ティアナ様は告らせたい~少女(一部女性含む)たちの恋愛頭脳戦~   作:アルブレヒト・ミュンヒハウゼン

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前回のあらすじ
ユウキが風邪を引いた。


ノゾミは見舞いたい

 ノゾミの朝は早い。

 日が昇るや、それなりの速度で王宮の周囲を走る。

 【カルミナ】の活動がある日はもちろん、オフの日でもほぼ同じ時間に起きるよう習慣づいているため、朝食前に五キロを目安に走ることにしている。

 肺活量の増大やスタミナをつけるにはジョギングが最適だ。屋外で行う運動なので天気に左右されやすいものの、ランドソルの天候は概ね安定している。気温の変化も穏やかで、湿度もそう高くはない。そして一人でもできる。こうして、新たな習慣として始めたのだ。

 それに、有酸素運動なので痩身効果があるだけでなく、余計な筋肉がつきにくい、というのも理にかなっている。

 女性、特に体が成熟してくるノゾミくらいの年代では脂肪は見た目に、そして筋肉は体重に直結する。アイドルとして活動する以上、見た目を重視するのは当然のことだ。

 ただ、本音を言えば少しくらい脂肪がある方が持久力を保てるため、食べたいものを食べ……ア、アイドルとして、見た目を重視するのは当然のことだ。大事なことなので二度思った。大事なことだ。大事なのだ。うぐぅ。

 とはいえ、年頃なのとレッスンはハードなので食べた分は消化しきれるし、もう少し食べたっていいのではないかと……いや、付きやすい場所がその、へそ周りというか腰回りというか、露出することが多い場所なので増えたことがバレてはまずい。

 あとツムギに怒られる。それはもう、すごく。

 逆に、本当についてほしいところには……なかなかつかない。

 否。

 つかなくたっていいのだ。今だって十分あるし? ()はそういうことで評価しないし? だ、第一、そんなん重いだけだしはーん!!

 ツムギ見てよツムギ!! 少し薄着になったらこぼれ……重そうったらないでしょ!? あの子食べても太らないんだって!! 太っても特定の一部、要するに胸にいくんだって!! うらやましくなんてないもんはーん!!

 ……見苦しい。ツムギはツムギ。自分は自分だ。それに、そんな事を言ったらチカはどうす……ごめんチカ。巻き込むつもりはなかった。女性としてはともかく、アイドルとしては胸の大きさは関係ない。話題にはなるかもしれないが、そんな出オチのような、一過性の話題は背負うだけでプラスにはしにくい。どころかスキャンダルを招く災厄のようなものだ。くわばらくわばら。

 そもそも、誰もを笑顔にすることを目的に掲げて【カルミナ】というアイドルグループを結成したのだ。アイドルとして体全体の見た目が重要なのは承知しているが、それよりもまずは歌やダンス、ステージの完成度で評価されたい。それは嘘偽りのない気持ちだ。そして、それを叶えるためのメンバーがチカとツムギだ。仲間同士で共食いはよくない。反省。

 

 ……などと高尚なこと……前半ね、前は……最初の部分。そこだけ見てくれれば大丈夫。間違ったこと言ってないから。

 高尚なことを思っているものの、実は毎日走っているわけではない。前日のレッスンが押してしまった場合や当日のスケジュールによっては見送ることがある。少しは休みたい、というよりは体に叩き込んだ動きを反芻して、より自然に動かせるよう馴染ませるための時間が欲しい。それに、プロとしてスケジュールに支障をきたすようなことはしたくない。

 とはいえ、日々のレッスンはハードだし、一応ギルドなのでギルドマスターとして提出しなければならない書類の作成もある。時々チカと魔物退治に行くこともあれば……あれ、なんて言ったっけ、ええと……ツ、ツムギのお店でなんちゃって店員のようなこともしている。それらをこなしているだけで痩せるような気もしなくもないが、それでもなるべく走るようにしているのは、気分転換を兼ねているためだ。

 

 アイドルとしてまだ駆け出しの頃はいろいろなことに挑戦した。うまくいくこともあれば、完全に失敗したこともある。気持ちを切り替えるのは得意だとの自負はあったし、事実、失敗に対して即座に切り替えることは簡単だった。

 とはいえ、毎回そううまく行かない。少しずつスケジュールが埋まるようになると、切り替えるよりも先に次のステージの時間が来る、ということもあった。

 その時は乗り切れても、徐々に蓄積していけばいずれ溢れてしまう。そうして、時折ひどく気分が落ち込み、くよくよと考えてしまうこともあった。

 気分転換の手段として趣味を持とう、と考えた時、ふと浮かんだのがジョギングだった。

 ジョギングはそんな気分を全て忘れさせてくれる。というよりは走っている時に余計なことを考えなくて済むため、走り出す前に考えたことを忘れてしまうのだ。

 単純と笑えばいい。簡単に切り替えられることこそがトップアイドルの条件だ、と半ば本気で思っている。

 何しろ、アイドルは人目に触れなければならない存在だ。人間関係で生じる面倒くさいあれこれは確実に生じ、そして確実に巻き込まれる。それを気にして疲弊していてはパフォーマンスどころか健康にも影響を及ぼす。

 だから全てを忘れ去るために走るのだ。

 

「ふっ……ふっ……」

 かなり背の高い塀を左側に見ながら、鼻から空気を吸い、口から吐き出す。

 走っているのは王宮を覆っている高い塀の外側。二頭立ての馬車がすれ違うことができるくらいの道だ。こうして走っていると遮蔽物もなく、広いように思えるが、何かを企むには向かない程度には手狭だ。

 足の動きも素直だ。着ているジャージの内もも部分がこすれる感じはあるが、これは元々O脚気味なのと、やや内向きに着地してしまう癖のせいだ。筋トレはしているものの、ステージに立つ以上は必要以上に太くできないため、こればかりはどうしようもない。

 フォームを変えるか、もっと股関節の可動域を広げるしかないだろう……あ私180度前後に開脚できるから無理だ。フォーム一択。

 

 王宮の周囲を走るようになったのはジョギングを始めてそれなりに時間が経ってからだ。

 当初は家の周囲や公園で走っていたものの、徐々にノゾミの名声や露出が増えるようになったため、問題が生じそうになったのだ。

 問題とは、ファンなどとの距離だ。

 ノゾミを始めとした【カルミナ】のファンの大半は常識的な振る舞いをしてくれる。

 そう、()()だ。

 ごく少数とはいえ、言動が行き過ぎているファンもいるにはいる。加えて、知名度の高まりによってなぜか発生する、いわゆるアンチも存在している。

 当時のジョギングコースで人気が少なくなる界隈になると、ノゾミに対して悪意や何らかの思惑を含んだ視線が複数あることに気付くようになった。

 いくらノゾミが戦え、護身術以上の戦力を保有していても、常に構えているわけではない。例え対応できても、家の周囲や公園で大立ち回りをやればどういう理由であれ迷惑がかかる。それを危惧したのだ。

 そこでノゾミは王宮に目をつけた。

 【王宮騎士団(NIGHTMARE)】が行う王家の警護にタダ乗りして自分の警備もしてもらおうと考えたのだ。

 

 何しろ、街中と比較して警備が充実している。【王宮騎士団(NIGHTMARE)】の規模は縮小傾向にあるとはいえ、流石に王宮の警備は最優先かつ最重要任務だ。そのため、昼夜天候関係なく、いついかなる時分においても警備担当が配置されている。

 もちろん専任は王家の警護だが、不審者や危険人物への警戒は常にされている。そして、その賊が王家を狙っているか、それともノゾミを狙っているかは発見した段階では判明しない。

 つまり、ノゾミを付け狙うへんたいふしんしゃさんは【王宮騎士団(NIGHTMARE)】によって常に成敗される、という寸法だ。ただ、行き過ぎたファンの突撃には対応が遅れるかも知れないが、騒ぎに気付いた【王宮騎士団(NIGHTMARE)】が駆けつける時間稼ぎくらいはできる。

 これを考えついた時、自分は天才ではないかと自賛した。その勢いで一曲作ることにも成功した。プロデューサーにはボツを食らったが。

 

 だが、一週間ほど走るようになって後悔した。しかも激しく。

 【王宮騎士団(NIGHTMARE)】を恐れてなのか、はたまたノゾミが気をもみ過ぎたのか、確かに、これまで感じていた悪意の視線は感じなくなった。へんたいふしんしゃさんもいない。

 その代わり、早朝にも関わらずファンが集まるようになってしまった。どこから情報が漏れたのか、はたまた元々のジョギングコースにもいたが隠れていたものの、王宮周辺には隠れるところがないから露出するようになったのか。その数、およそ30人。

 広く見えても手狭、というのはこの時の感想だ。壁際に並んでいるので道を塞いでいるわけではない。なのに圧迫感というか、微妙に気圧されるような気がしたのだ。

 これにはオフの時でもファンをないがしろにはしないと決意していたノゾミでも流石に引いてしまった。

 当然、そんなことになれば【王宮騎士団(NIGHTMARE)】も黙っていない。不穏分子ではないにしろ、そんな人数が早朝に集まるとなると警戒する。

 唯一の救いだったのは、【王宮騎士団(NIGHTMARE)】団員の中にノゾミを知っている者がいたことだろう。

 一瞬で事態をお察しした団員は穏便にファンを解散させた。再び戻らないよう、警備の数を増員して王宮周辺に寄り付かないように命じてからノゾミを詰め所へと誘導した。

 事情聴取されれば警備のタダ乗りも知られるところとなり、流石に怒られるだろう、と覚悟した。

 だが、そこにいたのは【カルミナ】のプロデューサーである、クリスティーナだった。

 

 椅子にふんぞり返って座るクリスティーナはノゾミの顔を見るなり、

「ふむ☆」

 右眉を立てて軽くうなずく。口元に浮かぶ薄い笑みは、普段から見慣れた面白いことを思いついた時の癖だ。

 そして、

「事前、そうだな、三日前までに日時、そしてコースを提出しろ。以上だ」

 それでおしまいのようで、クリスティーナは安っぽそうな椅子に体重を掛け、悲鳴を上げさせる。

 これには流石にノゾミも驚く、というよりは困った。【王宮騎士団(NIGHTMARE)】の偉い人に根掘り葉掘り聞かれると思っていたのに、出てきたのは顔見知り、しかもほぼ何も聞かれずに放免されそうな雰囲気だ。これで困らない人がいたら教えてほしい。

 何故か左側、壁から少し離して置いてある全身鎧の圧力に少しだけビビりながら、正面にいるクリスティーナに問いかける。

「あの……いいんですか?」

 思わず俯いてしまうのは、自分があまり褒められたことをしていると自覚しているからだ。

 すると、

「構わん☆」

 いつもとは異なり、言葉が少ない。

 しかも、話題は終わったオーラを全身から発している。

 この態度を取っている時に突っ込みすぎても情報は出てこない。それに、一応ではあるが許可はされているのだから、これ以上しつこく食い下がることもない。もしかしたらここに居続けることで【王宮騎士団(NIGHTMARE)】のトップやそれに近い、本当に偉い人が出て来るかも知れない。そうなれば確実に撤回されてしまうだろう。

 持ち前の割り切りを発揮して小さく頭を下げ、詰め所を後にする。誘導した団員からサインを所望されたこと以外に変わったことはなく、そのまま開放となった。

 その後、言われた通りに三日前に日時とコースを伝え、当日に王宮に来てみると、本当に【王宮騎士団(NIGHTMARE)】の団員が増えていることに気付いた。どうやら本当に対応してくれたようだ。

 以降、ノゾミは忘れずに申告することでトラブルに見舞われることはなくなった。

 

「ふっ……ふっ……」

 短く息を吐き出しながら、走る。

 まだウォーミングアップなのでペースは抑え気味だ。呼吸が深く落ち着いたものに変わったら慣らしは終了。それまでは飛ばしすぎず体を慣らす。

 あの時はクリスティーナが【王宮騎士団(NIGHTMARE)】の偉い人だと知らなかった。まぁ、態度で偉そうだな、と思ってはいたけど、それは実際の立場とは違う話だから。あの人、妙に露出多いのにどこでもふんぞり返ってるから無駄にサービスを……おっと、これ以上はやめておこう。

 最初のうちは許可をもらったとはいえ、なんとなくタダ乗りしているという申し訳無さが拭えず、少しだけ恐縮しながら走っていた。

 だが、【王宮騎士団(NIGHTMARE)】の団員は職務に忠実で、ノゾミに一瞥すらくれない。時折の視線は感じるものの、それはアイドルに対するものではなく、動態があるから視線を向けた、というものに近い。何しろ感情が乗っていないのがわかる。

 そこまで露骨にされると、ノゾミとしても多少の気負いは消える。その代わり、こんなにかわいい子が走っているのに反応なしかよ、という憤りが生まれた。

 その結果、今では構えることなく走ることができるようになった。もちろん、自分の身は自分で守る前提は崩していない。ただ、全てを自分で背負うのではなく、任せられるところは他の人に任せる。そう考えられるようになった。

 というより、正確にはノゾミより【王宮騎士団(NIGHTMARE)】の団員の方が対人制圧能力に優れていたためだ。

 怪我をさせずに制圧する、となるとノゾミの不得手分野だ。その点、【王宮騎士団(NIGHTMARE)】は警察権を有しているため、捕縛術や無手における制圧戦闘に長けている。

 対して、ノゾミは片手剣を用いた戦闘に秀でている。つまり、怪我を気にせず相手をぶん殴っていいならノゾミの方が強い。これは純然たる事実だ。

 ただ、相手はアンチかもしれないが人間、こちらはアイドル。ぶん殴って怪我をさせ、いらぬ騒動やスキャンダルにされても困る。それに、アンチにはノゾミや【カルミナ】を貶める、という目的があるのだから、そんなことになれば相手の思惑通りになりかねない。いくら相手が悪くても、行き過ぎた暴力はいけない。

 第一、その捕縛術や制圧戦闘能力を期待して王宮周囲でジョギングし始めたのだから、ノゾミは走ることに専念し、それ以外は押し付け……任せてしまえばいいのだ。

 気負わずになった理由はもうひとつ。

「ノゾミちゃん、今日も頑張ってるね」

「おい、まずいって」

「大丈夫だよ、今日は団長休暇だって言うから」

 こうして声を掛けてくる団員たちもいることだ。とはいえ、個人を特定するまでには至っていない。だって皆同じ鉄仮面かぶっているから。

 

 どうやらクリスティーナやもっと偉い人から過度に興味を持つな、と言われていたらしい。それを教えてくれたのはさっき声を掛けてきた人。たぶん。

 本来の護衛対象は王家である以上、個人に興味関心を持つことはNG、というわけだ。

 何しろ、ノゾミの方から行動計画を伝えている。それに、ノゾミはアイドルである前に女性だ。構成員が男性ばかりの【王宮騎士団(NIGHTMARE)】が女性一個人の行動を把握していることは様々な憶測、そして問題に発展しかねない、との判断からだろう。

 これは大雑把に見えてしっかりと詳細に至るまで気がつくだけでなく、きちんと筋を通すクリスティーナの発案ではないか、と思う。

 他に女性の団員がいるならともかく、クリスティーナしか見かけたことがないし、しかもあの性格だ。こと硬直化しがちな男性が多い組織でそれを更に上に通し、周知徹底するには相当の苦労があっただろう。

 そこまで聞き、色々考えてくれているんだ、と素直に感心した。それと同時、これが彼女の持つ、大人としての視点というものか、とも思う。

 怖くて聞けていないが、恐らくノゾミが【王宮騎士団(NIGHTMARE)】の詰め所に連れてこられたあの一瞬でこの方針を思いついたのだろう。あのプロデューサーのことだ、それくらいの軽い感じでやってのける。そうでなければ【カルミナ】をトップアイドルの地位が見える位置まで押し上げることはできない。

 アイドルに限らず、何かしら成功するためには努力や実力だけではなく、周囲の的確なサポート、そしてきっかけが必須だ。

 クリスティーナは後半、サポートやきっかけをこれでもか、と提供してくれている。

 つまり、今回の便宜もその一環、アイドルとしての成功のために尽力してくれている、ということだ。

 

 だから。

 ノゾミは速度を落とすことなく、小さく手を振る。

 そして、ファン向けの笑顔(アルカイックスマイル)を浮かべながら、

「はーい、今日もありがとうございます♪」

 半オクターブ高めの声で感謝を述べる。いつも通りのファンサービスだ。いや今の相手がファンかは知らないが、ひとまず愛想振りまいときゃ大丈夫。炎上しない。

 そのまま勢いを落とさずに走り抜ける。突然のファンサービスで呼吸のペースは崩れたものの、この程度で走れなくなるような鍛え方はしていない。第一、汗すらかいていない。

 だが、そんなノゾミの後ろから声が聞こえる。

 

「……今日のノゾミちゃん、なんかいつもと違わないか?」

「そうか? いつもどおりかわいいだろ?」

「いやそこは変わらないけどさ、なんというか……無理しているというか」

「そりゃそうだろ? そろそろツアーだし、レッスンは厳しくなっていく。それでも日課にしているジョギングを欠かさない。嗚呼、なんと素晴らしい向上心!!」

「いや熱量。推しの子が頑張ってるんだから、お前もそんだけ頑張れよ」

 

 彼らの声が聞こえなくなり、それでもしばらく進んだ後。

 ノゾミは走る足を止める。

「はぁ……」

 走っている時よりも重苦しい、塊のような息を吐き出す。

 ……もうひとりの方、よく見ている。乗り気じゃなかったくせに。

 そう、違う。

 分かりやすく、ノゾミは落ち込んでいた。

 先日の件が頭の大部分を占めてしまい、何も手につかない。

 ちょうど今日はジョギングの予定日だから、体を動かしていれば多少は紛れるか、と思ったのだ。

 なのに、全然吹っ切れていない。

 否。

 走っているのに頭から一切離れてくれないだけでなく、一歩走るごとに更に深く落ち込んでいた。

 

 原因は分かっている。

 人によって呼び方は様々だが、ノゾミは単純にユウキくん、と呼んでいる、あの青年だ。

 いつも優しく、無茶振りをされても笑顔でこなす、ある意味とんでもない青年。そして、ほのかにノゾミが気にしている青年だ。

 ノゾミの好意に気付かないのはいつものことなので今更悩まない。今回ノゾミが気にしているのは、先日のこと。

 ユウキに風邪を引かせてしまったことだ。

 

 二日前。

 【メルクリウス財団】からの依頼で、荒天時でも飛空艇を飛ばせるか、という実験に付き合った。ノゾミのユニオンバースト、"ライブ・オンスペシャルステージ"で発生する対物理バリアーを傘代わりにして、風雨および雷に対応できるかというものだ。

 その実験は概ね成功したものの、着陸時に飛空艇にトラブルが発生した。それを自身のユニオンバーストで乗り切ろうとしたが、最後の最後に調整が失敗。意図とは異なる勢いで地面のぬかるみに着陸した。

 柔らかいぬかるみに突っ込んだこと、そしてノゾミのバリアーによって飛空艇に致命的なダメージはなかったものの、ユウキとサレンはふたりとも泥まみれになっていた。

 どうやら、着地地点の至近にいたために頭から泥をかぶってしまったようなのだ。

 その後、サレンの用意した馬車に乗せられてランドソルに戻り、【メルクリウス財団】のギルドハウスでシャワーを借りた後、未だ酒臭いユカリに見送られてその場を後にした。

 その翌日。

 ユウキが風邪を引いた、とアキノ経由で聞いた。

 

 完全に俯くと、その視線の先には地面と靴が見える。

 使用後は毎回きちんと手入れをしているため、ジョギング用の靴には汚れはない。

 自分の大事な持ち物はきちんと手入れをしているのに、それ以外となると適当な扱いをしてしまう。ちょっとだらしないなぁ、とは思うが省みることができていない、ノゾミの悪癖だ。

 その悪癖を指摘されているようで、更に気分が落ち込むのを自覚する。

 つい、後ろ向きな言葉が口をつく。

「……私の、所為だ」

 

 それは流石にノゾミの思い込みというものだ。

 確かに、頭から泥をかぶれば体は冷える。とはいえ、それが原因で風邪を引いた、というのは話が飛びすぎだろう。第一、同じように泥まみれになったサレンが風邪を聞いた、とは聞いていない。

 まぁ……あのサレンがその程度で風邪を引くとは思えないが、それこそノゾミの思い込みだろう。えーと……ごめんなさいサレンさん、100パターンくらい考えてみたんですけど、あなたが風邪を引く想定が見当たりません。

 だが、それでもノゾミの気持ちがどこまでも沈んでいくのには訳がある。

 

 多少の自責の念にかられたノゾミは昨日、フルーツの盛り合わせを持参してサレンディア救護院を訪れた。

 甘いものなら食べやすいだろうと考えての選択だ。盛り合わせなのでちょっと量は多いものの、救護院には子供が多いと聞く。大口の消費者がいるなら大丈夫だろう、と思ったのだが。

 ランドソル郊外、救護院敷地の入り口に設けられた柵には、

 

 【メルクリウス財団】、【カルミナ】、【王宮騎士団(NIGHTMARE)】および【自警団(カォン)】の関係者へ告ぐ

 当救護院敷地への立ち入りを禁ず

 

 と書かれた張り紙が貼られていた。

 しかも文字がところどころ歪んでいる。太い細いといった歪みではなく、冷静な心情で書かれたとは思えない迫力ある筆跡を目の当たりにし、そのまますごすごと戻ってこざるを得なかった。

 そう。

 状況はどうであれ、謝罪すら受け入れてもらえなかったのだ。しかもどう見ても怒り心頭。

 そのことが、ノゾミの思い込みを重く、悪い方向へと向かわせていた。

 

 ただ、彼女達が怒るのは理解できる。

 ユウキが頭から泥をかぶったことと風邪を引いたことの因果関係は不明であっても、ユウキが風邪を引いたのは事実であり、その直前に泥をかぶってずぶ濡れになったのも事実なのだ。

 本来であればつながるはずのない点と点がつながることで事実ではなく疑念を呼び、その疑惑が怒りに転化しているのだ。

 その拭いきれない疑惑、そして怒りを持たれてしまっている以上、ユウキへの面会は叶わないことは間違いない。

 

「ふぅ……」

 走っている時よりも重苦しい息が漏れ出る。

 だが、その息をかき消すかのように、

 

「おいおい☆

 新進気鋭のアイドル、しかもセンターに溜息を吐く暇なぞ、ワタシは与えていないぞ☆」

 

 自信に満ち満ちた声が響く。

 慌てて顔を上げると、視線の先には、

「プロデューサー……」

 クリスティーナが佇んでいた。

 

 開口一番、クリスティーナは言い放つ。

「ノゾミ、坊やにやらかしたそうだな?」

 坊や、というのはクリスティーナがユウキのことを指す時に使う呼称だ。

 言われた内容に対し、ノゾミは素直に驚く。

「な、なぜそれをプロデューサーが知ってるんですか!?」

 

 そう。

 ユウキが風邪を引いたことについて知るものは恐らく関係者のみ。アキノ達によって即座に箝口令が敷かれたためだ。

 理由はよくわかる。

 ユウキを狙う輩……おっと、好意を抱く面々は多い。寝入って弱っているユウキなど、もう何をしてもいい……違う。か、彼女たちが一挙にお見舞いに来たらどうなるか?

 優しいユウキのことだ、無理をして皆に笑顔を振りまくに違いない。そんなことになれば休むこともできず、治るものも治らない。

 ……と、いうような旨を、アキノは早口でまくしたてた。

 ちなみに言い間違いは彼女に準拠した。当然だ。ノゾミにそんな思惑はない。ないったらない。弱った彼の手をずっと握って応援するなんて一切考えていない。

 まぁ、アキノが言わんとしていることはノゾミにもわかる。

 つまり、そういう名目を用意し、自分たちだけでお世話をする、ということだ。通称、大義名分。

 漏れる口が少なければ、お世話する数も減る。つまり、ひとりが担当する時間が長くなる、ということだ。それに、決まった人間が世話してくれると分かればユウキも無茶はしない。

 ……額に乗せる濡れタオルを変えたり、消化に良いものをあ~んして上げたり。そして、ぐっすりと寝ている時になら……てててて、手を握ったりなんかしちゃったりしてーーーっ!!

 ……おっと。

 口元を拭いながらノゾミは居住まいを正す。

「……人の口に戸は立てられない、というやつだ」

 じとり、としたクリスティーナの視線を避けるようにしながら、ノゾミは少しだけ眉をしかめる。

「……そりゃそうですよね? 人は建物じゃありませんから」

 すると、クリスティーナは小さく俯き、自身の目頭を軽く押さえる。

「……いいか、ノゾミ。

 ワタシはお前を、"可愛いだけのおバカアイドル"として売る気はない。見捨てられたくなければ一般常識を学べ☆」

 ……夜が明けたばかりなのに夜の女性みたいな出で立ちの人に言われたくない。あ、アフターからのご帰か……おっとっと、清純を売りにしているアイドルにあるまじき発想だった。

 ただ、なんらかの比喩表現なのだろう。理解しておけばMCでの話題にできそうだ。もしかして歌詞にも使えるかも。

 ……恋愛系の歌で、異なる立場で秘めたる恋。なんとか誤魔化してはいるけど、とあるきっかけでバレてしまい、そこでピンチに陥って、"♪ 人の口に戸は立てられない"……うーん、語呂が悪いなぁ?

「……坊やの話だったな。あの坊やに関しては特殊な情報網が存在している。そこに流れていない情報はない」

 クリスティーナはわざとらしく言葉を切ると、

「……坊やの背中にあるほくろの数すら、な☆」

 にやり、と笑う。

 

 普段であれば妙な想像をするところだが、この発言に関しては思うところはない。

 三つだ。

 左首下と右肩甲骨の内側背骨寄りと腰、ベルトラインの少し左上。腎臓の少し下だ。

 とあるツテで借りたユニk……っと、回転翼装備高速飛翔体による空撮で確認済みだ。

 本来は魔石用のライブ撮影に試験的に使用していたのだが、設定を変えると特定の対象のみを空撮できると知り、試してみたのだ。その結果なので信頼できる。というか、個人的にも休憩中にチラチラと見てい……反対側向いた時に必死に数え……スタッフの体調確認のために視認したので確実だ。

 それに、意外とユウキは不特定多数の女性と海やらプールやらに出かけている。そのため、たぶんそれなりの人数が知っている。つまり、ノゾミを慌てさせるほどレア度の高い情報ではない。

 だが、だからこそモヤモヤするのだが。

 ともあれ。

 その程度でドヤ顔を披露するとは……ふふっ、()()が見えてますよ、プロデュ……否、クリスティーナさん?

 気持ちとは裏腹に、すん、とした顔を作り、

「そうなんですかぁ~。知らなかったですぅ~そんなことも情報網? に流れているんですかぁ?」

 半オクターブ高い声で応対する。

 対するクリスティーナは小さく鼻を鳴らすのみだ。

「ともあれ、だ☆

 当事者であるサレンのお嬢さんは怒り心頭なことは知っているな?」

 表情を戻し、小さくうなずく。

 何しろ、昨日はそれを目の当たりにして逃げ帰っ……違う。入れなかったので仕方なく戻ってきたのだ。

 クリスティーナは続ける。珍しいことに、少しだけ顔を歪めながら、だ。

「そして、今日は団長が休暇を取った」

 ……その意味は分からない。団長、ということは、【王宮騎士団(NIGHTMARE)】の団長だろう。例の張り紙を思い出して口を開く。

「……ってことは、絶対に入れないはず」

「いや、団長はサレンのお嬢さんの友人として、だ。それなら入れる」

「そんなぁ……」

 思わず声が漏れる。それでは言った者勝ちではないか。

「それなら、私もええと……ユウキくんの友人ということで」

「いや、お前はどの立場でも一番ダメだろう。当事者だからな☆」

 ……そうだった。

 がっくり、と肩を落とす。

 だとしても、あまりにも恣意的すぎやしないだろうか?

 それに対する回答を、クリスティーナはあっさりと、そして嘆息とともに吐き出す。

「全てはサレンのお嬢さんの胸前ひとつ、ということだ。

 悪いことは言わん。坊やの風邪が治るまではおとなしくしていろ☆」

「……」

 思わず押し黙ってしまう。

 正論だ。正論すぎて、何も言い返せない。

 その様子に、クリスティーナは小さく笑みを浮かべる。

「何、ほんの数日の我慢だ。そして、その後でならサレンのお嬢さんだって聞く耳くらいは持つ。

 彼女はやや直情的で頑固な部分はあるが、しつこさはなくさっぱりとしている。真っ直ぐだから、お前と相性はいいだろう☆」

 必要なら取り持つぞ、と付け足され。

 クリスティーナはあっさりと踵を返す。

「今日は……オフだったな。ゆっくり頭を冷やせ。

 明日はレッスンと、ツムギの仕上げた衣装合わせだ。遅れるなよ。

 それと」

 そこで言葉を切ると、顔だけで振り返り、

「頭を冷やすためとはいえ、食べすぎるなよ☆」

 にやり、と笑ってみせる。

「もうっ!!」

 ずっとネタにされることに憤る。確かに、食べるのが好きなのでちょー……っと食べすぎることはある。ただ、衣装のサイズが変わるほどに太ったことは一回……いや、二……さ、三回かな♪(大嘘)

 あっはははは……☆ と高らかに笑いながら、ノゾミの進行方向へと進む。

 ……いや、そっち行かれるとこれ以上走れないんだけど……まぁいいか。

 結局、クリスティーナの姿が見えなくなるまで待ってから同じ方向へと進んだ。だって家への最短距離はそっちだから。

 

 帰宅の道中。

 ノゾミは考え事をしていた。

 クリスティーナの正論はもっともだ。

 とはいえ。

 諦めるわけにはいかない。

 何しろ、原因の一端は自分にある。そこは間違いない。

 だから、ユウキの快復前にサレンやサレンディア救護院のメンバーに会い、謝罪をしなくてはならない。

 クリスティーナは深謀遠慮、あるいは権謀術数に長けた大人ではあるものの、親しい相手に対しては構えず、率直な物言いをする。言い返しようのない正論を振りかざすのはその一端だ。

 それに、大人として後腐れない決着の付け方を教えた、と捉えることもできる。当事者じゃないから模範解答を先に伝えた、と捉えることも。

 ならばなおのこと、今やらなければならない。

「よし!!」

 ぱん、と両手を打ち鳴らす。

 ……本当は顔でやりたかったけど、もし打ちどころが悪かったら腫れちゃうし、ね?

 

 とはいえ、無策で行けば前回の二の舞だ。慎重に、そして綿密に考えなくてはならない。

 以前の失敗はサレンの怒りを理解していなかったからだ。お気楽に、ユウキのお見舞い気分で行ったため、その怒りを受け止める器ができておらずに撤退を余儀なくされた。

 だが、先のクリスティーナの話からなんとなくの人となりは理解できた。

 聞いている限りでは自身の信念を貫く人のようで、決して話の通じない人ではない……と思う。ならばなおさら、今会わなければならない。

 確かにクリスティーナの言う通り、ユウキが快復したら聞いてくれるだろう。まぁしょうがないわよ、くらいで笑い話にしてくれるかもしれない。

 だが、それではノゾミの誠意は、そして思いは伝わらない。

 ユウキはサレンディア救護院に居候しているのだから、もし今後押しかけ……会いにいくとしたら、家主であるサレンやギルドの関係者と必ず顔を合わせることになる。

 今回、何もせずにいたらきっと嫌な顔をされる。表向きはそんなことはないだろうが、裏では迷惑をかけてほとぼりが冷めるまで何もしなかった、と思われてしまうだろう。

 それが嫌なのだ。

 今後、正面から堂々とサレンディア救護院を訪れるためには、今やるしかない。

 お気楽、と捉えられそうだが、こういうことは少しでも楽観的に考えておかなくてはならない。事態などいくらでも悪くなるのだ。自分だけでも事態は良くなる、と思わなければ潰れてしまう。

 だから、ノゾミは諦めない。

「絶対に、お見舞いするんだから」

 

 ノゾミの考えた作戦はシンプルだ。

 相手の怒りを受け止め、理解し、自身の気持ちを伝える。

 ……脳筋じゃない。シンプルなだけだ。というか、これもノゾミの作戦だ。恐らく相手の方が賢い。ノゾミは平均的なだけ。

 そんな相手に小細工は無意味。相手が信念の人なら、こっちも信念をぶつければいい。

 自分の気持を伝える、の部分はこれでいいとして、次に怒りの理解。

 とはいえ、現状で明確に分かっているのは入り口にある張り紙だけだ。あのおどろおどろしいフォントを見れば激怒しているのは分かる。

 だが、分かるだけだ。理解には程遠い。理解していたならビビって逃げ……いや、分が悪くて撤退しただけ。

 ではなぜ、あそこまで怒ったのだろうか…………あれ? なんで?

 

 ユウキが風邪を引いたこと、だろうか?

 理由としては一番大きいが、言っては悪いがその程度。しかもただの風邪だ。クリスティーナではないが、数日おとなしくしていれば完治する。無理をすれば悪化する可能性はあるものの、コッコロをはじめとした周りの人間が黙ってはいまい。

 特にコッコロなら、動こうとするユウキを諌め、おとなしくさせる。そのためなら実力行使も厭わないだろう。従者の鑑だ。いやそんな従者は怖い。

 では、ユウキを危機に晒したこと、だろうか?

 ノゾミ達が降りた時、ユウキとサレンは揃って泥まみれだった。ただ、サレンは体の左半分だけ、ただし髪の毛まで泥まみれだったのに対し、ユウキは全身だった。

 状況から鑑みて、ユウキは飛空艇の着地時に至近にいたため、その時に跳ね上がった泥を頭からかぶった、ということになる。

 ……そりゃ怒る。だって下手したら潰されてしまう。

 飛空艇は同じサイズの構造物に比べれば軽量だが、人ひとりで持ち上げられるほどではない。そんなものにぶつかって無傷でいられるとは思えない。

 いくら記憶喪失でぽややんとしているユウキだって、流石に飛空艇に近付き過ぎたら危険だという認識はあるはずだ。

 だが、結果としてユウキは押しつぶされる危険を顧みず、その場にいなければならない理由があったことになる。

 そんな理由があるだろうか?

 そこまで考え。

 サレンの汚れ方から、ひとつの仮説が浮かぶ。

(……まさか)

 ユウキが、サレンを突き飛ばした?

 構えていなかったサレンは突き飛ばされ、そのまま泥にダイブ。

 突き飛ばしたユウキはその場に留まることになり、着地の際の泥をかぶった、となれば。

 さぁ、と顔の血が下に落ちる音、そして感覚を得る。

 もしも。

 もしも、その仮説が事実なのだとしたら。

 

 否。

 ノゾミに与えられた証拠の全てが、その仮説が事実だと伝えてきている。

 ノゾミの思考は正しいと、全ての証拠が証言している。

 

 ふらり、と足元が覚束なくなる。

 左肩がとん、と石壁にぶつかる。

 まずいと思うが、立て直せない。

 やむを得ずそのまま右手をつく。

 そして、これ以上へたり込まないように支える。

 

 嘘だ。

 そんなはずはない。

 そう、思いたい。

 だが。

 ノゾミはユカリとサレンの通信魔法のやり取りの内容を覚えている。正確にはユカリがサレンから受けた内容を皆で共有するために口にした内容だが、その辺は気にしない。

 すなわち、

 『二つの光の間ならどこにでも着陸できる。』

 『バリアーを船尾に移動させろ。』

 この二つだ。

 

 まず、前者。

 これは間違いなく、ユウキとサレンが手分けして仕掛けたものだろう。つまり、最初は離れた場所にいた。

 次に、後者。

 これはサレンが飛空艇の近くにいたことを示す。

 だが、ノゾミが見た時はユウキの方が近くにいた。

 もちろん、ユウキからの指示をサレンが経由して、ということも考えられるが、浮き上がりそうになったタイミングでユカリから先の指示が来た。現象と指示にタイムラグがほぼないことを考えると、やはりサレンが直接指示を出したと考えて良さそうだ。

 つまり、

(私達が……ユウキくんを)

 致命的な結論を出す前に、思考を止める。

 といって、止まるものではない。

 だから、ノゾミは空いた左手で口元を押さえる。

 

 ひっ、と喉が鳴る。

 吸った息なのか、それとも押し出した息なのか。

 普段から息遣いには気を配っているというのに、今はそれすら分からない。

 突然、ぐにゃり、と目の前が歪む。

 だが、すぐに解消する。

 すると、たった数滴だが地面に雨粒が落ちていた。ジョギングに適した、いい天気だったはずなのに。

 否。

 それくらいは分かる。

 今、自分がこぼしたものだと。

 今、自分は泣いているのだと。

 ずるずる、と腰が落ち。

 右腕だけでは体重を維持する事ができず。

 壁に完全にもたれかかる。

 それでも体重を支える事ができず、ざりざり、とジャージの上と壁が不協和音を奏でる。

 あっという間に尻が地面につく。その安定感に、素直に感謝する。

 もう、何かにすがらなければ自分を維持できない。

 

 そのまま、静かに涙をこぼす。

 肩が揺れるが、気にしている余裕はない。

 誰もいなくてよかった、と思い。

 誰もいないのか、と悲しむ。

 

 謝りに行こう、などと考えなければよかった。

 クリスティーナの言う通り、待っていればよかった。

 後ろ指を刺されてもいい。

 裏で陰口を叩かれてもいい。

 

 そんなことをされても、今の気持ちより惨めにはならないのだから。

 

 クリスティーナは、ここまで予期していたのだろうか?

 分からない。

 ノゾミはただ気楽に考えていただけなのだ。

 ユウキの寝顔が見たい、と。

 看病の真似事がしたい、と。

 あわよくば、寝顔にイタズラ[要出典]がしたい、と。

 

 だが。

 蓋を開けてみれば、醜悪な事実だけが見えてくる。

 人間の醜悪さには慣れていると思っていた。

 否。

 他人の醜悪さには、慣れている。

 だが。

 自分の醜悪さには、気付けていなかった。

 だから。

 ノゾミは、耐えられなかった。

 どんなことがあっても笑顔を絶やさない、新進気鋭のアイドルグループ、カルミナのセンターが。

 皆を笑顔にするためにアイドルになった、ノゾミが。

 そんな立場の彼女が絶対に口にしてはならない、決定的な事実を口にしてしまった。

 

「私が、ユウキくんを……殺そうとした」

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