『
37階層はそう呼ばれている。
不気味な白濁色の壁面に、既存階層と比べものにならない巨大な迷宮構造。例外は存在するものの通路や広間は大きく、ほとんどの
「あああああああっ!」
『シャアアアアアアアッ!』
階層中心に存在する次層への階段を玉座とするかのように、『城壁』というべき巨大な円壁が都合5つ囲んでいる。他の階層には見られない迷宮構造で、冒険者達はこの
初進出に加え、現在地がどこなのかも分からないという『過酷』に満ちた迷宮を。
『シャアアアアアッ!!』
「ぐっ・・・【
青い鱗に包まれた屈強な腕が、剣を閃かせる。
数本持っていかれる白髪の毛先、肌から飛び散る冷や汗、間一髪で回避した少年に強力な斬撃を浴びせてきた蜥蜴の戦士は威圧の声を轟かせ、少年の魔法によって吹き飛ばされる。
「リドさんだったら・・・良かったのに・・・!」
【リザードマン・エリート】
その名の通り、『大樹の迷宮』に出現する『リザードマン』の上位種で、その能力は桁違いとなっている。赤から青に変わった鱗は鎧のように固く、攻守にわたって隙がない。その両手が使いこなすのは、
いつか出会った異端児のリザードマンの姿を、吹き飛ばしたリザードマン・エリートに被せて愚痴を零す。
「リドさん? お知り合いですか?」
「え、と・・・はい。」
「・・・言い淀みましたね、わけありですか。」
「ごめん、なさい」
自分の背後に立つ少女に異端児のことを説明する余裕などなく、言い淀む。少女はそれに気にしていませんよ、と笑みを零して少年を安心させようとする。
『グルオッ!』
『シャャアアアッ!』
「アミッドさん、槍をください!」
「・・・どうぞっ」
少女から槍を受け取り、襲ってくるモンスターの急所を的確に突く。
戦場は正方形の
【
「はっ、はっ、はっ・・・!」
「ベルさん、治療しましょう・・・あそこに丁度
「駄目・・・まだ、来るっ」
「・・・・っ!」
少年と少女は、詰んでいた。
遺体から回収した地図も、作成途中の物で既に何度も行き止まりにぶつかっている。どこに進めば上層に行けるのかも分からず、ただただ彷徨っていた。比較的安全な道を進んでいるにも関わらず、息つく暇もなくモンスターと遭遇する。
通路の奥から響いてくる多数の足音。恐らくは先ほどの少年の音を聞き取りやってきているのだろう。その足音を耳にして、唇を噛み締める少年は意識を戦闘から逃走へ切り替え少女を抱きかかえて走り出す。
「ベ、ベルさん・・・!」
「・・・・っ!」
流れ落ちる汗を抱きかかえられている少女が拭い、2人は目を歪める。
冒険者の遺体から拾っていた長剣とダガーをアミッドが追って来るモンスターに何とか距離を開けようと投げつける。
『グギャァッ!?』
「―――お見事」
「ど、どうも・・・」
モンスターを上手くやり過ごす事ができていたのは、遺体が眠る
広大な領域を誇る37階層はモンスターの総数――出現する絶対数も群を抜いており、
『オオオオオオオッ!』
『!』
「くっ・・・ベルさん、来ます!」
「―――【
リザードマン・エリートが、
「【聖火を灯し天秤よ、彼の者に救いを与えよ】――【
少年の魔法がモンスターを呼ぶ。
逃げても追って来る。
少女が地図を見ながら必死にルートを示す。
少年が振り返り、モンスターの群を見て
「【
(冗談じゃない・・・これが『深層』の
既に交戦回数は10を超えている。現れたモンスターは
■ ■ ■
「【
「【ディア・フラーテル】」
「はぁ、はぁ・・・・」
「少し、休みましょう・・・今のうちに、
「は、い・・・でも、アミッドさん
「経験は・・・ありませんが、通った道くらいはおおよそ覚えています。貴方にばかり負担をかけてしまっているんです、させてください」
槍を抱くようにして傷つけた壁に座り込む少年は、魔法を使用した上でも警戒を解かない。少女の魔法による治療によって傷は修復されるも、積もった疲労は消えていない。少年を休憩させている間に、少女は自分たちが通ってきた道を線引きして地図にしていく。それは決して、
「私も・・・」
「?」
「私も、戦い方を覚えるべきでしょうか・・・」
「・・・・」
「剣を取り、このような異常事態に対処できるように・・・」
「・・・やめてください」
疲れからか、かすれた声でそう言う少年に少女は振り返る。
少年よりも年上の少女は、経験したことも無い恐怖と年下の少年に全てを背負わせているという負い目に表情を変えないまでも体は震えきっていた。少年がいなければとうのとっくにモンスター達に辱められて死んでいた。それどころか、彼が飛び込んできてくれなければ自分はあの絶望に寸断されていたことだろう。命を助けてもらったのに、今こうして、自分の無力に打ちひしがれ体をボロボロにしていく少年に少女は泣きたい気持ちが湧いていた。
「アミッドさんは・・・
貴方の戦場は、怪我人のいる場所だ。
そう言う少年の表情は前髪でよく見えなかった。
荒れていた呼吸は漸く落ち着きを取り戻し、歪んでしまった右腕を左手で撫でる。この状況下で、少女を励まそうとしている隣に座る少年に少女はそっと右手を握った。
少年もまた、震えていた。
心細さや、不安感。
そして、義母の姿をした怪物という存在にいつ遭遇するか分からないという恐怖に。それを無理やり押さえ込んでずっと戦っている。
「
「・・・・」
「申し訳ありません、貴方にばかり・・・負担をかけて」
「・・・・」
返ってくる言葉はない。
こてん、と少女の肩に頭を置くようにして少年は意識を手放していた。
(脈はある・・・魔法の効果時間からして、5分眠るくらいは大丈夫でしょう・・・せめて・・・)
せめて、この小さな少年に。
夢の中だけでも、平穏を。
ぎゅっと握り返された手の温もりを少女だけが、独占する。
静かな薄闇が広がる2人だけの
少年の抱えている傷を本当の意味で理解した少女は、眠る少年を邪魔しない。
「私も・・・少しだけ・・・」