「聞こえますか? 貴方達を追い込む、破滅の足音が」
迷宮に響く幾つもの足音。
まるで軍靴のごとき音の連なりは、茫然自失とするやせ細った男――バルカの耳朶を盛んに揺らしていた。目の前にいる青い髪の女――アスフィの仲間が複数の『
バルカは動かない。動けない。
一気に行われた作戦の展開に、もはやここから対応などできない。
終わりの時を数えるように、ぽたぽた、と押さえられた首から赤い滴がこぼれ、石畳に血溜まりを作っていく。
数分前。
第六感の警鐘に従い、上半身を反ったそのとき、バルカの首筋に鋭い風切り音とともに一線が走り、勢い良く血が吹きだした。紅の瞳を見開くバルカの正面、台座のもとに現れるは『黒兜』を左手に持つ美女。たなびく白のマント、水色の髪、銀の眼鏡。アスフィ・アル・アンドロメダその人である。
「バルカ・ペルディクスですね。神イケロスの情報にあった、ディックス・ペルディクスの異父兄弟にして、ダイダロスの末裔・・・私達の仲間を奪った、闇派閥の幹部」
彼女の後に続くように『
「あの子が我々を助けてくれたとはいえ・・・あの子が来る前に死亡した者もいれば、手足のどれか、もしくは視覚を失った者・・・少なからず犠牲になった者はいます。仲間の仇・・・取らせてもらいます」
「・・・・どうやってここまで・・・あの白髪の冒険者であればいずれは・・・だが・・・」
「あの子に頼りきりなのもおかしな話でしょう。簡単なことです、『人』を捕まえて聞きました。」
背後にいた
「・・・私と、タナトスを探し出すために・・・?」
「あとは、貴方の持つ『手記』ですね」
「!」
「ディックス・ペルディクスの遺体からも『手記』は入手していましたが、あれには『
ディックスが独自にギミックを追加していたのであれば、可能性としてバルカも似たような、あるいは別のギミックを記している可能性は十分にあった。だからこその『手記』の奪取。さらには組織の中心人物の拿捕。これを押さえて初めてフィン・ディムナが思い描く『短気決戦』が実現する。
「『鍵』はどうした・・・? 」
アスフィはそんな質問に、銀の眼鏡を指で押し上げて血濡れのダイダロスの末裔に、端的に告げた。
「さすがにあの子のようにバカスカ
「――――」
広間に響く声。
時を止めるバルカは、その言葉の意味が最初、理解できなかった。
「作戦決行まで、私達は何もしてこなかったわけではありません。【勇者】に『鍵』の実物を見せてもらい、それと共鳴する
取り出されるのは
「・・・・・まぁ、いろいろと騒動やらで時間はかかったせいで1つが限界でしたが、十分でしょう」
そうして横目で隣に立つ、犬人のルルネに情報を拡散させ現在へと至る。
広間へと繋がる通路の1つから、【ロキ・ファミリア】の冒険者達が姿を現した。
ティオナやティオネ、【ディアンケヒト・ファミリア】のアミッド達
やがてだらりと下げられる両手。
白い前髪に隠れていた瞳が、紛れもない諦観に染まる。
「・・・ここが、私の『終焉』か。・・・・しかしタナトス、
「?」
ブツブツと呟き、流れ出る血を放置しながら、腰に手をやり、隠し持っていた短剣―――『
「!?」
その呪剣を己の体に突き刺した。
驚愕に染まる冒険者達をよそに、腰から更なる『
腹部、肩、脚、腕。急所こそ避けているものの、もはや致命傷であることは明白だった。いくつもの『
「私達の負けだ・・・闇派閥はここで潰えるだろう。」
血まみれとなったバルカは、死が迫ってなお感情のない声を紡いだ。
その不気味な姿に冒険者達が思わず気圧される中、息も絶え絶えの男は、『D』の文字が刻まれた左眼を見開き1人の少年を見やった。
「だが――
次の瞬間。
ベルトに吊り下げられていた袋から取り出されたのは、緑色の宝玉だった。
「なっ・・・『宝玉の胎児』!?」
それは『穢れた精霊』の『種』というべき存在。モンスターに寄生することで強大な『女体型』と化し、さらに成長を重ねることで『
「既に『六つの種』は解き放たれている。これは
血を吐きながら、まるで運命を語るようにバルカはただただ1人の少年を見据えた。長い時間をかけて作り上げた迷宮をたった1人で破壊して回った少年を。
「我等が大願は潰えん。我等が執念は途切れん。始祖が夢見た混沌を必ずや完成させるため、1人でも多く道連れにしてみせよう!・・・お前とて同じだ。【静寂】の子よ!」
それは、バルカという人間の生涯最後の叫喚だった。
物心の付いたことのない、自覚と無自覚の境界をさまよい続けていた男は、この時初めて自我を確立させ、今度こそ確たる産声を上げたのだ。
「お前の『母』が待っているぞ! 必ずや迎えにくるだろう! だがしかし私とてこの迷宮を傷物にされたのだ! ただで済ませるわけにはいかん!!」
「・・・・何を、言って・・・?」
そしてそれは、一族の『呪い』に殉ずる覚悟に直結する。
少年の疑問など無視して、バルカは手に掲げる『宝玉』を、一思いに己が胸へと押し付けた。
「ぐっ、げっっ――-がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
『――アアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
二重に響く男と胎児の叫喚。
怪物ではなく、人間との『融合』。
『宝玉の胎児』の寄生先はモンスターにとどまらない。その前例を身をもって、少年は知ってしまっている。そして、その可能性をこの場にいる冒険者達もまた知っている。知己の女を化物に変えた事例があるのだから。
融合した胸から広がる葉脈状の管。男の全身に張り巡らせる胎児の触手が、仮借なく肉を貪り、蹂躙して、変容を開始する。
男の右腕が醜悪なまでに肥大化し、左腕が鞭の様に伸長して人の形を失い、両脚が腐り落ちて、ナメクジのごとき腹足と化す。
「か、輝夜さん・・・・!!」
「落ち着け! 私達から離れるな!」
耳を押さえて姉に助けを求めるようにする少年を自分の元に引き寄せる輝夜。少年はこの時点で
「音が大きすぎて・・・何も感じ取れないっ!!」
人工迷宮が金属でできているのであれば、音はきっと響くことだろう。
そして今、目の前で叫び変容する二重に響く叫喚によって波長を感じ取って敵、味方の位置、隠れた空間を探し出すというスキルは完全にジャミングされてしまっていた。
・人が多い街中では波長が多すぎて意味がない。
・音の響く空間で大きな音が鳴れば、同じく感じ取れなくなる。
それがスキルの欠点。
今までにここまでのことは経験していない、自ら化物に変わる人間など知らない、不気味で怖い、故に少年は動揺する。
呪詛にまみれた男の体液を吸い上げるように、葉脈状の管はドス黒く染まり、この時ばかりは『胎児』も悲鳴を上げたが、絶えず波打つ漆黒の血管と化すと、胸部に取り付く宝玉まで闇の色に染まる。肉をかき混ぜるような、骨を砕くような、おぞましい音を立てて、恐ろしい速度で作り変えられていくバルカの肉体。『神秘』のアビリティ持ち――上級冒険者に匹敵する肉体を媒介に、巨大な存在がここに産まれ落ちる。
蒼白となる【ロキ・ファミリア】と【ヘルメス・ファミリア】、そして【アストレア・ファミリア】の団員達。アマゾネスの双子は嫌悪感に呻き、小人族の勇者は双眼を細め、万能者は唇を引きつらせ、大和撫子は頭を押さえる少年を抱き寄せ汗を滲ませる。そして聖女は、その『生命の冒涜』に、手が白くなるまで杖を握り締めた。
「ぉごぉ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ・・・・が、ぁ、ぁ・・・・ぁぁぁぁぁ・・・!!」
やがて侵食は脳に達し、男の顔も怪物のそれに成り果てる。
右眼が裏返り、血の涙を流しながら変貌していく最中、『D』が刻まれた左眼だけは執念のごとく原型をとどめた。紅の左眼がぎょろぎょろと蠢動し、立ち尽くす敵を睥睨する。
バルカ・ペルディクスという自我が溶け落ちる寸前、ソレは最期の意志を遺した。
「ごコでッ、死ネッ・・・・冒険者ァァァァァァァァァァ!!」
これを持って、
■ ■ ■
「総員、構えろ!!」
「ベル、今は目の前の化物を始末することだけを考えろ! そこにお前の
雷よりも鋭い号令が広間を走り抜ける。
生物の本能が訴える怯えに支配されていた団員達は、そのフィンの大音声を聞いて、少年は輝夜に叱咤され、はっと四肢を揺り動かす。【勇者】の勇気に触れ、恐怖を殺し、『怪物』に武器を向けた。
『ゴォォォォォォォォッッ!!』
人の言語を失った怪物の叫喚が冒険者の肌を震わせる。
バルカ・ペルディクスだった存在はもはや完璧なモンスターと化していた。
生理的嫌悪しか感じさせない部位の中で、理性を失った左眼だけが『D』の記号を爛々と輝かせ、白濁色の全身には漆黒の血管が隅々まで走り、不気味なコントラストを描いており、体高は優に5Mを越え、大型級に匹敵する。
命名『バルカの怪物』。
「気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪ーい!!
「私の刀も、こんなものを斬ってしまうことになろうとは・・・さすがに困りますねぇ」
「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! それじゃあ直接拳にでも叩き込むつもり!?」
「それもやだ~~~~!?」
「ベル! 『
「フィンさん・・・はい!」
【勇者】に魔法を指示され、詠唱に入る少年。
間もなく、『バルカの怪物』はぴたりと一度静止したかと思うと、一挙に動いた。
「来るぞ!」
ライラの警告と入れ替わるように左腕の攻撃を放つ。
大上段から振り下ろされる、黒い血管を纏う白の触手。
広間の中央を縦断する一撃に、【ロキ】【ヘルメス】【アストレア】の3つのファミリアが一斉に左右に割れ、広間に上下の震動が発生する中、すかさず前衛組が斬りかかる。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
男の声帯をもとにした叫び声を上げ、『バルカの怪物』は肥大化した右腕を団員達へと振り下ろした。
「―――【
そこで少年の魔法が展開される。
「来た!」
「いいかお前ら! 傷を負わない、呪詛も効かない、だからって無敵になったわけじゃねえ!! 痛みは発生するんだ! 舐めてるとやられるぞ!!」
少年の魔法でダメージを負わないとはいえ、痛み自体は発生する。下手に押しつぶされでもしたら生き地獄を味わう羽目になる。それをライラが大声で忠告する。前衛を【ロキ・ファミリア】と【アストレア・ファミリア】に任せ、【ヘルメス・ファミリア】は支援に徹する。怪物の触手に虎人とエルフの団員が弾かれる中、アスフィが三つの
「動きは鈍い!! 【大切断】、かち上げろ! ベル!私達が斬りこんだ後、アレをブチ込め!!」
「わかった!」
腹足と化した敵の脚部にまともな機動力はないと見抜き、まずはティオナが先行。
接敵と同時に振り下ろされた敵右腕に、大双刃を叩き付ける。
しかし、凄まじい鈍重音とともに勢いを乗せた突撃が止められる。手に伝わる剛力に一度目を剥いたティオナは、しかし、すぐに笑った。
「【閃光ヨ駆ケ抜ケヨ闇ヲ切リ裂ケ――】」
「ガレスの方が強いっっ、もんねぇぇぇ!!」
腰をひねる動きとともに、注文どおりかち上げる。
巨大な右腕を頭上に打ち上げられ、
「去ね」
「くだばれっ!」
「【代行者タル我ガナ名ハ
3人の連携で切り伏せ、少年の隠し玉ともいえる精霊の魔法をもって瞬殺せんとした4人だったが、
「!!」
親指の『疼き』を感じたフィンが、何より早く叫んだ。
「4人とも、離れろ!」
「「「!?」」」
「―――【ライド・バースト】!!」
「【代行者タル我ガナ名ハアルフィア才禍化身才禍
まさかのフィンの指示に耳を疑う3人だったが、経験則から1も2もなく従う。
ただ魔法の詠唱を完了させてしまった少年は、フィンの声と重なるように放ってしまう。
そして、少年の魔法に合わせるように、少なくとも冒険者の中にはいないであろう女らしき声が聞こえ―――
「おいおい・・・勘弁してくれよ・・・」
「まったくだ・・・魔法を無効化する魔法なんて・・・」
光の奔流とも言える精霊の魔法、少年の隠し玉でとっておきが『バルカの怪物』を消滅させるでもなくかき消された。
『