天上に繁茂する苔が瞬く星々のように光を発している。
辺りに漂うのは雨に濡れた枯木を連想させる湿った木の香りだった。草花が広がる空間の片隅には真上の木の根から滴り落ちる水滴が音を立て、小さな泉に波紋を広げている。
樹皮に覆われた薄暗い【大樹の迷宮】。
そこに、複数の怪物たちがいた。
「あー・・・だるい」
「リド、そんなことを言わないでくだサイ。」
「って言ってもよお・・・ここ最近、ずっと移動、移動、移動だぞ?フェルズと合流すら碌にできやしないしよ」
「
行方不明事件の後、つかの間の安息とでも言わんばかりか、落ち着いた頃にまた同胞達が行方知れずになるようになり、
「後ろの奴らも、文句は言わねえけどよ・・・疲れてるって感じだぜ。正直、ゆっくりしてぇ」
「それは・・・まあ・・・」
「レイ、貴様、コノ間、ドコニ行ッテイタノダ?」
「へ?そ、それはソノオ・・・ベ、ベルしゃん・・・です」
「お!?会えたのか!?いいなー羨ましいぜ!」
そして、偶然にも、
「イエ・・・最近、我々の身に起きることが、地上で何か関係のある出来事はないかと聞きにいっただけなのデスガ・・・」
「フン、アノ小僧ガ知ッテイルハズガナイダロウ」
「何だよグロス、嫉妬してんのか?」
「黙レ!!」
「地上では特に変わったことは起きてイナイ・・・と」
「この間、ウィーネを襲った奴は?」
「アーディ様が何か心当たりがありそうではありましたが・・・何と言うか、『ありえない』というような感じで・・・」
聞いたはいいが、これといって目ぼしい情報はなし。
リザードマンのリドは頭上を見上げて、あの
「また話がしてえなあ・・・・」
「そうですネ・・・」
「・・・・・」
静まり返る
しかし、彼等彼女等の瞼の裏には、あの
不思議な少年だった。
人間であるはずなのに、まるで、同胞と再会したかのような喜びが確かに、
「皆が、ベルっちみたいだったらなあ・・・」
「真っ白で・・・赤眼・・・ふふ」
「おい、レイがやべえこと考えてるぞ」
「な!?し、失礼な!?わ、私はタダ、たくさんのベルさんに囲まれる光景を・・・」
「
「・・・・・シカシ、不気味ダ」
グロスは目を細め、拳の中にある
移動続きで碌に休息できていない異端児達は、徐々に、追い詰められているような、そんな気がしてならない。
「地上では、今のような静けさのことを『嵐の前触れ』というそうです」
「おい、
嵐は、もう起こりかけていた。
■ ■ ■
ダンジョン24階層。
リド達とは違って、
未だ戦うことのできないウィーネを中心に固まっている
「ラーニェ」
「なんだ、ウィーネ」
「え、えっと・・・いつも、こんなに移動してるの?」
「いや、今回は何かおかしい」
「おかしい?」
小隊の前部につく
バイザー付きの鉄兜で顔を覆った彼女は、新米であるウィーネにも分かるように伝える。
「こんな頻繁に移動することはまずない。しかし、移動しなければ・・・里を割り出されてしまう。それに――」
先日、お前が気づかない間に逸れた際に襲ってきた人間。あれはおかしい。不気味だ。
鉄兜を脱ぎ、流れ落ちる真っ白な髪を振りながら、ラーニェは後方を振り返る。彼女の肌は、雪原のごとく白く、人類の視点で言えば、まるで病人のような、形容され薄気味悪がられるほどの白さだが、それは彼女の美貌を何ら損なうものではなかった。
「ラーニェは、ベルのこと、嫌い?」
「・・・・あいつは、どうかしている。」
何故、躊躇いもなく我々の手を取れるのだ。彼女は、人間にも同族にも警戒する。穏健派というものがあれば、彼女はそれとは違い、人間を信用していない側の異端児だった。
故に、何の躊躇いもなく手をとれる
「ウィーネ・・・間違っても、冒険者を見ても、あいつと同じとは思わないことだ。」
そんな考えで近づけば・・・死ぬぞ。
『ウォ・・・』
「・・・フォーも、また会いたいの?」
『・・・・コクリ』
「フォーったら、ベルさんと握手するとき、握りつぶさないか、ビクビクしてましたねー?」
フィアにからかわれる、見上げるほどの巨体を誇る
自分が巨体であるが故に、潰してしまわないか・・・と彼なりにそれはもう、慎重だったわけだが。それほどまでに、その巨大な図体に反して、フォーは心優しかった。
ウィーネ達のように人語は操れず、口から出るのも叫喚や雄叫びのみで言葉での意思疎通は難しいが、その仕草からは彼の温厚な性格が伝わってくる。
しかし、戦闘ともなれば、大型の胸甲を纏う己の身を盾に代え、巨大な
彼以外もそうだ。
誰よりも地上や人間に興味を持っている
翼の音を立てて宙に浮いている
発声することができない
ラーニェは厳しいが、同胞に対する温情と気配りがあった。
みんな優しい。
生まれたばかりのウィーネを里まで送り届けた4人から、さらに新たに出会った彼等という同胞。
それが、ウィーネの居場所なのだ。唯一、存在を許される共同体なのだ。
だというのに、ウィーネは――ウィーネ達は、この頻繁な移動に対して、妙な胸騒ぎがしてならなかった。
「そもそもウィーネ、何故、お前は以前、いきなりいなくなったんだ?」
「ち、違うよ!?み、みんなが気づいたらいなくなっていたの!」
「そんなわけがないだろう。まったく探すのに苦労させられたぞ・・・」
「まあまあ、無事だったんだし、いいじゃないですか!」
「むぅ・・・」
本当にあの日、気が付けば同胞達がいなくなっていたのだ。
よそ見していてはぐれたとか、そんなことではなく、いつの間にか、一人ぼっちになっていた。抗議してもまともに取り合ってくれず、膨れっ面になっていると歪に尖ったウィーネの耳に、張り裂けるような叫びが届いてきた。
「!!」
びくっ! とウィーネの肩が大きく上下する。
いきなり立止まった彼女に、ラーニェを含めた同胞達から驚きの視線が集まった。
「ウィーネ?」
「おい、どうした?」
「き、聞こえる・・・」
怪訝そうなフィアとラーニェを他所に、ウィーネの耳がぴくぴくと微動する。
モンスターの中でも最強と謳われる竜の種族は、他の種族と比較しても潜在能力が並外れている。
竜種である『ヴィーヴル』もまた聴覚をはじめとした五感能力が鋭い。
ここから離れた遥か遠く、同じ階層内から響いてくる細い音――他の『
「泣いてる・・・『たすけて』って」
ウィーネは直感で理解した。
この声が冒険者でも
それと同時にあまりに悲痛な叫び声に、まるで己の身が切り裂かれているかのような錯覚に陥った。
「・・・同胞の声が聞こえるのか!?」
「う、うんっ・・・すごい、苦しんでるっ・・・たすけて、あげないと!」
ラーニャからの問いにすぐに返答するウィーネ。
「どうしますか、ラーニェ?」
恐らくは、会ったことのない新たな同胞だろう。
小隊の指揮を務めるラーニェは仲間の視線を受け止めた後、泣き出しそうなウィーネを凝視し、沈黙を破った。
「・・・様子を見に行く。案内しろ、ウィーネ」
窮地に晒されているやもしれない同胞を見過ごすことは、広大な迷宮の中で少ない仲間と寄り添い合う彼女達【
全身を鎧で覆い隠し、冒険者に見つかっても一見してモンスターだと見破られることがない、
「――グロス、新たな同胞がいるかもしれない。一度、様子を見てくる。」
四対の足を走らせる傍ら、ラーニェは手の中にある赤い水晶に言葉を落とした。
一拍置き、うっすらと発光した水晶から返答があった。
『何? 待テ、ラーニェ、私達ガ行クマデ動クナ』
「いや、行かせてもらう」
『ラーニェ、聞ケッ、オカシイ!我々ノ置カレテイル、コノ状況デハッ!罠ノ可能性ガ――』
「・・・すまない、無理だ、グロス」
彼女は水晶を握り締める。
「この悲鳴を聞かせられれば、止まることなど、できない。ましてや、これが人間の仕業ならなおさら見過ごすことなどできない」
かくして、彼女達の視界には、苔の光に照らし出される広間の中央、舞い落ちる羽毛とともに滴る赤い滴。一本のみ生えた樹の根もとに広がる血溜まり。
長大な樹の幹に鎖で巻きつけられている、細い体躯。
あたかも生贄のように、『彼女』は『磔』にされていた。
その体にはいくつもの刺し傷や斬り付けられた跡があり、真っ赤な衣装を纏っているがごとく――施された拷問のほどを物語るように全身から流血していた。
そこにいたのは、両翼を鋼鉄の杭で貫かれ固定された、1匹の
そこから始まるのは、隠れていた密猟者より行われる
生まれてから日の浅い
「や、だ・・・やだっ・・・」
少女は泣く。大粒の涙を流して、崩れ落ちた優しい
もはや、同胞達は生きているのかさえわからない。
嗚咽を漏らし、この悪夢がさめることを何度も願う。
その願いが叶うことはなく
「安心しろ、化物」
「仲間外れにはしねえよ」
涙が溜まったウィーネの瞳が見開かれ、男によって振り下ろされた槍をもってして、彼女の意識は途絶えた。
■ ■ ■
「もし、そこの鍛冶師」
「・・・誰だ、あんた?」
「ヘファイストスに用があって来たんだが・・・ああ、アポはないんだ。すまない」
「ヘファイストス様?」
「ああ。武器を――
【ヘファイストス・ファミリア】、赤い髪の男の前に、女が現れていた。
彼女は、女神ヘファイストスに会わせて欲しいと言う。
「それと、魔剣を見繕ってもらいたい。」
「本数は?」
「多いほうがいいな。あと、殺傷性がないものがいい。」
「理由は?」
「これから、必要になる・・・気がするのだ」
赤髪の男が顎に指を当て、目の前の女を見つめる。
身軽そうな装備。
顔はフードで覆っているため、よく見えない。
正直言えば、怪しい。
男――ヴェルフ・クロッゾは、魔剣を鍛えることを
もっとも、少年から整備として預かっていたカナリアは、大樹の迷宮では使い勝手が悪いために、未だに本人の手元に渡らせてはいなかったが。
「すまない。怪しい相手には売れない」
「怪しい?何を言っている?」
「いや、顔を隠していたら、わからねえよ」
「ああ・・・そういうことか。」
自分が怪しまれていることが不服だと訴えるも、指摘されて納得しフードを脱ぐ。
露になるは、美しい相貌。
青い髪、緑の瞳の美しい女神だった。
「―――あんたは」
「
「ベルのことか?」
「オリオンを知っているのか!?」
女神はぎょっと目を見開いて、ヴェルフに詰め寄る。
なんなら、少年を知っている相手がいて鼻息荒く、喜んでいるようですらあった。
「だから、必要になると思ったのだ。武器と魔剣が。」
「魔剣が非殺傷である理由は?」
「地上で騒ぎになる可能性が、高い。そうなれば、あの子が何もできなくなる」
「武器が、槍である意味は?あいつは、ナイフとかの方がいいと思うが?」
第一、槍を使ったところなんて見たことないぞ?とヴェルフが訝しげに訴えると、あっけらかんとした顔で女神は答える。
「アストレアが武器を贈ったのだろう?なら、私だっていいだろう。故に、
「趣味か?」
「おい、馬鹿にしているのか?それより、ヘファイストスに・・・」
「わかった、わかった。ちょっと、付いてきてくれ」
詰め寄ってくる女神に根負けして、渋々として女神ヘファイストスの元へと彼女を連れて行く。
結局のところ、女神ヘファイストスの部屋で同じ話をして、断られるのだが。
「―――イヤよ。あんな邪道な武器、2本も作るなんて」
「な!? い、いいだろう、あれか!?土下座すればいいのか!?」
「あなた、ヘスティアにでも何か教えられた!?」
「最終奥義なのだろう!?」
「だーかーらー!作るわけないでしょう!!だいたいお金は!?」
「・・・オ、オリオンが出す」
人差し指と人差し指をちょんちょんしながら、彼女は小声で言う。
プチンと鍛冶神がキレて、ヴェルフに押し付けた。
「ヴェルフ!! あんたが創りなさい!!」
「はぁぁぁ!?」
「ヒエログリフは入れられるのか?」
「入れられるわけねぇだろぉ!!ふっざけろぉ!!」
■ ■ ■
くにくに、くにくに、くにくにくに・・・
「ふっ、ひぃ・・・はぅん・・・」
「ふっふふふふ・・・」
「ベル、楽しそうねー」
「私も触らせて頂きましょうかねえ」
【アストレア・ファミリア】本拠のリビングにて、妖精がいつぞやダンジョン内で少年が使ったスキルのことを内緒にしてほしいというお願いについて
詰め寄って、いつぞやの狐人の少女の時のように、個人的な
『リューさん、リューさん!』
『な、なんですか、ベル?』
『リューさんの耳、触ってみたい!』
『耳ですか?・・・まぁ、構いませんが』
くにくに、くにくに、すりすり・・・
実のところ、気にはなっていた。その尖った耳が時々ピクピクと動いているのを見ていて、『触ってみたいなあ』と思うほどに。
「べ、べるぅ・・・」
「・・・えへへ」
「くぅぅぅ・・・」
リューは悶えた。
嬉しそうな顔をして触ってくる、己が触れられる唯一の異性に触れられることに喜びさえ感じていた。しかし、周りには団員達がいた。
リューは
時に揉み、時に摩り、時に息を吹きかけた。
「・・・ふっ」
「・・・ひゃぁあん!?」
「リューさん・・・可愛い」
「ねえ、リオンったら、あんな声出すのね!?可愛いわ!」
「下の方はもうビショビショになっているのではありませんか?」
「アリーゼ、輝夜、き、貴様ぁ・・・!」
リューはベルを引き剥がせなかった。
目の前で、瞳をキラキラとさせ嬉しそうに触ってくる少年を無理に引き剥がせなかった。
なんなら、もっと触って欲しいとさえ思っていた。
何より、格上の自分が無理に抵抗して少年を怪我させてしまったら・・・などと考えてるが故に余計に抵抗できなかった。
「アストレア様、リューさんの耳、気持ちいいですよ」
「そ、そうなのね・・・ベル、嬉しそうね?」
「えへへへ」
「でも、内緒にして証拠隠滅しようとするのはよくないわ?」
「うっ・・・」
「どっちにせよ、負荷のせいで、バレていたのよ?」
「うぐ・・・」
「ほら、そろそろやめてあげたら?」
「・・・・はぁい」
女神に宥められ、しょんぼり顔になって耳から手を離す。
最後にリューの頭を撫でて、離れようとしたところ、腰に腕を回され抱きしめられる。
「ふぇっ?」
「はぁ、はぁ、はぁ・・・べ、ベル・・・」
「リュ、リューさん・・・?」
「あっ、私、何もしーらない」
「春姫、今日の夕飯は何でございましょう?」
姉達は嫌な予感を察知して、『私しーらない』を実行。
女神アストレアは、頭を横に振って少年の身を案じた。
「ベル・・・私はもう、変なスイッチが入ってしまったようです。」
「ス、スイッチ?」
「ええ。覚悟・・・できていますね?」
「え? ぜ、全然・・・?」
「では、覚悟してください。さぁ、私の部屋に行きましょう」
「ゆ、夕飯・・・」
「終わってからだ」
抱きかかえられた少年は、哀れにも妖精の姉に抵抗することもできず部屋につれていかれた。
静まり返ったリビングに、後に少年の悲鳴が薄っすらと届いた。
少年は知らない。
これから自身の身に起きる悲劇を、知らない。