兎は星乙女と共に   作:二ベル

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あれ、黒ゴラ出せんじゃねって思ったんです。ふと。


黒き巨人/追憶(ゴライアス・ノスタルジー)

夕暮れに照らされた、黄金に輝く麦の海が周囲一帯に広がっている。

大粒の実を宿す穂が涼しい風と一緒に、音を立てて揺れている。西の彼方に沈もうとしている日の光によって輝くその光景は、御伽噺に出てくる『天界』のようだった。

 

その中を歩く2つの影。

1人の少年と、1人の美女の姿。

 

手を繋いで歩き、どこかへと帰ろうとしている。

少年はまだ小さく、手を繋いでいながらもてこてこと歩いて横にいる美女の顔を見ていた。

 

美女は、灰色に長い髪をしていて瞼を常に閉じている。

けれども、目が覚めるような美女だった。

 

『お義母さん、瞼を閉じてて怪我しないの?』

『するわけがないだろう。』

『どうしていつも閉じてるんだっけ・・・』

『瞼を開けることですら疲れるからだ』

 

少年は、毎度ながら不思議に思うが彼女はどうも常にそうして生活しているらしく何不自由なく生活が可能だった。髪の色は少年と違い灰色で、彼女はそれを『薄汚い』と嫌っているようだが、少年はその色がとても好きだった。

 

見れば見るほど、美しい女性だった。

『絶世の美女』とはこの事を言うのかもしれない、と少年は祖父から聞いた『絶世の美女』などという言葉を横にいる彼女に当てはめていた。そんな女性と手を繋ぎ、2人きりで歩く。

 

 

「・・・・・」

 

そんな光景を、後ろから、少年が眺めていた。

 

 

ああ、これは夢だ。

懐かしい記憶、懐かしい光景。

だがしかし、悲しいかな。後ろから過去の自分を眺めていても、少年には隣にいる美女の顔がよく見えなかった。夕日に照らされてなのか逆光のせいなのか殆どシルエットしか見えなかった。

 

けれど、次に過去の自分に起こることは大体予想はついていた。

 

『ねぇ、おばさん』

 

ドゴォッッ!! と。

過去の自分(ベル)の頭から、やばい音が鳴った。

 

『殴るぞ?』

『もう殴ってます!』

「もう殴ってるよ・・・」

 

過去の、そして殴られてもいない現在のベルは2人して頭の天辺を押さえて泣き叫んだ。

瞬きとかそんな次元じゃない神速の拳は『殴られた』という結果だけを残す。

 

「結果。結果だけなんだ。過程なんてすっとばして、結果だけが僕の頭に残る。」

 

少年は夢だと理解していても、過去に叩きつけられた神速の福音拳骨(ゴスペル・パンチ)を受けた場所・・・頭の天辺を摩る。

 

防御、不可能。

回避、不可能。

知覚、不可能。

 

それほどまで彼女と幼児の生命としての格は隔絶していた。

 

「未だに信じられないよ、超短文詠唱より速いだなんて。」

 

『うぎぃぃ・・・』

 

目尻に涙を溜め、視界にいくつもの星を散らせ、雪の上を滑って転んで岩に激突した兎のように悶絶する。視界にうつるいくつもの星の中に、天秤を持った美女がいた気がしたが幼児(ベル)にはそれどころではなかった。そんな悶絶する幼児(ベル)を、彼女は見下ろしてくる。

 

『私を呼ぶ時はなんと言えと教えた? ん?』

『・・・・アルフィアお義母さん。』

『よろしい』

 

彼女は――アルフィアは幼児(ベル)の小さな手を握りなおした。けれど、すぐに肩を揺らす。

 

『お義母さん・・・血、出てきた』

『っ、すまない、加減を間違えた。ほら、回復薬(ポーション)だ』

『い、痛い・・・しみる・・・』

『泣くな、男だろう?』

『うぎぃ・・・』

『ほら、もう大丈夫だ』

『うん・・・手、握っていい?』

『ああ、もちろん』

 

彼女に手当てをされ、再び手を繋いで歩き出す。ゆっくりと。

そんな光景を、懐かしむように、手の届かない場所に手を伸ばすように少年は目を細めて眺め続けた。

 

『それで? 何を言いかけていた?』

『・・・もう殴らない?』

『話を聞く前からわかるものか。だが不快だったら殴る』

『こわい!』

『ならば叩く』

『それも きっと いたい! また血が出ちゃうよ!』

『お前の瞳みたいに憎たらしい赤だ。抉り取ってしまいたくなる』

『こわいよ!』

 

「どうしてお義母さんは僕の瞳の色が嫌いだったんだっけ・・・」

 

少年は本当の両親のことを、よく知らない。とくに母親については。聞こうとすれば、悲しい顔をするのを知っていたから、聞けなかった。

 

『やっぱり僕も瞼を閉じてたほうがいい?』

『やめろ』

『だって・・・』

『お前には私達と同じ『病』はなかった。それだけはお前の父に・・・私の妹を孕ませたゴミを評価してやってもいい。だから、私の真似事はやめろ』

『でも、お義母さんは僕の瞳・・・嫌いなんでしょ?』

『お前の瞳だけは、父親のものだ。その色を見るたび、無性にくり抜きたくなってしまう』

『やっぱり、ぼく、目、とじる』

『だから、やめろ。』

 

不穏な空気を醸し出したアルフィアにベルは怯え、やはり自分も今後は瞼を閉じて生きていこうと誓おうとするがアルフィアはそれを良しとは言わなかった。父のことを言おうとすれば殺気。母のことを言おうとすれば、悲しみ。ベルは知りたかったが、やはり難しそうだと思った。まぁ結果として少年はその後、アルフィアに隠れてこっそりと瞼を閉じて生活する練習をザルドに見守られながらしており2人を失った悲しみから余計に瞼を閉じて生活することになんら不自由さを感じさせないレベルになってしまうのだが。

 

『それより、どうしたんだ?』

『んと・・・ええっと・・・』

『痛みで記憶が飛んだか?』

『【えいゆう】って言うのは、本当にいるのかなって。』

『さぁ・・・どうだろうな。』

『僕にとってはお義母さんも叔父さんも【えいゆう】だよ?』

『そうか・・・・まぁ、英雄なんて碌なもんじゃない、あまり期待するな』

『どうして?』

『面倒極まりないからだ、色々と』

 

その色々を説明してはくれないが、きっと『戦争の道具』だとか『なにかと祭り上げられる』だとか、そういう意味の面倒なのだろうと少年はない頭で悟る。けれど、けれどしかしそれでも次にアルフィアが何と言うのかも知っている。

 

「それでも、世界は――」

『それでも、世界は英雄を欲している』

『?』

『神ではない私達は、永遠を得られない。不変ではない私達ではいずれ限界が来る。だが、それでも、世界には必要なんだ・・・この命も、きっとそのために・・・』

『僕はずっとお義母さん達と一緒にいたいよ』

『それは・・・約束できない。お前が願っても、ずっと一緒にいてやることはできない。』

 

アルフィアの話にずっと耳を傾けていたベルが、縋る思いでそう言うとアルフィアは淡々と答えた。

 

『お前が望まずとも、別れは必ず訪れる。』

「『それを・・・忘れるな』だっけ。」

 

アルフィアの咳の数が増えていることを、当時のベルは知っていたしその中に赤い血が混じっていることも知っていた。ザルドは時折気だるそうにしているし顔色を悪くしている時もあった。だから・・・

 

「だから、少しでも永く・・・一緒にいたかった」

 

別れのときは、自分がどう拒もうがやってくる。

もう既に失っているというのに、夢の中で義母の姿を見ては胸が張り裂けそうな思いでその『別れのとき』を拒もうとしてしまう。もう手遅れだと言うのに。

 

 

『私達はいずれお前の前からいなくなる。優しいお前はひどく悲しむだろうが・・・それは、私達でもどうしようもない。お前が大人になる頃まで見てやれる保証もない』

『・・・・・』

『しかし、嫁を見つけたら連れて来い』

『え』

『【嫁の作法】を叩き込んでやる』

『えっ』

『しかし、あのクソ爺のようにハーレムなぞ言うものならただではすまさん』

『でも、男の浪漫だってザルド叔父さんも言ってたよ?』

『よし、後で殺す』

 

自分の発言で、この後叔父と祖父が瓦礫の海で眠る事になるのだが・・・当時のベルではそれは知らぬことだった。まぁ、結果というか何と言うかどういう訳か現在の少年は、ハーレムができてしまっているわけでどうしてそうなったのかとアリーゼに聞いてみれば

 

『気がついたらみんな、貴方のこと好きになっちゃってたのよ。他にいい男もいなくて、話し合ってたら揉めるのが馬鹿馬鹿しくなって、じゃあハーレムでいいじゃない』

 

と話がついてしまったらしい。

 

「お義母さんに知られたら・・・殺されちゃうのかなぁ・・・それとも、アルテミス様みたいに『私にお前を悪く言う権利はない』とか言うのかな」

 

いや、ないない。とてもじゃないけれど、そんなことを言うようには思えなかった。

けれど悲しそうな顔をするような気はしたし、今更どうこう言われても自分では今の生活をなかったことにしたくはなかった。

 

『お義母さんは・・・僕に会ったこと、後悔してない?』

 

 

ふと、そんな言葉を漏らしてしまっていて、アルフィアは少しばかり沈黙。眉間に皺をよせてはいたが、それは怒りから来るものではなく、どちらかと言えば悲しみだ。次には普段目にすることがないような儚い表情をして口を開く。

 

『お前に会ったことに後悔など・・・あるはずがないだろう。』

『ほんと?』

『ああ。会わないほうがよかったのかもしれないと思わないわけではないが、それでもお前に会ったこと自体に後悔はない。本当だ。』

 

自分に会いにきた理由は、『魔が差したから』だという。

アルフィアもザルドも、『旅の途中』であり『岐路』で立止まっているだけだと言う。

その言葉の意味はわからなかったけれど、ベルとしては肉親に会えたことは嬉しいことだった。時折思い悩む2人に、『果たして自分に会った事は間違いだったのでは』などと思わないでもないが、2人は口をそろえて『お前に会ったことが間違いであるはずがない』と言ってくれる。だから、その言葉を疑うことはない。けれど

 

 

「けど、じゃあどうして間違いじゃないなら・・・」

 

 

自分を置いて、黒い神様を選んだのか。そう叫びたくなる。

結局2人は、岐路を選んでしまったのだろう。その答えが、2人が『最初からいなかった』かのように少年の前から姿を消したことなのだから。

 

ボロボロと幼い自分とアルフィアを見ながら、涙が瞼から溢れる。

置いていかれてしまった悲しみが、英雄譚から英雄そのものがぽっかりと消えてしまったような悲しみが、消えることなく少年の心を巣食う。

 

 

『お義母さんは僕のこと、すき?』

『・・・ふふ、小生意気な子供め。その歳で愛を囁くのか?』

『あい?』

『いや、なんでもない。そうだな、ああ・・・愛しているとも。お前はどうなんだ?』

『えっ?』

『なんだ、お前は私に聞いてきておいてお前は答えないのか?それは卑怯だろう?』

『こ、こたえる!答えられるよ!』

『ならばほら、言ってみろ』

 

 

どこか極東の姉に似たような物言いを感じるが、それでもからかう様にベルに問いかけてくる。目線を合わせるようにしゃがみ込んで。顔を赤くして、パクパクとしながらもベルはアルフィアの耳に口を近づけて、耳打ちをする。

 

『僕、お義母さんのこと―――』

「大好きだよ、勿論」

『ふふ、そうか。しかしお前は、耳打ちじゃないと言えないのか・・・残念な奴だな。』

『うぎっ』

『格好悪い男にだけはなってくれるなよ?』

『んー?・・・・じゃあ、えと、僕もお義母さん達みたいに・・・』

『私達みたいに?』

『――――なれるかな?』

 

最後に何を言ったのか、よく覚えてはいない。

アルフィアはぽかんとした顔をして、デコピンをして、『お前は平穏でいろ』などと言っていたが果たして、自分はあの時何を言ったのだろうか。

 

「予想はつくけど・・・僕には、きっと・・・」

 

前には進んでいるらしい。けれど、時折足が止まってしまう。ならばきっと、自分はどれほど前に進んでいるのだろうかと疑問に思う。前とは何だ、進んでいるとはどこへだ?疑問は尽きない。自分が目指す場所も、わからない。

 

瞼が開かれ、美しい双眸が幼児(ベル)を見つめていた。

微笑みとともに差し出される手に、幼児(ベル)は自分のものを重ねる。

再び手を繋いで、夕暮れの色に染まる帰り道を歩いていく。

それを後ろで眺めていた少年も手を伸ばす。届きもしないのに、アルフィアにもう一度手を取ってもらいたくて、握ってもらいたくて、手を伸ばす。その場所は自分の場所だ。自分が義母と手を繋いで歩きたいのに、一緒に少しでも永くいたいのに、どうして・・・と過去の自分に醜く嫉妬して、涙を流す。そんな少年に気がついたのか夢の住人のアルフィアは立止まり振り返った。

 

「!」

 

けれどやはりというか、顔は相変わらず見えなかった。

けれど、どこか悲しい雰囲気だけは漂っていたのはよくわかった。

やめて欲しい。そんな・・・見えないけれど、そんな顔をしないで欲しい。

後悔に満ちたような、悲しげな顔をしないで欲しいと願わずにはいられなかった。

振り返ったアルフィアは、ゆっくりと口を開いて声を漏らす。

 

『お前が・・・戦わずに済む世界を私は望む。』

 

それはもう遅い。

少年は既に、手にナイフを、槍を取ってしまっている。

冒険を犯してしまっている。

戦ってしまっている、だからもうその言葉は遅い。

 

『・・・・』

 

パクパクと、音もなく何かを呟いたアルフィアの顔がそこでようやく見えた。

悲しみに、後悔に満ちた顔を。

まるで自分の顔を見てるようで、ベルは酷くいやだった。

唇の動きは、きっと、こう言っているのだろう。

 

『すまない』

 

と。

 

「だったら・・・そんな顔をするくらいなら・・・!」

 

涙は溢れ、痛む胸を握り締めて手に届かないアルフィアに手を伸ばして叫びあがる。

アルフィアはベルの手を取ることもなく再び幼児(ベル)の手を握り、歩いていく。もうベルに振り向いてはくれず、また、置いていかれる。

 

「そんな顔をするくらいなら、どうして・・・どうして置いて行ったんだ!! 僕はただ、一緒にいてくれればそれでよかったのに!!」

 

悲しみが溢れて仕方がない。

アルフィアは、義母は最後の決断を、岐路に立って『少年』か『世界の踏み台』になるかのどちらかについて選んだのだ。『世界の踏み台』になることを。そして、黒い神様(エレボス)について行ってしまった。少年からすれば2人の想いなど知らず、『なかったこと』のように痕跡を消していなくなったことも、自分ではなくよくわからない黒い神様(エレボス)を選んだことがより一層悲しいことだった。

 

ぽつん、と夕日に照らされる麦畑の中で立ち尽くす少年は、ただ涙を流し、地面を濡らす。

 

 

 

夢が、覚める。

そこには、心配そうに自分を見下ろして頭を撫で、瞼から流れる涙を掬い取る聖女と英雄(アリーゼ)の姿があった。

 

ダンジョンが、哭いていた。

少年も、泣いていた。

 

■ ■ ■

 

 

冒険者達が、空を見上げて唖然と呟いた。

 

「・・・おい。なんだ、あれ」

 

天井一面に生え渡り、18階層を照らす多数の水晶。その内の太陽の役割を果たす、中央部の白水晶の中で。巨大な何かが蠢いていた。

 

まるで万華鏡を覗いているかのように、巨大な影が水晶内を反射し黒い鏡像――薄気味悪い模様を彩る。あの水晶の奥にいる何かが階層を照らす光を犯し、周囲へ影を落としているのだ。異常事態で被害を受けたリヴィラの街の後始末をしていた冒険者達が手を止め天井を仰ぎ固まっていると、そこへ一際大きな震動が起こる。18階層全体を震わす威力に、誰もが周囲にある幹へ、掴まれる物へ手を伸ばし転倒するのを堪えた。

 

そして―――バキリッ、と。

走った。

未だ巨大な何かが蠢く白水晶に、深く歪な線が。

 

「亀裂・・・!?モンスター!?」

「ありえねえ、ここは安全階層(セーフティポイント)だぞ!?」

 

生じた亀裂から水晶の破片がきらめきながら、儚く落下していく。

冒険者達が悲鳴を上げるように叫ぶと、亀裂は更に広がり青水晶のもとまで及んだ。

黒い何かは水晶の内部をかき分けるように、その身を徐々に大きくしていく。

 

「まさか・・・ベルに接触して、神威を放ったの・・・?」

 

倒れているベルを偶然見つけたリヴィラの住人から受け取りベルの様子を見ていたアリーゼは天井を見上げて呟いた。思い浮かぶのは、大抗争の時の『神獣の触手(デルピュネ)』。けれど、今生まれようとしているそれはそれとは違うが似たようなものだと察してしまった。眼下のものを上から押しつぶすような巨大な亀裂音が放たれ、アリーゼは双眸を見開いた。

 

「ベルさん、ベルさん! 聞こえますか!?」

「・・・・アミッド・・・さん?」

「ベル、何が起きたの? 何をされたの!?」

「・・・・・お義母さんに、会わせてあげるからおいでって・・・」

 

階層内にいるモンスターの遠吠えもまた、四方から重なり合いながら木霊してくる。

その中でぼんやりとする頭で少年はぽつり、ぽつり、と自分の身に起きたことを話す。

それを聞いた2人は、つい先ほど自分達が話していた少年について、そして『墓石のズレ』についていやな予感がしてゾッとした。アリーゼは更に、『冒険者の怪物化』というアーディの一件をふと思い出して鳥肌を立てた。

 

( もう既に遺体は、肉なんて腐ってるはずよ!? まさか骨とかだけで・・・!? )

 

「っ!ベル、立てる? アスフィたちと合流するわ!」

 

少年の上体を起こして頬をぺちぺちと叩く。

少年は頭を横にふって、こくり、と頷いてアミッドに支えられながら何とか立ち上がった。

それに同調するように、南端の方角から何かが崩落するような、激しい岩のさざめきが響いてくる。南の方角を振り返ったアミッドは瞳を見張り、息を呑んだ。

 

「塞がった・・・洞窟(にげみち)が・・・これでは、逃げられない・・・!」

 

止まらない亀裂。降りしきる水晶の雨。

開花した菊の花を彷彿させるクリスタルの中央から、それは音を立てて顔を出す。

アリーゼはその光景を見て、苦虫を噛み潰すように睨み付けた。

 

「勘弁してよ・・・!」

 

 

水晶を突き破ったそのモンスターは、まず頭部から姿を晒した。

まるで18階層の天井から生首が生えたように現れ、ぎょろり、とその巨大な眼球を動かし、転地逆転している眼下を睥睨する。すぐに肩と腕も出現させたモンスターは、上半身を半ばまで剥き出しにしたところで、その口を開いた。

 

『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

階層全体をわななかせる凄烈な産声を上げ、巨人のモンスター『ゴライアス』は、17階層という定められた領域を飛び越え、この安全階層(セーフティポイント)に産まれ落ちた。

ゴライアスは水晶を割りながら腰まで姿を現すと、後は重力に従うように天井から落下した。

黒い隕石のように、輝く細かな水晶の破片、あるいは人を容易に呑み込むほどの大塊を周囲に引き連れて、地面に向かって墜落する。巨人は空中で一回転し、次いで爆音とともに、直下にあった中央樹をその二本の大足で踏み潰した。

 

全ての者の耳を聾する巨大樹の悲鳴。

根もとの樹洞は完璧に押しつぶされ、むしろ樹そのものが半分まで地中に埋まり、太い幹もひしゃげる。更にその後を追って、結晶の雨が潰れ果てた中央樹付近の大草原に突き刺さっていく。

 

青空はすでに消え、ゴライアスが突き破ってきたことで白水晶――光を恵んでいた筈のクリスタルが完全粉砕され、階層からは明るさが消えうせている。罅割れた青水晶だけが天井に残された18階層は、一転して、まるで月夜の晩のような蒼然とした薄暗さに包まれた。

 

やがて、異常事態(イレギュラー)の塊、階層中心地に君臨した『迷宮の孤王(モンスターレックス)はゆっくりと顔を上げ、潰れた大樹から飛び降りる。

 

それを、誰もが唖然と見上げていた。

 

『――-ォオオオオオオオオオオオオオオオオアアアッッ!!』

 

「黒い・・・ゴライアス・・・アリーゼさん、これ・・・」

「ベルのせいじゃない!ベルのせいじゃないわ!」

 

ベル達が先ほど戦った17階層の固体よりも、遠目から見ても遥かに動きが機敏で、力は強く、ゴライアスは近くにいた冒険者達に蹂躙を働いた。


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