血塗れになっていく、あの綺麗な白髪を見て、私は胸を痛めた。
あの子にとって、『異端児』を助けるどうこうは、あまり意味のなさない問いだ。
あの子にとっては、小さい頃の思い出であり、【偉業】であり、家族なのだ。
自分よりも強い敵へと、ボロボロになりながら、ハンデを抱えながら戦うあの子はもはやLv.が1つ上とは言え私では加勢しても邪魔にしかならなかった。だから、それでも、暴走したときにストッパーの役割を果たそうと思っていたのに。それすら碌にこなせない私は一体何なのだろう。
動けないあの子を、押しのけ、庇い、この世のものとは思えない濁流に飲み込まれた。
いつから好きになっていたのかはわからないけれど、守れたのだ。それでいいとさえ思った。
きっとあの子は自分を責めるだろう。
優しいけれど、決して強いわけではないあの子は、自分自身を責め続けるだろう。
あの
濁流に飲み込まれて、意識が、自分自身が曖昧になっていく。
体がバラバラにされて、混ぜこぜにされていくような気持ち悪さに襲われる。
体を、心を犯されていく不快感に襲われる。
1人の異端児、1人の人間、2匹のただの怪物。
されど、今や1つの体となり、その1つの体の中で、4つの意思が荒れ狂う暴風のように悲鳴を上げる。
『痛い痛い痛い痛い痛いッッ!!』
『お姉ちゃんっ!ガネーシャ様!アリーゼ!リオン!・・・・ベル君っ!!』
『ギャアアアアアアアアアッ』
庇っておいて、その少年に救いを、助けを求めるとは何たる愚かさ。
私こそが、愚者なのだろう。
作り変えられていく、
私は誰で、私は私?
私が生まれてすぐに、あの少年に出会って、一緒に冒険をして、年上のお姉さんとして色々お世話したりして、同胞という存在の隠れ里に連れて行ってもらった。
手を握ってくれて、一緒に寝て、水浴びをして。
記憶が、ちぐはぐに、ツギハギだらけになって、ごちゃ混ぜになる。
壊したい。
喰らいたい。
手を繋ぎたい。
抱きしめて抱きしめられたい。
頭を撫でて、頭を撫でて欲しい。
私は・・・・誰だろうか。
もはや自分の体なのかもわからなくなり、瞼が開いたと思えば、ただでさえ小柄な少年がさらに小さく見えた。肌寒く、雨に打たれて体が焼けていく痛みに襲われた。
雨を拭えば今度は、視界の奥に私の好きな処女雪のような白くて、腰ほどまで
私は必死にそれを追いかける。
痛む体を、泣き叫びたい恐怖心を、割れそうなほどの頭を抱えて、あちこちに打ちつけながら、追いかける。
体が軋み、混ざった体が今度はバラバラに崩れていく感覚がジワジワと襲ってくる。
やがて見えてくるのは、待ち望んだ、懐かしく、暖かいはずの外の世界だ。
私は帰って来たんだ!
コレガ、地上ナンダ!
初めて見る!
初めて?ううん、前にも見た。
嬉しい、嬉しい。
悲しい、苦しい。
外は冷たい雨が降りしきり、体に打ち付けてくる。
人々の声が聞こえてくる気がした。
悲鳴なのか、歓喜する声なのか、はっきりとしないけれど。
視界にいたはずのあの子がいなくなって、周囲を見渡していると、後ろから何かが通り過ぎていった。
意識が、曖昧になっていく。
■ ■ ■
「さあ、クソガキ。てめえの終わりだ。バルカの野郎からは、「殺す」か「壊す」かのどっちでもいいって言われてるからな。――この先は、地上への直通だ!」
ディックスは笑う。
目を覚ました異端児達は怒り狂う。
「てめえのせいだぜガキ!てめえが
少年を指差し、何もかもが少年の存在が原因だと言い放ち、あの【悲劇の怪物】は生まれた時点で寿命のカウントダウンを始めると宣告した。
少年はもう、何も言わなかった。
言葉がでなかった。
正面に立つのは、【黒い人型】。
人の形をしただけの獣。
ベルの視界に『人間』として映っていた男の姿が、黒く塗りつぶされていく。
大切なものを奪っていった【黒い神様】のように、瞳だけがその黒く塗りつぶされた中で鈍く輝いていた。
虹彩が『漆黒の真円』に縁取られる。
変わる。変わる。変わる。
視界の中の存在が。
人から異形へ、人の形をしただけの『獣』へ。
「ッッ!!」
ベルの背中が冷えていく。
もう、後ろの異端児達の声も、フェルズの声も聞こえはしない。
――お義母さん達が、こんな奴らのために、命を投げ打ったなんて許さない・・・!
大切なものを『奪った』この人型の存在を、消し去るべく暴走を許す。
――また奪うなんて、許さないっ!!
ズン、ズンと足音が大広間の奥から、ベル達が入ってきた所から鳴り響く。
赤い槍を引きずって、徐々に足を、もう動かないはずのボロボロの体を加速させていく。
「―――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
「―――ァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
赤い槍を持った少年が、両戦斧を持った黒い巨躯が、ディックスに襲い掛かった。
地上へと向かう一本道。
【
「おいおいおいおいっ!?てめぇっ!?」
黒いソレは、雷の魔剣を放つ。
白いソレは、
「がっ!?ぎぃっ・・・!?や、やめ、っろぉぉぉ!?」
白い影が、黒い影が、
迫り来る壁の様に、無様に背中を晒して逃げようとする男へと迫り、襲い掛かる。
槍が貫き、両戦斧がギリギリを掠めて暴力的な威力を持って男を吹き飛ばし、血塗れに変えていく。
「くそったれぇ・・・!ふざけんじゃねえぞ・・・!聞いてねえぞ、こんな、こんなぁ・・・っ化―――っ!?」
白い影に顔面をつかまれ、壁に背中を擦りつけられながら、地上へと加速する。
もう一言も喋ることさえ、許されなかった。
――ミ、ミノタウロス・・・!?
それを最後に、浮遊感に包まれ、めまぐるしく変わる景色をともに、【
「―――ガハッ!?」
人々の悲鳴が、木霊する。
カツン、カツン、と瞋恚の炎を宿した冷たい眼で、
少年は
「―――フゥゥ・・・・」
己を見てくれないことを少し残念そうに、雄牛は見つめ、やがて
「はぁ、はぁ、ひぃ、ぎぃ・・・っ!!」
「・・・・・・」
身動きの取れなくなったぐちゃぐちゃの体でまだ生きていた
―――ドンッ!!と
その刃の餌食となって潰れた肉塊へと成り果てた。
「――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
その雄叫びから少し遅れて、異端児達が地上へとやってくる。
■ ■ ■
迷宮外の中でも外れ。
並ぶ民家に囲まれた幅広の通りで、建物の一角が破壊されていた。
破壊された建物の下に、ぐちゃぐちゃにされた男が倒れ伏し、その前を黒い影が立ち尽くしていた。
立ち上るのは、逃げ惑う人々の悲鳴。
モンスターの地上進出。
あってはならない異常事態に、近くにいた冒険者達は凍りつく。
「団長様?これはどうするべきでございましょう?」
極東の姫君が、隣にいる赤髪に緑色の瞳の美女に問うた。
警鐘が鳴り、警戒のためにと来ていた【アストレア・ファミリア】の数名は、雄牛を見てしまった。
「――黒いミノタウロスに、何アレ、新種かしら?」
「そうではない、『武装したモンスター』のことだ」
「おいフィン、あそこで死んでる奴だ。」
「前回のクノッソスで『錯乱の呪詛』を使ってきた男だね?」
「ああ。」
「あれは・・・新種かな?それに、あそこに立っているのは、誰だ?」
同じくして【ロキ・ファミリア】もまた、密集する建物の上に集結し、その光景を見てしまっていた。
雄牛が
何より、謎の新種のモンスターを。
「・・・・」
「フィン?何故、黙っている?」
「いや・・・疼くんだ。リヴェリア、まだ住民達に被害が及んでいないとはいえ、結界を張っておいて欲しい。」
現れたその冒険者達の姿を見て、住民達は安堵の息をつく。
【アストレア・ファミリア】
【
【
ノイン・リャーナ・セルティ
リュー・リオンとライラ、そして女神の護衛として出ているネーゼ以外。
【ロキ・ファミリア】
【
【
【
【
【
【
そして、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。
「ねえ・・・フィン?」
「なんだい、ティオナ。あまりゆっくり――」
「あれ、『アルゴノゥト』君じゃない?装備がさ」
「―――何?」
「あれが異端児・・・?そうよね、輝夜?」
「あの
「やはり、君達も同じ疑問かい?」
「どうして、彼らが?」
「いや、それよりも・・・あの新種は何だ?」
全員が気付けない。
その新種が、知己の女である事に。
しかし、嫌な予感がしてならなかった。
「おい、フィン!てめえが『見極めろ』とか言ったんだろうが!これをどう説明するんだ!?」
「奴等が何の考えもなしにこのようなことをするとは思えないが・・・」
「リヴェリア・・・・」
「彼とは前に少しだけ話をした。何より、あの事件の際、私は見てしまっているからな・・・否定したくてもできん」
この状況で、2つの派閥は動けなかった。
真っ先に新種にフィンが槍を投擲し、身動きを封じるという手もあるが、『嫌な予感』がしてならなかった。
「―――リドさん」
「な、何だ、ベルっち、考えがあるのか!?」
「火を・・・」
「は?」
「火を放ってください・・・」
全身を真っ赤にした冒険者は、建物の上にいる冒険者の方を見て、
【悲劇の怪物】は再び、頭を抑えて走り出す。
「【贖えぬ罪、あらゆる罪、我が義母の罪を、我は背負おう。】――」
冒険者の詠唱を聞いて、見ていた2つの派閥は、あらん限りに眼を見開いた。
「【我はもう何も失いたくない。】――」
その歌を知っている。
仲間を助けてくれた歌だと知っている。
己の命を助けてくれた歌だと知っている。
「――ベル・クラネル・・・・?」
「待って、ちょっと待って!?あの子、アーディはどこに行ったのよ!?アーディと一緒にいたのよ!?」
「団長・・・あの新種、まさか・・・」
再び住民達が悲鳴と共に、逃げ出す。
近くに居た2派閥以外の冒険者共々、消火活動と避難誘導にでるしかなくなった。
「【我が凍り付いた心はとうに温もりを得た。ならば同胞達に温もりを分け与えよう】――」
それが、咄嗟に少年が思い至った行動。
街に火が放たれれば、住民を優先せざるを得ない。
ズキン!と胸が罪悪感で悲鳴を上げた。
「以前、
「生け捕りぃ?」
「ああ、気になることがある。」
「地上に出ざるを得なくなった理由・・・でございますか?」
「それが、あの新種?」
動き出した冒険者の邪魔をするかのように、一手早く、何者かが乱入する。
空から、黒い球が投げ込まれ、煙によって怪物達の姿が消えていく。
「【何故ならば――我が心はとうに救われているからだ】―――【
【悲劇の怪物】を追いかけながら、無理を通して詠唱させた魔法が展開される。
――これで少なくとも・・・・誰も傷つかないし、傷つけられない・・・
「グロス!遅れてるフェルズを連れて来い!レイはベルっちを追え!あの体じゃやべぇ!!『おまえ』は
リドの指示で異端児達が動き出す。
身を隠す者、咆哮で冒険者の動きを封じる雄牛、早すぎる少年達に置き去りにされたフェルズを迎えにいった石竜に、ボロボロの少年を追いかける歌人鳥。
「輝夜!あなたはこっちで住民達の避難指示を!私があっちを追う!みんなも消火を優先して!!」
フラフラとしながら、【悲劇の怪物】を追いかける。
目の前の怪物は、誕生した瞬間より、ボロボロになっていた。
ディックスの言ったとおり、永く持たない。
「・・・・ッ!」
体にヒビが入っては、魔法の影響で修復していく。
それの繰り返し。けれど、ひび割れの範囲は徐々に広がっていった。
――魔法の効果じゃ、抑え切れない・・・!
壊れる、治る、壊れる、治る、壊れていく範囲が広がっていく。
少年の体もまた同じだった。
呪詛は消えても、傷は消えても、肉体に打ち込められたダメージは消えない。
痛みは、消えない。
何より、弱ったからだだ。そもそもの回復が・・・追いつかなかった。
「はは・・・もう、アリーゼさん達の顔・・・見れない・・・なぁ・・・」
一瞬だったとは言え、初めて、大好きな人達の目が、姿が、怖いと思ってしまった。
「でも・・・アーディさんを殺させるよりは・・・いい・・よね・・・」
迷宮街から起こる火災による爆発音、モンスターの咆哮、何より避難してきた住民達の通報によって、騒ぎが小康状態にあったオラリオは再び混乱を取り戻した。
ロイマンを始めとするギルド上層部が青ざめ、各【ファミリア】の急行と救援が直ちに言い渡される中、『ダイダロス通り』が存在する都市南東第三区画に多くの冒険者達が集結せんとしていた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
市壁付近まで身を落とした太陽に、横顔を焼かれる。
路地を破壊しながら突き進む【悲劇の怪物】を追って。
「待って!・・・アー・・・ディ・・さん!」
ベルの叫びも、悲鳴を上げて進むソレには届かない。
絶えず自壊する痛みに苦しみながら、ソレは壁を壊し階段を乗り上げながら南下していく化物とベルはとうとう迷宮街の入口を越えて貧民街を飛び出してしまう。
「ひっ・・・!?いやぁあああああああ!?」
「ちょっと、冒険者!こっち、こっちよ!」
暴走するモンスターを目にし、亜人達が金切り声を上げ一目散に避難していく。
迷宮街を抜け出たことでたちまち街路には人が増え、喧騒や悲鳴の量にも拍車がかかった。
「ごめん・・・ごめんなさい・・・アストレア様」
埋められない距離に、徐々に焦りが生まれていく。
魔法が展開された時点で呪詛は解呪されているにも関わらず、化物は悲鳴をあげ、苦しみ、のた打ち回っては暴走を続けている。
ベルにはわからなかった。
アーディとウィーネが今、どのような状態であるかなど。
頭が割れるほどの命の叫びに苦しめられているなど知らない。
何度も繰り返し、体の崩壊と魔法による回復を行われ拷問のような痛みを感じているなどわからない。
「いたぞ、ここだ!!」
「!?」
化物を止められないまま、とうとう冒険者達が姿を現してしまう。
見たこともない竜種の暴走状態に冒険者達は一度怯むものの、これ以上進ませまいと得物を構える。
短弓に番えられる矢、握り締められる投槍、宝石が輝きを放つ杖。
路地正面、側面に躍り出る冒険者達に、知己のアマゾネス少女が叫び声を上げた。
「やめて――っ!!」
少年は冒険者達の攻撃を見なかった。
魔法が展開されている間は、【誰も傷つかない】【誰も傷つけられない】から。
矢は飛ばずに零れ落ちた。
投げた槍は手をすっぽ抜けて地面を虚しく転がる。
魔法を放とうと詠唱したが、魔法は発動せずに虚しく輝きは消えうせた。
「――【解き放つ一条の光、
視界の端で、別の場所からやってきたのか、また別の知己の少女が並行詠唱しながら迫ってくる。
フラつく体が、ついに足をつんのめって、倒れかけたところで、ふわっと何かにつかまれる。
「ベル・・・さん、捕まってイテください・・・!」
「レイ・・・さん?」
歌人鳥に肩をつかまれて、化物との距離を縮めていく。
「【狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢】!」
山吹色の妖精は、暴走する新種を狙う。
「あの方、アーディさんを殺すツモリなのデスカ!?」
「・・・誰も気付かないだけ・・・ですよ・・・『冒険者が怪物にされる』そんなの、誰が・・・知ってるっていうんですか・・・」
――誰も、悪くない・・・悪いのは、僕だ。
完成した魔法を、少女は発動させる。
発動させて、霧散した。
霧散して、目を見開いて、すぐにアマゾネスの少女に取り押さえられる。
近くに姉の反応を感じるけれど、追いつけていない。
追いつかれたら・・・
――殺されるのかなあ・・・。
「レフィーヤ!あの人を殺しちゃだめだって!」
「ティ、ティオナさん!?どういうことですか!?それに、あれは調教師じゃないんですか!?」
「あれ、『アルゴノゥト』君!!あの怪物は、アーディさんだよ!!よく見てよ!!」
そう言えば2人は仲が良かったなあ・・・なんて遠くなる彼女達の声を聞きながら、ベルはアーディを見やる。
事情を聞かせてください!と聞こえた気もするが、そんな余裕などなかった。
多くの冒険者が困惑の声を上げる。
「魔法が発動しねえ!!」
「矢が飛ばないわ!?」
「こっちもだ!!」
それでも、死のカウントダウンは途切れない。
「マズイです、ベルさん・・・」
「・・・?」
「誘導されてイマス・・・!」
特定の場所に誘き出されている。
それを感じ取ったレイは、スピードを上げようと焦る。
進路正面に現れるヒューマン、大盾を構えるドワーフ。行く手を遮る彼等から逃れるように化物は路地を曲がっていく。
「待って・・・アーディ・・・さん!」
――魔法の効果時間が・・・終わる
魔法の効果時間の終わりを告げるように、薄暗い路地が一気に開け、雨が止み黄昏れようとしている空の光が視界を包み込んだ。広い空間と壊れた廃墟が作り出す、すり鉢状の広場。
勢い欲飛び出した化物は鉄柵を粉砕し、消えた足場によって深い段差の底へ落ちていく。
音を響かせ石畳を砕いた彼女がたどり着いたのは、広場の中央。顔を上げれば、廃墟の上に立つ無数の冒険者が見下ろし、周囲を取り込んでいる。
冒険者達の徒党。【ファミリア】同士の連携。
魔法の効果時間が終わり、広場を包囲する魔導士達が、既に完成している『魔法』を待機状態から発動へと移行する光景に、ベルの鼓動ががなり立てる。
「レイさんっ、投げてっ!」
「し、しかし・・・!」
「いいから・・・!」
「~~~~ッ!!スイマセン!!」
なりふり構わず、レイに自分を投げさせ、化物に飛びつこうとする。
「撃てええええええええええっ!!」
魔導士の1人の男の声が、包囲網の中から上がり、引き鉄となった。
無数の魔法光が立ち上り、一斉砲火が巻き起こる。
「ダメェエエエエエエエ!!」
――アリーゼさん・・・ごめんなさいごめんなさい・・・良い子でいられなくて、ごめんなさい。
アリーゼの悲鳴が聞こえて一瞬振り返って、そのまま、魔法の中に飛び込んでいく。
「――――」
広場の中心に殺到する砲撃の光。
瞠目する化物の顔が照らし出され、瞬く間にその体を覆いつくした。
魔法から身を守ったのは、魔法の効果が切れ、その残滓ともいえる体を包んでいた光だった。
猛火に、電撃に、氷風に、真横から体を煽られながら、着地して広場の中央を目指して走る。
肌が焼けては治り、髪を焼かれて治り、皮膚が霜焼けて治ろうが、砲撃の渦に飲み込まれる女のもとへ急ぐ。
閉じ込められた時の世界の中で、ベルは腕を伸ばす。
砲撃の残滓が、ベルの魔法の残滓が舞い上がる中、化物と成り果てた女は、消えない痛みに空を仰いでいた。近づいてくる少年のことをようやく視界に納め、探していたものを見つけたように微笑んで、名前を呼んだ。
「――ベル・・・君」
「アーディさんっ!」
渾身の力で伸ばしたベルの手が、女に届こうとしたところで、地面が崩壊した。
「崩れるぞ!?」
「離れろ!!」
「ベル・・・ベルっ!!」
「駄目だ、アリーゼ!危険だ!!」
「リオン!?でも、ベルが、アーディがっ!?」
少年には聞こえない悲鳴が、煙に消えていく。
一斉砲火が炸裂した中心地を起点に、広場が崩れていく。
足場が消え、自らも落下しながら、ベルは、暗い闇の底へ落ちていく女の体を掴もうと、手を伸ばす。
「ごめ・・・ね・・・怖い・・思いさせ・・・て・・・」
女が伸ばした手を掴んで、抱き寄せようとして、指と指が触れた瞬間。
今まで押さえ込まれていたひび割れが一気に走り、少年を壊すためだけに、悪意によって生み出された【悲劇の怪物】は、崩れ去った。
「ぁ・・・あぁ・・・」
手は虚しく空を切り、バランスを崩し、少年は落下していく。
ダンジョンに行くときは、よく一緒に行ってくれた人。
一緒の寝袋に入り、クスクスと笑いあった人。
泣いているときに、慰めてくれた人。
落ちて行く中、少年の中で思い出が零れ落ちる。
ポロポロと涙が溢れていく。
やがて、ドシャッと痛々しい音と共に、少年は誰もいない薄暗い地の底に叩きつけられ、カランカランと赤い槍が転がった。。
少年より遅れて降り注ぐは、血と肉と灰の雨。
ボトボト。
ザァザァ。
と音を立てて、少年の体に降りかかり、塗りつぶしていく。
少年の心を罅割れて壊していく。
「ぁ・・・あぁぁ・・・僕・・・僕の・・・せい・・・?」
――誰も、助けてくれない
「英雄は・・・どこにいるの・・・お義母さん・・・」
ポタポタと、赤い滴が、髪を伝って、水溜りに落ちて行く。
少年は叩きつけられたまま、横たわったまま動けなかった。
ただただ、誰に見取られることもなく、気付いてもらえることもなく、同族である人間に殺された大好きな人の血肉を浴びて放心する。
「は・・・はは・・・はははは・・・・お義母さんも叔父さんも・・・無駄なこと・・・して・・・英雄なんてどこにも、いないのに・・・」
瞼から流れるのが、血なのか、涙なのかもうわからなかった。
けれど、流れて止まらない。
怪物達の近づいてくる気配を感じるも、どうでもよかった。
――何もできなかった。
ギリっと歯を食い縛るも、起き上がる力さえ入らない。
ただただ蹲って震えて、嗚咽する。
子供の様に、喚きながら泣き叫ぶ。
「嫌いだ・・・
怪物達の悲しみを乗せた鳴き声が聞こえた。
最期の瞬間さえ与えてはもらえなかった。
同族に気付いてさえもらえなかった。
救ってやることさえ、できなかった。
怪物である自分達に、外の世界を教えてくれた心優しいあの笑顔の眩しい存在が、死に絶えた。
生まれたばかりの同胞が、玩具のように壊された。
我々と人間と、一体何が違うというのだと怪物の誰かが言った。
感情が壊れていく。
家族を奪われて空いて女神と出会って埋まっていた心に穴が開く。
喉が震え、慟哭が迸ろうとした、次の瞬間、
「【未踏の領域よ、禁忌の壁よ。今日この日、我が身は天の法典に背く。】」
詠唱が、鳴り響いた。
アーディのことを他の冒険者達は、姿が変わりすぎて気付けません。知り合いが目を凝らして何とか見えるレベルです。
作られた化物は1つの命として換算されます。
ベルのこともまた、血に染まりすぎて、それがベルだと気付けません。
【ロキ・ファミリア】と【アストレア・ファミリア】が詠唱を聞いてやっと気付いただけで、他の冒険者達は気付いていないため、『どこの誰かわからない女冒険者』と思われてます。
雄牛さんはベル君のことを気付いてますが、ベル君が認識してないために『えっ・・・まじ?』みたいな振られた女の子みたいになってます。
フェルズさんは、ベル君たちが早すぎて追いつけず、グロスが迎えに行っていたために、回復魔法が使えてません。