月夜に閃く二振りの野太刀   作:刀馬鹿

39 / 69
ためすぎてたらアイディア提供者のTTにゴミをみる目でみられたのでふるえて投稿w
今後の方針とかについては28/12/2帰宅次第活動報告でもあげますのでそちらをご覧くださいw


悔恨と羽化

桜が衛宮家を出る少し前。

刃夜が朝食の準備を始める少し前の話。

 

「……何のようだ?」

 

アーチャーが家の屋根で霊体化し、周囲の警戒を行っていると、来訪があった。

そのためアーチャーは霊体化をやめて、姿を現して来訪者に問いをかける。

そこには双剣、封龍剣【超絶一門】の入ったシースを肩に担いでいる、刃夜の姿があった。

 

「見張りお疲れ様だな。アーチャー」

「……」

 

アーチャーは何も返さず、屋根の上に上がってきた男を見つめた。

鋭い視線で。

鉄刃夜。

人間でありながらサーヴァントと拮抗できる実力を持った存在。

何度か辛酸をなめさせられ、さらにアーチャーの正体を知っている存在でもある。

刃夜がこうして屋根に上ってきたのは、アーチャーに話があったからに他ならない。

だがそこで疑問が生じるのは、何故話をするのに双剣が必要なのかということだった。

刃夜が纏う雰囲気に余り剣呑なものはないとはいえ、アーチャーは警戒しつつ、刃夜と相対した。

 

「これから出掛ける。最後の仕上げというべきか……余り得意じゃないことをしにいく」

「……それがどうした?」

 

誰が何をしに行くのかは聞かず、ただ目の前の相手から目を逸らさずに、アーチャーはそう問うた。

警戒を解こうとしないアーチャーに、刃夜はこういった。

 

「そのため留守にしなければいけないのだが……一つ頼みがあるんだ」

「……なんだ?」

「これから桜ちゃんが行う行為を、黙って見過ごしてもらいたい」

 

 

 

「はぁ、はぁ……はぁ……」

 

肺が悲鳴を上げていた。

否、悲鳴は体全体が上げている。

心臓も、ずいぶん前からあわただしく動いて、本人に危険を知らせていた。

喉も痛かった。

一つ呼吸をするたびにまるで棘を呑み込んでいるかのようだった。

だから少しでも痛みを抑えるために、呼吸を抑えていた。

酸素を求めているというのに、自ら呼吸を押さえつけるという自殺行為。

体はぼろぼろで酸素すらも足りないのでは、手足も満足に動かせない状況だった。

そのため、いつ倒れてもおかしくはなかった。

 

だめ……

 

いつ倒れてもおかしくないという事実が、桜を奮い立たせた。

今この場で倒れる訳にはいかなかった。

それでは抜け出した意味がない。

決着をつけに来たのだから。

差し違えてでも臓硯を倒すために……桜は我が身に鞭を打って歩いていく。

そして、数日ぶりに自らの家に……間桐邸にたどり着いていた。

 

「はぁ……ふぅ……」

 

呼吸を整えて、再度覚悟を決めた。

臓硯の望みを否定すること。

それはすなわち、今まで唯々諾々と臓硯の指示に従っていた桜が反逆する。

ただそれだけのことだった。

指示を否定した後のことは、考えていなかった……否、むしろ考えられないといって良かった。

今こうして歩きながらも、記憶が徐々に薄れて言っている感覚があった。

だからこそ下せた決断とも言えた。

 

記憶がどんどんと曖昧になっていくことで……恐怖すらも薄れていっているのだから……。

 

深く考えず……深く考えることも出来ず……ただ臓硯を自らの手で倒す。

実行出来る手段もないはずなのに、その意思の力だけが……桜を突き動かしていた。

壁にもたれながら、数日ぶりの薄暗い家の中を歩いていく。

屋敷はいつも通りだった。

薄暗く、陰湿で退廃で、粘質だった……。

だが……

 

 

 

どうして……

 

 

 

いつも通りの屋敷。

だがそのいつも通りに……祖父の姿が見られなかった。

それどころか虫の気配すらもない。

老人の姿も、あの笑い声も……存在しなかった。

 

 

 

何で……

 

 

 

道理が合わない……桜はそう思った。

間桐臓硯は桜を回収したかったはずだ。

だが、衛宮家に逃げ込んだことで手を出すことが出来ず、手をこまねいていたはず。

ならば、今桜が単独で動いているのは絶好の好機のはずだった。

そのはずなのに、臓硯の姿はない。

想像していたものと違うことで、桜の意識が薄れかかる。

 

 

 

いけない……

 

 

 

だが今意識を手放すわけにはいかなかった。

眠る前に決着をつけなければならない。

そうでなければ士郎が動いてしまう。

士郎と臓硯をこれ以上会わせる訳にはいかないからだ。

だというのに……

 

「知ってる……はずなのに!」

 

気付かないわけがないのだ。

臓硯は桜の監視装置として刻印虫を桜の体に埋め込んでいる。

今ぼろぼろの体を引きずって桜が間桐邸に帰ってきていることも、知らないわけがないのだ。

綺礼の治療によって刻印虫の数が減っているが、そんな物は大した問題ではなかった。

何せ、もっと確実な方法で、臓硯は桜のことを把握しているのだから。

体調を……心拍数さえも……。

なぜなら臓硯は……桜の……

 

「桜」

 

桜が苦しげに息を切らしていると、不意に後ろから声が響いた。

その声が兄の声だと気づき、桜が振り向いた瞬間……

 

!!

 

間桐家の居間に、鈍い音が響いていた。

 

 

 

一度も足を止めずに、士郎は教会へとたどり着いていた。

坂道を降りていく時点で息が乱れてはいたが、それも交差点を過ぎた頃にはなくなっていた。

士郎自身驚くぐらいに体の調子が良かった。

士郎の家から教会までの五㎞ほどの距離を、全力疾走で走ったのだ。

そして士郎は教会へと足を踏み入れる。

その足取りは全力疾走を終えた後だというのに力強い物があり、なんとしても綺礼から話を聞き出そうという意思が感じられた。

そして、教会への扉を開ける。

するとそこにはいつものように、言峰綺礼の姿があった。

 

「どうした、衛宮士郎? 窮地に立たされて神に祈りに来たのか? しかし、私の知る限りではそんな殊勝な男ではなかったと認識していたが?」

「ふざけるな。あんたの嫌味に付き合っているほど俺は暇じゃないんだ」

「なるほど、確かにそのようだな。長話というのなら奥に案内するが?」

 

どこまでもふざけた態度を崩さない事に、士郎はいらだちを覚えて、半ば怒鳴りながら、言葉を放った。

 

「必要ない。それより答えてもらうぞ言峰。お前……桜が聖杯だって事に気付いていたな?」

 

その言葉に一瞬だけ綺礼は笑みをこわばらせたが、直ぐに笑みで口元を歪めた。

 

「当たり前だろう。あの娘の体を調べたのだからな。あの刻印虫が間桐臓硯によって調整された、黒い聖杯であることはわかっていた」

 

士郎の意気込みをあざ笑うかのように、至極あっさりと言峰綺礼は事実を口にした。

まるで、それがどうかしたのか? と言わんばかりに。

 

「お前! それがどういうことだかわかってたんだろう!?」

 

一瞬にして士郎は切れる。

だが、綺礼の言葉で士郎の頭は真っ白になってしまう。

 

「私は間桐桜を生かせばどのようなことになるのか、今のお前以上に理解していた。だからこそ私は忠告した。あの娘を生かしておく意味があるのかと」

「―――」

 

綺礼は幾度となく士郎に忠告していた。

刻印すらも使い桜を助けておきながら、桜を生かすことは間違いであると、繰り返していた。

 

「ならどうしてお前は桜を助けたんだ? 俺には桜を護りたいって言う理由がある。だけどお前には……」

「理由はある。私も間桐桜を殺したくなかった。いや正しく言えば間桐桜の体に内包された新しい命を死なせたくなかったのだ。人間は死んでいく。それは道理だ。死ぬのが間桐桜のみであれば、あそこまで手を尽くそうとはしなかっただろう」

「死にゆくのが……桜だけ、だって」

 

その言葉の意味を理解して、再度士郎の頭には一瞬にして血が上った。

そう、綺礼はあの黒い陰を生かすために桜を救ったと言っているのだ。

士郎が自らの言葉を理解したと認識したのだろう。綺礼は言葉を更に続けた。

 

「その通りだ衛宮士郎。傷を負い、死ぬというのでればそれは自然の摂理だ。だが誕生しようとしているモノを殺すことは出来ない。お前は間桐桜を救うために、彼女を保護した。私は間桐桜が孕んだ闇を救うために彼女を救った。それが私の理由だ。目的は違ったが、結果として私たちは間桐桜に生きていてもらわねばならなかった。そこに何の不満があるのだ?」

「―――」

 

不満があるわけがなかった。

何せあのとき綺礼が手を施さねば、桜はあの夜に死んでいたのは間違いないのだから。

しかも綺礼はその治療に魔術刻印までも用いている。

命を救ってくれた、その結果だけは感謝しなければいけないことだった。

 

「……その通りだ。あんたが何を考えてたのかはどうでもいい。だが、これだけは聞かせてもらう。そこまで言うからには、あんたはアレが何なのかわかってるな?」

「冬木に顕れた黒い陰の事か? 正しいかどうかはわからないが、私なりの考えはあるが……お前はどうだ?」

「臓硯は、あの黒い陰は聖杯の中身だと言っていた。桜を通じて、外に出てきていると」

「なるほど、あの老人に直接聞いたのか。しかし、お前はあの老人の言葉を全て信用するのか?」

 

その言葉には反吐が出そうになった。

何せ臓硯の言葉など、士郎が信じる理由はどこにもないからだ。

 

「信じるわけがない。だけど納得できるところが多すぎる。桜とあの黒い陰には何かしらの関係があるっていうことは、間違いない」

「そのとおりだな。だが、真実も語っていないだろう。いいか? 聖杯に満ちる力に意思はない。故に自ら人を襲うなどあるわけがない」

「な……ならなんで?」

「言うまでもない。聖杯に意思があるわけがないのだから、聖杯の中に『人間を殺すモノ』が存在しているということなる」

「なに……?」

 

人間を殺すモノ。

それが桜を蝕んでいるという事実。

それを否定したい気持ちになるが……士郎の記憶がそれを許さない。

十年前。

あのときの地獄を見た、唯一の生き残りである士郎の記憶が。

 

そしてあのとき見ていた、黒い太陽のようなあの恐怖の存在を。

 

「それは確実に聖杯の中に存在している。存在しているだけのために、願望機としての機能は未だに失われていない。だが、アレが聖杯に存在しているために、願いを叶える方法がずいぶんと歪んでしまった。十年前の火災はそれが原因だろう。あの黒い門よりあふれ出た泥が、街を火で呑み込んだ」

 

十年前に見上げた黒い太陽。

そこより溢れた黒い陰に汚染された魔力。

その魔力によって、街は火の海に呑み込まれていた。

 

「あの黒い太陽みたいなモノは……」

「聖杯の門……孔と言うべきか。穢れなき最高純度の英霊という魂をくべる杯。そこに一滴の黒い泥が混じったことで無色故に全てが汚された。三度目の聖杯戦争の際にアインツベルンは喚んではならないものを召喚した。その結果として、自らが用意した聖杯戦争の儀式に黒い泥というものが混入してしまった。三度目から四度目の間の六十年。聖杯の中で出産を待ちながらも、出て行く孔がないために、外界に出ることは叶わなかったのだろう」

 

中で一個の存在として確立しても、外に出る力がなければ意味がない。

しかし、聖杯の降臨によって、孔が出来た。

故に、一部が漏れ出してしまった。

それが十年前の火災の真実。

漏れ出しただけで、あの被害だったのだ。

黒い陰の力か考えても、完全な形で聖杯が降臨した場合、どのようなことが起こるかは火を見るよりも明らかだった。

 

「なら、その不純物……が黒い陰の正体?」

「不純物……というのも正しい表現ではないだろう。汚染されようと聖杯の中身はただの力だ。中にあるのはただその力に方向性を与えているに過ぎない。『人を殺す』という方向性を持った、呪いの力の渦。人間の悪性のみを具現した混ざり気のない、純粋な魔力。それが聖杯に満ちているモノ。夜に徘徊する陰の本体。生まれていない、間桐桜がいなければ影さえ落とせない、胎児のようなもの」

「胎児だって。桜の中にそれが宿っているとでもいいたいのか!?」

「もしも間桐桜が正しく作られた聖杯であるのならば、彼女の肉体より生まれるだろう。だが彼女は特別だ。己を誕生させる……無から有に至るために、彼女に自らの力を受け渡して誕生しようとしている。もとより純粋な魔力。肉体など不要なものだ。誰かがその力を継承することで存在できる」

 

聖杯に満ちるものは、孔より生まれようとはせずに、皮肉にも聖杯となり得てしまった桜の体に自らの力を浸食させることで誕生しようとしている。

それはつまり……

 

「間桐桜に浸食……いや、浸透と言うべきか? それによって誕生しようとしている。つまりあの黒い陰は聖杯の中身ではなく、間桐桜そのものだ。浸透という力の受け渡しが完了すれば、彼女自身があの陰に変貌するだろう」

「―――」

 

綺礼の言うことが、士郎には理解できなかった。

いや、理解したくないと言うべきなのか。

うまく考えがまとめられず、士郎はただ黙っているしかなかった。

 

「前回の戦いで汚染された聖杯の欠片を使用した時点で、彼女は契約をしていたのだろう。本人が気付かぬうちにな。アインツベルンの聖杯ならばこのような事態にはならなかった。聖杯の中身は変わらず呪いに満ちていたことになるだろうが、適合できる依り代ではないのだから」

 

黒い陰は、聖杯に満ちている呪いの影。

それはつまりあの黒い陰が行った行動に、桜の意思は含まれていないことを意味する。

そう、少なくとも今までは……。

 

「間桐桜という存在が、聖杯の中に満ちるモノに自らが生まれ出ることの出来る依り代とつながってしまった」

 

そう、幸か不幸か……桜は聖杯の中に満ちた黒い陰の本体と結ばれてしまった。

意思が介在しなくとも、それを行使出来るという事実が……黒い陰とのつながりを証明している。

つまり……あの黒い陰を倒すだけでは問題は解決しないと言うこと。

 

「だが、所詮は陰に過ぎない。いかに呪いが間桐桜に浸透しようと、命令権は彼女が持っている。サーヴァントとマスターの関係そのものと言っていいだろう。どれだけ強力な力を持とうと、マスターである間桐桜が許可しなければ、力を行使できない。呪いがどれだけ人を殺そうとしても、間桐桜に理性がある限り、呪いは力を発揮できない」

 

そう、人というのはそう簡単には変われない。

外的要因があったとしても、急激な変化は出来ないのだ。

 

 

 

だが……それが変化でなくとも、すでに内包していたとしたら?

 

 

 

「間桐桜が呪いを自らの一部として認識するか、呪いの魔力に耐えきれずに理性が崩壊するか……他にもいろいろと要因はあるだろうが、間桐桜が崩壊することで、間桐桜が内包し、孕んだ闇が誕生する。間桐桜はすでに陰そのものだ。聖杯戦争を終えるというだけでは彼女を元に戻すことは出来ないだろう」

 

聖杯戦争を終えるまでどこかに逃げていればいい……そういう安易で簡単な方法はすでにないとわかってしまった。

そしてすでに影を内包してしまっている以上、あの陰を倒すということは……

 

 

 

黒い陰の倒した時、桜の死体が出てくると言うことに他ならない。

 

 

 

「なら……桜は……」

「あの黒い陰の本体を生まれさせると言うことになるだろう。間桐桜の精神が死に絶えたとき、そのとき地獄がこの世界に具現化することになるだろう。しかし……よもや間桐桜の肉体が耐えられるとは思わなかった。よくやった。衛宮士郎。お前がいたおかげで間桐桜は未だ聖杯として存在している」

 

!!!!

 

その言葉に、士郎は思わず怒りを抑えることが出来ず、その拳を振り上げていた。

 

「おまえ……桜が化け物になることを望んでいるのか!?」

「無論だ。先にも言ったが、私は間桐桜の体に内包された陰の誕生を望んでいる。そして逆に聞こうか、衛宮士郎。お前はアレを化け物というが、まだ生まれていないものを化け物というのが貴様の正義か?」

「当然だろう!? あの陰は悪魔だ! 際限なく人を殺して、食らって……それが化け物でなくてなんだっていうんだ!」

「善悪を決めるのは早かろう? まだ生まれてもいないものを否定することは出来ないだろう。それとも貴様はこういうのか? 犯罪者の子供は親と同じように犯罪者になると? 故に、人を殺すという過ちを犯す前に殺してしまえと?」

「そ、それは……」

 

咄嗟に応えることは出来ないだろう。

人を殺すという行為は、親が犯罪者であろうとなかろうと、誰もが犯す可能性があり得る事だ。

それがわからない、士郎ではない。

だが……人をすでに殺しているという事実が、それを阻害する。

 

「あの陰は間桐桜を依り代としている影に過ぎない。聖杯より生まれ出でるのはアレとは違う。あの陰はただ間桐桜を使って、自らが生まれるための栄養として、人々の命を吸っているだけだ。明確な意思を持たず、ただ生きるために乳を欲しがる赤子と同じ。無意識であるため、善悪を問うことは出来んだろう」

「人を殺しておきながら、そう言うのか!?」

「無論、人を殺したことは事実だ。罪も罰も与えるべきだろう。だがそれはアレが生まれたときに言うべきことだろう。何せまだ生まれていないのだから、罪科を問うことも、排斥することも出来ないだろう」

 

生まれ出でる前より人を食らった赤子。

生まれた時にはすでに人を殺すことがわかりきっている存在。

悪であることは間違いないはずだ。

人を殺したという事実は。

だがそれでも生まれていない以上は、存在を否定することも出来ないだろう。

 

「明確な善悪の定義など、この世には存在しないだろう。だが、それでも未だ生まれてもいない存在を、生まれようとしている存在を、生まれる前に止めることは、悪なのではないのか?」

 

士郎はただ、黙って綺礼の言葉を聞いているしかなかった。

綺礼の言葉を肯定した訳じゃない。

だが、完全に否定することも出来なかった。

何より、今この場で言峰綺礼を糾弾したところで、桜の状態が変わるわけがないことに気がついたのだ。

そしてこの言葉を持って、互いの……互いに対する認識を確かめる。

 

「言峰……つまりあんたは桜が聖杯に変わることを望んでいるんだな?」

 

 

 

明確な敵意を込めて、士郎は綺礼に問うた。

 

 

 

「間桐桜を助けたのはそのためだと言ったはずだ。生まれるものを私は祝福するだろう」

「つまり……俺たちの敵になるって事だな?」

「無論そうなるな。だが、私は間桐桜の命が欲しいわけではないし、間桐臓硯のように聖杯が目的ではない。あくまでも聖杯の中に存在するものが誕生したときのみ、それを養護するだろう。出産前に間桐桜が子を拒むのであれば、何もすまい」

 

 

 

いや正しく言えば間桐桜の体に内包された新しい命を死なせたくなかったのだ。

人間は死んでいく。

それは道理だ。

死ぬのが間桐桜のみであれば、あそこまで手を尽くそうとはしなかっただろう。

だが言峰綺礼は桜より生まれ出づる聖杯の中身の祝福をするために。

人により悪意を持って悪へと仕立て上げられ、滅び朽ち果ててなお、絶対の悪として存在し続ける存在を。

十年前の火災が示すように、それが生まれ出でればただ災厄をまき散らすのみ。

そんな存在を、言峰綺礼は心の底から、祝福すると言っていた。

 

 

 

……だけど

 

 

 

士郎が受け入れることなどあり得ない理由であったとしても、言峰綺礼が桜を助けたのは紛れもない事実。

そして、仮にそれが生まれる前に問題が片付けば、言峰綺礼が敵になることはない。

葛藤はあったが……それでも今桜の命があるのは間違いなく言峰綺礼のおかげではあった。

 

更に言えば言峰綺礼が明確に敵になるのは、桜が変貌してしまう場合のみ。

臓硯のように無理矢理変貌させようとするのではなく、傍観し、変貌したのみ敵対すると言っていた。

確実に敵になるとわかりきっている相手ではあるが、それでも士郎の目標は桜を変貌させないこと。

故に、士郎が間に合えば、敵になることもない。

 

だがそれは、儚き願いに過ぎなかった。

 

「わかった。あんたが傍観するって言うのなら、俺も手は出さない。理由は俺には理解できないし、したくもないけど……あんたは桜を助けてくれたのは事実だからな」

 

それで己を納得させる。

実際助けてたのは事実なのだから。

 

「そうか。私が助けたのは母体なのだが、そう取るのなら構わん。さて? お前の用件はこれで終わりか? ならば帰った方がいい。余り一人にしていい容態ではないだろう?」

 

……こいつ

 

母体と容態。

まだ時が来ていないとはいえ、明確に敵対関係になったというのに、言峰綺礼は気遣いを行う。

これでは敵なのか味方なのか、わからなくなる……と、士郎は一瞬だけ頭を悩ませる。

 

「いや、最後に一つ聞く。言峰、桜は助けられるのか?」

 

その確信とも言える質問に、空気が変わった。

神を前にして、神父である言峰綺礼は、身に纏った重圧を更に上げて、敵である士郎に、助言を行った。

 

「手はあるだろう。半々だがな。聖杯として間桐桜が完成してしまえば、もはやどうにも出来ない。だが、聖杯が放つ「力」に間桐桜の精神がわずかでも耐えられるのであれば、あるいはといったところだろう。何せお前達にはあの不思議な男がいるのだからな」

 

不思議な男。

そう言われて刃夜が言っていた言葉を、士郎は思いだした。

 

 

 

あの黒い陰をどうにかすることは可能だろう。殺すのか、それとも黒いものを全て吸収してどうにかするかは状況によるが……ともかく対処自体は可能だろう

 

 

 

刃夜ははっきりとこういった。

聞き間違いでも、虚言でも方言でもなく。

そしてそれが事実であるということを、士郎とセイバーだけは間近に見ていた。

体験していた。

故に、言峰の言うとおり、助かる見込みは全くないとは言い切れない。

 

「彼女の精神力次第だが、数秒と持つまい。だがその合間が勝負となるだろう。もしくはその力を利用して彼女の中に救う刻印虫を殺してしまうのも一つの手だろう。汚染されたとはいえ、聖杯には未だ願望機としての力がある。その用途が「殺害」というのであるのなら、殺せない者など、この世にはないだろう」

「……結局は、それなのか」

 

聖杯を手に入れる。

聖杯を機能させる。

 

「そう言うことだな。聖杯を手に入れるということだな」

 

全てはそこに集約する。

名前の通りに。

 

聖杯戦争。

 

万能の願望機、聖杯を巡って繰り広げられる七組の戦争。

そしてそれは脱落者が未だ少ない状況ではあったが、間違いなく大詰めを迎えていた。

 

「そうか……。癪だけど世話になったな。あんたの言い分は認めたくないけど、礼は言っておく」

 

用事は済み、桜が助かるという可能性もわずかながらわかった。

それは大いに収穫といえたろう。

そうして士郎が去ろうとしたが、言峰が口にした言葉が、士郎の足を止めた。

 

「待て、私からも聞きたいことがある。衛宮士郎」

 

 

フルネームで呼ばれたことに少し違和感を覚えて、士郎は振り向いた。

そして、言峰綺礼が、その言葉を口にした。

 

「万一間桐桜を救えたとしよう。だがそれでいいのか? 衛宮士郎。間桐桜が助かったとしても、元は聖杯であり、彼女がすでに人食い……大量殺人者であることに代わりはない? お前はその罪人を、養護するというのか?」

 

 

 

!!!!

 

 

 

表情が凍り、心臓が一瞬だけ止まる。

全身が雷に打たれたかのように、士郎は一切の動きを止めた。

 

「耐えられるのはお前だけではない。彼女は多くの人間を喰い殺した。間桐桜自身がそのような自分を認められるとは思えないがな」

「……それは」

「罪を犯し、償えぬまま生きるのは辛かろう? ならばいっそのこと殺してやった方が幸せではないのか? その方が楽であり、奪われてしまった者達に対しても、慰みになるだろう」

 

連鎖が終わる。

どのような理由があろうと、それこそ本人が望んでいなかったとしても、加害者は罰せられなければならない。

被害者からすれば、桜をどれほど辱め、殺しても静まらないだろう。

それこそ被害者の親族ならばなおさらだった。

聖杯戦争という、裏の世界の出来事のために、公に表に出ることはないが、だからこそ被害者のことを考えると、士郎は胸が激しく痛んだ。

 

だが……それでも……

 

 

 

「そうかもしれない。けど、それは償いじゃない」

 

 

 

士郎はそれでも……桜を護ると断言した。

 

 

 

「そうか。まぁそれも良かろう」

 

そのとき、何故か言峰は士郎が見たこともない表情を、一瞬だけした。

 

「衛宮切嗣の跡は継がないと言うことだな」

「……オヤジだって?」

 

この場で何故養父であった衛宮切嗣の名前が出てくるのか?

その疑問が士郎の足を止める。

 

「オヤジの跡だと?」

「そうだ。お前の父親、衛宮切嗣は人間を愛していた。あの男ならば……間桐桜を殺しただろう。奴は正義のために、人間らしい感情を切り捨てた男だったからな」

「?」

 

言峰の言っている意味が、士郎には理解できなかった。

士郎が知り得ている衛宮切嗣という存在は、士郎を引き取ってともに暮らしていた時のことしか知らない。

その一緒に暮らしていたというのも、切嗣が幾度も海外に出ていたため、余り長い時間をともに過ごしてはいない。

 

何より、切嗣の過去を……士郎は知らなかった。

 

聖杯戦争とは全く無関係な魔術使いだった。

マスターになる以前の切嗣は、傭兵だった。

世界中の紛争地帯に、戦況が最も激化した時期に赴き、紛争を殺戮で沈静化させるという力業で、早期の紛争の終結をしていた。

また、魔術以外にも銃器なども扱った戦法で、魔術師殺しという異名をつけられるほどに、魔術師も殺戮していた。

 

それはひとえに自らの願いのために……。

 

切嗣は己の目的のために生きており、その卓越した戦闘能力をアインツベルンが見込み、貴族であるアインツベルンに婿として迎え入れるという、あり得ないほどの好待遇で勧誘され、第四次聖杯戦争に参加した。

貴族になりたかったから……ではない。

自らでは……人間では実現できない奇跡と理想。

普通であれば誰もが諦める、悟る、そんな子供じみた夢を捨てきれなかったために、切嗣は願望機の聖杯に全てをかけた。

切嗣は誰よりも人を愛しながらも、聖杯戦争で取った戦略、戦術は、外道そのものだった。

的確に、周到に、蛮勇に、無情に……敵に情けをかけずに敵であるマスター達を殺した。

時にはビル毎爆破して相手の陣地を破壊し、敵の肉親を人質にし、確実に聖杯に近づいていった。

だが最後の最後で、衛宮切嗣は聖杯を破壊した。

令呪を持って、セイバーに破壊させた。

それは自らが求めた理想……恒久的な平和を、汚染された聖杯では実現できないと、誰よりも早く気付いたからだった。

そして破壊によってあふれ出た聖杯の中身が、冬木に大災害を巻き起こした。

 

それが衛宮切嗣という、魔術使いの魔術師殺し。

 

士郎はそれを知らない。

 

「そう、違った。切嗣ははじめからあったものを切り捨て、私にははじめから、切り捨てるものがなかった。結果は同じだが、その課程があまりに違った。私にとって奴は不愉快だった。その苦悩も。切り捨てるのならば最初から持たなければいい。だというのに、切嗣は苦悩し、捨てた後でさえ拾いあげた。それが……人間の正しい営みとでもいうように」

 

淡々と語る、言峰綺礼。

その視線は、士郎を向いておらず……果たして誰に向けた物だったのか?

 

「その違いが決定的だったのだろう。はじめから持ち得ていないというのなら……何故私はこの世に生を受けたのか?」

 

唾棄すべきものであるかのように、神父の独白は続いた。

しかし、その言葉には確かな怒りがあった。

このとき士郎は初めて、綺礼にも怒りという感情があったことを知った。

 

「ふん……。そう考えればお前に切嗣の跡を継げるはずもないか。やつは切り捨てることで実行したが、お前には両立することしかできない。お前と私は似ている。お前は一度死に、蘇生するときに故障した。後天的ではあるが、私と同じ、『生まれついての欠陥品』だ」

「な、故障って……どういう意味だ?」

「気付いていないだけだ。お前には己という概念がない。だがそんなお前が一つの命にこだわるとは……いや、違うか? 一つにこだわるからこそ、全ての命にこだわっていたのか……」

 

何故かはわからない。

だがこのとき綺礼は……何故か羨むように呟いていた。

 

「まぁいいだろう。その上で間桐桜を救うというのならば止めはしない。背負いたければその業を背負えばいいだろう。最後に忠告しておこう。どのような形になろうと間桐桜を救うのであれば、間桐臓硯を殺すことだ。奴は間桐桜の精神が壊れ、自我がなくなったそのからになった肉体に乗り移るつもりだろう。そうすれば間桐桜はもうどうあっても取り戻せない」

「乗り移るだって?」

「そうだ。アレは人体に寄生する虫だからな。魂の陽気にあたる脳虫がどこに潜んでいるのかはわからないが、それがいるのならば人体の乗っ取りは容易だろう。間桐臓硯は一種の不老不死だ。魂を世にとどめている本体はそう大きくないだろうが、魂そのものを浄化させなければ完全に殺すことは出来ないだろう」

「わかった。逆にわかりやすくなったな。間桐臓硯を倒すのは前からだけど、それが絶対になったってことだしな」

「確かにな。間桐臓硯を倒し、間桐桜を勝者とする。そしてその後に聖杯を制御し、間桐桜の体を浄化するというのが、方針と言えるだろう」

 

実行するにはとてつもなく困難だが、それでも物事は複雑よりも単純な方が成功率は高まる。

何より実行する人間が、行いやすい。

 

「これは私見だが、間桐桜の精神は存外に強い。聖杯の呪いに良くも悪くも適合しすぎている。間桐臓硯の計算違いはおそらくそれだろう。あの黒い陰は間桐臓硯の予想を超えて間桐桜を成長させた。臓硯がお前に手を出してきたのはそのためだろう。耐えられるのであれば、母体もおそらく大丈夫だろう」

 

士郎は言峰にただ、頷くだけで応えた。

綺礼の目的は桜が変貌することだ。

だが、それでも臓硯に比べればまだましといえるだろう。

 

「いっとくが、あんたの出番はないぞ。桜を変貌なんてさせてたまるか」

「その意気だ。決して臓硯にだけは、手渡すな」

 

ふん、と鼻を鳴らして士郎は背を向けた。

すでに用事は済んだのだ。

ならば長居は無用とばかりに、士郎はすぐさま家へと向かった。

 

 

 

 

 

 

何故なのか?

 

それは彼がずっと胸に抱え続けて、生きてきた命題だった。

 

どうして自分がこういった存在で生まれてきたのかわからない。

 

父は立派な聖職者だった。

 

その立派な聖職者の父から生まれた存在が、どうしてこのような存在として生まれ、育ったのか?

 

万人が愛するものを、憎いと思い、万人が醜いと思うことに幸福を感じた。

 

いわば先天的な異常者と言っていいだろう。

 

それを直せはしないかと、彼は様々なことを行った。

 

しかしそのどれもが無駄に終わった。

 

苦悩しながらも、自らの異常性を、やはり本人が一番理解していたのかも知れない。

 

女と結婚し、子を授かるが、それでも彼は変われなかった。

 

余命幾ばくもないその女の苦しみに喜びを感じ、そんな己を妻が癒そうとするほど、妻の嘆き悲しむ姿が見たいと思ってしまった。

 

彼は家庭を持っても歪んだままだった。

 

元から存在しないのだから、持てるはずもないと、割り切ってしまえば簡単だったかも知れない。

 

だが本人にはそれがわからなかった。

 

ただ自分が異常な存在と言うことだけが、胸に重くのしかかっていた。

 

自らに絶望し、命を絶とうとしたこともあった。

 

しかしそれを妻が止めた。

 

自らの命を引き替えに。

 

そしてその女の死を持ってしても、彼は彼のままだった。

 

それどころか、彼の胸に去来した思いは後悔だった。

 

自らの手で妻を殺したかったという……通常ではあり得ない感情が。

 

自身の異常性から発せられた、「他人の苦しむ姿を見たい」という欲求から生まれたものだったのか?

 

それとも愛したからこそ殺したいと思ったのか?

 

彼自身にもわかっていなかった。

 

そして、彼は妻の死を見て、それでも自らの歪みが治らないことに絶望しながらも、生き続けた。

 

何故死ぬことをやめたのかは、彼にしかわからないことだろう。

 

 

 

そして時が過ぎ、彼は出会った。

 

本来であればあり得るはずもない、黒い聖杯……そして一人の男に。

 

自らが見つけられなかったその二つの存在に、彼は答えを見いだそうとした。

 

悪として生まれた存在が、ありのままに生きた際、どのような結末が訪れるのかを……。

 

 

 

それが彼に取っての、欲求だった。

 

 

 

「おい言峰」

 

士郎が去って、しばらくして、礼拝堂に虚空から声がかけられる。

そしてその声が言峰綺礼の耳に届くのとほぼ同時に、その声の主が姿を現した。

蒼い戦装束に身を包んだ男。

血のような赤い槍を手にしていないにも関わらず、その身から凄まじい程の怒りと殺意を周囲にまき散らしていた。

今にも言峰を……、マスターを殺そうとしているかのようだった。

 

「何だランサー。呼んだ覚えはないが?」

 

現界した己のサーヴァントに対して、綺礼はただ不敵に笑うだけで、何もしようとしない。

そう、七人のサーヴァントのランサーのマスターは、言峰綺礼その人だった。

最初期に召喚されたサーヴァントであるランサーを、召喚したマスターを殺して令呪を奪い、その令呪を使用し強引に従えさせている。

言峰綺礼がランサーに令呪を持って命じたことは、二つ。

殺害と令呪の強奪による主の鞍替えの賛同と、全てのサーヴァントと戦い、初戦の相手からは必ず生還することだった。

それはひとえに綺礼が、聖杯を自らの目的のために利用しようとしていたため、情報収集をかねて、ランサーを使役しているに過ぎない。

この命令はランサーに取って、召喚された理由とは真反対の命令だった。

故にランサーにとっては、言峰綺礼という存在とその命令の内容は、屈辱でしかなかった。

 

「てめぇ、いつまでこうしているつもりだ?」

「こうしているとは、どういうことだ?」

「ほざけ! あの黒い陰が顕れる少し前から、待機を命じてそれきりだろう!」

 

綺礼は、かなり早い段階から間桐臓硯の暗躍に気付いていた。

であるにも関わらず、間桐臓硯がどのような手に出てくるのかわからないため、サーヴァントという絶対の存在を有していながらも、間桐臓硯の殺害をランサーに命ずることはなかった。

誰よりも早く、黒い陰の存在に気付きながらも、己の欲望のために、綺礼は動かないという選択肢をとり続けた。

しかし、ここまで事態が異常な方向に向かってしまっては、さすがにマスターの命令に従うと自ら決めているランサーにも、我慢の限界だった。

故に、こうしてマスターにくってかかっていた。

 

「なるほど。確かにその通りだな」

 

紛れもなく英雄であり、英霊であるランサーに殺気をまき散らされても、綺礼は動じなかった。

ただおかしそうに一つ笑うだけだった。

 

今までは……

 

 

ランサーに問い詰められても、綺礼は未だ笑みを崩さなかった。

だがその後に……自らの右腕に手を伸ばし、その袖をまくる。

するとそこにはあり得ないことに、大量の令呪が存在していた。

三つどころではない。

優に二桁を超えているだろう。

これは第四次聖杯戦争の時、言峰綺礼の父親が所持していた、過去に行われた聖杯戦争の令呪の残り。

途中で離脱し、使用されなかった令呪を、監督役が引き継いできたもの。

第四次聖杯戦争で、監督役を務めていた言峰綺礼の父が殺害されたときに手に入れた、大量の令呪。

その令呪を持って……綺礼は、命令を口にした……。

 

 

 

「令呪を持って命ずる――」

 

 

 

 

 

 

「ん?」

 

自宅に帰ってきて、最初に直ぐに悪寒が、士郎の体を駆けめぐっていた。

どうしてそれを感じたのかはわからない。

だがどうしようもないほどの寒々しい悪寒が、士郎の背中をはいずり回る。

居間に誰もいなかった。

イリヤは部屋にいる様子であり、凜は予定では秘密兵器の準備を行っているはずだった。

 

そして桜は……部屋で寝ているはずだった。

謎の焦燥感にさいなまれながら、士郎は桜が寝ているはずの部屋へと急いだ。

 

「桜。入るぞ」

 

声をかけてドアノブを回し、部屋へと入る。

何かがかけているのを背中に感じつつ、士郎は扉を開けた。

扉を開けたその瞬間、ライダーの姿が一瞬見えるが直ぐに消えた。

そして……ベッドの上には桜の姿はない。

まともに動けるはずもない桜のかわりに、凜が椅子に腰掛けていた。

 

「お帰りなさい。どこに行ってたのか聞かないけど、遅かったわね」

「と、遠坂? 桜は?」

「見ればわかるでしょ。ここにいないって事は一人で出て行ったって事。ライダーに睨まれてたから私は動けなかったし、何故か知らないけど刃夜がアーチャーに対して何も手を出さないように釘を刺してどっかにいったらしいわ。ライダーは霊体化して外に出てったわ。士郎を傷つけるつもりはないみたいね」

 

そう語る凜の声にはほとんど感情がなかった。

というよりも、非常に淡々としており、どこか諦めた様子が見受けられた。

何よりもその表情が、全てを語っている様だった。

 

「出て行ったって……どこに?」

「さぁ? 私にはわからないわ。けれど貴方が出て行くより前からいなかったみたいだから、もうかれこれ二時間は経つでしょうね。あんな体で何をする気なのかわからないけど、私たちの言うことは聞きたくないって事でしょうね。私をライダーで足止めするくらいだからね。アーチャーを呼び出してライダーと闘わせても良かったんだけど、それをしてもしなくても結果は同じだから、するのをやめたわ」

 

結果は同じ。

ライダーとアーチャーを闘わせては当然桜の魔力が激しく消費される。

魔力が消費されればどうなるのか、先ほど会ってきた綺礼に先日説明を受けたばかりだった。

つまり……

 

「遠坂……。それって……」

 

その事実に気付き、士郎が愕然としながら、凜を見た。

その視線に耐えられなかったのか、凜はわずかに視線を逸らした。

その仕草が、もう終わりにしようと……そう言っているかのようだった。

 

「あの男が何を考えているのかはわからないわ。とっちめてやりたいけど、今はそれよりも桜を探しに行くの優先するわよ。昨夜あの黒い陰は出てこなかった。となると、下手をすれば桜は見境なく人を襲うかもしれない」

「遠坂……お前」

 

その言葉は、桜と黒い陰の事を、凜も気付いていた証拠だった。

 

「もし桜を探して見つけたとして……桜がもう、今までの桜じゃなかったときは……わかってるわよね?」

 

桜が桜じゃなくなっている。

その可能性は大いにあり得ると言っていいだろう。

もうすでに限界に近かったのだ。

そんな体を酷使して一人で外に出ると言うことは、それだけで体に相当の負荷がかかる。

今の桜の体で無理をすればどうなるかなど……火を見るよりも明らかだった。

 

「そんなことはない。桜は桜のままだ」

「士郎。もう限界だって言うことがわからないの? いい加減諦めて。でないと真っ先にあんたが――」

 

 

 

「憶測は今は必要ない。桜を見つけ出して連れ戻せばいいだけの話だ。その後ならいくらでも言い合いをするから、今は黙ってろってんだ!」

 

 

 

そう怒鳴り、士郎は凜の制止の言葉も聞かずに、玄関へと走り出した。

桜がどこにいったのかなど考えなかった。

ただ全力で外に出ようとしたそのとき……

 

 

 

「シロウ、サクラを探しに行くの?」

 

 

 

玄関の戸に手をかけたその瞬間……士郎の背後、廊下より声がかけられる。

いつの間にかやってきのか、振り向いた士郎の先に、静かにイリヤが佇んでいた。

歩けばたった数歩の距離であるにも関わらず、何故か異様に遠く感じられた。

 

「答えてシロウ。サクラを探しに行くの?」

 

その問いに、士郎はただ静かに頷くだけだった。

イリヤの声には凜とはどこか違う諦めが籠もっていた。

同じ聖杯であるからか、もしかしたら桜の状態を今一番正確に感じられるのは、イリヤなのかも知れない。

 

「でもね、シロウ。桜が一人で出て行ったのはシロウに見られたくないからだよ? シロウを護るために、怖いし、死にたくないけど、聖杯としての自分自身に決着をつけにいった。サクラは自らを犠牲にして、シロウを守るために、一人でここからでていった」

 

イリヤから紡がれる、桜の覚悟。

だがそのイリヤの言葉に、士郎は一切の迷いなく、首を横に振るった。

己がすることはただ一つであると……そう言外に告げていた。

 

「そう……。けれどわたしもサクラも、自分の中にもう一人の自分がいるの。それはシロウが知っているわたしでもないし、シロウが知っている……大事に思っているサクラとは違う。変わってしまったサクラはもう戻らない。それでもサクラを殺すのはいやなの?」

 

イリヤという聖杯。

桜という聖杯。

現世に顕れ願いを叶えるために存在する願望機という奇跡の道具。

それを壊すことにためらう必要はないのだと……イリヤがそう言っているようだった。

 

「もう一度だけ聞くわ。それでも……シロウはサクラを探しに行くの?」

 

その問いには桜だけではない……イリヤの事も含まれているように感じられた。

そしてその問いに込められた想いは……イリヤ以外にわかるはずもなかった。

当然士郎にもわからなかった。

けれど……わからなかったとしても、士郎の返事に迷いはなかった。

 

「あぁ。俺にとっては桜はどうあっても桜で、イリヤもイリヤなんだ。もし聖杯なんて言うものに成ってしまったとしても、俺に取ってイリヤはイリヤだ。イリヤの言うように、別のイリヤがいて、そのもう一人のイリヤが出てきたとしても……その中にイリヤがいるのなら、俺にとっては俺が知っているイリヤだと思うんだ。難しいことはわからないけど……俺はそう思う」

 

そう告げて、士郎は今度こそ玄関の戸を開けて外に飛び出していく。

飛び出すその一瞬前に……イリヤから声をかけられた。

 

「ゾウケンのところ。サクラがいくのはそこ以外にないわ」

「わかった!」

 

そうして士郎は再び外へと飛び出す。

その背中を……イリヤが静かに見つめていた。

 

そして士郎はただひたすらに走った。

朝から走り通りだというのに、士郎の体は何故か疲れを知らないかの様に、ただ無我夢中で走り続けた。

そして間桐家に着く。

玄関は開いたままだった。

入っていったのか出ていったのかはわからない。

半開きになっている間桐家の中は、生気が感じられないほどに静かだった。

躊躇いがないと言えば嘘だったが、士郎は足を踏み入れる。

その静かな家に、士郎の足音だけが響いている。

そして二階の部屋から……鉄の匂いが漂ってきていた。

気配は何もない。

その部屋に……士郎は足を踏み入れて、その臭いと部屋の情景に、顔を歪ませた。

 

踏み入れた部屋は桜の部屋だった。

 

入ったことは一度もなかった。

 

慎二に案内されたのだが、桜に部屋を追い出されてしまったからだった。

 

二年前の出来事だった。

 

女の子らしい部屋だったと思われた。

 

そこは……真っ赤な血で染められていた。

 

 

 

 

 

 

「こっちにこい!」

 

部屋に響く、怒鳴り声。

元々まともに動かせなかった体に更に殴打による痛み。

抵抗など出来るわけもなく、ベッドに押し倒された。

 

「この裏切り者! ずいぶんと遅い帰宅だな! あぁ!?」

 

喚きながら、相手にのし掛かっていく。

ここまで引きずってきた少女の陰湿にねめつけ、肌に指を這わせる。

 

「!?」

 

その感触に、少女の体がびくりと小さくはねる。

首筋から肩をなぞり、胸元を蹂躙する行為。

それが彼らにとって始まりの合図だった。

男は絶対者だった。

男が命ずると少女は意思をなくして、自らの体を預けて痴態を晒す。

抵抗されたのは1度目だけだった。

その後は同じ事の繰り返し。

いやがるそぶりはなく、それどころか感情も意思もなかった。

男が言う通りに犯され、奉仕し、淫蕩におぼれさせられる。

そしてしばらく時間を空けていたにもかかわらず、この反応。

男が下卑た笑みを浮かべるには十分だった。

 

「そうだよ! お前はそうでなくっちゃな! どれだけ大人しいフリしてても変わるわけがない! お前は間桐の女だ! 卑しい魔術師くずれで、男の精が欲しくてたまらない! 雌にすぎないんだよ!

 

荒々しく少女の体を押さえつけ、衣服を裂こうと手をかける。

服を脱がすなどと言うことはしない。

絶対者として男の欲望を満たすために、相手の体を八つ裂きにするようにして、着飾った衣装を破り、体を暴く。

いつもの通りに、そうしようとした。

しかし……

 

「やめて! 近寄らないで! 兄さん!」

 

少女は全力で……押しかかる男を抵抗し、拒絶した。

 

「―――は?」

 

あまりにも意外そうな声を上げる。

今までと違う行動だったため、男の手が止まった。

一瞬だけ信じられないものを見る目をしていたが、直ぐに怒りに染まった。

 

「ふざけるな! この売女が!」

 

そうほえて、男は少女を殴り始めた。

今まで自分の持ち物であり、所有物で絶対に裏切らないものに逆らわれた。

その状況でまともな理性が男に残っているわけがない。

 

「訂正しろ桜! お前は僕のものだ! ものが僕に逆らうなんて事、あり得ないだろう! 身の程をわきまえろよ!」

 

手加減も容赦もなく、男は少女を殴り続ける。

少女は抵抗しなかった。

顔を庇うこともせずに、ただひたすらその瞳で男の子とを……慎二の事を見つめていた。

まるで咎めるかのように。

 

「!」

 

その男から見たら、侮辱にも等しいその瞳をみて、男が再度怒りを爆発させる。

まっすぐに見つめてくるその目がいやだった。

その瞳が気にくわなかった。

故にその瞳を……少女の意思を壊したいと考えた。

そしてその意思を壊す事が出来る秘密を……男は知っていた。

 

「そうか。ならこっちにも考えがある。衛宮の家に行って何があったかは知らないけど……その衛宮に対して自分の全てをさらけ出したのか?」

 

全てをさらけ出す。

それが今の自分の事ではなく、自らの過去のことを言っているのだと、少女は直ぐに気がつき……目を見開く。

 

「にい……さん……」

「ははぁ」

 

その絶望に染まった少女の表情を見て、男は笑った。

今までこみ上げていた怒りが、多少なりとも薄れていった。

 

「お前に取って衛宮は大事な存在みたいだな。何せ僕の言うことが聞けないくらいだもんな。だったら……その大事な衛宮に隠し事をしていていいはずがないよな?」

「や……」

 

やめてという言葉は出てこなかった。

先ほどまでの意思がどこかへ行き、少女の瞳はうつろになってしまっていた。

その態度を見て、男は嘲笑した。

 

「そうだよな、お前はその程度だよ! ばらされたくないのなら、黙って僕に従っていろ! お前は僕の人形なんだからな!」

 

部屋に響く笑い声。

それはあまりにも醜悪な声だった。

その声も、少女の耳にはほとんど入ってこなかった。

 

「……だ」

 

うつろに……暗闇に沈んでいく心。

その心の中で思ったこと。

それは絶対に秘密をばらされたくないという事。

兄との関係、衛宮の家を監視していた己の役目、間桐の家に引き取られてからの地下での生活。

否、士郎であればそれすらも受け入れるだろう。

嫌いになることはないと、少女もわかっていた。

 

しかし、そう思ったそのとき、昨夜の士郎を思い出した。

 

(……あ)

 

昨夜の出来事。

それは自分が大好きな士郎が、己にとって大切な何かを壊してしまったこと。

自らにとって大事な何かよりも、こんな自分が大事であると……士郎は少女を取った。

大事な何かを犠牲にして。

それがまた起こってしまうかも知れない。

再び士郎に、何かを捨てさせてしまうことを、少女は恐れた。

だから……諦めた。

更に士郎を壊してしまうのであれば、このままこの男に今まで通り、犯されてしまえばいい。

そう考えるが、その思考を士郎に抱かれた記憶が邪魔をする。

今までは我慢をしてきていた。

しかしそれでも、自分な人が自分の大事な何かを壊し、捨ててまで己を取ってくれた今となっては、男に……慎二に体を許すのはこれ以上ないほどの嫌悪を催すものだった。

 

 

 

■■■■■■

 

本当に……それだけ?

 

自らが惚れた男は、素敵な人だった。

その素敵な人に好かれたこと、愛していると言われたこと……結ばれたこと。

それはこれ以上ないほどの喜びを与えていた。

そして一度知ってしまったその喜びは、際限なく広がっていった。

今までの反動のように。

結ばれたはずの士郎との間には、他にも様々な人がいた。

そして優しい士郎は……その人たちにも優しかった。

それを少女は当然だと思った。

こんな自分にも優しくしてくれた青年なのだから……と。

しかしそう思っても、納得できない自分もいた。

誰にでも優しい青年。

 

それが黒い感情を呼び起こす。

 

■■■■■■

 

 

 

どちらも受け入れることが出来ない。

 

慎二に犯されることも、士郎に秘密を打ち明けることも……。

二つの思考がぐるぐると回り……残ったのはむき出しの黒い感情だけだった。

間桐の家に引き取られて以来……ずっと抑えつけ、蓋をし続けてきた心。

 

「いや、いやいやいやいや! やめて! もう嫌だ! やめて兄さん!」

 

ただ必死になって慎二に抵抗することしかできなかった。

しかし元々非力な上にぼろぼろな体で満足な抵抗が出来るわけもない。

そしてその無力な抵抗を……慎二はあざ笑った。

 

「何を言ってるんだ? お前もほんとは欲しいんだろ? 衛宮にも教えてやらないとな? お前が今までどれだけ僕にすがりついてきたのってことをさぁ!」

 

おかしそうに笑う。

慎二が笑っていた。

本当に楽しいことであるというように。

そして少女は気付いた。

例えこの場で大人しく体を許したとしても、慎二はもっとも言われたくないことを士郎に言うであろうと言うことを。

ただ自分がおもしろがるために……少女が苦しむ様を見たいためだけに。

少女の全てを台無しにするのだと……。

 

「なん……で」

 

何故いつもこうなるのか?

それだけは避けたかった。

それだけは知られたくなかった。

だからこそ必死になって全てに耐えてきた。

嘘をつき、人をだまして、何よりも自らに嘘をつき続けて……それでも耐えてきたのだ。

ただ、士郎の家に行けることだけでも幸せなのだと……自らに言い聞かせるように。

だというのに、慎二はそれらを自分の欲望のためだけに壊そうととする。

 

(……ちがう)

 

そのとき、黒い感情が顔を出す。

何も守ってくれないのはこの人だけではないのだと。

ずっと前から思っていたこと。

ずっと前から……恨んでいたこと。

 

何故自分の周りにある世界は……こんなにも私を嫌っているのだろう……

 

力も入らなかった。

抵抗する気力も鳴くなり……そんな少女を、男は愉快そうに笑っていた。

 

「は、ははははははははは!」

 

勝ち誇ったように、男は笑いいつものように少女を犯そうとする。

その姿があまりにも醜くて……少女は……桜は思った。

 

 

 

「……こんな人、いなければいいのに」

 

 

 

一度も思わなかった思いが……漏れ出ていた。

 

 

 

その思いと同時に、振るわれる黒い陰。

 

 

 

ぱしんと……空気を切り裂く何かの音が響き、そのとき一瞬だけ部屋が光り輝いた。

 

「へ?」

 

その光が自らの体から発せられた事に気付き、慎二はあたりを見渡した。

一度笑うのをやめて見えたのは……何故か赤く染まった部屋だった。

 

「なん……」

 

何だ?

そう思い更に見渡すと、赤く染めているものが、自らの体から吹き出している事に気がついた。

 

体から吹き出している赤い、赤い……血が。

 

その吹き出した箇所に目をやった。

その視線の先には……あるべきものがなかった。

 

今まで桜を犯そうとし、服を切り裂いていたはずの……己の右腕が。

 

「はい?」

 

右腕がないことを意識したその瞬間に、意識が飛びそうになるほどの激痛が走った。

 

「あ、あぁ、ぁぁ■■■■■■■■■■■■■■■■!?」

 

声にならない絶叫が、響き渡った。

あまりの激痛に転げ回って悲鳴を上げている慎二。

そんな慎二を桜は無感動に見つめていた。

そしてふと気付いた。

自らの影がのっぺりと立ち上がり、揺らめいていた。

 

「……あぁ」

 

痛みでのたうち回る慎二を見つめながら、桜は無感動に腕を切り落とした事実を反芻していた。

何も感じなかったのだ。

兄の腕を……人の肉体を切り落としたにもかかわらず。

 

恐怖も、嫌悪も、罪悪も、後悔すらも。

 

何も考えることの出来ない心に浮かんだものは、ただあまりにもあっけなく切り落としたことに対する、感想だけだった。

 

簡単……だ……

 

手慣れていると、自ら思った。

こんな事をしたのは初めてではないと……人を傷つけるのが始めてではないと、感じた。

夢では何度も見ていた。

何度も何度も、自らの夢の中に出てくる人々を、喰らっていた。

そのときと同じように、陰を振るっていたのかも知れない。

 

「あ、あぁ――」

 

あまりにも手慣れていることに、桜は不思議に思わなかった。

いくらでも夢を見ていた。

そして夢のまねをしたら……自らを苦しめ続けた男がのたうち回っている。

 

「あは、あはは……あはははは」

 

よくわからなかった。

けれどもこんなに簡単ならもっと早くにやれば良かったと……桜は思った。

何も感じなかったのだから、いつやっても一緒だったと。

ただ楽しかったという感情が、芽生え始めた。

そしてそのとき同時に気付いた。

 

楽しかった?

 

楽しいではなく楽しかったと……そう思い、同時に気付いた。

今まで夢であったと思っていた、夢での出来事は夢ではないことに。

夜な夜な街を徘徊し、言い寄る男達を殺し喰らっていたことを。

いっぱい殺したという事実を。

 

逃げる人を

 

血の一滴も、肉片すらも残さないように

 

誰であろうと

 

楽しみながら

 

笑いながら

 

嗤いながら

 

 

 

「あ、あは、あははははは」

 

 

 

おかしくなって笑っていた。

そうでなければ何かが崩れてしまいそうだったから。

しかし最後にはそれすらもどうでも良くなってしまった。

 

「あはははははっ!」

 

高らかに笑っていた。

その笑みには先ほどまでの諦観はなく。

ただただ、狂気じみた笑みだけがあった。

泣きわめく慎二をうつろな目で見つめていた桜の瞳に、何かがともる。

それはあまりにも黒く、黒く、暗い……感情だった。

 

「あは……」

 

おなかが痛くなっていく。

笑えば笑うほどに、桜から桜らしいものが消えていくようだった。

そして最後には……黒い何かがそこにいた。

姿見の前に立ち、自分の姿を見つめる桜。

その桜の後ろに黒い陰が付き従うように立っていた。

 

否、それは桜の陰。

 

血塗れに染まった桜の影であり陰だった。

 

黒い陰に成らないように必死になって押さえつけていた己の心の奥底に眠る感情。

 

しかしそれは無駄な行為だったのか……。

 

それは孵化してしまった。

 

完全でないにしろ……確かにそこに存在していた黒い陰。

 

 

 

「な~んだ……。最初から狂ってたのね。先輩」

 

 

 

その表情に笑みが浮かぶ。

しかしそれは桜の笑みであって桜ではなかった。

ただただ、黒い感情に付き従うだけとでもいうような、どん欲な笑みを浮かべていた。

 

「多くの人間を殺したの、桜よ」

 

どこからか聞こえてくる、老人の声。

桜はその言葉に何も返さなかった。

考えるまでもなく、返事をする必要もなかったからだ。

 

「もう、お前は人としては生きられぬ」

 

桜は再び答えなかった。

それも言われるまでもないことだったから。

 

「その黒い陰を受け入れるがいい。さすればお前を止める事が出来るものはおらんだろう。アインツベルンの聖杯を奪うのだ。それ以外にお主が生き残る術はない」

「はい……おじいさま」

 

素直に従い、静かに頷いた。

それが己の意思によるものなのか?

それともただの逃避なのか?

わからなかった。

しかし、受け入れた途端に体を蝕んでいた痛みが消え去り、嘘のように体が楽になっていた。

そして這い上がる、黒い泥。

それが肌を纏い、覆い……肌を染め上げていく。

痛みを炎に変わり……桜の肌を焦がしていく。

 

それは呪いのように……白い肌が違うものに変わっていく。

 

呪いのような、蠢く炎のようなものが刻まれていく。

 

 

 

「あぁ……これなら……」

 

 

 

誰にも邪魔されない。

 

聖杯戦争で召喚された存在より誰よりも強いのだと……。

 

その絶対的な強さと力は、どこか性的な昂揚に感じられた。

 

逃げまどう相手の足を奪い……

 

抵抗する腕を引きちぎる……

 

助けを請い願う口を引き裂く……

 

痛みに濡れる目玉を刳り抜き、握りつぶす……

 

 

 

そして最後に……心の臓を抉り、その生き血を啜る。

 

 

 

それを想像し、体が震えた。

 

想像しただけでイきそうになっている。

 

 

 

そしてそれを実際に行おうと……今まで自らがされて来たことを行おうと、転げ回っている自らの兄にその視線を向けた。

慎二は未だ右腕を切られた痛みに転げ回っていた。

 

「いたいいたいいたいいたい!」

 

壊れた機械のように、ただ痛いと連呼する兄。

力を得た今だからか、それとも抑えつける必要性を感じなくなったからか……。

 

死ぬ間際の羽虫のように、醜い姿にしか見えなかった。

 

 

 

なんて……醜い人……

 

 

 

それを相手に……桜は黒い陰の触手を、慎二の足に突き立てた。

 

「あああぁぁぁぁ!」

 

体に走る熱すぎる痛みに……慎二は再び悲鳴を上げる。

そして、その痛みを与えてきた存在である……桜であった何かに、怯えた目を向ける。

 

「さ……さく……」

「何ですか……兄さん?」

 

あまりの痛みに呂律が回らなくなっているのか、慎二が口にした言葉は言葉にならなかった。

ただ名前を呼んだだけなのか、それとも命乞いをしようとしたのか。

しかしその言葉を口にする前に……再度桜が触手を突き刺す。

先ほどと同じように……致命的な箇所を避けて。

いたぶるように……。

 

「あぁがぁぁぁあぁ!!!!」

 

新たな痛みに慎二は悲鳴を上げる。

その悲鳴を聞いて、桜は嗤った。

 

「あ、あぐ……。うぐ……あぁ」

 

その笑みは、まさに羽虫を……穢れた何かを見るかの様なその目は、慎二を心から震え上がらせた。

その背後に揺らめく黒い陰。

 

恐ろしい過ぎるためか……恐慌することすらも出来ないほど、妹だったものからの威圧がすごかった。

 

「逃げないの? 兄さん?」

「ひっ!?」

 

妖艶に微笑みながら、桜がそう問うた。

まるで鬼ごっこを楽しんでいるかの様に、無邪気に……

しかし足を二度も刺されて逃げられるわけもない。

更に言えば恐怖の余り体にも力が入らなかった。

 

 

 

なんだよ……なんなんだよこれ!?

 

 

 

痛みと恐怖で頭が麻痺しそうになりながらも、慎二は心の中で考える。

 

どうしてこうなったのかと?

 

絶対者であるはずの自分が惨めに体をいたぶられている。

それも自分の所有物であったはずの存在に。

 

このとき初めて……慎二は本当の意味で、命の危機を感じていた。

 

聖杯戦争に関わりながら、慎二は今まで命の危機に瀕したことはなかった。

己が自ら望み関わったにもかかわらず、幸か不幸か……慎二はただ主もどきとなってライダーを使役するだけ。

仮初めとはいえマスターとして士郎と相対しながらも、士郎が相手のため殺される様なこともなかった。

そして傷つきながらも仮初めの主を守るライダーがいた。

 

だが、今は違う。

 

慎二を助けてくれる様な存在はいなかった。

ただ、目の前の変わり果てた自らの所有物だと思っていた何かに……殺されるのを待つばかりだった。

 

 

 

ち、違う。こんなのあり得ない……これは夢、そう夢のはずだ……

 

 

 

その状況に陥っても、慎二はそれを認めなかった、ただ、現実逃避を行うだけ。

それがわかったのかはわからないが、桜は興味が失せたとでも言う様に、小さく溜め息を吐いた。

 

「こんなものね……、本当に、つまらない人」

 

冷め切った声で、そう呟いた。

そして振るわれる……触手の凶刃。

しかしその一瞬前に、唐突に慎二の姿が消えた。

そして消えてなくなった虚空を触手が通り抜け、それに呼応する様に部屋の窓が内側から割れた。

残されたのは桜と黒い陰だけだった。

切り落とされた腕もなく、赤く染まったその血だけが、慎二がここにいたことを証明している様だった。

 

「何だつまらない。あんな人を助けるんですね……あの人は……」

 

殺そうとした兄に逃げられたことに落胆し、更に兄を助けたのが誰であるのかわかっているのか、桜はそう小さく呟いていた。

そして直ぐに興味を失ったかのように、逃げ出した経路である窓から目を離し……歩き始めた。

 

「ふふ……ふふふふふふ」

 

嗤う。

嗤う。

嗤う。

おかしい事でもあったかのように。

おかしいことを、楽しい事をしにいくのを喜ぶ様に。

 

 

 

「兄さんには逃げられちゃったけど……姉さんだけは……逃がさない」

 

 

 

先ほど思い描いた、他者を嬲るという行為。

今思い描いているその対象となっているのは……彼女の肉親の遠坂凜だった。

 

 

 

 

 

 




気づいたらあげなくなって一年もたっていたのですね
大変失礼いたしました
なんとかできそうですので
また活動報告でもみてやってください
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。