天の声が聞こえるようになっていた、はずなのに……   作:MRZ

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最高なんて早々出来るものじゃない。だからせめて最善を目指したい。
けれどその最善でさえ人によっては最悪とほぼ変わらないとしたら……。

それと仕事の関係で今後は更新がかなり遅くなります。ご理解くださると助かります。


沈黙と栄光の狭間

 異様な熱気に包まれる東京レース場。先週の菊花賞に比べればそれでも落ち着いている方ではあるが、逆に言えばそれと比べなければ劣らないという異常さだった。

 

「な、何だか凄いですね……」

 

 それを感じ取ってスペシャルウィークが戸惑うのも当然と言えた。

 この場で行われる天皇賞(秋)に出場するキングヘイローの応援のために、今日彼女はトレーナーや仲間達と共にここ、東京レース場を訪れていた。

 久しぶりとなる観客としてのレース場は、スペシャルウィークにとっては飲まれそうになる程の熱気に満ちていたのだ。

 

「だねぇ。テイオーはこうやってレース場来るの久々なんだっけ?」

「うん。でもボクが最後に来た時よりも空気が異様だってのは分かるよ」

 

 松葉杖を片手に周囲を見回すトウカイテイオーだが、その表情はどこか不思議そうにしている。何せ彼女からすれば何故今日のレースでここまで熱気が生まれるのかが分からなかったからだ。

 

 サイレンススズカが中距離のGⅠへ挑む。それは既に皐月賞で行われた事であり、もう彼女は実際肌でその走りを感じ目で見たからなのだが、残念ながら今日ここに来ている半分近くはあの菊花賞を切っ掛けでサイレンススズカのレースを見に来た者達なので仕方がない。

 

「キングさん、勝てるでしょうか?」

「正直厳しいね。何せ相手はスズカさんだし」

「レースに絶対はないけど、その絶対を感じさせる数少ない状況が中距離でのスズカだからね」

 

 トウカイテイオーの言葉にトレーナーは静かに頷いた。

 

「そうだな。そしてそれを既に知っている奴はサイレンススズカの重賞獲得を見に来て、知らない奴はサイレンススズカの真価を見たいんだろうさ」

 

 その眼差しを正面に見える巨大モニターへ向けたまま、トレーナーは真剣な表情を見せる。

 

(せめて、せめて今日だけでも最悪が起きないでくれたらいいんだが……)

 

 そう思いながらトレーナーは手に持った双眼鏡へ目をやった。今日のために昨日急いで買ってきた物だ。

 あの菊花賞でトウカイテイオーの夢を後押しする切っ掛けとなった出来事を受け、サイレンススズカの異変をいち早く察知出来るようにとの想いで用意したのだ。

 

「けど、キングらしいよね。控室まで来るのは禁止って」

 

 キングヘイローは当日レース場まで到着するやそうトレーナー達へ言い渡して一人控室へと向かって行ったのである。

 それがどうしてかは彼らにも分かった。キングヘイローは本番に向けて精神集中したいのだろうと。

 

 これまでは同じレースに仲間と出る事が多かったからこそ負ける事があっても受け入れる事がある意味出来ていた。

 それが今回はなく、しかもその仲間達が見に来ている。そこで無様なレースは王者を名乗る者として出来ない。それがキングヘイローの気持ちであった。

 

「貴方達は観客席からこのキングの勝利を見届ければいいの、でしたもんね」

「キングらしさ全開だよね。ボクには言えないよあんなの」

 

 楽しげに談笑する三人を見てトレーナーは小さく微笑むも、すぐにそれを消して再びモニターへと意識を向けた。

 

「……出てきたな」

 

 そこにはゲート入りするために出場選手達がターフの上に現れたところが映し出されていた。当然その中にはキングヘイローとサイレンススズカの姿もある。

 

 そしてそれだけではないあるウマ娘の姿もあった事でトレーナーは思わず目を見開いた。

 

「エルコンドルパサー……だと」

「「「えっ?」」」

 

 聞こえた名前にセイウンスカイ達もモニターへ意識を向け、すぐに驚きを浮かべた。

 

「ホントだ。エルちゃんだ」

「同じチームで同じレースってのは珍しいとは言わないけど……」

「うわぁ、見て見て完全にスズカへ意識向けてる。闘志全開って感じだよ」

 

 チラッと映ったエルコンドルパサーはサイレンススズカへ顔を向けて目付きを鋭くしていたのだ。

 

 まさに“今日こそ絶対に勝つ”と言わんばかりの表情で。

 

「その通りだ。おかげでこちらとしても若干困っている」

 

 そこへ聞こえた声に四人が振り返ると、そこには呆れた表情の女性トレーナーが立っていた。

 

「先輩……」

「困ってるってどういう意味?」

「エルは今まで本番や練習問わず逃げになったスズカに勝てた事がない。他では連戦連勝なんだが、今回の天皇賞(秋)は最初からスズカが出るとなっていた事もあってか、どうしても出させてくれときかなくてな」

 

 そこでトレーナーは内心である事へ納得していた。

 

(以前後輩へ言ってた天才肌云々はエルコンドルパサー絡みか……)

 

 実際は少々異なるのだが、一度言い出したら聞かないという意味では近いと言える。

 

「それで出してあげたんだ。優しいんですね」

「こちらが提示した条件をクリアしたから仕方なくだ。あいつめ、スズカ以外には負ける気がしないとまで言い切った。こちらも結果を見せられてはその言葉を事実と受け取らざるを得ない」

 

 観念するかのようにため息を吐き、女性トレーナーはゆっくりとトレーナーの隣へと移動しモニターを見つめた。

 その眼差しはそこに映し出されているサイレンススズカを捉えている。勝利を確信しながらも、どこかに不安の影を宿すかのような眼差しで。

 

「それにしても、随分と仰々しい物を持ってきたな」

「……一種の気休めです」

 

 それだけで女性トレーナーは彼の言いたい事を察したのか何も言わなくなった。

 どこかで呆れるような、けれど微笑ましいような笑みを浮かべて。

 

『曇天の切れ間から微かに光が差し込む中、いよいよ秋の天皇賞が始まろうとしています』

「そろそろですね!」

 

 聞こえてきたアナウンスにスペシャルウィークがテンションを上げる。ほぼ時を同じくしてレース場のあちこちからも似たような雰囲気が流れ出し、一気にその場の空気が変わっていく。

 

 それを肌で感じて三人のウマ娘は耳と尻尾を大きく動かした。

 

「すごぉ……」

「うん、ゾクゾクっときた……」

「コースにいると感じないですけど、こんな風なんですね……」

 

 大舞台で観客席にいるという経験自体が少ないためか、三人は一様に困惑していた。

 続々とゲート入りしていくウマ娘達。それに合わせるかのように場内のボルテージは上がり続けていき、その熱気は目に見えない圧力となってウマ娘である三人を襲う。

 

 けれど、二人のトレーナーはそれさえも受け流すようにモニターへ意識を向け続けていた。

 

 ただそこに映る、一人のウマ娘の姿を何とも言えない表情で見つめていたのだ。

 

「……無事にゴールしてくれよ」

 

 祈るようなその呟きは、果たしてどちらのトレーナーのものだったのか。

 残念ながらそれは周囲のざわつきにかき消され、誰の耳にも届かない。

 

『果たして秋の盾は誰の手に。天皇賞(秋)……スタートしました。各ウマ娘綺麗なスタートです。ここで先頭に立つのはやはりこのウマ娘、サイレンススズカです』

『菊花賞での激戦が記憶に新しいですが、やはり本来の彼女はこの距離で輝く走りですからね。何事もなければこのままトップでゴールするでしょう』

『同じく菊花賞で激戦を繰り広げたキングヘイローは現在六番手と言った辺りでしょうか。一番人気こそ譲りましたが彼女は二番人気です』

『あの菊花賞での走りは凄まじいの一言でした。中距離ではどんな走りを見せてくれるのかが楽しみです』

 

 そうやって実況と解説が話している間にもサイレンススズカはどんどん後続を引き離していく。

 それはまるで一人だけ別のレースをしているかのようだった。あるいは彼女だけ別世界にいるかのようであった。

 

 一度として後ろを振り返る事もなければ必要さえないとばかりに緑の勝負服は加速を続けていたのだから。

 

「速い……」

「皐月賞の比じゃないよ……。あんなに速くなってるなんて……」

「やっぱり菊花賞は距離が長すぎたんだ。今のスズカさん相手じゃ私も皐月賞と同じ事出来るか分からないって」

 

 無意識に近いスペシャルウィークの呟きにトウカイテイオーが応じるように呟く。

 ただ一人セイウンスカイは普段のノリが消え、真剣な眼差しと声でモニターに映し出されているサイレンススズカを見つめていた。

 

 そんな三人とは違い、トレーナー二人はずっと複雑な表情を浮かべ続けていた。

 

「スズカ、その調子だ。普段通りの走りをすればいい……」

 

 普段の勝気な雰囲気は鳴りを潜め、ただ何を祈るように女性トレーナーはモニターを見つめる。

 

 だがトレーナーは一人双眼鏡でサイレンススズカの姿を追い駆けていた。

 

“スズカの調子は絶好調だ”

 

 彼に聞こえる天の声は何らおかしい部分もない。だがそれこそが余計にトレーナーの内心を焦られる要因となっていた。

 

(テイオーの時はレースに関しての声があった。なのに何故今回はそれがないんだ? まるでレースを走り切れないみたいじゃないか)

 

 菊花賞で彼が聞いた天の声はトウカイテイオーのレース内容に踏み込んだ言葉を告げていた。

 それが今回は何故かサイレンススズカの調子にのみ言及するだけなのだ。どうしてもあの前日の不穏な天の声もあってトレーナーの中での不安は増すばかりである。

 

『間もなく三コーナー! 速い速いっ! 既に二番手と8バ身は差が開いているっ! これだけ引いても後ろが見えないっ! ようやく見えてきた二番手のエルコンドルパサーですがそこから更に後続とは6バ身から7バ身差はある! 果たして1000mの通過タイムはどれ程か!』

 

 まだレースの中盤だと言うのに実況の熱量が高くなっていた。

 それ程にサイレンススズカのペースが凄いためである。

 

『1000mの通過タイムは……57秒4っ!?』

 

 現状で誰もが驚きを浮かべていた。サイレンススズカは逃げウマ娘であり、それが中距離では無類の強さを持っている事は知っていても、まさかここまでとは思っていなかったのだ。

 

 近年まれに見るハイペースである事に間違いはなかった。このままいけばレコード間違いないとさえ思う程にサイレンススズカは圧倒的な走りを見せていた。

 

(体が軽い……。今の私なら誰にも負けないって断言出来るぐらい、気力も体力も充実してる。私は、まだ速くなれるっ!)

 

 笑みさえ浮かべてサイレンススズカはその速度をまだ上昇させる。一陣の風が更に速くなり、疾風となってコースを駆け抜けていく。

 

(速過ぎデスっ!)

 

 一人何とか視界にサイレンススズカの姿を捉えているエルコンドルパサー。それでもその心は穏やかではなかった。

 同じチーム故に何度も模擬レースでやり合い、その度に敗戦を味わってきた相手であるサイレンススズカ。それに勝ちたいと思い、厳しいトレーニングに励み、折れそうになる心を必死に仮面で支え、今日と言う日を迎えた彼女。

 もう今までの自分ではないと強い気持ちで挑んだレースは、現実という厳しさを嫌と言う程彼女に突きつけていた。

 

(アタシが成長したように、スズカさんも成長していたって訳デスか……っ!)

 

 悔しげに表情を歪めながらも、決して諦める事無く走るエルコンドルパサー。

 ゴールするまでレースは分からないと、そう思っているのだ。

 

 そしてもう一人、後方から同じように不屈の意思で走るウマ娘がいた。

 

(セイを責めるつもりはありませんけど、あの模擬レースは意味ないじゃないっ! 今のスズカさんは異常ですわ! 皐月賞や菊花賞の走りが参考にならないってどういう事よ!)

 

 予想だにしないハイペースにキングヘイローは完全に自分の中のシミュレーションが崩れた事を悟っていた。

 大逃げと呼んでも差し支えない程の走りで先頭をひた走るサイレンススズカにどうやれば追い付けるかを必死に考えながら、キングヘイローは前を見つめ続けて手足を動かす。

 

 そうしている間にもサイレンススズカは次の加速をしようとしていた。

 そのために力強く右足を踏みしめようとしたその瞬間……

 

「っ?!」

“スズカの調子が下がったな”

「っ?!」

 

 恐れていた声がトレーナーの頭に響いたのと同時期にサイレンススズカの表情が変わっていた。

 しかも更に詳しく声を聴こうとするトレーナーを大欅が阻む。その瞬間、トレーナーは迷う事無く傍にいたセイウンスカイへ声をかけた。

 

「セイっ! コースの大外から逆走してサイレンススズカを助けてやれっ!」

「「「え?」」」

「故障だっ! お前の方がスペより速いっ! 頼むっ!」

 

 その必死の形相と声を裏付けるように大欅を抜けたサイレンススズカの姿は明らかにおかしかった。

 思わず女性トレーナーが過去を思い出すかのように息を呑み、両手で口元を覆った。

 

「行けっ! 俺もすぐに追うっ!」

「分かったっ!」

 

 迷っていられない。そんな気持ちを感じ取り、セイウンスカイは勢いよく柵を超えるとコースを逆走するように走り出す。

 

「スペっ! 俺を背負って走ってくれっ! 適切な指示と処置が出来るかもしれんっ!」

「わ、分かりましたっ!」

「先輩は救護班をっ!」

 

 セイウンスカイよりもパワーがあるスペシャルウィークならば自分を背負っても速度がそこまで殺されない。

 そう考えての指示だったが、スペシャルウィークはそんな事を考える余裕もなくただ彼の言う通りに動くしか出来なかった。

 

 慌ただしく動き出す仲間達を見つめ、トウカイテイオーは悔しげに拳を握りながら隣で青い顔をしている女性トレーナーへ顔を向ける。

 

「トレーナーさん、救護班を早く呼ばないとっ! このままじゃスズカが二度と走れなくなっちゃうよぉっ!」

「っ?!」

 

 過去の傷口が大きく痛み出す一言だった。だからこそ、その痛みで女性トレーナーは我に返り、既に遠く離れたかつての教え子の背中を見つめるや表情を凛々しくする。

 

「ここを動くんじゃないぞ!」

「分かってる! スズカをお願いっ!」

 

 トウカイテイオーにとって今のサイレンススズカは有り得たかもしれない自分であった。

 その想いが込められた叫びに女性トレーナーは頷きその場から駆け出す。一人その場に残されたトウカイテイオーは、唯一自分に出来る事をと思ってモニターへ意識を向けた。

 そこではフォームを大きく崩したサイレンススズカの姿が映し出されており、大欅を通過する前の綺麗な姿勢は消え失せていた。

 

「スズカ……っ」

 

 もしもトレーナーが自分へ意識を向けてくれなければ菊花賞、あるいはトレーニングで似た状態になっていたかもしれない。そう思いながらトウカイテイオーは心の中で必死にサイレンススズカの無事を祈った。

 

(お願いだよ神様! スズカから走る事を奪わないであげてっ! ボクが何とか三冠になれたみたいに、スズカにもキセキを起こしてあげてよぉ!)

 

 その頃、失速したサイレンススズカをエルコンドルパサーが抜き去っていた。

 

(スズカさんっ!?)

 

 明らかにおかしい走り方と様子にエルコンドルパサーの意識が乱れる。それでも彼女は止まる事もせずそのまま走り続けた。

 それから少し遅れて他のウマ娘達もサイレンススズカを避けて通って行く。誰もがその様子に意識を乱されながらも突然止まる事の危険性を察して通過したのだ。

 

 だが一人だけサイレンススズカの様子に前もって気付いたのか減速しつつ彼女へ接近する者がいた。

 

「スズカさんっ! 大丈夫ですのっ!?」

 

 中団に位置していたキングヘイローは急に視界に入るようになったサイレンススズカに違和感を覚え、敢えて速度を落として最後方へと後退、現状となっていた。

 乱れた姿勢で走るサイレンススズカは、どう見てもただ事ではないとキングヘイローへ告げている。しかしだからといって下手に手を出すような浅慮を彼女はしなかった。

 

「……それでこそわたしのトレーナーですわっ!」

 

 何故なら見えたのだ。こちらへ向かって走ってくるセイウンスカイと、それからやや遅れて向かってくるスペシャルウィークに背負われたトレーナーの姿が。

 

「スズカさん! 出来るだけ減速をっ! もう少しで助けますわっ!」

 

 返事はない。それでもキングヘイローはもしものために並走を続ける。

 やがてセイウンスカイの顔が見えるようになってきた。そこで彼女達の耳へ聞こえるような大声が響く。

 

「絶対に左足を下につけさせるなっ! キングっ! 後はこっちに任せろっ!」

「頼みましたわよっ!」

 

 既にゴール前の直線をエルコンドルパサーが一着で駆け抜けている。それでもキングヘイローは最後まで走り切るために再度加速していった。

 

「セイっ! 出来るだけ優しく受け止めてやれっ!」

「分かって……るっ!」

 

 サイレンススズカとの距離や速度を考え、セイウンスカイは絶妙な位置で停止するとよたよたと近付くサイレンススズカの体を受け止め、すかさずその左足が地面に着かない様に片腕で保持する。

 そこへトレーナーを下ろしたスペシャルウィークが駆け寄り、二人がかりでサイレンススズカの体を優しく横にさせた。

 

「スズカさん……っ!」

「スペちゃん、大丈夫だよ。テイオーだって助かったんだ。今は私達のトレーナーの判断を信じよ?」

「……はい」

 

 痛みで意識を失い眠るサイレンススズカ。それでも何とかギリギリまで意識を保っていた事をセイウンスカイだけが知っていた。

 

――ごめんなさい……。

 

 体を受け止めた瞬間聞こえた囁き。それが一体何に対してなのかはセイウンスカイには分からない。

 自分へなのか、心配し並走してくれたキングヘイローへなのか、あるいは担当トレーナーへなのか。

 どちらにせよセイウンスカイは思った事がある。それは今も慎重にサイレンススズカの事を注視するトレーナーに関して。

 

(トレーナーは今日のレースで双眼鏡を持ってきてた。多分それでずっとスズカさんを見てたと思う。だから誰よりも早く故障に気付いた。でも、どうして今日だけ双眼鏡なんて持ってきたの? 今まではそんな物持ってきてなかったのに……)

 

 まるで事前にサイレンススズカが故障する事を知っていたかのような行動だと、そうセイウンスカイは思ったのだ。

 勿論それが悪い事とは言わない。だが、トレーナーの性格上そんな可能性を知っていたら事前に動いているとセイウンスカイは考えた。

 

 トウカイテイオーの事がそれだ。彼は皐月賞の後でトウカイテイオーの故障の可能性を当時の担当トレーナーへ教えていた事を彼女の口から知っていたのだ。

 

「トレーナーさん、スズカさんはどうですか?」

「……まだ断言は出来んが、何とか最悪は回避出来たはずだ。復帰には時間がかかるだろうが、また走れるようになるだろう」

「良かったぁ……」

 

 安堵するスペシャルウィークとは違い、セイウンスカイはその返事にも疑問を持つ。

 

(安易に希望を持たせるような事を言う人じゃない。じゃ、きっとトレーナーには確信めいたものがあるんだ。でもどうやって? 見ただけで分かる程簡単な状態じゃないと思うんだけど……)

 

 その時セイウンスカイの中である事が思い出された。

 

(そういえば……夏合宿の時もテイオーのトレーニング前にトレーナーがさっきみたいに集中して見つめてた事があった。もしかして、トレーナーって見ただけでウマ娘の状態が分かる、とか?)

 

 限りなく正解に近いところまで推測を飛躍させるセイウンスカイだったが、それも聞こえてきたサイレンの音で中断する事となる。

 救護班が駆けつけたのだと、そう理解してセイウンスカイは泣いているスペシャルウィークの肩へそっと手を置いた。

 

「もう大丈夫だよスペちゃん。あとは本職の人達に任せよう。ね?」

「ぐすっ……はい」

 

 この後サイレンススズカを乗せた救急車は近くの病院へ向かう事となり、担当トレーナーがそれに同乗し医師からの説明を聞く事となる。

 天皇賞(秋)はエルコンドルパサーが勝利し秋の盾をその手にしたが、その表情は最後まで硬いままだった。

 

 観客もあまりの事に拍手を送っていいものか迷ったが、そこでキングヘイローが叫んだのだ。

 

――エルっ! 胸を張りなさいっ! 貴方は勝ったのよ! スズカさんの事を気にするのなら、むしろ今の態度こそ彼女が気に病むわ! 彼女が戻ってきた時にもう一度ここで走ればいいのよっ! この舞台で! 今度こそ本当の決着をっ! 今回はスズカさんと決着が着かなかったと思ってもいい! それでもわたし達には勝ったのだから胸を張っていいのっ! いえ張らないなんてわたし達への侮辱だわっ!

 

 その言葉にエルコンドルパサーもやっと表情から硬さをある程度消し、凛々しさが見える顔で秋の盾を高々と掲げた。

 

「これはアタシがスズカさんから実力で勝ち取ったのではありませんっ! だからこれは、スズカさんがアタシともう一度勝負するという証だと思う事にしますっ! だから来年っ! 来年こそアタシが正々堂々とスズカさんとぶつかって、この盾を本当の意味で手に入れてみせるデスっ!」

 

 まるで宣戦布告のようなその言葉にキングヘイローが真っ先に拍手を送った。

 それに呼応して周囲も拍手を送り、それはやがて大きなうねりと変わる。

 そしてそれを合図にするかのように雨が降り出し、エルコンドルパサーは空を見上げたままその雫を顔で受け止め続けた。

 

(スズカさん、信じてます。だから、お願いデスから戻ってきてください。アタシは、アタシはこんな形での勝利は認めないデスよ?)

 

 仮面の下の瞳は雨で濡れているのか涙で濡れているのか分からない。ただ、彼女の両目からは綺麗な流れが生じていた。

 いや、エルコンドルパサーだけではない。その場にいた誰もが同じような状態になっていた。

 異次元の逃亡者と呼ばれ、圧倒的な走りを見せたサイレンススズカ。その無事を願いながら天皇賞(秋)は終わりを迎える事となる……。

 

 

 

「……そうか。お前には故障の予兆が見えていたのか」

「いえ、テイオーの事があったので、それ以上の負荷がかかるだろうサイレンススズカも似たような事になるかもと思ってただけです」

 

 私の言葉にあいつはそう言って項垂れる。スズカは幸い命に別状はなく、二度と走れないという事もなかった。

 ただし、復帰にはかなり厳しいリハビリが必要だ。それと、故障理由から考えて今後はトレーニングも慎重にせざるを得ない。

 スズカの故障理由はあいつの予想した通り急激な加速に対する足への負荷だ。皮肉にもフォームが本来のものへ戻った事で故障の可能性が上がってしまったらしい。

 

「それでも助かった。私はあの時、何も出来なかった……」

 

 大欅を抜けた後のスズカを見た瞬間、私はあの子の事を思い出して頭の中が真っ白になっていた。

 あの時は私が故障だと判断し動いたが、それでもある程度はあの子の異常を信じられず見つめてしまった。

 けれど、今回のあいつはあの時の事を教訓に素早く迅速な対処を行った。足の速いセイウンスカイを先行させ、自分はスピードとパワーのあるスペシャルウィークに背負ってもらいスズカの下へと向かった。

 そのおかげでスズカは最悪の結果だけは回避出来た。医者から一つ間違えば走れなくなっていたと言われた時は生きた心地がしなかったぐらいだ。

 

 ……あの子の事を乗り越えたと、そう思っていたけど違ったわね。私はそう思い込んでいただけ。

 本当の意味で乗り越えたのはあいつだ。今も悔やむように俯いて、もっと出来る事があったんじゃないかと自分を責めてるだろう、かつての教え子だ。

 

「俺が、俺が事前に先輩へ言っておくべきだったんです。それを、俺は先輩との擦れ違いを恐れるあまり……」

「いいんだ。きっとお前の想像は正しい。医者も言っていたよ。これは日々の蓄積でなったものではないと。ある程度はそれもあるかもしれないが、一番はスズカの加速度による負荷だろうとな」

「先輩……」

「トウカイテイオーの事はある程度聞いていた。お前が事前に手を回したがそれでも防げなかった事も。スズカも彼女と同じで自覚がなかった。なら私もスズカもお前の意見を信じる事は出来なかっただろう。こうして、結果として現れるまでは、な」

 

 だがそれでは遅いと、そう自分へ言い聞かせる。目に見えない事を信じるのは難しいが、だからと言ってまったく相手にしないというのも駄目だとも。

 しかしだからこそ思うのだ。それはこうなったからだと。私はスズカがこうならなかったら、きっとあいつの言葉を素直に受け止められなかっただろうから。

 

「先輩、テイオーが診てもらってる先生はウマ娘を専門にしてる方なんです」

 

 と、私が自分を責め始めようとしたところであいつがそんな事を切り出した。

 

「ウマ娘を?」

「ええ。しかも腕は確かです。テイオーを一目見ただけでどういう理由で故障したのかを言い当ててくれました」

「……スズカもその医師に診てもらう方がいい?」

「その方がいいと思います。実際俺がテイオーを何とか菊花賞へ出せたのは先生の力も大きいんです」

 

 そう言って私を見つめるあいつの目は力強い輝きを宿していた。そうしてくれと、そう言っているようにも思え、私は頷く事にした。

 

 今は少しでもスズカのためになる事をしてあげたいと、そう思ったのだ。

 やはり連戦がいけなかったと、そう自分を責めたい気持ちに襲われるが、それをするのはスズカの事が色々と片付いてからだ。

 

「先輩、学園への連絡とかは俺がやっておきます。先輩は少し休んでください。サイレンススズカが目を覚ました時、先輩が焦燥してたらあっちまで気落ちしますから」

「……分かった。お言葉に甘えさせてもらう」

「いいんですって。俺も先輩にあったかい言葉をもらいましたし、お相子ですよ」

 

 ぎこちなく笑ってあいつはその場から去っていく。その背を見つめ、私は咄嗟にこう言った。

 

「ありがとう」

 

 その言葉にあいつは気にするなと言うように無言で手を振った。

 生意気なと、そう思うものの、あの子の事から数年経過している事を思い出して納得する。

 初めてあいつと出会った頃、私はまだ駆け出しを抜け出したばかりの状態で、二十代後半になるかならないかと言う辺りだった。

 対するあいつは熱意はあるがそれが空回るタイプの典型的な駄目新人だった。それでも指導を熱心に聞き入り、ウマ娘への対応も悪くはなかった。

 

 一番助かったのはあいつが私の指導の意図を理解しようとしていた事か。

 何故と、そう思う事はいい事だ。無暗に言われた事を信じるのではなく、その意図や意味を考えて自分の中に落とし込む事が最初から出来る奴は早々いない。

 

「……そんなあいつだから、あの子を預けられたんだろうな」

 

 私はどうしてもウマ娘達と一定の距離を取る。必要以上に寄り添っては非情な決断が下しにくいと考えてだ。

 

 でも、思い返してみるとスズカには幾分甘かったように思える。やっぱりあの子の事をどこかで重ねていたからでしょうね。

 菊花賞も、本来なら却下していた。それを叶えてやったのは、やっぱりスズカが初めて自分から出たいと言ったレースだったからだ。

 

「報い、かもしれない。あの子と向き合わず、寄り添わなかった私への」

 

 あいつのチームを見ているとそう思う。あいつは、いえ彼は担当へ寄り添い、向き合って今のチームを作り上げている。

 四人のウマ娘は全員クラシック戦線に名を轟かせる逸材ばかりで、トウカイテイオーなどは途中から引き継いだにも関わらず、怪我を抱えた状態で無敗の三冠ウマ娘にしてみせた。

 その代償に故障してしまったが、それでも走れない訳ではなく今も復帰へ向けて前向きに進んでいるようだ。

 

 本当に、私とは違う歩き方。ふふっ、指導した時はこうなると思ってなかったわね。

 

「……スズカが起きたら、まず謝ろう。私の感傷のせいでこんな事になったのだから」

 

 そして、またやり直そう。無理に逃げから転向させようとした時と同じで、あの子が私をまだ慕ってくれるのなら……。




テイオーと同じく故障する事が運命づけられているスズカですので、ここはこうなりました。
ただ、今作独自の理由として無理な先行ウマ娘への転向によりフォームが狂っていた事と、それが元に戻った事で成長したスピードと見えない疲労の蓄積で足が限界を迎えたとしました。

アニメではスペちゃんが助けに行きましたがこちらではセイがその役目を担いました。
理由はトレーナーを背負って速く走れるのはスペちゃんだからです。
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