天の声が聞こえるようになっていた、はずなのに……   作:MRZ

17 / 19
地味に強化というか成長というか覚醒を遂げたトレーナー。
天の声をただ活用するのではない方向となっていきます。


天皇賞(秋)、迫る

“テイオーの調子は最悪だ。トレーニングはまだ出来ないな”

 

 聞こえる声にため息を吐き、俺はベッドの上にいるテイオーへ首を横に振った。

 

「そっか……」

 

 それを見てテイオーは静かに目を閉じる。

 

 場所はレース場からもっとも近い病院の一室。テイオーの左足首は予想通り過負荷に耐え切れずに折れていた。ただ複雑骨折などの厄介な状態ではないらしい。

 

 シンボリルドルフはそれを聞いて安心したのか後の事を俺に託して学園へ帰って行った。

 

――今のテイオーには君が必要だ。私は学園でやらねばならない事がある。すまないが傍にいてやって欲しい。

 

 まるで子供を心配する親のような表情でそう言っていた事を思い出す。

 実際近い物があるんだろうと思う。シンボリルドルフにとっては自分を超えるかもしれない逸材がテイオーだったのだ。そして、今回のレースでテイオーはそれを証明してみせた。

 

 ただし、その代償はかなり高くついてしまったけどな。

 

「テイオー、安心しろ。お告げはトレーニングはまだ出来ないと言ってる。つまりいつか出来るようになるんだ」

「……うん、それは分かってるんだ。ただそれがいつかまでは分からないんだよね?」

 

 黙って頷く。さすがにそこまで天の声も便利じゃない。

 ただ、あの合宿中に今までよりも集中して天の声を聞いていたおかげか、聞こえる内容が最初の頃よりも詳しくなってきた気がする。

 あるいは、俺が知りたい事をもっと深く教えてくれるようになった、かもしれない。

 

 しばらく室内に沈黙が流れる。けど、それは重たいものじゃない感じがした。

 

「……ありがとね、トレーナー」

「どうした急に」

 

 不意にテイオーが噛み締めるようにそう言って沈黙は破られた。

 見れば目を開けてこっちへ顔を向けている。その表情は穏やかなものだった。

 

「あの時、トレーナーがかけてくれた言葉でボクは三冠に手が届いた。あれがなかったら、きっとボクは今と似た状態で三冠に届いてなかったよ」

 

 三冠を取った、じゃなくて届く、か。テイオーもどうやら客観的に今回の結果を受け取れてるようだ。

 菊花賞は五人同着。それは、裏を返せばテイオーは三冠を取ったのではなくギリギリ届いたというのが正しいためだ。

 

 皐月賞の勝利はセイとサイレンススズカの競り合いがあればこそで、ダービーはスペの体勢の崩れでの勝利。

 

 俺はそれでも立派な勝利だと思うんだが、テイオー自身はそうじゃないんだろう。

 全て圧倒的な実力でねじ伏せた訳ではなくギリギリの勝利だったと思っていてもおかしくはない。

 特に今回は下手をすれば負けていた。おかしな話かもしれないが、万全の状態だとそうなっていた可能性が高い。

 

 テイオーの足はその全力の走りに堪え切れる程の強さがない、と言うのが先生の見立てだ。それは今回の事で実証され、俺もテイオーもしっかり受け止める必要がある。

 当然今後はそれを踏まえた上で色々やっていくが、それも一度故障しかけたからこそ得られた情報だ。

 もしそれがなければ、最悪の場合テイオーは菊花賞の最中に故障を発生させていただろう。

 

「最初は割と抑えていたもんな」

「うん。途中まで足を気遣ってた。でも、無意識にギリギリまで気遣ってたみたい」

「そうなのか?」

 

 意外だ。俺はもう直線に出た時には全力だと思っていた。

 

「ヘイローがね、ううんキングがボクへこう言ってくれたんだ。また私に負けるのねって」

「それで全力を出せた?」

「そう。言わなくてもいいのにそう言ってボクの気持ちをゆさぶったんだ。あれがなかったら、ボクは間違いなく五着だった。ううん入着出来てなかったよ」

 

 そう言い切るテイオーには悔しさはなかった。と、ちょっと待てよ?

 

「テイオー、今お前キングって……」

「やっと、やっと認められたんだ。キングって王者って意味だから呼びたくなかったんだよ。でも、キングは本当に王者だった。ボクを帝王にしてくれたんだよ。力を出し切らないでカッコ悪く負けるよりも、全てを出し切って走れるようにって」

 

 まさかの言葉に俺はそういう事かと納得していた。どうしてテイオーはキングをヘイローと呼ぶのかと思っていたが、そういう理由があったのか。

 

「トレーナー、ボクはこれからどうなるの?」

「少なくても今年はレースどころかトレーニングも無理だ。先生に診てもらわないと分からないが、下手すりゃこれから一年間は何も出来ない可能性もある」

「……そっか。分かった。ちゃんと受け止める。走れなくなる訳じゃないなら十分だよ」

 

 テイオーの声に焦りはなかった。強がりも感じなかった。今のテイオーは満足してるんだろう。

 目標を、夢を叶える事が出来た。恐れていた最悪は回避出来た。だから今はゆっくり休もうと思えるんだ。シンボリルドルフからもそんなような事を言われただろうしな。

 

 次の日、先生の勤務する病院へ転院となったテイオーは、そこではっきりと半年以上はトレーニング禁止と言い渡されて再び通院生活を送る事となる。

 

 勿論俺はテイオーと一緒に厳しく叱られたが、先生は最後に……

 

――走れなくなってもいいという覚悟で走った事は分かっています。ですが、今後は二度としないでください。世の中には走りたくても走れないウマ娘もいるんです。だから走れる喜びをもっと噛み締めて、体を大事にして欲しいんです。

 

 そう優しく諭すように言ってきた。俺もテイオーもその言葉には返す言葉がなく、ただただ頭を下げて、二度と走れなくなっても構わないと言わない事と、そうさせる指導や指示をしない事を誓った。

 

 そして今、俺はキングの頼みを受け天皇賞(秋)へ彼女を出場させる手続きを行っていた。

 連戦となるが、キングは来年に向けてのテストみたいなものだと言うので認める事にしたのだ。

 

 ……どうしても連戦で天皇賞(秋)となるとあいつの事があって気が進まないのだが、来年春秋制覇を狙うためと言われてしまえば出さない訳にはいかない。

 ちなみにセイとスペは出さない。二人も出ようと思えば出られるのだが、キング程の強い理由も目的もない以上出すつもりはなかった。

 

「それにしても先輩は強気だな……」

 

 俺はテイオーの事でバタバタしていたから知らなかったのだが、サイレンススズカも天皇賞(秋)へ出る事を聞いて驚いたものだ。

 おそらく本来は菊花賞ではなくそちらがメインだったのだろう。それをサイレンススズカの願いを受け連戦覚悟で修正したんだ。

 

 新聞記事で見たが、サイレンススズカもやる気十分のようだし、それもあって先輩は出場を取り消さなかったんだろうなぁ。

 

「何せ菊花賞でも逃げを打って成果を出したし」

 

 セイが言うには皐月賞よりも速度の伸び方が鋭くなったらしい。

 長距離だったからそれも本来よりは緩くなっていたんじゃないかと、そう言っていた。

 

「……そういう意味でも天皇賞(秋)は観戦に行かないとダメだな」

 

 セイもスペも観たがるだろうし、今後サイレンススズカはセイにとって必ず立ちはだかる壁になるからな。

 

「っと、そうだ。一応明日にもサイレンススズカを見ておこう」

 

 あいつの事もある。自覚なく故障要因を抱えてる事がないとは言い切れん。

 特にサイレンススズカはあいつと似ている。そこに加えてGⅠの連戦で挑むのが天皇賞(秋)ときているし、な。

 

 

 

「敵情視察か?」

 

 俺が先輩のチームの練習を見学に来た瞬間、どこかからかうようにそう言われた。

 ったく、既に今朝見に行ってもいいかの確認をしたのにこれだ。まるで指導員時代そのままだぞ、これじゃ。

 

「それも半分、ってとこです」

「半分?」

「ええ。その、やっぱりGⅠ連戦の上、二戦目が天皇賞(秋)ってのは……」

 

 それだけで俺の言いたい事を察したのか先輩も少し目を落とした。

 

「そう、だな。しかも逃げウマ娘だ。お前が心配になるのも無理もないか。だが、スズカはあの子とは違う」

「それは分かってます。分かってるんです」

 

 けれど、どこかあいつを思い出させるものがサイレンススズカにはある気がしていた。

 ただ逃げウマ娘だからってだけじゃない。何かがあいつを連想させるんだ。

 

「……一応聞きますけど、やっぱりもう?」

「天皇賞は必ず出す。何があっても、だ」

 

 そう告げる先輩の表情はどこか切なさを秘めているように見えた。

 

「どうしても、ですか」

「……本当ならあの子が取れたものを取って欲しいんだ」

 

 だからあいつと同じクラシックの時期じゃないと意味がない、か。先輩もどこかでサイレンススズカにあいつを重ねているんだ。

 

「勿論故障の危険性は分かっている。スズカへも菊花賞前に確認を取った。そこでスズカはこう言ったんだ。菊花賞で勝てなかったら見送ってくれと」

 

 普通は逆だ。そこを敢えて長距離のGⅠを勝てたら中距離のGⅠでも一着を、とは。

 

「スズカは見事に一着を取ってくれた。だから私はハッキリと明言したんだ。天皇賞でスズカの本領を見せると」

「……分かりました。なら俺は少し様子を見たら帰ります。テイオーの通院へ付き添わないといけませんし」

「そうか。彼女は大丈夫か?」

「ええ、体は元気ですし松葉杖で元気に動き回ってますよ」

 

 と、そこで視界の隅にサイレンススズカの姿が映ったのでそちらへ意識を向ける。

 

“スズカの調子は絶好調だ。トレーニング効率が最大だ”

 

 聞こえた声に内心安堵した。俺の考え過ぎだと、そう分かったからだ。

 ただ当日までのトレーニングで疲労が蓄積される事もある。レース前日にも来て一応声を聞いておこう。

 

「どうだ? 不安は消えたか?」

「ええ、一応は」

「一応、か。まぁ気持ちは分からないでもないが……」

 

 そう言って先輩もサイレンススズカへ顔を向ける。綺麗なフォームで走る彼女は些かも疲れを感じさせない。実際疲れはもうないのだろう。なのにどうして俺はこうも不安を拭えないんだろうか。

 

 やっぱりあいつの事があるから、なんだろうな。これで出るのが天皇賞(秋)じゃなかったら違うんだろうが……。

 

 そこで先輩へ挨拶し俺はその場から立ち去ろうとして……

 

「色々と記者が来てるらしいが絶対に個人で受けるな。学園側を通してくれと突っぱねろ」

「分かってます」

「それと、もし厄介な相手だと感じたら私の名を出してこう言えばいい。それ以上失礼な質問を続けるのなら二つのチームの取材が出来なくなるぞとな」

「……ありがとうございます」

 

 なんて、そんな破格の支援を約束された。俺の方は今だけが凄いが、先輩は毎年のように優秀なウマ娘を送り出す強豪チームトレーナーだ。

 今はサイレンススズカが目立っているが、それ以外にもエアグルーヴやヒシアマゾンなどの実力者にグラスワンダーやエルコンドルパサーのような新進気鋭な者までいる。

 それらからのインタビューやコメントが取れないとなれば、記者も、そしてその者達が所属する会社も困るだろう。

 

 思えばあいつの時は良くも悪くも俺が無名に近かったから取材の類もそこまで多くなかったが、今はテイオーだけでなくスペにキング、セイとクラシックを賑わせるウマ娘ばかりのチーム担当だ。

 おそらくあの頃とは比較にならないぐらいの厄介な記者も来るだろう。何せ無敗での三冠を達成したがテイオーは故障したのだ。そこからあいつの事と関連付けて質問してくる奴は出てくるだろう。

 

 先輩はあの頃出来なかった助言と手助けをしてくれたんだ。これも俺が成長したから、かもしれないな。

 

 あるいはあいつの言葉を伝える事が出来たから、だろうか。

 

 そんな事を思いながら歩く。そこで俺は思考を切り換えてキングの事を考える事にした。

 今回の天皇賞挑戦をキングは来年を見越してと言っていたが、サイレンススズカはおそらく秋の天皇賞は毎年出てくるはず。そうなるとキングは勝ち目が薄い気がする。

 それをどうにかするにはキングは仕掛け時を今よりも早くするしかない。それとスピードも今以上に上げないとならないな。

 

「……セイに協力してもらって仮想サイレンススズカをやってもらうしかないか」

 

 それを継続していけばセイにもキングにも良い結果を出すだろう。

 

「うし、とりあえずテイオーを連れて病院行くか」

 

 そうしていつものようにトレーニング場所へ到着すると既にセイ達三人が軽く走っているのが見えた。

 そんな三人をテイオーが座って見つめている。その傍には松葉杖が立てかけてあった。

 

「テイオー、待たせたな」

「あ、トレーナー。ううん、そうでもないよ」

“テイオーの調子は最悪だ。トレーニングはまだ出来ないな”

 

 笑顔を返すテイオーを見つめると聞こえる天の声。その内容は当然ながら変化なし。

 だがそれが安心出来る事でもある。“まだ”という部分が聞こえるからだ。

 

「おーい、俺が戻ってくるまでは軽いものだけで我慢してくれよ~っ!」

「りょ~か~いっ!」

「分かりました~っ!」

「テイオーの事を頼みましたわよ~っ!」

「行ってきま~すっ!」

 

 そんなやり取りをして俺とテイオーは病院へと向かった。松葉杖も既に慣れてきてるのかテイオーは危なげなく歩を進める。

 

「器用なもんだ」

「ふふん、ボクは天才だからね」

 

 誇らしげに笑うテイオーはやはり気落ちなどがないように見える。

 無敗の三冠ウマ娘。それを達成出来た事でやっと少し背中の荷物が軽くなったのだろう。

 

 病院への道すがら、テイオーは自分なりに考えた計画を伝えてきた。

 

「GⅠで八勝、か」

「うん。怪我が完治したら目指すはそれ。で、それを達成したら次は凱旋門っ!」

「は?」

 

 思わず耳を疑った。日本のウマ娘トレーナーが、いやレースに関わる者が必ず一度は夢見る舞台だ。

 

「カイチョーも本当はそこへ挑戦したかったって聞いたんだ。だから、ボクがカイチョーの分までそこへ挑戦して、一着を取ってくる」

「凱旋門で一着、か……」

 

 シンボリルドルフは既に第一線を退いている。だが彼女が最前線で走っていた頃、こんな言葉がトレーナーの中では話されていた事を思い出した。

 

――シンボリルドルフは、世界に届いている。

 

 当然海外遠征も持ち上がったらしいが、色々な事が重なり現実とはならなかった。

 そうしている間にシンボリルドルフは全盛期を過ぎてしまい、海外遠征は夢と消えたらしい。

 俺からすればあれで全盛期を過ぎているというのが信じられないのだが、周囲の話や残っている記録などからすると頷くしかない。

 

 そういえば去年の合宿でも調子が良くないと天の声が言っていた事を思い出した。

 ずっと彼女は調子を崩し続けているのだろうかと、そう思って足を止める。

 

「どうしたのトレーナー。何かあった?」

「あ、ああ……すまん。ちょっと考え事をな」

「も~、気を付けてよね。今のボク、色々危ないんだからさ」

「すまんすまん」

 

 むくれるテイオーへそう返しながらも俺の頭の中にはさっきの考えが残っていた。

 天の声を使って皇帝へ何か出来る事はないだろうか、と……。

 

 

 

「指導のコツを教えて欲しい?」

「はい……」

 

 天皇賞を明日に控えた昼休み。俺は後輩から相談があると声をかけられ、なら飯でも食いながらと食堂で隣り合って座ったところでそう切り出されたのだ。

 ちなみに俺の飯は天丼で後輩君のはソースカツ丼だ。今日は丼フェアらしく丼物を頼むと必ず味噌汁がついてくるからそうした。

 

 後輩は沈んだ顔でため息を吐くとソースのかかったカツと一緒に飯を口の中へ運ぶ。

 俺もそれを見てオクラの天ぷらを口へ入れた。

 ねっとりとした触感と共に衣の味と丼ツユの旨味が口に広がる。

 それを味わいながら飯を口に入れ、ある程度咀嚼したところで嚥下して口を開く。

 

「でも、お前さんはサブトレ時代から今のチームを見てるんだろ?」

 

 後輩のようなケースはそこまで珍しくない。トレセン学園にはいくつか名門チームと呼ばれるものがあるが、彼の担当チームもその一つだ。

 そういうチームは大体サブトレを入れ、そいつが育って正式なトレーナーとなったのと合わせてチーム担当を引き継がせたり、あるいはチームの中で有望株を担当させたりして体制を移行していく。

 彼はサブトレから正式トレーナーへ昇格したと同時にチーム担当となったはずだ。なら今更俺から指導のコツを聞こうとする必要はないはずだが……?

 

「……お恥ずかしながら僕がチームを引き継いだ途端、それまでいたウマ娘達がほとんど抜けてしまって」

「は?」

「勿論引き止めました。けどその時全員にこう言われたんです。僕はサブトレとしては優秀だけどチーム全体を見れるとは思えないって」

 

 それは中々キツイ一言だ。だが残念ながらそういう人間はいる。補佐としては優秀な人がリーダーとなった瞬間ダメになる事は往々にしてあるのだ。

 

「僕はそう言われた時に反論出来ませんでした。実際僕も誰かの支えをしてる方が性に合ってるなと思ったんです」

「……でもチームを解散しなかったんだろ?」

「彼女が、ネイチャさんが残ってくれたからです。彼女は僕の事を見限りませんでした。それどころか一緒に頑張ろうって言ってくれたんです」

「それで今までやってきた、か……」

 

 何というか健気な話だ。おそらくだがナイスネイチャも彼の本質は見抜いているんだろう。

 だが、それで自分まで離れたら彼が潰れてしまうと察し、支える事にしたんだろうな。

 

「先輩は過去の事を乗り越えて爆進王なんて呼ばれるウマ娘を育て上げました。そして、今なんてテイオーさんを無敗の三冠ウマ娘にした。更にはセイウンスカイさん、キングヘイローさん、スペシャルウィークさんなどの実力ウマ娘まで育ててます」

「まぁ、それは……」

「テイオーさんの足の不安を抱えながら、それでも三冠を達成させた手腕と覚悟。それが僕にはない。治療しか頭に浮かばなかったんです。故障させないようにしつつ三冠を取れるトレーニングを両立なんて凄いとしか言いようがありません」

 

 その言葉に俺は、俺が凄いんじゃない、天の声があるからだ、と、そう言いたかった。

 ただ、今の言葉を聞いて彼に何が足りないかはよく分かった。

 

 彼は、少し前までの俺だ。だから教えてやるんだ。あの時の俺と同じで、今のお前もちゃんと自信を持っていい事があると。

 

「いいか後輩、よく聞け」

 

 箸を一旦置いてそう告げる。後輩は顔を上げてこちらを見つめていた。

 その目をしっかりと見据えて言葉を投げかけようと思いながら俺は声を出す。

 

「ナイスネイチャが残ってくれた。そして今やお前を信じてチームへ加入してくれたウマ娘がいる。どうしてこれで自信が持てない? 何で覚悟が抱けない?」

「どうして……?」

「自分に自信が持てないのは分かるさ。俺だってそうだった。サクラバクシンオーと出会うまで、俺はこれといった結果を残せず、しかも一人は故障引退までさせた」

 

 無意識に拳を握る。俺の中の消せない痛みだ。

 

「だから俺は自信がなくなった。覚悟を失った。俺なんかが指導したら駄目なんじゃないか。俺の指導じゃまた引退させるんじゃないか、と」

 

 後輩は俺を黙って見つめていた。ただその顔が驚きに変わっている。自分と似てると、そう思っているんだろう。

 

「そう思った俺はトレーナーを辞めるべきかどうかを考えた。けど、そこで思ったんだ。これで俺が辞めたら、その俺を信じて一緒に頑張ったあいつらはどうなる? ただでさえ俺のせいで色々と辛い思いや苦しい思いをしただろうあいつらに、俺はもう一度そんな思いをさせたくなかった」

「先輩……」

「俺には、誰も残らなかった。けどお前は違う。残ったんだ。しかも引退もさせていない。なら俺よりもお前は優秀だよ」

 

 ハッキリと断言してやる。天の声なんてもんがなかったら今がない俺と違い、彼は自分の力だけでもがき足掻いてる。

 それでちゃんと結果を出せているんだ。なら十分優秀だ。しかも俺があいつを受け持った時よりも若いのに、だ。

 

「それと、指導のコツなんてもんは一つだよ。相手にとっての最善を考えて、考えて、それを相手へ伝えて理解を得て納得してもらう。それが出来なければ納得してもらえるまで何度も同じ事を繰り返すんだ」

「納得出来るまで……繰り返す……」

「まず自分が納得出来るかどうか。次に相手が納得出来るかどうかだ。それが出来れば後は信じるだけさ」

「相手を、ですか?」

「それだけじゃない。自分も、だ。相手はこっちを信じてくれた。ならこっちも自分を信じるんだ。自分自身が信じられない自分を信じてくれた相手を信じる事で、な。自信や覚悟なんてもんは、そうしていれば勝手についてくるもんさ」

 

 そう言って俺は箸を手にして芋の天ぷらを掴む。

 

「自分一人だけで勝手な自信を持たなければ大丈夫だ。自分と相手を納得させる事が出来たら、後はそれを貫くだけだぞ」

 

 言い終えて芋の天ぷらを一口齧る。その甘さに自然と笑みが浮かぶ。

 人によってはこの甘さが嫌だと言うんだろうが、俺はこの甘さが嫌いになれない。

 

「あとな、俺だってまだまだ未熟で人に指導出来る程の存在じゃない。だから今のは参考程度に思っておけ。俺には俺の、お前にはお前のやり方と考え方がある。人のいいとこは真似してもいいが、それが向かないと思ったらすっぱり止めて別の方法を探した方がいいしな」

「……はいっ!」

 

 その後は会話もなく、お互いに食べる事へ集中した。

 どこか吹っ切れたような顔で美味そうに飯を食べる彼を見て、心の中でこっそりと呟く。

 

 お前は俺のようにはなるなよ、と。担当を誰一人として引退させず、全員卒業させてやってくれって、そう願うように……。

 

 

 

 風さえ置き去りにするかのような速度で駆け抜けるサイレンススズカを見つめ、俺は意識を集中する。

 

“スズカの調子は絶好調だ。トレーニング効率は最高だ”

 

 天の声は彼女の状態が最高である事を裏付けている。やっぱり俺の心配し過ぎか。

 

「どうだ? キングヘイローが勝てる状態か?」

「正直厳しいでしょう。でも、可能性がないとは言いません」

「ほう?」

「……ただし、出来れば俺はその可能性がない事を願います」

 

 脳裏に過ぎるあの悪夢。あいつはあの大欅を超えた辺りで走り方がおかしくなった。

 そう、あのいわくつきの枠番で迎えた、天皇賞(秋)。あのレースは一番人気で一枠一番になったウマ娘がことごとく不運に見舞われる。

 せめてサイレンススズカは枠番だけでも違ってくれればいい。人気はおそらく一番になるだろうからだ。

 

「心配し過ぎだ。私もスズカにしっかり休養を与えている。トレーニングは普段の三分の一にしたし自主練すらこの一週間は禁じた」

「ええ、分かってるんです。先輩も気を配ってる事は」

「そうか。ならいい。本来のフォームへ戻ったスズカの本領発揮を楽しみにしておけ」

「期待半分不安半分で見させてもらいますよ。じゃあ、また明日レース場で」

「ああ」

 

 先輩へ会釈してその場を立ち去ろうとして、もう一度だけサイレンススズカへ目をやって意識を向けた。

 

“スズカの調子は絶好調だ。このままスピードを上げてやろう”

 

 やっぱり心配し過ぎだ。そう思って俺は息を吐いて今度こそその場から離れようとした時だった。

 

「よし、そのまま残りは全力だ!」

 

 サイレンススズカがその先輩の言葉で速度を上げる。それだけで分かった。菊花賞よりもスピードの上がり方が鋭くなってると。

 先輩の言った本来のフォームというのはそういう事かと納得出来た。あれこそが先輩が惚れ込んだ走りか。

 

 そのあまりの速度に呆然としていると、あっという間に最後の直線となった辺りでサイレンススズカが更に加速する。

 

 相変わらず信じられない走り方だと、そう思って目を見張った瞬間だった。

 

“スズカの調子が下がったな”

「……え?」

 

 聞こえた天の声に耳を疑い、俺は意識を集中してゴールへと迫ってくるサイレンススズカを見つめる。

 

“スズカの調子は、絶好調だ”

 

 ゴールを駆け抜けた瞬間に若干声が途切れたものの、先程とは異なる言葉が聞こえた。

 そこからどれだけ見つめても声は同じ事を繰り返すのみで、調子が下がったという表現は聞こえなかった。

 

 俺は自分のチーム小屋へ戻りながらその事について考えていた。

 

「これ……テイオーの時と似てるようで違うな」

 

 テイオーは皐月賞でゴールした瞬間とダービーでゴールした瞬間に良くない天の声が聞こえた。

 だがサイレンススズカは走っている途中だった。しかも聞こえたのは一回だけでその後はまったく聞こえなかった。

 

 気のせい、と片付けるのは不味い気がする。何せテイオーの事がある。一度天の声で注意を促されたのなら最悪に備えるべきだ。

 

「テイオーはゴールした直後だった。そしてそれは自覚のない故障の前兆……」

 

 サイレンススズカは走っている途中。それも一瞬、か。じゃあどういう事だ?

 あれは更に加速しようとした瞬間、だったように見えた。じゃあもしかしてレース中に加速していくのがヤバいのか?

 

「…………待てよ?」

 

 菊花賞の事を思い出す。テイオーの状態はレース途中で悪化した。それを天の声は教えてくれた。

 なら、サイレンススズカはそれと似ているんじゃないか? 彼女は逃げなのにレース途中で加速していく走り方だ。それはテイオーよりも足への負担が桁違いに重い。

 でもそれは今までも同じだったはずだ。何故今になってそんな事に……っ?!

 

「まさか、スピードが鍛えられた事とフォームが戻った事でその負荷の重さも上昇したのか?」

 

 思えば彼女は元々適性が中距離だ。それなのに長距離の菊花賞へ向けてのトレーニングを行い、レースではセイとの競り合いでかなりの激闘をしていた。あのペースで競り合った経験もほとんどない状態で限界を超える程の走りだったはずだ。それがサイレンススズカの体に重度の疲労を与えたのは間違いない。

 結果として自慢のスピードは本来よりも鈍くなり、負荷も軽減された。だから菊花賞では何も起きなかった。

 

 つまり長距離だったおかげで本来の走り方が出来なかったから、足への負荷も急激なものにはならずに済んだとしたら?

 

 もしそうだとすれば怖い事がある。天皇賞(秋)は中距離だ。サイレンススズカの本領が如何なく発揮出来る距離だ。

 

「長距離と違って最初からハイペースで飛ばして、途中で加速していき最後の直線で二の足による加速をかけるレース展開……」

 

 アタマに浮かぶサイレンススズカのレース。あの鋭さを増したフォームで先頭へ抜け出してそのまま独走状態となり、速度を下げる事なくむしろ上げていって……。

 

「最後の直線での急激な加速で過負荷が最大になり……っ!」

 

 そう呟いた俺の脳裏に浮かぶのはあいつの最後のレース。ないと思いたい。思いたいが……。

 

「くそっ、どうすりゃいいんだ……っ!」

 

 テイオーの時は完全に故障を抱えていると確信が持てたし、サイレンススズカも間違いなく故障すると確信出来る。

 だがおそらく今のサイレンススズカを検査しても異常はないと言われてしまうはずだ。

 何故なら、彼女の故障はレースなどで少しずつ負荷が蓄積してやがてというものではなく、レース途中での二の足により凄まじい負荷が一気に足を襲う事で発現するものだろうからだ。

 

 しかもその性質上、天皇賞(秋)を何とか乗り越えても次のレースで同じ問題がつきまとう。

 一番いいのはサイレンススズカを完全休養させてレースの間隔を開けて、トレーニングも全力で走る事を一日一回に限定し、以前テイオーがやっていたようにカルシウムを多めに摂取して日を浴びるぐらいだろう。

 

 けど、これをどうやって納得してもらう? しかも彼女は明日レースに出る。

 目に見えての異常もなければ本人の自覚もない故障理由だ。先輩を説得し検査を受けさせる事は出来ても、その結果が異常なしとなればレースを見送る事はしてくれないはずだ。

 更に最悪の場合せっかく良くなってきた先輩との関係が悪化し、いざとなった時に連携が取れない可能性がある。だから検査は出来ない。

 

「……サイレンススズカのもっとも加速するタイミングは最後の直線だ。なら遅くてもそこで事は起きる、か……っ」

 

 最悪を想定して明日レース場へ行くしかない。セイとスペがいれば対処は出来る。

 

「絶対にあいつの二の舞はさせないっ!」

 

 あの日の悔しさと無力さは今も忘れていない。あの後勉強した事もはっきり覚えている。

 事前に止める事が出来ないのなら、起きた後で最善の対処を取るしかない。

 そう決意を固めて俺は歩く。あの日の再現などさせてなるものか。サイレンススズカを二度と走れない状態にさせてなるものか。

 

「……でもその前にキングの事を考えないとな」

 

 サイレンススズカの事も重要だが、キングの事も同じぐらい大切だ。今は勝ち目の薄い勝負でも来年はそうじゃないようにするために、俺が出来る事を考えてキングと話し合わないといけない。

 

「とりあえず、まずはキングと顔を合わせて話さないと」

 

 サイレンススズカの故障する可能性に備える事とキングが天皇賞(秋)で結果を出せるようにする事。その両方を考えないといけない。

 天の声がなければきっと気付かなかった可能性、いや見落としていた可能性。それを零さないようにするためにも。

 

「あっ、トレーナーだ」

「遅いよトレーナー」

「悪い悪い」

「まったく、そんな事でこのキングを天皇賞の春秋制覇させられるの?」

「それとこれは関係ないだろ」

「トレーナーさん、スズカさんはどんな感じでした?」

 

 俺が姿を見せると真っ先にテイオーが気付き、それを合図にセイ達もこっちへ顔を向けた。

 きっとサイレンススズカの事を知ればそれが曇る。だから今は黙っておく事にした。

 

「仕上がってるって感じだった。キング、今回は無理に勝ちを狙うなよ?」

「分かってるわ。本番は来年の春からよ。でも、勝ってしまってもいいんでしょ?」

「ああ。何があっても振り向かずに走り抜いて、な」

 

 サイレンススズカに万が一の事が起きれば意識が嫌でもそっちへ向く。テイオーが言っていた事から考えればキングは全力でぶつかり合った結果勝利を掴みたい性格だからな。

 なのでここで釘を刺す。いや、意識させるだろうな。キング本人はそんな勝利は不本意だろうが、最悪が起きなければまず一着はないので構わないだろう。

 

「セイ、キングはどうだ?」

「うーん……やっぱり仕掛けるのが遅いかなぁ。その分最後の追い上げは凄いんだけど」

「ぐっ……」

「かといって仕掛け時を早めると終盤失速しますし」

「ううっ……」

「仕掛けを遅くするとスピードが、早くするとスタミナが足りないって感じ」

「~~~~~っ」

 

 セイ達の意見にキングが百面相となっているのが面白い。しかもそれが正論だから反論もし辛いんだろうなぁ。

 

“ヘイローの得意な走りは差しだ。ただ先行も出来ない訳じゃない”

 

 改めてキングの事を天の声から教えてもらい、ならばと一つ試してみる事にした。

 

「キング、一回先行で走ってみるか?」

「先行、ね。まぁやれない事はないけど」

「今までのレースでキングのイメージは差しになってる。だからこそ先行で走ってみたら周囲が動揺するかもしれないし、何よりキングの走り方は一つじゃないと見せつけられるからな。差しも先行も出来れば今後のレースで周囲がそれを楽しみに出来る」

 

 あくまでも前向きで挑戦的な物言いにした。キングが好むものがそういう事だからだ。

 ただ俺もどこかで同じ事を思ってはいる。キングは正直距離を選ばず走る事が出来る素質を持ってるからだ。

 

 短距離から長距離まで一定のレベルで走るのは正直あの皇帝でさえ出来なかった。

 そう考えればキングはたしかに王者の資質を持っていると言えるだろう。

 

「…………いいわ。なら今回は先行で走ってあげようじゃない」

「「「お~……」」」

「よし、どうせ来年に向けての挑戦なんだ。今回はキングの持つ様々な才能を試してやろう」

「お~っほっほっほっ! いいじゃないいいじゃない! そうよ! わたしの、キングの凄さを世間に見せつけてあげるわっ!」

 

 キングがその気になってくれた事に内心でホッとしつつ、俺は改めてテイオーやスペへ意識を集中してみた。

 

“テイオーの調子は最悪だ。トレーニングはまだ出来ないな”

 

 テイオーは何も変わらず、か。

 

“スペの調子は絶好調だ。トレーニング効率は最高だ”

 

 スペも特に問題なし、と。なので最後にセイへ意識を向ける。

 見た感じは特に変わりはないようだ。機嫌もいいし、調子もいいだろうと思えるぐらいに笑みを浮かべている。

 

「よしキング、先行のつもりで走ってくれ」

「いいわ」

「スペ、お前は他の先行ウマ娘として走るんだ。キングに先行の走りを見せてやれ」

「はい」

「セイ、仮想サイレンススズカとして走ってくれ」

「はいはーい」

「テイオーは先行の先輩としてキングへアドバイスを頼む」

「りょーかい」

 

 こうして三人がコースへと戻っていき、テイオーはそれを真剣な眼差しで見つめる。

 もうテイオーの眼差しにはいつかのような焦りが欠片としてなかった。やはり無敗の三冠が精神的な安定を与えているんだろうな。

 

「位置について……スタートっ!」

 

 俺の合図で走り出す三人。セイが普段よりもペースアップして前に出ていき、スペはどことなくテイオーのような位置取りだ。キングはと言えばスペの隣を並走する形となっている。

 

「テイオー、セイはサイレンススズカと比べてどうだ?」

「……客観的に今のスズカを見た訳じゃないけど、それでもやっぱり違うよ。けど今のセイちゃんは結構スズカに寄せてるかな」

「なり切ってくれてるって事か」

「うん。それとスペちゃんはボクをマネてるかも」

「そこまで分かるのか?」

「何となくだけどね。皐月賞の時のスペちゃんはもう少し後ろの位置取りだったし」

 

 まさかの分析と記憶力に内心舌を巻いた。言われてみればその通りだ。あのレース、スペは先行として走っている。それをテイオーはちゃんと覚えていたとはな。

 

「ある意味皐月賞の再現かもね。それも、セイちゃんがスズカ攻略をしなかった場合の」

 

 皐月賞の再現か。天皇賞(秋)もテイオーが挙げた状況に近しいものとなる可能性が高い。ならこれは十分意味があるはずだ。

 

「キング、冷静だね」

「……そうだな」

 

 慣れない先行の走りでもキングは焦りもしなければ不安も見えない。

 普段とは異なる仕掛け時を探り、その眼差しは鋭さを秘めているようにも見える。

 やがて第二コーナーを抜けて第三コーナーへ入っていこうとした辺りでスペが動く。

 

「うわ、ボクの動き方そっくりだ。スペちゃん、記憶力いいなぁ」

「いや、あれは記憶じゃない。お前ならどう動くかをスペなりに考えてるだけだろう」

「うぇっ!? そ、そっちの方が怖いんだけど……」

「スペは覚えてる事であそこまで動ける程器用じゃない。なりきり、だろうな」

「……何だか怖い事聞いちゃったかも」

 

 本来ならここでサイレンススズカは速度を上げるんだが、セイにそこまで求めるのは酷というものだ。

 ゆっくりとセイとスペの距離が縮まり出していくのを見て、俺はキングの動向へ意識を向けた。

 キングは第三コーナーの途中から動き出して先頭へと迫っていく。差しの時よりも仕掛けが若干早いぐらいだな。

 

「……イイ勘してるなぁ」

「へ?」

 

 隣から聞こえた噛み締めるような声に目を向けると、テイオーが感心するような顔で前を見ていた。

 

「キングだよ。差しだったらもう少し待たないといけないけど、先行は最後の直線で先頭に追い付けるかなじゃちょっと遅いんだ。先行だとどうしても差しの時程の爆発力はないからね」

 

 口調こそ普段のままだがテイオーの視線は一時たりともキングから離れていなかった。

 真剣な眼差しでキングの走りを見つめているのが伝わる程に。

 

「今まで先行として走ってきてないのにそういうとこがちゃんと分かるってスゴイよ」

「あれだろ。今までのレースで先行として凄い奴を見てきたから分かるんじゃないか?」

「スゴイ奴……?」

「ああ。無敗の三冠ウマ娘さ」

 

 そう言ってやったらテイオーが一瞬驚いて、すぐに嬉しそうな表情へ変わった。

 

「キングにとってトウカイテイオーは超えるべき存在なんだ。だからそれが出来る事は自分もって事だろうな」

「……そっか」

 

 既にレースは最後の直線となっていた。先頭を走るセイと並ぶ形でスペが走っていて、キングはそのやや後方だ。

 おそらくサイレンススズカならここで加速してくる。そう思えばキングは既に引き離されているだろうな。

 

「スペがセイを抜けない、か」

「スペちゃんも先行として上手な方だけど、やっぱり差しの方が合ってるんだよ」

「キングもか?」

「……キングは分からない、かも」

「どういう意味だ?」

 

 スペに関してはハッキリと差しの方がいいと明言したのにキングには分からないと濁す?

 

「今のキング、様子見してるんだ。先行としての感触を確かめてる感じ。本気の全力を出すのは次じゃないかな?」

「……そういう事か」

 

 走りながら自分の想像と実際の誤差を確認してるのか。いや、もしそうなら凄いな、本当に。

 だがそれぐらいじゃないと菊花賞で一着争いを出来ないか。あの同着はテイオーの三冠で目をくらまされているが、本当に凄いのは最後の最後で差し切る寸前までいったキングだ。

 

 何せ一度テイオーを抜いて再度抜き返されたのに最後にはまた追いついたんだからな。

 そういえばキングは安定して毎回レースでゾーンに入ってるな。そこも考えると凄いもんだ。

 

 結局レースはセイが際どく逃げ切って終わった。ただ呼吸を荒くするセイやスペと違いキングは肩で息をしていたものの、二人よりは余裕を感じさせたのでテイオーの予想は間違ってない気がした。

 

「どうだキング、手応えはあるか?」

「……少し休んだらもう一度やらせてもらえる?」

「俺は構わんがセイとスペはどうだ?」

「わ、私は構いませんよ……」

「セイは?」

「……やだなぁって、そう言いたいとこだけどいいよ。キングのその顔、何かあるんでしょ?」

 

 セイの言う通りキングはレースが終わった後も終始何か考え込んでいるような表情をしていた。

 そうして十分程休憩した後、再び三人がスタート位置に移動する。

 

「……スタートっ!」

 

 俺の合図で三人が先程と同じような感じでレースを展開する。俺の目にはそう見えた。

 

「位置取りから何からさっきと同じだね」

「やっぱそうか」

 

 テイオーの言葉で俺は自分の感想が間違っていない事を確信する。

 キングはさっきと同じ展開で何をしようとしているのか。それを見極めようと俺は意識をレースへ集中した。

 

 先頭はセイでスペとキングはそれから7バ身は離された辺りにいる。そのまま第二コーナーを抜けて第三コーナーへ入ろうとする辺りでスペが前へと移動開始と、ここまでもさっきと同じだ。

 違ったのはその直後だろう。スペにくっつくようにキングがその真後ろについて移動し出した。

 

「さっきと違うね」

「……そういう事か」

「え?」

 

 俺はそれだけでキングが何をしているのかが分かった。成程な。頭脳派でもあるキングらしいやり方だ。

 

「スリップストリームって言ってな。要するに前にいる相手を利用して空気抵抗を減らして体力を温存するやり方だ」

「へぇ、そんなのがあるんだ」

「ああ。キングの奴、足りないスタミナを鍛える形じゃなくあんなやり方で補うとはな」

 

 第四コーナーを抜けて最後の直線となった瞬間キングがスペの後ろから出て一気にセイまでまとめて抜き去った。

 

「「おおっ!」」

 

 思わずテイオーと声がハモる。いや、スリップストリームは出る瞬間が一番恐ろしいんだ。

 何せそれまで低くなってた空気抵抗を一気に受ける事になる。そこでバランスを崩してしまう事がない訳じゃない。

 

 それを見事乗り越えてキングはそのまま先頭でゴールを駆け抜けた。

 

「スゴイじゃないかキング。ボク思わず拍手しちゃったよ」

「……そう、ね。凄いと言えば凄いわ」

 

 減速を終えてこっちへ戻ってくるキングにテイオーが心からの賞賛を述べるも、何故かキングの反応は悪い。

 

 その理由は何故かを俺は何となく察した。

 

「王者らしくない走りだから勝っても素直に喜べない、か」

「さすがはこのキングのトレーナーね。ええ、その通りよ」

 

 他者を利用して自分のスタミナを温存し一気に抜き去る。決して安全とは言えないが素直に勝負するよりも勝率は上がるのは先程キング自身が証明してみせた。

 

「キング、あれだって何のデメリットもない訳じゃない」

「分かってるわよ。だけど……」

 

 どうやら余程他者を利用するやり方が気に入らないらしい。

 ふむ、これはちょっと現実を思い出させてやるべきか。

 

「なぁキング、一つ忘れてる事があるぞ」

「何をよ?」

「本番のレースは十人以上いるんだ。さっきの方法を取ったところで周囲を囲まれるような状況になる可能性はゼロじゃない。下手すれば抜け出せないまま終わる事だってあるし、いざ抜け出そうとした瞬間に後ろから来たウマ娘に邪魔される事もある」

「っ……」

 

 今回は三人しかいなかったから上手くいったが、本番のレースは何が起きるか分からない。

 キングもそこを思い出したのだろう。悔しげに唇を噛んだのが見えた。

 

「いや~、キングにやられたよ」

「はい、まさかあんな風に抜かれるなんて思いませんでした」

 

 そこへセイとスペがどこか悔しそうに現れる。が、キングの様子で何か妙だと気付いたか小首を傾げた。

 

「何々? どうかした?」

「キングさん何かあったんですか?」

「別に何でもないわ。トレーナー、あなたの言いたい事はよく分かったけど、それでもわたしはさっきの方法を取るつもりはないから」

「そうか。分かったよ。ならそれでいい。お前が納得出来るやり方を貫いてくれていい。俺はそれを支えるだけだ」

「ええ、それは分かってる。しっかり支えてみせなさい」

 

 そう言ってキングは俺に背を向けた。セイやスペ、テイオーにさえも背を向けてゆっくりと歩き出すも、すぐに足を止める。

 

「あなたはわたしのトレーナーなのだから」

 

 告げられた言葉は淡々としていたがどこか温もりを感じさせる声だった。

 何よりのキングからの信頼を伝える言葉だ。だからこそ俺も同じぐらいの想いを込めて言葉を返す。

 

「おう、分かってるさ。お疲れさん、ゆっくり休めよ」

「お疲れ様」

「セイ、スペ、テイオーもお疲れさん」

「「「お疲れ様(ですっ!)」」」

「明日はキングの応援でレース場へ行くからな。寝坊すんなよ?」

「はいっ!」

「「はーい」」

 

 それを合図に三人も動き出す。見ればキングも少し行った先で三人を待っていた。本当に面倒見のいい奴だな。

 松葉杖のテイオーに合わせるように三人は心持ちゆっくりと歩いているのもそれだ。本当に仲が良いな、あいつらは。

 

「だからこそ、出来るだけ同じレースには出したくないんだが……な」

 

 ジャパンカップにスペを出そうと思っているがセイやキングは正直出せるとしても出したくない。

 それとセイは今後どうするべきか迷っていた。キングは自分で目標を立てているがセイはそれが特にないらしく、こちらへ何のアクションもしてこないのだ。

 

 いや、もしかしたら俺を待ってるのかもしれない。俺が話を聞きに来るのを。

 

「……ダメだな。俺も受け身でどうする」

 

 これまでもそうだったからと言ってこれからもそうとは限らない。

 セイもハッキリとした目標や夢があるかもしれないんだ。それをちゃんと聞いてみよう。

 あいつが言ってくるのを待つんじゃなく、俺から踏み込む形で。

 

 そう決意してこの日は終わる。そして迎えるのだ。俺にとって忘れられないレースである“天皇賞(秋)”を……。




過去の悪夢故にスズカの連戦に不安しかないトレーナー。天の声もあるから余計です。
対して先輩は、だからこそスズカならそんな事にならないと信じているからこその決断です。

……実際あのレースでサイレンススズカならジンクスを破ってくれると多くの人達が信じていました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。