斬撃、打撃、砲撃、さまざまな音が17階層『嘆きの大壁』で木霊する。
階層主、生まれたばかりの元気なゴライアス君は哀れ、目の前で待ってましたと言わんばかりの冒険者達に蹂躙されるのであった。
『ォオオオオオオオオオ!?』
「「うおらああああああああああっ!!」」
「「ぶっ殺せぇええええええええっ!!」」
足の腱を斬られ、膝を突けば顔面にめがけて魔法が放たれる。
連携など取れたものではないが、それでも、だからこそ暴力に任せた『ならず者』達の蹂躙によって巨人は悲鳴を上げる。
『ォオオオオオオオッ!!』
「「【
都合2つの回復魔法によって吹き飛ばされた冒険者達は全快し再び突っ込んでくる。
重力の魔法で押しつぶされ、鐘の音が響いたと思えば頭を揺さぶられ、最後には赤い髪の女が眼前に飛び出して
「
という叫び声と共に大爆発、生まれたての元気なゴライアス君はただの魔石へと変換されるのだった。
「はい、終わり! 手こずることもなく、サクッと終わったわね!」
「てめぇ【
「参加しろって言ったのはそっちでしょう!?それに、私はアミッドちゃんが巻き込まれないようにほとんど攻撃をそらしてただけよ!?」
「くそがっ!」
「今回はLv.3以上の戦力が充実している上に、回復も厚く、危げもなく終わりましたね」
「僕知ってます。ああいうのを『いじめ』って言うんですよ。2週間後にまた泣かされるんです」
「―――ただいま戻りました」
討伐戦が終わり、何故か揉めているアリーゼとボールスを他所に『今回は戦力に余裕があった』と涼しい顔をしてアスフィが語り、そこに仕事を終えたアミッドが合流する。
「あれ、アミッドさん、もういいんですか?」
「はい。今回は被害は少なく、治療もつつがなく終わりました。ベルさんのおかげですね、ありがとうございました」
「僕はアミッドさんの魔法を使っただけですよ?」
「そうでしょうか?【タケミカヅチ・ファミリア】の方の様子を見ては、支援魔法をかけているように見えましたが?」
「あ、あははは・・・・余計なことだったかな?」
「いえ、そんなことはないでしょう。」
「・・・やはり、改めて思うとなんだか、『中層』とか、『下層』まで突破できそうな面子が集まっていますね。ベル・クラネル単身でも問題ないのでは?」
「駄目よアスフィ。ベル単身で深いこまで行かせられないわ」
「アリーゼ・・・何故です?」
言い合いが終わったのか、やれやれと歩いて少年の背後に立ち、軽く抱きしめるようにするとアスフィに少年が『単身で深層は無理』という話をする。
「貴方だって、以前はこの子にゴーグルを作っていたから知っていると思うけど・・・?」
「ですが、スキルである程度の単独行動が可能になった、ゴーグルの必要性がなくなったと聞きましたが?」
「それでも
だから1人で行っちゃだめよ?と少年に背後から注意する姉に少年は大人しく頷いた。
アミッドの治療が一通り終わったと言うことは、もう面倒ごとも終わりであり少年は再び18階層に戻るのか地上に帰るのか、とアリーゼに聞いてみたところ
「ここで戦利品の分配が行われるわ! 待ってて、お姉ちゃんがちゃんと貴方の分も貰ってくるから!」
フフン!と親指を立ててアリーゼは再び、ならず者達の元へ駆け出していき戦利品の分配のやりとりに混じり始めた。それを遠くから眺めているとアスフィが歩み寄ってきて『貴方は行かなくてもいいんですか?』と聞いてくる。
「僕は大したことはしてないですし・・・あんまり、興味が湧かなくって。欲しい人が貰えばいいかなって」
「そうですか。それがあなたの美徳・・・なのだと受け取っておく事にしましょう。」
「?」
「無欲というわけではないのでしょうけど・・・変わっています、貴方は」
「なじられてますか、僕?」
「まさか。冒険者らしくない冒険者というのは、民衆に愛される存在だ。それこそ、『英雄』のようにな。」
話にまじってきたシャクティの言葉に少年は喜ぶべきなのかよくわからなかった。
『貴方が嫌でも貴方に助けられた人は貴方のことを『英雄』と呼ぶわ』などと以前言われたことを思い出したが、少年はそれを喜んでいいのか、わからなかった。
「『英雄』・・・・」
「貴方は、『英雄』になりたいとは思わないのですか?貴方ほどの年の子であれば、夢見ていてもおかしくはないと思いますが。何より貴方にはそれだけの力があるでしょう」
「・・・・僕は――」
「ほい、ベル、分け前もらってきたわよ!」
「ひゃぅっ!?」
「何変な声出してるのよ」
「だ、だって、急に耳に息かけるからっ!?」
分け前を貰って来たと戻ってきたアリーゼは少年の耳に息を吹きかけ、ケラケラと笑い報酬を見せ付けてくる。『回復魔法まで使わせたんだからちゃんと出しなさい』とそれはもう勝ち取ってきたらしい。
「・・・こんなに貰っていいの?」
「いいのよ」
「でも・・・僕ほとんど戦ってないのに」
「いい、ベル? 『
「?」
「こんな無法地帯だからこそ、『実力』と『実績』は肝要。ならず者達の物差しは単純で、それでいて重いの。」
「共に治療魔法を使っていた私が見ても、ベルさんはそれだけの報酬を受け取る権利はあるかと」
「だから、胸を張って受け取りなさい。貴方も今や立派な冒険者なんだから」
ふふん!決まった!!と豊かな胸を張る姉から顔を普段見ないアミッドの笑顔も相まって、顔をほんのり赤くして報酬を受け取った少年は少し微笑んで『帰ったらアストレア様と美味しいもの食べに行こう』と誓った。
「アリーゼさんはやっぱり格好いいね」
「ふふん、あったりまえよ! 清く、正しく、美しい!それが【アストレア・ファミリア】の団長にして貴方の姉なんだから!それよりベル、汗かいたし水浴びしていきましょ。行くでしょ?」
「うん、行く」
「よしっ決まりね!アミッドちゃんもどう?」
「え、私・・・ですか?」
「ベルと一緒ならまずモンスターに襲われることはないわよ?」
「ならベルさんには見張りを」
「そんなの可哀想じゃない。」
「いえ、その・・・私は結構です」
「アリーゼさん、アミッドさんのこと気になるの?」
「んー・・・ベルは気にならないの?」
「?」
なにやらアリーゼがアミッドを引き込もうとしているが、少年はアミッドが困っているようにしか見えないために『やめてあげてよ』と説得。アリーゼはしぶしぶ、『じゃあアミッドちゃんが入ってる時はベルに見張りをお願いするわ』と引き下がった。
「―――た、大変だぁ!!」
とそこに、大慌てで1人のリヴィラの住人が走ってきた。
なんだ、なんだ?どうしやがった?とざわざわとならず者達がどよめいていると住人の男は息を荒げて声を上げた。
「街に、モンスターが! か、下層から上がってきやがったぁ!」
「なんだと!?リヴィラが攻め込まれてんのか!?」
「いけません。今、リヴィラの冒険者は、ほとんどこちらに・・・」
「
「ベル、行くわよ! ゴライアスより、こっちのが貴方の分野でしょう!?」
「う、うん!わかった!アミッドさん、
下層から上がってきたというモンスターを討伐するため、誰よりもいち早くアリーゼが駆け出し、ベルもまたアリーゼから受け取った報酬をアミッドに預けて駆け出していく。それに遅れて他のならず者達もリヴィラへと戻っていった。
「てめぇ等ぁ!!あの2人だけにいい格好させんじゃねえぞぉ!!」
「「おおおおおおおおおおおおっ!!」」
「ベル、街が壊れるのは気にしなくていいわ!」
「えっ?」
「冒険者が生きていれば、何百回だって
「―――わかった!」
「魔法もじゃんじゃん使っちゃっていいわ!」
「うん!―――【
■ ■ ■
「いやぁー・・・すげぇな、【
「ほ、本当ですよ?ヴィリーさん?」
「魔法もそうだけどよ、ナイフに槍に・・・誰に戦い方を教えてもらったんだ?」
「アリーゼさん達ですけど・・・」
下層からモンスターが上がってくるという
「やっぱ強い奴がいる派閥は違うなぁ・・・」
「そんなにですか?」
「ああ!【
「・・・・・僕、ちょっと歩いてきます」
「お、おう。魔法使いまくってたんだ、無理すんじゃねーぞー」
( ヴィリーさんに悪気はない。むしろ、僕がその大抗争で敵だった人の身内だなんて知らない人だっているんだし、これは仕方ないことなんだ。 )
宿主のヴィリーは目を輝かせて【アストレア・ファミリア】の姉達が凄いと絶賛してくれてはいるが、少年としてはイマイチ複雑だった。大抗争で戦った相手こそが、自分の身内であるわけで、けれどその事について『アリーゼ達を憎んでいるか?』と言われれば答えは『No』だ。
( だって、そもそもは黒い神様が2人を連れて行ったことが原因なんだし・・・アリーゼさん達が戦わなかったらもっと酷い事になってたわけで・・・)
自分を今、受け入れてくれていることがそもそも不思議なことだと言うのに今の家族を悪くは言えない。何も知らない人達からしてみれば、少年はやはり『人殺しの子』であるし、それを全て知った上で受け入れてくれたのが【アストレア・ファミリア】だ。出会った頃に何か酷いことを言ったような気もするがそれは既に少年は忘れてしまっているし、姉達からも『無理に思い出す必要はない。言葉にもならない罵声でしかなかったのだから』と言われている。けれど、こう他人の口から『お前の
( 僕はアストレア様やアリーゼさん達が好き?―――イエス。 )
( 今の生活に、不満はある? ―――ノー。 )
( オラリオに来た事に後悔している? ―――ノー。 )
( 僕は、満たされている? ―――無回答。 )
( 少なくとも、寒くはない。だけど、ふとしたときに胸にぽっかり穴が空いたような感覚を思い出してしまう。決まって今みたいにアリーゼさん達と離れてる時。そう言うときに見る夢の中のお義母さんはいつだって僕と目を合わせてくれない )
トボトボと後片付けをしているならず者達を他所に自問自答しながら歩く少年。
時折声をかけられて、『お前、顔色悪いぞ。ほれ、ポーションやるからちゃんと休みやがれ。金?何言ってんだ、お前のおかげでこんだけ早く後片付けできんだ。いらねえよ』などと言われてポーションやら、果物やらを投げ渡される。そして、ちょうど座れそうなところを見つけて、腰を下ろして果物を齧る。
( ・・・僕は、寂しい? ―――イエス。 )
人ごみの中に、『もしかしたら』を願ってしまう少年。
そういうとき、決まって少年は1人だった。結局はごまかしでしかないのかもしれない。姉達や女神に不満はないし、好きであることは事実だ。それが家族としても異性としても。いつからそういう風に見るようになったのかは知らないが、『後悔しないように自分の気持ちは伝えなさい』と教えられてからは『好き』ならそう言う様にしているし、姉達にそれを言えば大いに喜ばれた。そして姉達の喜ぶ顔が少年は何より嬉しかった。ハーレムなどと義母が知れば怒り心頭であること間違いなしだが、それでも今の生活を手放すことなど考えられなかった。満たされている、満たされているはずだ。だというのに、何故、『寂しい』などと思ってしまうのかが、少年にはわからなかった。
「―――隣、いいかな?」
「?」
終わらない自問自答に、思考の海に沈んでいるとふと、隣から男が声をかけて腰を下ろしてきた。
■ ■ ■
「それで、アミッドちゃん。話っていうのは?」
「ベルさんについてです」
「愛人枠ならいいわよ?」
「・・・・そういうことではありません」
「ごめんごめん、謝るからそんな怖い顔しないで。」
少年とは別で、アミッドとアリーゼは人気のない水辺に腰を下ろしていた。
発端はアミッドから少年について、少年を前にしてはしにくい話だから、と。
「それで? ベルに何か病気でも?アルフィア・・・あの子のお義母さんと同じ持病がでたとか?」
「いえ、それはありません。遺伝云々であれば可能性はゼロではありませんが、少なくともベルさんは健康そのものです」
「そう」
「
「?」
「アリーゼさん。ベルさんの心は、どうなっているのですか?何故、ああも安定しないのですか?」
それは少年の精神的な問題について。
治療院に手伝いに来ている時も、アミッドは少年から目を離すことは殆どしなかった。
「完全に1人にすると、どこか遠いところを見ていることもあります。何より、仮眠している際うなされている時もあります。」
「・・・・」
「いつから、ですか?」
「いつからって話なら・・・であった頃からかしら。」
「放置していたと?」
「むしろ、私達にどう直せって言うのよ。心の問題よ?私達があの子の心を満たしてあげたところで、それは一時しのぎでしかないわ。そもそもの原因を取り払うこともできないんだから」
「原因?」
アミッドは聞いていた。休憩中に眠っている少年がうなされていると団員達から聞いたときに行って見れば『ごめんなさい』『置いていかないで』『1人にしないで』などと言っているのを。だから、というわけではないが仮眠も一緒にとるようにした。まさか少年と一緒に寝ると快眠効果があるとは思いもしなかったが、すっかり虜になってしまっている自分がいる気がしたが、一緒にいれば少なくとも少年がうなされることはなかった。だからそうした。しかし、付き合いの短い彼女ではそもそもの『原因』がわからないため治療してやることができなかった。だから、問い詰めるしかないと思ったのだ。
「原因は・・・そうね、
「・・・・はい?」
「あの子が家族を奪われてから見るようになった幻覚の名前。というより、当時のベルにはその神様は夜ってこともあって、よく見えてなかったみたいなのよ。だから『黒い神様』。」
「それで、その黒い神様とは?」
「あの子から2人の英雄を奪っていった、あの時代を生きた人ならまず知らない人はいないでしょうね。・・・・エレボス様よ」
「!」
「あの子は2人を失って、私達と出会って心を開いてからもずっと見てるわ。暗い場所に立っているって」
「で、ですが・・・スキルが発現して1人で活動できると・・・」
「そんなの、誤魔化しでしかないわよ。それで治るなら苦労しないわ」
Lv.4になって発現したスキル。
・自動起動
・浄化効果
・生命力、精神力の小回復。
・生きる意志に応じて効果向上。
・信頼度に応じて効果共有。
・聖火付与(魔力消費)。
・魔法に浄化効果付随。
それのおかげで、1人での活動が以前よりもしやすくなったとアミッドは聞いていたがそれは根本的な治療がなされたわけではない。誤魔化しでしかないのだ。
「
「実際、あの子に
「誤魔化し・・・では、ベルさんはずっとあのままだと?」
「それはわからないわ。あの子の心は、結局のところあの子自身が決着をつけなくちゃいけないことなんだから。」
「決着・・・」
「ねぇ、アミッドちゃん?」
「?」
「復讐相手がすでにこの世にいない場合、その子はどうすればいいのかしら」
「・・・・・」
「モンスターなら簡単よね。討伐することをむしろ望まれているんだから。けれど、じゃあ、神様だった場合は?」
「っ」
「無理よ。できない。おまけにあの子は小さい頃にエレボス様の神威に少なからず
「それがベルさんの場合・・・『黒い神様』だと?」
「恐らくね。」
都市最高の
「?」
「あの子が懐いてるんですもの。信頼するわ。だから、もし・・・私達に何かあった時とか、あの子の身に何かあったときは、あの子の力になってあげて欲しいの」
「・・・・・お断りします」
アリーゼは微笑み、『あの子をお願い』などと言ってきたが、それをアミッドは即答ではないが断った。その言い方は、何より少年が嫌いなことだと【アストレア・ファミリア】ほど付き合いが長いわけでもないが理解してしまったから。
「その、『今後、私達は死ぬかもしれない、だからあの子をお願い』などと死を前提とした物言いをするのであればお受けできません。ええ、お断りします。冗談じゃありません」
「そ、それは・・・でも、私達は冒険者よ?今だって闇派閥と戦ってる。今後も無事だなんて保証はないのよ?」
「だからなんだと言うんです。貴方達がすべきことは、ベルさんといつもの様に食卓を囲み、笑いあうことではないのですか?私にこれ以上壊れたベルさんの面倒を見ろなどと・・・冗談にもほどがあります。」
「う・・・」
「だから・・・・」
「?」
「だから、ちゃんと生きてください。ベルさんのこと、好きなのでしょう?」
「・・・・あはは、言われちゃったなぁ。うん、わかった、わかったわ!私は死なないわ!」
「ええ、それでこそです。さ、そろそろベルさんの元に戻りましょう」
「そうね、あんまり1人にするとあの子、泣いちゃうもの。あ、それよりやっぱり一緒に水浴びしない?」
「お戯れを」
「えぇ~」
2人で少年の元に戻ろうとして、アミッドは忘れていたことを思い出して立止まる。アリーゼもまた振り返って立止まる。アミッドは相変わらず真面目な顔でアリーゼに言う。
「ベルさんのお義母様のお墓が・・・墓石がズレていたことがありました。」
「?」
「調べたほうがよいかと」
「・・・・そうね、わかったわ、調べてみる。ベルにそのことは?」
「伝えていません。ズレていることに気がついたのはベルさんですが・・・その時は『誰かが不注意でぶつけただけ』だと伝えました」
「そう・・・ありがとう」
後日、アルフィアの墓は遺骨どころか空っぽになっていることが発覚する。
■ ■ ■
ガリガリ、ガリガリ。
作業をしているならず者達を他所に、少年の隣に腰かけた全身ローブの男は『なんか良い感じの棒』を拾って土に落書きをしていく。それは、巨大な竜に、それを取り巻く6人の乙女。乙女達はみな目を瞑りながら両手を組んでおり、一見祈り子のようにも見える。
「古ーい文献なんかではさ、1000年以上も前の『古代』に辺境の地ではダンジョンから地上に進出したモンスターを鎮めるため、女子供を生贄に捧げる儀式があったらしいんだよね」
少年は、隣の男の顔を見るわけでもなく足元に広げられる絵画をぼんやりと見つめていた。
( 木の棒でよくこんな繊細に描けるなぁ )
「ああ、ちなみにこの竜の名前は、『ニーズホッグ』って言うんだってさ」
「バハムートとかは描けないんですか?」
「あー・・・あいつシリーズごとにデザイン違うからちょっと無理だねぇ」
「シリーズ?」
「ん?あ、いや、こっちの話。」
ガリガリ、ガリガリ。
「『
「詳しいんですか?」
「まぁ、俺、エンターテイナーだからさ。一応、目は通しているよ。それより、こんなところで悩み事かい?歳若い男の子がさ」
「悩みなんて、人それぞれ沢山ありますよ。ただ単に、自分はちゃんと満たされているのかって暗くなっていただけです」
「それはごもっとも。若いのにまた重たい悩みをしているんだねえ」
「別にたいした悩みじゃないです」
「だけどこんなお天気の下で悩みこむのは穏やかじゃないと俺は思うよ」
「・・・・ダンジョンに天気なんて関係ないですけど、はい、そうですね」
男は絵を描くのに飽きたのか、棒を放り投げて天井に広がる巨大な水晶群を見つめるように体の背筋を伸ばす。
「――待ち人かい?」
「どうでしょう」
「なんだい、わからないのかい?」
「待ってても、いないのはわかってますし。」
「へぇ、俺もちょっと人を待ってるんだよね」
「大事な人なんですか?」
「ある意味ではそうかもしれないね」
「大事じゃないときがあるんですか?」
「ふふ、そういうわけじゃないよ。ただ、俺も1人だけに目をかけているわけじゃないからさ」
どうやら、隣にいる男も待ち人をまっているらしく少年は隣の人物の顔を見ることもなく相変わらず足元の絵をぼんやりと見つめていた。
「その昔、オラリオをめちゃくちゃにした勢力があったんだ」
「?」
「それらを率いている神のことを『邪神』って言うんだけどさ、その連中にも色々いたんだよ。単純に退屈を嫌った神、秩序が大っ嫌いで混沌を謳っていた神、英雄のために必要悪になろうとした神・・・弁明もしようもない屑は勿論いたけど、みんなが思ってるほど愉快犯や快楽主義者ってわけじゃなかったのよ」
うすら笑うように男は、昔話をする。
それも神の話を。
何故そんな話をするのか、と首を傾げるも男は一人語りをやめはしなかった。
「神はそれぞれ司る事物ってのがあってね、『豊穣』『愛』『美』『正義』『医療』『炉』『死』・・・まぁいろいろさ。けれど事物があるからっていってその事物が同じ神同士が全員同じ性格か?と言われれば違う。下界に降りてきたことで天界時代の毒気が抜けて・・・って神ももちろんいるしね。で、1柱の『死』を司る神は天界じゃあ真面目なやつで通ってたんだ。」
「?」
「天に還る子供達の『魂』を管理して、漂白して、それで再び生まれ変わらせて・・・
「下界の住人の、『転生』を担っていたってことですか?」
「そ。どろどろになって還ってくる『魂』が、赤ん坊みたいに漂白されていく光景・・・その『死』の神様は好きだったんだ。けどその神様は思っちゃったんだ」
「『昔はよかった。どんどん子供達が死んで、オレも働けて』」
「・・・・・」
「でも今は違う。オラリオがモンスターを・・・ダンジョンを封じたから」
その神の言う『昔』が『古代』を指していることをベルはすぐに察した。
モンスターの地上進出によって多くのヒューマンと亜人が虐殺され、人類と怪物の因縁を決定付けた、繰り返してはならない恐怖と闘争の時代。
「地上を暴れまわるモンスターが・・・自分達の領分を越えてやってきた怪物の方が正しくないのはわかってるんだけどさぁ、うん、彼はあの
「良き時代・・・そんなこと、ない・・・!」
「けど今の下界は『生』が溢れすぎている。なまじ『
気分を不快にさせてくる隣の男に、苛立ちを隠せるはずもなく少年は思わず隣の男の顔を見ようとした。男は全身にローブを身に纏い、首から上は三つ首の犬の・・・『ケルベロス』の着ぐるみを被っていた。なんだこいつは・・・と思う間もなく、その男は、だから、これはオレの持論、と人差し指を立てて言った。
「子供達は、
ぞっっ、と。
少年は鳥肌を立てて震えだした。
自分が話している人物が何者なのかわからず、ただただ怖かった。
( 黒い神様を初めて見たときみたいな・・・震えが止まらない・・・ )
「彼は1人1人、丁寧に眷族達に契約したんだ。オレの神威に殉じて、見事オラリオが崩壊したら・・・俺が天界に戻った後、死に別れた大切な存在と、一緒に転生してあげるってね」
家族、友人、恋人、伴侶。大切な人々を失って悲しみに暮れる人々にとって、その神は言わば救いの神だったのだろう。そしてその神にとって彼等は『鴨』だった。死を司る神は甘い言葉で誘ったのだ。失った家族や恋人を、お前の『来世』ではすぐ近くに転生させてやると。
「転生したって、覚えてなかったら意味がないじゃないですか・・・!」
「それはオレの知ったことじゃないなぁ・・・」
少年は、その不気味な空気からこの男が神であることを察したが、呼吸は荒くなり取り押さえることも何もできない。恐怖が上回っていた。そしてその男はそんな恐怖に震える少年を撫で回すように着ぐるみの顔を近づけて言う。
「オレの待ち人はベル・クラネル。君だよ」
「・・・・・」
「君の願いを叶えてあげようと思ってさ」
「願い・・・?」
「そう、願い。オレにしか叶えてあげられない願いさ。特別だよ?君だから、叶えてあげるんだ」
この神は何を言ってるんだ?
やめて、何も言わないで、僕の心を引っ掻き回さないで。そんな心の悲鳴なぞ知らんとばかりに着ぐるみを被った神は両腕を開いた。
「―――お義母さんに会いたいんだろう? 会わせてあげるよ!!」
「!?」
「転生後の話じゃない。今の話さ!」
「今・・」
「ただし、条件がある」
神は両腕を下ろして今度は人差し指を口元で立てる。
「アストレアの元から去り、俺の元に来るんだ。そうすれば・・・会える。なぁに、立場が変わるだけさ、君もお義母さん達の場所に立ってお義母さんがしたことをするだけ。簡単だろう?」
それは誘い。
わかりきった誘いだ。
けれど、目の前の神は少年の心を引っ掻き回す。
義母が、アルフィアがしたことをするだけ。それは、つまり
( 僕が、オラリオの敵になる・・・・? )
「君、言ったそうじゃないか。『僕は悪でいい』って。じゃあ、君の立つべき場所はそこじゃあない。こっちだろう?」
さあ、手をとって。
そう言わんばかりに目の前の神は手を伸ばす。
荒くなる息で、少年は
「い・・・・いや・・・だぁっ・・・!」
手を掃った。
「僕は・・・お前達と一緒にはならない・・・!一緒に、するっなぁ!」
声にならない声で必死に叫ぶ。
周囲は木を打ちつける音で少年の声なぞ聞こえないのか見向きもしない。完全な2人だけの世界。
「そっかぁ・・・残念だぁ・・・」
目の前の神は、あっさりと、すんなりと、誘いを断った少年のことを諦めた。
だらり・・・と腕を下ろして、立ち去ろうとする。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・!ま・・・て・・・あ・・・なたは・・・・」
立ち去ろうとする神に、何者なのかを問いかけようとしたときその神は立止まりゴソゴソと着ぐるみの被り物を外して振り返る。女性のような長い髪。闇を凝縮したような風貌。醸し出す雰囲気は退廃的なそれ。超越存在であるが故に容姿端麗であるにもかかわらず、ここまで陰鬱な神を、『邪神』を目にしたことは少年にはなかった。
( 黒い神様と同じ・・・!? )
「ああ、オレ? オレは・・・・タナトス。君達が言うところの闇派閥の残り滓・・・それの主神をやってる。ああ、残念、本当に残念だよ。引き込む事ができれば、ヴァレッタちゃんの後釜に丁度良いと思ったんだけどなぁ・・・ほんと、残念。」
「何で・・・なんで、こんな・・・人の命を、奪うんですか・・・!?」
「おいおい、話、聞いてた? 『子供達は、
「そんな・・・・の、おかしい!」
「それこそ知ったことじゃないよ。」
「・・・・!」
「ふふふ、じゃあそうだなぁ・・・オレはもう帰るから、最後に一言。」
タナトスは不気味に笑い、今度は人差し指を天井の水晶群に向ける。
「オレが司るのは『死』。だからさ、『死』がより多くの命を望んじゃうのは、いけないことかな?」
それを言った後、タナトスは
神威を放った。
それと同じくして、少年は気を失って倒れこんだ。
その日、ダンジョンが哭いた。