦の体験航海に参加していたんですね!でも、参加条件は保護者同伴だったと思うのですが」
「俺たちは博士が行けねーって言うからさ、コナン達と一緒に来たんだぜ!」
「私の保護者は向こうにいる。あそこ、VLS(垂直発射機)の横に立っている男性がそうだ」
グラスホッパーが指さす方向に顔を向けると、無精髭を生やした男性が興味深そうに発射機を覗いているのが見えた。
己が見られていると気づいたのか、男性が朗らかな顔でこちらに歩いてきた。
「よぉグラス、知り合いか?」
「是、是。前に話した少年探偵団の子供たちである。そして彼がシェリングフォード、江戸川コナン」
「おお!この子がグラスお気に入りの!みんなしっかりしてんなぁ……最近の子って凄いな」
「はじめまして!僕は円谷光彦です。お兄さんはサッバーハさんのお父さんですか?」
「かっこいいー!ハサンちゃんのお父さんかっこいいね!」
「いやいや、俺はグラスの身の回りの世話をしてるってだけで父親じゃない。ようは家政婦さんさ」
「とーちゃんじゃねーのか?」
「父ちゃんじゃあないなぁ」
実に子供慣れした親しみやすそうな人だ。
そう思うと同時にコナンは疑問も抱いていた。
彼女をハサン・サッバーハという偽名ではなくグラスホッパーというコードネームで呼んだ。
それは彼女が親しい人物にそう呼ばせているという可能性もあるが、それよりも彼女の本職――即ち暗殺任務を男性も承知していて呼んでいる可能性の方が高いだろう。
正体不明の暗殺者である彼女と親しそうな雰囲気もある。
ただこの体験航海に潜り込むための雇われ人員ということは無さそうだ。
ならば、謎の多い彼女の私的な知人?
いや、こんな人目の多いところで素性に関わる報を晒すようなことはしないだろう。
では、暗殺任務の助手?
「なーに考え込んでるんだ、少年?」
「へ、うわぁ!?」
思考し収集しすぎていたコナンは、目の前まで近づいて顔を覗き込んでいた男性にようやく気付いて驚きの声を上げた。
目を白黒させているコナンを悪戯な笑みで見て、ひとつウインクをする。
「そんな隙だらけじゃいずれ大失敗するぞぉ。後ろから怪しい人間に襲われるとかな。考えに没頭するのはいいが多少は周りも気をつけろよ?」
「あっ、う、うん……」
「俺はグラスの保護者で、緑川ユイっていうんだ。よろしくな、少年」
親しみやすいが、しかし己の内に入らせない固さを感じる声だった。
歩く姿は重心に乱れがなく、パーカーとライフジャケットで分かりづらいがよく鍛えられた体をしている。
小さく手を上げて去っていく後ろ姿は飄々として掴みどころがない。
コナンは緩んでいた気を引き締め直し、男性、緑川の情報を脳内に刻んだ。
グラスホッパーは黒の組織の一員だ。
どんなに個人としてコナンに肩入れしていたとして、それが組織に反抗することとイコールにはならない。
ならば彼女の付き人である彼が組織の人間でないと誰が言えようか。
このイージス艦に何の用で、何を目的に潜り込んだのか。
思わぬ邂逅に、知らず冷たい汗が背筋を撫ぜた。
「心配しないで、シェリングフォード」
自衛隊員に群がる探偵団の子供たちを背に、グラスホッパーが柔らかな笑みを向ける。
コナンの前でだけ見せる、花が綻ぶような人らしい表情。
彼女がこういう顔をする時、どうにもコナンは調子が狂うのだ。
こんなにも強く確かな少女だと言うのに、どこか儚くどこか脆いその笑顔に、コナンは心配を覚えて止まない。
「彼はあなたの敵ではない」
「……お前が言うなら、そうなんだろうな」
ひとつ息をついてコナンは答えた。
弱く強い少女の言葉を、信じてみたいと思ったから。
TIPS
・アザトースの召喚方法
アザトースを召喚したい場合は、シャッガイからの昆虫(シャン)から聞き出すか魔導書『妖蛆の秘密』を読むのが早い。
シャッガイからの昆虫は熱心なアザトース信者であり、惑星シャッガイにアザトースの神殿もある。一説によるとアザトースの宮殿直通の門が神殿内にあるらしいので、アザトースに会いたい場合は惑星シャッガイまでどうぞ。彼らは布教に熱心なので喜んで受け入れてくれるだろう。彼らは時々人間に取り憑いて人格を破壊するが、それもこれもアザトースを信仰して欲しいからやっているのだ。
今現在、惑星シャッガイは大混乱に見舞われている。なにせ主神アザトースが突如宮殿から消えてしまったのだ。もう大混乱大パニック。必死でその行方を捜して四方八方に手を尽くしているそうなので、地球にいるグラ子の存在に気がつくのも時間の問題だろう。
もしグラ子を発見した場合、地球に新しい神殿がもう一個建つし狂喜した信者たちが血肉を捧げたりおぞましい儀式でグラ子を奉ったりする。やめてくれよ……。
『妖蛆の秘密』はラテン語で書かれた魔導書で、アザトースの召喚に使いたいならラテン語版を読むのが有効だろう。マサチューセッツ州のジャルサレムズ・ロットに一時期保管されていたようなので、そこで手がかりを探そう。
この儀式による召喚を行うためには大量の核融合に適した放射性物質が必要であるため、ウランとかプルトニウムとかを手に入れるルートも同時に開拓したい。
アザトース召喚が正常に行われた場合、召喚成立から30分後くらいにブスっとしたグラ子が現れ、
「平素より盲目白痴の神をご愛顧いただき誠にありがとうございます。アザトース召喚は199×年から一時、サービスを休止させていただいております。ご不便、ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解をお願い致します。※以後サービス再開はアザトース宮殿1Fの受付カウンターにてお知らせ致します」
と書いた木製の案内看板を設置して去っていく。