メガテン新作ゲーム……?   作:せとり

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翡翠 前

「どうしよう……」

 

 黒髪の若い女が駅構内のベンチに座り、絶望に打ちひしがれるように俯いていた。

 名は、巫浄(ふじょう) 翡翠(ひすい)

 同名のキャラクターの覚醒能力特典を貰った、一人のプレイヤーだった。

 

 翡翠はプレイヤーの中でも底辺だ。

 チュートリアルでは、部屋から一歩も出ずに引きこもっていた。

 迷宮内に足を踏み入れる勇気が湧かなかったから。

 あの薄暗い通路と相対すると、まるで得体の知れない怪物の口の中を進んでいくような錯覚を覚えて、恐怖が体を支配して動けなくなった。

 

 自然の成り行きとして食料は入手できず、お腹を空かせながら狭い部屋の中でひたすらじっとしていた。

 硬い石の床ではリラックスすることもできず、なによりいくら安全地帯とはわかっていても、外を悪魔が徘徊するという事実が不安を煽り、いつ悪魔が襲ってきても不思議ではないと気が気ではなかった。

 そんな状況では当然、眠ることは殆どできない。

 気絶するように眠りに落ちて、悪魔に襲われる夢を見て飛び起きてからは、眠ることすら恐怖になった。

 椅子の上で蹲り、不安を紛らわせるように掲示板に入り浸って時間を潰す。

 

 空腹と寝不足で、翡翠は日を追うごとに衰弱していった。

 3日も経つ頃には動き回る元気すら残っておらず、今さら探索に出ることもできない、完全に詰みの状態になっていた。

 

 ――私、このまま死ぬのかな……。

 

 漠然と死は覚悟していた。

 苦痛が続くようなら、いっそ一思いに……。そう思ったが、自殺する勇気もなかった。

 後ろ向きではあれど、自殺するのにも強い意思が必要になる。まして楽に死ぬための道具が何もない状況では尚更だ。

 石の壁に頭を打ちつける? 断水する? 迷宮に行って悪魔に殺される?

 どれも想像するだけで背筋が凍った。自分で命を絶つのは絶対無理だと思った。

 

 空腹は、ある一定を超えると苦痛ではなくなるらしい。

 頭がぼうっとして体がだるい。けれどひもじさはそこまで感じなかった。

 このまま緩やかに死ねるなら、それはそれでいいかもしれない……。

 死ぬのは怖かったが、より強い苦痛と恐怖に苛まれて死ぬよりはいいと、自分を納得させた。

 

 そして3日目のあの日。死は唐突に訪れた。

 

 ――禁止区域指定……? あと1時間で、ここが安全ではなくなる……?

 

 PCの画面に表示された運営からの報せ。

 その意味を、翡翠は暫く理解できなかった。理解したくなかった。

 それはまるで、自分の死刑宣告を読み上げるようなものだったから。

 

 ――怖い……。怖いよ……。お父さん、お母さん……。誰か助けて……!

 

 今さら警告された所で動くことはできず、その後の1時間を翡翠は恐怖に震えながら部屋で過ごした。

 そして禁止区域指定が出てから、きっかり1時間後。

 

 足元の扉の隙間から、毒々しい緑の煙が静かに音を立てず室内に流れ込んできた。

 毒ガスだ。翡翠は直感的にそう思った。

 足元に滞留しつつ、徐々に嵩が増していく毒煙に翡翠は恐慌を起こしたが、部屋の外の迷宮内も同じ状況で、最早どうすることもできなかった。

 パソコンの電源も落ちていて、他の人と会話を交わして恐怖を紛らわせることもできない。

 

 やがて煙の高さは口元にまで達した。

 始めは吸い込むまいと手で鼻と口を塞いで息を止めていたが、すぐに限界は訪れる。恐る恐る息を吸ったが、恐れていた苦痛は感じなかった。息苦しさも感じない。

 色がついていなければそれがあると分からないような、無味無臭の煙。

 しかしそれは確かに毒だった。

 完全に室内がガスで満ちて5分ほどした頃だろうか。唐突に、翡翠は吐血した。

 

 ――え?

 

 口に含んだ水を吐き出すみたいな自然さだった。手のひらが真っ赤に染まり、口の中が鉄の味に染まったことから、自分が血を吐いたのだと遅れて理解した。

 その後も数分おきに吐血を繰り返した。

 痛みは無かった。しかしその度に自分の命が削られていくことに、翡翠は気が付いていた。

 3回吐血した頃には、もう翡翠は立ち上がることすらできなくなっていた。

 

 今際の際には何を思っていただろうか。

 ただ毒々しい緑と、吐き出した血の赤とのコントラストが、今も脳裏に焼き付いている。

 

 ――やっと終われる……。

 

 ああ、そうだ。

 少しだけ安堵したような気がする。

 ようやくこの生き地獄から逃れることができるのだと。

 

 

 

 

 

 ――え……? 生きてる……?

 

 そして、石造りの狭い部屋。その床の上で目を覚ました。

 迷宮内の初期セーフエリア。翡翠が3日間を過ごした場所だった。

 先の出来事がまるで夢であったかのように、毒ガスは引いていた。

 

 ――夢……? じゃ、ない……?

 

 しかし手や床に付着した血の汚れはくっきりと残っていた。

 自分はガスにまかれて死んだはず。でも生きている。なら夢だった? しかし吐血の跡がある。

 惨劇を物語る確たる証拠に、翡翠は何が何だか分からなくなった。

 

『ごきげんよう、プレイヤーの皆さん。――どうぞお気軽に『天使』とでもお呼びくださいませ』

 

 混乱した翡翠に回答を示すように、パソコンの画面が勝手に切り替わり、美しい天使の姿が映し出された。

 始めはお迎えが来て、天国にでも連れて行ってくれるのかと思った。

 しかし話を聞いているうちに、そんな幻想は打ち砕かれた。

 この地獄は続いていくのだと、翡翠は悟り、呆然となった。

 

 スコアは0。評価F。

 何の保証もない1発ガチャ。

 運を天に任せて引いてみたが、2つは最低レアと思しきレア度N。

 唯一覚醒能力だけN+が出たが、それも大したことはなさそうだった。

 

 能力は、物静かそうな赤髪の美少女メイド、『翡翠(月姫)』。

 原作はよく分からない。Fate繋がりでなんとなく知っているだけで詳しく知らないけれど、戦っているイメージは無かった。

 作品的には特殊な力があってもおかしくはなさそうだけど、潜在能力には期待できそうにない。

 住居は無い。所持金もない。

 

 ――これでどうしろというの……。

 

 無い無い尽くしに途方に暮れる。

 じんわりと涙が浮かび、視界が歪んで画面がよく見えなかった。

 

 

 

 

 

 そして、今に至る。

 

 捨て子として施設で育ち、漠然と生きた、18年間の虚無の日々。

 突然駅のホームで、前世の記憶と意識が浮上した。

 所持金0円。帰るあてもない。

 唯一の持ち物だったスマホも、携帯料金を支払っていないのかネットに繋がらなかった。

 

 駅なら探せばフリーWI-FIが飛んでいる場所もあるかもしれない。

 そんなことにすら思い至らないほどに翡翠の混乱は酷く、思考は鈍っていた。

 

「これからどうすれば……」

 

 駅構内のベンチに腰を掛けた翡翠は、淀んだ気持ちを吐き出すように深いため息をついた。

 昼間から黄昏てベンチに座る、暗い雰囲気を漂わせた若い女の姿に、チラチラと視線を向けてくる人はいたが、心配そうに声をかけてくる人はいない。

 人と人との繋がりが薄れた冷たい現代社会の風を感じて、翡翠はますます憂鬱になった。

 

(あれ、このアイコン……あっ、掲示板は見れるんだ……)

 

 未練がましくスマホを弄っていた翡翠は、ようやくその事に気が付いた。

 一縷の望みをかけて掲示板を覗く。

 自分と同じ境遇の人が大勢いるようで、不謹慎だが少し安心してしまった。

 窮乏しているのは自分だけではないのだと。

 他人の不幸を喜ぶなんて最低だ。そんな自分に嫌気が差す。

 いろんな感情がない交ぜになったのか、なぜか涙が滲んできた。

 目元を拭って小さく鼻を啜り、半分泣きだしつつも翡翠はスマホの画面をスクロールしていく。

 

 色んな書き込みに目を通していると、なんとなく展望も見えてきた。

 

(そっか。現代日本なら保護を頼めばいいんだ……)

 

 そんな単純な事にも気づかなかったのは、1人ぼっちで誰にも頼れず餓死しそうになった苦い経験の所為だろうか。

 今の状況は、翡翠が思っていた程に絶望的な状況ではないらしい。

 少なくともあの悪夢のチュートリアルと比べれば、ずっと優しい状況だ。

 

 希望の光が見えた――。

 しかしその光を遮るようにして思い出されるのは、毒ガスに満ちた狭い部屋。そこで孤独に死んだ記憶。

 

 国を頼り、保護を受けて。その先はどうする?

 安穏として生きていて、果たして大丈夫なのだろうか? また不意打ちのようにああいった事が起きないだろうか?

 胸を掻き毟りたくなるほどの不安に襲われる。

 しかし自分で戦うこともできない。どうすれば……。

 あの時の死の恐怖を思い出して、翡翠は体が震えだすほどの寒気に襲われた。動悸が激しくなって呼吸が浅くなり、手が痺れだす。

 

 そんな時に、ある一つのスレッドが目についた。

 

【群馬県】近くにいる人をできるだけ助けます【前橋市】

 

(群馬県、前橋市……?)

 

 既視感を感じた翡翠は、周囲を見回して駅名を探した。

 

(前橋駅……。私が今いる場所だ……)

 

 その偶然の繋がりに、翡翠は導かれるようにスレッドを開いた。

 

(スコア評価S……!? すごい、トップランカーだ……)

 

 少し疑って書き込みのログを辿ってみたが、それは事実だろうとすぐに判明した。

 あのチュートリアルを7日間も生き抜いた上で、悪魔も沢山倒している、正真正銘の攻略組。その最上位層に位置する人物だった。

 少なくとも7日目まで書き込みを行い、実際に体験しなければ知り得ない、様々な情報を齎していることは確かであった。

 初期セーフルームから一歩も出ることなく閉じこもっていた翡翠とは雲泥の差がある。

 

 そんな凄い人が、周囲にいる困窮プレイヤーを助けようとしている。

 宿を提供してくれて、お金を貸してくれる。

 おあつらえ向き過ぎて疑いそうになるほどに、その条件は翡翠の願望とマッチしていた。

 ――この人についていけば、何かあっても守って貰えるかもしれない。

 期待に胸が高鳴る。気が付けば体の震えは収まっていた。

 

(この人に頼ってみようかな……?)

 

 正直に言えば不安もあった。

 流石にスレで不信をまき散らしている人ほどではなかったが、若い女が人の家に泊まり込むなら、“そういう事”も考えられた。

 しかしそのやり取りを見ているうちに、覚悟も決まった。

 

(そんなに悪い人には見えない……よね?)

 

 先行きが不安なのは変わらないのに、自分の事だけを優先せず、他人にも手を差し伸べる。

 きっといい人だ。

 そう信じてコンタクトを取った。

 最後までスレッドを追って更新した瞬間、直前に支援をやめるという書き込みがあった時にはものすごく焦ったが……。

 

(ほっ、返信があってよかった……。もうこの人いい加減にしてよね。本当にやめちゃってたら誰も得しないじゃない……)

 

 怒りに任せてそのIDをブロックする。

 

(えっ、もう着く? 早いっ)

 

 不安と期待でドキドキしながらスマホを眺めていると、もうすぐ駅に着くというレスがついた。

 待たせてはいけないと焦り、翡翠は慌てて返信をすると駅の建物内から飛び出した。

 

 






アンケートにお答えいただきありがとうございます。
ネタバレはいらないという意見が多いようなので、とりあえずこのまま進行していきます

今後の展開の説明は……

  • 今はネタバレしなくていい。後で語って。
  • 今ネタバレ込みの説明が欲しい

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