焦っている。今までにないほど焦っている。ヤローさんに追い込まれた時と同じくらい、本当に焦っている。
「グレグレ」
グレッグルが示した先を見て覚悟を決めた。背に腹はかえられない。いずれ訪れる危機を事前に回避する必要がある。
そうだ。――バイトしよう。
エンジンシティジムクリアから数日。第二鉱山を抜けてバウタウンに到着した。気持ちいい潮風が吹き抜けるこの町で、自分はだらだらと冷や汗を流していた。どうしてか。それは視線の先にある、明らかに薄っぺらくなった財布が原因である。
「ンッパ!」
貧乏ゆすりが止まらない主を見かねてルンパッパが楽しそうに踊ってくれるが、苦笑いしか返せない。ガラルに来る前に旅のお金は計算しておいたが、大きな誤算があったせいで経費が足りなくなるかもしれないのだ。散財の理由は予想外のものだった。
カレーである。
キャンプセットを買ってしまった時から金を浮かすために毎日野宿をし、少しでも経費を減らすために他の人と一緒にカレーを作っていたら……、カレーを作ること自体にハマってしまったのだ。同じリンゴカレーでも普通、甘口、苦口、辛口、渋口、すっぱ口と大まかに分かれ、さらに木の実の配合で無数のレパートリーが生まれるのがたまらない。
シンオウに帰ったら、ガラル式カレーとポフィンをメインにしたお店を開こうか。実は料理人を目指していても具体的な方向は決まってなかったが、そう思ってしまうくらいにカレー作りは楽しかった。楽しすぎて――、気づけば食費の予算を大きくオーバーしていた。
「キキッ?」
今日もポフィンをかじりながらホシガリスがこっちを見てくる。その期待に満ちた目は財布を緩める魔性の瞳だ。見つめられるたびに嬉しくなって米を追加購入してしまう。はっきり言って米は安くない。 おまけにガラルの米よりシンオウの米の方がおいしいから、ガラルでシンオウ産の米を買うとより高くつくのだ。
「キリリー、キリ」
呆れた声でコロトックがいくつかのポフィンをホシガリスに取られる前に手もとにかき集めている。おや、と思うとグレッグルがいない。どうやらグレッグルの分を取っといてくれているらしい。こいつがいなかったらもっと食費が厳しいことになっていたに違いない。ありがとうコロトック。
「グレグレ」
そんなグレッグルが戻ってきた。手に何か紙を持っている。何だかんだグレッグルも仲間を気遣って行動することが多い。ありがたい、本当にありがたい。渡された紙を見てみると。
『私の成功体験講演会
~飲食店の皿洗いから出世したサクセス・ストーリー~』
……なるほど。焦りすぎて盲点だった。お金がなければ稼げば良い。自分は料理人見習いだ、それこそ飲食店で皿洗いだってお手の物。このスキルで日雇いをさせてもらうのだ。
グレッグルが近くの店を教えてくれている。シーフードレストラン、『防波亭』というらしい。示されたレストランに足を向ける。もしここで断られてもエンジンシティ駅構内にもレストランがある。それらのどこかで一日だけでも雇ってもらおう。
「えっ料理人!? 助かるなぁ、厨房手伝ってもらえるなら賃金はずむし、まかないも出すよ!」
『防波亭』に行き事情を話すと、一発OKでバイトとして雇ってもらえることになった。元々人手不足ではあったらしい。手持ちのポケモン達も連戦で疲れていることからレストランの裏手で休ませてもらうことに。ただしコロトックだけは別だ。
「うっそ玉ねぎのみじん切りいけるの!? ぼうじんゴーグルつければ玉ねぎで複眼がひどいことにならないんだ! すごいね君のポケモン!」
シェフが感動した声でコロトックを褒め称える。コロトックめちゃくちゃ喜んでいるな、あの反応。
「なぁ頼む! そのポケモン、ジムチャレンジ期間の間だけ貸してくれない!? もちろん賃金はその間も出すから! ……頼むよぉ! ここまで精密に野菜を切れるポケモン、初めて見たんだよぅ! なぁ、同じ料理人を救うと思ってさぁ!」
めちゃくちゃ心が揺れたが、唇を噛み締めてお断りした。コロトックの目が冷えていた気がする。ジムバトルでも貴重な戦力だ、もちろん貸し出すはずがないじゃないか、ははは。
店長はダメかぁーとため息をつきながらも料理を作る手を止めない。さすがである。ちらちら盗み見しているが、やはりレストランを任されるようなシェフの手際は素晴らしい。勉強になるところしかない。
「そうだ、まかないの夕飯、何がいい? シンオウの人ならガラルらしい料理にしようか?」
カレー!
「カレー? カレーでいいの? じゃあリンゴカレーにしようか? ……ふんふん、イアの実で前に作ったことがあるのね。よーし分かった、楽しみにしてなよ!」
やったー! と喜んだ目の前に、料理を詰めた弁当箱を差し出された。
「じゃあ、カレーをおいしく食べるためにも運動しないと! てことでちょっと出前してきてねー!」
……調子いいなこの人。
「はーいおまたせ! イアの実を使ったリンゴカレーだよ!」
料理を作っては出前に行き、また料理を作っては出前に行きを繰り返していたら、いつの間にか夜になっていた。こんなに料理に集中したのはいつ以来だろうか。でも同時にチラチラとポケモン達のことが頭に浮かんだのも事実。いつの間にか、料理もポケモンも比べることはできないけれど、どっちも大切なものになっていたようだ。
ポケモンバトルもできる、ポフィンとカレーのお店。
なんだかいいな。ノモセジムに挑む一年間、今のガラルでの道中、決して負け知らずという訳じゃない。何度も何度も負けて、悔しくて、でも次は勝ちたいと思えた。
特にノモセに挑んだ時は、ノモセジムのトレーナーにこてんぱんに負けるところからスタートだった。でも、ダンデさんに会うという決意が支えてくれた。
ただ食事を楽しむこともできるし、ポケモントレーナー同士がバトルを気楽に楽しめむこともできる。そんなお店があってもいいんじゃないかな。
「ふふん、疲れて物思いにふけるのも悪くないけど、君のポケモン達を見てみな?」
シェフの声に我に返る。言われるままに見てみると、何と四匹とも瞳を輝かせながらカレーをガツガツと食べているではないか。その輝きは『いつもよりおいしいカレー』だという驚きの光。そんなポケモン達の様子をシェフ手持ちのイエッサンが上品かつ自慢げに眺めている。慌てて一口食べると……。
「多少野菜の産地が違うとかはあるだろうけど、キャンプで作るカレーとほぼ同じ材料、条件で作ったよ。リンゴもワイルドエリアのだし、あえて煮込み時間もそんなに多くない。イアの実を使ったリンゴカレー。でも……、断然、こっちのがウマいだろ?」
スプーンをくわえたまま固まった自分を見て、シェフがイタズラ成功と言いたげな顔で説明してくれる。でも、そんなのおかしい。いくらなんでもそこまで自分の料理は下手ではない。ここまで味に差はつかないはず!
「そう怒んなさんな。もう一つ木の実を使ったんだ。……オボンの実。これを煮込まないですりおろし、食べる直前に入れて混ぜるんだ。そうすると辛み以外が際立つおかげで酸味のさっぱり感が増すのさ。僕オススメの調理法」
オボンの実を、すりおろす……!? 木の実を煮込む、もしくは砕く以外の方法で料理に使うとは、考えたこともなかった。これはポフィンにも応用できるかもしれない。
「僕もそこまで木の実アレンジに詳しい訳じゃないから、他にも色々あるのかもね。あとそのポフィン、僕にも見せて。……なるほどねー、焼き菓子ベースなのか。ポケモンの負担を軽くするようにバターもできるだけ使わないでオーブンでじっくり焼くとは考えられてるぅ。お菓子作りもやるならペロリームかマホイップのどっちかくらいガラルで捕まえて帰ってもいいんじゃない?」
……なんだって?
「ペロリームかマホイップ。ほら、お菓子ベースのフェアリータイプポケモンだよ。プロのパティシエなら一匹は持ってるってやつ。ポプラさんの切り札がマホイップじゃん。……シンオウにはいないの?」
そんなポケモンいない。詳しく聞くと、その二匹はそれぞれペロッパフとマホミルから進化したポケモンで、お菓子作りに助言をしたりパティスリーの成功を約束してくれたりするらしい。是非とも欲しいが時間制限のある旅。わざわざ探しに行くことができないのが悔やまれる。
「そっかーいないのか、捕まえられたらいいね。あ、今日ここに泊まっていきなよ。従業員用のベッドあるから。よく働いてくれたからね、サービスサービス!」
次はいつベッドに入れるか分からないこともあり、ありがたく借りることにする。それにしても今日という日は自分にとって、進む道を考えさせてくれる重要な日だった。ダンデさんに会うために来たガラルが、それ以上の意味を持ちつつある。
明日はいよいよバウタウンジム。ルリナさんへの挑戦だ。失礼のないように挑むためにもしっかり休息をとる。鍵となるルンパッパの入ったモンスターボールを投げながら、瞳を閉じた。
今回もちょっと短めです。
防波亭の出前イベント、最初分からなくて電車乗り継いで他の町に行っちゃったのは良い思い出です。
あとカレー楽しいですよね!