天の声が聞こえるようになっていた、はずなのに……   作:MRZ

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先輩とトレーナーの間に距離を作った過去。それと今回は向き合う事がメインです。


夏合宿、始まる。そして……

“ヘイローが中距離で勝利するには、スタミナもそうだがパワーが足りない”

「……だろうな」

 

 聞こえてくる声に俺はそう呟くしかなかった。俺の視線の先では砂浜の上で空を見上げて動かないキングヘイローがいる。

 

 遂に始まった夏合宿。俺達のチームは初日に砂浜での短距離走を行った。砂浜は足を取られる。その状況下で走る事が初めての三人は、それぞれ思った走りが出来ないままゴール。そのタイムに三人して驚きと悔しさを見せていた。

 

 そして夕食前の今、三人は砂浜でのタイヤ引きを終えたところだ。キングヘイローが天を仰いでいるのは、スペシャルウィークに比べてそのタイムが遅かったためだ。途中まではほぼ同じだったんだが、徐々に差が開いてしまったからな。

 

 ちなみに、セイウンスカイはそもそも二人とは目指す走りが異なるためか最下位でも気にしていないようだ。

 

「キングヘイロー、とりあえずこっちへ来い。あまり日に当たり過ぎるのは良くないぞ」

「……分かってるわ」

“ヘイローの調子が落ちたな。気分転換をさせないとトレーニング効率が悪い”

 

 返ってくる声には普段のらしさが幾分少ないように感じられた。しかも天の声からの不安な内容付き。これはあまり良くないな。

 

 俺はそこで意識をキングヘイローからスペシャルウィークへ向ける。トレーニングを終えたばかりだからか呼吸が荒いが、その表情には疲労だけではない何かがあった。

 

“スペの状態は上々だ。パワーを鍛えつつスピードも伸ばそう”

 

 どうやらスペシャルウィークはかなり仕上がりが良い方へ向かってるらしい。この夏合宿が終わる頃にどうなってるかが楽しみだ。

 

「ねぇトレーナー」

「ん?」

 

 聞こえた声に顔を向ければセイウンスカイがやや困った顔をしていた。その視線は俺ではなくキングヘイローへ向けられている。

 

「キングだけどさ、何かフォローしとく?」

 

 目敏い。そう思った。やっぱりこいつは見てないようで見るべき事をよく見てる。

 

「……いや、お前らが下手にすると余計気にするかもしれない。俺が後でやっておく」

「そっか。じゃ、お願い」

「おう」

 

 セイウンスカイは話してる途中もずっとキングヘイローの事を見ていた。こいつも結構仲間思いだよな。なんだかんだとスペシャルウィークのために知恵を巡らしたりしてるし。

 

「キングさん、飲み物をどうぞ」

「……ありがと」

「いや~、炎天下の砂浜トレーニングはしんどいね~。スペちゃんやキングについてくのさえ無理だったよ」

 

 キングヘイローが日陰に入ってきたのを見計らって、スペシャルウィークが飲み物を手に近付く。するとそれに合わせていつもの調子でセイウンスカイもキングヘイローへ近寄っていった。

 ホント、大したもんだ。キングヘイローがリーダーなら、間違いなくセイウンスカイはそれを支える補佐役、サブリーダーだな。

 

 ……スペシャルウィークはきっとあれだ。愛されキャラってやつだ、うん。

 

「よし、そのままでいいから聞いてくれ。とりあえず今日のトレーニングはこれで終わりだ。明日以降は朝食を食べて一時間後にここへ集合。その日やるメニューはそこで都度伝える。早朝や夜間の自主練に関しては禁止しないが、やっても軽いランニング程度にしておいてくれ。もし器具を使いたいなら事前に相談してくれれば俺が許可を取っておく。分かったか?」

「「「はい」」」

「うし、ならクールダウンして汗を流してこい。っと、そうだ。キングヘイローはクールダウンしたら少し残ってくれ。チームリーダーのお前に話がある」

「わたしに? というかチームリーダーって……」

「いいじゃん。キングにピッタリだと思うよ? ね、スペちゃん」

「はい! キングさん以外には出来ませんっ!」

「し、仕方ないわね。分かったわ。このっ! チームリーダーのキングがっ! 残ってあげるから感謝してよねっ!」

「お、おう……」

 

 すっかりその気になったな。でも、ま、これでよしっと。こうなればキングヘイローもさっきの事関係とは思わないで残ってくれるだろう。

 

 そうしてクールダウンを終えてセイウンスカイとスペシャルウィークが先に宿舎へと向かうのを見送り、俺はキングヘイローと向かい合った。

 

「それで、チームリーダーのわたしに話って何よ?」

「あ、ああ……まぁそんなに難しい話じゃないんだが……」

 

 さて、どうしたもんか。セイウンスカイにはああ言ったが、俺も上手いフォローなんて浮かばない。とはいえこうして呼び止めた以上は何か言わないと……そうだ。

 

「お前から見てスペシャルウィークとセイウンスカイの様子はどうだ?」

「は? いきなり何でそんな事を……」

「俺はトレーナーだがウマ娘じゃない。学園内の事までは残念ながら把握出来ないんだ。だから二人の近くで過ごしてるお前の意見を聞きたくてな」

 

 我ながら上手いもんだと思う。だが、実際気になっているんだ。特にセイウンスカイは天の声が聞こえないから体力低下や気分の落ち込みも読み切れないし。

 

 俺の問いかけにキングヘイローは若干戸惑ってはいたものの、一度大きくため息を吐くと気恥ずかしいのか顔を背けて話し始めた。

 

「二人ともに特に目立った異変はないわ。まぁ強いて言うならスペシャルウィークは食欲が強すぎで、セイウンスカイは飄々とし過ぎってとこ? 後は二人して学科の方が厳しいわね。ま、勉強会を毎日やってるおかげか最近はそこまででもないみたいよ。走りに関してはトレーナーも知ってるでしょ?」

「ああ」

「セイウンスカイはスタミナがついてきた事もあって逃げの精度が上がってるし、スペシャルウィークもその差し脚がより強力になってる。それに引き換えわたしは……っ」

 

 悔しげに拳を握るキングヘイローを見て、ここだと思って俺は口を開いた。

 

「二人程の成長内容がないってか? ったく、他人の芝生は青く見えるってのはホントだな」

「どういう意味よ?」

「聞いた事ないか? どうしても人ってもんは他人のものが良く見えるんだよ」

「わたしがそうだって言いたいの?」

「そうじゃないか。実際俺から見ればお前だって凄いぞ。お前は振り向かずに前だけを見てたから気付かないだろうが、スペシャルウィークもセイウンスカイも終盤ずっと顔を下げてた。だが、お前はそうじゃない。お前だけが三人の中で最後まで顔を上げてタイヤを引いていた」

 

 そう告げた瞬間、キングヘイローが息を呑んだ。そう、そうだ。お前だけがずっと前を向いていた。どれだけ苦しくても、差が開いていっても、それでも下を向く事なく前を見続けた。

 

「たしかに今日のトレーニングでお前はスペシャルウィークに差を付けられたかもしれない。だが、それが大きな差とは俺は思わない。顔を上げ続けてやり切ったお前と顔を下げてしまったスペシャルウィークの間に、俺は大きな差があるとは思えないんだ」

「トレーナー……」

「だから今日の事は気にするな。それに、トレーニングで差が付いたって本番でそれを差し切れるなら構わないだろ」

「……はぁ~、そういう事ね。やっと分かったわ。要するにわたしの事を心配したって事か」

 

 その次の瞬間、キングヘイローがこちらを見上げてジト目を向ける。な、中々に怖い。

 

「どうせなら最後まで上手く誤魔化しなさいよ」

「……すまん」

 

 本当に言う通りだ。やっぱり俺は詰めが甘いな。

 

「でも、ま、気持ちは有難く受け取ってあげるから感謝しなさい」

 

 そう言って軽く笑みを浮かべると、キングヘイローは普段の雰囲気でこちらへ背を向けて歩き出す。その様はまさにいつもの彼女だ。と、その足がある程度行ったところで止まり、こちらを振り返った。

 

「何してるのよ? 帰るんじゃないの?」

「へ……? っ!? あ、ああ」

「ホ~ント、抜けてるんだから。先に行くわ」

「ま、待ってくれ。俺もすぐ行くって」

“ヘイローの調子は絶好調だ。これならトレーニング効率も上がるだろう”

 

 慌てて荷物を持ってキングヘイローを追いかけようとして、聞こえた声に動きを止める。そうか、今のでテンションが上がったか。

 

「とりあえずは成功、だな」

 

 セイウンスカイに呆れられずに済みそうだ。そう思いながら俺は先の方を歩くキングヘイローへ追い付こうと駆け出した。

 

 余談だが、この後転んで頭から砂を被る事になり、その話でセイウンスカイとスペシャルウィークにも笑われる事になった。とほほ……。

 

 

 

 静かな朝だ。そう思いながらまだ若干寝惚けている頭を目覚めさせるように振った。

 時刻は早朝、でいいのか? まぁ午前六時前。久しぶりのボロ宿舎の布団はやはり快眠を与えてはくれなかった。俺が使ってる安い布団もここのに比べたら上等なんだとよく分かる。

 

「……思えば去年まではこの合宿中は朝練があったな」

 

 だからこんな時間に目が覚めたのかと納得し、思い出すのは俺を底辺から引っ張り出してくれたウマ娘。いつも元気で明るく、やや煩いのが玉に傷の爆進王。

 

「今頃は海外のどこかで爆進してるんだろうな」

 

 学園を卒業した彼女は、更なる爆進を求めて海を渡る事を選んだ。学園に残って後輩達を導くような柄じゃないと思ったが、まさか海外進出とは思わなかったよなぁ。

 

「今の俺だったら、きっと付いて行ったんだろうな」

 

 もし天の声が聞こえなくなっても、今の俺なら世界相手に彼女がどこまで通用するかを試してたかもしれない。

 でも、そうしなかったおかげで今がある。あの素晴らしい才能を持った三人に出会えて、つい最近まで失っていた自信を取り戻せたんだ。

 

「ん?」

 

 ふと耳を澄ますと何かが聞こえる。それは足音。それもただ歩いてるようなものじゃなく、こちらへ向かって走ってくるものだ。

 

 そして、この速度はおそらくウマ娘。だがこんな地響きみたいな走り方が出来るウマ娘なんて……っ!?

 

「……誰かと思えばサクラバクシンオーのトレーナーか」

 

 俺の目の前に現れたのは、予想通りウマ娘だった。だが、その姿を見て俺は息を呑んだ。何せそこにいたのは……

 

「シンボリ……ルドルフ……っ」

 

 永遠なる皇帝、シンボリルドルフ。誰もが知っているウマ娘だ。たしかに彼女も合宿に来ていてもおかしくないが、だからって何でこんなとこに……。

 

「何故ここにと、そう言いたそうな顔だな」

「そ、それは……」

「ふっ、別に責めてる訳ではない。何、早く目が覚めて散歩でもしようと思ったが、あまりにも風が気持ち良かったのでな」

「それで走ってた?」

「そうだ。海よりも山の方がいいような気がしてな。実際陽射しを木々が遮り、風が心地いい」

「そうか。山の方がいいだろうって勘が当たったんだな。これがホントのヤマ勘ってか」

 

 思わず口にしてしまったつまらないギャグ。当然訪れる一瞬の静寂。そして……

 

「ぷっ……あははっ! や、山だけに、ヤマ勘……っ!」

「……ええっと」

 

 何で急に笑い出したんだ、この皇帝。まさかとは思うが今のか? 親父ギャグみたいなのが好きなのかっ!? 嘘だろっ!? だだ滑りもいいとこのやつだぞっ!?

 

 俺は目の前で楽しげに笑うウマ娘を見つめて途方に暮れる事しか出来なかった。最強の呼び声高いシンボリルドルフが、まさかのダジャレ好きとか意外以外の何物でもないだろ。

 

「す、すまない。いや、面白い事を言われるとつい、な。山だけにヤマ勘……ぷくっ」

 

 ひとしきり笑ったシンボリルドルフだったが、未だにその余韻が残ってるらしい。何というか先程まであったはずの威厳のようなもんが霧散したな。

 

“調子が少し上がったな”

 

 そこへ聞こえた天の声に目を見開いた。調子が少し上がった? さっきの足音はまるで地面が揺れてるように感じたのに絶好調じゃないのか?

 

 と、そんな時だ。涼やかな風が一陣、俺達を通り過ぎていった。

 

「良い風だ」

「だな。で、その、一ついいか?」

「何だろうか?」

 

 天の声が言っていた事が気になる。調子が少し落ちているという、あの一言。俺なんかが口を出して何か変わる訳じゃないかもしれない。そもそも俺が言わずともシンボリルドルフ自身が把握しているとは思う。

 

 だけど、何も問題ないように見えていきなり故障などが起きるのがウマ娘でもあるんだ。

 

「その、調子が万全じゃないようだが大丈夫か?」

「……驚いたな。誰にも気付かれていなかったんだが、見抜かれてしまうとは」

 

 一瞬、一瞬ではあるがあの皇帝が驚きを見せた。やはり自覚していたのか、凄いな。

 

「成程。サクラバクシンオーを爆進王と言われるまでにしたのはまぐれなどではないようだ。これは後でテイオーにもよく言っておかないといけないな」

「テイオー……」

 

 トウカイテイオー、だろうな。今売出し中のウマ娘だ。シンボリルドルフの傍に常にいると言ってもおかしくないぐらいの懐き方らしい。

 

「今度はこちらからいいだろうか?」

「何だ?」

「私の不調にどうやって気付いたか教えてくれないだろうか?」

 

 ……まぁ当然の質問だ。どう答える? 素直に教えても信じるとは思えないが、かと言って嘘を言うのも見抜かれそうだし……。

 

「まぁ、天のお告げみたいなもんだ」

 

 なので事実を告げる事にした。これで俺がどう思われてもいいと、そう思って。

 

「天のお告げ、か……。ははっ、中々面白い答えだ。君に強い興味が出てきた」

「そうか。でも、どうせなら俺じゃなくて俺の担当ウマ娘達に、それと出来ればサクラバクシンオーにも興味を向けてやってくれ」

「サクラバクシンオーにならもう向けているよ。短距離では間違いなく国内では無敵だろうと思ったからな。海外でどこまでいくか楽しみだ。だからこそ、君と一度話をしてみたいとも思っていた」

「……それは恐縮だ」

 

 皇帝が前々から俺に興味を持ってくれていた、とはな。それだけでもサクラバクシンオーの功績は凄かったって分かる。

 

 ……こうなると余計気合を入れないといけない。あいつに胸を張れるようにあの三人を無事卒業させてやるためにも、な。

 

 その後すぐに皇帝は去って行った。軽く流すだけと言っていたが、それであれかと思うような走りで。

 

 俺はそれを見送ってまた歩き出した。俺は宿舎から出て山林の遊歩道へ向かう道を歩いていた。で、皇帝と出会ったのはまだ宿舎から500mも離れていない場所だ。

 

 となると、シンボリルドルフはあっちからの帰り道って事になる。

 正確な距離は分からないが、軽く流してたとしても、だ。大体3000m程度を走って息が上がってなかった事になる。

 

「化物かよ……」

 

 スタミナならうちのチームのスペシャルウィークもかなりのもんだが、それだって3000mを流しで走って呼吸を少しも乱さないとはいかないだろう。

 皇帝って二つ名は伊達じゃないって事か。下手すりゃあれと戦う事になるかもしれないのか、あいつらは。

 

 サクラバクシンオーは短距離だけを走っていたから、中距離や長距離を得意とする有力ウマ娘と戦う事はなかった。シンボリルドルフもその一人だが、ある意味ぶつかる事がなくて良かったかもしれん。

 

「あれでもし短距離も得意だったら……」

 

 さすがのあいつも勝利確実とはならなかっただろう。それぐらいあの威圧感とスタミナは脅威だ。あれを相手に戦うとなると、どう考えたって“今の”あいつらが勝てるとは思えない。

 

「……見えたな、仮想敵が」

 

 打倒、シンボリルドルフ。そう考えて指導していかないと駄目だ。特にあいつらは暮れの中山を目指すと言ってくれた。そこに皇帝がいないなんて有り得ない。

 また例えいないとしても超える目標としてはこれ以上ない程の高さだ。あいつらも漠然と速く走るって考えるよりも、ある程度超えるものが分かり易い方が意識も高まるかもしれないし。

 

 そんな事を思いながら遊歩道へ足を踏み入れると、そこには予想外の相手がいた。遊歩道の入口付近で遠い目をしながら前を見つめている眼鏡の女性だ。黒髪を後ろで束ねているそれは、彼女が合宿中に必ずしている髪型だった。声をかけるべきかかけないべきかと迷う。

 

「ん? ……何だお前か」

 

 が、迷っている内に気配で気付いたのか一度だけ先輩はこちらへ振り向いた後、すぐに顔を前へ戻して遊歩道の途中にある休憩所を見つめる。そこには俺の担当三人だけでなく先輩のチームのウマ娘であるサイレンススズカに……仮面を着けているからエルコンドルパサーだな。じゃあ残りは……

 

“グラスワンダー。適性はマイルと長距離。得意なのは先行と差しだ”

 

 グラスワンダー、か。得意な走りがスペシャルウィークとかぶってるな。そういえばエルコンドルパサーと同じであいつらの同期か。

 

 で、見た感じ早朝トレーニング……? いや、どちらかと言うとそういう風に見せかけた集まりだ。前々から言ってた事を実現したんだろう。

 それにしても、何となくだが全員してテンションが高い気がするな。もしかしてシンボリルドルフに会ったからか? だからあそこで話し込んでるのか? おいおい、完全にトレーニングじゃなくなってるぞ。

 

 だが先輩が見つめている理由はおそらくそれが原因じゃないはずだ。そう、今思い出した。俺がサクラバクシンオーの前に担当していた中でこの合宿に来れたのは二人。その中で早朝トレーニングを行ったのは一人だけだ。そしてそのウマ娘は先輩と深い関係があった存在だった。

 

 しかし本当にそうとは限らない。そう思ってまずは当たり障りのない事で話しかけてみた。

 

「あの三人の指導、ですか?」

「いや、違う。早くに目が覚めて、気が付けばここへ来ていた。スズカ達を見つけたのは偶然だ。そういうお前こそ指導しに来たのか?」

「いえ、俺も先輩と同じです」

「……そうか」

 

 そこで会話は途切れた。俺はこれ以上何を言えばいいか分からなかったし、先輩は先輩で今更俺と話す事などないだろうし、それは当然の流れだと思った。

 

 しばしの静寂。もう俺も先輩も互いに分かっていた。何を考え、何を思い出しているのかを。そんな中、ふと突然……

 

「スズカが、あの子に似てきた」

 

 そんな事を先輩が言った。その“あの子”が誰を意味するかなんて聞くまでもない。俺が黙ってると先輩はそれを続きを待ってると捉えたんだろう。視線を休憩所から離さず口を開いた。

 

「どうしても逃げを止める事は出来ない。それが自分の一番自信がある走り方だとな。私の下へ来て、走り方を変えろと指示を出してから、スズカがゆっくりと調子を落としていったのは私も分かっていた。だが、それも新しい走り方が定着するまでの事だと思って待っていた」

「……似てますね、その辺りで既に」

 

 “あいつ”が俺の下に預けられる流れもそんな感じだった。先輩の理想とする走りとの不一致。下降していく戦績と調子。本当にそっくりだ。

 

「だからこそ、私は妥協する事にした。逃げを全面的に許可するのではなく限定的に許可する事で」

「あの頃の二の舞を避けたんですか」

「そうだ。私の理想を押し付け続ければスズカは必ずあの子と同じ道を辿る。逃げだけを追求し、速さを追い求め、限界までそれに適応させた体となって……」

「レース中に突然故障発生、ですか……」

 

 思い出される悪夢。俺も先輩もあの時は何も出来なかった。もうレースで走る事は出来ないと言われたあの時、俺も先輩も“あいつ”も言葉を失った。当然引退する事となった“あいつ”は、それでも悔いはないと俺へ笑顔で言った。

 

――私がやりたい事を貫いた結果なんだから受け止められるんです。だからトレーナーさん、お願いだからそんな顔をしないで。これから私は新しいレースを始めるんだから笑顔で送り出してください。

 

 最後まで涙は見せず、紅葉が綺麗に舞う中を“あいつ”は一人去って行った。幻と消えた秋の盾。本当ならその腕にはそれを抱いていたはずのウマ娘の、あまりに寂しい引退セレモニーだった。

 

「今も時折あの時の事は夢に見る。私が自分の意見を押し通し過ぎなければと、そう何度思った事か。あの子が逃げにこだわり過ぎたのは私がそれを捨てさせようとしたせいだ。もし、もしもどこかで折り合いを付けていれば、もっとあの子の心を分かってやろうとすれば、あんな事にはならなかったかもしれない……」

「先輩……」

 

 それは俺も同じだ。どうして俺は“あいつ”の抱えた不調に気付けなかったのかと何度思ったか。分かってるんだ、それが不可能な事なんて。あれは事前察知が出来る類の故障じゃない。それでも、それでも自分を責めるしかないんだ。何か出来る事があったんじゃないか、と、そう思って。

 

「スズカは、間違いなく二度と現れない逸材だ。だからこそ、私は潰れかねない走りをさせたくなかった。例え逃げ程得意でなくても、先行として戦える力はある。あとはそれを伸ばしてやろうと、そう思って。だが、どこかでこうも思ってしまうんだ。スズカならば、逃げを続けてもあの子のようにならないんじゃないかって」

「……全てのウマ娘は、不可能を越えていける可能性を秘めている、ですか?」

「私も、それを信じたいんだろうな。スズカは、あの子のようにはならないと」

「そう、ですね。同じウマ娘は二人といない。なら、同じ結末だって二つとないと思いたいですよ。それが悲劇の類なら余計に」

「……そうだな」

 

 また静寂が戻る。少しずつ勢いを増しつつある陽射しのせいか、気温もゆっくりと上昇しているようだ。ここは木陰ではあるが、木漏れ日が差していて若干ではあるが熱を感じる。そんな中を、爽やかさと僅かな不快感を持った風が吹き抜けた。

 先輩の後ろで束ねた黒髪が微かに揺れ、それが一瞬ウマ娘の、“あいつ”の尻尾のように、何故か見えた。そしてその瞬間思い出した。

 

 見送る俺へ背を向けたまま、ふと立ち止まった“あいつ”の尻尾が揺れて……

 

――それと、あの人に、トレーナーにも伝えておいてくれますか?

 

 あの日、俺は“あいつ”に頼まれ事をされた事を。だが、その時には俺と先輩は疎遠となっていて言い出せないまま時が経ち、今の今まで忘れていた事を。

 

「あの、先輩」

「何だ?」

「その、実はあいつから先輩へ伝言があるんです」

「……あの子からの伝言、か。聞かせてくれるか?」

「分かりました。えっと……」

 

 思い返すのはあの日の、忘れたくても忘れられない秋の思い出。その眠らせてしまっていた部分を呼び起こして言葉へ紡ぐ。

 

「私を見出してくれてありがとうございました。例え少しの間でも夢を見れた事、感謝しています」

「……感謝するのはこちらの方だと言うのに。まったく、どこまでも優しい子ね。いっそ憎んでくれていいのに。恨んでくれていいのに。自分からレースを、走る楽しみを奪ったような相手に優しい言葉を残すなんて……っ」

 

 細かに震え始めた先輩の肩を見て、俺は反射的に上を向いた。生憎空は見えないが、木漏れ日がキラキラと輝いていて綺麗だなと思った。

 

 しばらく、その場には蝉の無く声だけが響いた。俺は何も言わずただただ上を見て、先輩も無言のまま何も発しようとしなかった。俺の脳裏には、あいつとの思い出が甦っていた。

 初めて会った時、あいつは悩んでいた。得意の走りを止め、新しい走り方に中々馴染めず戦績を落としていたあいつは、担当ウマ娘が見つからず先輩の手伝いをしてた俺にその悩みを相談してきた。

 

――先輩に、担当トレーナーに言わないのか?

――……言ったんですけど、今の方が最終的には勝てるようになるからって。

 

 あの頃は先輩の考えが分からなかったが、逃げウマ娘の事をある程度知った今なら分かる。逃げウマ娘は最初から全力だ。中には八割から七割程度で走るやつもいるかもしれないが、それにしたってハイペースで走る事に変わりはない。

 それで短距離ならばいい。問題は中距離や長距離だ。2000mから3200mもの距離をそんなペースで走って、しかもそれを何度も繰り返していれば他の走り方のウマ娘よりも体への負担は大きい。

 

 あの頃の俺はそんな事も気付かなかった。その結果があの結末だった訳だが、あの頃の俺はあいつの相談を受けて……

 

――自分がこれが一番自信があると胸を張って言えるならそう言うべきだ。今のままでお前は笑顔で走れるか? レースをして楽しいと、まだまだ速くなれると思えるか?

 

 そんな事を言った。それを受けてあいつは先輩へ逃げで走りたい事を直訴し、結果俺が担当となる事になった。

 

――すまんな。デビューした後で担当させるなど……。

――構わないですって。それで言えば俺はあいつをデビュー前から見てましたし、最初から担当してたようなもんですから。

 

 他のトレーナーへ預ける事も考えたらしいが、先輩は俺の言葉で決意した事を聞いて最後まで責任を持てと言いながらあいつを預けてくれた。そこから俺とあいつと、時々先輩の歩みは始まった。

 逃げを取り戻したあいつは、そこから目覚ましい走りを見せた。適性距離のGⅢやGⅡなら最初から最後まで影も踏ませないような走りを見せ、夏合宿を経た事でそれはより鋭さを持ち、満を持して迎えた初のGⅠ秋華賞でも見事圧勝。

 

――トレーナーさんっ! 私、やりましたっ!

――ああっ! 凄い走りだったぞっ! これで次は秋の天皇賞だっ!

――はいっ! そこでも絶対逃げ切ってみせますねっ!

 

 怖いぐらいの順調さだった。まだ新米に近いトレーナーが燻っていたウマ娘を覚醒させたと、そう言う人達もいた。だが真実は違う。あいつは本来の姿へ戻っただけだったんだ。

 ちらほらと学園内でも俺を褒める声が聞こえ始めたせいもあり、まだまだ青い俺はどこか調子に乗ってた気もする。それぐらいあいつの走りは速かった。適性距離なら負けないと、本気で思わせる程の何かがあった。

 

 だけど、そんな走り方を続けていて体へ何の負担もないはずがなかった。周囲の評価も間違いなくあいつが取ると思っていた天皇賞(秋)。一番人気で一枠一番の好枠番をもらい、あいつは周囲の期待通りに先頭で走った。

 その差は縮まるどころかむしろ開くぐらいで、誰もがあいつが一着だとそう思ってレースを眺めていた。俺も、先輩さえもそうだった。

 

 ところが、大欅を通過した辺りであいつの様子がおかしい事に気付いた。最初は目を疑った。だが隣で見ていた先輩が叫んだ言葉に息を呑んだ。

 

――故障だっ! このままでは不味いっ!

 

 そこからの事はよく覚えていない。はっきりと覚えているのは、ターフに横たわるあいつと、傍で泣きながら声をかけている先輩の姿。そして、まるであいつの事を悲しむように降り出した、雨……。

 

「あいつからレースを、走る楽しみを奪ったのは先輩じゃないですよ。俺です」

 

 気付けばそう口に出していた。そうだ。あの時担当は俺だった。秋華賞を走らせて翌週に天皇賞なんて予定を組んだのも俺だ。先輩は気持ちは分かるが休ませるべきだと助言をしてくれていたが、それを大丈夫の一言で片づけて決行したのは、俺だ。

 

「お前……」

「俺が、俺がもっと考えるべきだったんです。逃げウマ娘がどれだけ体に負担をかけているか。その故障率がどうなっているか。最悪を回避するにはどうするべきか。あの頃の俺は、今よりも輪をかけてダメなトレーナーでした」

 

 俺がその事を思い知ったのはあいつの事があった後だ。学んだ気になっていた。覚えた気になっていた。だけど、教えてもらった事をより深く理解しようとする事を怠っていた。字面だけ追って、その奥にある事を読み取る事が出来てなかった。

 

 俺は本当にトレーナーとしてウマ娘を見ていいのかと自問した事もある。

 

 その結果、次の担当は指導にそれまでのような自信がなくなり、迷い、最後まで一着を取らせてやる事が出来なかった。

 サクラバクシンオーを最後まで指導出来たのは天の声があったからだ。何を鍛え何をすればいいだけじゃなく、体力が低下している事や気分が落ちている事など本来であれば目に見えない事を教えてくれていたから、俺は最後まで自信を持って指導出来た。

 

 そして今はあいつらが俺に自信を取り戻させてくれた。

 

「思い返せば、あの時の俺は先輩がくれる助言だって右から左になってました。あいつは速い。しかも勝ってる。なら何の心配があるんだって」

 

 自惚れていた。才能あるウマ娘を見てる事で、いつの間にか俺が凄くなったように思ってたんだ。その慢心が、油断が、あいつを潰した。

 

「ホント、ダメなトレーナーでした。あの頃の俺はあいつを見てるようで、その結果だけを見てたんです」

「それを言うなら私も駄目トレーナーだ。スズカの事でお前と久しぶりに話した時に対話不足と言われて思い出したよ。あの頃の私は、あの子に自分の考えや想いを全て伝えていなかった。もしそうしていれば、あの子とも少しは違った道があったはずなのに……とな」

「……ダメダメですね、お互い」

「ああ、まったくだ」

 

 そこへ熱風が吹き抜けた。もう涼しい時間は終わったらしい。気付けば差し込む光も若干だが強くなっている。手元の時計を見れば六時半になろうとしていた。

 

「だからこそ、今のお前に一つだけ謝っておかねばならない事がある」

 

 そこで初めて先輩がこちらへ振り向いた。その表情は、どこか優しい気がした。

 

「あの時のお前が、あの子の事で自信を失い、熱意も無くしていたのは感じ取っていた。だが、私もお前の顔を見るとあの子の事を思い出して心無い言葉を言ってしまいそうだった。それに、ウマ娘の育成に関わる以上、ああいう事は決してないと断言出来ない。もしそれで潰れるのなら、その方がお前のためだと思って突き放した。今にして思えば弱くて身勝手な理由だ。すまなかったな。本当なら先輩の私がお前の事をフォローしてやらねばならないのに……」

 

 言わんとしてる事は分かる。ウマ娘だって絶対に故障などをしない訳じゃない。トレーナーを続ける以上、それ関連の出来事にいつか必ず直面する。時には引退すら出来ない事もあるかもしれない。

 だからこそ、それに耐えられないのならトレーナーを辞めた方がいい。ただ、あの時にそんな話を俺達がしたら揉める結末しかなかっただろう。

 

 それに、だ。俺の性格上、例え冷静にそう説かれたとしても反発していたはずだ。実際あんな状況になっても諦めきれなかった俺は、結果として天の声が聞こえるようになり、サクラバクシンオーと出会ったんだから。

 

「だが、サクラバクシンオーを私に貶された時、お前の目や声にはあの頃の力が戻っていた。それを見て分かったよ。ああ、こいつはやっぱり一人前のトレーナーなんだと。誰かに支えられずとも自分で立ち直り、何があっても担当したウマ娘を支え、大事にする奴だとな」

「先輩……」

「さて、長話が過ぎたな。そろそろ私は宿舎へ戻るとする」

「あ、はい。お疲れ様です」

 

 俺の横を通り過ぎていく先輩の事を見つめていると、不意にその足が止まった。

 

「先輩?」

「スズカ達に伝えておいてくれ。早朝トレーニングなら、軽いものであれば他のウマ娘と行う事を大目に見ると」

 

 それだけ言って先輩は今度は一度も足を止める事なく去っていく。俺はその背を見つめながら言われた事の意味を考え、理解した時にはもう先輩の姿がかなり小さくなっていた。

 

「ありがとうございますっ!」

 

 だから大声でそう叫んで頭を下げた。先輩はあいつらがサイレンススズカ達と一緒にトレーニングする事を許してくれたんだ。それと、俺が先輩の担当ウマ娘と関わる事も。

 聞こえたか分からないし俺の方を見たかも分からない。だけど俺はしばらくその場で最敬礼を続けた。

 俺がそれから頭を上げたのは、遠くからあいつらの楽しげな声が聞こえてきた時だった。

 振り向けばゆっくりと談笑しながらこっちへ向かって歩いてくるあいつらの姿が見える。六人揃って笑顔だ。

 

「……いつまでもああでいて欲しいもんだな」

 

 叶わないかもしれないけど、心からそう願う。そんな夏の朝だった……。

 

 

 

 夏合宿は長いようで短いしその逆もしかりだ。一か月以上の期間があるのに集中してトレーニングへ励むとあっという間に時間が流れていく。そしてそれが上手くいっていればウマ娘達の表情や雰囲気からそれが感じられる。

 

 分かり易く言うなら、合宿当初の頃のトレーニング終わりの三人は……

 

「し、しんどい……っ!」

「陽射しと砂で体力がかなりもっていかれるわ……っ!」

「う~っ……お腹空いたよ~……」

 

 と、こんな感じだった。それが今では……

 

「ふ~っ、やっと終わったぁ」

「今日も暑いわね。水分補給を忘れないでよ?」

「分かってます。でもお腹空いたなぁ」

 

 てな感じだ。やっぱりこの合宿でスタミナやパワー、根性がかなり鍛えられているのが分かる。それに早朝トレーニングのおかげか調子もずっと安定していて、この分なら合宿明けに待ってる模擬レースは今まで以上に凄い事になりそうだ。

 

 それにしても、こう考えるとスペシャルウィークは本当に食いしん坊だな。これで太らないのはそれだけ動いてるからなんだろうが、少しでもトレーニングを緩めたらすぐそうなりそうだな、こいつ。

 

 何はともあれ、合宿も終わりが見えてきている。だがこいつらがこれだけ成長していると言う事は、他のウマ娘達も同じぐらい成長を遂げているという事だ。

 特に先輩のところは俺達のところよりもチーム人数も多い上に経験値もあるからな。間違いなくかなりの成長を遂げてるはず。そう思って確認も兼ねてまずスペシャルウィークへ意識を向ける。

 

“スペの仕上がりは上々だ。あとはスピードを伸ばそう”

 

 スピード、か。どうやら今のところは他の部分に不満はないらしい。なので次はキングヘイローへ意識を向ける。

 

“ヘイローの仕上がりは上々だ。あとはスタミナを伸ばそう”

 

 こっちはスタミナ、か。こうなるとやはり差が出てくるな。スペシャルウィークは元々中距離や長距離適性があったが、キングヘイローはそちらは適性ありって訳じゃなかったからなぁ。

 

「ねぇ」

「うおっ!?」

 

 突然目の前にセイウンスカイが現れた。しかもやや不満げな表情で。というかいつの間に接近してたんだ。まだスペシャルウィークやキングヘイローは離れた場所で休憩してるってのに。

 

「な、何だ?」

「何だ、じゃないよ。トレーナーってさ、時々今みたいにスペちゃんやキングの事真剣な眼差しで見る癖に、な~んで私の事はそういう感じで見ないかなぁ?」

「そ、それは……」

 

 意識を向けないと天の声が聞こえないし、聞こえたら聞こえたでそれに関して考える事が多いからどうしてもそうなってしまうせいだが、それを言っても信じないだろうし、そもそも言えるはずもない。

 

「む~っ……もしかしてさ、トレーナーってスペちゃんとキングだけ贔屓してる?」

「そんな訳あるか」

 

 むしろある意味じゃあの二人よりもセイウンスカイの事を考えてる事が多いんだ。天の声が聞こえない以上、俺が自分で全て判断するしかないからな。だが俺の答えにセイウンスカイは納得出来ないらしく、両頬を膨らませるような反応を見せた。

 

 ……仕方ない。ここで調子を落とされても困るしな。

 

「俺があの二人の事を真剣な感じで見るのはな、上手く育てられた事がない系統のウマ娘だからだ。俺が唯一と言っていい成功例はサクラバクシンオーだぞ? 中距離や長距離のウマ娘は、な」

「そ、それなら私だってそうじゃん」

「そうだが、お前はサクラバクシンオーと同じ逃げウマ娘だろ? その分二人よりも俺の中に指針が立てやすいんだ」

「……それだけ?」

「は?」

「そ~れ~だ~け~?」

 

 まだ足らんとばかりに迫るセイウンスカイに俺はどうすればいいか分からない。納得させられる理由ではないって事なんだろうが、これ以上俺に何と言えと?

 が、そこで気付いた。この事の根底にあるのは俺が贔屓してるとセイウンスカイに感じさせてしまった事だ。それを払拭するには、贔屓してないと伝えるよりも全員に別々の形でそういう部分があるとする方がいいんじゃないか?

 

「え、えっと、信じてもらえるか分からないが」

「何?」

 

 やや棘がある声に内心驚く。こいつ、こんな一面もあるのか。

 

「俺は三人の中でお前を一番頼りにしてる。チームを引っ張るのはキングヘイローだが、まとめてくれているのはセイウンスカイ、お前だって」

「そ、そんな事ないって……」

 

 おや、もしかして褒められるのに慣れてないのか? ……あり得る。思い出してみれば、俺ってあまりこいつらの事を褒めてきてない。そっか、ちゃんと褒めてやらないといけないな。自信を付けさせるためにも、ちゃんと見てるぞって伝えるためにも。

 

「いやいやそんな事あるぞ。実際お前がいてくれて助かったところが多いしな」

「や、やだなぁ。過大評価だって~。でもそっかぁ。私を頼りにしてるんだ~……」

 

 後ろ手で髪を触るセイウンスカイに俺は安堵の笑みを浮かべた。思わぬ形で不満を解消出来たようだ。

 ただ今言った事は本音だ。俺一人じゃスペシャルウィークのために知恵を出してやれなかっただろうし、キングヘイローの事をフォローする事もしなかったかもしれない。それらは全部セイウンスカイがいたからこそ何とかなった事だ。

 

「あれ? スカイさん、顔赤いですけど大丈夫ですか?」

「まさか熱中症とかじゃないでしょうね?」

「ち、違うって。トレーナーが照れるような事言ってきたからさ」

 

 気付けばあとの二人もこっちへ戻ってきていた。で、セイウンスカイを見るなりそのおかしさを指摘してきた。言われてみれば若干赤いな。どうやら本当に照れてるらしい。

 

「ふ~ん、何を言ったの?」

「ん? まぁ頼りにしてるって感じの事だ」

「それだけ? つまらないわね」

「ちょっとキング~。それは酷くない?」

「スカイさん、いいなぁ。トレーナーさん、私にも何か言ってくださいよ~」

「なら……食べ過ぎに注意しろ」

「「それはたしかに」」

「みんなして酷いっ!?」

 

 定番になりつつあるスペシャルウィークの食欲をいじったところで本日のトレーニングは終了だ。と、そう思ってたところで、若干落ち込んでいたスペシャルウィークが何か思い出したように顔を上げた。

 

「あのっ、トレーナーさん!」

「何だ?」

「えっと、そろそろ私達の呼び方、変えてくれませんか?」

「……は?」

 

 呼び方を……変える? その意味が分からない俺とは違い、セイウンスカイやキングヘイローはその意味が分かったらしく頷いていた。

 

「成程ね~。たしかにいつまでもフルネームって距離感じるし」

「言われてみればそうね。あのスズカさんのトレーナーさえスズカって呼んでたし」

「そうなんですよ。なのでトレーナーさん、私の事はスペって呼んでいいですからね?」

「スペ、ねぇ」

「ならわたしは……キングよ」

「キングか……」

「それじゃ私はセイ? あるいは……スカイかな? 大穴でウンスとか? どれがいい?」

「あ~……セイにしとくわ」

「よし、決まり~。っと、言う訳でぇ……もう一度改めて呼んでみようか。はい」

「えぇ……」

 

 俺の目の前には呼ばれるのを今か今かと待っているスペ、キング、セイがいる。まぁこれでこいつらが喜んでくれるなら安いもんか……。

 

「分かったよ。それじゃあ……」

 

 おほんと一つ咳払いをし、こちらを見つめる三人へ期待通りの事をしてやるとしますか。

 

「スペ」

「はいっ!」

「キング」

「ええ」

「セイ」

「はーい」

「まだまだ至らない俺だが、これからもよろしく頼む。夢は、暮れのライブでメイン独占だっ! それ目指して頑張るぞっ!」

「「「お~っっ!」」」

 

 片腕を高々と上げる三人を見つめ、俺は力強く頷いた。今は無理でもいつか、いつか必ずそうしてみせると、そう固く誓いながら……。




次回で夏合宿は終わりです。
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