旧・兎は星乙女と共に   作:二ベル

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偽迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)
プロローグ


 

 

 

『光冠』を見た。

宙に浮かぶ光の輪を。

幾多の光の欠片が織りなす、天に続く白の階段を。

それはいつか彼女と結んだ約束の景色だ。

つまり、それは『幻想』なのだ。

 

潰えて消えた筈の意識が瞳に映した、脆く、儚い、最後の錯覚。

けれどとても綺麗な夢想の破片。

例えまやかしだとしても、きっといかなるものよりも美しい光景だと、確信することができた。

彼女の故郷に宿るという、『妖精の輪』。

 

最期の時だ、懺悔しよう。

『深層』に落とされた哀れな友人。

彼に贈る懺悔とは。

それすなわち―――。

 

穢れた精霊(かのじょ)』を真に人の形へと至ったのは。

その体に私の体が使われていたということを。

蜥蜴(トカゲ)の尻尾のように切り落としたこの私の穢れた体さえ利用されて生み出された怪物は、私からしてもおぞましく美しいものだと思えた。その後どうなったのか私は知らないが、君は殺しても死なないような奴だからきっと大丈夫だろう。何せ遠くから鐘の音が聞こえるし、この冷たい牢獄のような迷宮の天井に穴をあけてくれたのだから。

 

すまない、と思う。

申し訳ない、と思う。

私の正体に、恐らくは誰よりも早く違和感を感じていただろう君に。

それでもなお、『人』として扱ってくれた君に。

最大限の謝罪を。

そして、最大級の感謝を。

 

私が人ならざる者であることを、彼女に告げずにいてくれたことに心からの感謝を。

きっと彼女は君が教えずとも気づくだろう。

でなければ今、私が見ている光景はあり得ないのだから。

 

『別れはちゃんと告げておかないと、辛いですよ』

 

ああ、その通りだ。

 

『黙っていなくなるのは、卑怯だ』

 

ああ、至極その通りなのだろう。

君の言葉はひどく説得力に満ちていて否定する気にはなれない。

だが安心してほしい。

 

私は、ちゃんと別れを告げたんだよ。

 

 

悲しみの声を聞いた。

決して鳴り止むことのない慟哭を。

天にまで昇る後悔と悲痛の叫びを。

それは魂の痛哭だった。

彼女を泣かせてしまったことが、たまらなく悲しい。

彼女を傷付けたことが、たまらなく辛い。

私がどんなに願ってもその涙が止まることはない。刻まれた傷はきっと癒えぬまま。彼女はそれをずっと背負って生きていくのだろう。

 

まだ伝えたいことが沢山あった。

厚かましくももっと知ってほしいことが沢山あった。

 

ああ、クラネル。

別れを告げても、結局のところ、辛いな。

別離とは、こうも辛いものなのだな。

お前は『気づいたらいなくなっていた』と言っていたが、実のところ、どっちが辛いのだろうな。私にはてんでわからないよ。

 

彼女に話しかけてやりたくとも喉を震わせることはできない。

もう二度と、歌が紡がれることはない。

体は消え、塵となり、想いは行き場を失う。

泣かないで。

歩き出して。

霧散していく数々の想いの中で、どうか自分のことは忘れて、そう願えないのは私の弱さだ。これをきっと『未練』と言うのだろう。

 

多くを殺した。

多くを裏切った。

生きる理由さえも見失って。

信じた神がまったくもって善良ではないと思い知らされて。

殺して殺して殺して殺した。

他人も。

自分さえも。

穢れた私をそれでも傍においてくれた神を私はきっと愛していたのだろう。

穢れた私をそれでも受け入れてくれた神を私はきっと信じていたのだろう。

決して。

決して、彼が命じた悉くが。

人の所業ではないとしても。

それこそが神の所業なのだ。

だって見てくれ、私の片割れは私を捨てて行ってしまった。

心身ともに半分半分だ。

半端モノとはこのことなのだろう。

中途半端とは私のことなのだろう。

 

どこかで鐘の音が聞こえる。

嵐の中でさえ船乗りに居場所を知らせてくれる灯台の輝きが見えるようで。

門出を祝う祝福のように、鐘は迷宮の中を鳴り響く。

半端に浄化された私の『心』。

二度受けてしまった浄化ではあるが。

あの時感じた苦しみは。

全身を焼く業火のような痛みはきっと、私が負った罪そのものなのだろう。

 

もう戻れはしない。

楽しくはあった。

同胞の友人に、人間の友人。

共に旅をした思い出が今は遠い理想のようで美しい。

すまない、ありがとうを何度も心の中で繰り返す。

 

私はそう。

後戻りできないことをしてきた。

ようやく、ようやく私は私を終えられるのだ。

 

だからどうか、また彼女が笑えるように―――。

 

 

 

 

止まらない雨を見た。

それは残酷なほどに美しく、清らかで、この世の何よりもと尊いものだと確信できた。

止まらない雨が、きらめく涙の雨が歌となって私の心を揺り動かす。

理から外れた残滓が間もなく消える。

遠ざかる景色。

感じられなくなっていく彼女の存在。

汚れた心と体でさえ漂白の狭間に閉じ込められ、きっと全てを忘れていく。

だから。

だからこそ。

その『光冠』に、最後に願った。

 

もし『奇跡』があるのなら。

けれどその『奇跡』は叶わない。

『贖罪』の機会さえ得られずに。

全てが消え失せることに身をゆだねて。

 

 

 

 

 

 

 

私は再び、目覚め。

気だるげに、体を起こして欠伸をしていた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

蒼然とした夜空に見下ろされている。

深い藍色は海のようであり、静かに燃える青い炎のようですらあった。

浮かぶのは宝石のように輝く星々に、昂然たる月の光。

雲一つない澄んだ空だ。

頭上を見上げていた冒険者達はそう思った。

今、都市が滅びようとしているなど信じられないくらい、凪のように穏やかで、燃え尽きる星のように熱を孕んだ、美しい矛盾の空だと。

 

「アリーゼ、そのナイフ・・・貴方が使うのですか?」

 

「ええ、付与魔法(エンチャント)とはいえ集束でいえば私も似たようなことができるから・・・まあさすがにベルみたいなことはできないけど」

 

「あいつは来ると思いますか? 団長様?」

 

「来るんじゃない? 勿論私達で全部終わらせて、あの子におかえりって言ってあげたいけど・・・あの子、深層から帰ってきてちょっと心境の変化というか、ちょこっと強い目をするようになったし」

 

「泣き兎なところは変わってねえだろ?」

 

「確かに!」

 

でもそれがいい、と口々に言い合う『正義』の翼を背負った乙女達はアリーゼの腰に携えられている鏡のような刀身のナイフを見つめながら、1人の少年の顔を思い描いていた。敵にとって脅威となりうる少年を死亡者扱いにするという作戦ではあるもののこの作戦に効果があるのかは不明だ。敵は神である以上、『嘘』は通用しない。ただ地上に顔を出していないからこそできる苦し紛れの作戦だった。真相を知っている自分達では『嘘』だとバレてしまうが、何も知らない民衆にとっては『ベル・クラネルの死亡』は真実足りうる。それを狙って敵にはもう自分の脅威となるのは、少年以外の冒険者なのだと思わせるのだ。

 

空から地上に目を戻せば、そこには数えきれない冒険者がいた。

【ガネーシャ・ファミリア】、【ヘファイストス・ファミリア】、【ディアンケヒト・ファミリア】、【ロキ・ファミリア】。そして【アストレア・ファミリア】。名だたる冒険者や鍛冶師、治療師達が、この広場――『ダイダロス通り』の中央地帯に集結していた。

 

「そういえば聞いた? 【戦場の聖女(デア・セイント)】ランクアップしたって」

 

「深層から帰還したのですから、していてもおかしくはないでしょう?」

 

「彼女にはベルが生きていると伝えておいても良かったのでは?」

 

「うーん、そうしたかったんだけどタイミングが合わなくって・・・ほら、彼女が目覚めた時にはベルは都市外だったし。私達もバタバタしてて話すタイミングなかったし。今あの子に教えても雑念が入るだろうし」

 

ま、全部終わったらベルに丸投げしちゃいましょ! 遠目にアミッドの姿を見て彼女のランクアップの話題になり帰ってきたベルがアミッドに()()()()()()()()()光景を幻視した姉達は黙祷を捧げた。

 

逸る声、緊張の息遣い、不安を隠せないどよめき、様々な声が周囲から聞こえてくる。

そんな中、いつも通りのやり取りをして和んでいるのが【アストレア・ファミリア】。曰く、変に緊張しても死地に飛び込めば嫌でも緊張するものなのだからせめて地上では肩の力を抜いておきましょうだとか。

 

「そういえばアリーゼ、アストレア様の姿が見えませんが」

 

周囲に女神の姿がないどころか、数日前から姿を眩ませていることにリューは首を傾げてアリーゼに問うた。同じように団員達も「そういえば」と口にするあたり、女神も女神でまたどこぞで動いているのだということはわかるものの、せめて伝言を伝えてほしいとどうしても思ってしまう。アリーゼは唇に人差し指を当ててからん-、と唸ってから口を開く。

 

「ヘルメス様と都市外に」

 

「・・・・ん?」

 

ごめんちょっと聞こえなかった。

もう一回言ってもらえる?

誰が誰と、都市外に?

ぱどぅん?

 

穏やかながら活動的な女神の現在を聞いた団員達は団長に詰め寄る。

あの方がまさかそんな浮気をするとは思えないが、アリーゼもアリーゼ、伝え方がひどすぎるきらいがあるのだ。アリーゼは迫りくる団員達に両手を広げて「ステイ!」としながら

 

「行方不明のデメテル様のところに行ってるのよ! 【ヘルメス・ファミリア】が【デメテル・ファミリア】の館にガサ入れしたらしいんだけど人っ子一人いなかったみたいなのよ」

 

作戦決行日前。

いや、前回の進軍失敗から【ヘルメス・ファミリア】は黒幕の容疑者としてデメテルを。

そして彼女の派閥の館へとガサ入れしたところ、そこは無人。

『物証』を探し出さんと捜索された館の中は、まさに盗賊に荒らされたがごとく棚の中身は全て掻き出され、羊皮紙の書類の海が床に広がり、その上を壊された骨董品の類が破片となって転がってる。こうなることなど見越していたかのように【ヘルメス・ファミリア】の冒険者達は何も見つけることができなかった。

最後に残っていた地下への階段を駆け下りた先で見たもの普段、果物や野菜が保管されていただろう地下室に呻くほどに充満した血の匂いが漂っていたという。血の匂いに導かれるようにして奥の部屋へと進んでいき、冒険者達は見た。

 

 

『死に絶えろ、オラリオ。冥府の道は私が開く』

 

 

嘲るように、挑発するように、あるいは呪われた碑文のように赤い血文字で壁面に塗りたくられた禍々しい文字群には、そう記されていた。

 

 

 

「―――そもそも、なぜ、神デメテルが黒だと・・・その、容疑があがったのですか?」

 

ありえない、としながらもなぜ彼女が容疑者として挙がったのかとリューは問う。

 

「それが偶然なんだけどね? ロキ様がダイダロス通りを通り抜けようとしていたソーマ様と遭遇したらしいのよ」

 

何故、酒神(ソーマ)の名が出たのかと首を傾げる者もいるが黙って続きを催促する。

 

「でね、ソーマ様は確か・・・近くに酒蔵があるとかだったらしくて、ロキ様に『神酒』の匂いがするって言ったらしくて」

 

突如豹変したソーマに、ロキは気圧され心当たりはないかと聞かれてもロキにはわからなかった。ソーマが作った本物の神酒なんて一滴も口にしてないし分けてくれなかっただろうと文句を垂らすも、ソーマはそうじゃないと否定した。ソーマ曰く、『俺以外の誰かが作った神酒』であり犬のようにくんくんと鼻を鳴らしたソーマ。

 

「で、最終的にソーマ様の鼻が煌めいたの!」

 

「「「煌めくな!」」」

 

「ペロッ・・・これは、葡萄酒ッ! って」

 

「アリーゼ、ふざけないでほしい。私達は真面目にやっている。その薬物を指で掬い取って舐めとる名探偵の真似事を今すぐにやめなさい」

 

「ま、待ってリオン!? シリアスパートにほんの少しのコメディを入れておかないと読者は飽きちゃうわよ!?」

 

「あらあら団長様何をおっしゃっているのか、私にはとんとわかりませんが?」

 

「待って輝夜、待ってリオン! わかった! わかったから、謝るから! だから貴方達武器で私の胸やら脇腹をぐりぐりするのをやめて!?」

 

ソーマ曰く、()()()()()()()()()()()ほどの極まった神酒。

それを聞いたロキは容疑者としてデメテルを上げたのだ。

 

最も。

 

 

「それはあり得ないのでは?」

 

「ええ、ロキ様もそう思ってるわ。でもオラリオのどこにもいないのよ、なら探すしかないでしょう? 私が思うに隠れ蓑(スケープゴート)にデメテル様が使われている可能性がある。でも、その理由がわからない・・・もしかしたらなんだけど、救助部隊がいるのは・・・()()()()()()なんだと思う」

 

アストレア様がヘルメス様と一緒に都市外に出て行ったのは、もう一つの件を確認するため。とアリーゼは続ける。

 

「前にアルフィアの墓石がズレていたことがあったでしょ? 中身はもうすっからかんなんだけど・・・」

 

「そういえば、ベルが深層に落とされる前に顔無しが言っていたな・・・()()()()()()()()()()()()()と」

 

もしその女神とやらがデメテルであったなら。

一体彼女はどんなことをされてその恐慌に至ってしまったのだろうか。

 

「彼女は男神(ゼウス)女神(ヘラ)と同じく、この迷宮都市を支えてきた善神・・・少なくとも私は彼女が『エニュオ』とは思えない。もしそのような行為を強要されていたのだとしたら」

 

リューの高潔なエルフとして唾棄するような声音に全員が拳を握りしめる。

『エニュオ』の足跡が残されていたことと都市の内外を自由に行き来できる神の一柱であることが彼女を走査線に浮上する候補として要素が揃ってしまっている。それでもデメテルという女神がどれほど心優しい女神なのかを見てきた彼女達は最悪の光景を想像して、やはり見えない黒幕に瞋恚の炎を募らせる。

 

「【デメテル・ファミリア】が消滅すれば多くの人々が飢え、迷宮都市には『永遠の冬』が訪れるとまで言われている。 それをお構いなしとしている者こそが黒幕なのだろう、しかし、掘り起こした女神がデメテル様であったなら」

 

「ベルが見つける前に保護しなきゃいけない。変な誤解を起こしてしまわないように」

 

「あの子がそうそう怒りに任せて神殺しをするとは思えないが」

 

「可能性はひとつでもつぶしておくに越したことはないわ。 ま、そこはアストレア様が何とかしてくれるし・・・ベルがそんなことするなんて思えないけど」

 

 

周囲の冒険者達を見渡しながら、この話は終わり!とアリーゼは手のひらを叩いた。

今考えても仕方がない、自分たちがこれからするのは都市の安寧を賭けた戦いなのだからそれ以外のことは今は考えない! と団員達に言い聞かせる。言い聞かせてからリューと輝夜に山吹色の髪を揺らす少女を見つめながらアリーゼは声を投げた。

 

「2人とも【千の妖精(サウザンド)】のこと、お願いね」

 

友人が目の前で首をへし折られ、モンスターに食い殺されたのだ。

優しい少女には惨すぎる光景。

静かな戦意だけを内に灯し、杖を持って自分のやるべきことを見据えているがこの場にいること自体が奇跡なのだ。心が壊れていたっておかしくはない。そんな少女がこの場にいる以上、同じ班で動く2人に他派閥という括りを気にせず言う。

 

「お願いも何も、後衛を守らず何が前衛でございますか?」

 

「ええ、まったくだ。アリーゼ、貴方も油断しないように」

 

「ええわかってるわ!」

 

 

団員達がそれぞれに言い合う中、ついに自分達とは違う声が響く。

 

「―――聞いてくれ」

 

作戦開始、十分前。

ざわめきが波のように引いていく中、冒険者達の目を集める【勇者(フィン)】によってまもなく戦いの号砲が鳴らされ冒険者達は雄叫びと共に人造の迷宮へと足を踏み入れる。

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