――ポケモントレーナーになりたい。
十年前。エキジビションマッチを観終わって帰宅し、お父さんがこってり絞られた後、両親に切り出した。
「ポケモントレーナーって、まぁ13歳なら十分旅を始める頃だけど……。シロナさんかダンデさんに憧れたの?」
違う。言ってもらった。トレーナーとしてポケモンが見たい、そうじゃなくても夢を叶えてまた会おうと言ってもらった。
「あらぁ。学校の方は休校措置を申請すればいいけど、本当に行くの? けっこう大変って聞くわよ? それに料理に関わる仕事につきたいとも言ってたじゃない?」
トレーナーになっても料理の勉強はきっと継続できる。大丈夫、きっとなれる、ダンデさんみたいなカッコいいトレーナーになれる!
「……旅に行くのは止めないけどな。なれる、なんて確信も無しに言うものではないぞ」
お父さんが真剣な声でそういうからびっくりした。普段からポケモンバトルをテレビで見るのが大好きなお父さんなら、大賛成だと思ってたのに。
「今のお前には分からないとは思うが、トップトレーナーというのは絶え間ない努力、神に愛された才能、そして天に祝福された運の三つを持ち合わせた人間なんだ。ほとんどのトレーナーはそんな『天才』達が羽ばたくための踏み台にすぎない。そうやって踏みつけられて心を折ったやつを何人も知ってるよ、お父さんは」
静かに話すお父さんはさっきまでシロナさんを見て喜んでいた人物とは別人のようで。その瞳と声音は、心が凍りそうなほどの冷たさと、泣きたくなるほどの悲しさに満ちていた。
「お前には無理だ、なんて頭ごなしに決めつけるつもりはないけどね。考えておくことだよ、トレーナーになれなかった時のことを」
その時はひどい父親だとしか思わなかったが、二つ目のジムすらクリアできなかった時にあの言葉は真実だったんだと思い知った。後から知人に聞いたところ、父もまた昔はトレーナーを目指しジムバッチを全部集めるも四天王に歯が立たず、ゲットしたポケモンを全部逃がしていたんだそうだ。
「……お父さんは結婚してお前がお母さんのお腹にいるって分かった時、トレーナーへの未練をきれいさっぱり断てたんだ。これから父親になるのに勝ち続けられるか分からないトレーナーなんてやれない、ってね。それからテレビのバトルも楽しんで見られるようになったし、今の仕事にも食らいつけるようになったんだ」
あれから何年かして、シンオウ中の鉄道を管理する会社に勤める父が勤続20年記念の花束をもらった日、酔った勢いでそう話してくれた。
……このジムチャレンジが終わったら、父とお酒を飲みながら語り合いたいな。というより今すぐ家に帰りたい。何で急にこんなこと思い出すんだって、走馬灯を見てるに違いない。さっきから怖くて震えが止まらないし冷や汗も動悸も止まらないのだから走馬灯を見ても仕方ないだろう。
「すなあらし。逃がさねぇぞ」
目の前に立つ人物に退路を断たれ、走馬灯及びこの世に別れを告げる準備をした。さよならカントリーロード、さよならマイライフ。
そして何より、どうしてそんなに怒っておいでなんですか。……キバナさん。
話はほんの少しさかのぼる。バウタウンからエンジンシティに戻り、ワイルドエリアを北上して砂塵の窪地まで来た時のこと。相変わらずのポケモンの多さに驚きながらてくてく歩いていたら、何だか人が集まっている。誰かを取り囲んでいるようだ。
「ようお前ら、ジムチャレンジがんばってるか? そろそろアラベスクタウンぐらいは行けてないと、俺サマのとこに来るのがギリギリになっちまうぞ?」
人垣の上から顔が少し見えるあたり、高身長の人物だ。声音から男性でオレンジ色のバンダナのようなものを頭に巻いている。周辺を飛び回っているのは……、スマホに入ったロトムか。
「悪いが今はオフなんだ。ちぃっと人探ししててね。……はっは、ダンデが迷った訳じゃねーよ!」
ああ、そういえば見覚えがある。ナックルシティジムリーダー、キバナさんだ。ジムチャレンジの順番が最後だから、間違いなくガラルで一番強いジムリーダーなのだろう。ほへーという感想を残してその場を去ろうとした時、ふとキバナさんと目が合った。そして直感した。
あ、見つかった。
どうしてかは分からないけど、なぜかそう感じた。笑顔でペラペラとファンに話をしているキバナさんだけど、確かに一瞬、目が合った一瞬だけ静かでいて激しい感情を感じた。明らかに自分を『こいつだ』と認識したのを理解した。
――なんかすごく、ヤバい。
これは初めて強敵にこてんぱんに負けた時の感想を述べるミニスカートのセリフではない。ミニスカートだってもう少し語彙はある。単に言葉に表しにくいけど、明確な危機を察したということだ。このままキバナさんの近くにいるのは、なんかすごく、ヤバい。
「まだ今はナックルジムまで来られたチャレンジャーはいねぇな。一番早いやつでスパイクタウンってとこじゃねぇか?」
ははは、と笑うキバナさんの方を絶対に見ないようにしつつ、さりげなくその場を去る。私は何も関係ありません、と全身で表しながら早足になりたい気持ちを制しながら離れた。こういう時に走ってしまうと悪目立ちするし、何もなくても『逃げるってことは後ろめたいんだ!』といらぬ勘繰りを受けることになるのだ。
「んじゃ、俺サマも人探し再会するわ。頑張れよ~!」
キバナさんがファンに手を振ってエンジンシティの方に歩いていく。ああ良かった、よく分からないけど良かった。きっとあの目は見間違いだっだ。それはそうだろう、どうして有名人キバナさんなんかにガンつけられなければならないのか。
安心して移動を再開し、五分もしない時だった。
「――やれ、フライゴン」
低く抑えた声が聞こえた。嘘だろう、イケボを一人占めするにしては最悪のタイミングだ。それにフライゴンってことはジムリーダーがポケモンを使って奇襲をするのか。あまりのことにパニックになっていると、自分の前後にすなあらしが吹き荒れ始めた。どうやら巨大な砂の渦に閉じ込められたようだ。訳が分からない。
「すなあらし。逃がさねぇぞ」
本気で奇襲してきたその人は、上からフライゴンに乗ってゆっくり降りてきた。初めからこちらを油断させるために一度場を離れ、フライゴンに乗ってはるか上空から追ってきたというのか。でも、そんな執拗に追われるようなことをした覚えがない。だからこそ余計に怖くて震えが止まらない。
「ロトム、頼む」
フライゴンは出したまま、キバナさんはロトムを呼び出し何かを指示する。するとロトムがこっちに飛んで来てスマホの画面を見せる。そこには。
『ホシガリスポーズまた見た! 今度はルンパッパがやってるー』
という、写真付きSNSの投稿だった。はっきりいって拡散数も8とかいう小さな呟きであり、炎上した訳でも大ニュースになった訳でもない。ただ、今このタイミングでそれをこちらに見せる意味はただ一つ。
「その写真に写ってるトレーナー。……お前だな?」
お父さん、お母さん。せめて遺骨はシンオウに届けてもらえるように頼みますね。
「やっぱりそうか。他地方からの挑戦者は少ないからな。アタリを付けて正解だった」
さっきまでのひょうひょうとした態度はどこいった。真っ直ぐ見下ろすその瞳には怒りしか感じない。何をしてしまったのだろう。ホシガリス、お前もしかしてガラルでは名前を出してはいけないポケモンだったのか?
「……ダンデの野郎はな、子ども達にとっちゃヒーローなんだよ」
ん? と一瞬意味を掴みかねる。ダンデさんがヒーロー、それはよく分かる。ここにそのヒーローに憧れたまま大きくなってしまった人がいるから。
「一昨年チャンピオンが変わったが、新チャンピオンはまだ子どもだ。いくら強いっても子どもは子どもに『憧れ』はしない。『畏怖』はするけどな。だからいまだにガラルの顔ったらダンデってことになってる」
まぁ、開会式で見たあの子では威厳はないのは分かる。しっかりしてるとは思うけど、やはり積み重ねはダンデさんの方があるし、長年チャンピオンだったという実績は今なお人々の心に残っている。
「だから、今でもリザードンポーズは子ども、ひいてはガラルの共通する大切なポーズだ。あいつがガラルを背負ったからこそ余計に重たい意味を持ちやがったポーズなんだよ」
……ん? 待て、何かピーンときた。話の先を確信した。そしてそれはキバナさんの勘違いだということも。
「子どもが憧れて真似すんのはいい。子どもがダンデみたいになりてぇから自分のポケモンのポーズをするのもいい! でもな! 他所からきた奴が面白半分でやるのは許せねぇんだよ!」
やはりか。仕方がないとはいえ、キバナさんは誤解している。ホシガリスポーズがダンデさんを貶めるものだと思ってる。……良い大人がポーズするのって、やっぱりおかしいのだろうか。
「俺さまがドラゴンポーズするのはSNSで映えるためっつう目的がある」
あなたもやっているのか!
「お前は俺サマと違ってSNSやってねぇだろ! 自分を目立たせる為じゃなきゃ、何のためにわざわざよその人間がポーズなんかするんだよ! ごまかすなよ、他の地方じゃあ流行ってるポーズなんかねぇのは調べてあるぜ!」
これはダメだ。レイジさんには恥ずかしくて言えなかったけど、キバナさんには全部説明しないと分かってもらえない。キバナさんに、こちらには逃げる意思はないのでフライゴンで攻撃しないで下さいとお願いしてみる。
「……いいぜ。すなあらしを維持するために出してはおくが、お前に一切攻撃させねぇ。だから理由を教えろ」
仕方なく話す。十年前シンオウで偶然出会いエキジビションマッチを見てからダンデさんのファンになったことから、もう一度会ってバトルタワーで彼の忘れ物を渡すためにジムチャレンジに挑戦していて、その一環でホシガリスポーズがこの世に生まれたことまで全部伝えた。改めて説明すると、我ながらめんどくさい事をやってるなぁと顔が赤くなった。
「…………」
一方のキバナさんは全部話を聞いてくれた上で、沈黙している。そして。
「……つまり、そんなめんどくせぇ、ぶっちゃけダンデは忘れてるだろうことのためにシンオウからわざわざ来たってのかよ? んで、ダンデに見つけてもらえる可能性を上げるために、ホシガリスポーズをやってる?」
いえす。
「っは~~! マジかよ! 念のため誰かに見られないようにすなあらしを起こして正解だったぜ! 超ハズいじゃん!」
このすなあらし、保身のためだったのか。びびり損である。
「ていうかダンデのやつ、わりと言ってるからな? 『トレーナーになったらいつかバトルしよう』ってセリフ。ダンデらしいっちゃあダンデらしいけどな」
天然タラシだ。
「いや悪かった。本当に悪かった。ガラルも一昨年の事件からガラルスタートーナメントとかを経て、ようやく落ち着いてきたトコがあってよ。そんなダンデのやってきたことに泥かけるつもりかと思っちまってな。俺サマらしくもねぇことをしちまった。本当に申し訳ない!」
パンッと両手を合わせて深々と謝罪された。まさかそんな事情があったとは露知らず、こちらも紛らわしいことをやってしまって申し訳ない。誤解が解けて良かった。
「これからもホシガリスポーズ、やってくれて構わねぇよ。何かあったら俺サマのSNSまで連絡くれれば対応できると思うし。あんたの願いが叶うといいな。にしても、何かお詫びができりゃいいんだが……。ダンデに会わせる、だと意味ないからなぁ……」
それなら流行とかに詳しそうなキバナさんに教えてもらいたいことがある。
「カレーのレシピィ? 本当にそんなんでいいのかよ? 俺サマオススメは苦口ヴルストのせカレーだが……、おっ、そうだ。これやるよ。ガラルカレーのある意味真髄ってやつ? 珍しいんだぜ」
手渡されたのはガラスのビンに入った紅色の粉。食紅だろうか。
「キョダイパウダー。ワイルドエリアでダイマックスの巣を攻略してると時折手に入る代物でな。こいつをカレーに使うと面白いことになるんだ。今度実際にやってみ?」
そんなもの食べて身体を壊さないのだろうか。今まで問題になったことはないし、近くにあるヨロイ島という場所ではダイキノコにダイミツもあるらしい。ガラルすごい。
「という訳で、邪魔して悪かった。最後に一つ教えとくぜ。バトルタワーへ行くにはジムバッチを全て手に入れる必要がある。受付くらいなら入れるが、受付で待ち伏せたってダンデにゃ会えないだろうな」
つまり、と言いながらフライゴンの背にまたがる。スマホロトムをポケットにしまうとこう告げた。
「バトルタワーでダンデに会うなら、ジムバッチ最後の関門である俺サマを倒す必要があるってことだ。もしここまで来られた時は、ドラゴンの恐ろしさをその身に刻んでやるから覚悟しな」
こちらを射抜く青色の瞳が秘めるのは、最初の怒りでも普段の柔らかさでもなく。獰猛かつ貪欲な強者の余裕。ドラゴンタイプを操る男もまた竜だということか。飛び去っていく姿に再び震えそうになり、思わず唾を飲み込んだ。
「(……ありゃあどうだろうな。多分、自分でも分かってるけどナックルシティジムまでは来られないんじゃないかね)」
ダンデのように無責任なことは言わない。一度言葉に踊らされてモンスターボールを手放した人間に希望的観測など、古傷に塩を塗り込むようなものだ。
「(ホシガリスポーズ、ダンデに届くといいな)」
もう会うことはないだろう。キバナは振り返ることもなく、ナックルシティまで戻るのであった。
みんな大好きキバナさん回でした!
ダンデさんがローズ委員長を継いでガラルの発展を望む以上、ライバルを自称する彼もまた陰にそれを支えていてもおかしくない気がするんですよね。
信念のある大人って、カッコイイ!