月夜に閃く二振りの野太刀   作:刀馬鹿

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買い物

待ち合わせ時間まで……後二十分……

 

暴れまくって、そのうち破裂するんじゃないかと思う位に、心臓が動いている。

その心臓の鼓動で、自分が嫌でも緊張していることを自覚させられる。

胸に手を置けば、少しでも鼓動が治まると思いたい……のだけれど、当然そんなことはなく、私は待ち合わせ場所の新都駅前のベンチの近くで、佇んでいた。

恰好は普段とほとんど変わらない。

意識しすぎるのも私らしくないと思って、別段思いっきり着飾るようなことはしなかった。

とはいっても、普段とほとんど同じ感じの服装ではあるけど、一応全て新しくおろした衣服ではある。

靴はさすがに新しいのは買ってなかったので、普段使っているのをそのままだけれども。

意識しすぎず、でも意識していないと思われたくはないので。

少しでも気分を落ち着けるために、私は先ほど自販機で買っておいたペットボトルの水を一口口に含んで……空を見上げた。

 

いい天気……

 

実にいい天気だった。

快晴ではないけれど、所々にある雲が風にゆっくりと流されていく。

まだ冬であるため少し寒いけど、日が差しているためか、身を縮めてしまうほど寒いわけではない。

緊張しつつもぼんやりと、空を見上げていると足に何かがあたった。

ふと視線を下げて見ると、足下にボールが転がっていた。

ボールには色んな色で、色んな人が書いたと思われる文字が、記入されていた。

しゃがんでボールを手に取ると、すぐにボールの持ち主であろう少年が走りよってきて、頭を下げる。

 

「すみません!」

「いいよ、別に。気をつけてね」

 

まだ小学生だろうか?

幼すぎないけど、当然青年でもない感じの少年だった。

走ってきて勢いよく頭を下げて来た少年に笑顔でそう答えて、私は手にしているボールをかえしてあげた。

するとさっきと同じように頭を下げて、少年は友達の元へと走っていく。

どうやら移動している最中に、落としてしまったのが私の元まで転がってきたみたいだった。

それとなくどこに向かうのか見ていると、どうやら新都の病院へ向かっているようだった。

ボールに書かれていたメッセージを見る限り、誰かのお見舞いに行くのだろう。

 

病院……ね

 

ここ数日……もっと言えばこの冬は、とても異常な年だった。

冬が始まって気怠げな人が多くなった。

最初はそれだけで……でもそのうち夜に人が襲われる事件が増えてきた。

一応鉄さんのおかげで事なきを得たけど、私もその一人だった。

その後学園も集団昏睡事件が起きて。

さらに人が幾人も行方不明になる事件が起きて……最後の方は大勢に人が、一夜にして行方不明になる事件が続いた。

あまりにも広範囲で、それも一夜にして起こったことだから、集団誘拐とはとても思えなくて……でも一斉に夜逃げにしたというわけでもなく、また自殺をしたわけでもなかった。

忽然と人が姿を消してしまった。

そんな感じだった。

今も懸命に捜査活動なんかが行われているけれど、行方不明になった人はまだ見つかる様子はなかった。

幸いなことに、私の親類や、知り合いなんかは行方不明になった人はいない。

けれど知り合いなんかでは親戚がいなくなってしまったという人がいた。

けれどここ数週間ほどは何も起こっていなかった。

これで沈静化したのかどうかはわからないけど、確かに街全体の雰囲気が明るくなったような気はした。

でもまだ行方不明の人や、今の子供みたいにお見舞いが必要な人は多い。

 

だっていうのに……

 

 

 

「か~のじょ。一人で何してるの?」

「暇なら、俺らとどっかにいかないかな?」

 

 

 

こういう鬱陶しいのは、どうしてこう……

 

待ち合わせ場所に来てまだ十分程度しか経ってないというのに、ナンパ目的のチャライ男が二人やってきた。

こっちに用はないし、もちろんわたしから声をかけてもいない。

だって言うのに、こう勝手ににじり寄ってくるのは、正直うっとうしくて叶わない。

ナンパされて悪い気はしない。

けれどどう見ても引き際も、こっちのことを考えもしない連中に声をかけられても、嬉しくとも何ともなかった。

 

「人を待ってるんで、他を当たってください」

 

しかし一応私よりも年上っぽいので、とりあえず穏便に済ませようするのだけれど……

 

「え~いいじゃないちょっとくらい?」

「むしろそんなのほっておいて俺らとどっかにいこうぜ?」

 

どうしてこう、バカみたいなのに絡まれるんだろうね、私は

 

以前の夏祭りの時といい、何故鉄さんが絡むとこんな事があるのか?

それもよりによって今日は大事な日だって言うのに……。

そのため少し気が立っていたのか、普段だったらもう少し粘るというか……音便にすまそうとするのだけれど、その前に思わず口が出てしまった。

 

「すみませんが、正直あんたらみたいなのを相手にしている余裕はないので、どっかにいってくれませんか?」

「……あぁ?」

 

口調こそそれなりに穏便だったけど、言っている内容が内容だったので、一気に男二人の口調が変わった。

そのときになってようやく言い過ぎたことに気付いたのだけれど、遅かった。

 

「何を調子に乗ってるんだ?」

「カワイイから声をかけただけなんだが、喧嘩うってんのか?」

「喧嘩を売ってるのは、お前ら二人だと思うけどな?」

 

どうしたものかと悩みかけたそのとき……落ち着いた男の人の声が、背後から聞こえてきた。

驚きながら背後に目を向けると、鉄さんの姿があった。

突然の声に、二人のチャラ男がいぶかしげな目を、私の後ろに向ける。

何故か知らないけど……鉄さんは五百円玉数枚を右手で持っていた。

 

なんで五百円玉?

 

「あぁ? なんだお前は?」

「喧嘩売ってんのか?」

「お前らがナンパしてる相手と、待ち合わせをしているもんだ」

 

数枚の五百円玉を右掌に載せて、ちゃらちゃらと音をさせている。

弾いている音から察するに、間違いなく五百円玉だった。

それで一体何をするのかわからず、思わずチャラ男と三人して鉄さんの動向を見ていると……掌に載せていた数枚の五百円玉を手首の返しで宙に上げて、全ての五百円玉を、右手の指の間に挟んだ。

次の瞬間……なんと全ての指を閉じて分厚い五百円玉を、全部綺麗に真っ二つに折り曲げてしまった。

 

うっそ……

 

人差し指と親指で輪を作る形で潰した訳じゃない。

指を伸ばした状態で指の間に挟んで潰したのだ。

ちょっとやそっとの訓練じゃ、この潰し方の筋力はつけられない。

 

「タイ式のあいさつだ」

 

なんでタイ式?

 

鉄さんがそういいながら、潰した五百円玉を左手に持ち替えて、二人のチャラ男へと手渡した。

目の前で行われたことがあまりにも突飛的すぎて、チャラ男が素直に渡された五百円玉を受け取っていた。

 

「大事な日でな。こちらとしても騒ぎを起こしたくないんだ。これで勘弁してもらえないか?」

「は、はい」

「すんませんでした」

 

さすがにあまりの怪力を見せられて相手も萎縮したのか、二人はすごすごと逃げていった。

でも遠くで、渡された五百円玉が本物であることを確認して、やばいと騒いでいるのは、なんかおもしろかった。

 

「すまない、待たせた。少々準備に手間取ってな」

「いえいえ、今日はおつきあいしてもらってありがとうございます」

 

あほな連中が来たことで少しだけ緊張が取れたのか、自然に話すことが出来た。

そう考えるとあのバカな二人組に感謝してもいいかもしれない。

けど……

 

「良かったんですか? お金」

「勉強料だ。気にすることはない。いいか美綴、何でもすぐに暴力で解決するのはよくない。あの二人程度なら美綴でも楽勝だっただろうが、相手にも降伏させるチャンスを与えた上げた方が、互いにとって利益になる。あんな馬鹿のために警察がらみで時間取られるのも癪だろう?」

「なるほど……」

「だが、高校生に取って五百円は結構な額だ。だから金がないのなら、十円玉とかでも効果的だ。一円玉だとインパクトに欠ける」

「私はあんなマネ出来ません!」

「まぁ……俺がこれを説く資格は、無いだろうけどな」

 

資格?

 

言っている意味はよくわからなかったけど、気持ちを切り替えなければいけない。

ここからが、私にとって大事な時間になるのだから。

 

「さて、出鼻から余りいい気分にならなかったが……ともかく、いくか?」

「そうですね、よろしくお願いします」

 

そうして、二度目の買い物が……私のとってはデートが始まった。

 

 

 

 

 

 

不誠実なのは間違いない。だがそれでも……最低限の礼儀は守りたい……

 

それが俺の偽らざる本音だった。

不誠実なのは言わずもがなだ。

俺は美綴を好意によらない理由でふるというのに、期待を持たせるように、買い物に付き合っているのだから。

もうじきこの冬木からいなくなると言うのは……遠くに行くのではなく、美綴が暮らしているこの世界からの消失を意味するのだ。

だから本来、少しでも可能性があると思わせるような事はしてはいけない。

だがそれでも美綴が望んでいることなので、俺は買い物に付き合うことにした。

そしてそれを自覚した上で、同じように楽しむこと。

決して義理で付き合っていると思わせないように。

しかし相手はさすがは美綴と言うべきか……改めてこの子が本当にすごいとよくわかった。

 

……以前とほとんど変わらないな

 

態度がほとんど変わってない。

とても好感の持てる、娘だ。

というか……俺よりも年下というのが信じられん。

といっても俺も高校生なのだが……。

 

まぁ……もう留年どころか退学だろうけどな……

 

休学扱いに学校側がしてくれるかもしれないが……親の承諾なしに出来るとも思えない。

そしてあの親がそんなことをするとも思えない……。

さて、俺の世界の俺の立場ってのはどうなってるんだろうか……。

 

帰ることが目的になってて、帰った後のことのあまり考えてないな?

 

というよりも考えられないというのが本音なのだが。

信じられないほどの自然豊かな世界で、怪物(モンスター)相手に狩猟生活……兼料理人生活。

しかもそのうち狩猟生活が何とか神狩りになった。

それが終わったと思えば、限りなく元の世界に近い世界で、完全な料理人生活……と思ったら今度は俺以上に人外の存在と死闘だ。

 

……なんだかんだでこっちの世界の料理人は結構大変なんだよな

 

衛生管理は当然モンスターワールドでも一緒だが、こっちはそれ以上に面倒だった。

というか、汚い。

こっちの世界は。

 

いろんな意味で……な……

 

人間とは……ここまで醜くなれる存在なのだろうか?

藤村組の様な連中もいれば、人を食い物にして金を……命を取ろうとする連中もいる。

ひどい目にあって……壊れてしまった男がいた。

壊れていることに気付かずに、それでもそいつは生きる意味を……助かった意味を自分で決めて、歩いていた。

壊されてしまった……娘がいた。

犯され、嬲られ……それでも壊れきることも出来ず、ただ耐えて耐えて……いた。

そして今、俺のそばには……美綴がいた。

この子は、ある意味で出来た……傑物のような少女だが、あくまでも普通だった。

二人に比べれば……裏の住人といえるあの二人に比べればそれも当然なのだが。

 

だがあの二人もまだ覚悟が完全に固まっていない、未熟な二人でしかない

 

不本意に裏の世界に足を踏み入れざるを得なかった、少年と少女だ。

まだ目覚めていないが……そう時間がかからずに目覚めるだろう。

士郎はしっかりと、やるべきことをやってのけたのだ。

ならば俺も……

 

しなければいけないことを……すべきだろうな

 

外道ではないと思っていたのだが……俺も十分に外道な野郎だと、つくづく思った。

 

 

 

だが正直、俺はまだこのとき、この俺のことを好いてくれた娘の……美綴のことを見誤っていた。

 

素直に言えば、見くびっていた。

 

それを俺はすぐに知ることになった。

 

 

 

 

 

 

あまり考えている余裕なんてなかった。

というよりも、正直あまり考えていなかったっていうのが本音かもしれない。

始まる前は緊張したし、どうすればいいのか悩んだりもした。

でも始まってしまえば、もう考えている場合じゃないし、それに考えることもなかった。

 

だって……楽しかったから

 

結局前に買い物に付き合ってもらった時と同じようなコースになった。

考えていなかったのだからそれも当たり前かもしれない。

普段見ている雑貨を見たり、CDを聞いたり。

 

「そう言えば結局携帯電話持たなかったですね?」

「あぁ。色々と面倒だからな」

「仕入れとかに便利だったりするんじゃないんですか?」

「固定電話で何とかなったしなぁ。というか俺、あんまり店の外に出る用事もなかったし。大河の出前を除けばだが」

「そういえば、よく来てましたね」

「格安で作ってたからな。運搬する時間を考えれば赤字だったよ」

 

相も変わらず、仙人みたいな生活をしていて……本当に私と同年代なのかと疑いたくなる鉄さんに驚いたりもしていた。

けれど今にして思えば……これがもしかしたら鉄さんなりの合図だったのかもしれない。

同年代で、同じ武道をしている人。

けれどその実力はまさに私とは隔絶していた。

それに……これが決定的だった。

何よりも……真剣を手にしている覚悟が。

 

「パンチングマシーンでは負けましたからね。次はアイスホッケーとかでどうですか?」

「……勝ちは譲らないぞ?」

「お、言いましたね。私これでも結構強いですよ?」

 

真剣を持っている、同年代の料理人。

これだけならばまだ真剣が好きな青年で終わる。

けれど料理の腕前も、剣の腕前も他を圧倒しているのなら話は別だった。

 

 

 

恋は盲目というけれど、これが原因だったのかはわからない。

 

 

 

どちらにしろ、私は気付かなかったのだ。

 

 

 

もしかしたら……気付いていたのだけれど、余り深く考えなかったというのが正しいかも知れない。

 

 

 

鉄さんが、普通じゃないって事に……。

 

 

 

 

 

 

「……もう、夕方ですね」

「……だな」

 

色んなところを見て回って、色んな事をして……楽しかったからか、時間は本当にあっという間に過ぎてしまった。

すでに日はだいぶ傾いてしまっている。

冬にしては暖かい日だったけれど、日が暮れてくれば途端に寒くなってしまう。

日が延びてきたとはいえ、それでも日は暮れる。

そして日が暮れれば……今日という日が終わりに近づいていることを意味している。

 

……どうしよう

 

残された時間はもうそんなに長くない。

だっていうのに……私はどうしても最後の一歩を踏み出すことが出来なかった。

はっきり言って、もう時間はない。

鉄さんがいなくなってしまうのは、わかっている。

だから時間がないのはわかりきっていた。

それでも恋をすると……諦めないと決めたのだ。

 

私の気持ちとは、裏腹にだけどね……

 

私がこれから言おうとしていることは、はっきり言ってただの逃げ口上でしかない。

単に諦めなかったという事実を自分に残したいだけなのかも知れない。

はっきり言って、私は鉄さんのことをほとんど知らない。

明らかに普通ではないこの人のことを、何一つ。

それを知らずに告白するというのは、ただの欺瞞かも知れない。

 

ただの自己満足かも知れない。

 

 

 

だけど……

 

 

 

それでもいいと思える自分がいた。

逃げているのかも知れないし、実際逃げていると思う。

けどそれでも、自分の気持ちに正直でありたいから、私は……心に決めていた言葉を、口にした。

 

「出会ったのは、朝のランニングの時でしたね」

「……あぁ」

 

新都と深山町を結ぶ大橋の歩道を、私と鉄さんはゆっくりと歩きながら、話をする。

別れが近づいているのがわかっているから、自然と話は鉄さんとの出会いの場面から始まった。

約一年前の早朝。

私が日課のランニングをしている時に、昔気に入っていた定食屋から鍋が落ちる音を聞いて、そのお店に興味を持ったのだ。

それから数日して、暖簾棒の具合を確かめている鉄さんの姿を見たのが……出会いだった。

湾曲した棒を暖簾棒に? と思ったけど、不思議とすぐに心になじんでいった。

それから間食を御馳走になった。

これが始まりだったのだ。

それからほとんど毎日入り浸った。

早朝という時間帯に、お茶を御馳走になって、話し相手になってもらったのだ。

今にして思えば不思議に思う。

鉄さんは常人離れしている……色んな意味で……とはいえ、歴とした男の人だ。

だって言うのに、毎朝一時間に満たない時間とはいえ、男の人と二人きりになるのを楽しみにしている自分がいた。

 

そう言えば……一人暮らしの男の人の家に、ほとんど毎日上がり込んでたのか……

 

自分のうかつさというか無防備さというか、そういうのに今頃気付いて呆れてしまうけど、それでもそれが楽しいと思った。

鉄さんも他の男と違って、私のことを無遠慮に見てくる人ではなかった。

 

まぁその辺は、衛宮も生徒会長も一緒だけどね

 

しかしあの二人は鉄さんとは別の意味で、同年代とは思えないので省く。

それからお店を無理矢理手伝って、今日のように買い物に付き合ってもらって。

 

その買い物の帰り道に、遠坂に会ってもらった一言が、致命的だった。

 

 

 

意識してしまったのだ。

 

 

 

そこからは、らしくないことだらけだ。

夏祭りに気合いを入れて浴衣を着て、鉄さんの出店に遊びに行ったり。

部長になったことで不安になった私のことを応援するために、弓道の大会まで足を運んでくれたりもした。

 

そして……私が襲われた時に、助けてくれた。

 

 

 

そう言えば、あのとき襲ってきた人って、捕まったのかな?

 

 

 

恐ろしい事を想像してしまって、背筋が凍りそうになった。

けど今はそれに潰されている場合ではない。

その恐怖に……真っ向から立ち向かって救ってくれた人が、そばにいるのだから。

相手がどれだけの実力者なのかはわからない。

腕に自信があるといっても、私はしょせん一介の女子高生にすぎない。

だから……私を襲ってきた人と、私のそばにいる鉄さんのどちらが強いかなんて、当然わからない。

 

わからないけれど……好きになってしまったのだ。

 

だから、今から踏み出す一歩はとても勇気がいったけど……それでも踏み出さない理由にはならなかった。

 

 

 

「約束しましたよね、鉄さん」

 

「……何をだ?」

 

 

 

「買い物に付き合ってください。そしてそのとき、私の話を聞いてくださいって……」

 

 

 

「忘れるわけがない」

 

 

後一歩。

後一歩で橋を渡りきるその一歩手前で……先を歩いていた私は足を止めた。

後ろからついてきている鉄さんは、私と同じように足を止める。

これから言うことを頭で思い描いて……一度深呼吸をして……

 

私は振り返りながら一歩を踏み出した。

 

 

 

「私は、鉄さんの……鉄刃夜さんのことが好きです」

 

 

 

橋が終わって深山町に足を踏み入れながら、私は鉄さんへとまっすぐ視線を向ける。

鉄さんは、驚くこともなくただただ真剣な表情をして、私の言葉を聞いていてくれた。

一言でも聞き逃すまいと。

そのあまりにも真剣な瞳が、逆に緊張していた気持ちをほぐしてくれた。

からかわれるなんてことは微塵とも思ってない。

だけれど普通の人以上に、この人は私の話を聞いてくれているのだということがわかったから。

 

意識してくれているのだと……わかった。

 

だから私は気持ちを固めた。

この立ち位置は、私が自分の気持ちを自分自身に見せつけるために選んだ立ち位置だった。

 

橋の上に……遙か先へと続いていた橋にいる鉄さんと……

 

地面の上に……こちら側で、足を止める私。

 

 

 

うん……これが私の限界かな……

 

 

 

限界と言うよりも、無理なのかも知れない。

そもそも挑むことすらも可笑しいのかも知れない。

それでも諦めないって決めたのだから。

 

 

 

私は素直に言葉を……口にした。

 

 

 

「鉄さんの事が好きです。これは嘘偽りのない気持ちです」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

「だから……ここにとどまって欲しいなんてことは言いません」

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

私の言葉が意外だったのか、鉄さんが間抜けな表情で、間抜けな声を上げる。

毎度毎度、こういう事でこの人の意表を突けるのが、嬉しいのか悲しいのかよくわからない。

 

というよりも、慣れてないのかな?

 

こういう事……恋愛事に。

そう考えると喜べる気がしないでもない。

そして、この意外な表情させたからこそ……ここで引くわけにはいかなかった。

 

これが鉄さんにとっての意外だって言うのなら……これが正解だってことだから。

 

悲しいことに……ね……

 

けれどそれはわかっていたこと。

最初から言っていたのだ。

この人は……。

 

自分の家に帰るって……。

 

それでも決めたのだから、嘘にしないために、私は言葉を続けた。

 

 

 

「ゲームとかだと、こんな場面で言う台詞はきっと「行かないで! 私と一緒にいて欲しい!」 って感じなんでしょうけど……柄じゃないし、それに……」

 

 

 

 

 

 

「その程度で止まる人じゃないだろうから……」

 

 

 

 

 

 

その言葉に、鉄さんは息を詰まらせたかのように、口を閉じた。

そして目を見開いた。

その鉄さんの口を開かせないために、私は更に言葉を紡ぐ。

 

自分の気持ちを……素直な気持ちを口にした。

 

 

 

「止まると思ってません。だから止めません。だけど……もう少しだけ私に時間をくれませんか?」

 

 

 

「時間……?」

 

 

 

「勘違いしないで欲しいのが、時間をかけて落とす……ってのは表現があれですけど、引き留めようとしてる訳じゃないんです」

 

 

 

「なら一体……」

 

 

 

「もう少しだけ、私と一緒に過ごして欲しいんです。もちろん恋人として一緒に過ごしてくれたら嬉しいですけど……それは高望みですし、まぁなれたら嬉しいですけど」

 

 

 

「だったら……」

 

 

 

「けど、私は鉄さんの今を……何よりも未来の邪魔をしたくないんです。だから引き留めません……だと語弊があるか。引き留め続けません!」

 

 

 

「……」

 

もはや呆気にとられたのか、鉄さんは口をぽかんとあけて、間抜けな顔をしている。

それが嬉しくもあって、悲しくもあった。

正解だってわかってる。

だけど、こんな形でしか、正解に至れなかったことが。

 

 

 

普通の恋愛がしたいのに~

 

 

 

残念だけど、まぁでもそれでも納得できる自分がいたから。

私は最後の言葉を口にした。

 

 

 

「好きです鉄……刃夜さん。だから私のために残ってほしいなんて言いません。だけど、もう少しだけここにいてくれませんか? もう少しだけ、私に時間をくれませんか? 私が……刃夜さんが……」

 

 

 

 

 

 

「互いのことを、忘れないように……」

 

 

 

 

 

 

これが私の精一杯だった。

もはや寒さなんて気にならないほどに、顔が赤くなっていた。

顔どころか、体も熱くなっていて、もう何も考えられなかった。

けど言いたいことは全部言った。

逃げていると思う。

叶わないとわかっているから、思い出をくださいなんて……ひどい言いぐさだと思う。

でも、最初から帰ると言っていた人に対して、自分の意見を押しつけるのだからと思う気持ちもある。

 

まぁどっちにしても卑怯なことに変わりはないか……

 

でも自分に正直ではあれたと思う。

例え卑怯であったとしても、それだけは卑怯じゃないと思えるから。

そうして私が自己満足とも言える告白をした。

身勝手で引かれてしまったかも知れない。

呆れたかも知れない。

もしかしたら……意味がわからないと言われるかも知れない。

それでも……どんな結果であっても受け入れる。

 

その気持ちだけはちゃんとあった。

 

 

 

「……ふぅ」

 

 

 

そんな私に対する鉄……刃夜さんの反応は、吐息だった。

先ほどまでまっすぐと私へと向けられていた目線は……夕日が沈んでいく、海へと向けられていた。

 

えっと……

 

聞こえなかったわけでも、無視をしているわけではないのだと思った。

ただ静かに、夕日を見つめて考えているのだと……思った。

 

「……ここまでしてくれたのなら、話すのが礼儀ってものか」

 

 

ぼそりと呟かれたその言葉は、私の耳には届かなかった。

だけど鉄さんも何かを決めたかのように、もう一度息を吐くと……私に向き直った。

 

「美綴綾子さん」

「はい!?」

 

フルネームで名前を呼ばれてびっくりしてしまって、思わず声がうわずってしまった。

そんな私のうわずった声には得に反応を示さず、刃夜さんは腰を曲げて、私に頭を下げた。

 

「申し訳ないが、それは出来ない」

 

綺麗に腰から曲げられた謝罪の態度は、その態度と同じ意味の言葉が鉄さんより紡がれた。

ダメだってわかってたし、ダメになるとも思っていた。

それでも期待していたのも当然事実だから、どうしても気持ちが沈んでしまう。

一度頭を下げて謝罪をしてから、鉄さんは頭を上げて理由を聞かせてくれた。

 

「俺には美綴と……綾子さんと恋人になる訳にはいかない。前にも話したとおり、俺は帰らなければいけない」

 

……ん? 恋人?

 

確かに恋人になれたらとは思っていたし、そんな感じのことも言ったけど、最終的に私がお願いしたのはもう少し残っていて欲しいと言うことだ。

それを刃夜さんが理解していないはずがない。

だけど、刃夜さんの話は続いた。

 

「事情を言えないのが心苦しいが、どうしてもしなければいけないことがあってな。だから帰らないといけない。だから、恋人を作るなんていうのは出来ない。それに……正直に言わせてもらえるのであれば、想像すらもしたことがない」

「えっと……あの……」

「自分の腕を磨くのに一杯一杯でな。だから恋人なんて考えたことはない。かといって当然俺は同性愛者じゃない。子供だって欲しい」

「あの……刃夜さん?」

「でもそれは今じゃないんだ。少なくとも帰ってからでないと、俺はまともに考えることが出来ないんだ。恋人なんて存在は。だから……本当に申し訳ない」

 

なんというか……こっちのことは見ているのに、まるで用意された台詞をそのまま読み上げている様な感じだった。

そう考えていると言い終えたのか、鉄さんが息を一つ吐いて……一度目を閉じて、苦笑した。

 

「以上が、俺が美綴の告白を断るために用意しておいた、理由という名の台詞だ」

「……はい?」

「驚くべき事だが、よもや俺が告白されるなんてイベントが、あるとはな。二度目でもびっくりだ」

 

二回目って……一回目は!?

 

「まぁそれはともかくとして……。こう言って、俺は美綴の……綾子さんの告白を断ろうと思っていたんだ。恋人になってくださいって告白のな……」

「? それってどういう?」

 

 

 

「それを見事に……あいつと一緒で、意表を突かれたというか。……やられたっていうか」

 

 

 

あいつ?

 

誰のことを言っているのかわからないけど、その言葉に込められた思いは今までの理由の台詞とは全然違った。

それがわかるくらいにはっきりと……刃夜さんは優しげな苦笑を浮かべていた。

 

「美綴綾子さん」

「は、はい」

「買い物に付き合った礼っていうのもアレなんだが、これから少し時間はあるか?」

「えっと……ありますけど?」

「ならすまない。俺からも話があるから、和食屋二号店(・・・)まで一緒に来てくれないか?」

 

二号店?

 

いつの間に二号店が出来たのか? そんな当然の疑問が私の頭に浮かんだ。

私の疑問が当然理解できるのだろう。

刃夜さんは苦笑していたけど、すぐに顔を改めた。

 

「もう一度結論を言っておく。綾子さんの願いを叶えることは出来ない。恋人になるのも、もう少しここに残ることも。その本当の理由を説明したい」

 

本当の……理由……

 

「本当の理由を言うのは俺の自己満足だ。聞いても聞かなくても結果は変わらない。それでもいいというのであれば……だが……」

 

確認してくる鉄さんの言葉。

だけれどそれは意味のない問いだった。

結果が変わらないのであれば、聞いても意味がないかもしれない。

けど、刃夜さんが話してくれると思ったのに、意味があるのなら。

なら聞きたい。

聞いてみたい。

私の態度で察したのか、先にいた私をおいて刃夜さんが歩き始めていた。

別段速いわけではないけど、もしも二号店が私の想像しているいつもの店と違うのであれば道がわからない。

そのため私は慌てて刃夜さんの後を追った。

先ほどと違って私が後ろをついていく形になった。

何となく、この立ち位置が話の主導権をあらわしている気がした。

そして深山町の住宅地を歩いていく。

刃夜さんについていくのだけれど、この道順はどう考えても……

 

いつものお店への道……

 

そしてその私の予想は違えることなく、いつものお店に到着した。

 

でも二号店?

 

その言葉の意味が全くわからなくて、思わず足が止まってしまいそうになった。

けれどここで止まるわけにはいかないのだ。

さっき刃夜さんが言った、断ろうとしていた理由の台詞。

つまり今から聞かされるのは、それとは別の台詞……きちんとした理由という話。

それが一体どんなものなのかは全く想像できない。

一年近く通い続けたこのお店の敷居をまたぐのは怖い位に思えてしまう程に。

 

けれど……

 

刃夜さんが私のさっきの告白を聞いて話したくなったというのは、きっと意味があったということなら。

これを聞かずに帰ってしまうのは、それこそ本当に逃げたことになってしまう。

自分の恋愛を諦めないと決めたのだから……私は勇気を出して一歩を踏み出した。

 

「いつものカウンターだとちと都合が悪いから、四人テーブルにでも座っていてくれ」

 

覚悟を決めて踏み込んだ私に背を向けたまま、刃夜さんは奥へと……居住スペースへと入っていく。

そしてすぐに、二つの物を持って来た。

一つは実にシンプルな拵えの真剣。

そしてもう一つは……少し小さめの包丁だった。

 

「これは俺にとって、始まりの得物達だ」

「始まり?」

「まぁ夜月はある意味で本当の始まりってのとは違うのだが……あいにく、子供用に鍛えられたあいつは俺の実家の……元の世界にあるからな。こいつで代用する」

 

元の世界?

 

意味のわからない単語を口にしながら、刃夜さんは私が座っている席の反対側に腰掛ける。

私の疑問を抱いていることがわかっているはずなのに、刃夜さんは何も言わない。

そしておもむろに拵えから日本刀を抜刀した。

 

うわ……本物だ

 

武道をやっているため、真剣を見る機会がない訳じゃない。

けれどここまで間近で見るのは初めてだった。

 

綺麗だね……

 

まさに日本刀と言われる物がそばにあった。

打刀と言われる物だろう。

あまり詳しくはないけれど、一般的な長さの物だと思う。

そして私がそれとなく抜かれた日本刀を観察していると、刃夜さんが目釘を抜いて柄から刀身を外した。

更にいつの間に取り出したのか、なんか小さな枕みたいな物を机において、それに刀の刀身を乗せた。

後にこれは刀枕と呼ばれる物だったことを知る。

鞘から抜かれ、柄も鍔も外して……テーブルの上には完全に抜き身になった日本刀が一振りと、小さな包丁がおかれた。

 

「この日本刀の名前は夜月。俺の爺さんが、俺が生まれた日に鍛え上げた、俺にとってもっとも大事な日本刀だ」

「おじいさんが? 刃夜さんの実家って……」

「表向きは鍛冶屋だ」

「……表向き?」

 

表向きというその単語が……あまりにも平坦な声で言われた。

その声が……どこか薄ら寒さを感じさせる。

冬の夕暮れ……逢魔が時。

飲食店でだったお店には音もほとんど鳴らず、私と刃夜さんの息づかいだけが……私たちの耳に聞こえてくる。

暖房も入れているのにどこか冷たさを感じる、部屋の中で……あまりにも驚きの話が、語られた。

 

「裏では悪人殺しをして、暴力で擬似的な平和活動を世界各地で行う殺し屋。それが俺の実家だ」

 

殺し屋?

 

あまりにも突飛な単語で、思わずきょとんとしてしまう。

そんな私に……刃夜さんはすっと手をさしのべてきた。

何をしたのかとその手を見てみると、いつの間にか握られたのか、短刀が私の首元に向けられていた。

 

というかその短刀……どこから?

 

「俺は素手でも人を殺せるが、口で言ってもわからんだろうからな……まぁ実際に殺されたっていう実感がわきやすいように、刃物を向けた。突然すまなかったな」

「……いえ」

 

短刀を腰にしまって、刃夜さんは私に深々と頭を下げる。

確かに今の一瞬、私は刃夜さんに殺された。

殺すことが可能だった。

あまりにも鮮やかに、静かに。

そして頭を上げると同時に……話を続けた。

 

「ここであってここじゃない日本で、俺はそういう表と裏、二つの面を持つ家の長男として生まれた」

 

ここであって……ここじゃない?

 

その言葉の意味が聞きたくなったけど、まだ刃夜さんの話が終わってないので、私はただ黙って刃夜さんの話を聞いた。

きっとそれの意味も教えてくれるだろうと思ったから。

 

「物心ついた時にはすでに修行の日々だった。木刀、真剣、徒手格闘術に呪術。銃を用いた近代戦術とか多岐にわたった」

 

知っているけど、実際に聞くことのない単語がいくつも出てくる。

もしやこれは作り話で、私のことをからかっているのではないかと疑ってしまいたくなる。

けれどそんなことはないと、すぐに理解できた。

 

 

 

「そして俺は鍛造の技術、人殺しの技術を叩き込まれて……海外に何度も出向いて、悪人共を殺してきた」

 

 

 

 

 

 

 

殺してきた。

手にした得物と技術。

それは疑いようもなく、人を殺すための力。

疑いようもなく、疑う余地もなく、刃夜は人殺しであることを、静かに明かした。

柄も外し、刀身だけの状態となった夜月の茎を握り、その刃紋を見つめる。

 

「それから十年と八年。俺は表向きの仕事を行うために、タンカーに乗って海外へと渡っていた。その帰り道に……俺は突然未知の世界にいた」

「未知の世界?」

「そう。文字通り未知だった。ゲームに出てくるようなモンスターがわんさと出てくる、そんな世界に?」

「ゲーム? モンスター? えっと……」

「その世界でまぁいろいろとあって、再び冗談のように世界を渡った。そして気がついたら……大河に撥ねられていたらしい」

 

疑問を向けてくる美綴を放っておいて、刃夜は淡々と事実を語っていく。

当然全てを語っていては深夜を迎えてしまうので、モンスターワールドの事はほとんど省いていたが。

 

「え……えっと……」

「まぁ駆け足だが俺の人生を語ってみた。二号店って意味も、わかったかな?」

「ほ……本当、なんですよね?」

「嘘だったら俺としても良かったんだがな……」

 

さすがは現代社会の日本の女子高生。

ゲーム、マンガやアニメなど、膨大な作品に溢れているこの世界では、並行世界という概念を説明する必要がないのは、とても楽なことではあった。

 

楽ではあっても……決して楽しくはないのだが

 

美綴はあまりにも突飛な話で頭を抱えんばかりだった。

そんな普通の反応がおもしろく思えて……士郎や凜、桜なんかは案外すんなりと受けれていていたため……刃夜は苦笑を禁じ得なかった。

そして……テーブルの上に置かれている包丁を手に取った。

 

「まぁそんな破天荒すぎる人生を歩んでいる。成功と失敗を繰り返してな」

「失敗って……」

 

その失敗がどんなことを意味するのか何となく理解できるのだろう。

美綴は思わず止めようとしてしまった。

絶対にいい思い出ではないのだから。

だが気付いてしまった。

小さな……まるで子供用のようなサイズの小さな包丁を手にして、それを見つめながら語ろうとしている刃夜の姿が。

包丁を見ているはずなのに……まるでどこか遠くを見ているような刃夜の姿。

 

それが、自分に話をしながら、自分自身にも語りかけているのではないかと、そう気付いた。

 

何より、これだけの事を話そうとしてくれている刃夜の口を止める訳にはいかなかった。

何せ話を聞くと決めたのは自分自身なのだから。

だから……美綴はただ静かに刃夜の話を聞いた。

 

 

 

 

 

 

物心ついた頃から修行をして、実地訓練と言われて戦地に初めて訪れたのは、小学校に入学して初めての夏休みの時だった。

子供といって何ら差し支えのない年齢で、俺はすでに何人もの人を殺していた。

当時の俺のために鍛えられた得物で、現地で手に入れた銃器で、何もなければ拳で。

 

まぁ銃は拳銃でも相当使いにくかったが……

 

サイズが大人用しかない……当たり前だが……ため、子供が扱うには逆に難しかった。

かといってもっと大きなライフルなんかを使う……子供でも銃のサイズ自体が大きい故に、拳銃よりは扱いやすいが……のは、はっきり言って大きすぎて邪魔だった。

となると拳銃を無理矢理使う感じだったので、基本的に刀か徒手空拳が主体になる。

あと棒手裏剣。

今考えても何の意味もないのだが……家がそういう家とはいえ、十にも満たないガキが悪人とはいえ人殺しをするのをやらせる家ってのは、なかなか無いだろう。

 

まぁ進んでやっていたわけだが……

 

殺しがしたくてしていたわけではない。

快楽で人を殺したいなどと思ったことは、心から誓って一度もないと言えるからだ。

子供心ながらに行われていた悪事が、ひどいことはわかっていた。

故に教えられて鍛え、身に着けていった技を使うのに躊躇いはなかった。

かといって、初めて人を殺した時の感触を忘れたことは決してない。

 

「その失敗と、この包丁は何か関係があるんですか?」

 

俺の説明を聞いている綾子さんは、本当に聡明だった。

包丁の件ではなく、一切俺に質問をしてこないことがだ。

並行世界の概念を知っているというのもでかいだろうが。

それでも俺の話が本当のことだと知りながら、ここまで実直に素直に、聞き取れることは並大抵の胆力ではない。

ましてや綾子さんは本当に一般市民だ。

魔術も知らず、当然の裏の世界のことなど知りようもない。

それでもなお、俺の話を聞けるというのは……

 

本当に……すごいな……

 

心から感嘆しつつ、俺は更に話を続けた。

 

「そうだ。これは俺が料理を志すことを誓った日に……爺さんが鍛造してくれた包丁だ」

 

俺は何も最初から料理を極めようと思っていたわけではなかった。

最初は鍛造と戦闘のことしか考えていなかった。

だが力だけでは、どうにも出来ないことを知ったのだ。

いつだったかなど……忘れるわけもない。

あれは俺が中東に三回目に派遣された時の事だ。

当時俺は八歳だった。

得物として与えられた脇差しとナイフ。

そして現地で仕入れた銃器を使って俺は、何人かの悪人を殺した。

悪人を殺して、捕まっていた子供を助けに行った。

 

そこにいたのは……何の拘束もされていない非力な子供達だった。

 

俺はそれを見て絶句した。

拘束することが無意味なほどにやせ細り、目には意思の光りすらも宿らないほどに力なく倒れている、子供達。

片言で簡単なことでしか話せない俺は、それでも何とか助けようと声を上げた。

だが捕まった子供達は、俺を警戒して近づいてこようともしなかった。

それは、さらに奥にいる小さな子供を守るためだった。

そのとき、俺はどう行動すべきだったのだろう?

まだ当時の俺は八つだった。

腕に自信があるなんてとても言えない。

だから自分の命を守るのにも必死だった。

 

もしこのとき全ての得物を捨てて説得してれば、最低限でも……助けられたのかも知れない……。

 

かといって捕まってひどいことをされていた子供達に手荒なまねが出来るわけもなく……結局何とか何度も言葉を伝えて、信じてもらうしかなかった。

そこまでは良かった。

だがその奥にいた……他の子達に力なくとも庇われていた子を見て、俺は目を閉じるしかなかった。

もう灯火が消える寸前に弱った子だった。

骨と皮という言葉しか思い浮かばない体躯。

当時の俺よりも年上なのは、上背を見ればすぐにわかったが……それでも俺よりも体重が軽いことは、瞬時にわかる……。

そんな体躯されてしまった少年が横たわっていた。

だがそれでも……せめて助かったことだけでも伝えたくて、俺はその子の手をそっと握った。

 

助けに来たよと……

 

へたくそな発音で、優しく、何度も呟いた。

その声が届いたのかわからないが、その子は俺を見て穏やかに笑った。

そしてすぐに俺以外の助けが来てその子供達は助け出されたのだが……奥で庇われていたその子だけは、時間が少し足りずに命を落とした。

重度の栄養失調だったらしい。

また、俺が助けた他の子達も、結局俺のことが最後まで怖かったのか、うち解けることが出来なかった。

 

助けに行った存在に……言葉が通じない人たちに悪意がないことを伝えることが、どれだけ難しいのか。

 

また死んでしまった子供は、最後にこう呟いていたらしい。

 

お腹がすいたと……。

 

その子にとって、もう助かる、助からないことはどうでも良かったのかも知れない。

 

だけど最後に……少しでいいから、何かを口にしたかった。

 

 

 

俺はあの子の命も……心すらも、助けることが出来なかったのだ。

 

 

 

その奥で庇われていた子は、元々みんなのリーダー的な存在であり、他の子達を庇っていたらしい。

だがそのため、悪人達に目の敵にされてひどい仕打ちをされたという。

手足の健が切られていた。

そしてリーダー格を封じることで、他の連中も逃げられないようにしたという。

その子も決して強かった訳じゃない。

だが勇気があったのだ。

他の子達のために、自分を盾にすることの出来る……勇気が。

 

 

 

力だけではダメなのだ。勇気だけでもダメなんだと……

 

 

 

正しい行為だ……人を庇うというその行為は……

 

 

 

だが、それで自分が死んでしまっては……結局救った人も悲しませてしまう。

 

 

 

それにもし……その正しい行為をして生きていける世界であれば……。

 

 

 

 

 

 

あの子は命を落とすことはなかったかも知れない……

 

 

 

 

 

 

だから俺は誓ったのだ。

 

 

 

助けに行った存在を、本当の意味で助けられるように。

 

命だけではなく、心さえも助けられるように。

 

だがかといってすぐに言葉が話せるようになれば苦労はしない。

 

 

 

そして当然だが……そんな簡単に世界が変わる訳がない。

 

 

 

どうにかして言葉が通じなくても、敵意がないと伝えられる技術が欲しかった。

 

また言語はあまりにも多岐にわたる。

 

ならばどうすればいいか?

 

そのとき思いついた……というよりもその子の願望を叶えることが出来なかった自分の未熟を克服するために、俺はその日から料理を学ぶと決めたのだ。

 

料理ならば、心を癒すことが出来る。

 

様々な国の料理でも、知識と技術で作ることが出来る。

 

言葉よりは、通ずることがしやすいのではと……思ったのだ。

 

だから俺は料理を学んだ。

 

そう……元々人を殺すのが好きじゃない、出来ればしたくないのだ。

 

だから、俺は料理で一人でも多くの人を喜ばせたいと……そう思った。

 

 

 

 

 

 

「以上が、俺が料理を学ぼうと思った理由だ」

「……」

 

言葉が出なかった。

嘘にしか思えない。

だって小学校一年生で……すでに人を殺したことがあるなんて。

それどころか、海外に何度も行って悪人とはいえ、何人もの人を殺したことがあるなんて。

 

さらに……異世界の人間だなんて……

 

正直に言わせてもらえれば、意味がわからなかった。

いや意味自体はわかっている。

理解できないというのが正しい。

 

いや、理解は出来るんだけど飲み込めないって言うか……でもそれって結局同じ事で……

 

もう何が何だかわからなくなっていた。

だって、あまりにも予想していたのとは全く違う内容で。

正直に言ってしまえば、今ここで誰かが「どっきり大成功」とか書かれたプラカード持ってきてもらった方が、よほど納得が出来る。

 

まぁそんなことはあり得ないだろうけど……

 

そんなことをする人だとは思ってないし、話している時の態度がそれを物語っている。

けど、今聞いた話があまりにも大きすぎて、飲み込むのは困難だった。

 

「自分がやってきたことのけじめをつけるために、俺は俺の世界に帰らないといけないんだ。だから、俺はこの世界にこれ以上とどまる訳にはいかない」

「帰って……どうするんですか?」

「どうもしない。今まで通りの生活を送る」

「それって……」

 

 

 

「俺が悪だと判断し、悪人に手を下して……一人で多くの人の尊厳と命を救う」

 

 

 

「……」

 

確かな何かを感じさせる、そんな言葉だった。

そしてそれ以上に……拒絶を感じさせる。

 

「俺は俺の世界での人殺しだ。だから……俺は帰らなければいけない。帰らないといけないんだ」

 

……どうしたんだろう?

 

先ほどまでと違って、何故か今の刃夜さんの言葉は、どこか苦し紛れに言っているような気がしてならなかった。

けどすぐに一度小さく首を振って、そんな雰囲気を払拭していた。

 

「まぁともかくそう言うわけだ。未熟者故恋愛事にかまけてられないってのも理由の一つだが、それ以上に俺にはどうしても早く帰らなければいけない理由があるんだ。だからすまない」

「いえ……まぁ本当のことなんでしょうから、それは大丈夫です」

 

大丈夫というのは嘘かも知れない。

だって、どうあがいたって刃夜さんのことはわかっていないのだから。

普通に生活していて、普通に高校に通っているだけの私に、人を殺すなんて事想像出来ないのだから。

無論私だって聖人君子じゃない。

死んだ方がいいとか、死ねばいいのにと思ったことはある。

でもそれは私がただ個人的にそう思っただけの事であって、当然本当に死ねばいいなんて思ってない。

けど刃夜さんは違うのだろう。

主観だけじゃなく、客観的に見ても悪人と言われる人を殺してきたんだと思う。

そして……自分自身がその悪人になっていることも理解しているんだと思う。

 

そんな重いっていうか……大きな事、わからない。けど……

 

 

 

刃夜さんが自分の事情を優先するというのなら……

 

 

 

「そう言ってくれると助かる」

「でも……」

「?」

 

 

 

「まだ……時間はあるんですか?」

 

 

 

 

 

 

私は、私の事情(気持ち)を優先する!

 

 

 

 

 

 

そしてそれ以上に、これで終わりにしたくないって言うのが、私の本音だった。

確かに事情があるのはわかった。

でもそれは私が本当の意味で失恋した訳ではないと思う。

私のことを全く意識していないのなら、こんな話なんてしてくれないと思う。

つまり自分の事情を優先して、刃夜さんは自分の世界に帰るって事。

だから私のが事が嫌いって訳じゃないんだと思う。

 

そっちの事情は、はっきり言って完全に理解している訳じゃない……けど!

 

事情を話してくれたのは素直に嬉しかった。

嘘みたいな話だけど、刃夜さんの態度を見れば、嘘じゃないのも、妄想じゃないのも理解できる。

だったらやることは一つだった。

 

負けてたまるか!

 

引き留める気なんてもうない。

引き留めてなんてあげない。

帰る時になって、本当にわかれるのが惜しくなるくらいに、私は惚れさせてみせる。

あの日……買い物をする約束をした時に私はこう思ったんだ。

 

惚れさせてみせるって!

 

だから、まだ時間があるというのなら、惚れさせて別れが惜しくなるくらいにしてみせる。

そうでないと私自身が納得できない。

だから……

 

「ないって事はないと思うが……」

「だったら、また買い物に付き合ってもらいます」

「いや……しかしだな」

「別に引き留めるつもりはありません。もうそんな気持ちは捨てました」

「? だったら?」

 

 

 

「刃夜さんが離れたくないって位に想ってもらいます。でもだからといって、引き留めませんし、私も縋りません」

 

 

 

そう、引き止めてなんて上げない。

残ると言っても、強制的に帰してみせる。

私が振られたんじゃなく……振って上げるつもりで行くことにしたのだ。

 

そうじゃないと、なんか負けた気がするしね

 

今の一言で私の意図を察したのか、刃夜さんが一瞬だけきょとんとして……苦笑した。

 

 

 

「お前……やっぱりいい女だよ」

「そういう刃夜さんは嫌な男ですね」

「それは失礼。否定できないところが悲しいな」

 

私の嫌味に対して、刃夜さんはただ肩をすくめただけだった。

その仕草に余裕を感じて、少し悔しかった。

だから絶対に落としてみせると誓ったのだ。

 

誓ったのだけれど……

 

やっぱり人生ってのは、そう簡単にうまく運ばないってのを、私はこの後すぐに知った。

 

 

 

 

 

 

いい女だよ……か。それに対して嫌な男……ぐうの音もでんな

 

美綴……綾子さんが帰宅して、俺は反省会というか、今日のことを思い返して笑うしかなかった。

 

レーファと同じで、ここまで裏をかかれるというか、予想の斜め上を行かれると、もはや笑うしかないな

 

俺が単純というかバカなのか、それとも向こう側が上手なのか……ともかく俺は恋愛というか、男女関係の事に関しては全てにおいて負けてばっかりだった。

それだけ未熟者ということなのだろう。

 

フィーアは……ちょっと違うか

 

荷物の整理をしながら、俺は以前の世界の……モンスターワールドで出会い、わかれた人たちのことを思い出す。

現実世界で……今いるこの世界と大差ない世界で生きていた俺が、何故かモンスターワールドへと向かったこと。

そして、何故モンスターワールドから帰る際に、俺はこの世界に紛れ込んだのか?

それを知っているというか、関与しているのは間違いなくあの二人だろう。

だが関与していたとして……何故そんなことが出来る?

 

ただの爺と親父じゃないってのは……俺が誰よりも知っているつもりだったが……

 

ただの人間じゃないことは、俺と同じ裏家業を行っているのだからそれも当然といえるだろう。

だが、それだけではないようだった。

そうでなければ、異世界から帰っている俺に対して、あんな言葉が聞こえてくるはずがない。

 

空耳って可能性も……あり得なくはないわけだが……

 

しかしそう思うも、俺は間違いなく実際に聞こえていた。

聞こえてきたのだ。

だから幻聴でも空耳でもないと思うのだが……

 

スケールがあまりにも可笑しくて余り納得できない感じだが……

 

そう疑問符を浮かべながらも、俺は移動するための準備に余念がなかった。

元の世界から持ってきている荷物とは別に、モンスターワールドで手に入れて荷物を入れている荷物入れ、そして……今回移動に伴って新しく仕入れた荷物の準備を、俺は入念に行っていた。

素直に帰れないことを想定している時点で、俺は帰りたいと思いつつも、まだ帰れないことをわかっていたのだろう。

この程度で終わるとは、何故か思えなかったのだ。

だからちょっと違法なこともした……違法であっても悪いことではない……し、さらに食料品の買い出しや、あろう事か作物の種や、小さな苗、それらの肥料なんかも購入してしまった。

飲料水を保存するための丈夫な容器なども万全である。

さらには、テントさえも購入していたりする。

 

……あれ? 俺明日キャンプにでも行くんだっけか?

 

この場で違法な物や種を除けば、思わずそう思えてしまうくらいに、今の俺の荷物はアウトドア仕様になっていた。

いっそ現実逃避で明日キャンプでも行ってしまおうか……そんなことを考えてしまう。

 

それも楽しそうだなぁ……

 

後僅か数日程度しか、この世界にとどまれないほど現金を使用するくらい、準備に奔走していたため、考え得る限りの準備を終えてしまった。

そのため、かなりの大荷物になってしまったのだが……文字通り命を金で買ったような物なので、何ら後悔はなかった。

 

準備不足で死ぬとか……それこそ死んでもごめん被りたいしな

 

一通り点検を終え、いつでも持ち出せるようにまとめて一つの場所に置いておく。

当然運搬する際に不便がないように、縛り付けるためのロープなんかも用意してある。

荷物は具体的に……最初所持していた鍛造道具一式及び衣服などが入ったでかいリュックサック。

刀入れ。

モンスターワールドで手に入れたポーチに、モンスターワールドの世界の荷物などを入れた背嚢。

この世界で購入したボストンバッグに食料品など生命維持に必要な荷物各種。

食料を生産するために必要な種や苗、それらの肥料に農耕栽培入門編の本数冊。

そして、サバイバル重視のリュックサック、他違法な物を入れるためのリュック。

テント一式。

これに狩竜や封絶が加わるので……大荷物でも生ぬるい重量となっている。

更に運搬に便利なように、組み立て式の台車も購入した。

 

……キャンプと言うよりも災害時訓練って感じだな

 

一通り準備を終えてた荷物を見て……俺は内心で笑うしかなかった。

ただ……あまり考えたくない推論だが、もし仮にあの二人ないし、どちらかに超常的な力を有していたとしたら、きっと何かしらの事はしてくる。

もしかしたらこの準備したもの全てが無駄になるかも知れないが……そのときはそのときだった。

 

準備不足で死ぬのは以下略

 

と、考えていたためだろうか……?

だからなのか……それともあの二人組の策略なのだろうか?

俺は……正しくは俺の左腕の力が……異変を感じ取った。

 

 

 

ん?

 

 

 

準備を終えて一休みしていると、不意に左腕に違和感があって俺はその違和感を覚えた方角へと意識を向ける。

するとその意識を向けた場所は……見事に地底深くだった。

 

これは……嫌な予感というか嫌なことほどよくあたるというか……

 

『何か起こったようだな』

『みたいだな。どうしてこう……俺って奴は……』

『なんというか……災難だな、仕手も』

 

封絶も気付いたようで、俺にそんな慰めの言葉を向けてくる。

俺はそれに返す気力もなくなっていた。

しかし愚痴を言っても始まらないので、俺は仕方なくまとめた荷物を身に着け始めた。

 

 




遅くなって理由は……怒られるかもしれないけど、活動報告にあげます


暇な人は読んでみてください
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