天の声が聞こえるようになっていた、はずなのに…… 作:MRZ
テイオーがチームに加わって一か月以上。遂にこの時がやってきたって感じだ。
「合宿? ボク、行ってもいいの?」
「ああ。むしろ置いてくはずないだろ」
「トレーナーっ!」
「うおっ!?」
「「危ないっ!」」
その言葉にテイオーが嬉しそうに抱き着いて、思わずトレーナーが倒れそうになるのを慌てて私やキングが支える。
テイオーはあの水中歩行を開始してから今までで数回それを休む事があったみたい。
今のテイオーに出来るのは水中で歩く事だけなのに、それさえも危ない時があるって言うのが怖い。
だからテイオーは複雑な心情だと思う。尻尾が不安げに揺れてるし、表情も強張ってる事が多い気がする。
トレーナーはテイオーの事は絶対大丈夫だって言ってたけど、やっぱり本人は怖いんだろうな。
「先生も最近のお前の状態と俺の話を聞いて許可を出してくれた。まぁ最悪見学ばかりになるかもしれないが、こっちに一人残す方が心配だしさ」
「そうですよテイオーさん。それに同じチームじゃないですか。全部同じ事は出来ないかもしれませんけど、留守番してるよりも一緒の方が気持ちはマシだと思います」
「スペちゃん……」
「そうね。それともテイオーは一人で留守番がいいのかしら?」
キングがそう言いながら苦笑する。言われたテイオーは大きく首を横に振った。ホント可愛いなぁ。
「テイオー、心配するな。絶対お前の状態を悪化させはしない。先生だけじゃなくお前にもそう断言する」
「トレーナー……」
「夏の合宿で思いっきり動けないのは辛いとは思う。それでも海で気分転換をするぐらいは許可してもらった。プールのようにはいかないが、向こうでも水中歩行は出来るしな。ゆっくりでも前に進むぞ」
「うんっ!」
うわぁ、満面の笑顔。ああしてると本当に可愛い女の子だよねぇ。
でもテイオーが入ってきた事で私達もそれまでとは違った雰囲気が出来た。
まず夜の勉強会。それがテイオーが来てからより短時間集中で終わるようになった。というのもテイオーがみんなでおしゃべりやトランプをしたがるんだよね。
おかげでスペちゃんの学力がぐんぐん上がってる。まぁ私もだけどさ。年下の子に教わるってのはさすがに年上としてのプライドが、ねぇ。
あとトレーニング中も違う。テイオーが水中歩行を始めてからはまた戻った感じがあるけど、それまでは見られてるって事で色々とタメになる事が多かった。
トレーナーとは違う視点や考えで私達を見てるせいか、テイオーの意見や疑問は私達も割と役に立つ事が多かったし。
その後は久々に全員でプールへ集まっての水中歩行。実はこれが地味に難しいんだよね~。
正しい姿勢で歩かないといけないっての、ホント地味に辛い。ついつい泳ぎたくなる気持ちをグッと堪えないといけないしさ。
「つめた~い!」
「だねぇ。でも気持ちいいよ」
「ちょっと、二人共もう姿勢が乱れ始めてるじゃない」
「トレーナーさーん。テイオーさんとセイさんにやり方を教えてあげてくださーい」
「ったく、セイはともかくテイオーはちゃんとやってくれ。はしゃぎたいならプールの外だ。いいな?」
「「はーい」」
私とテイオーが間延びした感じの返事をすると、キングがそんな私達を見て呆れるようにため息を吐いてた。スペちゃんは苦笑、かな。で、トレーナーはやれやれって感じで頭を掻いてる。
そうやって始まったトレーニングだけど、やっぱりどこか普段のそれとは違ってた。
「やっぱりトレーニングって感じじゃないですね」
「そうね。でも走る事よりも足への負担は少ない事で鍛えるにはこれぐらいしかないし」
「だね~。テイオー、どう? もう慣れた?」
「うん」
「今回も問題ないみたいだな。けど焦らず歩くんだぞ」
「分かってるって」
笑顔でプールの中を歩くテイオーだけど、脚の怪我ってどんなものなんだろう? 一か月はトレーニング出来なくて、再開してもこんな感じの足へ負担をかけないものだし、それさえも時々休まないと駄目なんて……。
テイオーを見つめるトレーナーは、いつかのスペちゃんやキングを見る時よりも真剣な表情だ。その眼差しも今までにないぐらいキリッて感じ。
「もしかしてかなり重症?」
そう考えると納得出来る。何でテイオーが私達のチームへ入ったのか。何でトレーナーがあれだけテイオーには鬼気迫る雰囲気になるのか。
それは、テイオーの怪我が下手をするとレースに出られなくなるものだからじゃないかって。
だからダービーの後のライブへ出なかった。ううん、出なかったんじゃない。出さなかったんだ。
あれはトレーナーが止めたんだ。私達の事を見てたら自然とテイオーも視界に入ったはずだし。
「らしいなぁ……」
故障する危険性があるのにテイオーを担当する事にしたのはそういう事だ。
トレーナーはどっちに転んでもいいように自分が全ての責任を負うつもりだ。
テイオーもきっとその可能性を聞いててトレーニングを始めてるはず。
それぐらい本当に三冠を目指してるんだ。本気で、全てを失うかもしれない覚悟で。
「よし、それを最後に上がってくれ」
「「はーい」」
「はいは短く」
「まぁまぁ、別にいいじゃん。たまにはゆる~い感じでもさ」
「緩いにも程があると思うんだけど……」
渋い顔をするけどキングはもう何も言わなかった。その視線の先には笑顔でトレーナーへ近寄るテイオーとスペちゃんがいる。
二人して構ってオーラを出してる辺りが可愛いなぁ。やっぱりあの二人って末っ子気質だよね。
「セイ」
「ん?」
トレーナーへじゃれつく二人を眺めてほのぼのしてると、後ろにいるキングから声をかけられた。
振り返ればそこには若干不安そうな顔のキングがいた。その眼差しはトレーナー達を、いや多分テイオーを見つめてた。
「本当に菊花賞に出るつもりだと思う?」
「……うん。絶対出るよ」
「三冠を取るために……か。まぁ一度言った事を貫こうとするところは褒めてあげるけどね」
そう言いながらもキングの表情は変わらない。これ、キングもテイオーの怪我の事、気付いてるんじゃないかな。
「キング、それでもテイオーは」
「分かってるわ。あの子は絶対一着を狙う。けどそんな事させてなるものですか。怪我でトレーニングを満足に出来ていない時期があった相手に、無敗のまま、三冠を取らせるなんて」
「キング……」
言葉自体は勝気なのに、それを言ってるキングの表情は悔しそうな悲しそうな、そんな何とも言えない顔だった。
キングはきっとテイオーの気持ちになってるんだ。無敗の三冠を宣言し、そこまで王手をかけた。なのに、あと一つってところで怪我をしてしまって目標から遠ざかっている。
そして、宣言を達成しようとすれば自分の選手生命が終わるかもしれないとなった。
「本当に、させてなるものですか。ええ、簡単にさせてなるものですか」
その言葉は、キングの優しさと王者を名乗るプライドだと思う。
テイオーが本調子なら取れたかもしれない三冠。そう、本調子でさえ取れたかも、なんだ。それにテイオーは本調子ではない状態で挑む。それが何を意味するのかを一番分かってるのはキングだ。
だからこそ全力でそれを阻止にいく。取らせてやりたい気持ちはあるけど、情けで負けてやるなんてテイオーには侮辱でしかないからね。
「そう、だね。私達がいる以上、全力で菊花賞だけは取りに行かないと」
「ええ。同じチームとなった以上、余計に勝たせるつもりはないわ」
全力でぶつかり、その結果負けるならテイオーも納得出来るはずだ。そして、その逆も……。
今年もまた夏合宿の季節がやってきましたわ。去年と違うのはチームの人数が三人ではなく四人になってる事ね。
「海だ~」
「テイオーさん、はしゃぐのは程々ですからね?」
「分かってるって。スペちゃんは心配症だなぁ」
「いやいや、テイオーはちゃんと言っておかないと全力で楽しんじゃうでしょ」
本来合宿初日はトレーナー方針で簡単なトレーニングしかやらない事となっている。
でもテイオーだけ別メニューとはしたくないトレーナーは、医師との相談でトレーニングメニューを考えてきているらしく初日の今日は休養とした。
だから今のわたし達はこれから始まる合宿への英気を養うという理由で遊ぶ事になった。
トレーナーはパラソルの下でこちらを監視するように立っている。
「テイオーは絶対バタ足をするんじゃないぞ~っ。海の中で遊ぶなら誰かに掴まるか浮き輪で浮かぶだけにしろ~っ」
「分かってる~っ!」
完全に親子か兄妹の会話じゃない。まぁテイオーがトレーナーに懐いてるのは今に始まった事じゃないけど。
「それでどうする? 海に入る?」
「もっちろんっ! スペちゃん、ボクの浮き輪を引っ張ってもらってもいい?」
「はい、いいですよ」
「なら私も引っ張ってあげるよ。のんびりね」
「ありがとっ」
スペもセイもテイオーへは甘いですわね。これも彼女が甘えん坊気質で妹分だからでしょうけど。
「キングさんはどうしますか?」
「わたしは一人で勝手に泳いでるから」
何となくテイオー達と距離を取りたかった。何も嫌いという訳じゃない。むしろあの子の決意には敬意すら覚える。
だからこそわたしは今の自分を鍛えたいと思った。体の状態はテイオーよりも上なのに、心では上になれていないと感じてしまうそんな自分を。
泳ぎながら思い出す。テイオーは無敗の三冠をメディアで宣言し、それへあと一歩と迫った。その後トレーニングさえ出来ない状態となりながらもまだ三冠を諦めず前を向いている。これだけでも帝王の名に相応しいと言える。
対してわたしはどうだろう。未だ一着を取ったのはメイクデビューだけという体たらくに加え、ホープフルを始めとするGⅠで入着がやっとと言う始末だ。勿論重賞で入着出来ているというのは立派かもしれない。けどそれは普通のウマ娘の場合よ。わたしはキング。王者の名を持つ者なのだから。
「せめてクラシックでGⅠを一勝はしないと情けなさ過ぎるじゃない……っ!」
菊花賞で勝てるかどうかは分からない。だから最低でもそこで入着出来なければわたしはキングという名に相応しいとは言えない。
もし、もしも菊花賞で入着出来なかった時は……
「出来なかった時は……」
きっと誰もわたしへの陰口をたたく事はしないだろう。けれどわたし自身が許せないと思う。
とてもじゃないけど春秋の天皇賞制覇なんて言えないわ。そういう意味でも菊花賞はわたしにとって大事な一戦ね。
「……わたしを長距離だって勝てるウマ娘に、か」
ふとトレーナーが言った言葉を思い出す。長距離なら、じゃない。長距離だって、と、そう言ってくれた。
「ふふっ、まだわたしは中距離さえも一着を取っていないのに」
そこで思い出した。セイもスペもそうだった事を。
「そうよ。わたし達は誰もまだGⅠで一着を取ってない。なら余計テイオーに取らせる訳にはいかないじゃない」
トレーナーを信じて指導を頼んだのはわたし達だ。テイオーには悪いけれど、担当を変えたばかりの存在にトレーナーへGⅠ勝利なんてプレゼントさせてなるものですか。それは最低でもわたし達三人が最初にするのよ。貴方は二冠ウマ娘で十分でしょう。
「思い出したわ。そうよ、わたしが彼女の三冠を阻むのよ。無敗のトウカイテイオーに土をつけるのはこのキング。王者であるキングヘイローなんだからっ!」
去年この合宿で帝王に非公式とはいえ負けを与えたのはわたし。それを思い出して決意を新たにする。
必ずわたしは菊花賞でテイオーよりも先にゴールを通過してみせるのだ、と……。
合宿が始まり、私達は去年以上の成長を誓ってトレーニングへ打ち込む事になった。
けど、やっぱりテイオーさんはほとんど参加出来なくて砂浜でのクイズ大会へ参加する事が多かった。
トレーナーさんが言うにはそれなら足を使う事もないから大丈夫って事みたいで、テイオーさんは何度も連続正解を出してたらしい。
それで、合宿も半分を過ぎた辺りで何とテイオーさんが私達と同じトレーニングを受ける事になった。
とはいえそれは週に一回だけで、その前にはわざわざ通ってる病院へ行ってから許可をもらってしてる。
しかもしかも、その時だけはじめましてな人達と一緒にトレーニングする事になった。
その人たちはテイオーさんが前に担当してもらってたトレーナーさんのチームの人達で、トレーナーさんが前々から相談してたみたい。
「ツインターボだ。よろしくな」
「イクノディクタスです。よろしくお願いします」
「マチカネタンホイザ、よろしくね」
「ナイスネイチャだよ。よろしく~」
自己紹介だけでも個性が出てるというか。でも一緒にトレーニングするのは楽しかった。
スズカさんとやった時とは違う感じで、ネイチャさん以外はまだデビュー前って言うのも大きいのかもしれないけど、何だか一生懸命だったからかな?
ただトレーナーさんがトレーニング終わりに何か驚いた顔をしてたのが印象的だった。
すぐに四人の担当トレーナーさんへ何か話を始めて、私達はその話が終わるまでの間、四人に水中歩行のやり方を教えて時間を潰したけど。
「な、中々むずかしいな……」
「ターボさん、乱れてますよ」
「これをテイオーさんはいつもやってるの?」
「うん。まぁ時々念のためにお休みするけどね」
「いやいや、でもこれ中々いいかも。プールで時々テイオーが歩いてるってのは聞いてたけど、こういう事だったんだね~」
以前のテイオーさんはチームに所属といってもまったく顔を出す事もしてなかったからか、ネイチャさん達と触れ合うのが新鮮みたいで楽しそうにしてた。
午前中のトレーニングが終わって、みんなでお昼ご飯を食べる事になって、私はネイチャさんの隣に座った。セイさんはタンホイザさんの横で、キングさんはディクタスさんの横だ。テイオーさんはターボちゃんが横に座ってる。
「そっちのチームも仲が良いんですね」
「まぁね。て言っても、アタシ以外はチームに入ったのつい最近なんだけどさ」
「そうなんですか?」
意外だなぁ。四人とも仲良しだからてっきり随分前からチームだと思ってた。
「うちのトレーナー、若いでしょ? それでチームって普通はないんだけど、あの人は以前からこのチームの担当をしてた人の助手、サブトレだったんだ。だからそのまま引き継いでチーム持ちって感じ」
「優秀なんですね」
「……まぁ悪い人じゃないかな。アタシの事も頑張って指導してくれてるしね」
若干だけどネイチャさんの目が優しくなった気がした。トレーナーさんの事、信頼してるんだなぁ。
「で、うちのトレーナーがテイオーを担当してたのも、誰でもいいってテイオー本人が思っててさ、それでテイオーの出した条件を飲み込めるのがあの人ぐらいだったってオチ」
「そうなんですか」
「そ。でも、まさかあのテイオーが担当替えを申し出るなんてねぇ。それだけヤバいんだろうね、ダービーでの怪我」
ターボちゃんと二人で何か話しているテイオーさんを見つめて、ネイチャさんは遠い目をした。
「そっちのトレーナーはあのバクシン先輩を指導した人だもんね。あれだけの逃げをやってた人を見てたんだから、きっと怪我をさせないように色々気を遣ってたはずだし、そうなった場合の事も色々考えてたはずだ。テイオーもそこに賭けたんだろうね」
「ネイチャさん……」
テイオーさんは一度もチーム練習なんかには参加してないって言ってた。だけど、きっとネイチャさんは同じチームだったと思うからこんな風に心配してるんだろうな。
「三冠ってさ、まぁ選手になろうと思ったら夢見るぐらいはするじゃない?」
「はい」
「でも、それは大抵夢だけで終わる。目指しても叶う事なく終わるのがほとんどだしね。けど、あの子はそれへ王手をかけた」
「はい……」
「しかも負けなしで、だもんなぁ。ホント嫌になっちゃうよね~。アタシみたいに重賞は三位がやっとみたいなのもいるのにさ」
その言葉がズキッと胸に刺さった。私はこれまで二回GⅠへ出走して二回ともライブに出てる。
だけどネイチャさんはそれだって凄い事だって思ってるんだ。私も十分凄いウマ娘なんだぞって、そう言われたみたいで嬉しいはずなのに何だか苦しい。
「叶えて欲しいって思いはある。でもさ、どっかでこうも思うのよ。叶わせてなるもんかって。そんな事させたくないってね」
何も言えない。普段ならそんな事言わないでって言えるのに、ネイチャさんの苦しそうで悲しそうな顔を見てると何も言えない。
「ははっ、な~に言ってんだろうなアタシ。ごめんねスペちゃん。今の忘れて」
「は、はい……」
「まっ、同じチームだったよしみでテイオーの三冠を祈ってはいるって事。それだけ、それだけ覚えててくれればいいよ」
そう言うネイチャさんは笑顔だ。でもその笑顔には、どこか暗い影があるようにも見えた。
テイオーさんは今必死に頑張ってる。それを私達に見せないようにして、明るく笑っているけど、本当はすっごく不安なはずだ。
トレーナーさんはあまり詳しい事は言わなかったけど、私にだって一か月もトレーニング出来ない事が異常だって事は分かるもん。
菊花賞を勝てば、テイオーさんは三冠を達成できる。夢の一つを、叶えられる。
私で言えば、日本一のウマ娘だ。それを、怪我を抱えながら叶えようと頑張ってる。
それを、私は邪魔する事になってる。ううん、このままだとテイオーさんの夢を叶わないようにするはずだ。
もしも、もしもテイオーさんが皐月賞やダービーの時みたいな状態なら私は何も考えず全力でレースへのぞめた。だってテイオーさんは強かったから。私の差し脚を届かせないままでゴールを通り過ぎたから。
……でも、今のテイオーさんは……。
「ごちそうさまです……」
「えっ!? す、スペちゃん? まだ残ってるよ?」
「どうしたのよ? 体調を崩したの?」
「あはは、ちょっと量が多すぎたみたいです。私ったら食べられる量を間違えちゃいました」
その日、私は生まれて初めてご飯を残した。胸がいっぱいで食べられないって事があるって、そこで初めて体験して……。
「スズカさん、スゴイデスね」
「そうね。前よりも速くなってるし」
一日のトレーニングを終えて汗を流しに行く途中、エルちゃんとグラスちゃんが私を見ながらそう言ってきた。
「そうかな?」
でも言われてみればたしかに以前よりも長距離が楽になってきた感じはある。
トレーナーが言うには私の走り方が本来のものへ戻ったからだって事みたいだけど、生憎私はそういう事を意識してこなかったからいまひとつ分からない。
ただ、こうやって二人が言ってくれるならそういう事なんだと思う。あとは3000mでも中距離みたいな逃げが出来ればいいんだけど……。
「そうデスよ。おかげでまた差が開いた感じがするデース……」
「そういえばスズカさんって菊花賞に出るんですよね?」
「うん、そのつもりだけど?」
「やっぱりそうなんですね。じゃ、皐月賞のお返しをするんだ」
皐月賞のお返し、か。たしかにそうだ。私はあのレースをきっと一生忘れない。
私の前にずっと誰かがいたレース。逃げを打ったのに常に誰かが前にいた、あのレースを。
「アタシも出来る事なら出たかったんデスが……」
「仕方ないよ。私達には私達なりのプランがトレーナーにはあるんだから」
そう、トレーナーは基本自分のプラン通りに物事を進める。なのに私のお願いをあっさり聞いてくれた事は意外だったけど嬉しかった。
もしかして、トレーナーは私達が強く望めば聞いてくれるんじゃないかな? あるいはそれにハッキリとした根拠や理由があれば受け入れてくれるんじゃ?
そんな事を思いながら私はお風呂場へ向かった。合宿所の大浴場はいつも賑わっている。大体みんなトレーニング終わりが一緒だからだ。
脱衣籠に着替えやバスタオルを置いたら汗と砂で汚れたトレーニングウェアなどを脱いで、タオルを片手に脱衣所から浴室へ入ると湯気の向こうに多くのウマ娘影が見えた。
「相変わらず盛況ね」
「デスね。学園のシャワーが恋しくなります」
「これはこれでいいと思うんだけどね」
そんな事を話しながらまずは体を洗おうと洗い場へ向かう。するとそこにスペちゃん達の姿を見つけた。
「スペちゃん」
「あ、スズカさんお疲れ様です。それにエルちゃんやグラスちゃんもお疲れ様」
けど、何だかスペちゃんの様子がいつもと違う気がした。笑顔だし声の感じもおかしくないけど、何かが普段と違うって。
「スペちゃん達もトレーニング終わりデスか?」
「うん」
「そうなんだ。どう? 調子の方は」
「まだまだって感じ。でも菊花賞までにはしっかり仕上げてみせるよ」
エルちゃんやグラスちゃんと笑顔で話すスペちゃん。その見た目は普段と何ら変わりない。
でも、何だろう? 何かが違うような気がする。
結局それが分からないまま私も体を洗う事にした。と、何故か私の隣へセイちゃんが移動してくる。
「スズカさん、ちょっといいですか?」
「何?」
そこでセイちゃんはチラッとスペちゃんを見た。
「実はスペちゃんがお昼ご飯後から変なんですけど、何か気付く事あったりします?」
「ううん、何となくいつもと違うなって思うぐらいかな」
「そっか。じゃ、やっぱりお昼ご飯食べてる時に何かあったのかなぁ? スペちゃん、今日お昼残したんです」
「えっ?」
思わず耳を疑った。あのスペちゃんがご飯を残すなんて信じられなかった。
いつもご飯の時は幸せそうにしてるスペちゃんが、おっきなお腹をさすって微笑むスペちゃんが、何でご飯を残したんだろう?
気になって色々セイちゃんから話を聞いていると、どうもスペちゃんはネイチャと話をしてから様子がおかしくなったらしい。
ネイチャ、か。私も時々レースで一緒になるけどそこまで親しくはない。でもスペちゃんを傷付けるような事を言う子じゃないと思うんだけど……。
「分かった。私からもスペちゃんに話を聞いてみる」
「お願いします。私もそれとな~く聞いたんですけど、何でもないって返されたんで」
セイちゃんから力になれなかった無念さを感じて、私はそっとその手へ手を重ねた。
「大丈夫。きっとスペちゃんはその声掛けを嬉しく思ったはずだから」
「……だといいな」
微かに笑うセイちゃんを見て、スペちゃんはいい仲間を持ってるなって改めて思う。
キングちゃんはどうしたんだろうと思って聞いてみると、何でもキングちゃんはセイちゃんで駄目なら自分にはもっと言わないと読んだみたいで、もう少し様子見をするらしい。
それも、本当にスペちゃん思いだ。スペちゃんなら自分で何とかするかもしれないって信じてもいるし、自分よりもセイちゃんの方がそういう方面は頼りになるって信頼でもあるから。
「そういえばテイオーはどう?」
「……順調、とは言い難いかなって感じです」
「そっか」
テイオーが怪我をしている事はもう周知の事実だ。ダービーを勝った後のライブを辞退し、学園に戻った後もトレーニングを行う事無く一月も過ごしていた。
かと思えば最近になってプールへ顔を見せ、そこでプールの中を歩くだけというトレーニングを行っているらしい。そこまでくれば誰でも分かる。
だからこそ合宿にテイオーが参加したと聞いた時は驚いたと同時にあの人らしいとも思った。
きっと担当となった以上は自分の目の届くところにいて欲しいんだろうなって思えたから。
「でも、まぁ、少しずつだけど前に進んでます。だから油断してるとテイオーにまた一着取られちゃいますよ?」
「クスッ、そうされないように頑張ってるから。セイちゃん達も、でしょ?」
「ですね~。簡単に勝たせるなんてテイオーが嫌がりますし、何より私達も負けるよりは勝ちたいんで」
それが本音だってすぐに分かった。チームの仲間としては勝って欲しいけどウマ娘としては勝たせたくない。これはきっとどのチームでもそうだと思う。特に記録がかかっている仲間がいる時なんかはそうならざるを得ないはずだ。
と、そこでふと思った。もしかしてスペちゃんの様子がおかしくなったのってそれなんじゃないかって。
テイオーが同じチームの仲間になって、ネイチャとの会話で無敗の三冠がかかってるって事を強く意識した? だから迷いが出てきたのかも……。
お風呂から上がった後、私はスペちゃんに話があると言って二人だけで宿舎裏へ移動した。
「あの、お話って何ですか?」
「うん。スペちゃんにテイオーへ伝言をお願いしようと思って」
「伝言?」
スペちゃんにテイオーの事で悩んでるのかなんて聞いたら、きっとセイちゃんと同じ答えを返される。そう思った私は、テイオーへ伝言をお願いする形でテイオー絡みで悩んでいる場合の解決をしようと考えた。
違う可能性もない訳じゃない。でも直感でスペちゃんが悩むならそれだと思った。
「菊花賞、私も出るから申し訳ないけど三冠は諦めてって」
「っ!」
スペちゃんの表情が変わったのを見てやっぱりと確信出来た。スペちゃんは真っ直ぐで優しい子だ。きっと同じチームの仲間になって仲良くなった事で、テイオーへ感情移入するようになったんだね。
「スペちゃん、悪いけどお願い出来る?」
「そ、その、スズカさんは平気、なんですか?」
「平気って?」
「……テイオーさん、ダービーの後で怪我して、一か月トレーニング出来なかったんです。やっと最近になって簡単なトレーニングを開始して、この合宿中にちょっとだけ私達と同じトレーニングが出来るようになりました」
「そうなんだ」
「テイオーさん、無敗の三冠ウマ娘になろうと頑張ってます。本当はすごく辛くて苦しいのに、私達には笑顔を見せてるんです。怪我が再発しないように気を付けて、そんな中で菊花賞目指してっ!」
「スペちゃん……」
「それなのにっ、テイオーさんの夢を邪魔していいんですかっ!? 下手したらテイオーさんは走れなくなるかもしれないのにっ! そんな思いで頑張ってるのにっ!」
目に涙さえ浮かべて叫ぶスペちゃんは、まるでテイオーのように見えた。
けど、あの子はきっとこう思っていても私へそれをぶつける事はしないだろう。
だからここは心を鬼にする。テイオーが今のスペちゃんを見たらどう思うか。そして、こんなスペちゃんに勝ってもテイオーは絶対嬉しくないから。
「スペちゃんは随分酷い子だね」
「えっ?」
自分でも信じられないぐらい低い声が出た。でもねスペちゃん。今のスペちゃんの言葉は優しさじゃないんだ。
「テイオーは絶対自分に勝てないって思ってるんだ?」
「っ!? そ、そういう訳じゃ」
「今のテイオーはどれだけ頑張ってもスペちゃんには勝てない?」
「それは……」
「違うの? なら何も問題ないでしょ? テイオーは強いウマ娘だよ。無敗で二冠を達成したんだもの。怪我でトレーニングが満足に出来なかった時期がある? それぐらいで負けるのならきっと怪我がなくても負けていたわ」
「っ!?」
「私はテイオーの強さを知ってる。皐月賞でセイちゃんが下がった後、やっと先頭で走れると思った次の瞬間にはもうテイオーが横に来てた。あの子は速い。私が自分の走りを出来なかっただけじゃない。例え出来ていても確実に勝てるとは思えなかったはず。それぐらいトウカイテイオーは強いんだよ、スペちゃん」
「スズカさん……」
分かってスペちゃん。テイオーへ想いを重ねるのは分かるけど、それで走りに迷いを抱くのは同情だって。
テイオーを強いウマ娘だと思うのなら、速いウマ娘だと思うのなら、何があろうと全力でぶつかって勝利を目指すだけなんだよ?
「実際、普通なら怪我をしてトレーニングが出来ないぐらいの状態なら三冠を諦めて治療に専念するのが当然なの。それをしないで、三冠を諦めずに挑んでる。それだけでテイオーが強いのは分かるでしょ?」
「……はい」
「スペちゃん、テイオーの無敗の三冠は出来たら凄い事だと私も思う。同じウマ娘としては達成させてあげたいし、達成して欲しいと思う。でも、同じ選手としては絶対阻止してみせるって思う。ううん、その気持ちで走れないなら菊花賞に出る資格はないよ」
「出る資格がない……」
「テイオーだって自分への同情で掴んだ三冠なんて欲しくないはずだよ。あの子はね、全力で私達と競い合って、その上で一着を取りたいんだから。そうじゃないと三冠の価値がないもの」
私だってそうだ。お情けで勝たせてもらうなんて絶対嫌だ。並み居るライバル達を突き放して逃げ切って勝つからこそ嬉しいし意味がある。
だからこそテイオーがどういう状態だろうと全力で走るんだ。勝つのか負けるのかは分からないけど、どっちに転んでも自分が納得出来て次に進むためにはそうするしかないから。
「スペちゃん、お願い。この伝言をテイオーへ届けて。私は全力で菊花賞を走るからって。何があっても全力で勝ちに行くからって」
「スズカさん……っ」
「お願いね」
そう言って私はその場から立ち去った。スペちゃんが立ち直ってくれるかどうかは分からないけど、これで駄目なら仕方ないとも思う。
と、少し歩いたところで思わぬ相手と出会った。
「キングちゃん……」
「はぁ……お見事でした。わたしの出番はないようですわね」
「き、聞いてたの?」
「ええ。その、何かあった時には手助けしようかと」
顔が一気に熱くなる。は、恥ずかしい……。さっきの全部聞かれてたなんて……っ。
「でも必要なかったみたい。あとはこれでスペも本来の状態に戻ってくれれば……」
私の後ろへ目を向けどこか心配そうな顔をするキングちゃん。うん、やっぱりスペちゃんはいい仲間を持ったね。
そう思いながら私はキングちゃんと二人で宿舎の中へ戻るとセイちゃんが出迎えてくれた。
するとキングちゃんが簡単に私がスペちゃんへ言った事を耳打ちしたみたいで、セイちゃんに「ありがとうございます」って言われた。
それにも恥ずかしくなって、どういたしましてって返す事しか出来なかったけど、そんな私を見てキングちゃんとセイちゃんが小さく苦笑してたから照れくさくもなっちゃった。
そんな二人から逃げるように離れて割り当ての部屋へ戻ると、そこにいたエルちゃんやグラスちゃんに顔が真っ赤だって言われた。
「そ、そんなに?」
「「そんなに(デス)」」
この後誤魔化すのがかなり大変だった。いつもならエルちゃんを止めてくれるグラスちゃんが一緒になって追及してきたからだ。
「さぁさぁ、何をしてたか話すデスよ」
「さぁさぁ」
「だ、だからね? 顔が赤かったのはセイちゃんとキングちゃんが……」
「それは分かったデスから、何で二人が笑ったのかを話してもらおうか、デース」
「ふふっ、逃がしませんからね?」
でもそのおかげでまた二人と仲良くなれた気がする。いつか私もこの二人と本番のレースで一緒に走りたいなって、そう思うぐらいに……。
合宿も終わりが見えてきたある日、ボクはカイチョーに呼び出された。
「どうしたの? カイチョーから呼び出すなんて珍しいね」
その日のボクはネイチャ達と一緒にトレーニングをした後で機嫌が良かった。
トレーナーが考えた通り、合宿中は三日を体を大きく動かさないようなトレーニングをして、一日完全お休みで、残り三日は普通のトレーニングにあてたらお告げも危ないって言わなくなった。
つまり今のボクは一週間全部でトレーニングをする事が危ないって事だ。そう考えて行動すれば安全性はかなり上がったみたい。
トレーナーはあの日、初めて危ないってお告げが言った時からボクへトレーニングを始める前に少し間を作って欲しいって言ってきた。その間に天のお告げを聞いて危険かどうかを判断するために。
で、その成果か分からないけど、最近お告げが少し細かくなったって言ってた。何でもどれぐらい危険かを教えてくれるようになったらしい。
そんな事を思い出しながらボクがカイチョーを見つめてニコニコしてると……
「この合宿でトレーニングを行っているそうだな」
なんて、ちょっと怖い顔で言ってきた。
「う、うん」
「……あのトレーナーの指示で、だな?」
「そうだよ? だってボクのトレーナーだもん」
何でそんな事を今更聞いてくるんだろう? カイチョーもトレーナーがボクの担当になった事ぐらい知ってるはずなのに……。
ボクの答えを聞いてカイチョーはふくざつそうな顔をしてだまっちゃった。
その間ボクはやる事もないからその場へ座る事にした。出来るだけ足へ負担をかけないようにするためだ。
トレーナーがトレーニング中はお告げで危ないかどうかを見ててくれるけど、こういう何気ない時も可能なら気遣っておこうと思ってそうするようにしてる。
「テイオー」
「何?」
やっとカイチョーが声を出してくれたので顔をそっちへ向けると目が合った。
「勿論それが最悪の場合どういう結果に繋がるかを分かっているんだな?」
「……うん、覚悟の上だよ」
そこで分かった。何でカイチョーがふくざつな顔をしたのか。多分だけどカイチョーはボクが治療に専念するか負けるのを承知で菊花賞へ挑むかのどっちかだと思ってたんだ。
それが、ちゃんと見てみたらトレーニングまでやってるから驚いたんだね。トレーナーもお告げがなかったら治療一択だって言ってたし。
「……そこまでして三冠を、か」
「うん。ここまできたんだ。なら勝つにしろ負けるにしろちゃんと出来るだけの事をしておきたいしさ」
「出来るだけの事を……」
「無敗の三冠か、ただの二冠か。ボクはね、選ばせてもらったんだ。無敗でいるか、三冠へ挑んで負けるか、夢を叶えるかって。勿論トレーナーは夢を選べばどうなるかを教えてくれた。それでも、それでもボクがそれを選びたいなら支えるって、そう言ってくれたんだよ」
ボク一人じゃあきらめるしかなかった。ボク一人じゃ無敗さえも守れたか分からない。
トレーナーが、みんながいてボクは強くなってる。目の前でスペちゃん達が頑張るのを見て、ボクも絶対負けたくないって思える。また皐月賞やダービーみたいなレースをしたいって思うんだ。
「カイチョー、ボクね、もしかしたら約束守れないかもしれない」
「……かもしれないな」
「うん。でも、これだけは言えるよ。何があっても、ボクはもう絶対ボクだけには負けないって」
「自分にだけは負けない、とはな。ふっ、いい顔だ。去年ここで泣いたとは思えないな」
「うぐっ、そ、それは忘れてよぉ」
そう、ここはあのヘイローと走って負けた後カイチョーと話した場所だ。
あれから一年になると思うと変な感じがする。あの時ボクを負かした相手と同じチームなんだもんね。
「ははっ、忘れるものか。あの日の涙が今の二冠ウマ娘に、いや未来の三冠ウマ娘に繋がっているんだからな」
「カイチョー……」
未来の三冠ウマ娘。カイチョーはボクならそれになれると信じてくれてるんだ。そう思うと胸の奥が熱くなる。
「菊花賞は何があろうと見に行く。怪我を乗り越えたトウカイテイオーの勇姿を」
「うんっ! しっかり見てて!」
ボクを優しく見つめるカイチョーが一瞬だけトレーナーと重なる。そうだったね。トレーナーと同じようにボクを見守ってくれる人がここにもいた。
「そしていつかカイチョーを、シンボリルドルフを超えてみせるからっ!」
それがきっと一番のカイチョーへのおんがえしだ。だって、そう言われた後のカイチョーはとっても嬉しそうに笑顔を見せてくれたんだからっ!
いよいよ菊花賞です。正直今から色々と気が重い(汗
誰を勝たせても誰かは悔しさを味わう訳で、もう気分はトレーナーと同じです。
スペ、キング、セイ、スズカ、テイオーが出走する菊花賞ですが、果たしてどんなレースになるのか。
一つだけ言えるのは五人は長距離適性が抜群という訳ではないと言う事ですね。