天の声が聞こえるようになっていた、はずなのに…… 作:MRZ
「「「わぁ……」」」
キラキラした目をするスペちゃんとキング。まぁ私もそうなってるだろうけど。
今、私達の目の前にあるテーブルには三着の綺麗で可愛い衣装が置かれていた。そう、勝負服だ。私のは白が眩しいね。スペちゃんやキングのに比べると派手さには欠けるけど、その分シンプルですっきりしてるから私好みだよ。
「ついさっき届いたんだ。不備がないかの確認も兼ねて試着してみてくれ。俺は外に出てるから」
「「「はいっ!」」」
やっと届いた私達の勝負服。まだこれを着てレースをする事は出来ないけど、やっぱりテンション上がるよねぇ。
早速とばかりにスペちゃんが服を取り出してるし、キングさえも嬉しそうに自分の勝負服を眺めてる。
「っと、一応ね」
トレーナーが覗く事はないと思うけど、念のために鍵を閉めておく。さて、じゃあ私も着てみようかな。
白い雲をイメージするような純白の勝負服。これを着てGⅠへ出る時が待ち遠しいな。ううん、目標はそこじゃない。暮れの中山で、私達三人はそれぞれの勝負服を着て、一着を争う。それが今の私達の最終目標。
「……あの日からトレーナーの指導も変わったし」
それまで私には自信なさげな指導だったトレーナーだけど、あの日を切っ掛けに私を日本一の逃げウマ娘にしようと色々考えてくれるようになったのが分かった。
それまでと違って指示にも自信や熱みたいなのがあって、私もそれに感化されるようにトレーニングへ励んでる。そのおかげかもしれないけど、週一回の模擬レースで逃げ切れる事も増えてきた。
……まぁ、それでもスペちゃんやキングの末脚に負ける事が多いけどさ。
「お~……」
初めて袖を通した勝負服は、何て言うかこう、テンションが上がった。う~、これで今すぐレースをしたい気分だよ。そう思ったまま口にしたらキングもスペちゃんも同じ事を思ってたらしく力強い頷きを見せたので……
「いっそさ、トレーナーに頼んで一度だけ模擬レースをこれで走らせてもらおうよ」
「「異議なしっ!」」
なんて、三人して意見が一致。すぐさま鍵を開けて、他のウマ娘の練習風景を見てたトレーナーを呼び戻した。
「……模擬レースを勝負服で?」
「そっ。ダメ、かな?」
私達のお願いをトレーナーは渋った。勝負服はその名の通り真剣勝負の場でしか着れない特別な物で、ライブのための舞台衣装でもあるから模擬レースなんかじゃ使わせたくないらしい。
その気持ちは分かるけど、でも私達はもうこれで走りたい気持ちでいっぱいだった。ダメと言われても走りたいぐらいに気持ちが高まってた。
だからその想いを三人でぶつけた結果、トレーナーは大きくため息を吐いて絶対に汚さないならって条件で許してくれた。こうして急遽私達の勝負服での模擬レースが始まる事になった。
「いやぁ、言ってみるもんだね」
「よく言うわよ。最後なんて半ば脅しだったじゃない」
「あはは……ダメって言ってもやるから、ですもんね」
「だってぇ、もうそういう気分だったもん。キングやスペちゃんだってそうでしょ?」
「「そ、それは……」」
揃って顔を背ける二人に思わず笑みが浮かぶ。最近私達はトレーニングが一緒な事が多い。今は揃ってスタミナ強化週間とでも言えばいいのか、プールトレーニングが主体になってるし。
まぁ夏が近いせいで陽射しが強くなってきて外は暑いから助かるんだけどさ。
「よーし、それじゃ始めるぞ。三人とも位置につけ~」
いつもと違ってどこか気の抜けたトレーナーだけど仕方ないかな。何せ本来はやるはずなかった事だし、汚すなってのも届いたばかりの勝負服を心配しての事だろうしね。
「今回は絶対負けないよ~」
「それはこっちの台詞よ」
「わ、私だって負けません」
三人揃って構える。目の前の景色はいつもの見慣れたものだけど、チラリと横を見ればそこにいるのは見慣れない格好をした仲間二人の姿がある。そして、私自身も見慣れない格好だ。
けど、いつかこれが見慣れたものになる時が来る。出来れば、その時にあのレースを迎えたいかな。
「よーい……スタート!」
「「「っ!」」」
出遅れる事もなく好スタート! このまま私のペースでレースをさせてもらうよっ!
逃げの何がいいってさ、誰も前にいない事だよね。誰もいないからこそ、私にとっては普段となんにも変わらない。トレーニングで走るのと変化はない。だからこそあの時のトレーナーの言葉が胸に響いた。
――前だけを見つめて風を追い越せっ!
レースになったら後ろの様子を意識しないといけないって、どこかでそう思ってた。それをあの言葉で一気に払拭された気がする。
レース中の私はただ前だけを見つめて、風を追い越せばいいんだって。それは逃げじゃない。追い越すんだから追い込みだ。
私がしてるのは、みんなから逃げるんじゃなくて風を追い抜こうとしてるんだってっ!
汚すなって言われたけどそれが守れそうにない気がしてきた。汚したくないって気持ちよりも負けたくないって気持ちの方が強くなってきたからだ。
そしてそれは、私だけじゃなくてスペちゃんやキングも一緒だと思う。
だって、後ろの方から聞こえるんだ。ターフを削り取るような、そんな力強い足音が!
「っ!」
少し前だったら失速してた辺りになっても速度は変わらず走れてる。しかも、汚さないようにって思って普段よりも若干抑えて走ってたからまだ余力もあった。スタミナトレーニングの成果もあるのかな?
ホント、今までよりも体が重くない。踏み出す足が軽いし、ここまできても目の前の景色の飛ぶ速度が落ちないのは凄いかも。
「これなら……いけるっ!」
最後のコーナーを一番で通過して直線へ出ると、ゴールとして立ってるトレーナーが見えた。
「そのままトップで駆け抜けろっ!」
私の顔を見るなりトレーナーはそう叫んだ。自然と足が、腕が動いた。残った力を全て出し切るように体中が微かだけど加速していく。まったく、渋々だった癖にこれだもん。そんなのさ……
「応えないわけ、ないよっ!」
全てを振り絞るように走る私だけど、それと同時に後ろから凄い圧力のようなものが流れてきた。それが何かを考える必要はない。だって考えるまでもないから。
「行かせませんっ!」
「最後までわたしの前を走るなんてさせないわよっ!」
ここにきて爆裂するのが差しウマ娘の末脚の恐ろしさだよね。特にスペちゃんとキングのそれは何度も見てきてるから恐ろしさをよく知ってる。
それでもこの服を着てる以上負ける気はないよっ!
「「「あああああっ!!」」」
あっという間に並ばれる。でもここから抜かせない。抜かせたくない。でもそれはきっと二人もだ。この服を初めて着たレースで負けるなんて嫌だもんね。
「よ~しっ! そのまま速度を落としたら戻ってこ~いっ!」
トレーナーの前を通り抜けた瞬間そんな指示が飛んだ。言われるまでもなく私達は速度を落としていく。いつもなら倒れ込んだりして止める事もあるんだけど、折角の勝負服を汚すわけにはいかないからね。
「あ~……差し切れなかったぁ」
「抜けたと思ったのに……」
耳を項垂れさせてしょぼんとするスペちゃんと、悔しげに前を見つめて走るキング。ホント、らしさ爆発だね。
「それならこっちだって勝ったと思ったっての」
以前まであった焦りは、もうかなり薄れてた。あの頃の私だったらきっとまた差されて負けてた。そうならなかったのはきっと……。
突発的なレースの後本来のトレーニングを終えたわたし達は、汗を流し、夕食を終え、いつものようにチーム用の小屋へ集まり勉強会を開いてた。
ただ、最近は勉強会と言うよりもただ集まって喋ってるだけに近い事が多い。まぁ、それが嫌って訳じゃないからいいんだけど。
「っと、これで終わりっと」
「お疲れスペちゃん」
「お疲れじゃないわよ。貴方は最初から自分だけで出来るんだから課題ぐらいやっておきなさい」
「え~? こうして三人で集まるからやろうって思えるんだって。一人じゃ味気ないよ、こういうの」
「まったく……。スペシャルウィーク、貴方からも何か言ってやりなさいよ」
「え、えっと……私もスカイさん寄りだったり……」
「だよね~」
「はぁ~……そうだったわ。貴方達はそういうところは似てたわね」
与えられた課題を終えたところで、もう勉強会はただの座談会に変わろうとしてる。これが最近の日常。
この小屋にもセイウンスカイが持ち込んだ漫画やトランプにスペシャルウィークが持ち込んでるスナック菓子などが置かれて、最初の頃とはかなり変化していた。
……ま、わたしもクッションを持ち込んでるけど、二人と違ってこれは必要なものだからいいのよ。
「そういえば、今日のレースは何だか久々に楽しかったですね」
不意にわたしの向かいに座っているスペシャルウィークがそう言って笑う。
「だね~。少し前までは楽しいってよりも色々と考えたりする事が多かったからなぁ」
セイウンスカイがそれに同意するように笑顔で応える。で、何故か二人してこちらを見つめてきた。
「「キング(さん)は?」」
「……言う必要はないでしょ」
何となく本音を言うのは恥ずかしかった。例えそれを二人が分かっていたとしても、だ。
実際そうなんだと思う。何しろ二人してわたしの反応に笑っているし。だけど絶対に口にはしない。今までで一番楽しいレースだった、なんて。
今はもう定例となった夜の勉強会。スペシャルウィークのためにと始まったこれも、セイウンスカイを入れてからは二人のための会となっていた。セイウンスカイもあまり学科は思わしくないからだった。
だけど、セイウンスカイは普段授業を真面目に聞いていないだけらしく、スペシャルウィークのように真面目に聞いていても分からないとは意味が違うのが性質が悪い。
どうしてそう思うかと言えば、わたしが少し教えるだけであっさりと理解するからだ。それなら自分でちゃんと授業を受ければいいのにと何度言った事か。
……ま、まぁ? その度にわたしから教えてもらう方が分かり易くていいって、そう言われるものだから仕方なく許してあげてるけど。
「そういえばさ、スズカさんってどうしてるの? やっぱり逃げで走らせてもらえてない感じ?」
「スズカさんですか? 今は逃げか先行か状況に応じて選んでるって言ってました」
「逃げか先行か選んでる?」
「どういう事?」
「え、えっと、私もちゃんと分かってる訳じゃないんですけど……」
スペシャルウィークが話す内容は簡単に言えばこんな感じだった。
スズカさんは逃げウマ娘として走りたい。でもそれをあのトレーナーの女性が難色を示してる。だから普段は先行として走るけど、スズカさんが勝ちたいと思った時は逃げで走る。そういう事で落ち着いてるみたい。
「要するに、スズカさんは指示に従ってるけど破ってる?」
「というよりは、どうしても勝ちたい時だけ逃げを容認するって事でしょ」
「そんな感じらしいです」
「だからってよくあのトレーナーが許したよねぇ」
「それなんですけど、スズカさんが笑って教えてくれました。何でもチームの人達も協力してくれたみたいで」
「「協力?」」
「はい。えっと、何でもあの後……」
そこでスペシャルウィークが話した内容は、わたしとセイウンスカイを大きく驚かせ、また同時に胸を熱くさせるものだった。
彼女らは最近の模擬レースで先行の走りから逃げへ変化しようとしたスズカさんを徹底的にマークして潰し、再度のレースをあのトレーナーの女性へ要求したのだ。
おそらくだが最初から逃げを打っても結果は同じとでも言ったに違いない。でも、その結果は言うまでもないわね。最初から逃げを打ったスズカさんは見事勝ってみせたんだ。マークも何も関係ないような、そんな速度で。
その結果を受けてチームメイト達は何も言わず、ただ黙ってトレーナーの女性を見たそうだ。きっと、これだけの結果を出せるのにそれでも逃げをさせないのか、と、そういう意味で。
チームメイトって、やっぱりどこでも不思議な絆が出来るのだと、そう思った。まさかスズカさんのためにそんな事をと、そう思ったのだから。
わたしも、同じような事が出来るかと自問した。スペシャルウィークやセイウンスカイのために、わたしはどこまで出来るのだろうかって。
「キング?」
「キングさん?」
「え?」
いつの間にか考え込んでいたらしい。気付けば二人が不思議そうな表情でこちらを見つめていた。
「どうかしたの? 真剣な表情しちゃってさ」
「何か気になる事でも?」
「べ、別に何でもないわ。そろそろ勉強に戻りましょ」
言える訳ないじゃない。貴方達の事を考えていた、なんて。
その後はいつものように授業の復習へ時間を費やして、消灯時間の一時間前に終了。小屋を出て鍵を閉めて歩き出す。
「そういえば、エルちゃんが卒業した後は凱旋門賞に出るんだって言ってましたけど……」
「あー、言ってたねぇ。いやはや夢は大きくって言うけど中々のもんだよ」
わたしを挟んで交わされる話の話題は同期のエルコンドルパサーだった。たしか彼女もスズカさんと同じチームだったと記憶してる。
後はグラスワンダーもじゃなかったかしら。あのチーム、わたしは最初から視界にも入れてなかった。最強集団と呼ばれてはいるが、それは元々見込みのあるウマ娘を見出して育てているからだ。つまり、あのトレーナーは所謂才能が埋もれているウマ娘を育てた事はない。
わたしはそこが気に入らなかった。だってそれは、成功するのがある程度約束されたウマ娘しか育てない事を意味するから。そんな状況で成功するのは当然よ。
だからわたしは、当時まったく無名だったウマ娘のサクラバクシンオー先輩を見出して、GⅠどころかURAまで無敗で走らせたあの人へ指導を頼んだ。
……まぁまさかあの人以外は引退させていたとは知らなかったけど。
「キングはさ、やっぱ最終的に海外目指す?」
その問いかけはわたしの意識を現実へ向けさせるのに十分なものだった。
「最終的? 何を言ってるのよ。海外遠征は途中の事。わたしの最後は海外でもキングの名を知らしめ、この国で引退レースを行い、大勢のファンの目の前で勝利する事ね」
「「お~っ……」」
「そしてキングヘイローの名は不朽の王者の名となるのよ」
それがわたしの夢。日本一? そんなものじゃスケールが小さいわ。わたしは文字通りのキングに、王者になるのよ。
……理想や夢は高く大きく。それも王者らしさだしいいわよ、ね?
「スペちゃんの夢はあれだっけ。日本一のウマ娘」
「はい」
「となるとダービーは取りたいねぇ。後、可能ならJCも」
「そうね。ダービーを取れば国内一のウマ娘。ジャパンカップまで取れば文句なしの日本最強ウマ娘って言われるわ」
「ダービーとジャパンカップ……」
「そ・れ・とぉ、出来ればその同じ年に暮れの中山で一着?」
「出来過ぎよ。まぁそこまでいけば間違いなく、日本一のウマ娘って称号は名乗る必要もなく周囲が勝手に呼ぶでしょうけど……」
ある意味クラシック三冠よりも難しい三勝だ。でも、何故だろう。それでもあるいは彼女なら、スペシャルウィークならやってのけそうな気がした。
わたしもまずは三冠ウマ娘を目指してみようかしら? そう思って少しだけ考えてみる。
……うん、そうね。トリプルクラウンなんて呼ばれるぐらいだし、キングには相応しい称号って言えるもの!
明日の準備をして再確認。うん、よし漏れはないっと。
「明日の確認?」
「はい」
「でも、それって消灯前もしてなかった?」
「実は、私ってちょくちょく忘れ物するんです。で、それをトレーナーさんに相談したらバクシンオー先輩もそうだったらしくて、こうやって寝る前に再確認するようにってトレーナーさんに言われました」
後ろから聞こえた声に振り向けばスズカさんが微笑んでた。その優しい眼差しが、何だか嬉しいけどくすぐったい。
本当に今のスズカさんは出会った頃よりも明るくて元気になった。前にも増して綺麗になったし、何より走ってる時が楽しそうだ。チームの人達の話もしてくれるようになったし、きっと全てが上手くいってるんだろうなぁ。
「そうね。スペちゃんはドジだもんね」
「そ、そうですけど、あまり言わないでくださいよぉ」
あの日、トレーナーさんの過去を知った日の夜から、スズカさんはよく私に話しかけてくれるようになった。理由を聞いたら、チームに馴染むよりも先にルームメイトと馴染めるようにって考えての事だったみたいで……
――スズカさんって人付き合い苦手なんですね。何だか意外です。
――そ、そう見えなかった?
――…………言われてみるとそうかもしれません。
――えっと、スペちゃん、そこは嘘でも否定してほしかったな……。
――あっ! す、すみませんっ!
そんなやり取りをしたのがまるで昨日の事みたいだ。それを切っ掛けに私とスズカさんはよく話す様になった。寝る前の少しの時間だけど、お互いの事やチームの事、レースの事なんかを話題にして。
「ふふっ、ごめんね」
そう言って微笑むスズカさんを見たら何も言えない。あ~あ、私もスズカさんみたいな美形ウマ娘に生まれたかったなぁ。
「そういえば、スズカさんって次の出走レースいつでしたっけ?」
「次? 九月だけど……」
「それ、応援に行ってもいいですか?」
「応援?」
「はい。それに、今のスズカさんの本当の走りを見てみたいんです」
時々見てるのはあくまでも練習だ。全力だったり本気だったりするだろうけど、どこかで本番とは違うはず。
だから、見てみたい。本番でのスズカさんの走りを。私が憧れたウマ娘の姿を、もう一度。
スズカさんは私の言葉にニッコリと笑うと構わないって言ってくれた。スズカさんのところのトレーナーさんと私のところのトレーナーさんは仲が良くない感じだったから心配だったけど、意外とすんなりと許可が出たのでホッとした。
翌朝スカイさんやキングさんへも話したら一緒に行きたいって言ってくれて、三人で、じゃあ後はトレーナーさんに許可をもらえばいいだけだね、簡単ね、なんてトレーナーさんに会うまでそんな風に思ってた。
なのに……
「ダメだ」
「どうしてですかっ!?」
いつもの時間に小屋の前へ行って、トレーナーさんに寝る前の事を話したらまさかの要望却下。
両隣のキングさんやスカイさんもどうしてって顔でトレーナーさんを見てる。
「サイレンススズカは先輩のチーム所属だ。俺は色々あって先輩の担当ウマ娘と関わるなって言われてるんだよ。多分だがあんな事があってからの久々の実戦だ。先輩だけじゃなくチームの仲間達も見に来るだろ。だから俺は行けないんだ」
「じゃ、じゃあ私達だけでも」
「それならいいが、お前らだけで行くと交通費出ないぞ。自腹で行く事になる」
「自腹っ!?」
グサっと私の体を見えない矢が刺した。主にお腹とお財布。
だって食べ盛りのウマ娘は色々と買わないといけない物が多いんだもん。特に
学園近くのたい焼き屋さんや駅前のケーキ屋さん。ドーナッツ、アイスクリームにお団子、おまんじゅう……。
それだけじゃない。甘い物以外にもいっぱい美味しい物があって、とてもじゃないけどお金がいくらあっても足りないぐらい。
ホント、誘惑がいっぱいなんだよねぇ……。あぁ、またお腹空いてきちゃったなぁ……。
「「スペちゃん(スペシャルウィーク)、よだれ出てるって」」
「はっ!」
「まったく、貴方ってウマ娘は……。自腹という言葉からどうしてよだれが出てくるのよ?」
呆れたようなキングさんの言葉に何も返す言葉がない。連想ゲームみたいに食べ物の事を考えてなんて恥ずかしいし。
でも、どうしよう? きっとスズカさんは私が観に来るって思ってる。なのに私が来なかったらきっと気落ちしちゃうよ……。
そう思うと肩が落ちるし耳も項垂れる。尻尾なんて今にも地面に着きそうな感じだ。でも学園からレース場までの交通費は結構かかっちゃうし……。
「ねぇトレーナー。要はさ、トレーナーがスズカさんやあの人の担当ウマ娘と関わらなきゃいいんでしょ?」
気付けばスカイさんがそうトレーナーさんへ切り出してた。多分項垂れた私を見て何とかしようとしてくれてるんだ。
「多分な」
「じゃあさ、私達はレースが観易い場所へ行って、トレーナーは私達から少し離れた場所で観ればいいんじゃない? それならどう?」
「……まぁ最悪先輩と出くわすかもしれんが、ウマ娘と関わらないなら文句は言われないはずだ」
「よし、決まり~。スペちゃん、これでみんなでスズカさんのレース観に行けるよ~」
「スカイさ~んっ!」
「おっとぉ?!」
「ちょっ!? 危ないじゃないっ!」
嬉しさのあまりスカイさんに抱き着いたらキングさんが慌てて私達を支えてくれた。スカイさんが後ろに倒れそうになったから、だ。勿論私のせいで。
おかげで倒れずに済んだけど、凄く恥ずかしくなってきちゃって私は黙るしかなかった。
「お前達、本当に仲が良いな」
そんな私達を見たトレーナーさんが笑いながらそう言うと、私達三人の目が合った。
「ま、まぁ同じチームだし?」
「同期でもある訳だし」
「同じ目標を目指してますしっ!」
「……そうか」
噛み締める様にそう言ってトレーナーさんは微笑むと少し間を置いて手を叩く。
「よし、じゃあトレーニング始めるぞ。っと、そうだ。お前達も知ってるだろうが、来月から夏合宿が始まる」
「「「夏合宿……」」」
そういえばそうだった。エルちゃんやグラスちゃんが言ってたっけ。二人の所属してるチーム、要するにスズカさんと同じチームはすっごく厳しい予定が組まれる事になってるって。
「そうだ。そこでの頑張りが今後を左右するって言っても過言じゃない。遊ぶための道具を用意するのは禁止しないが、あまり度を超すと俺じゃなく参加してる他のウマ娘から怒られる可能性があるから注意しろ」
「は、はいっ!」
スズカさん達はきっと真剣にトレーニングへ励むだろうから気を付けないと。
「他のウマ娘、かぁ。正直同期以外とはあまり接点ないんだよね~」
「そうね。そういう意味では楽しみが増えるわ」
「だね~。先輩のウマ娘達とも一緒にトレーニング出来るといいなぁ」
「トレーナー、そこの辺りはどうなの?」
「そうだな……。基本的にはトレーニングはチーム毎か個人でやるはずだが、合宿に関してはその辺りが若干緩いし、相手さえ良ければ問題ないぞ」
「じゃ、じゃあスズカさんと一緒にトレーニング出来るんですか!?」
もしそうだったら嬉しい。今だと遠目に見るのが精々だし。
なのに、期待を込めて見つめる私へトレーナーさんはどこか申し訳なさそうな顔をしてから目を逸らした。
「と、トレーナーさん?」
「……先輩のところは、無理だと思った方がいい。すまないな、俺が担当じゃなきゃ可能性はあったんだろうが」
「そ、そうですか……」
シュンと耳が垂れ下がるのが分かった。残念だな。スズカさんと一緒にトレーニングしてみたかった。
「てなると、エルやグラスとも無理かぁ」
「そうなるわね。でもいいわ。別に宿舎で会う事や話す事を禁じられてる訳じゃないし、その気になれば早朝トレーニングとかで偶然を装って合流すればいいのよ」
「へぇ、さすがキング。仲間のために頭使うね~」
「べ、別にそんなじゃないわ。その……そうっ! あの二人だってライバルだもの。その力を間近で見ておくのは大事じゃない」
「はいはい、そういう事にしておくよ~。って事でスペちゃん」
「え?」
反射的に顔を動かすと、そこには笑顔のスカイさんがいた。
「スペちゃんはスズカさんと相部屋でしょ? なら、そこで今の内から合宿で一緒にトレーニング出来るように相談しときなよ。昼間にがっつりは無理でも、キングが言ったみたいに早朝とか夜なら出来ない事もないだろうし」
「……そっかっ! ありがとうございます! スカイさんっ! キングさんっ!」
「別にお礼を言われるような事じゃないわ」
「そうそう。もしスズカさんがそれも無理なら三人でいつもみたいにやればいいしさ」
「はいっ!」
そうだった。スズカさんと一緒に出来ないとしても、スカイさんやキングさんがいる。
私には、頼れる同期で同じチームの仲間がいるんだ。そう思ったら何だかテンションが上がった気がした。
「……本当に分かり易い奴だな、お前は」
「へ?」
けど、そんな私を見てトレーナーさんが微笑みながらそう言った。一体どういう事だろう? とにかく今はダメで元々な気持ちでスズカさんへ相談して、上手くいったらエルちゃんやグラスちゃんも誘って、キングさんやスカイさんと一緒にトレーニングだっ!
「気持ちいいな……」
先頭で風を切って進む。この感覚はいつだって心地良い。前に誰かがいる状態から一気に視界が開けていくのも嫌いじゃないけど、出来れば最初からこの状態なのが一番好き。
「こそは逃がさないデースっ!」
後ろから聞こえてきた声は……エルちゃんか。チームの中で私を倒すべき目標として考えてるスペちゃんの同期で、普段は可愛い後輩だ。
でも、だからって簡単に捕まえられるつもりはない。だって、今のこの走りが私が一番自信を持って速いって言える走りなんだからっ!
「なっ!? ここからか」
エルちゃんの声が遠くなって、すぐに聞こえなくなった。
眼前に広がるのは私だけの景色。私が見ていたかった景色。やっと、やっと取り戻した景色だ。
これからもずっと、この景色を見ていたい。自分が自信を持っていられるこの走り方で!
結局今回の模擬レースも一着でゴール出来た。あの日、スペちゃんから聞いた話をトレーナーへぶつけた日の夜から、私の日々は色をゆっくりと取り戻していった。
――どうしても逃げで戦いたいのか?
――はい。それが私が一番自信を持って速いと言える走りですから。
――お前のレース生命を縮めるとしても?
――はい。
――……お前の意思が固い事は分かった。だがあんな走りを続けていれば故障を発生させる危険性が高い。それもレース中にだ。そうなればレース生命は絶たれる事になる。私はそういう逃げウマ娘を実際見てきた。それでもいいのか?
――……それでも、私は誰かの後ろに居続けたくないんです。
――…………そうか。それでも逃げを打つのは許可出来ない。ただ……。
――ただ?
――……先行とは字の通り先に行く事だ。それが周囲との実力差や状況によって、結果として逃げの体勢になってしまう事がある。そうなった時は、仕方ない。
そんなやり取りをしてから何度目かの模擬レース。私はそれまでと同じように先行から逃げに変わるように走ろうとした。でも、すぐ周囲を囲まれて動けなくなってしまって、それがストレスになったせいか周囲がペースを上げて加速を始めても、その時の私にはもう抜け出して加速するだけのスタミナがなくなっていた。
だけど、そんな私を見てチームのみんながトレーナーへこう言ったのだ。
向かない走り方してたらこうなる。こっちだって強くなるためには強い奴と競い合いたいって。
つまりそれは、私に逃げてみろと言う事だった。トレーナーは若干渋っていたけど、最後には一度逃げで走ってみろと言ってくれた。
不思議な事に、そう言われた瞬間私の疲れも何もかもが消え失せていたのを覚えてる。逃げていいんだ。最初から一番前にいていいんだって。
結果は今のレースと同じ。私は最初から最後まで先頭で、風と一緒になって走り抜けた。その結果を受けてトレーナーはやっと理解を示してくれた。
――いいだろう。だがその走り方をする時に負けは許さん。その事を頭に入れて先行で行くか逃げで行くかを決めろ。
きっとトレーナーは今も私に先行ウマ娘になって欲しいと思ってる。だけど、私がチームのみんなを寄せ付けず走り切った事を見て、逃げで勝負する事を許してくれた。
だから私もトレーナーの気持ちに応えたい。逃げだけじゃなく、時には先行で走って結果を出せるように。
だって、トレーナーが先行を薦めた理由は、私が走れなくなる事を恐れての事だと思うから。
スズカは先行適性C。これは某スパロボで言うなら苦手という扱い。発揮出来る力が本来の八割以下ってところでしょう。下手すれば六割程度かもしれません。
……それでも最下位じゃないんだから恐ろしい。