天の声が聞こえるようになっていた、はずなのに……   作:MRZ

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菊花賞です。疲れました。自分ではこんな展開が精一杯です。


勝利の代償

 多くの人で賑わう京都レース場。それもそのはず。今日は菊花賞の開催日であり、無敗の三冠をトウカイテイオーが達成するか否かを見るべく大勢の観客が集まっていたのだ。

 

 そして、それだけではない理由も今回の菊花賞にはあった。

 皐月賞、日本ダービーと熱戦を繰り広げたウマ娘であるスペシャルウィーク、キングヘイロー、セイウンスカイが出るだけでなく、中距離最強の一角サイレンススズカまでも初めて長距離を走るためだ。

 

「す、凄いですね……」

「そうだなぁ。年末の中山かそれ以上かもしれんぞ、これ」

 

 二人の男性トレーナーは周囲の様子と人数に若干圧倒されていた。

 片方はご存じ天の声が聞こえるようになったトレーナーである。

 そしてもう一方はテイオーを担当していた駆け出しトレーナーであった。

 

 トウカイテイオーの三冠をかけたレースともあり、彼は先輩であるトレーナーの誘いを受け、かつての担当としてそのレースを見届けようとこの京都レース場にやってきていた。

 

「年末の中山、ですか。言われてみればたしかにこれに近いですね」

「ああ。ただ熱気は今日のこっちが高いと思うけどな」

「……はい」

 

 トウカイテイオーの無敗での三冠。達成すればシンボリルドルフ以来の快挙であるその瞬間をこの目で見ようと、こうして大勢の観客が詰め寄せていた。

 

 そのためか会場の熱気はやはり並々ならぬものがあったのだ。

 

「それにしても良かったんですか?」

「ん?」

「いえ、こっちのチームのウマ娘達を連れてきても」

「ああ、その事か」

 

 実は駆け出しトレーナーの担当するナイスネイチャ、ツインターボ、イクノディクタス、マチカネタンホイザはこのレース場へやってきていた。

 

 普通は同じチームの仲間が出ていないレースを直接見に行く事はあまりない。だがトレーナーは、駆け出しトレーナーだけではなくそのチームのウマ娘達もトウカイテイオーのトレーニングを手伝ってくれた礼だとしてこの菊花賞見学に招待していたのだ。

 

「ナイスネイチャ以外はまだレース場の雰囲気に慣れてないだろ? なら早い内に慣れておいた方がいいと思ってな。しかも今日みたいなのは中々味わえない。いい経験になると思うんだ」

「そう、ですね。ありがとうございます。異なるチームの僕らへよくしてくれて」

「いいんだっての。こっちだって都合のいいようにそっちを利用したようなもんだ。気にすんなって」

「先輩……ありがとうございます」

「ここにいたのか」

 

 と、そこへサイレンススズカの担当である女性トレーナーが姿を見せた。

 

「先輩、一人ですか?」

「いやエルやグラスと共に来たが二人はスズカの控室だ。どうしても応援したいと言ったのでな」

「あの、お久しぶりです」

「ん? ああ、お前か。聞いているぞ。テイオーの件は災難だったな。ああいう天才タイプはどうしてもどこかで自分の感覚や感情を優先する傾向がある。まぁ今後に活かせる経験をしたと思え」

「は、はい」

 

 過去に苦労した事があるのか、あるいは今もそういう苦労をしているのか。女性トレーナーは駆け出しトレーナーへ同情するような眼差しを向けていた。

 

『澄み切った青天の下、熱気と期待渦巻く京都レース場です。GⅠ菊花賞、芝、3000m、18人フルゲートでの出走となりました』

 

 場内に流れたアナウンスに三人の顔が上へ向く。

 

「……テイオーはどうだ?」

「正直何とも。ただ、出来る限りの事はしました」

「そうか」

 

 相変わらず誤魔化しの出来ない奴め。そう思って女性トレーナーは小さく苦笑する。

 駆け出しトレーナーはそんな女性トレーナーに軽い驚きを見せていた。彼の知る範囲では彼女は笑うところなど見せた事がなかったからだ。

 

「先輩こそサイレンススズカはどうなんです?」

「私が勝ち目のないレースに出すと思うか?」

「思いません」

「なら答えは出ている」

 

 かつての師と教え子らしいやり取りであった。それを駆け出しトレーナーは眺めて感心していた。

 

「随分仲が良いんですね」

「まぁかつての教え子だからな」

「そういう事っと、そろそろ始まるぞ」

 

 その言葉で駆け出しトレーナーと女性トレーナーの顔が大型モニターへと向いた。

 既に各ウマ娘達がゲートへと向かっている。その中にアップで映し出されたトウカイテイオーの姿に会場が沸いた。

 

「……気負いもなければ気落ちもないようだな」

「ええ。テイオーもやれるだけの事をやったと言ってくれました」

「テイオーさん、無事にゴールしてください……」

『各ウマ娘が次々とゲートへと入っていきます。おっと、やはりセイウンスカイがゲート入りを嫌がっていますね』

「セイ……」

「あれは治らんのか?」

「無理です。本人も努力はしてるんですけどね」

「ま、まぁ目隠ししないといけない程じゃないからいいと思いますよ?」

「そこまでいったらいっそ開き直れる」

「先輩は、でしょう。俺やそっちは無理ですよ。なぁ?」

「え、ええ。何とかしたいと思いますよね」

 

 いかにもトレーナーらしいやり取りをしながら三人はレースが始まるのを待った。

 

 その頃、別の場所ではエルコンドルパサーとグラスワンダーがナイスネイチャ達と思わぬ邂逅を果たしていた。

 

「いやぁ、まさかこんなとこで会うなんてね~」

「デスね。でも助かりました。今から良い場所は中々取れませんから」

「そうね。でも一緒に観ててもいいのかな?」

「別に構わないかと。私達は特定の相手の応援に来た訳ではありませんし」

「え? テイオーじゃないの?」

「ターボ、スペちゃん達はどうするの?」

「ああっ! そっか!」

「ならそっちは四人いるでしょ? 一人一人担当を決めたら?」

 

 グラスワンダーの提案にツインターボ達は顔を見合わせる。

 

「誰にする?」

「テイオーっ!」

「なら私はスカイさんを」

「じゃあスペちゃんかな」

「はいはい。ならアタシがキングね」

 

 ツインターボがトウカイテイオー、イクノディクタスがセイウンスカイ、マチカネタンホイザがスペシャルウィーク、ナイスネイチャがキングヘイローと、それぞれ応援する相手が決まったところでいよいよゲートインも終わり、スタートの瞬間が近付いてきていた。

 

『各ウマ娘体勢完了。このレースを制し最強の称号を得るのは誰だ!』

 

 会場全体がまるで息を呑むかのように静まり返る。その静寂を斬り裂くように……

 

『今スタートしました』

『出遅れたウマ娘はいないようですね』

『さぁ先頭争いですが、やはり出てきたのはこのウマ娘、サイレンススズカ。その外をセイウンスカイが追走していく。レースはこの二人で引っ張る形となりそうです』

 

 誰もが予想していた展開で菊花賞は始まった。ハナを主張するサイレンススズカへセイウンスカイが離され過ぎない位置で追走という、そういう形で。

 

(セイちゃんか……皐月賞のような事はやっぱりしてこないね)

(さすがのスズカさんも3000だと普段のようなペースで走らない、か)

 

 逃げウマ娘同士が一瞬だけ視線を交差させる。逃げのペースを上げる瞬間を計る様にしながら二人は最初に第四コーナーへ向かっていく。

 

『先頭は依然としてサイレンススズカ。だがセイウンスカイが虎視眈々と先頭を狙っているぞ』

『初めての長距離とは思えないぐらい良いペースで走っていますね。皐月賞とは逆の位置関係というのも中々興味深いです』

『さあ先頭が第四コーナーへ入ります。既に後方とは6バ身以上の差が開いている』

 

 3000mは長い。それでもサイレンススズカもセイウンスカイも気負いはなかった。

 これまでのトレーニングのおかげもあるが、一番はまだレースに動きはないと察しているからだ。

 

 ウマ娘だけでなく観客さえも注目しているのはやはり無敗の二冠ウマ娘、トウカイテイオーなのだから。

 

『一番人気、無敗の二冠ウマ娘トウカイテイオーは中団やや後方からレースを進めています』

『皐月賞やダービーに比べるとやや位置取りが後ろになっています。心配ですね』

『現在トウカイテイオーは10番手というところです。先頭とはかなり離されているが走りに不安は見られません』

(テイオー……悔いを残すなよ……)

 

 トレーナーは画面に映し出されているトウカイテイオーの姿を見つめ、前日のやり取りを思い出していた。

 

――全力で走るのは危ない?

――ああ。先生が言うには、元々お前の足はその走りに何度も堪えられる程強くないそうだ。もし今の状態で3000mを最初から全力で走ればレース途中で故障してもおかしくないと言われたよ。

――じゃあ中盤からなら平気なの?

――……俺の判断では、な。先生は無事に走り切るつもりなら全力は最後まで出すなと言ってた。

――無事に走り切るつもりなら……。

――お前は勝ちたいんだろ? しかも全てを失う覚悟で今まできた。なら最後はお前の判断で決めてくれ。勝負所を掴む事に関してはお前は天才だ。そのお前がここだと思ったなら勝負をしかけてくれていい。

――トレーナー……ありがとう。

 

 モニターの中のトウカイテイオーを強く見つめるトレーナー。すると……

 

“テイ……の……は……な……”

「っ!?」

 

 突然途切れ途切れの天の声が聞こえたのである。初めての事に息を呑むトレーナーだが、すぐに何かを思い出したように隣の女性トレーナーへ顔を向けた。

 

「先輩っ、オペラグラス持ってますよね!」

「あ、ああ」

「貸してくれませんか! 自分の目でテイオーを見たいんですっ!」

 

 妙に切羽詰まったトレーナーの雰囲気に彼女はやや戸惑いながらポケットからオペラグラスを取り出した。

 

「ほら」

「ありがとうございますっ!」

 

 オペラグラスを受け取るや急いでトレーナーはそれを展開してトウカイテイオーを探した。

 

「……いたっ!」

 

 バ群に埋もれる形となっているトウカイテイオーを見つけたトレーナーは、再び意識を強く集中して彼女を見つめる。

 

“テイオーの調子は悪くないな”

 

 先程よりも鮮明になった内容にトレーナーは安堵の息を吐きながら、そのままトウカイテイオーの姿を追い続ける。

 

(もし天の声がヤバい事を教えてきたら……っ!)

 

 その可能性を考慮し、トレーナーはすぐにオペラグラスでトウカイテイオーではなく観客席を見回し始めた。

 そしてその中に見知った顔を見つけるとオペラグラスから目を離してそこを目指して移動を開始したのだ。

 

「おい、どこへ行く?」

「すいませんっ! 最悪に備えたいんですっ!」

「最悪って……っ!? 先輩っ!」

「まったく……相変わらずこうと決めると行動が早いな」

 

 軽く呆れつつもどこか好ましい口調でそう呟き、女性トレーナーは駆け出しトレーナーへ顔を向けた。

 

「もうあいつの事はいい。私達はレースへ集中するぞ」

「は、はい」

 

 既にレースは序盤を過ぎ、中盤戦へ移行し出していた。

 

『先頭争いは依然としてサイレンススズカ優勢。だがセイウンスカイの走りにも疲れは見えない。二人揃って第二コーナーへと入っていく。ここで1600を通過』

(やっと半分。でもまだ余裕はある)

(半分切った、ね。じゃ、仕掛けるならここぐらいかな)

 

 半分を過ぎた事に対するサイレンススズカとセイウンスカイの反応は異なっていた。

 安堵するようなサイレンススズカに対してセイウンスカイは不敵な笑みを浮かべたのである。

 

『おっと、ここでセイウンスカイがペースアップっ! サイレンススズカの前へ出たっ! 先頭変わりましてセイウンスカイっ! ここでレースに動きが起きましたっ!』

 

 それがまさしくレースの本当の始まりを告げた。3000mの半分を過ぎ、残り1500mを切ったところから菊花賞はその熱量を上げ始める。

 

『先頭を奪ったセイウンスカイを許すものかとサイレンススズカもペースを上げる! 再び過熱する先頭争い。その間に中団からも動く者が出てきた!』

(ここで少しでも前の方へ行こう!)

 

 スペシャルウィークが位置を上げ始めたのだ。8番手にいたのがジワジワと7番手、6番手と前へ移動を始める。

 

『スペシャルウィークが上がっていく! それに付随するかのようにキングヘイローも動き出したっ! だがテイオーはまだ動かないっ!』

(まだだ。まだボクが動く時じゃない……)

 

 チラッと足へ目をやるトウカイテイオー。痛みなどもなければ違和感もない。それでもそこには見えない爆弾があるのだと今の彼女は知っている。

 だが視線をすぐに前へ戻すと表情を凛々しいものへ変えて彼女は走り続ける。視界の先を駆け抜けていく同じチームの仲間達を見送るように。

 

『さあっ! 依然として先頭はセイウンスカイっ! それをサイレンススズカが追う形となっていますっ! だが一時は8バ身はあった後方との差がここにきて5バ身程に縮まってきている!』

(ここだっ!)

『残りは1000mを切ろうとしているがここでテイオーが動いたっ! 無敗の三冠ウマ娘に向けてその足を進めていきますっ!』

((((来たっ!))))

 

 トウカイテイオーの動きにセイウンスカイが、サイレンススズカが、スペシャルウィークが、キングヘイローが、そして会場中が意識を切り換える。

 

『セイウンスカイ依然先頭っ! だがサイレンススズカが並ぶように威圧しているっ! そこへ猛烈な勢いで迫っていくウマ娘がいるぞっ!』

 

 誰もがその姿と走りに息を呑み、そして大歓声を上げる。

 

『トウカイテイオーだっ! トウカイテイオーがやってきたっ! あっという間に並み居るウマ娘達を抜き去って! いよいよ先頭二人へ襲いかかるっ!』

「どけぇぇぇぇっ! そこはボクの場所だぁぁぁぁっ!!」

「させないよっ!」

「先頭の景色は誰にも渡したくないっ!」

『さぁ先頭二人が第四コーナーをカーブしていくっ! そこへ猛然と迫るトウカイテイオーっ! いやっ! テイオーだけじゃないっ!』

「今度こそ差し切ってみせるっ!」

『スペシャルウィークだっ! 皐月、ダービーで見せた強烈な末脚に磨きをかけて流星のようにトップ集団目掛けて駆けてきたぁっ! 残りは800を過ぎ600を切ろうとしているっ! 逃げる逃亡者二人へ追跡者二人が迫っていくっ!』

 

 皐月賞ともダービーとも異なる展開に会場のボルテージは最高潮へと達する。

 第四コーナーを抜けようとする逃げの二人へ、先行のトウカイテイオーと差しのスペシャルウィークが凄まじい加速で待ったをかける展開に。

 

 しかしこのレースにはもう一人主役を張れるだけのウマ娘がいた。

 

「わたしを忘れてもらっちゃ困りますわぁぁぁぁぁっ!!」

『ここでキングヘイローも加速してくるっ! まだ諦めないとばかりに前を見据えて走ってきたっ! その末脚はスペシャルウィークに迫る勢いだぞっ! 秋風涼やかな京都を真夏へ戻すかのような熱気と激突が巻き起こる菊花賞っ! 残りは400を切ったっ!』

 

 ゴールを目指す五人のウマ娘。だがそこで誰もが気付く。これまでの三冠レースで先頭を走っていたウマ娘が未だにそこへこない事に。

 そのウマ娘、トウカイテイオーはその表情を苦しそうなものへ変えながら懸命に足を動かしていた。

 

(ダメだっ! 届かないよ……っ!)

 

 無意識の内にトウカイテイオーは足の故障を怖がっていた。それが本来の速度を出させる事を拒んでいたのである。

 目を閉じ、顔を下へ向けながら走るトウカイテイオー。その姿は、これまで見せてきた帝王然としたものとはかけ離れていた。

 

『先頭は僅かにセイウンスカイっ! そのすぐ横にサイレンススズカがいるっ! そこへスペシャルウィークが大外から末脚を爆発させて迫るっ! トウカイテイオーはここにきて伸びが悪いかっ! キングヘイローが抜き去ろうと迫るっ!』

(テイオー……っ!)

 

 どう見ても余裕もなく負けを受け入れようとしているトウカイテイオーに気付き、キングヘイローは意を決した顔で近付いていく。

 そして失速しそうなトウカイテイオーの真横を通り過ぎようとした瞬間、彼女はこんな言葉を放つ。

 

「またわたしに負けるのね」

「っ!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、トウカイテイオーは目を見開いた。

 思い出される去年の夏合宿での敗北と悔しさ。それと、涙と誓い。

 

(やだ……もう、もう負けるのは、ううん……っ!)

「同じ相手に負けるなんてゼッタイにイヤだぁぁぁぁぁっ!!」

 

 恐怖心を闘争心で塗り潰し、トウカイテイオーの足が力強く大地を踏みしめる。

 それはそのまま凄まじい加速となってその体を押し出させた。

 

『トウカイテイオーが再び加速っ! 一度は抜き去ったキングヘイローを抜き返しスペシャルウィークさえも射程内に捉えるっ!』

(それでこそテイオーさんですっ! でもっ!)

『が届かないっ! スペシャルウィークの末脚に衰えはないっ! そのまま先頭へ迫るっ!』

「まだだぁぁぁぁぁっ!!」

 

 故障を恐れない覚悟がトウカイテイオーの走りへ宿り、その速度を更に引き上げていく。

 

 それは皐月賞を、日本ダービーを超えるものだった。当然トウカイテイオーの中でビキっというような音が聞こえる。

 

(ぁ……まずい、かも……)

 

 速度を落とすべきかという考えがトウカイテイオーの脳裏を過ぎった刹那……

 

「テイオーは大丈夫だっ! そのまま走り切れぇぇぇぇぇっ!!」

 

 トレーナーの叫びにも似た大声をトウカイテイオーの耳は、いやセイウンスカイもスペシャルウィークもキングヘイローも、サイレンススズカさえも聞いたのだ。

 それはトウカイテイオーには己に起きている事への恐怖を振り払う力となり、他の四人にはどこかに残っていた心配や不安を吹き飛ばす力と変わった。

 

「「「「「ああああああっ!!」」」」」

『テイオー咆哮っ! いや一着を狙う五人が咆哮するっ! 依然セイウンスカイ先頭っ! サイレンススズカも諦めないっ! スペシャルウィークとトウカイテイオーが並びながらゴールへ向かうっ! キングヘイローも来るぞっ!』

「キングっ! 王者なら勝ってみせなさいっ!」

「逃げ切れますよスカイさんっ!」

「差せっ! スペちゃんっ!」

「「負けるなスズカさんっ!」」

「あきらめるなテイオーっ!」

 

 その声援を後押しにするように五人が最後の力を振り絞るように足を動かす。

 もうスタミナなど残っていない。けれどその走りを根性で支えていた。

 

(今度こそ王者の走りを……っ!)

(逃げ切ってみせるよ……っ!)

(今度こそ届かせるんだ……っ!)

(もう私は負けない……っ!)

(ゼッタイあきらめるもんか……っ!)

 

 全員が同じ方向を向いていた。ゴールのその先を見つめて走っていた。

 

 もう、言葉はいらなかった。実況さえも黙ってしまう熾烈なゴール前。

 

 先頭は僅かにセイウンスカイ。サイレンススズカがそれを抜き返そうとするのと合わせて後方からスペシャルウィークとトウカイテイオーが迫り、キングヘイローは劇的な追い込みを発揮して先頭争いへ割り込んでいく。

 

 誰もが自分が一着だと譲らなかった。誰もが自分が勝者だと疑わなかった。

 周囲の事など見ていなかった。ただ目の前の道を走り続ける事しか考えていなかった。

 この時、五人の頭には、三冠の約束も、皐月の雪辱も、日本一の夢も、王者の誇りも、最強の称号も、何もかもが抜けていた。

 

 あるのはただ一つ。誰よりも速くゴールを駆け抜ける事だけだった。

 

『っ!? 同着っ!? 同着ですっ! 正確な着順に関しては判定をお待ちくださいっ!』

 

 やがてレースは終わる。五人の耳には実況は聞こえない。代わりに聞こえるものは歓声か絶叫か分からない声だ。

 勝者と呼ぶにはあまりにも無様な姿で五人は倒れ込むように走りを止め、揃って荒い呼吸のままで空を見上げた。

 

 吸い込まれそうな秋の空は、雲一つない青天であった。

 

『判定出ましたっ! 一着は……』

 

 誰もが固唾を飲んで次の言葉を待った。誰が勝ったのかを、ただ聞き逃すまいと耳を澄ませた。

 

『一着は、トウカイテイオー、サイレンススズカ、セイウンスカイ、スペシャルウィーク、キングヘイローという前代未聞の五人同時です! 掲示板が全て一着で埋まりましたっ!』

 

 次の瞬間、京都レース場から凄まじい大歓声が響き渡った。

 

『トウカイテイオーは無敗での三冠達成っ! そして歴史に残る結末でした! もっとも強いウマ娘が勝つと言われる菊花賞! 今年はその座が決まり切らないという大波乱っ! ですが、それを納得させるだけのレースでした!』

 

 やがて会場からテイオーコールが沸き起こる。同着とはいえ、やはり無敗で三冠を達成したトウカイテイオーを讃える動きが起きるのは当然だったのだ。

 

「……ボク、勝った、の?」

 

 聞こえる声に実感が湧かず、どこか呆然としながらトウカイテイオーが呟く。

 

「……みたい、だね」

 

 セイウンスカイもそれは同じだった。我武者羅に走った結果、自分以外の周囲へ意識を向けなかったのだから当然である。

 

「同着って聞こえた気がしましたけど……」

 

 ぼんやりとした頭でスペシャルウィークが顔を動かした。そこにいるキングヘイローは未だに空を見上げている。

 

「わたし達、全員一着って事よ……」

 

 悔しそうな、けれどどこか満足そうな表情でキングヘイローはそう返して息を吐いた。

 

「ライブ、どうなるのかな……」

 

 一人サイレンススズカはウイニングライブの事を考えていた。

 

 それでもいつまでも倒れている訳にはいかないと一人また一人と立ち上がる。

 

「あれ?」

 

 だが一人だけ立ち上がらない者がいた。その人物、トウカイテイオーは両腕を地面へ着けて上体を起こしたまま動かないでいた。

 

「テイオー?」

「どうしたのよ?」

「いや、何だか立たない方がいい気がしてさ」

 

 最後の直線での無理がトウカイテイオーの脚へ限界以上の負荷を与えていた。

 その事を感じ取っていたトウカイテイオーは、下手に動かない方がいいのではと直感していたのである。

 

「それって……」

「な、何かあったんですかっ!?」

 

 血相を変えるサイレンススズカとスペシャルウィーク。そこへ落ち着いた声が響いた。

 

「立たなくて正解だ。テイオーの勘は凄いな」

「トレーナー……それに……」

「凄まじい走りだったな、テイオー」

「カイチョー……」

 

 トレーナーがシンボリルドルフを伴ってコースの中へ現れたのだ。

 突然の事に理解が追いつかないトウカイテイオーの体をシンボリルドルフは優しく抱き抱え、そのままゆっくりとスタンド正面へと移動していく。

 

「ほら、ぼさっとするな。お前達も一緒に行ってやれ。一着のウマ娘だろうが」

 

 それを見つめていた四人へトレーナーはそう声をかけて送り出す。

 

 一方でシンボリルドルフに抱えられたトウカイテイオーは、大勢の観客からのテイオーコールに圧倒されていた。

 

「さぁ、テイオー、ファンに応えてあげるんだ」

「え?」

「腕を動かす事は出来るだろう? 無敗で三冠を取ったんだ。何をすればいいかは分かるだろう?」

「ぁ……」

 

 かつて見たシンボリルドルフの動きを思い出し、トウカイテイオーは右腕を動かして高々と上げると指を三本立てた。

 直後沸き上がる大歓声。再び、だが先程よりも声量を大きくしたテイオーコール。それを浴びながらトウカイテイオーはこみ上げてくる涙を抑える事が出来なかった。

 

「……ぐすっ、かいちょぉ」

「何だ?」

「ボク……ボクぅ……さんっ、かんウマっ……っむすめになったよぉ」

「そうだな。約束の一つを果たしてくれて嬉しいよ。だからこそ、しばらく休むといい」

「ひっく……でもぉ……」

「いいんだ。お前には時間がある。それに、素晴らしい仲間もいるようだしな」

「え……?」

 

 そこでトウカイテイオーは初めて気付いた。いつの間にか周囲にセイウンスカイ達四人が立っている事に。

 

「みんな……」

「あれ? テイオー泣いてるの?」

「まったく情けないわね。まだ目標の一つでしょう。泣くには早いわよ」

「な、泣いてなんかないよっ!」

 

 慌てて目元を拭うトウカイテイオーだが、それを見て誰もが笑顔を浮かべていた。

 

「ふふっ、テイオー? 貴方はライブへは出られないからその分ここで声援に応えてあげてね」

「分かってるっ!」

「皆さん、テイオーさんを呼んでますよ。ほら、手を振ってあげたらどうですか?」

「そうだねっ! みんな~っ! ボク、ボクっ! やったよ~っ!」

 

 トウカイテイオーに合わせて四人も手を振った。その光景を見つめ、トレーナーは一人息を吐いて目を細めた。

 

“テイオーの調子は最悪だ。トレーニングはまだ出来ないな”

 

 聞こえる声はダービーの後よりも酷い状態にトウカイテイオーがなっている事を教えていた。

 けれど以前と違うのはトレーニングに関しても言及してくれている事だ。

 

 最悪を覚悟の上で彼もトウカイテイオーもこのレースへ挑んだ。それでも最悪の結果を回避出来た事は嬉しかった。

 

(最悪の結果は天の声が否定してくれたからいいが、もしそうじゃなかったら俺は……)

 

 あの瞬間、トレーナーの脳裏に聞こえた天の声はこうだった。

 

――テイオーの調子は悪いな。走り切る事は出来るだろう。

 

 そこで後半が聞こえなかったら、トレーナーが叫んでいたのは大丈夫ではなく別の言葉だった。

 

「……テイオーとの約束を破らずに済んで良かったな。だが、やっぱり俺はいざとなったらあいつらの夢よりも大事にするものがあるって事か」

 

 そう噛み締めるように呟いて、トレーナーも五人へ惜しみない拍手を送る大勢の観客達と同じようにその場で拍手を送る。

 

(でも、今は素直に祝おう。テイオーが目標を叶えて、スペ達もGⅠで一着になれたなんて奇跡を)

 

 この後のウイニングライブはトウカイテイオー不在という事と五人同着という事もあり、普段とは異なる変則的な編成のライブとなった。

 だがしかしトレーナーはまたもそのライブを見る事が出来なかった。トウカイテイオーをシンボリルドルフと共に近くの病院へ連れていかねばならなかったからだ。

 

 それを寂しく思いつつも、トレーナーならそうすると分かっていたため三人はライブをトウカイテイオーの分まで楽しみ、盛り上げる事へ注力する。

 

 そのライブを見つめ、静かに闘志を燃やすウマ娘がいた。

 

(スペちゃん達スゴイじゃないデスか。これはアタシも負けてられないデスっ!)

(GⅠで一着を、それも菊花賞で、だもんね。私もいつか同じ舞台に……っ!)

 

 エルコンドルパサーとグラスワンダーは輝くステージで歌い踊る同期の姿にやる気を漲らせ……

 

「スゴイスゴイ! みんなキラキラしてるぞっ!」

「ええ。これがウイニングライブ……」

「スペちゃん達楽しそ~」

「いつか、いつかアタシもセンターに……っ」

 

 瞳を輝かせるツインターボ。圧倒されるイクノディクタス。終始笑顔のマチカネタンホイザ。そして決意を新たにするナイスネイチャ。彼女達四人もまたレースへの情熱を燃やす事となる。

 

 三冠レースが全て終わり、今年の話題をさらったトウカイテイオーが療養という形で重賞戦線から姿を消してしまった。

 それでも人々はレースへの興味を失わなかった。何故ならそのトウカイテイオーと激戦を繰り広げた四人のウマ娘達はこれからも重賞戦線へ挑み続けるからだ。

 

 話題に事欠かない今年のクラシック戦線。中でもやはり注目株は異次元の逃亡者との異名を付けられたサイレンススズカだった。

 

 その担当である女性トレーナーはマスコミのインタビューにこう返した。

 

「次の目標は来週の天皇賞です。スズカの本領をそこでお見せましょう」

 

 そんな彼女は次の週に天皇賞(秋)へ出走する事となっていた。元々女性トレーナーが目指していたのはそこだったのだ。

 連戦になるが不安はないのかと問われたサイレンススズカ本人も気力が充実していると答え、微笑みを浮かべてこう告げたのだ。

 

「中距離は私のもっとも得意な距離です。今日初めて私のレースを見た人は、出来れば中距離を走る私も見てください。きっとビックリさせてみせますから」

 

 後にこの言葉が現実のものとなる事を、まだ誰も知らない……。




最初はテイオーが負ける展開で考えていたんですが、やっぱり史実をいい意味で超えていけるのがウマ娘の良さだと思い直し、現実ではまずない結末としました。
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