It was made of black petals
―――黒い花びらで出来ていた
最後の言葉が紡がれたその瞬間にあふれ出した黒い靄が、辺り全てを覆った
それは相対していた魔術師も当然例外ではなく、その靄に覆われた
そしてその靄が一瞬だけ視界を遮った
その僅かな一瞬
瞬きすらもしない程の時間で
周囲の景色が一変した
周囲にあるのは、無限にあるのではないかと思える……桜の木
数十年は経過しているであろう、立派な幹をした桜の木が、いつの間にか周囲に存在していた
等間隔に
一定の距離を保って
走り回り、剣を振るう程度には問題ない程の間隔で、周囲を桜が埋め尽くしていた
満開の花を咲かせた……桜が
いきなり周囲が……世界が変わるということ
これに該当する事柄を……魔術を
魔術師は知っていた
「固有結界……だと?」
驚きのあまりに、ぼそりと無意識に呟かれた言葉
固有結界
術者の心象風景を具現化して、現実に浸食させて世界を形成する結界
大禁術と言われる魔術
魔法にもっとも近い魔術であり、秘奥の中の秘奥
魔術の到達点の一つと言われる魔術だった
大禁術ともいえる魔術を使った存在が魔術使いの衛宮士郎であるという事実
この事実に、もしも普段通りの魔術師であったならば、耐え難い屈辱に歯がみしているところだっただろう
だが、そうはならなかった
この状況が、大禁術の固有結界であることはすぐに理解できた
だがそれ以上に……嫌悪感と忌避感が
魔術師の心を支配していた
本来であれば、不自然に等間隔に植えられたとはいえ、これだけの桜が花を咲かせていれば、人の心を魅了してやまないだろう
風に花びらが舞っている
木々が揺れ、ざわめくその音は、さぞ風靡な景色であるはずだった
だが……そうならない要因があったのだ
しばらくして……魔術師は嫌悪感の正体に気がついた
花びらの一つが……黒い?
そう……周囲に咲く満開の桜
その五枚の花びらの内一枚が
暗く、黒い色をしていた
普通の花びらであれば、花びらの中に筋が見える
花びらの色にも、桃色の濃淡があるはずだ
だが、その黒い花びらにはそれがない
ただただ……光すらも吸い込むのではないかという黒しかない
花びらの形をした黒い何か
全てを吸い尽くした炭よりも黒い……漆黒の何か
そしてその黒い色以上に……醜悪な何かを感じさせた
美しさとは無縁な、醜悪で醜い花
現実ではありえない……桜の形をした何か
さらに醜い要因は空にもあった
文字通り……血のような赤い色をした空が美しいはずもない
また地面には何もなく、ただ乾いた土があるだけだった
それらがあわさり、この世界は……醜い醜い
我執
にも似た何かを感じ取れる世界だった
またその嫌悪感とは別に……体の中に淀みが生じつつあることも、魔術師は危険に感じた
そして気付く
衛宮士郎は!?
先ほどまで目の前にいたはずの敵……衛宮士郎の姿がないことに
時間にして十数秒しか時間は経っていないだろう
だがその時間は戦闘中に見せる隙で言えば致命的だ
本来であれば何度殺されても不思議ではない
致命的な隙を見せた自身に舌打ちしつつ、辺りを見渡し……
ソレを見つける
ソレは、周囲の桜よりも遙かに大きな桜だった
幹の太さは、大人が二人で輪を作るほどの太さだった
もしも現実の世界であれば、相当の年月を生きた桜になるだろう
ソレは他のどの桜よりも醜かった
他と同じで花びらの一枚が黒かった
だがなぜか、他の桜と比べると大きさだけしか違いがないはずだとういのに
その桜は他のどの桜よりも醜い桜だった
だが、どこか暖かさを感じさせる気がした
その醜い桜の幹に
対の剣が突き刺さっていた
寄り添うように
繋ぎ止めるように
桜の木を……縛り付けるように
互いに触れあいながら
その対の剣の前に、衛宮士郎が立っていた
そして対の剣の柄に手をかけて
その対の剣を引き抜いた
以前に士郎がアーチャーを真似て使っていた干将莫耶とは違う剣だった
いや、ベースは干将莫耶なのだろう
だがその双剣は干将莫耶よりも刃渡りが長く、細い
また、頑健さを優先したのか、干将莫耶よりも重ねが厚かった
刃から峰にかけてまでの身幅が減ったせいか、剣身が細くなり、より鋭利に見える
また、切っ先が片刃ではなく、先端から峰の半分程までが両刃だった
まるで干将莫耶をベースにして、剣と刀をあわせて割ったかのような
そんな剣だった
「この世界は偽物の世界」
背を向けたまま紡がれる衛宮士郎の言葉
その言葉と共に、忌避感と嫌悪感
忌避感を超えて薄ら寒さすらも感じさせる、何かを感じて
魔術師は体に澱みを覚えた
正しくは最初から感じていた
だが小さな澱みよりも、固有結界と
我執を強く感じさせるこの世界に圧倒されてしまっていたのだ
魔術師の男は
「お前らからすれば取るに足らない世界なんだと思う」
確かに言うとおり、全てが偽物だ
血のように赤い空も
花びらの一つが黒い桜も
その全てが衛宮士郎という人間が作り出した偽物
美しくもない、誰もが見れば偽物であるとわかる世界だ
だが、その中でただ一つだけ
絶対的な本物が、存在していた
一番大きな桜に突き刺さった……対の剣
誰に何を言われようとも、それだけは
「己」の……
衛宮士郎が持ちうる「本物」だ
何度も揺れた
何度も迷った
どれだけの人を見殺しにしたのか?
どれだけの人に手助けしてもらったのか?
いくつもの試練があった
それらを乗り越えて、今……「己」の衛宮士郎はここにいた
揺れ動き、迷って……それでも最後の最後に、衛宮士郎は本物を望んだ
それがこの対の剣だった
衛宮士郎が双剣を握る手に、力を込める
手にした剣を掲げて振り返った衛宮士郎の顔……右頬が
赤黒く鈍く光って……蠢いていた
それがもっとも醜悪であり、強く欲望を感じさせる物であり
だがそれ以上に、何かを感じさせる……「何か」だった
「誰にとって偽物であっても……誰にとっても醜くて意味のない物であったとしても」
「俺のこの本物だけは……決して尽きない!」
その言葉と共に衛宮士郎が走り出す
手にした剣を振りかぶって
それに対して、魔術師も衛宮士郎を迎え撃つようにして走り出した
先ほどよりも、より早く走って
衛宮士郎を殺すという殺意を腕に込めて
剣を振るった
この世界の嫌悪感と
何よりも体に感じる澱みが
忌避感が
「致命」的なまでによくないものだと
感じ取ったからだ
生命としての本能ではなく
もう一つの……命よりも大事な自分自身の存在としての本能が
激しく警鐘を鳴らしている
それによって湧き上がる感情を否定したくて、魔術師は剣を振るう
だが……
手強い!
そう……衛宮士郎は恐るべき使い手になっていた
先ほどの現実世界でも十分な実力を持っていた
少なくとも、剣の腕前については封印指定執行者である魔術師と同格であるという事実を
魔術師自身が受け入れざるを得ないほどに
だが今は現実世界とは違う
固有結界内……つまり衛宮士郎の心象世界であるこの世界は、衛宮士郎の領域
元々素でも手強かった衛宮士郎は、その身体能力が向上していた
爆発的にあがってはいない
だが、それでも向上していることに変わりはなかった
しかも、衛宮士郎が手強いと感じるのは……他にも要因があった
体が……重い?
そう、時間が経つ事に……魔術師の体が軋みだしたのだ
正しくは体ではなく……魔術師の命とも言える存在
魔術回路が
何かに汚されていくような嫌悪感を、魔術回路から感じていた
気付いた時にはすでに手遅れだった
徐々に
徐々に
魔術回路が錆び付き、軋みを……悲鳴を上げているのを感じた
そしてそれがどうしようもなく良くないことであることは……
すぐに理解できた
だから魔術を使おうとするのだが
それを魔術回路が拒否した
正しくは、「魔術師である自分」が
今……つまりこの場で
固有結界の中で
魔術を使用するのは命取りだと
そう激しく感じられた
故に、手にした二つの剣だけで、衛宮士郎を殺さなければならない
だが……それができない
封印指定執行者として恥じることのない実力を有した魔術師が
殺せなかった
だがそれも当たり前なのだ
簡単に、衛宮士郎を殺せるはずがないのだ
生きるために
生かすために
死なないために
死なせないために
衛宮士郎はひたすらに研鑽を積んだ
「己」の願いのために
「己」のために
ただただ強くなった
英雄に闘いを学び
天才に魔術の修行を見てもらい
ひたすらに鍛え上げた
だがその修行はあくまでも「生かす」ための力
相手を屠る力ではないのだ
そう、これ以上殺す訳にはいかないのだから
これ以上人殺しという罪を負わないために
その罪を……「己」に背負わせないために
だから強くなる必要があった
至極簡単な話
敵を殺すよりも敵を退ける方が、遙かに難しい
自らを殺しに来た相手を殺さずに退けるのは
それ相応の技量がいる
だから……強くなるしかないのだ
だから士郎はひたすらに強くなった
がむしゃらに
血の滲むような修行を行ったのだ
幸いと言うべきか……相手には困らなかったのだ
剣を持つ者
槍を持つ者
魔術を駆使する者
拳を振るう者
斧槍を持つ者
今はいない……鉄鎖を用いる者
あらゆる相手に挑み、何度も死にかけた
だがそれでも諦めることだけは絶対にしなかった
監督役がいなくなったとはいえ、調べれば第五次聖杯戦争の状況はある程度掴めるだろう
ならば調べられた場合、今のこのような状況になるのは目に見えていたのだから
だから衛宮士郎は強くなった
「人」を殺さないために
殺すためではなく、ただただ生き延びるための術を磨いた
魔術に対しても、第五次聖杯戦争が始まった頃とは比べものにならない程知識が増えている
生き延びる
つまり……闘いが長引くようにすると言うこと
そのための修行であり
戦う術を身に着けた
それを体現しているのが、衛宮士郎が手にする対の剣の形状なのだろう
干将莫耶よりも剣身を長くすることで、より間合いを長くして
身幅を減らす事で重さを減らす
だが頑健さがなくならないように、重ねを厚くする
そして対の剣……つまり両手に剣を持つことで、攻撃を受け止めるための手数を純粋に増やす
生命としての死よりも、残酷な死を与えるために
「己」を守るために
衛宮士郎は、「己」の本物の象徴である対の剣を振るった
まずい!?
衛宮士郎と斬り結ぶ魔術師は、徐々に衛宮士郎に圧され始めた事に、焦りを隠せなくなっていた
この結界が自らにとって良くないものであることは考えるまでもない
何せ殺しに来た相手と戦うための空間なのだ
殺しに来た相手に対して、加減をする理由はない
容赦する訳がないのだ
だが、その結果を受け入れる訳には行かないのだ
故に、魔術師も死に物狂いで手にした剣を振るった
死にたくないのだから
だがそれは衛宮士郎が赦さない
ここで止めなければ、魔術師が「己」を連れ去ってしまう
「己」にとって大切な存在を
そして先ほどの魔術師の台詞
それだけが何よりも赦せなかった
『しかも都合のいいことに聖杯を身に宿した存在は女だ。子を孕ませ、その子で実験することも出来る。母体の血を強く受け継ぐように、聖杯を調整したりも出来るかもしれない。何せ母体が聖杯だったのだ。最悪母子共々斬り刻み、解剖してもいいだろう』
完全に物としてしか扱っていない台詞
だがそれよりも衛宮士郎が苛立ちを覚えたのは
子を孕ませる
という言葉だった
子の命を身に宿す
男ではどうあがいてもできない女だけの機能
その機能を
桜は有していなかった
間桐の家の修行という名の肉体改造
その行為は桜の身体に傷を残していたのだ
普通に生きていく上では問題がない
幼くして身体をいじられ続けた桜の身体
それはその時点でもっとも未成熟だった機能を破壊していた
すなわち……母体としての機能が失われていたのだ
子を宿せなくなった事を知って……桜は一瞬だけ息を呑んで
悲しげに微笑んだ
『きっと……天罰なのかもしれませんね』
ただそう一言、静かに呟いて
その言葉に対して、士郎は何も言えなかった
言えるはずもなかったのだ
同じ罪を背負った「己」の衛宮士郎は
数え切れないほどの人を殺した
数え切れないほどの人を見殺しにした
そんな自分たちが幸せになっていいはずがないのだと
そう思う気持ちが確かにあった
動くことも
考えることも
恨むことも
何もすることができなくしたのは間違いなく「己」たちなのだから
だがそれでも……衛宮士郎は大声で叫びたかった
確かに、「己」たちに罰が……罪があるのはわかりきっている
だがそれでも……
これほど悲しい事が、罰であっていいのか……と
確かに罪人なのだろう
「己」達は
だが、生まれてもいない子供が果たして、罪があると言えるのだろうか……と
人並みの幸せを祈ってはいけないのかも知れない
だがそれは殺した後の事で結果が来なければいけないはずだ
自らが罪を犯すよりも遙か前に
罰が下されているなんて事が
あっていいいのか
これすらも未来の自分が犯す罪の代償だというのか
答えてくれる者はいない
「己」が答えられる訳もなく
否定できるわけもなかった
だから衛宮士郎はただ同じように泣きそうになりながら
ただ桜のそばに寄り添うことしかできなかった
確かに相手は……魔術師は第五次聖杯戦争の調査をしただろう
だがそれだけで、桜が子を宿せなくなったという事まではわかっていないはずだ
ここ最近になってようやく判明した事実なのだから
だから今憤りを感じているのはただの八つ当たりなのかも知れない
だが……この憤りを感じているというのは……
士郎が……「己」をもつ衛宮士郎になったと
そういえることなのだろう
これが良い変化であるのか
悪い変化なのかはわからない
だが、どちらであってももう衛宮士郎は止まらない
桜の味方になると誓った
桜の味方を完遂すると誓った
桜を逃がさないと……誓ったのだから
だから「己」がすべきことをするために、衛宮士郎は剣を振るう
相手を退かせるための
もっとも残酷な死を与えて
『生まれ出でていないモノの命を奪い、罪科を問うことすらせずに、貴様は……『
これは衛宮士郎にではなく、言峰綺礼が、とある男に向けて紡がれた……
呪い
生まれを望む者はこの世にただ一人しかいなかった、
真の
最後には一人の男が振るった超野太刀、狩竜に宿った邪神によって
その存在を食らいつくされた
言峰綺礼の問いに対して、男は答えなかった
答えられなかった
自ら破戒した後だったから
それだけが理由ではないが、それでも答えられなかったことに変わりはない
その問答を、当然だが衛宮士郎が知るはずもない
だから桜の身体のことを知って衛宮士郎が叫びたかった想いは、衛宮士郎が自ら思ったことだ
もしかしたら、彼は皮肉にも、その答えを探し出そうとしているのかも知れない
自らよりも強大な力を持ち
技を持ち
ただただ圧倒される事しかできなかった、自らの恩人の変わりに
自らの身命を……
生涯を賭して
その答えが出るのか?
それとも出ないのか?
もしくは答えなんてないのかも知れない
だがそれでも衛宮士郎はただただ生きるために
「己」のために剣を振るうだろう
決して尽きない、想いを……
糧にして
しばらく剣戟の音が、固有結界で響いていた
カシャン
カシャン
カシャン
と……
黒い桜の花びらが舞い散る中で
二人は剣を振るっていた
これがもしも、普通の桜があったならば
花びらが散り、風に舞う中で行われた剣舞であれば、見る者全てを魅了したかもしれない
だが、これは剣舞では……「舞」ではない
他方は相手の命を否定して、相手の大切な者を奪い
他方は他方の命よりも大事なモノを奪う
そんな醜いやりとりでしかない
ただただ
己が欲するモノのために
剣を振るっている
それだけの醜い争いでしかない
しかも他方の相手は死に物狂いで……
衛宮士郎を殺そうとしているのだ
殺さなければ、自分が殺されることを感じ取ったからだ
そのうちに、異変が起こる
最初こそ拮抗していた剣戟が、徐々に衛宮士郎が優勢になり始めたのだ
時間が経つ事に魔術師の動きが鈍り始める
カシャン
カシャン
カシャン
と……
それはまるで秒読みのようであった
まるで何かが割れる音のようでもあった
互いに相手を殺すために振るわれる、対の剣
だが、その剣戟の音は止まることがなかった
止まる時は相手を殺した時
死を導く……死の宣告
可能であれば早急に終わらせなければいけないその音は……
旋律は……
逝く者を導くかのように
固有結界に鳴り響いていた
魔術師としては、自らが剣戟を止める訳にはいかなかった
だがそれも長くは続かなかった
魔術回路が悲鳴を上げ続ける
悲鳴を上げると言うことは、負担がかかっているということ
カシャン
カシャン
カシャン
と
剣戟をする度に悲鳴を上げる、魔術回路
剣を振るう度に軋んでいく
淀んでいく
歪んでいく
そして一際大きく何かが割れるような音が響いて……
魔術師が動きを止める
今、まさに剣を振りかぶり
振り下ろそうとした瞬間だった
その振り上げた剣は振り下ろされることなく
力なく地へと堕ちていった
握る力を失った手から滑り落ちていく
剣が
魔術師の命が
今まで全ての時間をかけて費やしてきた全てが零れ堕ちていく
自らの「生命」としての命だけを残して
自らが命よりも大切にしている「命」である
魔術回路が
崩れ落ちていった
命を、落とした
「が……がぁ……」
悲鳴を上げることすらもできないほどの激痛
むしろ意識を保っている事が驚異的と言っていいだろう
何せ全身に張り巡らされた魔術回路が破れたのだ
だが魔術師としての意地とでもいうべきか
悲鳴を上げず
意識も手放さずに
魔術師の男はその場にあり続けた
だが、すぐに魔術師は膝から崩れ落ちる
全身を破られる痛みが駆けめぐったのだから無理もなかった
だがその痛み以上の喪失感が
魔術師の意識を支配していた
そしてその喪失感と共に、先ほどまで感じていた忌避感が消え失せていた
それも当然だ
忌避感を感じる部分が破れたのだから
そして二度とその忌避を感じることもないのだろう
この場に……衛宮士郎の固有結界に来ることも
生涯全てを賭けて探求するはずだったことを行うことも
二度と……できないのだから
「き……さま……」
魔術師の男は、全身の痛みを覚えながら
そしてそれ以上に、凄まじいほどの憎悪の炎に焼かれながら……
見上げた
自らが最後に相対することになった……魔術使いを
「……終わりだ」
その魔術師の憎悪に塗れた瞳をしかと受け止めながら
衛宮士郎が一言、そう呟いた
そして世界が変化する
固有結界が終わり
元の世界へと……
衛宮士郎の家である武家屋敷の中庭へと帰還した
周囲の景色が変わったことに気付いて
魔術師は最後の力を振り絞って……それを見た
中庭のそばの離れ
自らが求め
衛宮士郎が守り続けると誓った存在がある場所
その離れの窓硝子に映った一人の女性
自らが攫う……奪うはずだった生きた聖杯
ソレは杖を手にしながら、ただ一点だけを……
見つめていた
陰りがありながらも、喜んでいるその笑みは
魔術師に……魔術師だった男には
死神の笑みのように写った
その笑みを最後に、魔術師だった男は意識を失い、地面に倒れた
力尽き、意識を失って倒れた魔術師の男を見下ろしながら
衛宮士郎は深々と息を吐き捨てた
様々な感情が込められた吐息だった
悲しみ
怒り
痛み
ありとあらゆるものが含まれるその吐息を吐き捨てて
衛宮士郎は目の前に倒れた男を見つめた
「己」がした結果を……受け止める
しばらくそうしていただろうか?
衛宮士郎のそばに、深紅のコートを身に纏った凜が姿を見せる
そして、衛宮士郎の目の前で倒れている男の姿を確認して
「……やったのね?」
ただ一言、そう確認した
それに対して、士郎は再度小さく息を吐き
「……あぁ」
同じように一言、返していた
逃げもしない
隠れることもしない
ただ「己」がやった行為の結果を……
受け止める
そんな衛宮士郎の様子を細められた目から見つめて
凜は内心で盛大に溜め息を吐いていた
なんて難儀な生き方なのかしら
魔術使いから魔術師になるわけでもなく
かといって全てから逃げ出すわけでもなく
ただ衛宮士郎はこの地で生きていくと決めたのだ
まだ何を成していくかまでは見つけていない
だがそれでも、やめることだけは絶対にしないと
固く誓って
「己」を守りながら、縛り付けながら生きていくのだと
だがそれを望んだのは一人ではない
きっと二人は二人で生きていくのだろう
難儀な生き方だと思っている
だがそれでも、
そんな二人を助けるわたしも……大概かしらね
そう思いながら、凜は自嘲気味に笑った
この後この町に……冬木の町に住む人々が
「己」達が、どうなっていくのかはわからない
消えてゆく存在もいるだろう
祖先がそうしたように、この地の管理者として生きていく者もいる
そしてこの地で……何かを成して
死していく二人がいるだろう
もしかしたら増えるかも知れない
もしかしたら、すぐにでも減るかも知れない
その者達が今後どのような人生を歩んでいくのかは誰にもわからない
幸せになれるのか?
幸せになって良いのか?
不幸になるのか?
不幸になるべきなのか?
生きるべきなのか?
死ぬべきなのか?
その答えは誰にもわからない
ただ、これだけは言える
人々はきっと幸せになるだろう
そして「己」達はきっと、最後まで何かを成そうとあがくだろう
その結果がどのような結末になるのかはわからない
だがその結末をどう思うかは「己」達以外にいない
きっと「己」達は……
二人は
最後まで寄り添い、互いに互いを縛り付けるだろう
互いがいることを、幸せに思いながら
【技】編
終