それで思ったのが、この話のベル君がオリンピアに入ったらその時点で『気分悪くなるんじゃね?』です。
「―――【聖火を灯し天秤よ、彼の者に救いを与えよ。】【
暖かな聖火が、店内に運び込まれた中年の男の胸に灯る。
その魔法の効果は、『一定範囲内における自身もしくは味方1人の全能力、生命力を上昇させる。』というもの。
「あ・・・あったけぇ・・・・」
「ベルさん、何故、その魔法を?【乙女ノ揺籠】ではいけなかったのですか?」
「それだと、この店内が効果範囲内になっちゃって変に目立ちますよ・・・あとはその、えっと『生命力を上昇』ならと思って」
「ふむ・・・なるほど。確かに、癒しの効果はあるようです。対象人数は1人・・・でしたか。効果量は?」
「少なくとも、ポーションより下です。」
「自己治癒能力を促進させている・・・ということでしょうか。たしか、『聖火巡礼』の効果も含まれるのですよね?」
「複合起動なので、恐らくは」
安らかな顔で眠っている?中年の男を眺めながら、魔法の効果を検証、考察する聖女様。
同じく聖女と効果について話をしている少年と目を見開いて『ベルの魔法が、増えてる・・・・?』と固まっている金髪少女。
3人は夫婦が利用した席に椅子を持ってきて座っていると、やがて中年の男は目覚め、ゆっくりと立ち上がり何だかどこか清々しいような顔になって席に着いた。
数瞬の沈黙の後、少年と中年の男が口を開いた。
「ごめんなさい」
「すまねぇ・・・!」
店員からタオルを渡されたアミッドは自分の濡れている部分を拭き取り、アイズはせっせとボードに何かを書いて紐を通し、ベルの首にぶら下げた。
「・・・アイズ、さん?」
「えと、反省?」
「・・・ぁい」
「あんたは何、清々しい顔をしているんだい!もう一度吹き飛ばされた方がいいんじゃないのかい!?」
「いてぇ!?や、やめろって!!」
「ぷふっ・・・ベルさん、似合っていますよ?」
「うぐぅ・・・」
ベルの首には、『私は一般人を吹き飛ばしました』と『兎が人を蹴り飛ばす』絵が書かれたボードがかけられていた。
「お体は大丈夫でしょうか?」
「あ、あぁ・・・痛くもなんともねぇよ・・・気が付いたら外にいて、目が覚めたら何か胸が暖かくなってたんだからな。小さい頃のアンナが川の向こうで『私大きくなったらお父さんと結婚する!』って言っている姿が見えたくらいだ」
「あの子はまだ生きているよ!?」
男の余計な発言に、今度は婦人がドゴォ!と拳を叩き込んだ。
「ベルさん?本当に加減しましたか?」
「し、しましたよ!?本当です!!たぶん、ここの店員さんがやるのとそんなに変わらないっていうか、もっと弱いくらいです!!」
「・・・・はぁ、わかりました。信用しますよ?」
「ほっ・・・」
「コホン。えっと、ヒューイさん・・・でしたね?もしこの後、ご帰宅された時にもお体に異変や違和感があればすぐに【ディアンケヒト・ファミリア】の治療院へお越しください。診察料、場合によっては治療費は免除いたしますので」
「まじか・・・・」
そうしてはじまるのは、婦人が泣き喚くに至った経緯の説明について。
やはり2人は夫婦で、魔石製品製造業と商店の手伝いで日々生計を立てているとのことだ。今日まで都市の西地区に住んでいたそうなのだが、夫であるヒューイの賭博癖が、事件を招いてしまったらしい。
「仕方なかったんだ・・・あの時はどうしようもなかった。じゃなきゃ、俺だって好き好んで娘を賭けるもんか・・・」
言葉通りらしい。
何と彼は、妻であるカレンとの間にもうけた1人娘を賭金にして賭博に臨み、負けてしまったというのである。これにはアミッドは無表情なのに非難と軽蔑の眼差しを薄っすらと浮かべ『もう一度吹き飛ばされるべきでは?』なんてボソリと呟き、アイズは涙を堪えている妻の肩に気遣わしげに手を添える。店内で仕事を続けながら聞き耳を立てていたアーニャ達もまた、呆れた顔を浮かべた。ベルはというと、『これ、僕、悪くなくないですか?』とアミッドに耳打ちして『お黙りなさい』と注意される。
「何が仕方ないもんかっ。もとはと言えばあんたが火遊びしていたのがいけないんじゃないか!」
「そ、それは・・・でもっ連中、最初は遊びだって言ってて、俺が負け続けたらいきなり雰囲気を変えやがったんだ!このまま負けた額を払えないようなら・・・家まで押しかけてくるって言ってて、取り返しのつかないことになってて・・・」
涙目で睨んでくるカレンを前に、ヒューイの言葉尻が見る見るうちにすぼんでいく。
聞くところによると彼は最後の勝負でも大負けしてしまい、娘どころか家まで失ってしまったらしい。今朝方、ならず者達に娘を奪われ、住居から追い出されたカレンは放心し、ひとまず落ち着ける場所として『豊穣の女主人』に移動したとのことだ。そしてヒューイから事情を聞きだしたところで、口論に陥ったというのがことの顛末。
相手に嵌められ、青ざめるほどの酒の酔いが醒めるころには後の祭りであったと語る中年のヒューマンに、アミッドは尋ねる。
「賭博をしていたお相手は、もしかして冒険者でしょうか?」
「・・・ああ、【ファミリア】がばらばらの、チンピラの集まりだった。すげえ剣幕で脅されて・・・『お前の自慢の娘なら、ひとまず賭金に代えてチャンスをくれてやる』って・・・」
その言葉を聞いて、わっっ、とカレンはテーブルに伏せて泣き出した。
もしここに山吹色の妖精がいたなら、『この恥知らず!!』などありとあらゆる罵詈雑言を投げつけそうだとベルは思ったが、それを言えば何をされるかわかったもんじゃないので黙っておく事にした。
しかしアミッドは言った。
「駄目亭主ですね。どんな薬なら治るのでしょうか?」
「お嬢ちゃん!さっきの魔法で吹き飛ばしてこの駄目男を何とかしておくれ!」
「・・・・んな無茶なぁ」
「ああ、『叩けば治る』という言葉を聞いたことがありますね」
「・・・んな無茶なぁ」
ベルは泣きそうになった。
もう帰って女神の膝に飛び込みたいし、狐人の尻尾に癒されたい気分だった。
でも、聞いておくべきことがある気がした。
「えっと、そのアンナさんのことを、聞かせてもらえませんか?」
その問いかけに、伏せていたカレンとうつむいていたヒューイは顔を上げ、互いに視線を交わしぽつぽつと答え始める。
・曰く、ヒューイにはもったいないくらいの自慢の娘。
・カレンに似て綺麗で、気立てがよく、少し内気だがとてもいい娘。
・西地区の間では評判が良く、男神達に求婚されるほど。
・仕事の関係で、人目につく程度には街を出歩いていた。
「・・・・・」
「・・・あんな可愛い娘、きっと今に歓楽街に売られちゃう。あぁ、あの娘が何をしたっていうんだ!」
「ギルドか、【ガネーシャ・ファミリア】に助けを求めてみたらどうでしょうか?」
「無駄だよ。これに似たような届け出は、都市には毎日のように溢れているさ。今すぐに取り合ってもらえっこないよ」
都市の管理機関、更にそれと連携する『オラリオの憲兵』とも名高い【ファミリア】の名をアミッドが持ち出すが、カレンは頭を振って否定した。非公式の
「・・・・・ベル?」
「この馬鹿男が!変なプライドなんて持たずに【アストレア・ファミリア】に行っていれば!!娘が連れて行かれずにすんだかもしれないのに!!」
「おい、やめろよ、悪かったって・・・」
「・・・・」
「事実だろう!?アストレア様なら、きっとこんな私達にも手を差し伸べてくれた筈さ!そのチャンスさえあんたは捨てたんだ!!」
とある女神の名前を口にしたカレンは、泣き崩れてしまいヒューイも視線を遠ざけ、黙りこくった。
けれど、少年は閉じていた口を開いた。
「・・・・今日は、どこに泊まるつもりなんですか?」
「・・・・え?」
「行くところがないなら、ここに行ってください。」
「・・・ここは?」
それは、【南西】第6区画。元【アポロン・ファミリア】の本拠があった場所を示す手書きの地図とベルの字で書かれた手紙。
「孤児院ですけど・・・あの館は広いですし、その手紙を渡せばそこにいる女神様は溜息をついて受け入れてくれるはずです。」
手紙の内容はありのままの出来事と
『数日でいいので、滞在させてあげてください』を。
それを見て、ポカン、とする2人に微笑みながらベルは口を開いた。
「【アストレア・ファミリア】なら、ここに1人、いますよ?」
■ ■ ■
「―――ということがあったんですっ」
「ほー・・・で、お前がそれをやんのかよ」
ガチャガチャと工具で武器、防具、あらゆる道具を弄り回すライラとベル。
帰還したところ、春姫、女神アストレア以外には非番のライラしかおらず、昼間の出来事を報告していた。
「アリーゼさんが、『自分に素直になりなさい』って」
「んまぁ、別にお前は表立って私等と一緒に活動しているわけじゃねえけどよ・・・アストレア様は?」
「『やってみなさい』って」
ガチャガチャと音を立てて、ベルもライラの手伝いをする。
ライラの手元には、神会の日にアスフィから貰った小さな『透明な魔石』があり、それを工具で穴を開けていた。
「団長は?」
「内緒」
「はぁ・・・で、その格好かよ・・・・ぷふっ」
ベルは・・・漆黒のドレスを着せられていた。とても不満そうに。
それを面白そうに、指を指して笑うライラ。
「酷くないですか、ライラ先生!?」
「いや、笑うしかねえだろwwww似合ってるぜぇww兎ぃwww」
ゲラゲラゲラ、ゲラゲラゲラ、ゲラゲラゲラ。
ライラは笑うのを止めない。止められなかった。
なぜなら、ベルのその格好は
「ちっちぇアルフィアじゃねえかwwww」
「うがああああああああああっ!?」
アリーゼが着せようとしていたアルフィアが着ていたものと似たようなデザインのドレスだった。
女神アストレアによって『潜入?なら・・・変装よね』と言われるがまま着せられ、髪型まで弄られていた。
「目まで閉じちまってwww」
「そ、それより!どうなんですか、それ!」
「ああ、はいはい落ち着けって。愛しの女神様に贈り物とはちっとは大人になったのかねぇ・・・お前が帰ってくる頃には終わるだろうぜ?穴を開けて紐を通せばいいんだろ?」
「そう、そうです!『お守り』だってアスフィさんが!」
「ほら、さっさと行かねぇと時間が勿体ねえぜ?金は持ったな?」
「はい、50万ヴァリス!」
ベルは漆黒のドレス姿から漆黒のフード付きのロングコートを上から羽織って、けれどからかうライラにぴょんぴょんと跳ねて抗議するも時間が勿体無いと言われて急いで出て行ってしまうのだった。遅れてライラの元に水の入った桶を持った春姫がやってくる。
「あの、ライラ様?ベル様、とても似合っておられましたが・・・あのお姿、ご存知なのですか?」
「あん?ああ、アレか?ありゃぁ、兎の義母の格好だよ。泣いてたくせにアストレア様の部屋に飾ってたんだぜ?何だかんだ嬉しかったんだろうよ」
「は、はぁ・・。どのようなお方だったのですか?」
「あー・・・どこまで話していいんだろうな。まあ、あれだ、簡単に言えば『最強の魔術師』じゃねえかなぁ・・・怪物だったぜあいつの義母は。何度殺されかけたことか」
『もう二度とあんな化物と戦いたくねぇ』と遠い目をしてライラは春姫に言うも春姫にはいまいち伝わっていたなかった。
・曰く、魔法を無効化する化物
・曰く、手刀でも強い怪物
・曰く、才能に愛された女
・曰く、超長文詠唱を並行詠唱が可能で歌い始めたら止めることはほぼ不可能。
・曰く、クソチート
「そ、そんなにですか・・・」
「ああ、そんなにだ。アルフィアを倒すのにアルフィアの魔法を利用するくらいだった」
「ベル様とではどちらが?」
「天の地ほど差があるだろ。アルフィアが他人の技を『再現』するなら、兎は『真似』でしかねぇ。ランクアップして魔法がちっと変化が起きて
「ベル様はそれに追いつけるのですか?」
その質問に、ライラは即答した。
「あー、無理だな」
「そ、それは・・・何故?」
「そりゃあ当然だろ。だって、兎は『アルフィアの本気を知らない』んだからよ」
それは事実。
ベルは知らない。
『ザルドの冒険』を。
ベルは知らない。知っているのは加減された【サタナス・ヴェーリオン】だけ。
だから知らない。
『アルフィアの本気』と『アルフィアの冒険』を。
故に、その憧憬に追いつくことはない。
「そ、そんなお方の格好で出て行かれて大丈夫なのですか・・・?」
「まぁ・・・問題ないだろ。もし勘付かれても『うわっ、悪夢だっ!?』ぐらいじゃねえか?」
「そ、そうでございますか・・・。と、ところで」
「あん?」
作業しながら春姫の質問に次々答えるライラに、春姫はおずおずとさらに質問を重ねる。
「ベル様はその・・・賭博といいますか、賭け事は得意なのですか?」
「おいおい、野暮なこと聞くなよ。あいつは下手くそだが、あたしが散々、泣かせてきたんだぜ?」
「え?な、泣かせ?」
ライラから語られるはオラリオに来る前のこと。会うたびにトランプを使った遊びをしていて、そして決まってライラによって泣かされていた。
『ライラ先生、それはない!絶対にない!ズルです!イカサマです!』
『へっ、何のことかわからねぇな。見抜けなかったお前が悪いぜ』
『大人気ない!』
『だったらやり返してみろよ~』
『リューさん!【ルミノス・ウィンド】!』
『おいっ、馬鹿!やめろ!おいリオン!!ガチで詠唱始めようとしてんじゃねぇ!!』
『小賢しい
『言いやがったな、この兎!!手加減してやらねぇぞ!?』
気が付けば、いつのまにかライラだけは『姉』ではなく『先生』になっていた。
嘘の見抜き方や、いつしか賭博の必勝法にイカサマまで、泣かされながら覚えこませられた。
強請りに基づいた交渉術に恫喝のお手本については、やろうとしてリューにガチで止められた。
『ライラ、さすがにベルにそれを教えるのは止めてもらいたい』
『・・・いや、覚えて損はねえだろ』
『止めてもらいたい』
『他になんか言えよ!?』
ライラ曰く、『ド屑どもを取り締まるなら、相手の思考や手札がわかっとかないとしょうがねーだろ』『綺麗事だけじゃあ正義の味方なんてやっていけないぜ~』ということらしいが。
その言葉に、春姫は何ともいえない表情になった。
「大人げなさすぎるのでは・・・」
「お前も覚えてみるか?寝技だけじゃやっていけないぜ?」
「い、いえ・・・私はあまりそのようなことは・・・」
「つまんねぇなぁ・・・。まぁ、お前が心配するようなことはねえよ?スキルのせいで嘘とかも見抜けるというか、なーんか、わかるっぽいしな」
「は、はい!それは、聞きました!」
「あ?なんて言われたんだ?」
「えっとですね・・・『春姫さん、今日は胸の鼓動が早いですね。それに、体をこすり付けてきて・・・発情してます?』と」
「お前なぁ・・・」
ライラは頭を抱えた。
こいつ本当に、面倒くせぇ・・・と思って、話題を変えた。
「あー春姫よ、ちょっと【ヘルメス・ファミリア】に言って【
「それは構いませんが・・・受けてくれるのですか?」
「いや、アーディの件であの派閥は逆らえねえよ。同情はするけど」
どこかで橙黄色の髪の神が『あっちゃ~』なんて言っている気がしたが、知ったことでない。
「あ・・・ベル様、武器をお持ちではありませんでしたよ?大丈夫ですか?」
「あー・・・ただのナイフだけなら持たせてるぜ。あと、まぁ、【
「た、確かに・・・とても綺麗でした」
「まぁ、手刀でも大丈夫だろ」
■ ■ ■
夜半。
頭上を見上げれば空は蒼く、月が巨大市壁に囲まれた都市を見下ろしている。
既に日付が変わった時間に、ベルは路地裏を一人で歩いていた。
―――
フード付きのロングコートに、漆黒のドレス。ウェーブがかった白い長髪で酔い潰れて路上でいびきをかいているドワーフや獣人の横を通りすぎていく。店じまいが多いとはいえ、繁華街や歓楽街をはじめ、オラリオは深夜を回っても眠らない。こういった路地裏にも複数の酒場が魔石灯の光を漏らし、安酒を求める労働者や冒険者を招き入れては細々と営業を続けている。
フードを深く被ったベルが辿りついたのは、大通りの喧騒も届かない、路地裏の奥深くに存在する酒場の1つだった。
―――汚い。うるさい。
下に伸びる階段を下り、傷んでいる木の扉を開ける。
視界に広がるのは場末の酒場特有の光景だった。ゲラゲラと騒ぐやせ細った
―――いや、駄目駄目。アストレア様も言ってた『潜入でいきなり力づくは、負けを意味するの・・・』とか言ってたし。そんなことになったらライラ先生に『減点な。』と鼻で笑われる!!
そんなことは受け入れられないのだ!!
僕だってできるところを見せなくては・・・とフンス!とする。
この店に入り浸っているであろう男達は勝手知ったる様子で酒瓶をあおり、銘々の女を抱き寄せていた。
―――こ、これが・・・・『ゴロツキ達の棲家』・・・っ!!
少年は一人、路地裏で人知れず『冒険』をしていた。