扉をくぐった先は、騒がしいホールから一転して物静かであった。
証明である魔石灯の光は抑えられており薄暗い。ホールに見劣りしないほどの広間であるが人の数とテーブルは少なく、空間を贅沢に使っていた。
黒服の給仕と、華麗なドレスに身を包んだ美女達が、客に酒をそそいでいる。
「先程のホールとは段違いでございますね、貴方、大丈夫ですか?」
「―――ええ、問題ないですよ」
経営者のテリー・セルバンティスに連れられるベルと春姫は、広い室内を見渡した。
樫の大扉に隔たれたホールの騒音は当然の様に一切聞こえることはない。遮音性に優れた広間には小さな談笑の声がやけに響く。
「
「
―――この人たちもアンナさんと同じ?
「さぁ、こちらのテーブルへ」
テリーが案内したのは、カードゲームを楽しんでいる者達の席だった。
都合4人。席に着いているテリーと古くからの知り合いなのか、気兼ねなく話しかけてくる。
「今夜も楽しませてもらっていますぞ、
「ところで、そちらの方は?」
「紹介します。今宵初めて我々どもの店に来られた、アリュード・マクシミリアン殿です。お隣におられるのは、そのご夫人のシレーネ殿」
「お初にお目にかかります、皆様」
「
笑顔で迎える
―――飲まないぞ。僕は飲まない。
「
「彼女達は、まぁ聞こえが悪いかもしれませんが、私の愛人です。自分で言うのもなんですが、多情な私めの求愛に、真摯に応えてくれました」
「ベル様とは逆でございますね?」
「―――帰ったらお仕置きですよ春姫さん」
「こんっ!?」
「私の愛に応えてくれた美姫達ですが、これを独り占めしようものなら美の女神から小言が飛んでくることでしょう。そこで僭越ながら皆様の目を潤す一役になって頂ければと、こうして酌に協力して頂いているというわけです」
遠まわしに言っているが、つまり彼女達はベル達が助けに来たアンナ・クレーズと同じ境遇――見初めたテリーがあらゆる手段を講じて強引に手に入れた者なのだろう。
「―――そういえばご存知ですか?ここ
「ああ、そのような噂、聞いたことがございます。界隈では『
「―――ブフゥッ!?」
『美の女神から小言が・・・』に反応した春姫が、驚かしてやろうと思ったのかそんな発言をしたしベルも別に脅すくらいはいいだろうと気にしてはいなかったが、帰って来た言葉に咽て咳き込んでしまった。
―――ま、また変な二つ名が!?というか、殺してないよ!?
ベルの引きつった笑みにテリーと
―――でも、リューさんが言ってたことは本当だったみたいだ。
『好色の
美麗かつ大胆な作りのドレスを纏う彼女達は誰も彼も美しく、本当に人形のようだった。自身の意思に関係なく、それぞれ理不尽な理由でここにいるのだろう。
まるで男の所有物であえることを示すかのごとく、様々な色の
この部屋はオラリオの真の『治外法権』。このような光景もまかり通る。
傲岸な
―――アンナさんも、ここにいるはずだけど・・・
自慢げな
「そういえば・・・ここに来る途中、
ベルがそう切り出すと、途端、他の者達も前情報があったのか色めき立ち始める。
「おおっ、私も聞きましたぞ! 何でも遠い異邦の国から娶ったのだとか!」
「どうか我々にも見せて頂きたい!」
周囲の富豪達の唱和。これも吐き気を催す光景だった。
一方でテリーは大笑する。
「がははははっ!! 皆さんも耳が早い! ええ、おっしゃる通り、新しい愛人として迎えたのです。せっかくですので紹介しましょう! おい!」
彼等の反応に気を良くしたのか、はたまた最初から見せる気でいたのか、ドワーフの
「初め、まして・・・アンナと申します」
スカートの裾を持ち上げ、少女は自らのことをアンナと名乗った。
間違いない。隠し切れない怯えを言動の端々に滲ませる彼女が、クレーズの夫妻の娘だ。
―――
大金の質としても十分に頷けるほど、彼女の細面は整っている。純朴そうな碧眼に白い肌、ほっそりとした顎や項、慎ましい胸の膨らみ。少女と女の間で揺れ動いている容姿は客観的に見ても女神とも張り合えることだろう。その首には他の者達と同じ
―――髪の色は母親譲り・・・けど聞こえてくる波長は周りの女の人と・・・いや、それよりも怯えてる。たぶん、他の人達とはいる期間が違うからかな。
街娘としての明るさは鳴りをひそめ、長い睫毛とともに目を伏せるその姿はただただ庇護欲をそそる。同時に、男の嗜虐心までも。見惚れていた富豪達は感嘆の息をつきながら、少女の剥き出しの肩に不躾な視線を送った。
「これはまた・・・器量良い」
「ええ、麗しい。女神が地に賜った美とはまさにこのこと。よく見つけましたな、
「実は異国の地で巡り会いましてな。きっと神のお導きだったのでしょう。この愛らしさと美しさに私めもすぐ虜になってしまったのです」
嘘を並べるテリーの言葉を横に、ベルはアンナの方へ顔を向けていた。
好色の目に晒される中で唯一異なるその雰囲気に気付いたのだろう、顔を上げたアンナは不思議そうに、あるいは戸惑うようにベルの閉じられた瞼を見つめた。
それに、テリーが気付く。
「マクシミリアン殿、彼女の顔が見えているので?」
「いえ・・・暗さもあってハッキリとは見えていませんが・・・ですが、彼女と似ている娘を知っていまして」
ベルは雰囲気を事無く静かに微笑を浮かべで相手の懐に踏み込んだ。
「とある知人の話なのですが、彼は悪漢達の誘いに乗って賭博に手を染めてしまい・・・財産を奪われた挙句、自慢の一人娘も攫われてしまったのです」
「!」
アンナとテリー、ともに目の色を変える。
「賭博に応じてしまった娘の父親が間違いなく愚かだったのでしょうが・・・ただ、詳しく調べてみると、どうやらその一件は
「・・・・」
「その者は麗しき娘を手に入れるためにならず者達をけしかけ、全てが終わった後は悠々と彼女を懐に囲っているそうです・・・少女の身の上を知る者として、心を痛めるばかりです。」
言葉に鋭い語気を発しながら、ベルはテリーの方へと顔を向けた。
「私は早くに親を亡くした身・・・別れを交わす事もできませんでした。しかしそんな私とは違い、生きているのであれば親子は一緒にいるべきだと思い今でも彼女の身を案じ・・・その行方を追いかけています」
全ての事柄を、アンナにまつわる経緯を何もかも知っていることを、言外に告げる。
愛想の良かったドワーフの
空気の変化を感じ取ったのだろう、テーブルにつく富豪達はうろたえ、聡い者は今何が起こっているのかも理解した。話の渦中にいるアンナもただただ呆然とするばかり。
―――生きているなら、一緒にいるべきだ。だから母親の話を聞いて引き受けたんだ。
アンナを取り戻しに来たという、ベルの事実上の宣戦布告であった。
「・・・興味深いですなぁ、マクシミリアン殿? ちなみに、今更ではありますが、貴殿は彼のフェルナスの伯爵と聞いておりますが・・・」
「ええ、ただの田舎貴族です。親を亡くしたことを未だに引きずり過去に固執する・・・愚かなヒューマンです」
テリーの探っている視線を、ベルは真っ向から受け止めた。
他のテーブルの
「どこのどなたと勘違いされているのかは存じませんが・・・どうやらマクシミリアン殿は奥様を差し置いて、このアンナにご執心の様子」
やがて口を開いたテリーは、剣呑な目付きをそのままに蓄えた髭の奥で笑みを作る。
「ならば、
「
「そうです。
パチンッ、とテリーが指を弾くと、男性給仕が大量の最高額
「お貸ししましょう。これでなければ我々の求む
「どうします?借りなくてもいいと思うんですけど」
「頂いておきましょう、その方が良い気がします」
「わかりました。貰っておきましょう。全部」
借りなくてもいいような気がしたが、
「恐らくですが・・・敗者は願いを聞き入れるという
「大量の借金も背負うというわけでしょう。もとより、逃がすつもりはない・・・と。」
「実力行使はどうでしょうか?」
「問題ないですけど、巻き込みかねないので流れに任せます」
―――リューさん達に比べれば、大したことないや。
「富や地位、名声も勝ち得た私達に真に欲するもの・・・それは命懸けの緊張感。違いますかな?」
黒い礼服を纏う用心棒達に圧力をかけさせながら、テリーは挑発のように語りかけてくる。
自分に楯突く輩を痛めつけるつもりか、またはアンナの一件をこの
『
ここで今すぐ実力行使に出ても負ける気はしないが、アンナのいる位置がテリーと用心棒に近過ぎることと他の女性達や春姫を巻き込みかねない。最終確認も兼ねて春姫を一瞥すると、こくり、と頷きを返してくれた。
「・・・わかりました。その
了承するベルに、テリーは口端を上げた。
そのまま同じテーブルにいる面々を見回す。
「皆様もどうですかな! ここは
両手を広げたテリーの提案に、うろたえる素振りを見せていた
羽振りの良さを示しつつ冗談を忘れない
「
「ええ、それで構いません」
「では勝敗は
了承し頷いたベルに、テリーは愉快げに目を細めた。
間もなく用意された莫大な最高額
表情を崩さない給仕達、不安と諦観の念を纏う美姫等、そして瞳を揺らす
「マクシミリアン殿は、そのままで
「―――ああ、いえ、妻のシレーネが目の代わりをしてくれるので問題ありませんよ」
「なるほど。では、手始めに
「私はその倍を」
ベル、春姫とテリーを除けば他の
ヒューマンが2人に、
ベルと彼等は一喜一憂もしなければ騒ぐこともせず、静かにカードをめくる音と
■ ■ ■
「貴方、同じカードが4枚です! 『ふぉーかーど』でございます!」
ベルの持つ手札を横から春姫が見つめて歓呼する。喜ぶ伯爵夫人のその姿に、テリーも
「・・・ふふ、なるほど。それは何より」
春姫の口によって自分の
動きを止めていたテリーと
明らかな
―――全くの子供騙しだ。世間知らずの貴婦人を装ったのだろうが・・・規則も知らないド素人め。所詮は子供か。
大方、この
引っかかるものか、と心中で嘲弄しながらテリーはひそかに目配せを行った。
「あぁ君、アルテナワインの30年ものを頼む」
アルテナワイン、30年もの―――
あらかじめ決められている暗号を交わしたテリー達は上辺だけの
「どうやらこの老いぼれと一騎打ちのようですが・・・どうなさいますかな?」
「ええっと・・・そうですね、
「ふふふっ、随分強気でいらっしゃる。ならば私も
老紳士の唇がつり上がる。
さぁどうだ、下りてもいいんだぞ、という体で獣人の
「
更に
「・・・!?」
再三にわたる宣言。小揺るぎもしない微笑。
これには老紳士ともども、あざ笑っていたテリーや他の
「は、はははっ・・・よろしい、では勝負といきましょう」
周囲が静かに見守る中、
老紳士の役は当然、フルハウス。
対してベルは
「フォーカード」
予告通り、4枚の『
「っ!?」
テリー達が一斉に驚愕する。
老紳士の役を上回る
「さぁ、どんどん行きましょう」
引きつった笑みで取り繕っているものの、老紳士の顔は屈辱に燃えていたが、すぐにその怒りは別の感情に取って代わる。
「すごいです貴方! 今度は全部同じ
「・・・!!」
またか、と。
再び
『もう一度などありえるものか』という怒りと『まさかまた』という疑念。呈する半信半疑の様相。押し黙るテリー達が様子見で勝負を下り、合図を送られた最も強い
「また私の勝ちのようですね」
「・・・!!」
だが、やはり宣言どおりベルの
「ストレート」
春姫はベルの運の良さにいっそ吹っ切れて出てきた
「・・・お、下りる」
「わ、私もだっ」
宣言された
そこからは止まらない。
「スリーカード」
作業をこなすように
「フラッシュ」
静かに、粛々と、大胆に。
「フルハウス」
重なっていくベルの連勝。2人のもとで積み上げられていく最高額
愕然とするテリーがまず疑ったのはベルと、隣にいる春姫の
おかしい、強過ぎる、とテリー達が心の声を1つにする。
間もなくして1人目の脱落者が出た。
「そん、な・・・」
青ざめるのは先程の獣人の老紳士。
あれほどあった
テリーや
「皆さん、ご存知ですか? 知り合いの街娘から聞いた話なんですが・・・神様達の中には『魂』の色を見抜いてしまう女神がいるそうです。何でも彼女の瞳は、『魂』の揺らぎを見て、子供達の心まで暴いてしまうのだとか」
頬付きをし細い指で配られたカードの輪郭をなぞりながら、静かに語る。
「勿論、私はそのような瞳は持ってはいませんが・・・ただ、」
「私は、耳がいいんです。街中などの人が多い場所ではただ疲れるだけですが・・・こういう場所であれば、周りの人間の心音を聞き取ってどういう心情かくらいは読み取れるようになりました。ほら、聞いたことありませんか?失った機能を補うように別の機能が強化される・・・みたいなこと。あとはそうですね・・・」
周りの美女達が全員、アンナと同じ手口で捕らえたのだろうと言外に伝えながら最後に言う。
「【運】がいいんですよ、かなり。もしかしたら・・・ここも出禁になるかもしれませんね」
その言葉を聞いて、
「さあ・・・続きを」
終盤にさしかかり一気に加速する
今や用心棒や美姫達が固唾を呑んで見守る。
―――このままでは負ける・・・
掌の上で遊ばれるかのように、勝敗が支配されテリー自身は最低限の勝ちを拾うことしかできない。彼自身も
そして、最後の瞬間が訪れた。
「ロイヤルストレートフラッシュでございます」
春姫の口から
――ガタンッ!!と獣人の老紳士が勢いよく椅子を飛ばし、腰から床に倒れた。
衝撃によってテリーの
眼球が飛び出そうかというほど見開いたテリーは、勢いよく背後を振り返る。
「ファウスト!?」
「―――ファウスト?」
―――ルノアさんの名前だっけ?
ドワーフの凄まじい怒号に対し、呻きながら首を横に振るヒューマンの用心棒。
うずたかく詰まれた
「さあ、僕達の勝ちだ。」
勝った者の願いをかなえるというのが
「よろしい・・・彼女にはしばらく暇を出すことにしましょう。思えば、異国から来たばかりで疲れているでしょうからなぁ」
まだ困惑しているアンナが恐る恐る去っていく光景にテリーは腸が煮え返る思いだった。
事実上の手放しだ。まだ買ったばかりで愉しんでさえいないというのに。
「これでよろしいですか、マクシミリアン殿?」
席から立ち上がるベル、そしてやって来た
――この小僧、青二才めっ。今に見ていろ。俺に恥をかかせたことを後悔させてやる。
心の中でテリーが憎悪をたぎらせていると、ベルが口を開いた。
「いや、まだだ」
その言葉に、テリーは更なる怒りで自分の目もとが痙攣するのがわかった。
「・・・何ですかな。このアンナだけでは、ご満足して頂けないと?」
思い返せば、確かにベルは『
「いやはや、マクシミリアン殿はお若いというのにこうも強欲でいらっしゃる。私はどれほど愛する者達を手放せばいいのでしょう?」
テリーの皮肉たっぷりの言葉を無視し、ベルは次の一言を告げた。
「
その発言に、数瞬、
「貴方が金にものを言わせて奪い取った、全てを・・・解放してもらう。」
静寂を破るのは、ベルの宣告である。
theos(テオス)はギリシア語で「神」
thanasia(タナシア)はギリシア語で「死」
繋げてtheothanasia(テオタナシア)となるそうです。