月夜に閃く二振りの野太刀   作:刀馬鹿

55 / 69
個人的に良い出来





対峙 刃

無事……のようだな……

 

しばし、眼を閉じて静かに佇んでいた刃夜は、士郎が無事に役目を果たしたことを、桜の気配が澄んだことによって、感じ取った。

契約の解呪。

それこそが、士郎が果たさなければならなかった、士郎の役割だった。

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』の投影は、絶対に必要な条件だった。

キャスターに『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』を借りたとしても、士郎にはそれを扱うだけの技術がない。

故に、己が扱うことが出来るように、投影を行った。

自らが投影して得た得物であれば、まだ発動すること自体は可能になるかも知れないからだ。

そのため限られた時間の中で、士郎はひたすらに投影の技術を上げた。

上げることが絶対に必要だったから。

だが、それだけでは『この世全ての悪(アンリ・マユ)』の契約の解除は出来なかっただろう。

では何故『この世全ての悪(アンリ・マユ)』との契約が解除出来たのか?

 

桜が帰りたいと願ったから……

 

それがもっとも大きな理由なのだろう。

宙より落ちてきた狩竜の落下地点へと移動しながら、刃夜は小さく肩をすくめて、未熟なれどやり遂げた士郎を、心から称えた。

そして落ちてきた狩竜を右手で掴んで……一度息を吐いて、盛大に舌打ちした。

 

さてと……俺も役割を果たさないといけないんだが……

 

舌打ちし、厳しい表情をしながら刃夜はこの戦の全ての元凶である、クレーターの下……大聖杯へと鋭い視線を向けて、再び溜め息を吐いた。

 

一体いつになったら、俺は自分の仕事が出来るんだ……

 

実に嫌そうに顔を歪ませながら、刃夜は大聖杯へ向かって歩いていく。

その際士郎に声をかけるのはやめておいた。

また士郎と桜のそばで倒れている、凜の介抱に向かおうと一瞬考えたのだが、後ろからいくつかの気配がやってきているのを感じ取り、そちらに丸投げした。

というよりも、介抱に残された力を裂いてしまっては、これから行う二つ目の予定外の出来事に支障を来しかねないからだ。

いっそ、後ろから来る奴に今から行うことも任せようかと考えてしまう刃夜だったが、待っているほど余裕はなさそうだった。

 

たく……本当に煌黒邪神龍にそっくりな気配だな……

 

黒い太陽の大聖杯を見上げながら、刃夜はそう独りごちた。

もっとも刃夜からしてみれば、煌黒邪神龍とは桁がだいぶ違うので、ずいぶん小さく感じてしまうのだが。

だがしかし粘つき……というよりも、どろどろとした感触で言えば、こちらの方が上だと思われた。

人の醜い感情が集約したのだから、それはある意味で仕方のないことなのかも知れない。

純粋な力……怒気などの感情の強さは怪物(モンスター)には叶わないだろう。

だが、複雑な感情で言えば、こと地上において人間に叶う生物はいないだろ。

だからこそのこのどろどろとした気配だった。

 

そしてその気配の中心部……この世の全ての人を殺す怪物が胎動する、胎盤の根本に……

 

 

 

赤黒い炎を……胎盤を見つめている背中があった。

 

 

 

「……きたか、鉄刃夜」

 

 

 

とても強い意思と、それに反比例するように、冷酷なまでの鋭さを併せ持った……そんな声が刃夜の耳に届く。

クレーターを歩き終えて、根本まであと少しのところで、その男は……言峰綺礼は、ゆっくりと、刃夜へと振り返った。

 

「……一応聞いておこうか? 何のようだ?」

「ほぉ? お前は私がここにいることが、不思議ではないようだな?」

「ここに来る途中で足跡を見つけた上に、気配があったからな。だいぶ隠形していたが、それでも今の俺を相手に、あの程度では欺くのは無理だ」

 

左腕に宿る力を意識しながら、刃夜はそう答えた。

左腕に宿る、霞皮の護りによる気配遮断と隠密能力。

その力があるため、逆にその力以上の隠蔽を行わなければ、霞みの力を欺く事は出来なかった。

魔力(マナ)が満ちてきているこの場だからこそ、今までよりも力が活性化していた。

当然モンスターワールドの時とは比べるべくもないが、それでもその力は絶大だった。

 

「ほぉ? どうやら色々と調査だけではわからないものまで、持ち得ているようだな。さすがは不思議な男と、言ったところか?」

「そんなことはどうでもいいだろう? 質問に答えろ」

「ふむ、そうだったな。私がここにいる理由は、衛宮士郎に話しただけだったな」

 

言峰綺礼は外見だけを見れば、いつも通りの様子だった。

だが刃夜には、左胸……心臓の辺りから黒いもやのような物が見える刃夜から見れば、ただごとではないことがすぐにわかった。

そしてその黒いもやが……何のもやなのかも、すぐに理解する。

 

「前々から普通じゃないとは思っていたが……、今はそれが際だっているな? お前、心臓から出るそれは……」

「ほう? お前からは私に見えない物が見えているようだな? 私も見えてはいないのだが……生まれ来る『この世全ての悪(アンリ・アユ)』の欠片の様な物だからな。『この世全ての悪(アンリ・アユ)』が生まれようとしているため、反応しているのだろう」

 

欠片? まぁ……感じられる物はその通りだが

 

心臓から漏れ出ているもやのような物は、間違いなく後ろの胎盤の中身と同じ物だと、刃夜は判断した。

どういった経緯で、体に宿したのかはわからないし、興味もなかった。

だが……言峰綺礼の存在が邪魔になることだけは間違いないだろうと、刃夜は深々と溜め息を吐く。

 

「私は生まれてくる存在を祝福する。傷を負い、死ぬのが生物としての自然の摂理。故に生まれてくる存在を、誕生すらもさせないまま殺すことは私は出来ない」

「……中身が何かを知っての言葉と判断して良いな?」

「無論だ」

「……なるほど。お前もなかなかの人間みたいだな」

 

この状況下でありながら、刃夜は言峰綺礼との対話を望んだ。

魔力を回復させるための時間稼ぎと言うがあったが、それ以上に知りたくなったのだ。

かたくなに接点を持とうとしなかった、この男の存在のことを。

 

 

 

この男の……願いを。

 

 

 

この世全ての悪(アンリ・マユ)』という、絶対的な呪いを守るように、この場に佇む男の、正体を。

 

 

 

「『この世全ての悪(アンリ・マユ)』は存在そのものが悪である。なにしろそのように望まれ、造られたモノなのだから。しかし……その存在が悪であったとしても、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』が己をどう思うのか迄は、我らにはわかるまい」

「……何?」

 

綺礼の言葉に驚いた。

何に驚いたのかと言えば、それは自分自身にだった。

この状況に至り、綺礼の言葉を聞くまで、刃夜は『この世全ての悪(アンリ・マユ)』に意思があるのかどうかすら考えることもしなかったことに……。

 

「『この世全ての悪(アンリ・マユ)』自身が、自らの行動を……この世から人を抹殺するのを悪と嘆くのか? 善と笑うのか? 我々にはわからない。もしも『この世全ての悪(アンリ・マユ)』に意思があり、人と同じように自らの存在を嘆くのであれば、それは悪だ。だが、自らの存在に疑問を持たずにいるのであれば、それはどうしようもなく善だ。何せ『この世全ての悪(アンリ・マユ)』にとってそれが存在する理由なのだから。自らの機能に疑問を持たないのであれば、悪ではない」

 

 

 

「初めから世に望まれなかった存在。それが誕生するという意味。価値のない存在が、存在している価値を……アレは私に見せてくれる。全てを殺し、全てを壊し、ただ一人残ったモノが、果たして己を許せるのか? そもそもそういう感情を抱くのか? 私はそれが知りたい。外界との隔たりを持ったモノが、孤独(ありのまま)に生き続けていく事に罪があるのかどうか? その是非を問う。そのために衛宮士郎の父、衛宮切嗣を殺し、間桐桜を生かした。私では出せなかった答え。その答えを出せるモノの誕生を願ったのだ」

 

 

 

己では出せなかった答えを、出すことが出来るかも知れない存在の誕生を、綺礼が願っている。

それが言峰綺礼が、聖杯を手にしなくとも、手に入れたい……命題だったのかも知れない。

冗談でも嘘でもなく、綺礼が本心からそう言ったことがわかり……刃夜は目の前の存在を、明確に敵であると判断した。

刃夜は狩竜を静かに地面に置いた。

そして背中のシースにしまっている封絶を抜剣する。

それが戦闘の意思表示であることは疑う余地もなく、言峰綺礼は自らも構えた。

 

「今新たに生まれようとしているモノを、私は祝福する。その誕生を阻む……いや、存在そのものを消そうとしている存在がいるのであれば、守ってやるのも当然だろう」

「ほざけ。俺にとってはそんなことどうでもいい。俺がここにいてそいつを消し去ろうとするのは俺自身の目的のため――だ!」

 

刃夜は全力で突進し、手にした双剣を言峰綺礼へと振るう。

対して綺礼は、神父服の内側より刃のない柄を三つ取り出して、指の間に挟んで保持した。

そして刃夜の剣が綺礼の間合いに入ったその瞬間に、硬質的な音が辺りを響かせた。

 

「ほう、さすがに重いな」

 

挟んだ三つの柄からまっすぐ伸びた刃が、刃夜の剣を……封絶の刃を受け止めていた。

柄だけしかなかったはずだった。

だがそれは聖堂教会において使用される護符の一種であり、選ばれた代行者のみが持つことを許される、黒鍵。

魔力によって編まれたその剣身が、刃夜の剣を防いでいた。

 

こいつ……!?

 

刃が突然現れたことについては、刃夜は何ら疑問を抱いていない

見た瞬間から魔力の波動を感じ取っていたため、何かしらの意味があると思っていたからだ。

故に刃夜にとって、そんなことは驚くに値しない。

驚くべき事は、魔力と気力を同時使用した刃夜の剣戟を受け止める、綺礼の身体能力の高さだった。

しかもその受け止めた姿勢から、刃にひびの入った黒鍵を捨てて半歩前へと歩み、徒手空拳の間合いで僅かに手を動かしただけで、刃夜の封絶をいなす。

その動作は驚くほど精錬されていて……よどみもなく、流麗だった。

思わず見ほれてしまうほどに。

そして瞬きにすら満たないであろう僅かな時間でそれは……防御から攻撃へと変わった。

いなすと同時に突き出されたその掌が……本当に僅かな距離をかけただけだというのに、必殺の打撃となって刃夜の胸に迫った。

 

まず!?

 

その一打に、必殺の力が込められているのが、刃夜はすぐに理解した。

すぐに強引に後ろに引こうとするのだが、綺礼の攻撃の方が速いためそれでは避けることが叶わない。

故に刃夜はもう一方の剣を、体と手の間に盾として滑り込ませた。

 

!!!!

 

凄まじい打撃音が響きわたり、刃夜が大きく後方へと吹き飛ばされた。

寸勁(すんけい)と呼ばれる技法だと、刃夜は瞬時に理解した。

それと同時に、言峰綺礼の強さにも気がついた。

自身も未熟なれど格闘技を修める者。

相手を理解すのに、一手で十分だった。

十分すぎるほどに……相手の実力が異常だった。

 

っ!

 

吹き飛ばされた事に驚いたが、それで止まるわけにはいかなかった。

強引に吹き飛ばされた体勢を、気力と魔力を用いた足場を形成して立て直して、刃夜は再度突貫した。

綺礼はそれに対して腰を落として、構える。

その構えは間違いなく、拳法の構え。

それも……その身から発せられる功夫(クンフー)は、一朝一夕のそれではない。

 

完全な実力者の構えだった。

 

新たな黒鍵を、今度は両手に一つずつ手に取り、刃夜の剣を迎撃した。

 

 

 

!!!!

 

 

 

先ほどと違い、一本の刃であるというのに、それは刃夜の剣を受け止めた。

 

「ただ者じゃないとは思ってたが……お前、何者だ?」

「ふむ……私は一介の神父にすぎないが?」

「ほざけこの野郎」

 

刃夜は激しく舌打ちをしたかったが、そんな隙を見せられる相手ではなかった。

気力と魔力。

それら二つを用いた刃夜の一撃は、サーヴァントのそれに匹敵する。

ましてや今は聖杯が満ちようとしているため、通常よりも魔力(マナ)が濃い。

その力を用いて攻撃しているにも関わらず、目の前にいる男……言峰綺礼は刃夜の攻撃を受け止めている。

魔力(オド)を使用しているのは間違いない。

だが、魔力(オド)と技術だけで、刃夜の力に拮抗しうる実力者。

 

刃夜ではまだ到達できない……長年の年月をかけて重ね、磨き続けた熟練者の力。

 

刃夜から言わせれば、自身よりもこの言峰綺礼の方が、よほど怪物(モンスター)に思えた。

 

「ふっ!」

「づぁっ!」

 

内部から体を破壊するための一撃が振るわれる。

それに対してもう一方は、外部から切り裂き断つ一撃を放つ。

互いに避けて、互いに躱し、互いに受けて、互いを壊す。

再度砕かれた黒鍵を捨てて、綺礼はひたすらに拳を振るった。

掌底がたたきつけられる。

肘鉄が突き刺さる。

蹴りが空を断つ。

体が山を崩す。

そのどれもが、掛け値無しの必殺の一撃。

対する刃夜も、ただやられてばかりではない。

剣が空を裂く。

剣先が宙を穿つ。

だがそれでも致命打にはならない。

良くも悪くも二人の実力は拮抗していた。

 

 

 

!!!!

 

 

 

剣と拳。

それらがぶつかり合ったとは思えないほど高い音が響き渡って、二人は一度距離を離した。

二人とも呼吸すらまともに行わず、ひたすらに攻撃のみを仕掛けている。

にも関わらず、互いに互いを仕留められない。

実に驚くべき状況だった。

一度離れたことで互いに息を整える。

 

「……鉄刃夜よ」

 

その整える状況の中で、綺礼はどうしても聞きたいことがあって、息を整える僅かな時間に、刃夜へと問いかける。

 

「なんだ?」

 

相手から息を整える時間を与えられたため、刃夜は時間がないとわかっていながら、あえて綺礼の問答に乗ることにした。

 

 

 

「貴様は何故……聖杯を欲する?」

 

 

 

たった一言。

たったの一言の問答だった。

だがそのたった一言の言葉に、計り知れないほどの重さを感じ取って、刃夜は思わず一瞬だけ息を呑んだ。

暗く重く……そして僅かな羨望。

聖杯に求める願いの意味を、この場で問うてくる理由は刃夜にはわからなかった。

だが、好都合だった事、そしてその問いが相手にとって意味のあることだとわかり、刃夜は相手の実力に敬意を表して、答えた。

 

 

 

それが決定的な一撃となって、相手を抉るとは知らずに。

 

 

 

「俺の世界に帰るのが願いだよ。聖杯の有無にかかわらずな」

 

 

 

「……何?」

 

言っている意味がわからないのではなく、返答の言葉に何かを感じたのか、綺礼は愕然としながら、そう言葉を絞り出していた。

絞り出すかのような……言葉だったのだ。

 

「俺はこの世界の住人じゃない。並行世界の人間だ。紆余曲折合ってこうしてここで一年ほど過ごしたが……俺は自分の世界に帰ることが目的だ。聖杯を欲したのは、それが並行世界に帰るための手段だと思ったからだ。最終目標は……とある連中をぶっ飛ばすことだがな」

 

最後の方の台詞はぼそりと呟いたため、刃夜の耳にすら届いていなかった。

だがそれは刃夜の本心だったため、どうしても言いたくなったのだった。

だが……綺礼にとってそんなことなどどうでもよかった。

 

「貴様も……結局は人だったか」

「あぁ?」

 

ぼそりと呟かれた綺礼の言葉が聞き取れずに、刃夜は思わず顔をしかめてしまうが……その瞬間には離れていた距離を一足にて詰めた綺礼が、拳を振るっていた。

 

!?

 

咄嗟に回避して反撃を行おうとするが、先ほどよりも更に苛烈な連続攻撃が綺礼より放たれて、刃夜は防戦一方にされてしまう。

あまりにも苛烈なその攻撃は、普段の綺礼からは考えられないほど、怒りに満ちた攻撃だった。

 

 

 

それは本人としては、八つ当たりにすぎなかった。

 

 

 

(綺礼)が、羨んでいたことを否定したくて……。

 

 

 

求めても得られなかった。

 

手に入れたというのに、手に入らなかった。

 

どのような戒律であっても、こぼれ落ちる無数の澱。

 

 

 

他人が幸福と感じられる物が……幸福と感じられなかったこと。

 

 

 

求めても求めても……何一つ幸福を得ることが出来なかった空っぽの男。

 

 

 

その男が泣いているような……

 

怒っているような……

 

そんな怒濤の力だった。

 

また、それは自身の事とは別に、失望からきたものでもあったのだ。

 

 

 

結局……貴様も所詮は『人間』だったということか……

 

 

 

それ(刃夜が人間であること)を知って、言峰綺礼は落胆した。

 

あまりにも異様な存在だった青年、鉄刃夜。

 

どれほど調査しても、冬木市に来る前の情報をたどれなかった、謎の男。

 

生身でサーヴァントと斬り合うほどの力を有し、さらには自らの背後に存在する、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』に対して、絶対の力を持つ存在。

 

 

 

そう……『この世全ての悪(アンリ・マユ)』をどうにかできるのだと、刃夜は断言したのだ。

 

 

 

密かに探りを入れていた刃夜のその言葉に、綺礼は震えた。

 

地球上全ての人を殺すことが可能な力の存在である『この世全ての悪(アンリ・マユ)』。

 

この世全ての悪(アンリ・マユ)』をどうにか出来るだけの力を有している。

 

 

 

そんな存在が『普通』であるはずがない。

 

 

 

年齢はどう考えても若い。

 

見た目が若く、未熟な面も多々見受けられたからだ。

 

だがそれでも何かがあると、綺礼は心からそれを望んだ。

 

この世全ての悪(アンリ・マユ)』をどうにか出来るというその力。

 

それが何の対価もなく得られるわけがないのだから。

 

自分とは種類こそ違えど、通ずる何かがあるのではないかと……。

 

そう思った。

 

 

 

だが違った……。

 

 

 

並行世界というのは綺礼としても少々予想外だったが、帰りたいという欲求はあまりにも、望んでいた答えとはかけ離れていた。

 

帰りたいと言った刃夜の言葉には、純粋な感情しか込められていないのが、声でわかったから。

 

この場でこうして刃夜に問答をする……己の目的のためではあるが……ために、複数の令呪すらつかって、ランサーの記憶を消去し、この場に忍び込んだ。

 

だが返ってきた答えはあまりにも期待はずれだった。

 

期待していたからこそ、落胆も大きかった。

 

それ故の怒りだった。

 

いくつもの要因が積み重なり、綺礼の攻撃は苛烈となった。

 

 

 

まるで鬱憤を帳消しするように……。

 

 

 

この野郎!

 

だがそれがわかるほど、刃夜は綺礼という存在を知らない。

仮に知っていたとしても、刃夜は止まらない。

止まれるわけがない。

しなければならないことが多いために、刃夜もただひたすらに、その剣を振るった。

いくつもの選択肢が……攻撃の手段が思い浮かぶが、どれも却下するしかなかった。

大気の魔力(マナ)が濃いため、今までよりはまだ魔力を扱うことが出来るが、それでも刃夜にとってまだ魔力の扱いは未熟。

ましてや魔力(マナ)が薄かったため、この世界ではまともに修練も行えていない。

そしてこの後の本来の役目を行うための制約もある。

 

故に結局取れる選択肢は一つだけ……。

 

 

 

そう……たった一つしかなかった……

 

 

 

 

 

 

くそったれ……!

 

 

 

 

 

 

心の中で、刃夜は怒りのあまりに叫び出したくなる思いだった。

わかっていた。

今のこの場において、相手を無力化することが、どれほど難しいことなのか?

それも実力が劣っている相手ではなく、実力が拮抗している相手に対して。

時間をかければもしかしたら、刃夜にもそれが可能になるかも知れない。

何せ今は大気の魔力(マナ)が濃い。

魔力(マナ)を扱うことの出来る刃夜にとっては、その点だけで見れば今のこの場所は実に有利な場所であった。

だが時間をかける訳にはいかなかった。

 

時間をかけてしまえば……そばで胎動している存在が、孵ってしまうかも知れないから。

 

もしも孵ってしまった場合、果たして己にそれを止めることが出来るのか?

確かに今の刃夜は、モンスターワールドで最後に戦った時よりも弱体化している。

だがそれは相手も同様であり、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』が煌黒邪神よりも弱いことはわかりきっていた。

だが……煌黒邪神よりは弱くとも、自分よりも弱いという事があり得るのか?

また孵ったその瞬間に、この世の全ての人間を殺すことが出来るのか?

何か行動をしなければいけないのか?

それすらもわからない。

故に、当然といえば当然だが……孵る前に処理出来るのであれば、それに越したことはなく、確実性がある。

 

それは当然ながら、刃夜にはわかっていた。

 

 

 

だが一つの戒めが……刃夜の決断を鈍らせた。

 

 

 

 

一人目の時は……完全にこの世に存在しない存在だった。

 

過去には確実に存在した。

 

だがそれは過去の話。

 

今のこの時間においては絶対に存在し得ない存在。

 

互いが望んでいたこともあり、躊躇う理由はどこにもなかった。

 

 

 

二人目はもう、どうにもならない存在だった。

 

全ての過ちも、全ての痛みも苦しみも。

 

全てを捨ててこの世界に……並んだ世界へと招かれて、応じた存在。

 

 

 

だからこそ、まだ戒めは、戒めでありながら、戒めではなかった。

 

 

 

だが、今は……目の前の相手は違う。

 

 

 

刃夜と違い、この世界で生まれて、この世界で生きて、この世界で死ぬ存在。

 

生物が生まれた以上、どのような道を歩もうとも、最終的に訪れるのは死でしかない。

 

死から逃れることは出来ない。

 

それが生物である以上、生きているのならば死ぬことは、絶対に避けることの出来ない運命だった。

 

だがその運命も……死という結果は少なくとも、この世界の事が要因で無ければ、通常でなければ起こりえない。

 

病気なのか?

 

事故なのか?

 

天災なのか?

 

 

 

もしくは……人に殺されるのか?

 

 

 

どれが原因であっても、死という結果を与える存在は、この世の……この世界の存在が起こさなければいけない。

 

 

 

だが、刃夜は違う。

 

己がこの世界の住人でないことはわかりきっている。

 

そして自分がこの世界に骨を埋めるつもりがないことは、当たり前だが誰よりも理解していた。

 

だから決断できない。

 

 

 

破戒出来ない……。

 

 

 

自らが縛った自分に対する最低限の責任が、刃夜の剣の腕を鈍らせる。

 

 

 

それに……刃夜が躊躇っていることに気付いた綺礼は、更に怒りを露わにし、その攻撃を加速させる。

 

 

 

 

 

 

何なのだ! 貴様という男は!?

 

 

 

 

 

 

これほどの力を手にしている。

 

これほどの技量を修めている。

 

だというのに、その見た目相応の未熟さ。

 

あまりにも人とかけ離れた存在でありながら、あまりにも「普通」のことに躊躇っている事。

 

綺礼は叫びたくなるほど憤った。

 

 

 

徐々に圧されている刃夜は、それでもまだ決断を下せなかった。

 

脳裏に浮かぶのは、この世界にやってきて出会った人々。

 

藤村大河と、藤村雷画。

 

藤村組の人間達。

 

深山商店街で自らが開いた定食屋の、仕入れ先として親しくなった人たち。

 

深山商店街で自らが開いた定食屋に、足を運んでくれた客人達。

 

士郎と桜……凜との出会い。

 

 

 

朝早くに出会った、こんな自分を好きになってくれた少女。

 

 

 

そして……自らの役割を全うするために……

 

 

 

こんな自分を助けようとして命を捨てようとした、雪の精霊の様な少女。

 

 

 

それらが頭を駆けめぐった。

 

そして……手助けすると約束した不器用な二人の人間と……

 

 

 

大事な大事な約束をした……二人の少女の存在が……

 

 

 

 

 

 

刃夜に戒めを、本当の意味で破らせる覚悟を……決意させた。

 

 

 

 

 

 

死なせる訳には……いかない!

 

 

 

 

 

 

ただそれだけが、刃夜に残った欲求だった。

 

 

 

「封絶!!!!」

 

 

 

力の限り叫んで……刃夜は封絶の返事を聞く前に、手にした双剣を宙へと放り投げた。

 

投擲ではなく、ただ投げ捨てただけだ。

 

そう……先ほどと同じように、刃夜は封絶を血で汚させないために……

 

封絶を己の手から投げ出した。

 

叫び声とその動作に意味があると思い、綺礼が防御をとろうとして……一瞬隙が生まれる。

 

その隙を……刃夜は見逃さない。

 

自由になった両手で掴むのは……己がもっとも信頼し、大事にしている始まりの剣。

 

数多の人間の血を吸い、それでもなお刃夜の手元で輝き、付き従う一振りの打刀。

 

拵えに収まったその鞘と柄をそれぞれ左手と右手で掴んで、気力と魔力を最大限放出し……電磁ではなく、自らの力のみで刀を疾らせた。

 

 

 

抜刀術。

 

 

 

それが刃夜においてもっとも速い一撃。

 

 

 

魔力の消費を最小限に抑えるため……許されるのは一撃のみ。

 

故に、この一撃だけは……気も魔力も最大の力を込めて抜刀した。

 

気と魔力を用いたそれは、想像を絶するほどの速さを誇り……綺礼の両足を一刀両断した。

 

 

 

戒めを……不殺を破った。

 

 

 

己を大地に支えるための足を根本から両断されて、綺礼はなすすべもなく地面へと仰向けになって倒れた。

抜刀術を振り切った姿勢をやめて、刃夜はすぐに倒れた綺礼の首元へ、夜月の刃を向けた。

だがそれだけだ。

少しでも押すか引くだけで、綺礼は頸動脈を斬られて息絶えるだろう。

 

だが……刃夜はそのまま動かなかった。

 

「……殺さないのか? それとも殺せないのか? いや……貴様の技量とその瞳を見れば考えるまでもないか。殺せないのではなく殺さないのだな……貴様は」

 

仰向けになって倒れた状態のまま、綺礼は首筋に当てられた刃など何も気にせずに、口を開いた。

両足を断たれたというのに、その声には痛みを堪えた様子も苦しみもなかった。

対して刃夜は……能面の様に冷え切った表情をしていた。

 

「……それは俺の勝手だろう」

「その通り、貴様の勝手だ。貴様の自由だ。故に……私が今この場で貴様に対して問いを投げることも自由だろう?」

「……」

 

言峰綺礼という男は倒れたままさらに口を開いて、刃夜を口撃(・・)した。

 

「それほどの力を持ち得ていながら……貴様は人間だったのだな……」

「あぁ。俺は人間だ。それ以上でも以下でもない」

 

それはセイバーにも言った言葉。

どれほど強い力を持っていても、どんなに人間離れをしていようとも、人でしかないのだと。

どんどんと普通の人間とかけ離れていく、己に向かって言った言葉でもあった。

 

「善でありたいと願う、悪人でしかない」

 

人を殺した存在である自分が、善であるわけがない。

だがそれでも……正しくありたいと思い生きていた。

その刃夜の言葉に……綺礼は最後に小さな染みを作っていく。

 

「善と悪に答えなどない。人間とはそう言うものだ。明確な答えなどなく、変動する真実を良しとする存在だ。人間は善悪を兼ね備えており、自身の選択によってそれらの属性を分ける。始まりは皆等しく(ゼロ)であり、生まれることに罪はない」

「……貴様」

 

生まれてくることに罪はない。

それは綺礼の背後にいる……未だ生まれていない存在である『この世全ての悪(アンリ・マユ)』。

この世の全ての人を殺すことを運命づけられた存在。

だがそれはまだ生を受けただけで生まれてはいないのだ。

人を超えた存在ではあるが、それは間違いなく人なのだ。

 

「人間は生まれて、学習することによって善と悪を学び、どちらかへと傾いていく。とある聖典には、人間は天使よりも優れた存在だと……そう言う言葉が記されている。悪を知りながらも悪に走らぬ者がいるからだという。生まれながらにして善しか知り得ない天使とは違うのだと……。人間とは、悪を持ちながら善として生きられる存在だ。だからこそ善しか知らない天使よりも優れているのだと……」

「……」

 

それが綺礼の口撃(・・)であるとわかっていたが、刃夜はその口を封じることが出来なかった。

 

「外道へと堕ちた悪人が、気まぐれに見せる善意がある。救世を行った聖人が、戯れに犯す悪意がある。それはどうしようもない矛盾だ。両立する善意と悪意。それを持ち得ていることが……人間を人間にしている。それが聖灰なのだ。生きることが罪である、生きている罪のための罰がある。命があってこその善であり、命があってこその悪」

 

 

 

「だというのに……」

 

 

 

 

 

 

「生まれ出でていないモノの命を奪い、罪科を問うことすらせずに、貴様は……『この世全ての悪(アンリ・マユ)』を殺すのだ」

 

 

 

 

 

 

刃夜は凄まじく怒気の籠もった瞳を、綺礼へと向ける。

だがその程度では綺礼は止まらなかった。

 

「私は貴様に敗れた。それは純粋に私の実力不足だったことだ。貴様の「帰りたい」という欲求が、私の欲求に勝ったのだから、それに対して私を恨み辛みを言うのは筋違いだというものだ」

 

そう言う綺礼の言葉は、不気味なほど静かだった。

だが、その静けさが、より綺礼の思いを表しているようだった。

 

 

「貴様があの穢れきった聖杯をどうにかするのであれば、それによって生かされていた私も死ぬだろう。なに、すでに十年前に一度死んだ身だ。貴様が気に病むことはない。独り身である私の死を嘆く人間もいないだろう」

 

 

 

「だが……これだけは覚えておけ、鉄刃夜よ……」

 

 

 

 

 

 

「貴様は、まだ生まれてもいない存在を、この世から消滅させる……殺すのだ」

 

 

 

 

 

 

静かだが、確かな意思の込められた言葉だった。

心底から……貴様の苦悩を望んでいると。

苦しめるために、呪うために……事実を突きつけた言葉だった。

十年前。

第四次聖杯戦争において、心臓を打ち抜かれて死んだ男が、黒い泥によって偽りの生を受けて……再び聖杯戦争の争いで殺された。

 

死んだ身でありながら、黒い泥によって生かされていた男の……最後の言葉だった。

 

それきり、綺礼はもう何も話すことはないのだというように……体の力を抜いて静かに眼を閉じる。

両足をほとんど根本から切断したのだ。

出血量はその傷の深さの分だけ、多い。

そう長くはないだろう。

聖杯の中身を消滅させたことで死ぬのか?

それとも出血多量によって死ぬのか?

それはわからない。

だが少なくとも……刃夜は言峰綺礼という存在を「斬った」という事実……

 

 

 

殺したという事実……

 

 

 

これは、どうあっても逃れられない真実だった。

 

 

 

「……」

 

 

 

もはや綺礼が何も語らず、何もしないことがわかったのか、刃夜は綺礼に何も言わずに歩き始めた。

実にうちひしがれた気分だった。

 

 

 

何よりも、己の未熟さを心から呪った。

 

 

 

一刀を元に、命を絶った訳ではない。

 

だがそれでも……『人を斬った』ということに変わりはなかった。

 

命を奪うことによる……絶対に逃れることの出来ない恨みの連鎖。

 

並行世界の人間だからこそ、恨みを買うわけにはいかなかったのだから。

 

 

 

だというのに……刃夜は斬った。

 

 

 

斬らざるを得なかったという理由があった。

 

 

 

斬らなければいけない理由……それは己の目的のためだった。

 

 

 

この世界で知り合えた大切な人たちを殺さないために……刃夜は邪魔をしてきた相手を斬った。

 

 

 

自らにもっと実力があれば……と思った。

 

 

 

だが、それでも……今の実力で、刃夜は綺礼を斬らずに無力化することが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

あぁ……くそっ

 

 

 

 

 

 

投げ捨てた封絶を拾いあげ、刃夜は狩竜を拾いに行く。

 

自らの黒い感情に反応するように、拾いあげた狩竜が脈動するのを感じた。

 

思わず狩竜を投げ捨てたくなる刃夜だったが、そう言うわけにはいかなかった。

 

だから拾いあげた狩竜を持つ手に力を込めた。

 

大事な得物だから。

 

そして……戒めを破るという選択肢しか用意できなかったのは、誰のせいでもなく己の未熟さが原因だったから。

 

 

 

刃夜は……一つ息を吐いて、前へと進んだ。

 

 

 

今の気持ちのままでは、狩竜の制御がうまくできるのか不安があった。

 

だがそれでもやらなければいけない理由がある。

 

守りたい人がいる。

 

果たさなければいけない役割がある。

 

 

 

二人で出掛けようと、約束した人がいる。

 

 

 

自らの命を捨ててまで、助けてくれようとした、雪の精霊の様な少女がいる。

 

 

 

死なせたくないと思ったから。

 

だから、何が何でも成功させなければいけない。

 

 

 

……よし

 

 

 

一度眼を閉じて、意識を完全に切り替えて……刃夜は先を急いだ。

 

大聖杯の元ではなく……別の場所へと足を進めていく。

 

今再び、自らの命を散らせて……自分にとって大切な存在を守ろうとしている、少女のために。

 

 

 

 

 

 

崩れていく。

 

崩れていく。

 

崩れていく。

 

千の年を刻んだ探求。

 

五百年をかけた、マキリの悲願。

 

果てることなく、翻ることもなく、成しうることができずに……連綿と続けられていた一つの世界が、今まさに、終わろうとしていた。

 

 

 

「おぉ……。おぉ……」

 

 

 

■■■■ない……

 

 

 

崩壊する中で……ソレはまだ意思があった。

 

 

 

■■■くない……

 

 

 

体はもはや全身が血にまみれており、血の通わない箇所はすでにただの肉にすぎない。

この大空洞の地下にいる、全ての虫を集めて依り代にしたところで、もはや元に戻ることも叶わない。

 

 

 

「おぉぉぉぉぉあぁ」

 

 

 

のたうち、一つの意思のみが動かす原理となっているソレは、すでに動いているだけの肉でしかなかった。

だがまだ生きていた。

腐敗する体と、溶解していく己を呪いながら。

 

 

 

■にたくない……

 

 

 

ただ生物として思う一念が……執念が、この肉を未だにこの世に留めていた。

 

「あぁぁぁぁおぉぉおぉ」

 

地面を這った。

まるでそれしかしらないと言うように。

マキリ臓硯。

魂をこの世に留めるための本体を潰された、老魔術師は未だ死ぬことなく、この世界に残っていた。

 

 

 

 

 

 

死にたくない……

 

 

 

 

 

 

ただその一念だけが、マキリ臓硯をこの場にとどまらせた。

だが死に行くのも時間の問題だった。

一度潰されてしまった体を乗り換えたところで、魂すらもすでに限界に近い。

肉の塊と化した老魔術師は、苦しみもがき……のたうちまわったその末に、息絶えるのだろう。

自らが腐敗していくことに耐えながら、目的のために生きながらえた。

だがそれも叶わず、無念のまま息絶える。

 

目の前に……追い求め続けていたものがあり、あともう一歩でこの手に掴むことの出来た、永劫という夢を、仰ぎながら。

 

「おぉぉぉぉあぁぁぁおぉあぁ」

 

その苦痛と苦悩の声は、断末魔なのか?

 

 

 

死にたくない……

 

 

 

このまま消え去るわけにはいかないという、欲求だけがその肉塊となったマキリ臓硯の力だった。

五百年。

五百年に渡り、苦しみにもがき、耐えてきた。

与えられて然るべき報酬が目の前にある。

なのにも関わらず、それを手に取ることも出来ずに、何故消えていかなければいけないのか?

 

 

 

「おぉぉあぁぁおおぉあぁぁ」

 

 

 

思い返せるのは、苦しみだけだった。

マキリの宿願。

故郷を追われ、極東の地へと流れて、異国の法則に溶けることが出来ず、衰退していくしかなかった魔道の名門。

 

だが、実際は違った。

 

それならばまだ救いが合っただろう。

その理由で血が絶えてしまうのであれば、大人しく滅びを甘受できただろう。

 

 

 

死にたくない……

 

 

 

だが、真実はそうではない。

そんな外的な要因で、マキリが終わったわけではなかった。

単に、彼らは脱落しただけだった。

マキリの祖である探求者より、三百年。

その三百年という時間が、魔術師の家系としての限界だったのだ。

マキリという魔術師は、臓硯の代ですでに衰退していたのだ。

苦しみはそこから始まって……老人はそれを否定することしかできなかった。

マキリの血族は、所謂そこ止まりとして突きつけられて……それを必死にその事実を覆そうとしたのが、間桐臓硯の人生だった。

 

 

 

死にたくない……

 

 

 

死にたくない……

 

 

 

死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない

 

 

 

「おぉ……ぉあぉあぁおぁおぉぉぁぁおおあぁお」

 

 

 

死ぬわけにはいかなかった。

腐る体を呪った。

苦しい。

とにかく苦しかった。

苦しいだけの五百年。

苦しいだけの人生。

それ故に永遠を求めた。

その思いになんの矛盾があるだろう?

満たされぬままに苦しんだ。

何も残せないまま消えられない。

苦しいままなど終われない。

目の前に聖杯が満ちようとしている。

ならば我が望みを聞け!

問われれば答える!

我が望みは死への離脱。

あの崖さえ登れば……願いが叶うのだ。

願いが叶う。

あの崖さえ登れば。

ただそれさえもこの体では出来ない。

たどり着けない。

歩けばたった数分の距離だ。

この五百年の苦しみを鑑みれば、塵にも満たない。

 

だというのに……

 

 

 

何故これほど距離があるというのか!!!!

 

 

 

「おぉぁおぁおぁおあ!!!!」

 

自らの体をまき散らしながら……それでもなお肉塊が地面を這って進んでいく。

執念。

ただその言葉だけだった。

動けないはずがない。

動けないわけがない。

動くというその機能を……ただ執念のみが突き動かして、前へと進んでいく。

死への恐怖と、執念だけ。

その二つしか、今の肉塊には無かった。

崩壊の音すらも聞こえず、聖杯だけを求めて……進んでいく。

 

もはや醜悪を通り越し……哀れにも見えたその肉塊に……

 

 

 

 

 

 

「そこまで変貌したのか……マキリ」

 

 

 

 

 

 

綺麗に澄んだ、鈴の音のような美しい声がかけられる。

 

「な……に?」

 

聖杯のみしか写っていなかった視界に写る、美しい一人の少女。

恐怖と執念しか無かった肉塊に……新たな感情が生まれていた。

 

「……」

 

肉塊が止まった。

肉塊がただ陶然と……その少女を見つめた。

 

肉塊が……老魔術師が見たのは少女であって少女ではなかった。

 

遠い……遠い記憶にある、女。

いつの時も色あせずに心にいたはずの……アインツベルンの黄金の聖女。

 

二百年前。

 

大聖杯を築き上げるために、自らを生贄に捧げた、天の杯であった……同胞の姿だった。

 

 

 

「……」

 

 

 

あの日よりも全く衰えていなかった。

聖杯の女は……彼が焦がれていた頃と同じ瞳をしていた。

そして……問うた。

その美しく、懐かしい声で。

 

「問おう。我が仇敵よ。汝、なぜ死にたくないと思ったのだ?」

 

その純粋な問いに、思考が止まった。

何故なのか?

何故なんだ?

何故なのだ?

言われてようやく気付いた。

死にたくないなどと思ったのは何故か?

死ぬわけにはいかないと思ったのは何故か?

終われば苦しみから解放される。

苦しみを内包したまま、何故生きることにしがみついたのか?

 

そして思い出した。

 

最初に崇高な目的があったのだ。

万物をこの手に取り、あらゆる真理を知り、誰にも届かない場所へと向かう。

 

肉体という有限を超えて、魂という無限へと至る。

 

人間という種族。

肉体という限界を定められ、脳髄という螺旋の中で周り続けるその外へ向かう。

 

あらゆる憎悪を……

 

あらゆる苦しみを……

 

全てを癒して……なくすために……。

 

 

 

思い出せた。

 

 

 

楽園など、この世界にはないのだと、知った悲嘆を。

ないというのなら……肉体を持つ身では作ることも叶わないのであれば、作ることが出来る場所へと旅立とうと考えた。

そして奮い立った。

 

新しい世界を作るのではない。

 

自分という存在……人という存在の命を新しいモノへと変化させるのだと……。

 

 

 

「お……おぉ……」

 

 

 

見上げるばかりのその最果てへ。

新しく生まれ、何人にも想像すらも出来ない地平を超えて……思い描けない理想郷へと到達すること。

 

そのために……

 

 

 

聖杯を求めたのだ。

 

 

 

人では成しえない偉業のために……奇蹟を求めたのだ。

だが人の身であっては、すぐに限界が来てしまう。

そこに至るまで消えるわけにはいかなかった。

幾多挑み、打ちのめされ、何度もこの身では届かないのだと……悟っても、生きている限り諦めることが出来なかった。

 

夢見た願いはただ一つ。

 

 

 

この世、全ての悪の根絶を……叶わぬ理想にその(肉体)を賭したのだ。

 

 

「おぉおぉぉぉぉ」

 

だから残ったのだ。

あらゆる仇敵たちが消えていく中で、無意味であるとわかっていても求めた。

そうあることに意味があるのだと信じて。

そうあることで……いつか自身を継ぐ者を育てるのだと。

 

だから生き続けた。

 

苦しみに耐え、もがいてあがいて……それでも死ねことはできなかった。

己の肉体を作り替えてでも……若い頃に見た悲願を覆すために。

 

それこそが……自分の生きた道であり……

 

 

 

己が出した答えだったはずだった。

 

 

 

たとえ、その生に……何の報いが無くても……。

 

 

 

「お……おぉぉぉぉ!!!!」

 

 

 

それが最初の願い。

苦痛。

叶わない望み……願いに挑み続けることに比べれば、死にたくないなどという欲求は……

 

あまりにもちっぽけだった。

 

 

 

「そうか……そうであったな……。ユスティーツアよ」

 

 

 

肉塊は……マキリはそう呟いて、この世界を見つめた。

 

大空洞はもはや崩れる寸前だった。

間桐桜は解放されている。

生み出された、間違いしかない第三魔法(アンリマユ)は、ただただ揺らめいていた。

その全て。

それらがもう老魔術師には届かないのだと……その事実を受け入れた。

 

「終わり……なのだな。宿願も、苦痛も……マキリの使命さえも。こんなところで……終わるのか……」

 

初めからわかりきっていたことだった。

決まり切っていたことだった。

マキリの生……旅はこんなところで終わりを告げる。

 

「だが、無念よの……後一歩だったのだが……」

 

 

 

 

 

 

「寝言は寝ていえ……腐れ外道めが……」

 

 

 

 

 

 

二人の場に……新たな人物の言葉が響いた。

その声のする場所へ……二人は視線を投じた。

その場にいるのは……中枢に来たことで、更に脈動して邪悪な気配を放つ、超野太刀を手に持つ存在、刃夜の姿がそこにあった。

 

 

 

「後一歩? その体たらくで何が後一歩だ。桜ちゃんは解放されて、貴様はそのウジ虫にも劣る肉塊の姿。挙げ句……目的すらも忘れていた貴様が、どの口が『後一歩』だといううんだ?」

 

 

 

上から肉塊を見下ろし、吐き捨てるように……刃夜はそう断言した。

刃夜は当然、老魔術師の……マキリの宿願を知らない。

だが、マキリが……間桐臓硯が、桜に何をしたのかは知っている。

どれほど崇高な願いを持っていても、その所行は外道そのもの。

悪行以外の何物でもなかった。

そばにいる普段の雰囲気とはかけ離れた少女が……この老魔術にどのような変化をもたらしたのかもわからなかった。

 

だがそれでも……

 

 

 

惹かれた少女のために……刃夜はその言葉を何度も突きつけた。

 

 

 

 

 

 

「俺も貴様と同じ人殺しだ。俺もいずれ地獄に堕ちるだろう。だが道を外れてはいない。自ら道を外れたことを改めて認識して……消え失せろ!」

 

 

 

 

 

 

その言葉に対して……マキリは何も言い返すことが出来なかった。

どのような夢を……光を目指していたとしても、悪行をなしたことは間違いない。

故に……刃夜の言葉に従い、マキリは最後までそれを覆すことなく、執念も恐怖も捨てた。

 

 

 

こうして、最後の一人が消えていく。

 

奇蹟を求めた三人の魔術師。

 

その一角であり、生きながらえていた当事者が崩れていく。

 

 

 

五百年……思えば瞬きのような宿願の日々だった……

 

 

 

肉塊は動きを止めて、やがて静かに息を止めた。

 

変貌し、それでもなお生きながらえていたモノ。

 

目指し続けた宿願の崩壊と一緒に……この世から消えていった。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。