「だーれが鈍感だ」
とりあえず、一番伸びていたスレをざっと読んでみた。
どうも俺は起きるのが遅かった方のようだ。最後の方で馬鹿にされているようなレスを見かけて苛立ったが、悪態をつく程度でわざわざアンカーをつけて絡んだりはしない。
他に気になった攻略スレも覗いてみたが、怖くなってすぐ逃げ帰って来たという報告ばかりで役に立つ情報は少ない。
いや、中には有用そうな情報もあった。
通路に浮かぶ人魂のような敵を見た、もののけ姫に出てくる木霊のような敵を見た、という情報がいくつか寄せられている。
それぞれウィルオウィスプとポルターガイストではないか。そんなレスが見られた。
メガテン3とデビサバ2でどちらもLV1の出現悪魔だという。ステータスはそれと同じなのではないかとのだが……。
「は? ウィルオウィスプの方は物理耐性?」
他の弱点はガバガバのようだが、自分たちプレイヤーに属性攻撃をできるような異能に目覚めている者はいない。
一応ゲーム基準ならHPは低めのようだが、そもそも一般人である自分たちが悪魔とまともに戦えるのかという疑問がある。
いきなり物理耐性なんて持った強敵が徘徊していることが知られ、攻略スレはお通夜のような雰囲気になっていた。
「ふう……。俺も行ってみるか」
いつまでも掲示板に張り付いていたところで生の情報は得られない。
この状況を本気で何とかしたいのなら、自分から動いていくしかないだろう。
洗面台の水で軽く喉を潤してから、俺は意を決して部屋の外に出た。
裸足の裏から石畳の冷たい感触が伝わってくる。
薄暗い通路をなるべく音を立てないように、ひたひたと歩く。
迷宮という名称に相応しく、石造りの通路は迷路状に入り組んでいた。
同じ光景がひたすら続き、ともすれば現在位置を見失い、帰り道が分からなくなると不安に思うのも分からなくはない。
そこに迷路内を徘徊するだろう敵性存在、悪魔の存在がより強い恐怖心を与え、恐怖を来してすぐさま逃げ帰ってくる人が続出するのも仕方のないことだ。
俺としても、緊張で心臓が早鐘を打っている。
それでも足が前に向かっていくのは、別に人一倍勇気があるわけではなく、現状に対する強い危機感があるからだ。
迷宮の中に潜む曖昧な危険に対する恐怖心よりも、何もしないでいれば確実に飢えて死ぬという恐怖の方が強かった。
座して死を待つぐらいなら戦って死にたい。そういった意識があった。
――何かいる。
曲がり角の向こう側。中空に浮かぶ何かを目にした俺は、すぐさま顔を引っ込めて息を潜めた。
人魂というよりは人形っぽかったな……。ポルターガイストの方か?
どっちにしろ行動は決まっている。悪魔と戦って勝てると思うほど自惚れてはいないので、絶対に戦わない方針だ。
俺は来た道を引き返し、そそくさと逃げ出した。
迷宮に突入して1時間程度が過ぎただろうか。時計がないので正確な時間は分からなないが、体感時間はそれぐらいだ。
現在俺は、迷宮内になぜかあったトイレの中で休憩していた。
清潔感ある公衆トイレという感じだ。利用者がいないのか使用感が全く感じられない。
LEDの照明も付いていて、ウォシュレット付きの現代的なトイレだ。ここだけ雰囲気が違う。
後ろからやってきた悪魔に退路を断たれてしまい、仕方なく前に進むしかなくなり、通ってきた道順もよく分からなくなり――気づけばこんなところに辿り着いていた。
やってることはコソコソと悪魔から逃げ回っていただけだが、一応収穫もある。
これまた何故か道中に無造作に置いてあった宝箱。そこから手に入れた刃物だ。
全長は50~60㎝程だろうか。腕の長さほどもある山刀だ。鉈というには刀身が薄く軽い。黒くコーティングされた外観はスマートで格好よかった。
こういうタイプの刃物は何と言ったか。ゲームとかでも結構見かけた。割と有名なヤツだ。……そう確か、マチェットだったか。
「ま、名称なんてどうでもいいか。どうせ飾りだし」
刃物を持ったところで、自分は自分。ゲーム主人公のような超人ではない。戦闘力は大して上がっていない。
護身用の道具としてはそこそこ頼もしいが、基本的な方針は変わらない。命を大事に。悪魔とは戦わない、だ。
「そろそろ行くか……」
休憩を切り上げて、再び薄暗い石造りの迷宮へと足を踏み出した。
「はー……ようやく帰ってこれた」
何時間振りかにパソコンと洗面台のある部屋を見つけて、俺は安堵の息を吐いた。
両手に抱えた戦利品を床に転がすと、椅子に勢いよく腰かけて背もたれに寄りかかった。
「ふう……疲れた……歩きっぱなしで足いてえ」
死ななかったのは運が良かった。
一度ポルターガイストに見つかって、ブフらしき氷結魔法を撃たれながら追いかけられた時は本気で死を覚悟した。
トイレに逃げ込んだら中までは追ってこなくて助かったが、一歩間違えれば俺はこうして愚痴ることもできず、物言わぬ屍となっていただろう。
それでも成果はあった。
危険を冒してでも探索した甲斐があったと自信をもって言える。
この部屋から近い部分には殆ど宝箱はなかったが、迷宮の奥の方には比較的多くの宝箱が配置されていた。
そこで得た戦利品によって、俺はかなりの余裕を手にした。
まず最も求めていた食料。
カロリーメイトがダース単位で入手できた。1箱4本入りのケースが12箱だ。
節約すれば1週間以上、何も考えずに食べても3~4日は持つだろう。
早速食べてみたけど美味しかった。味もそれぞれ違うものが入っているし、食糧事情はかなり改善された。
持てる量が限られていた為、全てを持ち帰ることができなかったが、宝箱には他にも缶詰や乾パンなんかも入っていた。探索に出続ける限り、食料に困ることはなさそうだった。それが判明しただけでも大収穫だ。
そして装備品。
最初に見つけたマチェットと、その後に見つけた白いロングコート。
コートは発見した時から身に着けている。膝下までくる丈の長さで、頑丈そうな厚手の生地。守備力が少しだけ増した。
後はよく分からない小物が3つ。
傷薬と書かれた丸いプラスチックケースに入れられた青い軟膏。
ペインキラーと書かれた、メントスみたいに包装された大きな錠剤。
『武器に触れさせると……?』という意味深な事が書かれた紙片が同封されていた、ごつごつした触感の黄色の貴石。
言葉通りの効果を持つなら、傷薬が回復アイテムで、ペインキラーは痛み止めだろうか。
「黄色の宝石は……試してみるか」
きっと武器を強化してくれるようなアイテムだろう。流石に罠という事は無い筈。
「いや待て。先に掲示板を見るか」
早速マチェットに宝石を触れさせようとしたが、先に情報収集をしようと思い直した。