またがんばって書いてます
でもまだ説明ですw
戦闘に至るまでには後二話は必要かなぁ……
うつろな足取りのままに士郎は家へと戻った。
まだ結論は出せていない。
出したいと思いたくないのだ。
それも致し方ないことだろう。
愛する女性を手に掛けることなど、想像すらしたくないはずだ。
「あれ? シロウ、玄関側からの廊下からきた?」
家へ入り居間へと足を運ぶと、そこにはイリヤが一人で座っていた。
人がいることはわかっていたため、何とか自分なりに士郎は普段通りを心がけて、イリヤに返事をした。
「ちょっと外に行ってた。留守中に何かあったか?」
「何もなかったけど……シロウは何かあったの?」
「!?」
あっさりとイリヤに見抜かれて息を呑むが、直ぐに平静さを装う。
「いや、特に何もなかったよ」
「嘘言わないで! そんなうつろな目でわたしと話をしないで!」
自身が把握できないほどに、士郎の表情は優れなかった。
イリヤでなくとも直ぐに看破できただろう。
そんなバカみたいな顔をしてたってのか?
叱られたことで、ようやく士郎の頭にも力が戻ってきた。
いくら何でもこのまま呆けているわけにも行かないので、士郎は自らの頬を叩いて気合いを入れ直した。
「よしよし。少しは元気でたね、シロウ。それで、何かわたしに聞きたいことでもあるの、シロウ?」
「――――――」
イリヤの鋭さと、その優しさにシロウは思わず息を漏らしていた。
桜が臓硯によって浸食されていると知ったとき、そして黒い陰の正体が桜であると知らされた。
どうすればいいのかわからず、どうしようもなくダメになっている時に、イリヤは優しく手をさしのべてくれた。
どっちが年上なんだか……
内心で士郎は自身のふがいなさに溜め息を吐くしかなかった。
だが、自身のふがいなさは一度捨てて、士郎はそのイリヤの優しさに甘えることにした。
「……なら聞いていいかなイリヤ?」
「いいよ、何でも教えてあげる」
「……アインツベルンの聖杯について、教えて欲しい」
「……」
イリヤも聖杯戦争がらみで有ることはわかっていた。
だが、質問が直結して
そしてこの質問は、イリヤにとって知られたくない秘密の一つだった。
しかし、それでも年上として……■として、イリヤは士郎に悲しげに微笑んだ。
「シロウに知られたくないことが二つあったけど、一つは知られちゃったみたいね」
否定はなかった。
心のどこかでは否定して欲しいと、士郎も思っていたことだった。
だが、これ以上現実から目をそらすわけにはいかないため、士郎は覚悟を決めて先を促した。
「それは、つまり……」
「そう、わたしは聖杯。ホムンクルスなの」
錬金術において、人間の精といくつかの要素をあわせて生成される、生命の誕生法。
自然の摂理ではない生殖によって誕生した
小躯、知性の欠落、生殖機能の欠落……そして短命。
人の姿をし、人と同じ命を持ち得ながら人間ではない
強大な魔術回路を持って、完成する。
しかし生命体としては欠落もあいまり、脆弱の一言に尽きる。
だが魔術師としてならば……その強大な魔術回路がある。
「アインルベルンは聖杯とマスター、両方の機能を持つ者としてわたしは育てられた。聖杯の役目は敗北したサーヴァントの魂を回収すること。それだけに特化しているだけでいいのなら、人間じゃなくても棺桶でもいいの。魂の容れ物としては大きい方が都合がいいもの」
自身のことを、至極つまらなさそうにイリヤは語っていく。
聖杯がサーヴァントの魂を回収するという役割は、士郎も初めて知ることだった。
「回収と言うより、帰還のほうが正しいかな? サーヴァントは聖杯によって現世へと召喚された。敗れて魂となったあとは聖杯を通って還るのは当然でしょう? この街にある聖杯はわたしだけだから、本当はみんなわたしが回収してるの。でもわたし以外に聖杯として機能している奴がいるのね。気付いたときにはアサシンが取られてたわ。セイバーも取られて引き寄せる力がわたしよりもそいつが強くなっていた」
嫌悪するかのようにイリヤが「奴」というのは当然桜のこと。
もう一つの聖杯となった桜は、すでにアサシン、セイバー、バーサーカー、そして第四次聖杯の生き残り、英雄王ギルガメッシュを取り込んでいる。
「サーヴァントの魂なんて……押さえつけられるのか? 人間の体にいくつもの魂なんて入らないだろ?」
「えぇ、それが英霊の魂ならなおさらそうね。クラスという殻を失った純粋な魂のサーヴァントの魔力は膨大で強大よ。一つ取り込んだら体の中に台風が生まれるという感じになるわ。最終的にはその膨大な魂を七つ集めるのが聖杯の役割。そこに
……ぇ?
自分のことであるはずなのに、まるで他人事のようにイリヤは言葉を続けていたために、聞き間違いだと思った。
聞き間違いであって欲しいと思った。
「英霊七人分の魂を収納、管理するのが聖杯の役割。聖杯が完成に近づくほどに、人間としての機能は失われていく。それがわたし。サーヴァントの魂を回収するたびに、器の制御のために人間の機能を捨てていく。手足に回す魔力をなくしてしまえば、その分を制御に回すことが出来る。呼吸をやめれば、取り込んだ魂が外に出ることもない。人格を形成している能力を、全て演算に回せば、魂の統合も余裕が出来る」
聖杯として生まれながら、人間としても機能する少女。
奇跡のような存在だと言って差し支えない少女は、それでも自分の本来の役目を果たすために、この冬木の街へと赴き、サーヴァントを使役して戦った。
「それは桜も同じこと。聖杯として機能してしまえば人間としての人格なんて英霊の魂に呑み込まれてしまう。人間でいることなんて、できないわ。でも、そうね。わたしとサクラに違いはあるわ。わたしは自分の意思で切り替えることが出来るけど、サクラは上書きされて消えてしまう。不完全な黒い聖杯であるサクラに、拒否権なんてないの」
聖杯としての己と、聖杯となってしまった桜のことを、イリヤは淡々と語っていく。
それは生まれながらに……否、生まれる前から宿命づけられたイリヤの運命。
己の命が、聖杯戦争の一部であり要でもある、そんな存在だと言うこと。
そんな話を聞きながらも、一つだけ士郎は安堵していることがあった。
「どうしたのシロウ? わたし、サクラは助からないって言ったと思うんだけど?」
「わかってる……。けどまだイリヤは英霊の魂を吸収してないって事だよな?」
「そうなるわね。だからわたしはイリヤのままよ」
それが救いと……いえるのだろうか?
ホムンクルスとして生を受けたイリヤは、今のままでは遠からずに死んでしまう。
そして桜は聖杯として欠陥を抱えている。
だが、それでも士郎は嬉しかったのだ。
イリヤだけは守ることが出来るかも知れないと……わかって。
「え? シロウ!?」
気がついたときには、士郎はイリヤは抱きしめていた。
今の状況では何が約束できる訳でもなく、何かをほしがったわけでもない。
だがそれでも士郎は、イリヤの小さな体を弱々しくもしっかりと抱きしめた。
その指に……守り通すべき存在の重みを、確かめたのだ。
もう……しょうがないなぁシロウは
士郎の心情を全て理解したわけではない。
それでもイリヤはこの一方的とも言える抱擁を拒まなかった。
だが自分はそう遠くない将来消えてしまう存在。
そして今のままでは、聖杯戦争で大惨事が起きる可能性があった。
その大惨事を回避するための策がイリヤにはあった。
でもそれを伝えてしまえば、この震えるかのように自分を抱いている弟が傷ついてしまうから。
だからイリヤは士郎の抱擁を返すことは出来なかった。
黙っていなくなってしまうことがあり得たから。
しばらく二人は無言のまま、今でそうしていたが……
「……いや大丈夫なことはわかってるんだがな? しかし無言で人が集まる居間で抱擁されててもなぁ? しかも絵面的には少々危険だぞ?」
狙っていたのだろう。
ニヤニヤ笑いながら刃夜が先ほど士郎が入ってきた玄関側の廊下から顔を出している。
いつから見ていたのかわからないが、言われて二人も客観的に見ればどういう事なのかわかったのだろう。
慌てて離れるのだった。
よし……
調理を終え、さらに深呼吸をして士郎はエプロンを脱ぎ捨てた。
時間はすでに午後二時。
遅くなってしまったが、昼食として士郎はお粥を用意した。
他のメンバーの昼食は刃夜が拵えたが、病人とも言える桜の料理は士郎が調理したのだ。
……これが最後かも知れない
以前のように、普段通りにただ互いの顔を見るのは、これが最後かも知れないという予感が士郎にはあった。
否、もはや確信している……確信してしまった。
だからせめてこの貴重な時間を、笑いあいながら、楽しい時間として終わらせたかったのだ。
故に士郎は深呼吸と共に自らの感情を凍結させて、桜がいる部屋へと向かった。
「桜……起きてるか? 少し遅くなったけどお昼は食べられるか?」
「はい、起きてます」
桜の返事をもらい、士郎は部屋へと入る。
寝ていたのかも知れないが、それでも桜は士郎が部屋に入ってくると満面の笑みで、士郎を迎えた。
穏やかな時間が流れていた。
桜の体は何とか起き上がれる程度には回復しており、士郎が用意したお粥も一人で完食出来る程度にはなっていた。
昼食を終えて、二人は穏やかに話をした。
なんでもない、ただの雑談だけの時間。
おなかが満たされて眠くなったのか、桜はベッドに体を預けていた。
士郎が見る限りでは桜は元気そうに見えた。
今朝は苦しげだった呼吸も規則正しくなり、顔色も普段と変わりないように見えた。
そんな桜が、あと数日しか保たないと言われても、士郎には全く実感がなかった。
士郎と話を続ける桜は本当に楽しそうにしていた。
その笑顔を見ていると、桜が回復して明日にでも元通りになるのではないか? そんな錯覚さえ抱いてしまいそうになった。
だが士郎はそれを許さなかった。
都合のいい錯覚を必死になって押し殺し、良くなると、元通りになると信じて自らの決断を先延ばしにするようなことはしなかった。
だが……それでも……
「……なぁ、桜」
諦めきれなかったのか?
それとも冷たい逃れ得ぬ現実を受け入れたつもりだからか?
「体が元通り元気になったら、何がしたい?」
あり得ないと言える、もしもの話。
互いにわかっているであろう破滅の話の先を、士郎は口にしていた。
「わたしがしたいこと……ですか?」
「あぁ。桜が楽しいって思えることで何かないか? なんだっていいさ。ただ話しているだけだからさ。かないっこないってのはなしで……さ」
「ん~~~。少し待ってくれますか」
桜は目をつむって考え始めた。
だが特に思い浮かばなかったのかも知れない。
頬を赤らめながら、桜はただこういった。
「特にないです。別にこのままでいいかなって……。その……先輩と一緒にいられれば」
それは決して考えようとしなかった、士郎が望んだ未来。
だがそれが訪れないことを、士郎は知っている。
動揺し、桜を捕まえておきたくなる衝動を、士郎は必死になって抑えつけた。
『
脳裏によぎるのは、臓硯の言葉。
その言葉に対して、士郎は心の中で悪態を吐くことしかできない。
くそ爺! してこなかったわけじゃない! 知らないだけだ……桜は!
楽しいことや、普通の家に生まれてさえいればなんの疑問も抱かずに享受できた生活。
それらを知らないからこそ桜は欲しいものがわからない。
そしてその桜が欲しがることは、それこそ普通でさえいれば些細な事でしかない……ただ好きな人と一緒に過ごしたいという願いしか生まれてこなかった。
「……先輩?」
「あ、あぁなんでもない。考え後としてた」
何もしていない。
自分が自分のために得たいと思うこと、手に入れたいと思うことさえも、桜は知らない。
衛宮家以外では笑わず、友達もいない桜。
衛宮家と間桐家、その二つの通常とは言えない家庭しか知らない、閉じられた私生活……世界。
こんなふざけたことを……変えられるって言うのなら、俺はなんだって……
「あの、先輩? どうしたんですか?」
「いや、大丈夫だ。桜」
もういろいろな感情がない交ぜになって、士郎は今自分がどんな顔を浮かべているのかわからなかった。
だが、それでもこれだけは言いたかった。
「聖杯戦争が終わったら、どこか遠くに行こう。今までどこかに遊びに行ったりしなかっただろ? たまには遠出してもいいと思うんだ」
突然言い出した意味が理解できず、桜はきょとんとしてしまった。
夢だと思っているのかも知れない。
「どこか行きたいところはあるか?」
「え、えっと……」
自分がしたいことすら思い浮かばない桜には、どこか遠出すると言うことも咄嗟には思い浮かばなかった。
だが、少ししておずおずと、口を開いた。
「ど、どこでもいいんですよね?」
「あぁ。人間、頑張ればたいていのところには行けるさ」
「なら、お花見とかがしたいです」
ささやかすぎる願いを、桜は微笑みながら口にしていた。
この提案に、今度は士郎がきょとんとする番だった。
「花見って……春にやる?」
「はい。このお屋敷でも出来ますけど、梅の花だけじゃないですか? 天気のいい日に、先輩と一緒にお花見がしてみたいな……って」
「そうだな……」
桜の提案に士郎も笑みを浮かべた。
士郎自身も遠出をしたこともなく、また自ら花見をしようと思った事はなかった。
橋の下の公園で、青空を眺めながら桜を見るのもいいかもしれない。
他にも楽しいことはたくさんある。
桜のこれからの門出を祝う花見をするのは、とてもいいことであり、似合うと士郎は素直にうなずいていた。
「なら、約束しよう。聖杯戦争が終わったら一緒に行こう」
二人は幸せそうに笑い合った。
そんな叶わないはずの約束を士郎と桜は約束した。
本当にそうできたらどれだけ幸せだろう?
十年前の火事から一度として思わず、想像すらもしなかった自らの幸福。
ゆっくりと客間を去っていく。
些細な約束だけを残して。
この約束は桜だけではなく、士郎のとっても願いでもあった。
凍らせたはずの心で、叶わない優しく暖かな幻想を夢想した。
聖杯戦争が終わり、冬が過ぎて……
春になったら桜を見に行く……
そんな、四月になればいくらでもかなえられるささやかな願いを……思い描きながら。
そして、時は残酷にも過ぎ去っていき、夜になった。
夜の巡回はもう行わないこととなった。
行ったところで黒い陰をどうこうできるわけがない。
イリヤと凜は宝石剣の最終調整を行っており、早々に眠りについていた。
刃夜も夕食を作り次第、いつものように出かけている。
セイバーは未だ士郎と話す気にならないのだろう。
食事を終えてすぐに自らあてがわれた部屋に引っ込んだ。
つまり……士郎を止める者はもういないことになる。
時計が10の文字を指した時間帯。
今までの傾向から、黒い陰が動き出す時間だった。
……
士郎は無言で立ち上がり、手にした得物を確かめる。
手にしたのは、包丁。
窓から差し込む月光に、鈍く光を反射させていた。
その包丁を手に、士郎は足音を立てずに廊下を歩いた。
鍵のかかっていない部屋のドアを静かに開ける。
……
そしてベッドへと歩み寄った。
視界がおかしくなっているのか、士郎の目には桜が今どんな顔をしているのかさえ見えなかった。
目眩を起きそうになり、震えが止まらなかった。
だがそれでも、士郎はその手にした包丁を振りかぶった。
……覚悟を決めるんだ
もしかしたら今も黒い陰が冬木の街に現れて、何も知らない人々を喰らっているのかも知れない。
自分以外の人々を見捨ててまで生き延びた自分が、それを見過ごすわけには行かなかった。
だから……
手にした包丁に力を込める。
後はただ、振り上げたその腕を力の限り振り下ろせば全てが終わる。
そう、全てが。
だが……
……どうして
それでも士郎は、その腕を振り下ろせなかった。
……なんで
指に力を込めても、腕を振り下ろそうと脳が命令しても、心がそれを拒んでしまった。
どうしてもこの手に掛けることが出来なかった。
どれほどそうしていただろう。
たったの数秒かも知れない。
もしかしたら長い時間そうしていたかも知れない。
その状況で……
「……どうした士郎?」
いつの間にか入ってきていたのか、刃夜が士郎の直ぐそばに立っていた。
驚きに目を向けた先に、刃夜はただ静かにそこに立っていただけだった。
なんの力も使わず、気配も消さず。
ただそれに士郎が気付かなかっただけだった。
「じ……刃夜」
「夜這い……ってわけではさそうだな。とりあえずその物騒なものをおろせ」
暗闇でも刃夜が微笑しているのが見て取れた。
しかしその笑みの意味がわからず、極度の緊張状態だった士郎には、咄嗟にどう反応していいかわからなかった。
「力が入りすぎて手放せないか? ほれ、よこせ」
そうして静かに歩み寄って士郎の手から包丁を取り上げた。
包丁が手から離れた瞬間に、まるでそれが動きを止めていた原因であったかのように、士郎の体は動きを取り戻した。
……お前は本当に人間になりつつあるんだな
多くの命を見殺しすることになるだろう。
それを止めるために士郎は愛する者に手を掛けようと包丁を手にした。
多くの命が消えてしまう、食われてしまう。
理不尽とも言える黒い陰の捕食によって。
それを止めるのは正しいことなのかも知れない。
だから士郎は包丁を手にした。
でも、どれだけ力を込めようと、一人の命を犠牲にすることで多くの命が救われるとわかっていても、士郎は殺すことが出来なかった。
己にとって、大切な人を。
答えなど、とっくにでていたのだ。
雨が降っていたあの日の公園で、桜を抱き留めたあの瞬間から。
だがそれを十年前の自分が否定する。
あの地獄の火災で生き残った。
目の前でただ力尽き、死んでいくしかなかった人々の助けを振り切って多々一人生き残った。
死んでいった、見殺しにしてしまった人々に報いなければいけないと……縋るように生きていた気持ち。
その思いを否定してまで、一人の命を取るのかと……。
「俺……俺は!!!」
どう言葉にすればいいのかわからなかった。
「正義の味方になって……だから、人を守るために……俺は! 桜を!」
だが、ごちゃまぜになってしまった気持ちを少しでもはき出さなければどうにかなってしまいそうだった。
今にも泣き出してしまいそうな士郎に、刃夜は静かに口を開いた。
「人を守るために自分の大切な人を殺すって? 馬鹿なことをいうな。そんな安っぽいもんじゃないだろう。己にとって大切な人ってのは」
静かに言葉を紡ぐ刃夜の脳裏に浮かぶのは、現実世界でのあの子、そしてモンスターワールドで出会った人々と、ムーナだった。
己にとって大切な存在を守るためなら、刃夜はそれこそ迫り来る全てをなぎ払う行為を全くいとわないだろう。
「確かに、今殺せば被害は最小限に治まるかも知れない。お前はまた、正義の味方を目指せるかも知れない。いや、目指せないか? 他の連中のために、愛した女を殺した男に救われたって、救われた側も迷惑だろうよ。それにな、たった一人の女が、百人の命の重さを上回っちゃいけないなんてことはないんだぜ?」
「そんな……そんなわけがない!」
十年前の聖杯戦争の終幕で起こった悲劇で、ただ一人生き延びた士郎。
たった一人生き残ったという事実は、どれほど重い物なのだろうか?
刃夜にも士郎の気持ちを全て理解してやれる訳がなかった。
だが、それでも今士郎が行おうとしている行為だけは、止めなければならなかった。
「頭が堅いなあ……。別にいいじゃねぇか。たった一人の、自分の女のために百人を殺す事になっても。むしろ今までがおかしかったんだよ。他人のために、己の命を犠牲にするなんてな。生き方を捨ててまでこの女を守りたかったんだろう? 愛おしいと思ったんだろう? ならそれでいいじゃねえか」
正義の味方を目指していた士郎が、どうして包丁を振り下ろせなかったのか?
何故、今殺さなければ多くの人が犠牲になるとわかりながらも、桜を殺せなかったのか?
簡単な話だ。
百人の命よりも……
たった一人の桜という少女が……
多くの命よりも、桜という少女が自分にとって必要であり、守りたいと……思ったのだから。
「俺は……俺は……」
それがわかっているのだろう。
刃夜の言葉に特に反論せず、士郎はただ苦しげにそう繰り返すだけだった。
さんざん迷ったのだろう。
だが最後には己にとって大切な存在を取った。
その人間として当たり前の感情を優先した士郎を、刃夜はただ優しげに見つめていた。
一時取り乱した士郎も落ち着きを取り戻し、士郎と刃夜が部屋を後にする。
二人が部屋から遠ざかるのを確認して、桜はようやく吐息を漏らした。
桜は眠ってはいなかった。
殺されてもいいと……思ったのだ。
自らの生き方を捨て、自分のことを守ってくれる事は純粋に嬉しかった。
だがそれとは相反する思いがあるのもまた事実だった。
正義の味方を目指していたと、以前夜に土蔵の中で話した。
己の味方になるということ……黒い陰として多くの人間を喰らっている自らに味方すると言うことは、紛れもなく正義に反することだった。
そうさせてしまったことが悲しかった。
……先輩になら
殺されても言い、そう思った。
士郎が包丁を持って部屋に入ってきても眠ったふりを続けた。
逃げ出したくなる自分を抑えつけていたのだ。
いつまで自分でいられるのかが……わからない
桜も自身がもう限界に近いことは気付いていた。
一日の日の長さ、昼に士郎と話した内容、そして話したのはいつの昼なのか?
昨日のこと、今日のこと、そして明日のこと。
そらが全然わからなくなってしまっていたのだ。
そして……毎夜訪れる悪夢。
幾人もの人間を喰らった黒い陰の夢。
怖いと思った。
血塗れになってしまうのが、怖かった。
だが、それも楽しいことであると思っている自分がいることが……何よりも怖かったのだ。
多く人から大切な物を奪って笑っている。
助けて欲しくとも悪夢は決して覚めてくれなかった。
他人を助けないのだから、他人に助けてもらえないのは当然である、何よりもこれは夢なんだ
そう思い、気付かないふりをした。
だがそんな夢を望んでいる自分がいることにも気付いていた。
臆病で汚くてずるい自分が悲しかった。
少しずつ……おかしくなっている……
それでも、士郎は弱くて汚くてずるい「
だからこそこれ以上おかしくなりたくなかった。
だが……それ以上に悲しく、決して望んでいなかった事が起こってしまった。
つい先ほどまでこの部屋で自らを殺そうとした少年。
それを受け入れるつもりだった。
だがそれでも士郎は桜を殺すことが出来ず、子供のように喚き嘆いた。
もう元に戻せないほどに、士郎の心を壊してしまった。
だからもう寝たくなかった。
眠ればまた、あの怖い夢を見てしまう。
こんな自分を守ると決意してくれた士郎のためにも。
けど……
しかし、もう戻らないものが出来てしまった。
もう先はないことがわかっている自分を守ると言った青年。
そして今、この場で桜を殺せば全てが終わることがわかりながら、桜のことを選んだ士郎。
士郎が殺すつもりで部屋に入ってきたのはわかっていた。
悪意に敏感桜は、すぐにわかった。
だが……その殺意はあまりにも薄っぺらかった。
そして何よりも……痛々しかった。
まるで、自らを幾度も傷つけて、それでもなお自分を殺しに来たのだと思えるほどだった。
だが、それをあの男が邪魔をした。
喚きながらも、それでも自分を取ってくれた士郎の苦悩を知ってしまった。
……ごめんなさい
苦悩し、さんざん自らを痛めつけて、正義の味方を捨ててまで、士郎は桜を取った。
正義の味方でいることに、どれほど憧れていたのかを知っている桜には、それがどうしようもなく悲しかった。
正義の味方を捨てた士郎は、これから桜のために生きていくだろう。
その先が奈落の底に続いていたとしても。
士郎はそれが出来る。
遠い昔、夕焼けの校庭でただひたすらに走っていた士郎。
自らの運命を呪っていた桜でさえ頑張って欲しいと願った少年。
その姿を見て思ったのだ。
あの人と……一緒にいたい
あの人に……守って欲しい
理由もわからず憧れ、祖父の言いつけに従う振りをして衛宮の家に通い、その願いをわずかながらも叶え続けた。
「っぅ……!」
しかしその願いの代償が士郎の苦悩だった。
士郎がこれからどのような人生を送っていくのか……桜にはわかった。
多くの人間を見殺しにした罪に壊れていく……。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……先輩っ!」
何故士郎に憧れていたのか、桜はようやく理解した。
士郎は綺麗なものだったのだ。
弱虫な自分と違い、まっすぐで、ひたむきな……ずっとそのままでいてほしいと願った存在。
そのことに、桜はようやく気付いたのだ。
壊してしまった後に……。
守りたいと思っていた。
まっすぐでひたむきだが、不器用なあの少年を。
望んでいたことがそんな大事ではないのに……どうしてこんな事になってしまったのだろうか?
そんな後悔が……桜の胸に広がっていく。
全てを捨ててまで、自らを守ってくれて嬉しいという気持ち。
あの少年のように……綺麗なままでいて欲しかったと思う気持ち。
そして……見て見ぬふりをしている■い気持ち。
それが桜に最後の決断をさせる。
わたしが、おじいさまを……止める……
もう手遅れかも知れない。
だけどこれ以上士郎に迷惑を掛けないためにも、桜は最大の恐怖に立ち向かう勇気を固める。
闇にともったその瞳。
弱々しいが確かに決意を固めた瞳だった。
例えそれが……臓硯の思惑通りだったとしても……
その決意は、桜の意思に他ならなかった……
俺は……
縁側に腰掛けて、月を眺めていた。
士郎はただひたすらに自問自答を繰り返した。
本当にのこまま……桜を守ると誓えるのかと
誓える……
どれだけ己に問いかけても、士郎の答えは変わらなかった。
あの夜にライダーに問われても士郎は直ぐに答えを返せなかった。
裏切るのか?
思い出せと……士郎の中で誰かが口にした。
正義の味方になのではなかったのかと。
今までの時間が……十年間信じ続け、がむしゃらなまでに信じ、走り続けていた足を止めてしまった。
そんな立ち止まってしまった自分の胸に……その言葉は容赦なく刃を立てる。
裏切るのか……と
「あぁ……」
誰に応えるわけでもなく、士郎は返事を返していた。
謝って許されるはずもない。
言い訳をして取り繕っても逃げられない罪。
士郎の頭の中で問いかけてくるのは……己自身だった。
今まで信じ、一人生き残った己を支えてきた目標
正義の味方を目指した己
そんな自分を、士郎は……。
「裏切るとも……」
正義の味方に向けて、士郎はそう口にした。
自らを裏切ることになろうとも、士郎は守りたい存在を取ると、今ここに誓ったのだ。
自らを騙し続けて生きていく事になるかも知れない。
だけどそれでも、桜の笑顔がそばにあるのであればそれでいいと。
この思いに……間違いがあるわけがない……
桜を必要とした自分。
桜が
士郎はただ……静かに綺麗な月を眺めながら、誓ったのだ。
「俺が守る……。桜を……ちゃんと俺が……」
雨が降る中で桜を守ると誓い、さらに今夜同じ事を誓った。
そのことに後悔はなかった。
この選択は誰であろうと、士郎は文句を言わせるつもりはなかった。
だが……この月を眺めていると、いやでも思い出す存在がいた。
……爺さん
養父だった、衛宮切嗣。
彼が死ぬ間際に行った、正義の味方に憧れていたという言葉。
全てを諦めていたかのように、穏やかな笑みを浮かべていた養父に向けて、自分は言ったのだ。
俺がかわりになってやる……と
その言葉を聞いて、養父は本当に眠るように逝ってしまった。
何故最後に笑みを浮かべていたのかはわからない。
だが、あの笑みが嘘でないことを……士郎は知っている。
桜を守ると誓ったことに、士郎は後悔はなかった。
だがそれでも謝るべき人間はいたのだ……。
桜……許してくれるか?
月光に照らされたその表情には一体どんな感情が合ったのだろうか?
鏡もないこの状況で、士郎はそれを知ることは出来なかった。
仮にあったとしても士郎は自分が今どんな感情を抱いているのか、解らなかっただろう。
俺が……俺を裏切ることを……
養父の夢を裏切り、養父に託されて生きていた正義の味方としての己自身。
そんな……正義の味方である己を必要としてくれた桜。
自らの矛盾した行為に何を思うでもなく、士郎はただ静かに……自らの罪を懺悔していた。
……気の迷い、ってところ……か
衛宮家の母屋の屋根に寝っ転がり、俺は月を眺めながらそう考えていた。
桜ちゃんを殺そうとした士郎の行動。
包丁を手にして、振り上げてなお、士郎は包丁を振り下ろすことが出来なかった。
おそらく無意識のうちに自分でもわかっていたのだろう。
本当に……それこそなんの迷いもなく殺すことを考えていたのならば、ためらうことはあっても、腕がとまってしまうこともない。
それが士郎という、正義の味方を目指していた男ならなおのこと。
だがそれが出来なかった。
それはつまり、自分に取って大切な存在を殺したくなかったからという事実に他ならない。
雨の日に出て行った女を探し、全てを捨ててでも守りたいと、この女のために生きると誓ったことの何が悪いのか?
無論、状況にもよるかもしれない。
その女自体が人を殺すのを好み、毎夜毎夜と殺人を繰り返して血を欲するというのならばそれを守るのは自身さえも悪になる行為かもしれない。
だが、この子は自身に巣くった魔を必死に抑えている。
真人間でいようとしている。
その子が求めた愛しい人と、一緒に過ごす事の何が悪いのか?
そんな桜ちゃんを殺してしまえば、もう士郎は戻れない。
完全に壊れてしまうだろう。
「苦労人ですね。あなたも」
屋根の上でぼんやりと考えていると、何を思ったのかライダーが俺のそばに現界する。
貴重な魔力を消費していることは重々承知しているが、それでも話をするつもりだった俺は、身を起こしてライダーに視線を向ける。
「そう思っているのなら、士郎に対してあそこまで露骨に殺気を振りまくのやめてやってくれ。生き方を変えてあいつも自分で戸惑っているんだよ。おなごが眠る部屋に入るなんて変態行為したくもないのに、お前の殺気があまりにも強いから思わず入っちまったじゃね~か」
現界した髪の長いサーヴァント、ライダーに向けて俺は溜め息混じりにそう返した。
極度の緊張状態だった士郎は気付いていなかったのか、それとも忘れてたのか、ライダーの存在を完全に考慮に入れてなかった。
マスターで有る桜ちゃんを殺そうとすれば当然ライダーは士郎を殺すだろう。
それを桜ちゃんが望んでいないとしてもだ。
確か……メドゥーサだったか?
神話にはそこまで詳しくないが……ギリシャ神話に登場するゴルゴン3姉妹の末妹だったはず。
本物の神様ながら怪物へと変貌してしまったと記憶しているが……。
以前の勉強が役に立って嬉しいやら悲しいやら。
怪物へと変貌……ね……
おそらくそれこそがライダーが桜ちゃんを守る理由なのだろう。
ならば桜ちゃんを助けるというのが前提であれば、協力することも不可能ではないだろう。
「先ほどの話……体験談ですか?」
俺の言葉に返事はせず、自分の事だけを話すあまりにもエロい格好をしたサーヴァント。
厄介なことにベルトのような物で目隠しをしているので表情が読みにくい。
というか、何を思ってそんな恰好なんだろうな?
あまり戦闘に向かないような衣装だと思うのだが……。
目隠しについては、魔眼を隠すものだということはわかるが……ぴっちりでスカート丈も短いこの服装がよくわからなかった。
まぁそんなことはどうでもいい。
ライダーとしては何故俺が桜ちゃんも士郎も助けるようにしているのか、気になるのだろう。
「そうじゃないが……まぁでも似たような経験はあるかな。だが桜ちゃんと違って俺は全てが手遅れだったがね」
全てが違うが、自分にとって大切な存在を失った事はある。
村も、村人達も……そしてあの子も。
決して失いたくなんてなかったのだ。
そんな自分に重ねていないと言えば嘘になるだろう。
俺はあの子の死に際に一緒にいてやることも、こうして守るという行為さえ、してやれなかった。
「……そうですか」
俺の表情から何を見て取ったのだろうか。
すこし申し訳なさそうな声と雰囲気を、ライダーから感じ取られた。
……感情が読みにくいだけで普通に人間らしいんだな?
「気にするな。一応俺の中で決着は付いているからさ」
寡黙だが、感情が結構仕草や声に出るみたいだ。
あまり接する機会はなかったが、どうやら無口なだけで暗いやつではないらしい。
「あなたも桜が好きだったのによかったのですか?」
「ぶっ!?」
あまりにも予想していなかった発言に、俺は思わず吹き出しそうになってしまった。
というか本当に吹き出しそうになってそれを、無理矢理引っ込めようとするから咳き込んでしまう。
「と、突然だな」
「そうですか? あなたの目を見ていたらそんな気がした物ですから」
実にしれっと、抑揚もなくいってくる。
からかっているのか……これが素なのか……。
前者だろうな……
いい性格していやがると内心でぼやきながら、俺は一度ライダーから目を離し、月を眺めて口を開いた。
「う~ん。好きかどうかはともかく……かわいらしい子だとは思っていたよ。ここまで一途な女の子も今時珍しいし、大和撫子を体現したのは稀少だしな。完全に士郎一筋だから俺の事なんて眼中にすらないさ。それに、俺は人に好かれるほど立派な人間でもないさ」
モンスターワールドではまだ言い訳は出来たかも知れない。
現実世界に帰れるかどうかすらわからなかったのだから。
だが今回は……この世界は違う。
俺は確実にこの世界から消失するのだ。
なのに……俺は美綴からの言葉を一方的に受け止めているだけだった。
こんな外道が……人に好かれるなんてなぁ
外道という悪人相手とはいえ、人殺しの自分。
己にとって大切な人を守れなかったふがいない自分。
モンスターワールドであの三人を捨ててきた……そんな自分が。
「そうでしょうか? ……少なくとも私は好きですけど」
「……へっ?」
あまりにも驚きのカミングアウトに思わず振り返ったが、霊体化したらしくそこには誰もいなかった。
士郎と桜が決意を固めた翌朝。
士郎はいつもの時間に目を覚ました。
6時前。
夜が明けたばかりで薄暗い空は、曇り空も相まってより暗い一日になりそうな天気だった。
廊下から見える空を横目で見上げ、士郎は益体もなくそんなことを思っていた。
「ほい、おはよう」
そうして居間に入ると、すでに刃夜が料理を終えていた。
おいしそうに湯気を立てている料理達。
それとは別に、残りの料理を仕上げようとしている。
「……刃夜」
昨夜の出来事を思い出して、士郎は刃夜に何を言えばいいのかわからなかった。
お礼を言うべきなのは間違いないが、それでもお礼をただ言えばいいだけというのは何故か違う気がしたのだ。
「人生ってのはな」
「?」
「まぁ後悔の連続ってのが悲しきかな、人生という奴なんだ」
「……」
そうして悩んでいると、刃夜の方から先に言葉を投げかけられる。
士郎はそれを黙って聞いていた。
その表情に、深い悲しみが見て取れたから、何も言えなかったのだ。
「後悔しないで生きるのは無理だろう。人生は選択の連続であり、選択したら結果が伴う。その結果がどうなるかは……選んでみてからでないとわからず、そして選んでしまえばもう戻れない」
料理の手を一瞬止めて、どこか遠い目で今目の前に見える景色とは別の景色を見つめている……、そんな感じだった。
その目の先に写った景色はなんだったのだろう?
だが悲しげなその表情に一瞬だけ、微笑を浮かべていた。
「選んだのだろう?」
遠くを見ていた視線を元に戻し、刃夜は強い眼差しで、士郎を見つめる。
その目と問いに応えるように……士郎はうなずいていた。
「あぁ」
「なら……頑張れ。後悔するかも知れない。だけど、それでもその選択が正しかったと、胸を張って言えるように……。後悔をしないようにな」
そう笑いかけて、刃夜は料理を完成させた。
そして身につけていたエプロンを取り外し、居間に持ってきていた得物を取った。
「んじゃいつものように俺は出掛けてくるので、後はよろしく」
話は終わりだと言わんばかりに、刃夜はいつものような口調と態度で、話を終わらせた。
その背中を、士郎は止めず、ただ一言告げる。
「ありがとう、刃夜」
それは何に対してのお礼だったのか?
料理に対してか、それとも何かを伝えようとしてくれたことに対するお礼なのか?
そして士郎の意図したとおりに、刃夜にそのお礼が伝わったのかはわからない。
だが刃夜はただ何も言わずに、小さく右手を挙げて応えただけで何も言わず、部屋を出て行った。
刃夜が出て行き、凜とセイバーが居間へとやってきて、三人は朝食を食べる。
ニュースを見ながらの朝食は、ただ静かに進み、流れてくる情報に耳を傾けていた。
「特に目立った事件はない……と。昨夜は出てこなかったみたいね」
「そう……みたいだな」
凜の言葉に、士郎は努めて素っ気なく返答していた。
内心では安堵しているのかもしれない。
「無休って訳じゃなくて助かるわね。三桁の人間の被害なんて、そう毎日起こられたらこちらとしてもたまった物じゃないわ」
時刻はすでに七時を過ぎていた。
桜は未だ客間で寝ており、イリヤも同じように寝ていた。
士郎としてはイリヤにはこの場に同席して欲しかったのだが、凜に止められたのだ。
イリヤは疲れているから寝かせてあげて欲しいと。
セイバーはただ静かに食事をしていた。
だがその手に握る箸が見えない程度にかすかに震えている。
何の罪もない人たちが、死んでいくのに耐えられないのだろう。
そして、それに対して、何も出来ない自分自身に。
「だけどそう何度もこちらも負けてばかりはいられないわ。そろそろこちらの秘密兵器も完成するわ」
凜のいう秘密兵器。
当初こそ士郎に投影させようとしていた兵器。
それを投影すると言うことは、ついに戦いが始まると言うこと。
「投影が成功し次第、決着をつけるわよ。犠牲者をこれ以上出すわけにはいかないし。あの陰が何かはわからないけど、臓硯を倒せば聖杯戦争は終わる。そうなったらあの陰も消えるでしょ」
「遠坂は……聖杯戦争が終われば消えると思っているのか?」
「消えるわね。あの黒い陰の正体がなんであろうとも、目的が聖杯なのは間違いない。聖杯に呼ばれているのか、聖杯を欲しているのかはわからないけど、原因は聖杯のはずだから、聖杯がなくなれば消えるはず」
聖杯戦争が始まってよりしばらくして顕れた黒い陰。
聖杯戦争の性質上、魔術を用いたその戦が原因であるという推論は、間違ってはいないだろう。
「だから戦いさえ終われば黒い陰はいなくなるわ」
その言葉には、確固たる自信があった。
そして、その言葉には他にもいくつかの感情が込められており、それを士郎は感じ取った。
「遠坂……」
凜が口にした言葉に込められていたのは、複雑な感情だった。
悲しみと、諦め。
そして優しい気持ち。
それを感じ取り、士郎は悟った。
凜が黒い陰の正体に気付いていたと言うことに。
「今のは推測……いえ願望に近いかも知れないわね。臓硯を倒しても、聖杯戦争が終えても、消えないかも知れない。だからもっとも確実な方法をとるわ。聖杯には頼れない。私たちは自分たちの手で、臓硯と陰を倒すのよ」
そうして食事を終えて、凜は立ち上がった。
その際士郎が用意していた桜の看病の道具も取り上げていく。
それに、士郎は声を上げる。
「なんで道具を――」
「桜の看病なら私がするわ。そんなひどい顔で看病なんてできっこないでしょ」
……ひどい顔?
凜にそう言われて、士郎は自らの顔に触れるが……それで自分のコンディションがわかるわけもない。
その間抜けな行動に凜は一つ深めの溜め息を吐く。
「呆れた。自覚もないほど参ってるの? 一睡もしてないのは見たらわかるわよ。信じられないなら鏡でも見てきなさい。真っ白な顔色でクマもあったら桜も気を遣うでしょ」
「本当か?」
十分に寝ていると認識していた士郎にとっては凜の言葉はあまりにも意外なことだった。
だが凜もそんなことで嘘を言うはずがないことは士郎もわかっている。
「夕方呼ぶから、それまで部屋で休んで――」
と、そこで少しニマリと悪戯っ子の笑みを浮かべて……
「それとも眠れないなら手を貸してあげましょうか? ライダーのまねごとで強制的に一日前後不覚にしてあげてもいいのよ?」
真似事……だって?
凜の言う言葉の意味について士郎が働かない頭を動かす。
士郎の知る限り凜は魔眼を所有していない。
隠している可能性もなきにしもあらずだが、それでも今までの言動からして隠していることは内と言っていいだろう。
それはすなわち……
「実験する気か?」
「ご名答。興味なかったけど、実際に見てみたら結構便利じゃない? さすがにあんな強力なのは無理だけど、簡単な物なら即興で出来そうかなって」
悪戯心を抱いた笑みを浮かべているが……内心は別にある。
そして士郎はそれを正確に見抜いており……
「嘘付け。遠坂、単にやられっぱなしなのが気が済まないだけだろ」
正鵠を射るというべきか……士郎の考えは正しかった。
そう、負けず嫌いな彼女は純粋に悔しかったのだ。
それを見抜かれてしまった凜はカチンと笑みをこわばらせる。
「そ、そうよ悪い! それでどうするの?」
逆ギレ気味に士郎の言葉を肯定した。
そしてそんな危険な技を危険な状態の凜にされるのは士郎としてもごめんだった。
「やるかバカ! 下手すると明日まで起きれないだろそれ」
「あ、そうか。士郎は単純だから暗示にもうまくかかるだろうし下手すれば麻痺になっちゃうわね」
麻痺って……
かかりやすいということに反論したい士郎だったが、下手をすれば試してみる? と言われかねないので、黙っておくこととした。
賢明な判断である。
「それじゃお言葉に甘えるとするよ」
「何? 本当に実験台になってくれるの?」
「だから、ならないって。ありがとうな遠坂。気を遣わせてごめん」
素直に士郎が謝罪とお礼を告げる。
すると、凜は顔を真っ赤にし……直ぐに今を後にした。
「き、気なんて遣ってないんだから! 士郎はちゃんと休みなさい!」
そう捨て台詞を吐き、桜の看病へと向かっていく。
そんな凜を見て、士郎は思わず小さく笑ってしまった。
まったく……遠坂って……
勘がいいのか悪いのか? 冷たい奴なのか優しい奴なのか?
どうにも判断に困りそうだった。
桜も大変だな。あれが姉貴なんて
素直なのか素直じゃないのか……わからない。
だが、凜が桜を置いてけぼりにしないことだけはわかった。
そしてそんな姉を……凜を慕っている桜の姿は容易に想像できた。
だから、きっと二人の毎日は楽しい物なのだろう。
「そっか……。戻れるのか?」
聖杯戦争が終わる。
それはつまり遠坂と間桐の約束事もなくなることになる。
そうすれば二人は姉妹に戻ることも可能だということだ。
時間はかかるだろう。
何せ十一年もの年月があるのだから。
だが、それでも二人が互いを嫌いでないことはわかっていたから……時間はかかっても少しずつ距離を縮めて、何気ないことでも楽しめて笑い会える仲になって欲しい。
そう士郎は願わずにはいられなかった。
だからそのためならいくらでも士郎は手を貸すだろう。
自分にとって大切な人である桜に贈り物とすれば、これ以上にいい物はないと士郎は思った。
しかし、他に考えなければいけないことは山積みだった。
遠坂は今夜にでも臓硯に挑むつもりだ。
だがそれは桜の状況を考えればまずいことだった。
臓硯を倒せば戦いは終わる。
戦いが終わると言うことは、聖杯が出現すると言うこと。
厳密に言えば、聖杯が開かれる。
聖杯は門であると臓硯は言っていた。
願望機は聖杯その者ではなく、聖杯の中にあるのだと。
それが事実であるとしたら、聖杯として成り立ってしまった桜がどうなるのか?
イリヤは言っていた。
聖杯として完成に近づくほどに、人間としての機能を失ってしまうのだと。
「―――っ」
無意識のうちに士郎は歯を食いしばっていた。
結局、桜を救う方法が一つしかないのだ。
聖杯戦争が終わるまで桜を護りきると言うこと。
聖杯がどの時点で顕れるのかはわからない。
マスターが最後の一人になった時なのか? それとも最後の一人となったマスターが召喚するものなんのか?
マスターが召喚をする物であれば問題はなかった。
臓硯を倒して期限が切れるのを待てばよいのだ。
臓硯を倒すことについては、士郎は心配していなかった。
凜が闘うと言ったということは何か勝算があるということなのだから。
そうなれば問題はあと一つ……
「黒い陰……」
臓硯を倒してもあの黒い陰が消えることはおそらくないだろう。
桜という聖杯が存在する限り。
そしてあの黒い陰が顕れるというということは、そこに悲劇が生まれると言うこと。
戦いの期限切れを待つ場合、あの黒い陰を放置することに他ならない。
「倒すしかない。けど……倒せるのか?」
倒す、それが一番の理想だった。
幸いなことに黒い陰については自信がありそうな人物が、こちら側にいる。
だが、それでも不安はあった。
飛沫にかかった士郎は、あの黒い陰の正体をおぼろげながらも知っているのだから。
「聖杯の中身。臓硯は十年前の戦いで砕けてしまった聖杯の欠片を桜に刻印虫として埋め込――」
そこで士郎は気がついた。
否、士郎だけが気付くことが出来た。
刻印虫の元が聖杯の欠片であると知っている士郎だけが。
言峰……。あいつが気付かないわけがない!
そう、桜の治療を行い、刻印虫の摘出手術を行った言峰綺麗が、その正体に気付かないわけがなかった。
何せ聖杯戦争の監督役であり、前回の戦いで最後まで生き残ったマスター。
直に触れて見聞できた綺麗が、刻印虫がなんなのか、気付かないわけがないのだ。
その事実に気付き、士郎はたまらず走り出した。
くそっ! どうして気付かなかった!
焦燥感だけが、今の士郎の心を支配していた。
休めと凜に言われたにもかかわらず、今の士郎の頭の中は、あの神父らしからぬ笑みを浮かべる綺麗のことしか、浮かばなかった。
玄関を飛び出して士郎は教会へと走る。
それが、あまりにも悲惨な結果を残すことになると、知らないままに。
あれ? 今出て行ったのって……
玄関の物音に凜は首を傾げて窓から外を眺める。
すると案の定というべきか、坂道を駆け下りていく士郎の姿がそこにあった。
休むと言ったにもかかわらず、舌の根も乾かぬうちに飛び出していく士郎に、さすがに凜も頭に来た。
「あのバカ! 休みなさいって言ったのに!」
桜に呑ませるために薬を調合していた手を止めて、凜は荒々しく席を立った。
急いで士郎の後を追うべきだったが、その前にやるべき事があった。
桜に言いつけておかないと。動かないようにって……
士郎を止めることも大事だが、桜に対して動かないように言っておくことの方がもっと大事だった。
だがそれについては余り心配していなかった。
「気配からして寝てるとは思うけどね」
本人は気付いていないが、士郎は疲労困憊だ。
直ぐに息が上がり、下り坂の途中で立ち止まると凜は考えた。
それほどまでに疲労が蓄積されているのだ。
「それに気付いてないから困った物だわ」
怒りを通り越し、もはや呆れてしまうほどであり……凜は一つ大きな溜め息を吐く。
刃夜をのぞけば今衛宮家で元気があるのは凜であることを、凜は十分すぎるほどに理解していた。
刃夜は協力者とはいえ、自らの行動理念のために動いているため、命令できる立場にはない。
アーチャーも元気ではあるが、士郎相手ではあまり素直に言うことを聞いてくれないのが難点だった。
セイバーも力と聖剣を失った今では、ただの人間にすぎない。
故に、ダウンしている仲間の面倒を見るのは当然の義務だと、凜は認識していた。
「桜、入るわよ。ちょっと外に出てくるから、大人しく――」
大人しくしてなさい。
ノックもせずに返事も待たずに入って紡がれた言葉は、すぼんで消えた。
そしてその言葉の続きに……大きな打撃音が部屋の中に響いた。
「やってくれたわね、桜」
凜が怒りのあまりに壁を砕くほどの勢いで殴ったのだ。
部屋に人影があり、その人影が凜が察知したようにベッドで寝ていたことは事実だった。
だがその相手が……桜ではなかったのだ。
「見下げ果てたわライダー。マスターを放っておいて、サーヴァントのあなたが主人のフリ?」
「不本意ですが、これが命令です。ですが、これについてはあなたの監督不足が原因でしょう。私に責任を押しつけないでもらいたい」
「……言ってくれるわね」
「トオサカリン。次はもっと出来のいい監視をつけることをおすすめします。翡翠の小鳥程度の使い魔では、サクラは欺けません。技量はあなたにおよびませんが、直感という才能についてはあなたと同格です」
「そう……ご忠告感謝するけど、それだけじゃないわよね?」
未だ寝そべっている……一見すれば隙だらけのライダーに対して向けられた言葉。
その言葉と凜の態度には……あきらめがにじみ出していた。
「えぇ。自分が帰ってくるまで、あなたを外に出さないようにと、サクラから言われています」
わかりきっていたことを事実と突きつけられて、凜は思わず舌打ちした。
今の状況下に陥ってしまっては、凜に手の施しようがなかった。
アーチャーを召喚し、闘わせることも考えたが……それは桜の体のことを考えれば下策といえた。
争ったところで、自分たちに何の利益もないことはわかりきっていたことなのだ。
(というかアーチャー。あんた何で報告しないのよ!)
やり場のない怒りの矛先は……当然と言うべきか唯一簡単にあたることの出来るアーチャーへと向けられる。
(報告したいのは山々だったが……ライダーを敵に回すだけでなく、あの男にも黙っていろと言われてしまったのでね)
(あの男……刃夜のこと?)
(そうだ)
アーチャーが凜に報告しなかった理由が、刃夜に脅されたからだと聞き、凜は混乱する。
刃夜の行動の意味が理解できなかったからだ。
本当に何を考えているの? あいつ……
今この場にいない、あの常軌を逸している存在の刃夜に対して内心で悪態を吐くが、今現時点で出来ることは何も出来なくなってしまい、凜は諦めたように体の力を抜いた。
凜だけでは、サーヴァントであるライダー相手に逃げることも闘うことも出来ない。
そしてアーチャーも動かせないとなっては……もう素直に足止めを食らうしかなかった。
「本当にあの子は……一人でどうにも出来ないからあいつが助けようとしたってのに……。結局一人で解決しにいくなんてね」
「抵抗しないのですね?」
「外に出なければいいんでしょう? どうせ私だけじゃ貴方にはかなわないからね」
もはや全てを諦めたかのように、凜は肩の力を抜いて壁により掛かった。
そして
「けどライダーわかってる? いっておくけどもうあの子は帰ってこないわよ。少なくとも……私たちが知っている桜は……」
冷え切った言葉で……最悪の未来を口にしていた。
個人的に書きたかったところが書けたのは嬉しかったですねー
いちばん書きたいのは最後の連戦なのだが
まだまだ、先ですね
やれるだけやってみます
とりあえず完結はしたいよねぇ