天の声が聞こえるようになっていた、はずなのに…… 作:MRZ
不安があるとすれば菊花賞は3000mの長距離。まだスペ達の誰もレースで走った事のない距離と言う事でしょうね。
それと、テイオーの担当医は写真のウマ娘と甘酸っぱい時間を過ごしてますのでご安心を。
……某作品のトレーナーも、あの能力が発現するのが今作のトレーナーと同じで成人した後なら、彼みたいになっていたかもしれませんね。
「……これなら前々から言っていた水中歩行を開始しても大丈夫でしょう」
レントゲンの結果を眺め、医師は自分の見立てが間違っていない事を確認し小さく頷くとそう口にした。
「「本当(ですか)っ!?」」
「ははっ……ええ。ただし、それも過剰にはやらないでください」
息ピッタリの二人に笑みを浮かべつつも、しっかりとくぎを刺す事を医師は忘れなかった。
そうしなければ水中歩行をやり過ぎてしまうような印象を受けていたのだろう。
トウカイテイオーが通院し始めて約一か月。たったそれだけでまさかの言葉が医師から飛び出していた。
勿論トレーナー達はあの最初の診察で言われた事を思い出して確認をとった。三か月は様子を見させて欲しいというそれを、彼らは医師へぶつけたのである。
すると医師曰く、最初にトウカイテイオーを診ていた医者はあくまで人間の感覚で考えていたのでは、との回答を返したのだ。
「ウマ娘の身体構造は謎めいた部分が多いんです。再生能力などもそうですね」
「そうですか……」
「トウカイテイオーさん、何かこの一月で気を付けた事はありますか? あるいは気を配った事でもいいので」
「えっと……骨を丈夫にしようと思ってよく魚を食べるようにしてた。あっ、それとよくお日様浴びてたよ。骨を丈夫にするのはお日様の光って教えてもらったからね」
「……もしかすると意識した部分を治癒する力が強いのかもしれないな」
興味深そうな声を出した医師を見て、トウカイテイオーはこれだけは聞いておかねばと決意するように身を乗り出した。
「ねぇ、いつになったらちゃんとしたトレーニング出来るの?」
「そちらはまだ何とも言えません。水中歩行ならギリギリ許可を出せるってぐらいなんです」
「いや、それでも十分です。テイオー、焦るな。例え少しでも前に進んだんだ。ここで焦ったら全てが無駄になる」
トレーナーは自分へも言い聞かせるようにそう告げた。
彼に聞こえる天の声は未だに“テイオーの調子は良くないな”から始まっているのだ。
ただ、やっと昨日辺りから“テイオーの調子は良くないな。トレーニング効率は最悪だ”となったので、トレーナーとしてもそれを簡易トレーニングを開始してもいい合図と医師の判断から考える事が出来たのだが。
こうしてトウカイテイオーは一か月で簡単なトレーニングを出来るようになった。
トレーナーの見守る中、スペシャルウィーク達と共にプールの中を嬉しそうに歩くトウカイテイオーは、それまでの鬱屈しそうな気持ちを払拭するような笑顔を見せた。
“テイオーの調子は良くないな。トレーニング効率は最悪だ”
それでもトレーナーの頭の中に聞こえる声は、トウカイテイオーの調子が一向に良くならない事だけを伝え続けていた。
そしてそうやって水中歩行を始めて三日程経過した時、トレーナーは思わず息を呑む事となる。
初日以外は基本トウカイテイオーだけが水中歩行を行う事にし、トレーナーはそちらへついて万が一に備える事にしていた。
その日も水着へ着替えて柔軟を終えたトウカイテイオーがプールへ入ろうとしていたまさにその時だった。
“テイオーの調子は良くないな。トレーニングは失敗する可能性があるぞ”
「っ?! テイオー少し待てっ!」
「え?」
これまで一切聞こえた事のない内容が聞こえてきたのだ。それもとても聞き流す事の出来ないものが。
トレーナーは慌ててプールに入ろうとしていたトウカイテイオーを制止し、血相を変えたまま彼女の事を注意深く見つめた。
“テイオーの調子は良くないな。トレーニングは失敗する可能性があるぞ”
再度確認した天の声は、やはりこのままトレーニングするのは危険を伴うぞと教えていた。
「……テイオー、今日は中止にしよう」
「も、もしかしてお告げ?」
真剣な表情で頷くトレーナーを見てトウカイテイオーは息を呑んだ。
そして反射的に足元へ目を向ける。何の変化もなく、今までと同じ状態の自分の足を見つめ、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「トレーナー……」
「テイオー、気持ちは分かる。けど、少しでも危険性があるなら避けるべきだ。幸い昨日も一昨日も何の問題はなかった。多分だがお前の体が、それも足が若干疲れを残してるんだ」
「……かもしれない。分かった。今日は大人しく止めておくよ」
「すまないな」
「ううん、むしろありがとうだよ。トレーナーじゃなかったら、ボクは三冠をとっくにあきらめてたんだ。それにさ、一か月待ったんだ。今更一日ぐらい平気だよ」
それがやせ我慢である事はトレーナーも分かっていた。それでも言葉をかける事は出来なかった。何を言えばいいのか浮かばなかったのである。
そんな彼に出来た事と言えば、小さな体で懸命に耐えるトウカイテイオーの事を思いきつく拳を握り締める事だった。
「えっと、じゃあボク着替えてくるね?」
「……ああ」
プールから更衣室まで戻っていく足音を聞きながらトレーナーは大きく息を吐く。
「教えてくれるのはありがたいが、どうせならもっと早く教えてくれよ……っ!」
折角上向いていたトウカイテイオーの気持ちが今ので若干落ちた。
それをトレーナーは天の声などなくても分かっていたのだ。
(目に見えない故障だったんだ。なら目に見えない疲労が蓄積したっておかしくないだろう! 迂闊にも程があるぞ、俺っ! 今のテイオーは誰よりも心が不安定になり易いってのにっ!)
至らぬ自身への怒りを抑え、トレーナーもプールを後にする。
出入り口付近で待つ事数分。着替えるだけにしてはやや時間が長いと思いながらトレーナーはトウカイテイオーを待った。
「お待たせ。いやシャワー浴びるかどうかで迷っちゃって。で、結局浴びちゃった」
「……そうか」
嘘だと、そう直感でトレーナーは思った。泣いていたのだろうと、そう察したのだ。
だがそれを感じて欲しくないというトウカイテイオーの気持ちを酌んで、敢えてトレーナーは気付かぬ振りをした。
「んじゃ行くか」
トウカイテイオーと共にトレーナーはスペシャルウィーク達がトレーニングをしている場所へと向かおうと歩き出した。
内容はどうであれやる事がなくなってしまったのだ。なら三人の事を見ていてやりたいと考えるのは当然と言えた。
「でもさ、これで安心したよ。トレーナーがいれば、ボクはちゃんとトレーニング出来るって分かってさ」
「…………」
「いやぁ、ホント良かったなぁ。これからもよろしくね、トレーナー」
無言のトレーナーへ笑顔で話しかけるトウカイテイオー。その笑顔が普段とは違う事を見抜き、トレーナーは足を止めた。
「テイオー、強がるのは今じゃなくていいんだ。それは、みんなの前だけにしろ」
「つ、強がってなんかないって。ホントトレーナーが」
その言葉を最後までトウカイテイオーは言えなかった。何故なら振り向いた先には申し訳なさそうなトレーナーの顔があったからだ。
彼はトウカイテイオーの目線へ合わせるようにしゃがみ、その目を真っ直ぐ見つめるようにすると静かに頭を下げた。
「本当にすまん。もっと、もっと早くお前の事に気付いてやれたら、少しだけでもその心の痛みを減らしてやれたのに……」
「や、やだなぁ。別に気にしてないって。トレーナーってば気にし過ぎだよ」
「今のお前に関しては気を遣って遣い過ぎな事なんてないよ。今俺達は誰もやった事のない、やるはずもない事へ挑んでるんだぞ?」
告げられた言葉にトウカイテイオーの笑顔が固まった。
「しかも、それで一番大変で怖いのはテイオー、お前だ。俺も大変じゃないとは言わないが、お前よりもそれは軽い」
「……そんな事ないよ」
放たれた声には先程までの明るさはなかった。その顔には先程までの笑みはなかった。
あるのは震え。そして微かな悲しみと同程度の喜びが同居したような表情だ。
「もしトレーナーがいなかったら、ボクは今頃空元気で無敗のウマ娘を目指すって言って必死に自分を誤魔化してた。あるいはヤケになって暴れてたかもしれない。無敗か三冠か。そんな選択肢さえ与えてもらえなかった。だけど、トレーナーはそれだけじゃなく二つ共目指していいって言ってくれた。一緒に頑張ろうって言ってくれたんだ」
あの日は涙が出てきた事も、何とかトウカイテイオーは瞳を潤ませるだけで感情を抑える事が出来た。
代わりに自分が選んだ事の意味とそれをさせてくれたトレーナーへの感謝が込み上げてきてはいた。
「トレーナーはボクにこう言ってくれた。まずは自分に勝てって。ごめん。さっきのボクはそれを忘れてた。少しトレーニング出来るようになったら、すぐに心が弱くなってたみたい」
「テイオー……」
「もう心配しないで。ボクはもうボクに負けないから。ちょっとの遅れがなんだ。一か月も遅れたんだ。なら今さら一日ぐらい平気さ。その代わり、本格的なトレーニングが出来るようになったら……」
「ああ、俺が全神経を研ぎ澄ませて天の声を聞いてやる。そしてお前が菊花賞を一着で走り切れるようにしてみせる」
「うん、信じてる。ボクに夢への道を残してくれたキミを」
その日、トウカイテイオーはそのまま寮の自室へ戻った。ちゃんと体を休めるために。
そしてトレーナーへはスペシャルウィーク達の事を見ていて欲しいと告げて。
ライバルであり仲間でもある三人。その成長を遅らせて勝つなどは考えないという彼女なりのプライドであった。
(焦るもんか。本当ならチャレンジさえ出来なかったんだ。なら、絶対菊花賞に出てみせる。そして、そこで勝って無敗の三冠ウマ娘になってやるんだっ!)
強く決意するトウカイテイオーだったが、そんな彼女が意図的に考えないようにしている事があった。それは菊花賞が長距離レースである事。
これまでトウカイテイオーが走った事のない距離である3000m。それを走り切り、更に並み居るライバル達を抜き去る事が出来るかどうか。それだけのスタミナが身に着けられるか否かを、この時トウカイテイオーは敢えて考えないようにしていた。
だが、その事へ正面から挑み続けているウマ娘がいる。
「はぁ……っはぁ……」
「どうしたスズカ。菊花賞を見据えたトレーニングを始めてもう少しで一月になるが一向に成果が出ていないぞ」
「す、すみません……」
誰よりも走る事が好きなサイレンススズカが表情を歪め、荒く呼吸を繰り返す状態となっていた。
「菊花賞の距離は3000mだ。しかも本来はそれを何人もの強豪ウマ娘達のプレッシャーを後方から浴びながら走るんだ。なら誰もいない状態の3000mで出すタイムを本番で越えられるはずがない。それがこんなに不甲斐無いタイムで本番を逃げ切れると思うのか?」
それが3000mという距離の持つ恐ろしさである。中距離ならば無敵の強さを持つサイレンススズカであっても、3000mの長距離ともなれば話が違ったのだ。
「……もう一度、走らせてください」
「それはいいが、今度のタイムが今までの記録を上回らなかったら今日のトレーニングは終了。そして三日は休養にあてる。いいな?」
「はいっ!」
瞳に闘志を燃やして、サイレンススズカは再び呼吸を整えてスタート位置へと移動する。
その姿を見守る女性トレーナーはどこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
走る事が好きなサイレンススズカだが、そんな彼女に足りなかったのは他者に勝ちたいという闘争心だった。
それを不調を乗り越えたと同時に身に着けたと感じたのだが、その感覚が間違いではなかった事を今も実感出来ているからこその喜びだ。
「位置に着いて」
メガホンとストップウォッチを手にしたまま女性トレーナーが発した声でピンッと空気が張り詰める。サイレンススズカは表情を凛々しいものへ変え、眼差しさえも鋭くした。
「……スタートっ!」
「っ!」
弾かれるように走り出す異次元の逃亡者。その姿を険しい表情で見守る女性トレーナー。
「……2400までなら勝てるが3000となるとそうはいかないと分かってはいた。分かってはいたが……」
さすがのサイレンススズカでも長距離を中距離のように走る事は出来なかった。
どれだけスタミナを鍛えても距離の壁は簡単には破れない。それでもサイレンススズカは菊花賞に出たかったのだ。
(セイちゃんやスペちゃん、キングちゃんにテイオーまでが出るレース! 皐月賞の借りを返すにはそこしかないっ!)
どこかで慢心していたのかもしれないと、あの皐月賞の後でサイレンススズカは思った。
あるいは、自分の走りを貫けば負ける事はないと思い込んでいたのかもしれないとも。
ある有名ゴルファーの言葉にこういうものがある。
人は自分が負けた時に様々な事を学び得るが、勝利からは学び得る事は少ない、と。
まさしく逃げウマ娘としてのサイレンススズカがそうだった。逃げを打てば負けなしの彼女にとって、あの皐月賞は衝撃であり色々と学ぶものが多くあったレースだった。
そしてそれによって結果的にサイレンススズカは強くなった。
自分が負ける理由を正しく認識した事によって精神的に強くなれたのだ。
(私が私の走りを出来れば誰も勝てない! なら、あとはそれをどんな時でも出来るようにすればいいっ!)
距離に関係なく得意の逃げを可能とする。それが今サイレンススズカが目指す事だった。
「あと1000っ!」
メガホンを通して聞こえた声にサイレンススズカが表情を険しくする。
中距離で短めのレースならばゴールとなる距離。そこから更に1000mも走る。それがサイレンススズカにとっては自分の走りが出来なくなる要因だった。
普段ならゴールするかラストスパートをかける距離。だがそれが出来ない。スタミナ的に厳しいのだ。
(でも……っ!)
今までのタイムを超えるには厳しい事を乗り越えないとならない。そう思ってサイレンススズカは走り続ける。
残りが800となり600となった辺りでサイレンススズカは決意する。
(例え失敗してもいい! 残り400になったら全ての力を出し切るっ!)
どれだけ辛くとも自分の走りを貫く。そんな気持ちでサイレンススズカは真っ直ぐ前を見つめた。
「残り400っ!」
「っ!」
力強く足を踏み込み、サイレンススズカは加速した。その加速は本来よりも鋭さに欠けていたが、それでも構わないとサイレンススズカは走った。
普段とは違う、切れの無い加速。けれどその姿は乱れる事無く美しいフォームとなっていた。
その姿に女性トレーナーは思わず息を呑む。それこそは彼女がサイレンススズカを初めて見た時に惚れ込んだ姿だったのだ。
(戻ってきた……。いや、疲れ果てた事で一番自分が楽な体勢へなったんだ)
先行ウマ娘として走らされている内に徐々にサイレンススズカのフォームは変化していた。
それは逃げウマ娘となった後も変わらなかったが、疲労が重なる事で体が一番楽な姿勢を取ったために本当のフォームを取り戻したのである。
ゴールを駆け抜けた瞬間に女性トレーナーがストップウォッチを止める。そしてすぐに視線をそのタイムへと向けた。
「……タイムは僅かに上がった、か」
だがしかしそれ以上の収穫があった。そう思って彼女は笑みを浮かべた。
手にしていたメガホンを急いで口へ近付け、今にも停止しそうなサイレンススズカへ向かって彼女は叫ぶ。
「スズカっ! そのままもう一周だっ! ゆっくりでもいいっ! 今の自分の走り方を体と頭にしっかり思い出させろっ! 返事はいらんっ!」
喜びを声に乗せて叫ぶ女性トレーナー。その声に励まされるようにサイレンススズカはそのままコースを走っていく。
未だ3000mで絶対の逃げを出来ないサイレンススズカではあったが、この日を境にゆっくりとその距離へ適応し始める事となる。
そして同じようにスペシャルウィーク達も長距離に苦しんでいた。
「き、きつい……っ」
「こ、これで本番はっ……て、テイオーもいるんだからね……」
「ぜぇぜぇ……か、勝てるビジョンが……っ悔しいですけど……浮かびませんわ……っ」
揃って荒い呼吸を繰り返すスペシャルウィーク達。ただ、突っ伏すように倒れ込んでいるスペシャルウィークに対し、セイウンスカイは四つん這いになり、キングヘイローは空を見上げるように倒れ込んでいた。
しばらくその場には三人の荒い呼吸のみが響く。七月の熱い風が汗を乾かすように吹き付け、僅かな涼しさと微かな不快感を残して消えていく。
「……けど、勝てないとも思えないんだよね」
ポツリと呟かれたその一言には、静かな自信がたしかに込められていた。
思わずスペシャルウィークとキングヘイローが顔をセイウンスカイへ向けてしまう程に。
その視線を受けてか、セイウンスカイはその場にゆっくりと立ち上がって空へ顔を向けて笑みを浮かべた。
「今私達が苦しいって事はさ、他の人達も同じように苦しいはずなんだよ。じゃ、勝てない相手じゃないんだ。そう思えば大丈夫だって」
「セイさん……」
「そうね。ええ、そうだわ。わたし達が苦しいのなら他のウマ娘も苦しくないはずがないもの」
どこか呆気に取られているスペシャルウィークとは違い、キングヘイローはもう既に自信を取り戻したかのように獰猛な笑みさえ浮かべて上体を起こしていた。
「それにさ、私達だって最初3000走った時は声を出す事も出来なかった。それが今は何とか喋る事が出来るようになってきてる。なら本番には3000mを走り切るだけじゃなく、そこで入着が最低でも出来るぐらいになってるよ」
サラリとそう告げてセイウンスカイは微笑む。その表情には、長距離への不安ではなくしっかりと成長を遂げている自身への期待が宿っていた。
「どうしたどうした? 休憩中か?」
「「「トレーナー(さん)?」」」
そこへトレーナーが姿を見せる。彼は疑問符を浮かべる三人へテイオーのトレーニングを中止した事を告げ、彼女からの伝言もあってここへ来た事を説明した。
「で、どうだ? 3000mには慣れてきたか?」
「慣れてきたって言えば慣れてはきましたけど……」
「まだ何とか走り切れてるって感じかなぁ」
「正直レースで勝つなんて言えるレベルじゃないわね」
「そうか……」
これまで中距離を主戦場としてきた三人。それ故にトレーナーはテイオーがチームに合流した次の日から、三人にはスタミナトレーニングの一環として3000mを定期的に走らせていたのだ。
それに真っ先に順応したのはセイウンスカイだった。次にスペシャルウィークで、キングヘイローは未だに順応し切れていなかった。
この後トレーナーが見てる前でもう一度走ってみせたが、やはりまだまだ一着を狙えると思える程の状態ではなかった。
だが、それでもトレーナーはある意味で不安を抱く事はなかった。何せもうすぐ合宿が始まるのだ。そこで三人は更なる成長が図れると、そう確信していたのである。
しかし、ある意味では不安を抱いていた。
(セイ達は合宿で菊花賞に向けての調整が出来る。だがテイオーは無理だ。何とか合宿までに普通のトレーニングが出来るようになればいいんだが……)
トウカイテイオーの状態はやっと水中歩行が出来るようになった段階で、とてもではないが本格的なトレーニングなど出来るはずもなかった。
しかも今日などその水中歩行さえ危険性があると天の声で言われてしまったのだ。これでは合宿でトウカイテイオーが出来る事はほとんどないに等しい可能性がある。
(……こうなったら合宿の時、テイオーにはトレーニングを始める直前に間を作ってもらうか。そこで天の声を聞くしかない)
スペシャルウィーク達に菊花賞を勝って欲しい気持ちと同じぐらい、今のトレーナーにはトウカイテイオーに三冠を取らせてやりたい気持ちがある。
だからこそ四人が出来るだけ公平になるように考えているのだ。
トレーニングも、トウカイテイオーが医師から完全なる許可をもらい、天の声による危険性を訴える事がなくなれば、三人と同じものを原則としてさせようと考えていた。
故に、合宿中をどうするかは迷う必要はなかった。
いくらトウカイテイオーが怪我をして大変だと分かっていても、それに菊花賞が始まるまで付きっきりとなれば三人の精神面はあまり良好になるとは思えなかったからだ。
「セイ、スペ、キング、よく聞いて欲しい。テイオーはまだ本調子には程遠い。俺が傍で目を光らせないといけない程だ。だからこそ、合宿ではお前達三人へ目を光らせるつもりだ」
「「「え?」」」
「合宿ではテイオーもお前達と同じ事をさせるつもりでいる。ただし、少しでも危険だと判断したらあいつには見学しててもらうがな」
それはトレーナーなりの三人への宣言だった。自分はトウカイテイオーを特別視してる訳ではないと。
合宿中は元々の担当だった三人を重点的に指導し、場合によってはトウカイテイオーを見学させてでもそれを貫くと言い切ったのだ。
「俺は、正直世界で一番幸せなトレーナーだ。テイオーの三冠を達成させる手伝いが出来て、お前達の皐月やダービーでの雪辱の手伝いも出来る。俺には四人ものウマ娘がいて、それぞれが夢を、希望を、可能性を見せてくれてるんだ。セイを菊花賞で勝たせて世代最強の逃げウマ娘と呼ばせてやりたいし、キングを菊花賞で勝たせて長距離だって勝てるウマ娘だと思わせてやりたいし、スペを菊花賞で勝たせて凄い差しウマ娘だと思わせてやりたいし、テイオーを菊花賞で勝たせて無敗の三冠ウマ娘にさせてやりたい。担当全員が凄い奴だと、悩ましい問題だがこんなにも幸せだ」
噛みしめるようにそう告げ、トレーナーは笑みを浮かべる。
「出来る事なら全員勝たせてやりたい。だがそんな事は不可能だ。しかしこれだけは分かってくれ。俺はお前達の誰かだけを特別視する事はしない。勿論時にはそう見える時もあるかもしれない。けど、俺にとってお前達は同じだけ大事で、大切な存在だ。お前達それぞれの夢を叶えてやりたいと心から思ってる。それだけは、分かっててくれ」
「「「トレーナー(さん)……」」」
静かに語られた言葉が三人の心へ響く。どこかでトウカイテイオーへの接し方などを見て、三人はそれぞれに不安を抱いていた。今回のトレーナーの言葉は、まさしくそれを払拭するかのような発言だったのだ。
(私の夢、日本一のウマ娘になる夢……。それを叶えさせてくれる、かぁ。じゃあやっぱり最終目標はジャパンカップかな? ……うん、絶対そこで一着になってみせるんだ。私は、絶対日本一のウマ娘になるんだからっ! そのためにも一つ一つのレースを勝ちに行かなきゃっ!)
(わたしの夢、ね……。三冠はもう無理だけど、だったら春秋の重賞を狙いましょうか? 春秋の天皇賞。それをキングが制覇する。ええ、これ以上なく王者な感じだわ。天皇も王だもの。なら来年が勝負の年になるわね。特に春の天皇賞は3200の長距離。それで勝つためにもまず菊花賞を取りに行くわよっ!)
(私の夢かぁ。特にこれと言ってないけど……可能ならやっぱ最強の逃げウマ娘を目指したい、かな。スズカさんにも負けない逃げウマ娘とかね。手始めに長距離で逃げ切ってみせようか!)
改めて夢を確認するスペシャルウィーク。次なる夢を定めるキングヘイロー。明確な夢を決めるセイウンスカイ。
その三人の表情を見てトレーナーは微笑んでいた。分かったのだ。三人がそれぞれの夢を胸に抱いているのが。
緩やかではあるが動き始めるそれぞれの運命。
三冠目指して苦しく厳しい道を歩くトウカイテイオー。
自分の本当の走りで雪辱を誓うサイレンススズカ。
幼い頃からの夢を掴むために勝利を誓うスペシャルウィーク。
天皇賞の春秋を制するべく菊花賞で自分を試そうとするキングヘイロー。
最強の逃げウマ娘との称号を得る一歩として意気込むセイウンスカイ。
最も強いウマ娘が勝つと言われる菊花賞。果たしてその栄冠は誰の頭上に輝くのだろうか……。
次回は夏合宿。
初年度は三人で、しかもキングとテイオーの秘密の勝負がありましたが、今回はどうなるんでしょうか……?