すべての絶え入るものをいとおしまねば
──尹東柱
二十一世紀の初夏は、田中鉄雄にとっていささか
孤児院で育った彼はとくに捻くれることも無くすこやかに育っていった。
外でも友達は上手くできたし、孤児だということを馬鹿にした連中とも友達になれてしまった。
友達はできたのだが、何かが欠けているような気がした。
いや、友達に何かが欠けているというわけではないのだ。時代自体に何かが欠けているのだ。
(・・・俺の時代と比べたら平和なもんだな)
彼は新聞を読みながら溜息をついた。
新聞の第一面は外国でのテロを伝えていた。
しかし、戦争でないだけだいぶマシと言えた。
問題は他の面で伝えられている情報だ。
いじめとか自殺とか精神疾患とか・・・。
数が増えていると書き散らされているが、鉄雄はそう思ってはいなかった。
鉄雄の時代にもいじめとかそういうのはあったのだ。
あくまで表面に出ていないだけで、数は変わらないのかもしれない。
二十一世紀の人間たちは余裕ができたあまりに、自らの闇に直面してしまった。
それはイデオロギーで腫物を隠している間は問題なかった。
しかし、「歴史の終焉」とやらでイデオロギーが無用になると話は別だ。
「いや、公園で何読んでんのよ?」
「さやか、俺には小遣いというものがないんだ」
鉄雄はゴミ箱を指差した。新聞はそこから拝借したのだ。
「後でちゃんと手洗いなさいよ」
「わかってるって」
小学六年生である鉄雄のもらえる小遣いは少ない。
まあ、もともとそんな必要ともしていなかったが。
初夏のさわやかな空気とは反対に、二十一世紀はどんよりとしていた。
少なくとも、友人たちはそんな困ってもいないのだが。
さやか、恭介、仁美、そしてまどかたちは輝いていた。
子どもたちは輝いているのだ。でも、時代は輝いていなかった。
熱情と狂気の1970年代は遠い過去のこと。
一度、パソコンとやらで調べてみたが、「団塊」と入力した時点で悲惨だった。
・理屈っぽい
・何も変えれなかった
・うざい上司
・あいつらのせいで日本は駄目になった
・というか何がしたかったんだ?
・ちくわ大明神
・何だ今の?
とにかく、厳しい視線が向けられていたのだ。
時代をこうしてしまった責任の一端は鉄雄にもあると思うとやるせなかった。
あの熱情と狂気の中で、彼は唯一冷静で正気だった。
それを他人にも伝播させれたら、結果は変わっていたかもしれない。
だが、神浜市立大学において彼はそれほど勇敢でもなかった。
最期の最期で勇敢になれたが、右の学生からも左の学生からもリンチされた。
もっと言えば、「西」からも「東」からも。
(・・・あの街、今はどうなってるんだ?東西対立なんて馬鹿らしいものは消えたのか?)
気にはなったが、行く気にはどうしてもなれなかった。
別に神浜市民が嫌いというわけではなく、過去に自分が死んだ場所を見るのが嫌なだけだ。
彼は新聞を丁寧に畳み、ゴミ箱に丁寧に放り入れた。
「また別の誰かが読む前提で捨てなかった?」
「なんのことやら?」
彼は水道場で手をちゃんと洗った。
まだ日が沈むにはだいぶ時間が残っていた。
しばらくさやかたちと遊んだ後、彼は一人街をぶらついた。
見滝原市は近年になって近代的都市開発が急速に進んでいた。
公共機関から一般家庭までタッチパネルも遠くはないだろう。
あと、二年後にはもう実現してしまうのではなかろうか。
でも、技術の進歩に比べて人間精神の歩みは非常に遅かった。
このままでは、取り返しのつかないことが起こるのではないのか?
ふと、ある青年の姿が目についた。
初夏だというのに、黒を基調とした学生服を着ていた。
鉄雄はその学生服がどこの学校の制服なのか知っていた。
大東学園だ。1970年代とはいくつかの箇所が違っているが、それでもよくわかった。
その青年の雰囲気は変わったものであった。
まだ若いというのに、どこか大人らしさを感じさせる雰囲気を漂わせていた。
もしやと思い、声をかけてみた。
「・・・アンタ、まさか前世の記憶があるのか?」
危険な賭けだった。変人扱いされるかもしれない。
「・・・もしかして、あなたも転生者ですか?」
だが、賭けは成功した。
その後、二人は人気のない公園で語り合った。
「へえ、つまり・・・この世界はアンタの世界では架空の存在だったんか」
「ええ、気分を悪くなされたようなら申し訳ありませんが」
「いや、いいよ。もしかすると、アンタの世界も別の世界ではフィクションかもしらんし」
「それもそうかもしれませんね」
さらっと世界の真実を知ってしまったが、何ということはなかった。
藤子不二雄だったら好みそうな話題でもある。
彼は二十一世紀を見ることなく死んでしまったが。
この転生者、里見優心という青年は前世は韓国人だと自己紹介した。
言われてみれば、どこか韓国訛りが聞こえないでもない。
「僕はとくに深い意味をもってこの世界を選んだわけじゃないんです。
ただ、架空の世界の中では一番安全な部類に入るので」
「でも、神浜市は辛いんじゃないか?
俺、前世は神浜市立大学に通ってたけどさ。
余所者からしたら、なんか馬鹿馬鹿しい対立があったし」
「・・・ええ、僕の知り合いもそれで辛い目に遭いました。
でも、もうすぐそれも僕が終わらせます」
優心はベンチから立ち上がった。
その瞳には熱情と正気が宿っていた。
現代人と団塊のいいとこ取りという他ない。
「神浜の東西対立だけじゃない。僕は現行人類の抱える問題の解決に命を捧げるつもりです。
命を捧げるというのは比喩なんかじゃありません。僕の命を持って解決するんです」
鉄雄は思った。この純情な意思は団塊世代にすら欠けていたものだ。
かつてノンポリと蔑まれた自分も彼のことは応援したいと思った。
「・・・なあ、俺には何が手伝えるんだ?」
「そうですね・・・もし、僕が失敗した時の後継者になってほしいです。
今回、見滝原に来たのもいい転生者がいないかと探しに来たからなんです。
そこであなたに出会えました。計画の最終段階で、世界は光に包まれます。
およそ七日間です。しかし、途中で世界が暗闇に包まれてしまうかもしれません。
その後、暗闇も晴れるのは確実ですが、不安定な種しか残らないでしょう。
そうなったら、新たな力をコントロールできずに人間性を失う人が続出します。
鉄雄さんに頼みたいのは、その人たちを倒して光の種を回収することです」
「意外とリスク予想はできてるんだな」
「はい。でも、僕の計画を邪魔する人はいないと思います。
ですから、もしかすると何もしなくていいかもしれません」
「まあ、光の真実を知ることができるというだけでも得かもな」
「そう考えてもらっても結構です」
優心は一息置いて、また話し始めた。
「とにかく、計画が成功すれば人類の病気を治せるかもしれないんです。
これ以上、病気の進行が進めば手遅れになってしまいます。
既にその兆候はあるんですから。技術に比べて人間精神の歩みは遅すぎるんです」
鉄雄も立ち上がり、二人は握手した。危惧していることは同じなのだ。
「またいつか光となって会いに来ますね、
「ああ、楽しみに待ってるよ」
鉄雄は安堵した。自分は責任を少しだけ果たせたかもしれない。
何の責任かと言われれば、この時代を生み出した世代の一人という責任だ。
彼の同世代はあれほど壮大なことを言っておいて、何もできなかった。
むしろ、事態を悪化させた可能性だってあるのだ。
だが、ようやく罪悪感に苛まされずに済むかもしれない。
・・・そう思っていた。
別れ際に、ある本を渡された。空と風と星と詩。
昔の韓国人の詩集だった。
平易な言葉で、清廉な世界を描き出していた。
あなたはどれを選択しますか(ストーリーには関係しません)
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参
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肆
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伍