「再調査? ですか?」
「そうだ」
薄暗い部屋だった。
その部屋にいるのは、シンプルだが格式高さを感じさせる机と椅子。
そして、その椅子に腰掛けた人物。
そして机の前に立ち、対面している若手の男がいた。
椅子に腰掛けた人物は目深にフードを被っているため、性別だけでなく体格も判別できない。
だが、その声に含まれた圧力が……ただ者でないことを物語っていた。
声質からして男なのかも知れない。
だが、声色だけでは絶対とは言い切れない。
そしてそのただ者でない人物と相対して、平然としていられる男も、やはりただ者ではないのだろう。
いくつかの蝋燭だけが光源の部屋の中で……二人は静かに会話を続ける。
「冬木における聖杯戦争。数年前に行われた第五次聖杯戦争。その終わり方は、あまりにも不自然な点が多すぎる」
「確かに……」
椅子に腰掛けた人物の言葉に、対面する男は素直にそう呟いていた。
聖杯という、真の遺物を召喚するための魔術の儀式。
数百年に及び続けられてきた、ごく一部の人間しか知り得ない儀式だ。
その五回目の儀式が数年前に行われて……唐突に終わりを告げたのだ。
何の成果も成さず。
災厄も起こすことなく……。
「監督役の失踪。満ちた魔力の消失。そして土地の管理者であるトオサカを守るようにして時計塔へと現れた、宝石翁」
宝石翁と呟いた時、場の空気が軋んだ。
何か……思うところがあったのだろう。
軋んだことに気付いていながらも、男の態度に一切の変化はなかった。
「宝石翁が弟子をとると宣言をしたため、すでに終わってしまった聖杯戦争どころではなくなった。宝石翁の態度から見ても……何かがあるはずだ」
「それ故の再調査ですか?」
「その通りだ。すぐに行うのは難しかったが……今なら、あるいは……」
調査を命令された男は、特に何も言うことはなく、小さく会釈をして部屋を出て行った。
「えーそれでは本日の花見を祝って……乾杯!!!」
「「「「「乾杯!」」」」」
藤ねえの乾杯の音頭の後、各々が一斉に同じように声を上げた。
春。
あれから幾度かの四季が巡った。
今こうして……盛大に花見を行えるのは、とても幸せなことだった。
「あ~~~~! タイガ! それはワタシのカラアゲよ!」
「知ったことですかい! 早い者勝ちよ!」
「大河。さすがにそれは少々大人げないぞ?」
「もうおじいちゃん! 最近この悪魔っ子を甘やかしすぎ!」
「まぁ確かにちょっと大人げねぇかな? ねーちゃん。それよりこっちの煮付けはどうだ? 今朝方俺が釣ってきたのを坊主に調理してもらったからうまいぜ?」
「ほう、士郎が煮付けたものとな? おにーさん、釣り好きだねぇ」
「まぁな」
「嘘をいうなランサー。それは私が釣ってきた金目だ。そもそも貴様、最近ほとんど釣れてないだろう?」
「てめぇ……アーチャー。んなわけあるか。こいつは俺が釣ってきたのだ。つーか俺の釣り場を荒らすな!?」
「こら、あんたたち。私はまだ帰ってきたばかりで疲れてるんだから、騒がしくしないで」
「リンの言うとおりです。二人とも下らないことで喧嘩しないでください。それよりもランサー。ワタシの眼に狂いがなければ、あなたは他にも高級魚を釣っていたはずです。その調理した品を所望します」
「んあ? あーあれならあっちだ。というかめざといな?」
「士郎と藤村組の料理人の料理でしょう? それを見逃すわけにはいきません」
「宗一郎様、こちらをどうぞ。その……私が作った筑前煮です。い……いかがですか?」
「……悪くないな」
「!? どんどん召し上がってくださいね!」
……うん。騒がしすぎな気がしないでもないけど
大きな一本の桜の根本。
そこで俺たちは、盛大に花見を行っていた。
周りにも当然花見客がいるけど、俺たちの周りは藤村組の人たちで固まっているので、ほとんど身内で騒いでいるような物だった。
雷画じいさんの粋な計らいで、ほとんどの組員がこの花見に参加して桜を愛でながら、春の訪れを感じていた。
「ふふ……賑やかですね、先輩」
そして、この平和な春の訪れを感じていると……自分のすぐ隣から、自分にとってもっとも大事な声が、笑いかけてくる。
俺はゆっくりと、自らの隣に座った人物へと眼を向ける。
そこには以前よりも少し髪を伸ばした人がいた。
髪は伸びても、それでも左側を古びたリボンでまとめていた。
そして……右手にシンプルな杖を手にした桜がいた。
「あぁ、そうだな」
俺は柔らかく、だけどどこか暗く微笑む桜に、同じ笑みを返していた。
第五次聖杯戦争からすでに数年の月日が流れていた。
その間、驚くべき事に何事もなく、実に平和な日々が続いていた。
まるで泡沫の夢のように。
一人一人が、町を滅ぼすのにそう時間がかからないほどの実力を有したサーヴァントがいるというのに、ここ数年この冬木の町で魔術による騒ぎが起こったことはなかった。
「はぁ……それにしても疲れたわ。あっちでの生活も楽じゃないわ」
溜め息混じりに注がれたコップの中身を飲み干したのは、冬木の管理者である凜だった。
以前よりも伸ばした髪が、少し大人びた雰囲気を漂わせている。
また英国帰りだからか、以前よりもよりシックな衣装を身に纏っており、それが実に似合っていた。
そんな凜に、かいがいしく面倒を見るのは……それともみさせられているのかは不明だ……彼の従者である、アーチャーだった。
「お疲れ様だな凜。向こうでの留学状況はどうだ?」
「面倒なことしかないわよ。まぁそれを承知の上で行ったのだから、文句も言ってられないんだけど。まぁ問題はなさそうね」
一応周りに一般人がいることを考慮してそれなりにぼかしている。
だが、凜であれば問題ないのは間違いないだろう。
魔術師としてかなり優秀な部類に入り、性格もかなり強気だ。
更に魔術を含めた実戦にしても、聖杯戦争で命を賭してサーヴァントと戦ったという経験。それを経験のは、今この地球上で存在する人間では、一握りしかいない。
その貴重な経験は、彼女に十分すぎるほどのプラスを与えていた。
また……唯一の欠点であった凜の資金的な弱点も、克服されつつあった。
留学にいくことが出来ているのは、それも大きな要因だった。
凜の留学先は英国。
魔術の総本山とも言える魔術協会へと留学に行っているのだ。
周囲の一般人にはあくまでも、通常の留学と言うことになっているが。
今この場に凜がいるのは、一時的に帰国しているにすぎない。
冬木の土地で行われる、聖杯戦争。
管理地である冬木の土地は遠坂の物となっているのだが、魔術協会が認めた物であって、完全に遠坂の土地という訳ではないのだ。
そして魔術とは秘匿される物であるという大原則が、今回の聖杯戦争では守られなかった。
また「門」が開いたことが、大きな問題となってしまったのだ。
根源へと至るための儀式は、魔術協会の監視下で行わなければならないのだ。
また開こうとしていたにもかかわらず、閉じたことも問題視されてしまい、大変なことに陥った。
また監督役が行方不明という事も相まって確認が後れてしまい、それなりの時間が経過してしまったことになる。
ちなみにそれとは別に冬木……特に料理店辺りに……に探りに来ていた連中を文字通りたたき出していた存在がいたりする。
そのため魔術協会でも確認が遅れに遅れてしまったのだ。
そんないろいろな事情が絡まり、凜は魔術協会に出頭せざるを得なくなり、魔術協会総本山のイギリスのロンドンの時計塔へと連行された。
そして数百人は入れる会議室で、それは大きな裁判が開始された。
時計塔の各部門長がやってくる、遠坂が潰された後のおこぼれを預かろうとはぐれ魔術師などが集まり、それはそれは一大イベントに相成った。
このときばかりはさすがの凜も腹をくくって逃亡しようと目論んだのだが……そのときとんでもないことが起こったのだ。
「弟子の不始末は、私の責任でもある」
突如として発言されたその言葉。
言葉自体は大した事はないが、その言葉を発した人物が大問題だった。
第二魔法の使い手であり、遠坂にとっての師である老翁、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグだった。
時計塔の中でもかなり上位の存在であり、また世界に四人だけ実在する魔法を使うことの出来る存在。
その裁判の中で誰よりも偉く、そして恐れられている存在が、凜の不始末を全て帳消しにしたのだ。
帳消しといってももみ消した訳ではない。
帳消しにする条件として、とんでもないことを言い放ったのだ。
「では、弟子をとることにしよう。教授するのは三人まで。各部門、教義を行って見込みのある物を選出せよ」
と、爆弾を投下してしまったのだ。
この発言は全ての問題を吹き飛ばすほどの威力を秘めていた。
何せ行方知らず……というよりも正しくは並行世界を自由に行き来できる魔法使いなので、行方など知る術などないのだが……の魔法使いが突然現れた上に、弟子をとるという発言をしてしまったのだ。
そのため場は大混乱へと陥った。
凜という小物などどうでも良くなってしまい、それぞれの部門が自分たちの内部で選抜のための事で大騒ぎになった。
突如としてほっぽかれてしまった凜としては、ぽかーんとしてしまうのも無理はなかった。
その凜へと歩み寄る、老人がいた。
当然というべきか、爆弾を投下し凜を救った存在……キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグである。
「鳶が鷹を生んだ……というのはお前の国言葉だったか? トオサカはもっとも芽のない教え子……だったはずなのだがな。僅か六代でたどり着くとは。これもあの人のお孫さんのおかげかのう?」
その台詞に凜はぎくりと……内心でかなり焦っていた。
さらに孫という単語に疑問符が浮かんでもいたのだが、質問できる状況ではなかった。
そのため、外見上は変化のないように努めながら……
「な、何の事でしょうか? 大師父?」
と、すっとぼけた。
すっとぼけた……というよりも誤魔化したのは当然だが理由がある。
魔法使いというのは、自分の魔法を他者に漏らさない。
故に、自らの奇跡に近づいた者は容赦なく消されるのだと……本能で凜は悟ったからだ。
だが、これについては相手の方が上手だった。
宝石の翁は凜の頭に手を置いて……軽くなでながら褒めだした。
「なに、利用すればいい。協会は窮屈な場所だが……道具はある。使い潰してやればよい」
と、並行世界を旅する翁の懐は広かったのだった。
実は凜……最終決戦で使用した宝石剣を再現することが可能だったりする。
設計図及び理論も把握したため、材料と時間が必要ではあるが、魔法の真似事が出来るという……この年齢にして結構な反則の得物を身に着けていた。
まぁ宝石剣の再現には莫大な資金が必要であり……現在の状況でも五年~十年は最低でも必要であり、そう易々と使えるものではないのだが……。
ということがあり、凜は何とか罪を免れた。
それどころか時計塔へのフリーパスを入手したため、穂群原学園を卒業後、管理を信頼できる存在へと一任して、すぐさまロンドンへと旅立った。
その前にやるべきことはきっちりと仕事を終えてから……だが。
「あらリン。少しは軌道に乗ったって聞いてたけど、相変わらずそんなに余裕はないのね? いいのよ? ワタシの個人的な資産をいくらか優遇してあげても? そうでもしないと、あなた……いつまで経ってもかわらないわよ?」
「……イリヤ。一応私はあなたにとって恩人といって差し支えない存在なのだけど?」
「確かにそうかもしれないわね。でも報酬はきちんと支払ったもの。その件であなたにとやかく言われる筋合いはないわ」
「この悪魔っこめ……」
と、凜に突っかかって来るのは、白い雪の妖精の様な少女のイリヤだった。
ホムンクルスとして生を受けたイリヤは、魔術的な意味では完全に近い存在だが、生命的な意味では不完全な存在だ。
故に、そう長くない命のはずだった。
魂はともかく肉体が経年劣化に耐えられないからだ。
また聖杯戦争の魔力の波動は……残り少ない命を更に削る事になってしまった。
だからイリヤを救う必要性があった。
確かに元々人として生まれてない以上、本来の意味で普通の人としては生きることは出来ないかも知れない。
だがそれでも、イリヤは実に人間らしい女の子だった。
世話になったから……救いたいと願ったから。
だから破格の報酬を用意した存在がいた。
有無を言わさずに動かなければならないほどの報酬を持ち出して。
もちろん、報酬が全てだったわけではない……だが、当然相当大きな理由ではある……のだが、それでも凜が動くには報酬だけでも十分すぎた。
凜は様々な方法を用いて事にあたった。
もう半ば必要なくなった間桐の書物なども片っ端から売り飛ばして資金を用意して……聖杯戦争のために作られたホムンクルスの肉体を捨てて、新たな肉体に魂を宿した。
イリヤの……魂を。
資金を得た凜は、名高い人形師が残した素体を入手して、イリヤは魔術師として不完全な……人としても僅かながらに不完全な存在として、こうして今ここにいた。
しかし魂の移植と一言で簡単に言うが……当然だが魂の移植なんて事が簡単なわけがない。
魂の移植が成功したのは当然ながらイリヤであったこと、そしてこの地……大聖杯の眠る冬木であったことが、大きな要因だろう。
第三魔法の行使。
第三魔法で魂を具現化し、ぼろぼろになった肉体から人間としての機能を持つ肉体に定着させたのだ。
無論その第三魔法を使用するのはイリヤ自身だが、それの補助としてこの場にいるキャスター……メディアが魔法の行使を手伝った。
いろいろな要因が重なり、イリヤはこうしてここに、ほぼ完全なる人間として……イリヤはこの場にいた。
ほぼ……というのは、イリヤの魂が通常とは違うことで起こってしまった弊害だった。
肉体は封印指定を食らうほどの魔術師が用意した肉体であったため、肉体には何ら問題なかった。
だが魂の遺伝子とでもいえばいいのだろうか?
元々のイリヤの魂が「聖杯戦争のために用意された器の制御装置に宿った魂」であり、普通の人間とは違う設計図であるため、完全な人間にはなりようがなかった。
数百年の年月を肉体を入れ替えることで生きながらえた臓硯が、魂の遺伝子……経年劣化が原因で腐ってしまったことで、老人にしかなることが出来なかったように……。
だがそれでも、後僅か数年しか持たなかったであろう肉体……寿命……が、ほぼ普通の人間と変わらないほどになったのだ。
一部機能に問題がないとは言えないが……それでもこうして新たな命を宿したイリヤは、藤村の家に世話になっていた。
「お嬢様、食べ方があまりにもはしたなさ過ぎます」
「イリヤ……だめ」
「もう、セラもリズも。別にワタシはもうお嬢さまじゃないの!」
「ですが……」
まぁ……当然のことだが、聖杯戦争を敗北し、聖杯を得ることも出来なかった存在のため、アインツベルンに戻ることもできないためだが。
そんな状況になっても、セラとリズはイリヤに忠誠を誓い冬木の地に残っていた。
三人仲良く藤村組に転がり込んでいたりする。
仮に藤村の家に世話になることが出来ないのなら、士郎がその役目を買って出ただろう。
裏切ってしまった自分にとって、それでも大切な存在……憧れだった存在。
衛宮切嗣の息子として。
だが、そうであってもイリヤは断っただろう。
切嗣の遺児……衛宮士郎。
その存在に対して、何を思うのかは……イリヤにしかわからない。
だがそれでも……
「よいではないか、セラ殿。リズ殿。花見なのだ。行儀など、最低限守っておればよい。ほれイリヤ。ワシの分を食べるか?」
「もらう!」
「お嬢様! 雷画様も! あまりお嬢様を甘やかさないで!」
「そうよおじいちゃん! 私にも頂戴! 酒も足りん! じゃんじゃんもってこ~い!」
こうして笑う事が出来るのだから……決して悪いことではないだろう。
それに一緒に住むことを拒否しただけで、仲が悪いわけではない。
頻繁にイリヤは衛宮家に顔を出していた。
そして縁側で一人静かに……緑茶を飲んでいる。
まるで……いないはずの誰かと、会話をするように……。
そんな元気にはしゃいでいるイリヤを見て、問題がないことを再確認して凜はやれやれと小さく溜め息を吐いて、話題を変えた。
「それでアーチャー。不動産関係はどうなってるの?」
「それについては問題ない。慎二と協力しながら行っているため、以前よりも収入が増えたくらいだ。今のままいけば、さらに伸びるだろう」
「そう、なら助かるわ。ちょっと負けられない相手も出来たことだしね……。あの成金女には負けられないわ」
「……誰と競い合ってるかはわからないが、一応忠告しておくと前よりも軌道に乗ったとはいえ、あまり余裕はないぞ? 特に君のはお金が非常にかかる」
「わかってるわよそれくらい。余裕が出来たからってあまり使わないわよ……たぶんね」
「最後の台詞が非常に気になるが……信じておくことにしよう」
と、不動産関係を遠坂邸を守護する執事であるアーチャーに任せて、それなりの資金を稼ぎ出していた。
この不動産関係が、凜の唯一……唯一?……の弱点とも言えた資金面での問題を解決していた。
というよりも、本来遠坂の家は非常に裕福な家だったのだが……彼女の一応師匠であった人物がずさんな管理をしてしまったため、不動産関係は壊滅してしまったのだ。
そのため、余り金銭面に余裕はなかったのだが、留学のために僅かに残っていた不動産関係の管理をアーチャーに行わせて一財産稼いでいた。
ちなみにアーチャーが言っていた慎二が協力したというのは……不動産関係の事だったりする。
間桐家の財産……というよりも主な収入源は、不動産関係なのだ。
そこだけは間桐臓硯の功績と言っていいかもしれない。
魔術師故の狡猾さと、長年……それこそ数百年……の経験値でかなりの財産を間桐家は持っていた。
学園を卒業した慎二……正しくは聖杯戦争を終えてからの慎二……は、少しだけ丸くなっていた。
というよりも本当に命の危機に瀕したことで、頭脳は優秀である男は学んだのだろう。
裏の世界の……危険性というものを……。
何せ一度右腕が切断され、足にも重傷を負ったのだ。
さらに黒い陰の恐怖以外に覚えようがない嫌悪感。
そして何より……あのときの桜の「人ではない」表情。
特別だと思っていた自分が何も出来なかった。
特別なはずじゃないのに、特別扱いを受けていた桜。
その隔絶たる違いを……身を以て、魂に恐怖を刻みつけられたのだ。
とてもではないが、よほどの愚か者でもない限り「違い」というものがわかってしまう。
そして慎二は愚かではあるが「よほど」ではなかった。
故にわかってしまったのだ。
自分には……己と妹には隔絶した違いがあるのだと。
病院で体を癒し、すこしぎこちないながらも、日常生活レベルでは普通に使うことが出来るようになった右腕。
足も重傷だったが、それでも普通に歩けるし走ることも出来る程に回復した。
そして彼は学園卒業と同時に祖父が……怪物が行っていた不動産関係の管理を始めた。
そこは普通に優秀な男であった慎二は、さすがに祖父ほどではないにしろ、かなりの利益をたたき出すことに成功した。
学園在籍中勉強はしていたのだが、それでも十分に優秀だった。
そのノウハウを凜に半ば脅されて、アーチャーに伝授させていたりする。
つまり形こそ多少違うが、慎二は憧れだった凜とパートナーになれていたりする。
このまま頑張れば……もしかしたら……
とか淡い期待を抱いているのがいたりするのだが……その話は語るまでもないだろう。
また聖杯戦争が終えて体が回復してからは……慎二は桜と一切関わらないようにしていた。
罪悪感などもあるのだろうが、それ以上に恐怖を感じたのだろう。
何せ一度殺されかけたのだ。
それも……羽虫を潰す程度の感情で。
これで恐怖を覚えないわけがなかった。
だがそれだけではないのは間違いないのだろう。
不動産の収益のかなりを衛宮家に……桜の下へ送っていた。
そのおかげでかなり大所帯になった衛宮家でも、問題なく……若干一名がえっらい食費を圧迫しているのだが……生活が出来ていたりする。
だがそれではさすがに士郎も男の矜持が廃る。
そのため士郎もバイト兼修行を行っていた。
他のサーヴァント達は特に問題を起こすことなく、平和に暮らしていた。
というよりも俗世に染まりすぎていると言ってもいいかもしれない……。
ランサーは聖杯戦争が終わってからは、バイトとナンパに精を出す……イケメンになっていた。
しかし最近趣味の一つの釣りが危機に陥っていたりするのだが……それはまた別の話。
キャスターと葛木先生はうまくやっているようだった。
まだ料理がそこまでうまくないのだが……それでも「食べられる程度」にはなってはいた。
もりもりと料理を食べているセイバーは、この中でランサーとは別の意味でこの生活を謳歌していた。
だが……セイバーは必ず朝は士郎の家の道場で、静かに正座をしていた。
何か考えているかも知れない。
何を考えているのかは……誰も聞ける雰囲気ではないため、聞くことはしなかった。
またそれだけではなく、士郎に戦うための術を教えている師匠だったりする。
言うなれば住み込みの剣客と言ったところだろうか?
聖杯戦争の経験と、セイバーによる指導の甲斐もあって、士郎はめきめきと腕前を上げていたりする。
聖杯戦争。
たった一つの願望機を巡って争う殺し合い。
敵であった者達が、こうしてこの場でみんなが楽しそうにしていること。
これは何よりも異常な事だったが……幸せなことだった。
「ふふ……。楽しそうですね」
「あぁ……本当に」
士郎と桜。
それぞれが後ろの桜の木に寄りかかりながら……暗く微笑んでいた。
その桜を同じような笑みで微笑み返しながら……士郎は今までのことを反芻していた。
そしてこれからの事も……考えなければならない。
これから生きていくために……二人は苦しみながら、それでも何かをするために、考えていた。
そう、考えるしかなかったのだ。
長い、長い時間だった。
言葉にすればたった数年だ。
だがその数年が……狂おしいほどに長い、永い……
時間だった。
どれほどの人を殺したのだろう?
どれほどの人を見殺しにしたのだろう?
どれほどの人の悲しみを生み出したのだろう?
どれほどの想いを……踏みにじったのだろう?
無関係の命を喰らい、命を繫いで……自己という、己をとった。
無関係の命が巻き込まれると知りながら……それでも己の大切な存在をとった。
だがそれは一般的な……普通の人にはわかるはずもない、人殺しの所行。
この場で……花見に来ている人の中にも、暗い表情の人はいた。
酒を飲んで酔って……それでも消しきれない、誤魔化しきれない悲哀を胸に秘めて……。
それでも花見の席で元気になろうと……前を見ようと生きていた。
本当の意味で……桜と士郎の所行が知れ渡れば、二人はこの土地では生きていくことは出来ないだろう。
だが魔術という知識がない以上、今この場で自分たちが数年前の冬に起こった、大量失踪事件の真犯人であると声を大にして叫んだところで……誰も信じないだろう。
故に……どうあがいても、犠牲になった人々の命と……。
その親族達の悲しみを……切なさを……。
背負って生きていくしかないのだ……。
憎しみはない。
少なくとも親族達には。
何せ親族達からみれば、突然の失踪でしかないのだ。
誘拐というにはあまりにも数が多すぎる。
殺人というには痕跡も、死体さえも……残っていない。
突然消失したのだ。
この町、この世界から……。
だから憎みようがない。
ただ突然消失した人々のことを思って……嘆き悲しむことしかできなかった。
そして殺された……桜に捕食された人々も、おそらく憎んでいないだろう。
唐突に、突然に……魂を肉体事一瞬で捕食されたのだから。
憎む事も出来ず、自分が何故死んだのか……死んだことすらも気付かずに、この世から消失した。
目を覚まし……そして思い出す。
己の所行を。
忘れていた方が良かったのだろうか?
覚えていた方が良かったのだろうか?
どちらがよかったのかわからないが、結果として桜は全ての記憶を覚えていた。
血のつながりのない兄を殺そうとしたことも。
人を捕食したことも。
大事な人を……己にとって大切な姉を殺そうとしたことも。
並行世界の存在に、全てをゆだねようとしたことも。
何よりも……愛する人に対していらないと言ってしまった……己のことを……。
その全てを覚えていた。
だが……ある意味でそれだけだった。
目覚めて己が覚えていることを認識して……桜はただひたすらにただあり続けた。
半狂乱になることもなく……全てを拒否する訳でもなく……。
ただただ、平気であろうとした。
そんなわけがないというのに。
泣きわめくなり暴れ回った方が、まだ周りも対処が出来ただろう。
だが何もせず、ただふさぎ込むかのように普段通りに振る舞おうとするのは、見ていてただただ……痛々しかった。
そんな桜に対して、士郎は特別なことは何もしなかった。
以前帰ってきた時に足がずたずたになった。
その影響が残っているのか、少々歩くのに難儀になってしまった桜のリハビリや、生活の援助を普通にするだけだった。
慰めることもせず。
無責任に悪くないと言うわけでもない。
ただ、ただ……
静かにそばに寄り添っていた。
守るように……
寄り添うように……
逃がさないように……
当たり前の事だが……桜が殺して、士郎が見殺しにした人々全てを生き返られることなど、出来るわけがない
例えそれが聖杯を使ったとしても、不可能な行為……
仮に出来たとしても、それは決して行ってはいけないこと……
そして当然のように……時間は過ぎ去っていく
誰もが一度は思うだろう
時間を巻き戻したいと
だがそれも叶わぬ願いだった
だから……進むしかないのだ
進むしかないことはわかっていた
だがどこに進めばいいのか?
まだ二人はその
だから……二人の表情がまだ完全に晴れた事はなかった
だがこうして、互いに互いにとって大切な人々と……
何よりこの世でもっとも愛している人と一緒にこの場に入れる幸せを
感じずにはいられなかった
ただ静かに二人は寄り添っていた。
そのときクスリと……小さく桜が笑った。
「どうした、桜?」
「いえ、大した事じゃないんですけど……」
「けど?」
「ただ……あのときの約束が叶ったなって……」
あのとき……そう言われて一瞬考えた士郎だったが、すぐに思い至った。
己が「自分」を裏切った……衛宮切嗣の正義の味方になるという約束を破ったあの日。
昼間寝込んでいる桜に会いに行ったのだ。
最後になるかも知れないと……そう覚悟をしながら。
ただ
そのとき桜が言ったのだ。
花見がしたいと。
本当にごくごくありふれた願いでしかない。
ただあのときは、そのありふれていてささやかな願いさえも、叶えることが出来ない状況だった。
後数日しか生きられないという状況に陥った。
桜が士郎以外に認識できないほどに壊れた。
だが二人はいまこうしてここにいた。
元通り……というには違うかも知れない。
大河がいたため賑やかではあったが……これほどまでに騒がしくはなかった。
こんなにも……悲しい笑みを浮かべることはなかった。
体も……足が少し不自由になってしまった。
だがそれでもこうして二人はここにいた
多くの人を喰らい、見殺しにして、命を飲み干し……こうしてこの場にいた
自分が多くの人を見殺しにした人殺しであることはわかっている
外道と言われても否定することは出来ないだろう
だがそれでも……このありふれたささやかな願いが叶った事に、暗くも嬉しそうに微笑む姿を見て……
士郎は胸が一杯だった
それを悟られないようにしつつ、士郎は頷いた
「あぁ、そうだな……」
気持ちが同じだと伝わるように……握っている手に少しだけ力を込めた
それに応じて、桜も小さく手を握り返す
ただこの場にいられるということ
それがとても嬉しくて……
本当はこんなにも幸せになってはいけないのかも知れない
人殺しの自分たちが
だがそれでも今だけは……
ありふれている
本当にささやかでしかない
だが、あのとき願ったあの状況を思えば……
この状況はまさに奇跡そのものだった……
だから今だけは……この小さな幸せを噛みしめたいと……
二人はそう思った
そんなある種別世界……というよりも二人だけの世界……にいる二人のこと、遠目に見つめる人物がいて、そんな二人を見て心底の奥深く深くから……
盛大に溜め息を吐いていた……
熟年夫婦の老後の一時にしか見えないわね
遠目に見てもわかるくらいに、二人の姿はあまりにも若者らしからぬすぎた
だがそれも無理からぬ事なのかも知れない
本人も自覚しているが、ここ数年の……特にイレギュラーな存在が引っかき回したあの聖杯戦争はあまりにも濃すぎた
死んでいないのが不思議な状況だったのだ
むしろ死ねれば幸せだったのかも知れない
あの状況を鑑みれば死という生物的に忌避するその結果ですら……
幸福な最後かも知れないからだ
死よりも恐ろしいことはそれこそいくらでもある
通常であれば死という結果よりも恐ろしいことはそうそうない
だが異常な状況下ではその「そうそう起こりえない」事が、容易に起こりえてしまう
しかも魔術が絡んでいるので、あればそれはなおさらだった
生きながら地獄の苦しみを味わい続けるという事も、十分にあり得ただろう
輪廻すらも叶わずに、真の意味での消失ということもあり得た
何せ一時とはいえ、桜は聖杯になり得たのだから
壊すという形であれば、全ての望みを叶えることが出来ただろう
あのままいけば精神が崩壊したかも知れない
崩壊せずに文字通りの怪物となっていたのかもしれない
考え出せばきりがない
何せ万能の願望機だったのだ
それこそ何でもあり得ただろう
だが、その最悪の状況にはならなかった
時間が経過すれば、変わることがある
今のこの状況のように
決してあり得てはいけないはずの人々が、殺し合うことなく笑っている
壊れた……壊れていた少年が、人となってこの場にいて、幸せそうにしている
その胸中は完全に晴れやかと言うことではないだろう
だがそれでも……彼は生きていた
一度死に、何度も何度も死にかけながら、それでも己がすべき事をして「己」を取り戻して
その傍らには、ついぞ衛宮家でしか笑うことのなかった少女が、楽しそうにこの光景を眺めている
壊されて、壊れることしか許されなかった少女が、最愛の人のそばにいる
届いてほしいと願いながら……それでも望むことすら望まなかった少女
己を殺しすぎて己を消して……
それでも消えなかった思いで、その手を掴んでいた
届く事はずがないと思っていた手を……握りしめながら……
ま、これなら大丈夫かしら?
そうは思う。
それでも不安はつきない
大聖杯がまだ機能しており、その聖杯に繋がっている少女がいる。
その少女と繋がる青年もいる。
だがそれでもこの二人ならどうにか出来るかも知れない。
二人だけじゃなくこの場にいる人間は……
嘘でも比喩でもなく……
世界を救った英雄なのだから……
ま、念のため確認しとこうかしら
少々割っていくのが嫌だったが、それでも今回帰省した目的を果たさないまま、留学先の時計塔に戻るわけには行かないのだ。
だから腰を上げて凜は、二人のそばへと歩いていった。
「こら、何二人で熟年夫婦みたいに飲みもせず、食べもせずにほのぼのしているの?」
「熟年はいいすぎじゃないか?」
「姉さん。熟年って……」
あ、夫婦にはつっこまないのね
返ってきたとんちんかんな答えと、その答えに対して何も言わない自らの妹に再度呆れるしかなかった。
だがそれでも、幸せなことに変わりはない。
十年以上もの時間をかけて……自らの妹とこうして笑い合えるのだから。
だから……素直に聞くことにした……
二人ならきっと、大丈夫だから
「桜……今、幸せ?」
「――――はい」
満面の笑みとは言えなかった。
まだ暗さが残っていた。
でも、幸せと問われて素直に言葉で返せたのだから……問題はないだろう。
何か問題があっても隣に命すらも投げ出す覚悟で、絶対に死なずに死なせない守護者が……いるのだから。
「ただ……」
「? ただ?」
暗い笑みから変わり、至極残念そうに桜は少しだけ周りを見渡した。
いれば絶対に目立っている……もう一人の姉の様な存在を探したのだ。
長い長い髪をたなびかせる……女性を……
「この場にライダーがいないのが……少し残念です」
「まぁ……それはね……」
「それに……結局私だけが御礼を言えませんでした」
その言葉に、凜も苦笑するしかなかった。
確かにあの聖杯戦争に参加し生き抜いた人物の中で、この場にいないのは一人だけだった。
そしてもう一人……聖杯戦争に参加こそしていないが、この場にいる人間達と親しくし、面識のあった
一人の少女の姿もなかった……
本当に……あいつはとんでもない奴だったわね
「まぁそれはしょうがないんじゃない? それこそまた突然来るかもしれないわよ?」
突然やってきて、色々引っかき回して、でも最後にすべき事をして消えた男。
正直思い出すと凜としては色々と思うところはあるのだが……それは考えないようにした。
だが、桜に対してそう言いながらも、凜はその男が来ることはないだろうと、思っていた。
何せ男は何も遺していかなかったのだ
置いていった物はある
だがそれはその男にとって必要ではあっても、必要不可欠な物ではないのだろう
本当に大切な物や、自らが生み出した物を遺していかなかった
それどころか奪うだけ奪っていったのだ
本当に、とんでもない男だったわね
綺麗に精算したと思っていたが、それでもこうして思い出すと胸に来る物があるのだから、まだ完全に片付けられてないのかも知れない。
それが無性に苛立って、凜は溜め息を吐くしかなかった。
次来たら……一発ぶっ飛ばしてやるからね
もう会うことはないだろう
だがそれでもそんな気持ちがある
その程度には親しくなったその男のことを思いながら
凜は笑った
そして熟年夫婦の二人を連れ出して、飲み会の輪へと入っていく
この愛おしい時間がいつまでも続くようにと……
そう願いながら……
『変わらない』
不変などないことなど、わかりきっていた
士郎が人になったように
桜が人になったように
だがそれでも願わずにはいられなかった
今までさんざん苦しんできたのだ
なら、今度は喜びがなければ嘘だ……
そう思うことの何がいけないのか?
変化していくだろう
時間が経過する事に
でもどうか……その変化が二人にとって幸せであって欲しいと……
そう願わずにはいられなかった
予定では後二話かな?
もしくは二話目が二部構成になって三話になるかもしれませんが・・・・・とりあえずようやくそろそろ終われそうです
最後までおつきあいいただければ幸いです