兎は星乙女と共に   作:二ベル

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戦火

「・・・・・」

 

悲しくも寂しい、壊された街で、人の笑顔が消えた街で、漆黒の鎧を纏った大男が佇んでいた。

 

「何をなさっているのですか?」

「眺めている。己の行動の結果を。」

 

鎧の男の顔は、声をかけてきた男の言葉に振り返ることなく返答する。

 

「人は忘れる。昨日喰らったものはおろか、故郷の景色でさえ。だから忘れぬように、この目に焼き付けている。」

「今から滅びゆく都市に、そんな価値がありますか?■■■の眷族たる貴方も、感傷なんてものに浸るので?」

 

鎧の男の顔は見えず、ただただ街を眺めていた。

その背中は、僕の知る大きな背中だったけれど、どこか寂しそうで、後戻りできないところまで来てしまったことに苦しんでいるようだった。

 

「俺は価値とは見出すものではなく、生むものだと思っている。お前が感傷と呼ぶものが、俺にとっては駄賃。それだけのことだ。」

「何に対する駄賃なのか、興味が湧きますねぇ。」

 

風が吹く。寂しい風が、鎧の男の頬を、体を撫でる。

それでも、その鎧の男はそこから動くことは無く、まるで()()()見せるために焼き付けているようだった。

 

「■■■■の糞ガキといい、この都市には聞きたがりやが多過ぎるな。今ならアルフィアのことを少しくらい、理解してやれそうだ。」

 

煩わしそうに鎧の男は、声をかけてくる男に苛立ち交じりに声を投げて、振り返る。

僕がお義母さんに、『なんでなんで?』なんてしようものなら、デコピンで次の朝を迎えるのに、それをされずにすむんだから、叔父さんは優しいと思う。

 

「お前は・・・【  】だったか。こんなところにいていいのか?」

 

鎧の男――叔父さんは、面倒くさそうに『さっさとあっちに行け』とでも言うように言葉をなげるも、そのよく見えない男は、『英雄』と讃えられる叔父さんから話を聞きたいなんてことを言う。

その男の姿は、よく見えず、声もよく聞こえないけれど、讃えられるべき『英雄』が何故、『悪』に堕ちたのか、そんなことを聞いているのだと、何となくだけれど、聞こえた気がした。

けれど叔父さんは、その人が求める答えを言うでもなく、呆れたように返答する。

 

「お前は既に壊れている類の人間か。己の『矛盾』に自分でも気付かない」

 

僕も知りたかった。けれど、知ることのない答えを叔父さんは答えない。

僕を置いてまですることだったのかと、2人に聞きたかった。

2人は僕に会えば『すまなかった』と謝るだろうか?

それとも、今の不安定な僕を見て、『なんだそのザマは』と怒るだろうか。

 

「――お前がそうなった原因は、『 』が見えていないせいか?」

 

叔父さんが、男に向けて言ったはずの言葉は、何故か、僕に突き刺すように響いた。

見える見えないではなく、『そうなった原因は』と指摘されたようで、胸が苦しくなった。

散々、男に向けて何かを言ったかと思えば、その男は気に入らなかったのか「化物」などと言葉を漏らし、叔父さんは表情を変えることも無く『英雄と怪物は紙一重』と言う。

 

「さっきの質問だが、答えてやろう。『悪』に堕ちることこそ・・・・必要だったというだけのことだ。」

 

わからない、わからない、わからない・・・僕には、その意味がわからない。

僕はただ・・・ただ、一緒にいてくれれば、それでよかったのに。

 

やがて、叔父さんの元に伝令役がやって来て叔父さんは出発の準備をする。

 

「来たか・・・いいだろう、オラリオとの別れは済んだ。」

 

兜を被り、歩みだす。

 

「後は俺の手で、全ての『失望』を叩き潰すのみ。」

 

今のオラリオを知れば、2人は満足するだろうか。それとも、失望するだろうか。

少なくとも僕は、『英雄(2人)』に憧れた僕は、嫌な物ばかり見て、すっかり失望してしまっている。

そんな僕のことを、きっと、あの時代を生き抜いた人達からすれば、『何様のつもりだ?』と言うだろうし、僕に知識を与えてくれるライラさんや輝夜さんは、『お前はいつから、そんなことが言えるくらい偉くなったんだ?』とデコピンをしてくることだろう。

でも、それでも、胸につっかえたように、悲しみが、例えようもない想いが消えないのだ。

 

叔父さんは、もう何も言わずに足を進める。

ガチャガチャと鎧の音が鳴って、そして、何かを思い出したように、振り返った。

 

「・・・?」

 

振り返った叔父さんは、どうしてだか、そこにはいないはずの僕と目があったように、口元が笑みを浮かべて、小さく言葉を発する。

 

 

 

 

「いつまでも過去に固執するなよ・・・・ベル」

 

 

 

それは、そこにはいないはずの、僕に向けた言葉だった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

「――――ッッ!!」

 

不意に足元がふらついて倒れそうになったのを、アーディさんが咄嗟に受け止めて支える。

今までもよくあった、夢を見るかのような感覚。

これもまた、あの魔道書のせいなんだろうか。

 

「ベル君、ベル君っ!?大丈夫!?」

「いったい、どうしたのだ?」

 

アーディさんとフェルズさんは、足を止めて僕の様子を見ようとする。

それを僕は頭を横に振って、足を前に動かす。

 

「だ、大丈夫です・・・それより、早く行かないと」

「―――しかし」

「異端児達の方が・・・今は、重要ですから・・・!」

「君は何故・・・出会ったばかりの彼等にそこまで・・・」

 

ごめんなさい、叔父さん、お義母さん。

僕はまた、『怪物()』を・・・助けるよ。

フェルズさんの言葉に、返答することもなく、僕はアーディさんの支えから1人で足を動かして、走り出す。

それを、少し遅れて2人が追いかけてくる。

 

 

 

 

 

やがて

 

「檻ヲ壊セ!! 同胞達ヲ解放シロ!!」

 

聞き覚えのある怪物の声が聞こえた後、金属を破壊していく音と、鎖の音、そして捉えられている同胞の姿を見て怒りの咆哮を上げる怪物達の声が聞こえて、僕達3人は加速する。

ガシャガシャと、破壊音を立てて、仲間達を解放していく。

助けを求める声が途切れることは無く、破壊音だけが大広間に響いていく。

確認できない仲間の居場所を、石竜(ガーゴイル)が聞き出すも、ほとんどが気絶している間に運ばれたためにまともな答えが無く。

 

そこで頃合を見計らっていたかのように、白々しい拍手の音が鳴り響いた。

 

「――感動の再会だな。よく来たなぁ、化物ども。歓迎するぜ」

「っ・・・!?」

 

大広間の奥から現れる、眼装(ゴーグル)の男。

大広間の奥へ駆け出していた蜥蜴人(リザードマン)が足を止め、檻を壊していた怪物達が振り向き、全ての異端児が視線を殺到させる。

 

暴悪な狩猟者と、彼等はとうとう対峙を果たした。

 

「お前達が同胞を売り払っていた狩猟者か・・・!?」

「ほー、そんなことも知ってるのか?ああ、そうだぜ、てめえ等のお仲間を捕まえて金に換えていたのは俺だ。好事家の前で粗相をしねえように、存分に痛めつけて、な」

貴様(キサマ)ァ・・・!!」

 

不気味な赤い槍を携える眼装(ゴーグル)の男、ディックスは笑みを浮かべ、リドやグロス達の獰猛な殺気を心地良さそうに受け止める。

 

「ちなみに俺じゃなくて、俺等、だけどな」

 

その言葉を皮切りに、ぞろぞろと他の狩猟者達が姿を現す。

ディックスの背後から、左右の壁から、そしてリド達がやってきた石段の奥から。

闇の中に潜んでいた種族バラバラの亜人達は異端児達を破壊され床に転がる黒檻ごと、取り囲まれた。

 

「ざっと見ても、てめえ等の方が俺達より数は多いが・・・その大切なお荷物を全部庇えるか?」

 

ディックスの言うとおり、解放したモンスター達は弱りきっていた。

彼等を支える五体満足の異端児達も守りながらでは全力で戦えない。この大広間にリド達を誘い出したのも、入ってすぐに襲い掛からなかったのも、傷ついた同胞という名の桎梏を与えて身動きをとれなくするためだ。狡猾な男の嘲笑に、リドとグロスはギリっと牙を鳴らした。

 

 

「――リドさん!」

「異端児の皆、無事!?」

「リド、グロス!」

「なっ・・・ベルッちにアーディっち!?何で、何で来たんだよ!?」

 

その時、石段を駆け上がってきたベルとアーディ、フェルズが大広間に到着した。

リドは振り向きざまに驚愕し、姿が見えなかったから別の場所に行ったことを願っていたというのに、追い返すどころではなくなってしまったことに悲しそうな表情を浮かべた。ベルとアーディを知る異端児達もまた、『巻き込んでしまった』ことに動揺を隠せなかった。

狩猟者達の反応はと言うと、彼等以上のものであった。

 

「小僧ニ小娘・・・!?貴様等、何故来タ!」

「――今は止せ、グロス!もう・・・もう、遅い」

 

自分達より先にいる、もしくは、別の場所にいると思っていた。この騒動には関わらないだろうと心のどこかで思っていたのに対して、リドは、もう遅いと手で制す。

顔を上げる蜥蜴人(リザードマン)は、その眼を揺らし、真紅の瞳と見つめ合った。

なんで、どうして、巻き込みたくなかったのに。これじゃあ、あの妖精との約束まで破っちまう――切実な言葉の数々が視線に乗って消えていく。

 

「おいおい・・・グラン、てめえ、侵入されてるじゃねえか。『扉』を閉めてきたのか?」

「し、閉めたっ、嘘じゃねえよディックス!?俺はモンスターどもを入れた後、ちゃんと・・・」

 

ディックスの凍てついた声音に、禿頭の大男は冷や汗を垂れ流しながら、必死に弁明する。

 

「・・・・たしか前に、バルカの野郎が言ってやがったな。『迷宮を破壊して回る小僧』って。ああ、なるほど・・・今回もそれか?」

 

ディックスは進入してきた方法を整理して、ふと、ベルの手甲に嵌め込まれている球形の精製金属を視界に納める。

 

「あれは・・・あぁ、そういうことか・・・ったく、奪われたのはどこの馬鹿だ?やっぱバラ撒くもんじゃねえな。何個奪われたんだ?あぁ?」

 

ベル達側にある同一の魔道具を見て、狩猟者達の間ではざわめきが膨らみ、ディックスも大体の経緯を悟り、悪態を吐きながら赤い槍の柄で肩を叩く。挟み撃ちを嫌う大男達が横に逸れて相手集団に合流する中、ベル達は異端児のもとまで駆け寄った。

 

「ミスター・ベル・・・ミス・アーディ・・・」

「地上のお方・・・助けに、来てくれたのですか?」

「大丈夫、みんな!?」

「っ・・・!」

 

床に座り込みながら、赤帽子(レッドキャップ)に支えられる半人半鳥(ハーピィ)

体中に刻まれた痛々しい打撲傷。鎖は千切られているものの、鳥の下半身には不釣合いなほど大きな枷がまだ嵌められている。その光景は吐き気に直結する倒錯感をもたらすものだ。

弱弱しく見上げてくるフィアの瞳に、ベルは言葉を失い、復讐者(スキル)を抑えようと拳を握り締める。

 

「まさか、ここまでの空間もあるとは・・・」

「【暴蛮者(ヘイザー)】、ディックス・ペルディクス・・・君が事件の首謀者で間違いないね?」

 

怒りが募っていくベルの隣で、周囲を注意深く観察していたフェルズは呻き、アーディも並んで声を飛ばす。

 

「魔術師か?随分と怪しい格好をしているじゃねえか・・・それに、【涙兎(ダクリ・ラビット)】に【象神の詩(ヴィヤーサ)】か。化物どもとはどういう関係か気になるなぁ、オイ。一体いつから、【アストレア・ファミリア】と【ガネーシャ・ファミリア】は化物の保護活動をするようになったんだ?えぇ?」

 

じり、じり、と靴音を鳴らし睨みあう狩猟者と異端児達が一触即発の空気を漂わせる中、フェルズとディックスは声を投げ合う。

 

「単刀直入に聞こう。ここは、ダイダロスの遺産で間違いないのか」

「ははっ、流石に気付いてるか。考えている通りだと思うぜ」

「・・・いつから使っていた?いや、どこでその存在を知った?」

「知るも何も――()()()()押し付けられてきた代物だ。()()()()が、いつ、何に使おうが問題ねえだろ?」

 

そのディックスの台詞に。

フェルズだけでなく、2人も動きを止めた。

 

「先祖・・・子孫・・・!?」

「嘘、ダイダロスの系譜・・・!?」

 

少年と女の声が困惑と動揺に揺れる。聞き耳を立てながら怪訝な表情をする異端児達を他所に、ディックスは自嘲にも似た薄笑いを浮かべた。

 

「法螺じゃねえよ。なんなら――証拠を見せてやる」

 

そう言って、装着していた眼装(ゴーグル)を、上にずらした。

現れるのは精悍な男の相貌に、赤い瞳。

そして、対の内の左眼に刻まれた『D』という形の記号であった。

 

「これがダイダロスの血統を示す証だ。あのクソッタレな始祖の血を一滴でも引いている人間は、必ずこの眼を持って生まれてくる。血の呪縛だ!」

 

その言葉を聞いて、真偽はわからないが、ベルは呼吸を止めながら、自分の手甲に嵌め込まれている球形の魔道具を見やった。精製金属に埋め込まれているのは、眼球のようなものではなく、まさに

 

「ここの扉は系譜の目玉に反応する。そう作られてる。自由に動き回って、子孫だけが作業を進められるようにな・・・今となっちゃあ、その性質を利用して、死体からくり抜いた後は鍵代わりにしてるぜ」

 

それは正真正銘、目玉を加工したものだと指を指してディックスは言う。

 

「始祖が子孫に完成を委ねた、クソッタレで阿呆みてえな『作品』!それが、【人造迷宮クノッソス】だ!!」

 

声を荒げるディックスの言葉はなおも続く

 

「千年だ。先祖どもがギルドからこそこそ隠れながら作っていた時間だ。顔も知らねえ俺の親父や、祖父、他の祖先どもの手で人造迷宮(クノッソス)の領域は『中層』まで拡張した」

 

奇人ダイダロス没後、約千年。

千年という時と、血の妄執が作り上げた狂気の産物が、この人造迷宮(クノッソス)の正体。

子孫達は、迷宮を完成させるために何でもやった。『神秘』を取得しようと躍起になったり、『作品』の紡ぎ手を残すために

 

「女を攫ってきたりなあ!俺もこの迷宮に連れ込まれた女の腹から生まれた口だ。【象神の詩(ヴィヤーサ)】、てめぇだって、例外じゃねえ。ここでお前以外をぶっ殺せば、いやでもそうなる」

 

異母兄弟、近親相姦などということも多く、始祖の遺言とは言え、子孫達が荒唐無稽な『作品』つくりに身を捧げてきた。それこそが、血の呪縛。ダイダロスの系譜は、1つの【手記】に踊らされて、こんなものを作り上げたと、『手記を見た時点で、もう逃れられない』とディックスはそう言って締めくくった。

その千年という妄執に、行われてきたことに、ベルもアーディも吐き気を催す。

 

「――つまり、異端児の捕獲も金策の1つということか」

 

いつディックスたちが異端児の存在を知ったかは定かではない。

だが人造迷宮(クノッソス)完成のため多大な資金が必要だったディックスは、『神の恩恵』を得るために所属した【ファミリア】を牛耳るようになり、都市の密輸に手を出すようになった。

フェルズの推量に、ディックスは鼻を鳴らす。

 

「ああ、()()()()

 

その物言いに、2人が不審な感情を覚えていると、轟音が響いた。

 

「御託ハイイ!!」

 

見れば、グロスが爪を振り下ろし、側にあった檻を破壊していた。

双眼をギラギラと輝かせる石竜は、背中から生えた灰石の両翼を広げる。

 

「貴様等ガ同胞ヲ虐ゲ、ラーニェ達ヲ殺シタ事ニ変ワリナイ! 報イヲ受ケサセテヤル!!」

 

怪物達は、我慢の限界だった。故に、もう話を聞く気などなかった。

石竜はディックス目がけて飛び掛り、ディックスは側にいた手下の襟を掴み、前に投げ出した。

 

「はっ?」

 

と言う呟きは石爪の餌食になった瞬間、絶叫に成り代わった。

飛び散った血が合図だったかのように、戦闘の火蓋が切られる。

 

「オレっちとグロスが前に出る! ドール達は傷ついたやつ等を守れ!」

「レットさん、手甲(これ)を!」

「ミスター・ベル・・・!?」

「――レット、フィア、背後の入り口からここを抜けろ!近くに、『あれ』が来ているはずだ・・・!」

 

 

鍵が嵌めこまれた手甲をレットに投げ渡し、フェルズが続くように指示を出す。

フィアは傷ついた体に鞭を打ち、翼を広げる。

 

「レット!行きます!」

 

下半身に枷を嵌められたままの半人半鳥(ハーピィ)は、なけなしの力で宙に浮き、彼女の片足にすかさず飛びつく赤帽子(レッドキャップ)。二匹は戦闘が行われるその場を、飛び石段の奥へと消えていった。

 

叫び声と共に、近くにいた獣人を斬り伏せる蜥蜴人(リザードマン)

助け出した同胞を守る異端児達とアーディも襲い掛かってきた狩猟者と武器を交えていた。

 

「くそがぁ!」

「―――フッ!!」

 

瞬く間に広がる凄まじい交戦に、ベルへと突っ込んでくる相手に傷ついた異端児達を庇うため応戦して遠ざける。

 

「くそ、こいつ本当にLv.3かよ!?」

「ベル君、無理しちゃ駄目だよ!」

「――わかってる!」

 

うろたえるのは、【イケロス・ファミリア】の狩猟者達。

ディックス以外の手下が戦闘に乗り出すが、狩猟者達は押されていた。弱ったモンスターを狙う目論見も、憤怒に駆られる異端児達がその怪力を縦横無尽に振りまくり、傷ついた異端児達を守る2人の存在が脅威となって機能していない。

取り分け、リドとグロスの戦いぶりは烈々であり、さらには弱った異端児に近づこうとした狩猟者を、アーディが守り、ベルがLv.3とは思えない動きで斬り伏せていく。1人傍観しているディックスは笑みを歪め、右手の一指し指を突き出す。

 

「出し惜しみしている暇もねえな・・・使うか」

 

フェルズが、戦慄とともにソレに反応できたのは、この場にいる誰よりも長い時を重ねてきた、『経験』に他ならなかった。

 

「―――」

 

間に合わない。

視界の端で緊急退避する大男達、骨だけとなったその体を脅かす絶対零度の悪寒。

戦場の後方で、黒衣の魔術師はローブを翻す。

 

「――ベル・クラネル、アーディ・ヴァルマ、私の後ろに隠れろッッ!!」

 

冷静さなど放り捨てたフェルズの呼びかけに、瞠目するベルは、条件反射で従い、両腕を広げる黒衣の背後に飛び込み、何がくるのかもわからず、咄嗟に、自分が身に纏っている女神(ヘラ)のローブでアーディを包み込んだ。

 

次の瞬間

 

 

「【迷い込め、果て無き悪夢(げんそう)】」

 

 

眼装(ゴーグル)の男は喉を鳴らし、(うた)った。

 

 

「【フォベートール・ダイダロス】」

 

 

 

紅の波動が、その指から放たれた紅光の波が、戦場を驀進する。

 

禍々しい輝きを発し闇を喰い荒らす。光速の紅波は爆発させるでも感電させるでもなく、ただ効果範囲内にいた全ての者を1人残らず呑み込み、そのまま後方へと一過した。唯一、耳朶にかじり付く怨念めいたおどろおどろしい音響を残しながら。

 

フェルズの背後で、両耳を塞いでいた2人が、何が起こったのかと顔を上げた瞬間、全てのモンスター達が理性を失い、暴れだした。

 

 

『――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』

 

 

 

■ ■ ■

 

18階層、東端の断崖絶壁、一角獣(アルミラージ)黒犬(ヘルハウンド)に導かれやってきた黒き影の主は、ただ壁を見つめ立ち尽くしていた。

 

 

「・・・・ガウ」

「・・・キュ」

 

首を横に振る2匹に、黒き影は、目を細め、溜息をついた。

『だって、仕方ないじゃん!ここにいたんだもん!』とばかりに、一角獣(アルミラージ)は抗議の鳴き声を上げるが、黒き影は、頭を横に振って、試しに壁を壊すから下がるように言う。

 

 

「――ォオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 

ドンッ、ドォンッ!!と重い破壊音が鳴り響くも、岩壁を破壊する事ができただけで、最硬金属(オリハルコン)の扉を破壊することは敵わなかった。彼は苛立っていた。狩猟者達のおかげで、同胞は住処を追われ、移動続き。そのため、リド達には『すぐ救援に来れる距離にいてくれ』と言われたばかりに、深層での修行へといけなくなってしまっていた。

 

これでは、あの()()()との再戦が叶わないかもしれない。もっと、もっと力をつけなければいけないというのに・・・!そんな気持ちでいっぱいだった。何より、自分の「闘争への餓え以外の感情」を覚えさせてくれる同胞がこうまで追い込まれていることに対しても苛立っていたし、先日の変な男と決着をつけきれず、不完全燃焼だったことにも苛立っていた。

 

 

きゅー・・・(まあ落ち着きなよ)

「・・・落ち着いている。」

きゅー・・・(フェルズが言ってた)

「・・・む?」

 

一角獣(アルミラージ)のアルルは、黒犬(ヘルハウンド)の背で仁王立ちになり、片腕を突き出して、フェルズがやっていたことを真似する。

 

きゅきゅっきゅー(開けゴマって言えば開くらしいよ)?」

「ほう・・・」

 

黒き影の主は、アルルに習って、右腕を扉に触れさせて同じ事をしてみる。

 

「開け・・・ゴマ」

 

すると、

 

ゴゴゴゴ・・・・と音を鳴らして、扉が開いていく。

 

きゅっ(まじか)!?」

 

アルルもヘルガも予想外。そもそも、ろくなコミュニケーションというか喋らないコイツを、すこしチョッカイ出してやろうと思っただけだったのに、開いてしまったのだ。黒き影の主は、『まじかとは?』と言わんばかりに見下ろされ、アルルは両手で両耳を押さえ、ヘルガは地に伏せた。

 

きゅぅ(いや、なんでも)・・・」

 

開いていく扉の向こう側からは、声がかすかに聞こえていたのか、微妙な、なんともいえないような表情をした、2匹のモンスターがいた。

 

 

「こんな時に・・・何しているんですか?」

「空気、読んでもらってもよろしいでしょうか・・・・私達、満身創痍、なんですけど」

きゅー(ごめんなさい)

「・・・・・」

 

黒き影の主は、気まずくなったのか、ズン、ズンと足音を鳴らして、扉をくぐり、進んでいった。




黒き影の主さんは、正史のように深層で修行をしてましたが、切り上げた時間が少しばかり早いです。
理由は、異端児達の移動が頻繁になったことで、救援に出向かう必要性がでてしまったためです。

ベルがディックスの魔法を使う前に、「乙女ノ揺籠」を使わなかったのは、『何をしてくるかわからなかった』からというのと、並行詠唱がまだできないからです。

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