月夜に閃く二振りの野太刀   作:刀馬鹿

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忙しさにかまけていたら更新するのを忘れていたでござる
読んでくれたら嬉しいです


悲しみ

「……何故止めなかった? 直接的な言葉を投げかけなかったお前が」

 

それが士郎が出て行った後、残っていた神父……言峰綺礼から放たれた俺への言葉だった。

俺も同じように退室しようとしていた中、声を掛けられてはさすがに無視するわけにはいかなかった。

首だけで振り返り、その男を見据える。

 

言峰綺礼。

 

聖杯戦争の監督役として教会から派遣されたという……男。

以前にもこいつを見て思ったことだが、こいつにはどこか浮世離れた……現実感のない感覚を覚える。

そして狩竜が少しながらもうずくのが気になるところではあった。

 

そして……明らかにただの神父ではないのは見ただけでわかっていた。

 

相当できるとみて間違いない。

だが今は(・・)敵対関係にない。

警戒だけは怠るつもりはないが、臨戦態勢になる理由はない。

黙っていても仕方がないので、俺は仕方がなく言葉を放った。

 

「……どうせ知らなければいけないことだ。ならばそれが遅いか早いかだけの違いに過ぎない」

「その割には最初それを止めたようにも見えたが?」

 

遅いか早いか……そう言いながらもこいつの言うとおり俺は士郎に少しだけ時間を与えるために、さっさと退席を促した。

言動が一致していないので、不思議に思われても無理はない。

 

何せ俺にはこいつの言葉を止めることが出来たのだ。

 

だが俺はそれをしようとはしなかった。

 

「少しだけ同情しただけだ。確かに気づけなかったのはあいつの責任だろう。だがしかしあいつが対象だったならば少し話は違ってくる。あそこまで壊れてしまった人間が普通なわけがないし、気づけなかったのも無理はない」

「ほぉ? 普通ではないというのか? 衛宮士郎が?」

 

言うまでもなく、あいつは普通じゃない。

いくら正義感が強くても、いくら優しくても、自分の命を天秤に賭けてたやすく別の何かが、自分の命より重くなるなんてことは普通あり得ない。

確かに対象によるだろう。

自分の子供であったり、自分の恋人、肉親……。

だが士郎にとってのセイバーは違う。

状況から考えて、セイバーと契約したのは俺が小次郎と行動を共にすることになった日からそう大差はないはずだ。

だというのに、あいつはそれでもセイバーを助けるためにバーサーカーに突進し、命を投げ出した。

 

出会ってから数日しか共にしていない人間のために命を投げ出す行為……これを異常といわないわけがない。

 

あいつはきっと、普通ではない何かの体験をしているはずだ。

そうでなければ壊れる理由がない。

それを……この目の前の男は知っているはずだ。

 

「俺は詳しいいきさつは知らないがお前は知っているんじゃないのか? ならお前の方が俺が何を言いたいのかはわかるはずだ」

「……確かにな」

 

苦笑する神父。

俺にはそれが薄ら寒い物に見えて仕方がない。

しかし……その笑みをどこかで見た気がしないでもない。

それを見たくないからか、俺はさらに言葉を続けた。

 

「これであいつがどうでるかはわからない。だが……もしもあいつが桜ちゃんのために行動し、それが俺の邪魔にならないというのであれば、俺はあいつを助ける」

「……ほぉ?」

 

実に興味深そうに、神父が声を上げた。

その顔には確かに興味や興奮といった物が浮かんでいた。

それに気づきながらも、俺は神父をにらみ据えて言った。

 

 

 

「最終的に人間なんてのは自分の目的が大事だ。俺がそうであるように……。だから利害が一致し、あいつが変わっていくのならば、俺はあいつを支持するさ」

 

 

 

実際に俺はあいつを見直したのだ。

あいつでは絶対に勝てないはずだった。

それこそ会った瞬間に死んでいても不思議ではない状況だっただろう。

士郎(魔術が使えるとはいえただの人間)ライダー(サーヴァント)と一騎打ちするというのはそう言うことだ。

だがそれでも士郎は桜ちゃんのために命を賭けて救ったのだ。

遠目から見てもライダーが手加減していたのは間違いない。

だがそれはあくまでも一要因に過ぎない。

普通ならばあのいけ好かない間桐慎二のように、腰を抜かしてもおかしくはない。

だがそれでも士郎は歯を食いしばって耐えたのだ。

そして桜ちゃんを救った。

 

これを評価しないわけがない。

 

あれだけの覚悟があるのならば……俺はあいつを手助けしたい。

むろん、神父にも言ったように俺の目的と一致するのならばだ。

 

士郎には悪いが……俺は俺の目的を優先させてもらう……

 

それを最後にして、俺は今度こそ退席のために神父に背を向けた。

 

 

 

そのときだった……

 

 

 

背を向けてすでに俺は出入り口へと向かっていた。

だが俺にはわかった……。

一瞬だけ空気が変わった教会。

そこで笑っていた……神父の姿を。

背を向けた俺が見れるわけでもないし、実際に笑みを浮かべていたわけではないだろう。

だがそれでも笑っていたと……断言できる。

一目見たときからわかっていたことではある……。

だがそれでも覚悟せざるを得ないようだった。

 

 

 

この神父と……いずれぶつかることになる……と……

 

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

雨の匂い……

 

教会へと出た士郎は、益体もなくそう考えた。

確かに空は曇天と言っていいほどに曇っており、今にも降り出しそうだった。

その眼前に……士郎を待っていた存在がいた。

 

「……アーチャー」

 

何故待っていたのか?

主である凜の元を離れて。

それはわからない。

だがアーチャーは無言で士郎を見据え、一度だけ目を閉じた。

 

まるで何かと決別するかのように……

 

そして、わずかな時間を経て言葉を紡ぐ。

 

 

 

「わかっているな。衛宮士郎。お前が何をすべきなのか? お前が誰を殺すべきなのか?」

 

 

 

無意識に逃げてしまいそうになっていたその考えるべき事を、これ以上ないほど的確に、アーチャーは出すべき答えを言い放つ。

それに即答することは士郎には出来なかった。

 

……戦いを止めるために、無関係な人を巻き込まないためにマスターになったんだ

 

そのために、セイバーにも力を借りて、ここまで聖杯戦争を戦ってきたのだ。

ならば取るべき行動は考えるまでもない。

今の桜が……真っ先に止めなければいけないマスターであるということを。

だがそれでも士郎は声を出すことが出来なかった。

赤い騎士は何も言わずに士郎を見据えていた。

 

「好きにするがいい。私の目的は変えざるを得ない。あれが出てきてしまっては、私怨で動いている場合ではないからな」

「……え?」

 

赤い騎士がそう言った。

それは何かを諦観した響きが混じっていた。

だが士郎はそれに気づけなかった。

 

「これは忠告だ。今までの信念を捨てて生きるというのならば……衛宮士郎に未来はない」

「……俺が死ぬって事か?」

「自らを閉ざすことを死であるというのならな……。そうだろう? 衛宮士郎(オマエ)は今まで人を生かすために生きてきた。その誓いを曲げ、一人を生かすためにその他の人間を切り捨てるというのが出来るのか?」

 

そう語る言葉に嘲りはなく、ただ決意とむなしさだけがこもっていた。

それだけは士郎も感じることが出来た。

 

「衛宮士郎がこれからどう生きていくのかは知らん。だが今までの自分を否定して一人のために生きるというのなら……それは必ずお前自身に返ってくる」

 

そう言い残して、アーチャーは姿を消した。

士郎はそれを引き留めることも出来ず、迷いを抱えたまま坂道を下る。

あてどなく士郎はただ歩いていた。

その間、何も考えることも出来ず、ただひたすらに歩いている。

そうしていつのまにか公園へとやってきて、ベンチへと腰掛けている。

家に帰ろうとも一瞬考えたが、そんな気にはなれなかった。

 

答えをださなきゃ……

 

今の士郎にはそれしか頭になかった。

だがどちらも選べない。

選べるわけもない。

 

 

 

『あの娘に施された継承という名の行為がどのような物か、容易に想像できるだろう? 何せ女性なのだからな』

 

 

 

そんなこと、考えるまでもない。

士郎も、まともな教育を切嗣から施されてはいないとはいえ、それがどんな物なのか想像は出来た。

それがどのようなことで、どんな目に桜が遭ってきたのかを……

 

 

 

『あの娘にとってお前にだけはそれを知られたくはなかっただろう。だがそれでも常に救いを求めていたはずだ。魔術継承という陵辱がどれほどの期間続いていたのかは間桐桜にしかわからないことだ。だが十一年前に養子に出された事も考えれば短期間ではあるまい。その救いを身近にいながら気づけなかったお前に何が出来る? 傲慢というのはそう言うことだ。わかったのならば席を外せ』

 

 

 

「っ……そんなこと!」

 

わかっている。

そう叫ぼうとして……それをすることが出来なかった

 

どうして……そんなことに気づけなかったんだ

 

思い出すのは数日前……聖杯戦争が始まりながらも、平穏だった日常。

その中で見せていた桜の笑みだった。

 

しかし、その笑みがどれほどの物を隠していたのかを知った今となっては……その記憶はただ劇薬にしかなり得なかった。

 

いつも穏やかに笑っていた桜。

それを甘受していた自分。

もっとも身近な存在と言って良かった桜のことを全く知らなかった自分に、士郎は憎悪を抱くほどだった。

笑みが本物だったのか、偽物だったのか?

そんなことはどうだっていいと思える程に。

 

ただ……

 

どれほどの痛みを隠していたのか?

それだけだった。

 

間桐……臓硯!

 

そしてその痛みを与えた張本人である存在へと怒りの矛先が向く。

今すぐに殺してやりたい……素直にそう思った。

 

あいつさえいなければ!!!!

 

確かにその通りかもしれない。

間桐臓硯がいなければそもそもにして養子に行かずにすんだ桜。

普通の女の子らしい生活をしていただろう。

刻印虫という得体の知れない物を体に植え付けられることもなく、マスターになる必要もない。

慎二が狂ってしまったのも、間桐の後継者が自分ではなく桜からだと知ってしまったが故だった。

 

しかし……それはただの現時逃避で、責任転嫁だった。

 

 

 

「……あいつがいなかったら、どうだっていうのさ」

 

 

 

大事にしていた物を奪われた……とっくの昔に奪われていたという事実を知って取り乱し、嫉妬した己が死ぬほどに醜いと思えた。

それで士郎の罪が……咎が薄れるわけでも、なくなるわけもない。

 

気づかなかった事は、士郎自身なのだから。

 

 

 

違う……。気づこうとしなかったんだ……

 

 

 

慎二とマスターとして出会った深夜の公園。

あのとき臓硯に言われて信じてしまった自分。

慎二が間桐の人間であるのに、どうして桜が全く関係がないと思ったのか?

それは自分にとって都合がいいからだ。

無関係ならば……いつも通りの日常が迎えられる。

だが、心の奥底では士郎もそれが違うとわかっていたのだ。

だがそれでも士郎は気づかないふりをした。

それだけ大切だったのだ。

桜という少女が。

 

しかし目の前の問題が、その先の行為を決断することを、鈍らせる。

 

このままでは見境無しに桜が人を襲ってしまう。

それこそマスターだろうと一般人だろうとお構いなしだろう。

ならば戦わなければいけない。

正義の味方である士郎は……。

理不尽な災厄から人々を守る。

 

そう心に決めたからこそ……士郎はあのとき見捨てて生きた自分を肯定して来れたのだ。

 

 

 

『先輩……。もし、私が悪いことしたら、どうしますか?』

 

 

 

桜を傷つけたくない。

それは士郎の本心だった。

だがそれでも今まで生きてきた士郎という人間にはそれをすることが出来ない。

 

 

 

『――よかった。なら……いいです』

 

 

 

ならば戦わなければいけない……殺さなければいけない。

そう考える。

しかし考えただけで、士郎は吐き気を催し必死になってそれを抑えていた。

 

……なんで!?

 

考えるまでもない。

しかしそれを自分の生き方が否定する。

それを決断させまいとする。

そうして必死になってそれをこらえていた。

 

……そろそろか

 

どれぐらいそうしていたのかはわからない。

だがそれなりに時間が経過していた。

雨の匂いがする。

結論を出せていなかったが、遅れるわけにはいかない。

何とか立ち上がろうとしたそのとき……。

 

「シロウあそぼ!」

 

無邪気な声と共に、士郎に抱きつく小柄な影。

それが誰かなど……士郎は直ぐにわかった。

 

「……イリヤ」

 

しかしそれに言葉を返す気力を士郎は持ち合わせていない。

ただうつむいたままだ。

 

「シロウ? 話しかけてるのに無視するのは女の子に失礼だよ?」

 

そう声を掛けられるも、今の士郎にはそんな余力はない。

それがわかっていないのだろう。

イリヤはただ無邪気に、士郎に声を掛ける。

 

「今はそんな余裕がないんだ。それに……夜は殺し合うんじゃなかったのか?」

 

殺し合い。

今はその一言が限りなく士郎には重かった。

吐き気も再度こみ上げてくる。

それは先ほどとは少し意味合いが違った。

ただ楽になりたくて、イリヤを……友達を追い返そうとしている自分に対してだった。

 

「なんで? セイバーは力をなくしたんでしょ? だから見逃してあげてるんだよ?」

「!? イリヤなんで……」

 

それを知ってる?

そう問おうとする士郎に、イリヤは自慢げな顔をする。

 

「私は知ってるよ? セイバーがなんだか抜け殻みたいになっちゃってたよね? ライダーのマスターは遠からず自滅するだろうし、アーチャーだってたいしたことないわ。セイバーが使い物にならなくなった以上、私のバーサーカーに勝てるサーヴァントはいなくなった。だから遊ぼっ!」

 

楽しげにそして自慢げにそう言ってくるその姿が、今の士郎には桜の容態を笑っているようにしてか見えなかった。

そんなことはないと、普段の士郎ならばわかっていただろう。

だが今の士郎にそんな余裕はない。

 

「うるさいっ! そんな余裕はないんだ!」

 

こみ上げてきた怒りに逆らうことなく、士郎はイリヤを突き飛ばす。

 

「きゃっ!?」

 

悲鳴を上げてイリヤが突き飛ばされる。

その姿を見て悲鳴を聞いて、ようやく我に返るがすでに遅かった。

イリヤはただ呆然と立ちつくし、無感情の表情を浮かべて士郎を見つめている。

裏表のない純粋な行為をはねのけた。

友達だと自らが言ったというのに……士郎はそれを自らの手で壊していた。

イリヤからのその目に耐えることが出来ず、士郎が頭を下げたそのとき……

 

 

 

「ごめんね……シロウ」

 

 

 

そう言って、イリヤはその小さな手で、士郎の頭をなでていた。

 

「どう……して?」

「だって、シロウ泣きそうなんだもん。何があったか知らないけど、私まで嫌っちゃったらかわいそうだもん。だから、シロウが何をしたってシロウの味方でいてあげる」

 

その言葉は……今までグチャグチャと考えていた士郎にガツンと、衝撃を与えていた。

 

「俺の……味方?」

「そうよ。好きな子のことを守るのは当然でしょ? 私だって、それぐらい知ってるんだから」

 

誰かの味方。

味方になるという行為の動機を、イリヤは至極あっさりと口にしていた。

その言葉が……きっかけだった。

 

それはきっかけであっただけで、答えでもなければ原因でもない。

 

だが……本人が気づいていないだけでわかっていたのだ。

 

だから士郎は選択した。

 

今まで守ってきたもの。

 

今、守りたいもの。

 

その二つの選択を迫られた今……

 

 

 

士郎は……

 

 

 

 

 

 

俺は……桜の味方になりたいんだ……

 

 

 

 

 

 

自然にすっと……頭に、心に浮かんだ想いと言葉だった。

自分に嘘を吐いてまで前に進んでも、その先には後悔という結果が待っているだけだろう。

今まで自分を生かしてきた想い。

善悪の所在。

しかしそれを押し殺して……捨ててでも、士郎にとって桜を失うことの方が重かったのだ。

ただ桜を守りたいと、士郎は思ったのだ。

 

「そうだな……。好きな女の子を守るのは当然だよな。俺だって知ってるよ……イリヤ」

「そうでしょ? シロウがそう言う子だから、私はシロウの味方だよ?」

 

無邪気に、そして嬉しそうにイリヤが笑った。

その笑顔が……士郎に勇気を与えてくれる。

間違っているかもしれない。

だがそれでも、後悔だけはしたくないから……。

決意を固めた。

 

「ごめんイリヤ。俺……そろそろ行くよ」

「……そうだね、そんな顔をしてる。だから許してあげる。またね、お兄ちゃん」

「あぁ……またな。それと……ありがとう」

 

その言葉と共に士郎は走り出す。

迷いを振り払うように全力で教会へと駆けていく。

答えを得たのだ。

切嗣が死んでから支えてきてくれた桜という存在。

どれだけ自分が桜に頼っていたのか、支えてくれていたのかはわからない。

ずっと後輩だと……異性ではないと意識していた少女。

そばにいて欲しかったから、そんな嘘を自分につき続けていた。

だけど……もうそれが通用する状況ではない。

 

(衛宮士郎)は……桜を失いたくない

 

その確かな気持ちが、士郎を突き動かす。

しかしそれでも……アーチャーの言葉だけは振り払うことが出来なかった。

 

『だが今までの自分を否定して一人のために生きるというのなら……それは必ずお前自身に返ってくる』

 

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

昔話をしよう。

そもそもにして何故、桜が士郎の家に……衛宮(・・)の家に通い続けたのか?

いくら親しいとはいえ赤の他人だ。

更に言えばいくら壊れた人間とはいえ、士郎は青年である。

恋人でもない若い男と女が一つ屋根の下にいるのは……余り普通とは言えない。

では何故、桜は士郎の家へと通い続けていたのか?

それは……監視のためだった。

 

十年前。

 

第四次聖杯戦争にてマスターの一人に選ばれた衛宮士郎の養父、衛宮切嗣。

その一人息子である士郎の監視のために、桜は臓硯に衛宮家へと向かうように命じられたのだ。

しかしそれは直ぐに不要だと判明する。

マスターとしての適性もなく、聖杯戦争の知識もない。

聖杯を知らない者には令呪は宿らないという。

だから直ぐに監視の必要はなくなった。

しかし、それでも桜は監視役という名目で、衛宮士郎の家に通い続けた。

それが彼女にとって癒しであり救いだったからだ。

 

では何故……それが壊れるかも知れないというのに、彼女はライダーのマスターであり続けたのか?

 

間桐臓硯の魔手があった。

それは間違いない。

だが彼女が戦いを決めたのはそれだけではない。

 

未だ誰も知らない……

 

彼女だけが知る、暗闇の想い。

 

桜にとって……ある人物に……

 

 

 

彼女にだけは……負けたくなかったのだ。

 

 

 

別に勝ち負けではないのだ。

ただ、その勝敗の結果、自分が全てを失ってしまう姿を想像してしまったのだ。

 

 

 

だから……私……

 

 

 

そのとき、ちくりと……胸に痛みが走り、桜は目を覚ました。

ゆっくりと目を開ければそこは薄暗い部屋だった。

その暗さの中で辺りを見ると石造りの部屋で、治療台のようなものに寝かされているのだと、桜は気づく。

そして目の前に……黒い衣服を着込んだ、言峰綺礼が立っていた。

 

「目が覚めたか。状況の説明は必要かね?」

「……大丈夫です」

 

すでにこの体になって長い時間が経過している桜には、自分の体を正確に知ることはそう難しいことではなかった。

神父を……言峰を見ないまま体を起こした。

 

「ならば結構だ。早く服を着たまえ。隣では遠坂凜、衛宮士郎に鉄刃夜が待っている。彼らには君の状態を説明する。その後裸では、逃げることも叶わないだろう」

「……逃げていいんですか?」

 

それは純粋な疑問。

今の自分がどれだけ危ないかは彼女自身が重々理解していた。

だから逃がしてもらえない事だって十分にあり得た。

 

「それは君の自由にしたまえ。私はただ助けただけだ。その後のことは私には決められない。まぁ、助けた事もあるので早々に死なれても困る。それに君には生きていて欲しいと思うがね」

「……どうしてですか?」

「その方がおもしろかろう? 君が生きているのは間違いなく凜も衛宮士郎も苦しむことになる。苦悩する者が増えるというのは、私にとっては喜ばしいことなのだよ」

 

人のいい笑みを浮かべながら、言峰ははっきりとそう言った。

この男も歪んでいるのだ。

否、元々歪んでいたのが覚醒したと言っていいのかも知れない。

 

十年前に……。

 

言峰はその後何も言わずに背を向けて礼拝堂へと向かった。

治療を終えたばかりであり、自分を抱きしめている桜には見向きもせずに……。

しかし出入り口でふと立ち止まった。

 

「彼らが君を生かすのか殺すのか? その答えを知りたいのならばここで待っていたまえ。ここにいれば礼拝堂の会話を聞くことが出来る」

 

背を向けたまま陰湿に笑い、言峰は中庭へと出て、礼拝堂へと向かっていく。

完全に言峰が外へと出て……桜は体に回した自分の腕に、少しだけ力を込めた。

 

「……私……どうしたらいいんですか? 先輩」

 

膝を抱えて震えていた。

先輩と呼ぶ声も震えていて……それはすでに降り出した雨音にかき消されて、本人の耳にすら届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

密かな決意を秘めて、士郎は礼拝堂への扉を開いた。

礼拝堂にはすでに凜と刃夜の姿があった。

凜は隅に立って壁に背中を預けている。

刃夜は何をするでもなく、長いすに座ってぼんやりと、上を眺めていた。

その二人の姿は対照的だった。

密かな決意を胸にしている様子が、凜にはあった。

もしも……桜の状況が変わらなければ冬木の管理者として手を下すという覚悟をしているようだった。

刃夜は何を考えているのかもわからないほどに、隙だらけに見えた。

士郎はその二人に特に言うこともなく、ただ黙って礼拝堂へと入り、刃夜と同じように椅子に腰掛けた。

だが刃夜のように無気力には座らず、きつく拳を握りしめていた。

 

その様子を……密かに刃夜が観察していることに士郎は気づかなかった。

 

ただ雨音だけが聞こえている。

そして……しばらくして

 

「手術は終了した。これ以上、私に出来ることは何もない」

 

悲痛な沈黙を破って、言峰綺礼が礼拝堂へと入ってくる。

その姿を見て、凜はぎょっと目を見開いた。

 

「え? ……ちょっとあんた、魔術刻印はどうしたのよ?」

「ほぉ、やはりわかるか。見ての通りだ。間桐桜の治療に必要だったので全て使用した」

「……し、使用したって……」

「「?」」

 

言峰の言葉を聞いて絶句する凜とは対照的に、残りの男二人は会話の内容をよく理解していなかった。

まぁ士郎はまともな教育を受けず、刃夜はそもそも魔術師ではないのでそれも当然かも知れないが。

 

「魔術刻印なのよ!? 代々積み重ねてきた魔術刻印が……一体どうやったらたった数時間でなくなるのよ!?」

「仕方があるまい。私が父から受け継いだ魔術刻印は恒久的なものではなく、使用すればなくなってしまう消費型だ。私の家はもともと魔術師の家系ではない。簡単に言ってしまえば格の落ちた令呪と思えばよかろう」

 

令呪と言うことで男二人もある程度のことは察したようだった。

そしてそれ故に二人はそれぞれの反応を言峰へと向ける。

士郎は驚き、刃夜……警戒していた。

 

「なら……本当に?」

 

それに気づかず、凜は言葉を続けた。

凜も桜のことが気になって周りに目を向けている余裕はないのだろう。

 

「あんたがそこまでしたってことは桜の容態は……」

「その場凌ぎだ。大部分は取り除くことが出来たが、深く入り込んでいるものまで摘出することは出来なかった。心臓にまで入り込んでいる刻印虫もいたのでな。さすがにそれを取り除いては間桐桜が死んでしまう」

 

心臓に入り込んでいる。

それを聞いて三人はそれぞれ同じような表情を浮かべていた。

 

「私に出来たのは神経と同化していない刻印虫を取り除いて痛みを和らげただけだ。それによって臓硯からの圧力は弱めることには成功しただろう。だがそれだけだ」

 

つまり、延命できただけで根本的な解決には至っていないと言うこと。

それはつまり……

 

「なら桜の容態は……」

「変化がないということだな。普通に生活を送ることは出来るかも知れないが間桐臓硯がいる以上それは難しいだろう。あの老人の出方次第でどうなるかわからない」

 

その言葉を……士郎はただ黙って聞いていた。

だが先ほどまでの感情の起伏はなく、緩やかだった。

士郎も覚悟はしたのだ。

動揺は当然のようにしたが、それでも迷うことはなかった。

 

桜の味方になると……。

 

覚悟を決めたのだから。

 

「……そう。刻印を使い切ってまで桜を救ってくれた綺礼には悪いけど……」

 

そう言って凜は静かに動き出した。

その声にも、その動作にも感情らしき感情は何一つ見て取れなかった。

だからこそ……本気だというのが士郎にもわかった。

 

「待て遠坂!」

「何? 話なら後にしてくれないかしら?」

「桜を殺すのか?」

「それしかないでしょう? あなたもそう覚悟したからこそ、ここにいるんじゃないの?」

 

 

 

「そんな覚悟はしていない。俺は桜のために戻ってきたんだ。遠坂が桜を殺すっていうのなら、俺はそれを止める」

 

 

 

一切震えのない声。

そして確かな意思の込められた言葉だった。

それを聞いて凜は顔をゆがめた。

先ほどまで必死になって押し殺していた感情があふれ出した。

 

「そんなこと簡単に言うけどどうするって言うの? マスターとして戦わないと生きていけない。だけどマスターである限り魔力は減っていくし、他から持ってこないと持たない体。どんなに考えても、どんなに手を尽くしても結果はすでにわかっているのよ!? ならせめてここで殺してあげた方が……」

「そんなのわからない! まだ何もしていないのに、結論を出してどうするんだ」

「出すわよ! 桜だけだったらそんなに問題じゃないし、希望だってある。だけどあの妖怪じじいが桜の命を握っている以上、桜は臓硯の操り人形でしかないのよ!? あの妖怪じじいが桜を手放すわけがないじゃない」

 

互いに言葉を重ねていくごとに、どんどんと声が荒くなっていく。

必死になって抑えている希望を……言ってしまいたくなるからだ。

だがそれを言うわけにはいかない。

実際、八方ふさがりと言っていい状態なのだから。

 

「それ……は……」

「答えられないじゃない。ならわかってるって事でしょう? このまま苦しんでいくだけなら、結局逃げられないって言うなら……せめてここで終わらせた方が犠牲も出ないわ。私はあなたみたいに一縷の希望にすがって被害を広げるわけにはいかないの。それは逆にあの子を苦しめることにもなるわ」

 

それを士郎はただ黙って聞いてた。

士郎自身もわかっていた。

凜の言い分が完全に正しいことに。

実際暴走する可能性が高い……というよりも確定しているといっていい。

放置すれば大勢の人間が死んでしまう。

ならばそれが起こる前に一人の人間を殺せばいい。

 

だが……

 

 

 

「違う、遠坂」

「? 衛宮……君?」

「俺は犠牲なんて出させない。お前だって……やりもせずに諦めるなんて、それこそ逃げているだけだろう」

 

一瞬だけ凜の顔が固まった。

だがそれでも、凜には無視できない問題(立場)がある。

 

「あの子を助けて、他の犠牲も出させないってこと? そんなことがあなたに出来るわけがないわ」

「……わかってる。だけど……それでも俺は桜を守る。その結果どうなってしまうのかは、これから考える」

 

それは矛盾した言葉だった。

自分では出来ないとわかっていながら、これからのことを考えると言うこと。

無責任と言えなくもない。

それがわかっていながらも……士郎は桜を捨てることはしなかった。

 

そのとき……

 

ガチャン

 

雨音に混じって、何かが破砕する音が礼拝堂へと聞こえてきた。

その音に、士郎と凜が一瞬驚きを浮かべた。

 

「衛宮君、今の音って……」

「たぶん、窓の割れる音だろうな。それと……」

「誰かが走って逃げていった音だろうな」

 

特に驚いた様子も見せず、刃夜が士郎の言葉の続きを言った。

その後に、奇妙な笑みを浮かべている言峰が続いた。

 

「この教会の窓はほとんどが嵌め殺しだからな。窓硝子を割るしか外に出る方法がなかったのだろう。何せ出口はここと裏口だけだからな」

「まさか……桜!?」

 

教会に常駐している人物は言峰のみ。

故に、今この場にいる以外の人間で教会におり、逃げるように教会から出て行く人物は、桜以外に存在しなかった。

 

「礼拝堂の会話が聞こえたのだろう。殺す殺さないと物騒なことを言っているから逃走したのだろうな」

「!? このインチキ神父!」

 

そう罵倒して凜は教会の外へと走り出す。

それを士郎が呼び止める。

 

「まて遠坂!」

「話は後よ! 桜を捕まえなきゃ。あの子は……あんな体でどこに行くのよ!」

 

殺すといいながら、桜を捕まえるという。

殺すのではなく、捕まえる。

それが凜の迷いを如実に表している。

士郎もあわててそれを追うように外へと向かうが。

 

「待て。間桐桜の容態に関して話すことがある」

「!?」

 

その言葉に士郎は止まらざるを得ない。

にらみつけながら振り返り、言峰の言葉を待った。

 

「はっきり言って間桐桜の命はそう長くない。刻印虫は今なお彼女の体を蝕んでいる。無理に引き抜いては痛みに彼女の体が耐えられない。神経の4割を引き抜いては人として生きてはおれまい」

 

それは残酷だが真実だった。

半ば神経と同化してしまっている虫を摘出すれば、当然神経にも多大な傷を残す。

それが4割ともなれば……人として機能しなくなっても不思議ではない。

 

「だが放置しても同じこと。魔力がなくなっていけば理性を失い、間桐桜の自我が破壊されるだろう。そうなってしまってはただの餌を求めて徘徊するだけの獣に過ぎん。つまり……衛宮士郎がどれほど努力しようとも彼女はもう助からん」

 

!?

 

本当に一瞬だけ、士郎の頭が明滅したかのように真っ白になった。

だがそれに構わず言峰は話を続けた。

 

「壊れてしまったものはもう治らない。失ったものも当然のように返ってはこない。それでも間桐桜を救うのか衛宮士郎。何をしようとも数日中には死ぬだろう女を助ける意味があるのか?」

 

正直言って、士郎に考えがあるわけではない。

実力も知識も……何もないと言っていいのだ。

だがそれでも……覚悟だけはあった。

 

「そんなのわからない。だけど、桜を助けたいんだ! お前だってそうじゃないのか!? そうじゃなきゃ魔術刻印を使い切るなんて事はしないだろう!」

「さて。私はただ助けを求められたから治療したに過ぎん」

「嘘付け。理由はわからないけど、お前だって桜を助けたかったんだろう?」

 

士郎の言葉に、言峰は静かに首を傾けた。

納得がいったのだろう。

そしてひどく穏やかな笑みを士郎へと向けた。

 

「それもそうだな。急いだ方がいい。凜が先に見つけてはどうなるかわからんぞ?」

 

それには返答せずに、士郎は行動で返事をする。

凜にだいぶ遅れてしまった分を取り戻すために、全力で雨の中へと駆けだしていった。

 

残されたのは……言峰と刃夜のみ。

 

「……」

「……」

 

二人はまるで互いを牽制するかのように、無言でその場にいた。

互いを見ているわけでもない。

だがそれでも、二人は間違いなく互いに互いを、これ以上ないほどに警戒していた。

 

「さて……」

 

それを霧散させながら、刃夜が立ち上がった。

言峰もそれに対して特に何をするでもなく、ただ静かにその場に立っていただけだった。

 

「行くのか?」

「桜ちゃんを捜すのは士郎に任せる。俺は他の事をしに行くだけだ」

 

士郎に任せる。

凜を入れていないのは、つまりはそう言うことなのだろう。

それを言峰もわかっているのか、愉快そうに笑みを浮かべる。

 

「お前も衛宮士郎の用に間桐桜を助けると?」

「直接助ける訳じゃない。それは士郎の役目だ」

 

礼拝堂にはあまりに不釣り合いな長い狩竜を肩に担いで、刃夜も教会の外へと向かう。

言峰はただ黙って刃夜を見送った。

 

 

 

「はぁ、はぁ……はぁ」

 

吐く息は白く、それも直ぐに夜の闇へと溶けて消える。

降り続けている雨は容赦なく士郎の体温を奪っていくが、そんなことは関係がなく、士郎はただがむしゃらになって走っていた。

 

どこに行ったんだ?

 

すでに深夜近い時間にある街は静まりかえり、雨も相まってより冷たく暗かった。

早く見つけなければ取り返しの付かないことが起こるかも知れないという恐怖。

そして何よりも……ただ桜に会いたい……。

桜の手を取りたくて、士郎は走っていた。

どこにいるかもわからず、ただ走り続けた。

事実上、桜には今帰ることが出来る場所はどこにもない。

間桐家はもとより、衛宮家にも帰ることが出来なくなってしまった以上、それはある意味で当然だった。

ならば街のどこかにいるはずだった。

 

そう遠くには行けないはず。雨がしのげて、人気のない場所か……

 

特に当てがあるわけもなくひたすらに走って桜を探した。

 

まだ制服姿だとすれば……

 

学生が出歩くには遅い時間だ。

人目に付くのがまずいというのは間違いなかった。

そうして深山町と新都を繫ぐ橋を渡っているときだった……。

 

士郎は足を止めた。

 

「……桜」

 

橋の下の公園に、桜はただ一人雨に打たれるままにたたずんでいた。

その場から動く様子が見られなかったため、士郎はゆっくりと公園に下りて……桜と相対した。

 

「……」

 

無言。

桜から声を掛けることはなく、士郎には掛ける言葉さえ見つけられなかった。

ただ自分がするべきこと……、出来ることだけをするために、士郎はここにいた。

 

そのため、桜へと歩み寄ろうと足を動かした……。

 

 

 

「こないでください!」

 

 

 

これ以上ないほどに悲痛な言葉だった。

今まで見たこともないほど必死な様子で、桜は士郎を拒絶する。

その言葉と姿を見て、士郎は足を止めるしかなかった。

 

雨にぬれて髪が張り付き、うつむいたままで顔を見ることは叶わない。

ぎゅっと……スカートを握りしめたその手は、ひどく見ていて悲しい姿だった。

まるで己が恥じるべき罪人であるとでも言うように……。

 

「桜……」

 

これ以上は近づくことが出来ない。

そう感じ取った士郎は、ただ普段通りに声を掛けることしか出来なかった。

 

「帰って……ください。私……何をするのかわからない」

 

声は震え、体も震えていた。

それは寒さだけではなく、罪悪感も含めた痛み。

それをぬぐってやることは、士郎には出来なかった。

ただ、言葉を掛けて……

 

「帰ろう。まだ熱が下がってないだろう?」

 

手をさしのべることしかできない。

そんな自分が、士郎は歯がゆかった。

 

「……今更……どこに帰れって言うんです?」

 

憎しみを込めた言葉で……桜はそう言い捨てていた。

 

「私になんかに……構わないでください。もう知ってるんですよね? 私の体がどうなってて……何をされていたのか? だったら……」

 

もう終わり。

言葉にしなくても士郎にはその言葉の続きがなんなのかを理解した。

故に士郎は……

 

「バカをいうな。そんなことはどうだっていい。俺が知っている桜は、今まで一緒にいた桜だ。それがどうしてもう終わりだなんて思うんだ?」

 

「終わりだって……思います」

 

桜は泣いていた。

涙を流さず……耐えるように心で泣いている。

救って欲しいが、知られたくはない。

そんなあり得ない都合のいいことを願っていた少女は……知られてしまったその事実があまりにも辛くて……泣いていた。

 

「私……処女じゃないんですよ? 小さい頃に養子に出された先で襲われて……初体験なんてとっくに終わっちゃってるんです。それからはずっと……ずっと訳のわからないものに体をいじられ続けていました」

 

体を抱きしめた

己の体を抱きしめるその指が、腕に爪を突き立てていた。

まるで自分を罰するかのように。

その痛みと血で……何かが流れていくのを願っているように。

 

「それだけじゃない。私は間桐の魔術師だって事を、先輩にずっと隠していました。マスターになったことも、先輩が何をしているのかわかっていたことも……。ずっと隠していたんです。だって……私が知っているって知ったら……先輩に怒られます」

「――桜」

 

もういいと。

もう言わなくていいんだと、そう伝えてあげたかった。

自分で自分を責めるようなことをしなくていいのだと……。

だが、それが出来ない。

今まで知らなかった桜の一面を……士郎はただ黙って聞いていた。

 

「それでごまかせるって思ってたんです。自分の体におじいさまの虫がいても大丈夫、自分が気をしっかり持っていれば大丈夫だって、思ってたんです。でも……あっさり負けちゃいました」

 

虫に攻められるのはどれぐらいの苦痛を伴うのか?

それがわからない士郎には、桜がいうあっさりという事が、どの程度のものなのかはわからない。

だがそれでも、そんなことはないと……思った。

 

「廊下で掛けられたのは、媚薬なんです。毒じゃない、ただだ感覚を鋭くするためのもの。それを掛けられただけで、私は負けて……先輩を傷つけました。遠坂先輩は正しい。私は臆病で泣き虫で卑怯者です。こうなるってわかってた。わかっていたのに……おじいさまに逆らうこともせず、自分を終わらせることも出来なかった」

 

それがどうしたんだ? そんなこと俺は全然気にしていない……

 

それが本心であったが、それを言うことすらも許されない。

それが士郎の贖罪。

今まで目を背けて知ることも見ようともしなかった桜の思いをただただ聞いていた。

ただ静かに……桜の言葉を聞いていた。

 

 

 

「痛いのが嫌で! 怖いのも嫌で! みんなよりも自分が大切で……死ぬことも出来なかった!」

 

 

 

泣き叫ぶ。

どうしてそれ()を選ぶことが出来ないのかと……自分で自分を憎んでいるかのように。

泣き叫んでいた。

それを見て士郎は気付いた。

笑顔だけじゃない。

桜が泣いていることを見たことがなかったということに。

普通ならば持っているはずの感情らしい感情の一つを見たことがなかったと……どうしてそれにもっと早く気付けなかったのだろう?

そう自問自答するが、それはもうすでに遅かった。

 

「おじいさまの操り人形でいつかまた取り乱す! いつか取り返しの付かないことをします! そんな私が……どこに帰るんですか……!?」

 

自らを責め続ける。

誰も桜を責めないから。

自分が悪人であるとそう言い続ける。

 

あぁ……そう言うことか……

 

 

 

『私、引っ込み思案だから、引っ張っていってくれるような人がいないとダメだと思うんです』

 

 

 

先日、夜の土蔵で交わされた言葉。

その意味を……士郎はようやく本当の意味で理解した。

 

「ずっとだましていたんです。だから思ってました……。私みたいな人間が先輩のそばにいちゃいけないって。だから……明日からは他人になろうって……。廊下であってもすれ違うだけで、放課後は他人みたいに挨拶もせず……夜はまっすぐ一人で家に帰る……って……!」

 

……そんなことされたら、俺がどうにかしてたな

 

士郎が守りたいと想った。

失うことすら思いつかなかった。

それになによりも……これ以上泣いて欲しくなかった。

 

「でも出来なかった! そう思っただけで体が震えて……。死のうって思ってナイフを手首に当てた時よりもずっと怖くて……先輩の家に通い続けてました。先輩をだましているってわかっているのに、でも止められなくて! もうどうしていいのかわからなかった!」

 

知られなかった方が良かったと桜はいい、泣いていた。

だけど士郎はそれで良かったと思っていた。

 

心の中で泣いていた桜に、気付くことが出来たのだから……。

 

 

 

「先輩との時間が大切だった……守っていたかった! 私に……私にとってはそれだけが意味のあることだったのに……。なのにどうして!?」

 

 

 

だから……

 

 

 

これ以上泣かせたくない。

誰も桜を責めない。

だから桜は自分を責め続ける。

 

それなら……俺が……

 

 

 

他の誰がなんと言おうとも、桜のことを許し続ける。

 

 

 

そのとき、士郎の中で何かが壊れただろう。

 

正義の味方として生きていくと誓った少年。

 

その誓いを……士郎は捨てたのだ。

 

それ以上に大切な存在のために……。

 

 

 

その大切な存在を……桜を士郎はただ黙って抱きしめた。

 

 

 

「――――――――ぁ」

 

冷え切ったその体は、服越しにも士郎の体に伝わってきた。

背中に回したその腕はひどく頼りない。

強く抱きしめることも、抱き寄せることも出来ない。

 

士郎には桜を救うことが出来ないのだから……

 

だからこうして……それでもそばにいて欲しくて、そばにいたくて……。

こうしてただ抱きしめることしかできなかった。

 

だがそれでも……桜の味方になると決めたその心だけは、士郎にとって本物(・・)だった。

 

 

 

「わかった。もうわかったから……。桜が悪いヤツだってのはよくわかった。だからもう泣くな」

 

 

 

「……」

 

その言葉に、一瞬だけ桜は体を震わせる。

だましていたという事実。

士郎を傷つけてしまった罪悪感。

それを否定するために……士郎は、今自分に出来るただ一つのことを精一杯告白する。

 

「だから……俺が守る。何があっても……桜が自分を殺そうとしても、俺が守る」

「……せん……ぱい」

 

 

 

「約束する。俺は、桜の味方になるって……」

 

 

 

背中に回した腕にほんの少しだけ力を込めた。

その言葉が嘘ではないと言いたくて。

今はただ、ふれあうことすらもためらってしまうほどの関係でしかないのかも知れない。

だけど……この約束だけは何よりも固いと、そう伝えるために士郎は桜を抱きしめ続けた。

 

「……」

 

それが少しは桜の心に響いたのかも知れない。

全てを拒むかのように、かたくなにしていた桜の体から力が抜けていた。

士郎にとって、桜という存在は何一つ変わっていなかった。

抱き留めた感触、肌の温もり。

互いの吐息は同じように白く、降りしきる雨はいつの間にか少しだけ勢いを弱めていた。

 

雨の中、凍えるような夜闇の中で……

 

 

 

 

 

 

「ダメです……。そんなの……先輩を傷つける」

 

 

 

 

 

 

懺悔するように……桜はぽつりとそうつぶやいていた。

 

 

 

その言葉にどれほどの葛藤があったのだろう?

 

養子としてもらわれた先での陵辱という名の後継者としての修行。

 

その最中で監視という名目で手伝いに行っていた家に住む一人の少年。

 

監視という役目で通い続けて、ずっと嘘をつき続けていた。

 

更に聖杯戦争に関わっていたことすらも隠していた。

 

でも、その少年との……士郎との生活のみが意味であったと語った。

 

だが自分は汚れている、だましている……。

 

そう言う懺悔と罪が、桜を決して前に進ませようとはしなかった。

 

その距離を……自ら埋めてくれた士郎。

 

決して手にはいることがないと思っていた……自分に取って大切な人。

 

その人は……士郎はただ、桜を抱き留めていた。

 

その腕を振り払うべきだ。

 

心ではそう思っているのに……。

 

 

 

「……先輩を……傷つけるのに――――――」

 

 

 

桜はふりほどくことが出来なかった。

 

 

 

「――――こうしていたい」

 

 

 

涙を一筋だけまた流して……桜はそう言っていた。

 

 

 

雨に打たれるままに、二人はただ……静かに抱き合っていた。

 

 

 

こうして、一つにして決定的な選択が終える。

これが果たして恋なのか……? 愛なのか……?

 

 

 

そして……罪なのか?

 

 

 

それを知る者はいない。

だが報われるものではないのかも知れない。

 

そんな確信めいた予感が……士郎の胸に渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

その二人を……橋の上から静かに見守っている人間がいた。

 

「……どうやら大丈夫みたいだな」

 

刃夜だった。

傘も差していないというのに雨に濡れた様子は見られない。

ただ静かに橋の上に立ち……二人を見下ろしていた。

そして何持たないその左手を、二人へと向けた。

 

せめてもの手向けだ……

 

目的のためには手段を選ばない。

士郎の今の行動はこれに近いと言っていいのかも知れない。

だがそれでも刃夜は……士郎の取った行動を否定する気にはなれなかった。

そしてその左手に宿る力で……二人の周囲の温度を少しだけ上げる。

 

絶対零度すらも超える極低温を生み出す風翔の力で……。

 

二人が気付かない程度の……出力で。

そうしてそれが終えると、刃夜は微笑み……そして苦笑した。

 

 

 

「さて……士郎は決断したようだが、シロウ(・・・)はどうするのかね?」

 

 

 

そうつぶやく刃夜の視線は、ただの一点……山の中腹へと向けられていた。

 

とりあえず……やるべき事をやるかね……

 

あいつと戦う前に下準備をするべき事があるというのは刃夜は重々承知していた。

これをやらないといろいろと問題が出来てしまう。

 

……どう説明しよう

 

目下それが一番の問題だった。

しかしそれをしないわけにはいかないので、溜め息をつきながら、刃夜は覚悟を決めた。

 

……また説明なしで無理難題いうのかぁ

 

溜め息をつきながら、刃夜は雨の中をぬれもせずに歩いていった。

 

 

 

 

 

 

士郎と桜が衛宮家へと戻ってくる頃には、完全に雨がやんでいた。

二人はただずっと手を繫いだまま、歩いてきていた。

桜も、歩いているうちに落ち着いてきている様子だった。

今では手を繫いでいるのが、互いに少し気恥ずかしいと思っているが、それでも結局二人はふりほどけず家についてしまった。

 

……どうするか?

 

事ここにいたってようやく自分が今どんな状況に身を置いているのかを、士郎は思いだした。

まずセイバーの存在。

彼女は確かに士郎のサーヴァントである。

だがさすがに、無辜の民を襲うかも知れない存在である桜を守ろうとする士郎に、付いてくるわけもない。

また士郎は知らないことだが、セイバーは士郎に期待していた。

己が出来なかったことを、してくれるかもしれない人間であると思ったのだから。

しかし今回士郎が取った行動は、それを完全に裏切っている。

互いに信頼できるだけの関係を築いてきたと、士郎自身も思っていたがそれでもさすがに桜を救うという行為が、セイバーに対しての裏切り行為だというのは士郎もわかっていた。

確かにセイバーは、もはや戦闘能力を失っていると言ってもいいだろう。

だがそれでも士郎にとっては自分のことを幾度も救い、そして共に戦ってくれた存在だった。

だから……そんな存在であるセイバーにどう説明すべきか、そう悩んでいたのだが……士郎は一つ忘れていた。

 

今の衛宮家には……桜、セイバーの他にもう一人……

 

 

 

同居人がいることを……

 

 

 

「おかえりなさい」

 

 

 

玄関に……深紅のコートを身に纏った遠坂凜がいた。

その表情は、何を思っているのかわからない、感情が全くでていない無表情だった。

 

「と、遠坂」

「遠坂先輩」

「まぁあなたの家なのだから、最後にはここに戻ってくるのは当然なのかも知れないけど、それにしたって早すぎない? 殺そうと思えば今殺せたかも知れないわよ?」

 

それは事実。

共にサーヴァントがいると言ってもライダーは全力を出すことは叶わない。

さらには凜自身も十分に人を殺すことが可能な力量を有している。

故に、殺そうと思えば殺せただろう。

 

 

 

では何故それをしなかったのか?

 

 

 

「お前、まさかまだ!?」

「当たり前でしょう? いつ暴走するかもわからない魔術師を、遠坂の魔術師である私が見逃すわけがないでしょう。協会に目をつけられるわけにもいかないしね」

「そんなことどうだっていいだろう! 桜はまだなにもしちゃいない! それでも手を出すって言うのか!?」

「……聞くまでもないことでしょう?」

 

一触即発、そう言って良い状況だった。

士郎は桜を庇うように前に出ていて、凜をにらみつけている。

その視線を真っ向から受けて、凜は静かにたたずんでいた。

そして……その凜の指が動くその瞬間……

 

 

 

「やめて……やめてください!」

 

 

 

士郎を押しのけて、桜が躍り出た。

その桜を目にしても、凜は一切表情と感情を動かすことはなかった。

 

「……桜」

「せ、先輩の言うとおりです。私は……私はまだ先輩しか傷つけてません。もし先輩が許してくれるのなら、私はまだ罪を問われるいわれはないはずです」

 

その言葉にようやく凜の感情が動く。

その感情は当然のように……いらだちだった。

 

「あなた、きちんと自覚しているの? そんな体で……」

「言え……ます。私はまだ大丈夫です。それよりも遠坂先輩こそ本気ですか? 先輩のサーヴァントのセイバーさんはもう戦えないのに、手をあげるんですか?」

 

セイバー? そう言えばセイバーがいない?

 

そこでようやく士郎は衛宮家にセイバーがいないことを認識した。

意識が異様に興奮していたので無理からぬ事かも知れない。

しかし、それを無視して姉妹は話を続けていた。

 

「それが必要ならそうするわ。私の邪魔をするなら情けなんてものは無用だから」

「そう……ですか」

 

十数年ぶりに姉妹として認識し、そして会話した。

だというのに……こんな血なまぐさいことしか会話が出来ないこの状況は……あまりにも悲しいことだった。

しかし、それでも……桜は屹然と声を上げる。

 

 

 

「……なら、私はライダーのマスターとして、遠坂先輩と戦います」

 

 

 

怯えながら、悲しみながら……それでもなお桜は声を上げた。

自分大切な人を、守るために。

今まではただ流され、従わされ……それだけだった桜が自らの意思で遠坂凜と対峙すると。

その言葉には驚いたのだろう。

だが直ぐに冷静さを取り戻し、凜は表情を殺す。

 

「そうね、そう言えば助かる方法があったわね。聖杯という希望が」

 

そう言い放つと、凜は二人の横を通り過ぎて外へと向かう。

その行動を二人は睨みながら見つめていた。

 

「別に見逃してあげる訳じゃないわ。聖杯を奪いあうっていうのなら別に構わないわ。でもそれは今この場ではふさわしくないわね」

 

背を向けてたまま、凜はそう語った。

二人には見えないその顔には……今どんな表情が刻まれているのだろうか?

 

「さすがに今のまんまじゃ共同戦線はできそうもないわね。だから今日限りで共同生活は終わり。荷物はすでに片付けておいたわ」

 

刃夜と小次郎、そしてバーサーカー。

これらの存在をどうにかするために共同生活を始めたが、両方ともその意味をなくしていた。

刃夜のそばにすでに小次郎はおらず、セイバーはすでに戦力になり得ない。

故に共闘している意味はない。

 

「それとセイバーだけど私が引き取るわ。今のままこの家に置いておいたんじゃ、どうなるかわらないからね」

 

そこでようやくセイバーがすでにこの家におらず、いなくなってしまった理由を二人は知った。

確かに凜の言うとおり、今のセイバーは桜にとって恰好の餌でしかない。

万全の状態ならば相手にもならない桜だが、力を失ってしまったセイバーではどうすることも出来ない。

 

「桜がいつ暴走するかわからないことだけは忘れない事ね。そのときあなたが死ぬかどうかなんて知らないし、あなたの勝手だけど……責任は取りなさい。犠牲者は一人っていう形でね」

 

その言葉を最後に振り返って二人を睨み、凜は今度こそ衛宮家から去っていった。

それを二人は黙ってただ見ていることしか出来なかった。

 

「……先輩、私……」

「バカ、そんな不安になるな。今のはあいつの皮肉だ。大丈夫さ」

「……」

 

やっと二人心を通わせていた事で高揚していた気分を落ち込ませ、桜は黙り込んでしまう。

それを元気づけながら、とにもかくにも士郎は家へとあがった。

二人して体は冷え切ってしまっている。

早く着替えようと思ったのだ。

 

犠牲者は一人。

 

それはつまり、最悪桜が暴走した場合、最低でも桜を殺してから死ねと言っているのだ。

つまりは相打ち。

ようやく自分に気持ちに気がつき、ようやく自分がもっとも欲しかった者が手に入った者達同士が殺し合う。

 

……そんなことにはならない

 

そう信じて、士郎はただ、自分に言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

 

士郎が先に風呂へと入り、ざっとシャワーで体を暖め、直ぐに桜と交代した。

少し寒かったが、そんなことは気にならないほどに、今の士郎は充実感を感じていた。

 

「……怒濤の一日だった」

 

それが士郎の素直な感想であった。

しかし過去形にしている場合ではない。

まだ聖杯戦争は続いているのだ。

 

「そう言えばライダーのマスターなんだっけ? 桜は」

 

情報を整理する。

何せこちらの切り札……というよりも頼りになるのはライダーのみ。

しかもそのライダーもリミットがあると言って差し支えない。

マスターである桜が万全でない以上、どうしても足かせが出来てしまう。

となるとライダーに頼るのは最終手段と言うことになる。

しかしそれでも、頼らざるを得ない。

サーヴァントだけではなく、刃夜がどう動くかも士郎にはわからないのだ。

多少は鍛えており、さらに魔術という武器を持っていても、士郎だけでは刃夜に瞬殺される。

 

「明日桜に頼んでライダーを紹介してもらおう。これから一緒に桜を守ることになるんだし」

 

何となく、呑気なことを考えている気がしないでもない。

そのとき……部屋の襖の先から音がしたのを、士郎は聞き逃さなかった。

 

「誰だ!?」

「!?」

 

あぐらを掻いて座っていた士郎はすぐさま中腰になって戦闘態勢へと移行した。

そして咄嗟に周りに目を向けるが……手の届く範囲に武器は見あたらなかった。

 

っ! くそっ!

 

一体だれがきたのかわからないが、何とかして桜と合流して脱出しなければならない。

そう考えていると……

 

「先輩……あの……」

「へ? なんだ、桜か」

 

襖の先から響いた声が桜だったことで士郎は安堵の息を吐いてぺたりと床に腰を下ろした。

そしてそれと同時にいぶかしんだ。

 

なんで声を掛けてこなかったんだ?

 

「先輩……あの……。入って、いいですか?」

「? いいけど、なにさ? 改まって」

 

士郎の許可を得て、桜は襖を開けて入ってきた。

入ってきた桜は私服に着替えていたが、それ以上にどこかおかしいと思わせられる様子だった。

それがなんなのかわからず、何故かごくりと生唾を呑み込んで、士郎は来た理由を聞いてみる。

 

「ど……どうしたんだ?」

「……どうして……助けてくれたんですか?」

 

ただ普通に聞いてきたはずなのだ。

だがそうだというのに、士郎は何故かその声が、仕草が……異様に色っぽく見えてしまう桜にとまどっていた。

だが、今問われたその問いが、重要なものであるかなど考えるまでもない。

 

「私はとっくに……汚されています。間桐の家で後継者となるために調教されました。おじいさまが……私の体をいじって」

 

体をいじったということ。

それがどういう行為かなど、容易に想像できる。

まだあんなヤツのことを様付けで呼んでいるのか? そう思うが、それを押し殺して士郎は桜の言葉を聞き続けた。

 

「なのにどうして……私を守ってくれるんですか?」

 

必死になって自制している頭に響く声。

何を自制しているのか? そう考えるが、それすらも考えられないほどに、士郎の頭は熱くなっていた。

だがその問いは考えるまでもないことだった。

故に、何故か高揚している自分であったが、士郎は自然と言葉を口にしていた。

 

「あれは庇ったんじゃない。俺が桜にいて欲しかったんだ。俺には桜が必要で、大切で……離れるなんて考えたくもなかったんだ。だから……遠坂が相手でも、引く気はない」

 

 

 

「それは……家族としてですか? それとも……一人の女の子として、私のことを見てくれているんですか?」

 

 

 

それが一番知りたかったこと。

さんざん家族として接し続けていた士郎が相手では、そう思うのは無理もない。

だが士郎にとっては、己の正義を捨ててまで、桜を守りたかったのだ。

桜が大事だと思ったのだ。

最近気付いてしまった、女性としての桜。

それを知ってしまっては、もう家族になど戻れるわけもない。

必死になってごまかそうとしていたのだが……それももう限界だった。

だからこそ……この言葉も自然と、士郎は口にしていた。

 

 

 

「あぁ。俺、桜のことが好きだ」

 

 

 

今まさに魅入られていた。

おそらく風呂上がりであろう桜のほてったその体から香るその匂いに、頭がくらくらするのを感じていた。

その士郎の告白を耳にして……桜は顔を真っ赤にしてうつむかせた。

 

そうして二人は互いに互いの温もりを感じながら……床についた。

 

初めて知った桜の女性としての温もり。

 

それを全身で感じながら、士郎はしっかりと……だが先に寝てしまった桜を起こさないように優しく……

 

抱きしめていた。

 

 

 

この温もりを……なくしてたまるか……

 

 

 

飛びそうになる感覚。

 

吸収されてしまった魔力の影響で、体力がほとんど皆無と言っていいほどに体力はもう、士郎には残されていなかった。

 

しかし、その今にも飛んでしまいそうな意識をかろうじてつなぎ止めて、士郎は桜を抱きしめる。

 

自分の腕の中に眠る桜を抱きしめながら、士郎は改めて誓っていた。

 

この温もりを……なくしたくないと。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

……風があるな

 

山の中腹に一人、たたずみながら静かに眼下を見下ろす男がいた。

外套をたなびかせて、ただ静かに……その鋭い鷹の目のような視線を、とある一点へと向けていた。

 

その視線に……殺意を込めながら……

 

ブォン

 

その彼の手に、一対の弓矢が虚空より出現した。

歪な矢だった。

先端から螺旋を描いて渦を巻き、それがまるで剣の鍔のような箇所まで続いている。

 

まるで、剣身の部分を、無理矢理ねじ曲げて螺旋を描いているかのような……

 

そんな矢だった。

それをつがえて、その視線の先へと……放とうとしたその時だった。

 

 

 

「やっぱりここだったか……」

 

 

 

そんな声が背後から聞こえたのは。

 

「!?」

 

全く気配がないというのに背後からの声に驚愕した赤い外套を身に纏ったその男は、その視線を一点……衛宮家から外して、背後へと振り向いた。

その先に……

 

 

 

「まぁ、あいつの家を狙うには最良のポイントだよな。得物にもよるが、俺もそうする」

 

 

 

刃夜だった。

魔力を昼間に使用したために、透明化は出来なかったのだろう。

その姿ははっきりと見て取れるが、それでも気配は皆無と言って良かった。

 

目を離したら……一瞬でも見逃せば捉えることが出来ないほどの存在感のなさ。

 

その手に握られているのは、狩竜ではなく……対の双剣、封龍剣【超絶一門】。

抜き身のその剣を見る限り、どう考えても友好的に話をしに来たわけではないと言うことはわかりきっている。

くるくると、器用に手元で回しているその姿から想像も出来ないほどに……その総身からは戦意があふれ出ていた。

 

「あいつの家には確かに大層な結界はない。何をするのかわからないが……それでもその弓矢でこのポイントから殺すことが出来るほどの攻撃が出来るって事だな?」

「……だとしたら?」

 

「それを邪魔させてもらう!」

 

「霞皮の護り」の気配遮断を解除し、刃夜が気力と魔力の双方を身体能力へと回して突貫した。

咄嗟のことで投影が間に合わず、アーチャーはその螺旋の剣を用いて、刃夜の初撃を迎え撃った。

 

その剣の名を、偽・螺旋剣(カラドボルグII)といった。

アルスターの伝説の名剣である。

しかしこの剣はアーチャー自身の工夫が施されており、投影による武器なので当然本物ではない。

真命解放し、……『壊れた幻想(ブロークンファンタズム)』にて放たれた場合の威力はバーサーカすらも殺すことが出来る。

その威力にアーチャーの狙撃の能力が加われば、遠く隔てたこの場所からでも、衛宮家を吹き飛ばすことは十分に可能だった。

ライダーがいる故に、一撃で吹き飛ばすのは難しいかも知れないが、それでも連続して放てば十分に、そして一方的に殺すことが出来るだろう。

 

 

 

しかしそこで一つ奇妙な点が出てくる。

 

凜は少なくとも今夜は襲撃しないことを公言した。

 

であるというのに彼女のサーヴァントは、士郎と桜を殺害しようと攻撃を敢行しようとしている。

 

その……理由とは?

 

 

 

ギィン!!!!

 

ガギャ!

 

 

 

夜の深山町で、激しい剣戟の音と火花が散っていた。

もはや不要となってしまった偽・螺旋剣(カラドボルグII)を捨て、アーチャーは干将莫耶に持ち替えて、刃夜と剣戟を繰り返す。

 

 

 

!!!!

 

 

 

ひときわ大きな音が響いたと同時に、互いに全力の力によって振るわれたその剣に押されて、二人は互いに距離を取った。

それによって静寂が辺りを支配した。

互いが互いをにらみつけながら、敵の隙を探っていた。

一触即発であり、少しの隙すらも出せないほどの緊迫した、ぎりぎりの状況。

だというのに刃夜はニヤッと、嫌らしく笑みを浮かべた。

それが気になったのだろう、はたまたその笑みに何かを感じたのか……アーチャーは睨んだまま口を開いた。

 

「何がおかしい?」

「いやなに……ひどく滑稽に思えてな。嫉妬……か?」

 

嫉妬。

その言葉の対象が自分であることに気付いたアーチャーは、その表情を険しく歪ませる。

 

「なんだと?」

「俺の勘が多分に含まれているんだが……というか普通に考えてあり得ないことかも知れない。だが、自分の存在と状況、そして聖杯という存在にサーヴァントという英霊。それらを加味すれば……当たらずとも遠からずと思っている」

「何がだ?」

「だから嫉妬がだよ。アーチャー」

 

いまいち要領を得ない、というよりも遠回しに、そしてアーチャーをいらだたせることを考えての嫌らしい言い方だった。

それにいらだちを覚えた時だった。

 

 

 

自分(・・)とは違う選択を行った、己への嫉妬じゃないかと思って……な」

 

 

 

そんな言葉が、刃夜の口からそう紡がれていた。

 

 

 

っ!?

 

 

 

その言葉にアーチャーは内心で瞠目したが、それは一切表に出さず、刃夜を睨み続ける。

隙だらけとは言えない。

だがそれでも言葉を紡いでいる刃夜には、ほんのわずかな隙があったこと確かだった。

だというのに攻撃しない。

 

「お前がどういう人生を歩んだのかは知らん。だが少なくとも今の士郎とは違う道を選んだというのは何となくわかる」

「……」

「その過程で何があったのか? 何を見たのかは俺にはわからんし、はっきり言ってしまえばどうでもいい」

「……」

「だがそれでも、お前が直接士郎を殺すことを……俺は許さない」

「……何故お前があいつの味方をする?」

 

それは今の問答とは関係のない言葉。

その問いに、刃夜は鼻を鳴らして答えた。

 

「はっ……。別に味方している訳じゃない。ただ手助けしているだけだ。以前のあいつならそれこそどうでもいいと思っただろうよ。だがあいつは選択した。己に取っての願いというものを。だから俺は手助けしよう。あいつがそれを実行する限り」

 

 

 

 

 

 

アーチャーへと向けた言葉。

それが俺の正直な気持ちだった。

己の願いを優先して、他者を退ける。

俺がそうしてきたように、あいつもそれを実行したのだ。

むしろ、もしも桜ちゃんを殺そうとするのならば俺はあいつを止めただろう。

それは決してやってはいけないことの一つだからだ。

 

まぁ……全面的に味方をする訳じゃないが……

 

むろん、俺にも俺の目的がある以上全面的に協力はしないが。

それを目の前の相手へと伝える。

 

……おそらくあっていると思うのだが

 

この世界に来て聖杯戦争が始まった。

今もってなお、魔術という神秘とやら開催しているこの騒動は、俺には理解しきれないところが多い。

だが……この赤い外套を纏った肌黒い男が、士郎だというのは確信にも似た気持ちがあった。

 

最初に気付いたのは初めてこいつを目の当たりにしたとき。

あまりにも士郎と気配が酷似していた。

完全に同一だったと思えたのだ。

むろんそれだけでは士郎とアーチャーを結びつけるのは無理がある。

しばらく気配のことは忘れていたのだが……それを思い出したのはライダーと戦っていたアーチャーの違和感だった。

何故マスターを攻撃しないのか?

それが不思議だったのだ。

あの状況でアーチャーにとって士郎はどうでもいいとしても、遠坂凜がいるというのにアーチャーの攻撃は決定的な攻撃……桜ちゃんへの攻撃を避けている様子だった。

ここから衛宮家を吹き飛ばすだけの力を持っているのに、あの場でそれをしなかったのだ。

確かに遠坂凜にも被害があったかも知れない。

だがあのままでは死んでいた可能性が高かった。

なのにアーチャーはそれをしなかった。

 

その行動が……気配が同一と言う、本来であればあり得ない状態の裏付けに思えた。

 

気配が同一、そして桜ちゃんに対する行動。

それでカマを掛けてみたのだが……やはり当たらずとも遠からずだったらしい。

 

おそらくこいつが士郎ということに間違いはなさそうだ

 

更に決定的な事を言えば、先ほどの士郎とこいつの会話がそれとなく聞こえてきたのだ。

全部聞いたわけではない。

だがそれでも、一部でも話を聞いていれば答えは得たも同然だった。

 

士郎の存在理由を知っている上に、あれだけ感情が隠れている言葉を吐いていれば……な……

 

が、こいつが今ここにいる事に関して……理由についてはぶっちゃけ適当に言っているだけである。

士郎がアーチャーであるという推論の元に成り立ってしまうが……士郎だとすれば、この実力はおかしい。

今の士郎と実力が隔絶しすぎてしまっているからだ。

ならば今の士郎の未来の存在である士郎であればどうだろうか?

そう考えればまぁ納得出来なくもない。

髪の毛が真っ白だし、さらには肌も黒くなっているが……それは何か理由があるのだろう。

 

魔術がらみと考えれば、まぁ……

 

魔術というものが体にどう変化を及ぼすのかはわからない。

だがそれでも、普通とは違うことをすれば、当然どんどんと普通とは離れて言ってしまうものだ。

俺がそうであるように。

 

狩竜を持てるって時点で普通ではないしな……

 

話がそれたが、それが俺の推論だった。

穴だらけにも程があるが……まぁ聖杯戦争という普通に考えてあり得ないことが起こっているのだ。

未来の英雄が召喚されても不思議ではない。

 

そう英雄……だ……

 

英雄。

才知や武勇などがすぐれ、普通の人にはできないようなことをする人を指す言葉。

となると、こいつ……士郎は英霊として認められるだけの何かをしたと言うことになる。

遠坂凜に以前説明してもらった話では、生前の遺業を認められた英雄は、英霊として死後「英霊の座」へと迎えられるらしい。

そこに迎えられたのだろう。

 

正義の味方を目指した……衛宮士郎は……。

 

 

 

……バカだな

 

 

 

何をしたのかはわからない。

だがそれでも……衛宮士郎は普通ではない何かをしたのだ。

正義の味方という……普通の人間ではあり得ない感情で!

おそらくそれの果てがこいつなのだろう。

もちろん違う可能性もあり得る。

桜ちゃんの味方をした……己の願いよりも他者を優先することを捨てた士郎が、目の前のこいつになった可能性もある。

しかしそうなると士郎を殺す理由が見あたらなくなってしまう。

故に俺はこいつが今の……桜ちゃんの味方になった士郎に嫉妬しての行動だと睨んだの。

 

外れてないことを……祈るが……

 

『気配云々は私にはわかりかねるが……。一応動きを止めているのだからそれなりに正解なのではないだろうか?』

 

元頭のいい竜人族の封絶でも、推理の材料がないため推論も出来ず、俺のことを励ましてくれることしかできない。

 

 

 

 

 

 

※外れていますが……まぁ当たらずとも遠からず

 

 

 

 

 

 

俺の言葉により、戦闘の空気が一瞬だけ霧散した。

だが……それも直ぐに終わり、今度はアーチャーから仕掛けてきた。

 

!?

 

少しだけ対応が遅れてしまったが、何とか双剣の攻撃を受ける。

が、体制が少し整っていなかったため、吹き飛ばされてしまった。

 

ちっ!

 

若干の距離が開いたことで、アーチャーが狙撃をするのではないかと肝を冷やしたが、それをさせまいと、俺は爆発的な疾走で再度アーチャーとの距離を詰める。

その勢いを乗せたまま……封絶を振るう。

最初の戦闘開始から、すでに数分が経過している。

このままでは下手をすれば他のサーヴァントがやってくるかも知れない。

それを警戒しつつ、俺は手にした剣と、言葉の剣を振るう。

 

「今のあいつを殺したところでなんになる!?」

「……っ」

「あいつはあいつなりの答えを出して桜ちゃんを選んだ。その選択がお前は間違っているというのか!? 遠坂凜と同じように!」

「……」

 

叫びながら俺は封絶を振るう。

殺すつもりも倒すつもりもないこいつが……馬鹿なことを止めるために。

もはや普通の聖杯戦争を行える状況ではないはずだ。

暗躍している臓硯が何をするのかも気になるところだが、あの黒い陰も気になる。

嫌な推論があがっているが、別にそこまで問題ではない。

 

「仮に間違っていたとしても、英霊のお前がこの世界とは……この時間では関係のないお前がするべき事ではない!」

「……」

 

!!!!

 

今までで一番大きな金属音が響き、再度戦いが停止する。

何とか背後に士郎の家を取った俺は、いろんな感情を込めた視線を、アーチャーへと向ける。

すると……

 

ブォン

 

奇っ怪な音が聞こえたと思うと、アーチャーがその双剣を消した。

どういう原理でいるのかはわからないが。

 

相変わらず便利で……むかつくな

 

と思うのが俺の素直な思いだった。

 

「……」

「……」

 

そんな場違いというか、今思うべきではないことを思いつつ、アーチャーは俺を睨んでいた。

俺も構えを解いて剣を納めたが、まだシースには入れていなかった。

だがそれも直ぐに終わり、アーチャーが俺に……衛宮家に背を向ける。

 

「……諦めたのか?」

「……私がいないことに気付いた凜から至急戻ってこいと言われた。それだけだ」

 

マスターとして戦闘の気配を感じ取ったのだろう。

だというのに自分のサーヴァントがそばにいないのがおかしいと思ったのかも知れない。

だが理由はそれだけではないだろう。

 

「アーチャー……」

「貴様があれの味方をするのは構わん。だが覚えておけ……」

 

首だけで振り返って俺を射貫くその視線には……はっきりとした憎悪が備わっていた。

それを向けたのは俺なのか? それとも……

 

 

 

「あれは……お前の手に負えるものではない」

 

 

 

それだけを言い残して、アーチャーは去っていった。

その背中に……幾ばくかの後悔と、羨望を刻みながら……。

 

 

 

 




全てをぶっ壊すNGシーンという名のネタ後書き

士郎の家を狙撃できるポイントから強制的に場所を墓地へと変更~


「やらせはしない!」

だっ! ←アーチャーに接近する足音
ぶん! ←アーチャーに刃夜の右パンチ!
ガン! ←アーチャーにパンチ命中~

「いたたた、何故殴打する?」

「殴打もするわ!」

「墓地の裏手でもみ合った際、誤って三メートル後ろの墓石へと激突! 頭部を強く打って病院に運ばれましたが間もなく死亡! したらどうするんだ!?」

「その程度でお前は死なんだろう?」



解る人には解るネタ
↑ほっとんどの人が解らないと思うっていうか何故やったのか自分でも不明w
出来たら本編も墓地でやらせたかったが……無理だった・・・・・


日本語:悲しみ
英 語:sorrow
PS2版の原作にて、雨の中桜を抱きしめたところで流れたBGM 「sorrow」
ステイナイトで一番好きなBGMでございます
たぶんPC版では流れてないと思うんだけど……どうだろう?
であるにも関わらず桜の出来事とかなんかはPC版を遵守してお送りしましたがいかがだったでしょうか?
いやだって、魔術師うんぬん置いたとしてもね、魔術の訓練の教官があの妖怪じじいならどう考えても○○○しながらの訓練になると思うし?
そして互いにようやくわかり合えた年頃の若い男女が○○○しないとか普通に考えてあり得ないでしょ?
という言い訳の元PC版を元にお送りしました~





あ~もうわかっている人も多いと思いますが、正直当分戦闘描写は出来そうにありません
説明と状況確認の話が当分続きます
しかもまだ原作遵守の流れのため、目新しいこともまだ出来ません
最後の方は期待してもらえる物になると思うのですが……
ので暇つぶしになれれば幸いですので、気長に読んでやってくれたら……orz
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