ティアナ様は告らせたい~少女(一部女性含む)たちの恋愛頭脳戦~ 作:アルブレヒト・ミュンヒハウゼン
ユウキが風邪を引いた。
その日。
いつもは騒がしい【メルクリウス財団】のギルドハウスは、しん、と静まり返っていた。
無人ではない。ギルドメンバーは四人全て揃っている。
無関係なことをしているようでその全てを新規事業につなげるタマキ。
効率よく書類を処理しながら筋トレをこなし、内職を行うミフユ。
どんな経費上のミスも見逃さないユカリ。
そして、トゥンヌスのように常に動いていないと死んでしまうアキノ。
皆、揃っている。
なのに、誰も何も発しない。
無音ではない。時折、紙同士がこすれる柔らかい擦過音と、その紙の上をペンが走る短く尖った高音。
ただ黙々と、目の前にある書類を確認し、大きく×印を描いては"済み"と書かれた箱に収めていく。そして、"未"と書かれた箱から新たな書類を取り出し、再び確認作業に入る。
先程から、この繰り返しだ。
だが、一人だけ。
何もせず、前をじっと睨みつけている人物がいる。
ギルドマスターのアキノだ。
机に両肘をついて両手を組み、口元を隠すように鼻の下に置いている。
その格好のまま、彼女の菖蒲色の瞳はずっと一点を見据えている。その視線は熱を帯び、その先にあるものを燃やし尽くさんばかりだ。
その視線の先には、
"お風邪を召したユウキさま捜索本部"
と書かれた垂れ幕があった。
しばらくして。
「……ギルド管理協会から入手できた中立情報は全部確認したわ。それらしい情報はないわね」
ミフユが「最も運のある者が勝つ」と言われる2400m(芝)を走り切ったかのような顔を隠そうともせず、嘆息混じりに報告する。
続いて、タマキが手元にある書類をばさり、と"済み"と書かれた箱に半ば投げるように入れ、
「ランドソル中の病院、入院者名簿の確認は終わったにゃ。生まれたての子猫みたいに、ぜーんぶシロ、にゃ」
魚の内臓を食べたかのような渋面を浮かべる。いや、生まれたてでも三毛猫や黒猫くらいはいるだろうが、誰もそんな無粋は言わない。
「入手できたホテルの宿泊者リストもダメ~。偽名、って可能性もあるけど、それを言い出したら時間が足りないわー……」
ユカリはしょぼつく目元を押さえる。
ちなみに、後半二つはタマキの
それだけ皆、切羽詰まっているのだ。
メンバー各々から報告を受けたアキノは、それでも微動だにしない。
だが、普段とは異なる、低く落ち着いた声で次の指示を出す。
「……【
タマキが渋面のまま、即座に眉を跳ね上げる。
「……マホ達を動かす"対価"はどうするにゃ?」
実際にお金を払うわけではない。どこまで情報を晒すか、と言う意味だ。
アキノが即座に箝口令を敷いたため、この情報そのものはほとんど外に出ていない。ただ、当事者の一人であるノゾミにはアキノから伝えたのと、サレン側へはなんのリアクションも起こせていない。
そのため、ユウキが行方不明であることを伝えれば、【
実家とは距離を置いているとはいえ貴族の子女、しかも元【
もちろん、捜索といった少々強い言葉を出すのも危険だ。なんだかんだでマホはその手の言葉遊びに強いし、勘がいい。逆に嘘をついたり隠したりすれば勘ぐり、余計な時間を費やしてしまう。
今回は迅速に、そして少人数でこなさなくてはならない以上、事実の公表の規模と真偽の割合は極めて難しい。
だが、アキノは動じない。
「あの方がお風邪を召している、という情報だけで十分でしょう?」
その言葉だけで、更にタマキは渋面を作る。
確かに勘ぐられはしない。単なる事実なのだから、嘘も何も含まれていない。一も二もなく動き出してくれるだろう。
だが、そうなると今度は『なぜユウキは風邪を引いたのか』という点がクローズアップされる。そして、たぶん即座にバレる。そうなれば、【
タマキとしては癒着しているつもりはないが、それなりに便宜を図ってもらったりその逆に図ったりしているので、できれば避けたい。
と、そこまで考えて何かを思い出したかのように顔の造形を戻す。
「それなら"名探偵"に依頼を出すにゃ。それなら【
ただ、優秀だからこっちの身元がバレるとまずいにゃ。身元を隠して依頼となると……ちょーっと高くつくにゃ」
「"W会計"から出しますわ」
即座の決定に、当然待ったをかけるのは
「待って待って!! 経理担当として、それは許可できません!! "W会計"はみんなで積み立ててるお金でしょう!?」
だが、アキノはそれでも揺らがない。口元を隠したまま、言葉を作る。
「"いぬよんひき"三樽」
「……しょ、しょうがないわねぇ。ただし、後できちんと補填を考えてね?」
希少な麦しゅわの大量贈与によって、
とはいえ、麦しゅわの効果ではない。いや多少はあるだろうが、それでは完全な公私混同だ。
ユカリとしては、会計が正規のギルド資金から出ることは絶対に許すことができない。
ギルドの資産及び財産の私的利用は犯罪だ。ギルド管理協会からだけではなく、他の商業系ギルドからも白眼視されかねない。そうなると今後の商取引が困難になる。
だが、各個人がお金を出し合っている積立式の預金であれば、便宜上ギルドの財産ではないので会計上の問題はない。何に使うかは決めていないので福利厚生にも引っかからない。その代わり、こうして勝手に名目を立てられて使われてしまう。それはそれで困るのだが、実のところ貯蓄に関して
本人にしてみれば管理さえしっかりしていればお金に困ることがないためだろう。道端に落ちるほど飲んでいるくせに、その辺はしっかりしている。
とはいえ、このギルドには一向に貯まらない積立金への思いが重い者がいる。その
「いやいや、ちょっと待ってよアキノさん。
ユカリさんがちょろいのはいつものことだけど、それは流石に公私混同すぎない? 貯蓄を始めて91日経つけど、ちっとも貯まらないじゃない!!」
「えへへ、麦しゅわたくさん……って、ミフユさんひどい!!」
だが、アキノは一切揺らがない。
「ミフユさん、本件に関しては時給500ルピアップ」
「500ルピ!? 任せて!! さぁ、何でも言って頂戴!!」
こちらもあっさりと陥落する。どの口が言ったのだか。
「数秒前の口よ? 過去を詮索し糾弾するなんて、そんな非効率極まりない行為に時間をかけるなんてもったいないわ!!」
ひ、開き直られるとは……すみません。
皆から諒解を強だt……得られたアキノは、そこでやっと小さく身じろぎする。
「改めて。
タマキさん、"名探偵"に依頼を。内容は『ここ二日間の【美食殿】の動向を探る。』で。
タマキさんご自身は別口で同じ内容を。ただし、"名探偵"にバレないように。バレた場合、私達は知らぬ存ぜぬで通しますのでそのおつもりで。
ユカリさんは薬局に聞き込みを。ここ二、三日で風邪薬を購入した者の人相を聞いて回ってくださいませ。民間療法を行っているエルフの方々もお忘れなく。
ミフユさん。あなたがたまにバイトしている宅配食事サービス。そこで、注文履歴を今日含めて三日分、全て入手してきてください。難しいようであれば、ここ二日間で二人ないし三人分と思しき注文量、うちひとつは消化に良いものを注文しているお客様の名前と届け先を記憶してきてください」
言葉を切る。
「あの方が寝込まれてはや二日。もしかしたら既に快復されてらっしゃるかもしれない。それはそれで喜ばしい限りですが、その前になんとしてでも探し出すのです!!」
そして、高らかに宣言する。
「絶対に、お見舞いいたしますわ!!」
メンバーが出払い。
アキノ一人になったところで、ようやく相好を崩す。
「ユウキさま……どこにいかれたのでしょう……」
いつもの勝ち気そうな雰囲気は鳴りを潜め、眉は完全に下がっている。その下にある瞳には、先程とは異なり弱々しい光が灯っている。
実はユウキ、そしてサレンの失踪は、飛空艇が墜落未遂したその日のうちに判明していた。正確には日付が変わってしばらく経った頃なのだが、タマキの
二日前。
サレンが手配していた馬車に有無を言わさずに乗せられたアキノ達は、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた荷物と一緒にランドソルに
流石に文句の一つでも言おうと思ったのだが、御者は雇われでサレンとは無関係。荷物も半分が空箱で、後は全てギルド管理協会宛ての工芸品だった。
「あ、あの……ちょっと狭いです……スペースが限られているんで、あまり押し付けないで欲しいんですが……?
(え、なに? 嫌がらせ? くそぅ、柔らかいように見えてしっかりと形を保ってる……ぷよん、じゃなくてぽよん、って感じ。そのおかげでものスンゴイ押されてるんだけど……。
っていうか、なんで勝手に箱の中の荷物取り出してるの? すんごい簡単に箱も壊してたし、思っている以上に筋肉の感触すごくって逆らいたくないから大絶賛内心でツッコミ祭りですけど!!)」
木製で手頃なサイズ、しかも種類は豊富なことから、使いやすさを重視しつつ耐久を落とすことで購買頻度を高めた商品だと見抜く。
これなら小さな子どもにも使いやすいし、落として壊したとしてもすぐに替えが効く。流石孤児院の経営者、視点が完全に母親の心を見据えている。
顧客の求めるものを提供する。商人として最重要でありながら最難関の
「あのー、アキノさん? ちょっとどころかかなり狭いんですけど……?
(ぐぬ……ツ、ツムギより大きいだと!? くそぅ、この脂肪め!! 燃えろ!! 燃え尽きろ!!)」
これならアキノの扱う商品ともかぶりにくく、差異を生み出しやすい。
ふむ、と息を漏らす。
「ひゃあん!? あ、あの、アキノさん、わ、私アイドルだから恋愛禁止だし、そっちのケは全然なくって……ゃん、耳に息、吹きかけないでぇ~……」
顔前で何やら聞こえるが、目の前の食器に思考を奪われているアキノには届かない。
恐らく、サレンは新しい販路の開発のためにこの馬車を使ったのだろう。わざわざサレンディア救護院を経由したということは、この便にユウキと一緒に乗るため。つまりは相合い馬車をしようとしていたわけだ。少しでも揺れたらすぐくっついてしまいそうな、こんな狭い馬車に二人きりで。羨まけしからん。破廉恥な。おのれ許せん。
「(くそぅ!! この胸!! 落ちる!! 落ちてしまう!!
……ツムギ推しの理由が分かった気がするわ!!)」
ちなみに、自分達も同じようなことを画策していたことは忘れている。
【メルクリウス財団】のギルドハウス前で降ろされ、同道してくれたノゾミにシャワーを提供している間に、日々実施している書類確認やサイン、それに飛空艇のサルベージや修理の手配、その他諸々に奔走していたらいつの間にか日付が変わっていた。ノゾミもいなかった。見送りもせずに申し訳ありませんわ。埋め合わせに、今度きちんとお仕事お願いしますわね。
飛空艇の操縦士であるタマキを除く三人で、遅まきながら夕食代わりのサンドウィッチを摘んでいると、そこにタマキが血相を変えて飛び込んできた。
「大変にゃ皆の衆!!」
「誰が皆の衆よ」
ミフユが効率的に突っ込んでくれたので効率よく話を進める。
「どうしましたの、タマキさん。慌てるにゃんこはお魚を逃しますわよ?」
「お魚はあとでいただくにゃ!! そうじゃなくて、ユ、ユウキが風邪引いて消えたにゃ!!」
諸々理解できない事が多すぎる。というか一言に情報を詰め込みすぎだ。
ツナマヨのサンドウィッチを立て続けに三切れ食べ、一呼吸入れたタマキによると。
「さっき、飛空艇の修理ができる職人と一緒にサレンディア救護院に向かったら、その応対に出てきたのはなにもないところで転ぶメイドだったにゃ。
おかしいと思って聞いたら、サレンはユウキの調子が悪いからってランドソルに向かったというにゃ。
ただ、サレンは出掛けに、『後を頼む』と言って出ていったそうにゃ。行き先については聞いていないから分からにゃい、と」
食べかけのレタスサンドを取皿に戻し、椅子にもたれる。
「スズメさんですわね、応対したのは。サレンさんに仕えるメイドでありながらご友人の。そのスズメさんにも伝えなかった……どういうことでしょう?」
……ドジなので聞かなかった、の方が正解な気もするが、それは言うまい。
「……調子が悪いんだから、普通に病院に向かったんじゃないの?」
酒の抜けたユカリの至極まっとうな意見に対し。
「あたしもそう思って、サレンディア救護院のかかりつけ医がいる医院に
子供は何かと病気になりやすい。そのため、かかりつけの医者がいることは何よりも安心できることだろう。
とはいえ、いくら懇意にしているといってもこんな夜中に開業しているわけがない。顔見知りならともかく、患者でもない人間を迎えるような医者は稀だろう。ましてや患者の個人情報をすんなりと渡す医者などいるはずもない。
つまり、不法侵入して確認した、ということだ。流石ファントムキャッツ。話も早ければ手も早い。お白州では知らぬ存ぜぬで通しますわね。
「またそういう……お
……ミフユさん、突っ張りってご存知? 最近随分と速く、そして体重を乗せられるようになりましたのよ? やはり練習前の四股は大事ですわね。
まだ声が当たっていないタマキは気にせず進める。
「ユウキが来院したのは間違いないにゃ。当日日付のカルテがあったからにゃ。内容は高熱、悪寒、食欲不振。典型的な風邪の症状だったにゃ。それと、五日分の風邪薬の処方箋の写しも。
でも、入院患者にはいなかったし、この時間だからその後の足取りも辿れずじまいにゃ……」
アキノは口の中でふむ、とうなずく。
手段はともかく、重要な情報を入手できたことは素晴らしい。
とはいえ、直接ではないにしろ、ユウキの風邪の遠因は飛空艇の墜落未遂だとの自覚はある。そして、それを引き起こしたのはアキノの良かれと思った慢心と、ユウキにいいところを見せたいという虚栄心だということも。
もちろん、やらかしてしまったのだから後悔の気持ちは存分にあるし、サレンとユウキを危険に晒してしまったのだから謝罪をしなければ、という思いもある。
だが、そんな上っ面だけの思考以上に、ユウキのお見舞いや看病という、これまでのアキノの生涯に一度も出てこなかった単語と、その言葉の示す行為があまりにも魅力的に思えてしまったのだ。
だから、宣言する。
「皆さん。ユウキさまのお見舞いを致しますわよ!!」
だが。
「……アキノさん、話聞いてた?」
ミフユからは憐憫の眼差しを。
「ユウキくんは行方不明よ?」
ユカリからは諭すような言葉を。
「鯛焼きはないのかにゃ?」
タマキからは無視された。
「もうっ!! 人をアタオカみたいに仰らないでくださいまし!! 分かってますわよそのくらい!!
ですから、ユウキさまを探し出して、お見舞いがてら交代で看病を致しますの。
きっとサレンさんお一人では看病にも支障があるでしょう。そこで私達です。サレンさんも含めて五人。これなら、一人ひとりの負担も少なくなるでしょう?」
ほぅ、と皆から息が漏れる。
「……アキノにしてはよく考えてるにゃ」
「……そうね。一人だと極めて非効率でも、皆で交代するなら効率的だわ」
「それに、見知った顔ならユウキくんも安心できるわね」
嘘である。
皆それっぽいことを言っているが、時間制限はあるがユウキを独占できると瞬時に理解したのだ。
普段ユウキに依頼しているアルバイトでは、彼の入りと出の際の挨拶や通りかかった風を装っての短時間の会話しかできないことに歯噛みしていたが、この降って湧いたような好機を見逃すはずがない。
もちろん、彼の風邪は心配だが、それ以上に二人きりで看病、という単語に心躍ってしまっているのだ。
一瞬で結託するのは当然と言える。
ちなみに、アキノ以外はコッコロの存在を忘れている。
(ナレーション:青山 穣)
(しゃべりすぎですわ、ナレーション)
金塊を探している不死身の兵士のような表情をしつつも、賛同を得られたことには素直に喜ぶ。
「そうとなれば皆様、明日から存分に動いてもらいますわよ!!」
……ここまでは良かった。
そして、次の日。
午後の遅い時間になっても、ユウキの行方が杳と知れないことに皆、一様に焦りを覚え始めた。
夜ふかししたために始動が遅かったのはあるものの、それにしても痕跡一つ見つからないとは思ってもみなかったのだ。
そのため、冒頭のように半ば非合法な手段を用いての情報収集となった。
だが、それでもめぼしい結果につながらなかったのは冒頭の通りだ。
アキノはゆっくりと立ち上がり、先程ユカリが見ていたホテルの宿泊リストのひとつを手にする。
その宿泊リストには確認したことを明示するかのように、小さく赤い点がつけられている。几帳面かつ慎重なユカリらしい。少しだけ口元をほころばせ、そのまま視線を落とす。
ユカリも口にしていたが、アキノだってサレンが使う偽名になど心当たりもない。
アキノが確認しようとしているのは宿泊者の名前ではなく、宿泊人数と支払いの方法、そしてタマキが選んだホテルだ。
まず、宿泊人数について。
ユウキのこととなると必ずコッコロが動く。そこにサレンも同道しているとなれば三人。
これ以上の人数では動きにくくなるため、本来であれば二部屋となるだろう。
だが、コッコロは献身的につきっきりで看病しているはずだ。そうなるとサレンも羞恥心より対抗心が勝る。つまり、三人で一部屋に宿泊していると想定できる。
ただ、流石にベッドは二床以上だろう。そこで考えられる部屋の規模は、
(家族用の部屋……)
小さな子どもがいる家族が宿泊できるような部屋だ。
子供との添い寝が可能なセミダブルベッド以上のベッドがあり、なおかつ独立したシングルベッドがある部屋。あるいは三床シングルの部屋、と考えられる。
続いて、支払い方法について。
サレンは現金主義だ。明確さもあるが、そこまで大きな取引を行っていないため、小切手を使用する機会が少ない。それに、規模に関わらず小売相手だと現金の方が喜ばれる風潮がある。現金の信頼もそうだが、なんだかんだで手元に現金がある方が便利なのだ。
ただ、弊害もある。
ある程度格式の高いホテルでは現金でのやり取りを行っていないことがある。信用もあるが、余分な現金を置かないことは防犯対策となる。そして、そもそもサービスが高額なため、じゃらじゃらと現金で決済されるとややこしいためだ。
アキノが覚えている限り、その手のホテルはこのランドソルに二つある。そして、今回ファントムキャッツが入手してきた宿泊リストに、その二つのものはない。
当然といえば当然で、そんなホテルが簡単に宿泊リストを盗……いけませんわね、
現実的で確かな審美眼を持つファントムキャッツを信頼していないわけではないが、サレンの親友でありライバルであるアキノの考えはその逆。
格式高い二つのうちのどちらかだろうと考えている。
その根拠はもちろんある。
サレンは王侯貴族の子女だ。しかも、本人はかつて【
そんなサレンであれば、例え小切手がなくても、下手をすれば現金を持っていなくても、数日程度なら宿泊させてくれるホテルはある。何しろ、サレンの宿泊実績があるだけで箔がつくのだから。
そして、その手のホテルであれば部屋の都合に三食はもちろん、手厚い看護も追加料金なしで行ってくれる。もちろん、サレンのことだから最低限でいい、と固辞するだろうが。
加えて、その手のホテルがサレンに提供するなら、間違いなくスイートルームだ。
スイートなら複数の部屋があるため、家族用の部屋よりも使い勝手がいいし、そしてサレンも羞恥心を気にすることができる。
ただ、確証を持てないでいるのも確かだ。
アキノの中で、サレンは超えたくてもそう簡単に超えられない相手だ。そのため自身の中で、勝手に理想のサレンを作っている自覚もある。
理想のサレンなら、そんな姑息とも取れるような手段を選ばないのではないか、という思いだ。
いくら困っていても、そんな施しのような手段で目的を叶えよう、とは思わないだろう、という確信がある。その場合、ユウキの快復は少々遅くなるだろう。体調の優れない人間をいろいろな場所に連れ回すのは双方にとって負担になる。
ただ、なんと言ってもサレンだって人間だ。欲望のひとつやふたつは持っているだろう。困っている時に、最高級ホテルから手を差し伸べられていて、その手を払うことができるほど完成されていない、という願望だ。自身で培った信用を使えばユウキの安全、そして快復は確実だ。その代わり、サレンはきっと複雑な思いに囚われることになる。
アキノ個人とすれば、前者だと信じている。
だが、今回は後者であって欲しいと願ってしまう。
少しでもいい、サレンの人間っぽいところを見てみたいのだ。そうすれば、自分にも届く、と素直に思える。いつまでも届かないものを追い求めるより、少しでもとっかかりが欲しい。少し手を伸ばせば届く、と信じたい。
だから、自らの目で確認するのだ。
アキノはそう言い聞かせ、願いにも似た思いを抱いて手にしたリストに目を落とす。
数十分後。
アキノはげんなりとした表情を隠すことなく、最後の宿泊リストから視線を外す。
当然のことながら、アキノだってサレンの偽名など見破れるはずもない。あるいは他の名義で宿泊しているのかもしれないが、それにしても同じことだ。そういう技術というか、専門的な知識はないのだからやむを得ない。
だが、だからこそ。
サレン達が、例の二つのホテルのどちらかに宿泊していることを確信した。もちろん根拠はない。ただの直感だ。
だから。
アキノは皆に共有することなく、一人で出かけることにした。
ランドソルでも指折りの高級ホテル。
アキノがそのラウンジに入ると、ぽつぽつ、よざわめきが湧き、それが波のように伝播していく。
皆、アキノを知っているのだ。
ただ、アキノとしては少々複雑だ。
(……この方々は私個人、つまりアキノとして認識されているのでしょうか。それとも、
先日タマキに言われたことを思い出す。
例の協賛騒動の後、タマキから【メルクリウス財団】として活動している時はできるだけウィスタリアの名前を出さない方がいい、と言われたのだ。
【メルクリウス財団】がウィスタリア家の出先機関と捉えている者も少なからずいることも聞かされた。
理屈は分かる。
分かるからといって、では名乗るのをやめるべきなのか。自己紹介の際、自分はウィスタリア家出身だがギルドはその影響下にはない、と言い続けるのか。
ただ、それは正しくない。そもそもギルド結成時の資本金は実家から無担保かつ譲渡金だ。事務的な手続きは完了しているため、自分たちの資産にはなっているが、その資金の流れからすれば影響下にある、と言えなくもない。それに、何かと入用の時ややらかした時には実家に援助を求めている。
実家、というかアキノの父はほとんど何も言わずに必要なものを用意してくれる。もちろん手続きは行っているが、内情はかなり緩く、なあなあの契約だ。
そこだけ見れば、確かに影響下にある、と言われても仕方ない。
だが、【メルクリウス財団】としてのこれまでの実績を作り上げているのはウィスタリア家ではなく、アキノだ。もちろんアキノだけではない。真の意味での功労者はユカリであり、ミフユであり、そしてタマキだ。
悩む。
きっと、本来であればそんなことを悩まなくてもいいのだろう。実家は実家、ギルドはギルド、と割り切ってしまえばいい。都合よく実家を使うことはあっても、名声を高めているのはギルドメンバーなのだと、自分と仲間が理解していればいい。
それでも対外的な視線を気にするなら、今後はユカリに頼んで、契約書にウィスタリア家との関連がないことを明記すればいい。
それで十分なはずだ。はずなのに、アキノの心ははっきりと"そうだ"、と認められない。
それは、アキノとは真逆の存在としてサレンがいるためだ。
サレンは過去の栄光全てを捨て去り、今は孤児院の運営などという閑職に就いている。閑職、というのは失礼だが、前職と比較すればそう表現することにためらいはない。
だというのに、サレンはそんな閑職にやりがい、そして楽しみを見出している。自分の来歴や経歴を用いることなく、今を生きている。
それらを使えば、焼きたての白いふかふかのパンを食べられるのに、冷たく湿気ったタイムサービスのパンで満足している。
それらを使えば、空調の効いた部屋で黙々と書類仕事ができるのに、子供達の騒ぐ声に邪魔されているのに笑顔を浮かべる。
実家の影響から抜けるだけに留まらず、自身が培ってきた全てを
それが自分にできることと理解し、納得し、そして邁進しているだけだ。今まで経験したことのない苦労も、ゼロから始めなくてはならない苦痛も、何もかも飲み込んで。苦難が続くと分かっていてもそれでもなお、笑顔を浮かべ、前を向いて進む。
アキノに、そこまでの覚悟ができるだろうか?
否。
きっと、サレンはアキノが思うほどの覚悟などしていない。しかも、自分以外の人間の命すら背負うだけでなく、育てている。
アキノという個人に、そこまでのことができるだろうか?
否。
実力ならある。それだけを見れば、できると明言できる。
だが、即答はできない。
否。
既に、できないと自分で認めてしまっている。
アキノは自身の実力に自信を持てても、自身の決断に決意を持てても、自分一人でやっていけるビジョンが持てない。
もちろん、サレンだってたった一人で何でもかんでもやれているわけではない。
だが、少なくとも自分で考え、自分で決断し、自分で実行している。その一連に、余人は関わっていない。一人で何でもやってしまう。
それが、羨ましい。
そう。
アキノは、サレンのような生き方に憧れがあるのだ。
実家を利用するのは成功のための手段のひとつだと、当の実家から教わった。
だから、アキノは実家を使い倒す。頼れる時はどんどん頼るし、実家もそれに応えてくれる。もちろん、実家から利用されることも織り込み済みだ。そんな機会が訪れることはないだろうが、覚悟としてはある。
だが、サレンはそれをしない。困ったことがあっても実家に頼ること無く、今自分の手持ちの手段でなんとかしようと試みる。本当の意味で最終手段として実家に頼むことはあっても、それでも取引相手として、だという。お金を借りれば利子を請求されるし、物品を頼めば割引なしの請求書が送られてくる。
サレンの実家が厳しいのではない。サレンを一人の実業家だと見ている、ということだ。
目覚ましい業績を上げても実家のおかげ、と見られてしまうアキノに対し、取り扱う額は大きくないものの堅実に業績を重ね、実家からも認められるサレン。
どちらも成功しているのだから比べる必要などない、と理解していても。
優劣など存在しない、と理解していても。
タマキに言われた言葉、そしてその言葉に含まれている意味がずっと頭の片隅にこびりついて離れてくれない。
だが、今は流石に切り替える。
じわじわと燻り続ける答えの出ない思考を頭の奥に追いやり、正面に広がるラウンジ、そしてその奥にあるレセプションを見据える。
大理石をふんだんに使用したラウンジは落ち着きながらも高級感がある。先程まではざわつきがあったものの、既にその波は引いている。ただ、なんとなく浮ついた空気が漂っているのを感じる。
その雰囲気に包まれ、アキノは改めて考える。
さて、どうしようか、と。
馬k……無策なのではない。ただ、ここに来るまでにいい案が浮かばなかっただけだ。他のことを考えていたせいで。
(通称、本末転倒)
脳内のチエルを叱りながら、小さく辺りを見回す。
何かヒントと言うか、そういうものがないだろうかと助けを求めたのだ。
すると、正面のレセプションの奥から見覚えのある初老の男性が現れる。このホテルの総支配人だ。
毎回アキノが来ると感謝を兼ねた挨拶がてらに彼が応対してくれる。いつも柔和な笑顔を浮かべ、子ほども年の離れたアキノに対しても丁寧に接してくれる。
客として訪れているのである意味当然とはいえ、彼の人となりがそうさせているようで居心地がいい。
格式に気後れすることはなくても、それなりの身分をした人間の目が存在する場にいる以上は気を抜くことができないアキノにとって、ほんの少しだけでも気楽に振る舞えることはありがたい。
ハリのある黒髪を丁寧に七三に分けた彼は、珍しいことに少しだけ焦りを顔に乗せてアキノの元へと歩み寄ってくる。
そして、アキノの数歩前で立ち止まると、
「
丁寧な所作で腰を折る。
普段とは全く異なる余裕のない様子と見たこともない行動、そして言われた内容に戸惑いながら、口を開く。
「……どういう、ことですの?」
アキノがここに来ることは誰にも伝えていない。正直、アキノもギルドハウスから近い、という理由でこちらを先に選んだだけだ。気に入っている、という個人的見解を知る人間は片手の指の本数で足りる。
それらの顔を思い浮かべているアキノに、ぴくり、と男性の眉が小さく動いたのが見える。
だが、今度は頭のみを下げ、
「少々行き違いがあったようで失礼しました。
謝罪を示す。彼から否定の言葉は出てこない。
当たり前だ。
客が悪いのではない。ホテルの、そして彼の不手際が悪い。
こういう習慣はあまり好まないものの、それを今、そして彼に言ってもしょうがない。長く培われた慣習はそう簡単には変えられない。
それよりも、今アキノにとって重要なことがある。
息を大きく吸い込みながら、再度聞く。
「誰が、どこで私を待っていますの?」
もう、ここまで来たのだ。答えは分かっている。
だが、聞いておく必要はある。
気持ちを、そして思考を切り替えるために。
そんなアキノの心境を知ってか、総支配人は表情を変えること無く、アキノの問いに答える。
「最上階、エグゼクティブスイートに、
総支配人に感謝を伝えると、最上階へと向かう。
普段であれば魔力を動力とするエレベーターで向かうところだが、今回は階段で地道に向かう。
考える時間と、そして念の為に体を温めておく必要があるためだ。
とはいえ。
一段一段しっかりと踏みしめるが、この状況への理解は一歩も進まない。
訳が分からない。
アキノがこのホテルを気に入っていることはサレンも知っている。先の個人的見解を知る一人だからだ。
問題は、総支配人の言葉だ。
彼が嘘を吐くことはありえない。アキノやサレンに含むところがあるとか、お得意様だからとか、そういう理屈ではない。もっと単純に、このホテルの信用問題につながるためだ。総支配人自らが嘘を吐くと知れれば、これまでの顧客が一気に離れる。ウィスタリア家の娘たった一人のために、そこまでのリスクは負わない。良くも悪くもビジネスライクな関係だということだ。
では、素直に考えると、サレンがアキノを招待したものの情報が行き違いになった、ならどうだろうか。
ありえる話ではあるし、それなら総支配人の発言との整合も取れる。
くすり、と口元を緩める。
(なーんて)
そんな楽観的に考えることができるほど、アキノはお気楽ではない。
アキノは口元を締め、顔を少しだけ上へと向ける。
最上階にいるであろう、サレンを射抜くようにじっと見据える。
再び足を動かしながら、思考も動かす。
サレンはアキノならばここにたどり着く、と考えたのだろう。ただし、たどり着くのがサレンの想定より早かった。そのため、総支配人が謝罪をしたのだ。
それらの事実に、率直な感想を口にする。
「気に入りませんわ」
アキノとしては極めて珍しいことに、大きく口を曲げてみせる。誰もいないからできる、誰にも見せられない憤怒の表情だ。
淑女として育てられたことも関係してくるが、もっと単純に、悪い感情を表に出すと周りに良くない影響を与える、と思っているからだ。それに、いくら悪くても変えられないわけではない。悪い感情に囚われてうだうだ考えるより、それをいかに好転させるかに腐心する方が楽しい。
だが、今回に関しては何もかもがサレンの手のひらの上のようで、自分が考える機会がなさそうなのだ。
発想力では負けないが、細部に至るまでの詰めに関してはサレンに劣る。それを自覚しているからこそ、ここは敢えて逆らわず、サレンの思惑に乗った方がいいと判断した。
ならば、なぜサレンがこんな行動を起こしたのかを考える方が建設的だ。
サレンは確実に何か企んでいる。しかも、アキノを目の敵にしているようだ。
その理由は間違いなく飛空艇の墜落だろう。それに関して、アキノは謝罪以外のことはできない。
逆に言えば、謝罪さえしてしまえばユウキの看病やお見舞いをしていいことになる。それを許さないつもりなのだろう。なんと横暴な。弱っているユウキを独り占めなど、なんと羨ましい。許すまじサレンさん。写真機持ってくればよかった。
ただ、サレン自身にも何らかの負い目というか、それに近い思いがあるのだろう。それをアキノ達に指摘されたくないため、身を隠した。水臭いですわ。そんなことするはずありませ……いいえ、ユウキさまを独占するのは怒りますわよ?
……そんな短絡的な結論はどうかと思うが、物事はなるべく簡素に考えた方が正解に近くなる。もちろん、アキノもこれが正解だとは思っていないが、サレンの部分に関してはかすっているだろうという直感はある。
それと同時、意外を思う。
否。
だからこそ、だろうか。
(あのサレンさんが、独占欲をお出しに?)
サレンはどちらかというと平時にその手腕を発揮する調和型だ。争わず、各所の利益を最大にするべく動き回る。そうすれば自ずと人脈が広がり、維持するために顔つなぎを行うため、仕事を生み出しやすい。池に静かに糸を垂らし、魚を一匹一匹釣り上げるタイプ、というところだろうか。そのため、自身の感情は二の次にしている。
ちなみに、アキノは考え方はサレンと同様の調和型だが、行動は停滞を退屈と捉える混沌型。池に石を投げ込み、魚を驚かせたところを投網で一網打尽にするタイプだ。当たれば大きいが、外れれば顰蹙だ。いえいえ、取れればいいんですのよ、取れれば。
そんなサレンが直接、しかも明確な示威行動に出るとは。
先の直感の根本はこのサレンの意趣替えだ。しかも、独占しようとしているのはアキノだけではなく他の者にも確実に関連してくるユウキだ。
サレンほど聡い人間がこの危険性に気付いていないとは思えないからこそ、困惑するな、というのが難しい。
ただ、サレンがそこまでの覚悟を決めたというなら、強敵と言って差し支えがないくらいの相手だ。何しろひとつ屋根の下で暮らしている。アタックするにはこれ以上ないくらい最適な環境だ。しかも幼馴染だという。勝利条件をほぼ満たしているではないか。
だからこそ。
「負けられませんわ!!」
そうして、最上階への最後の一段を踏みしめる。
エレベーターホールを抜け、その先にある目的地のエグゼクティブスイートの扉をなんのためらいもなく開け放つ。
そこには。
アキノから見て手前右側、およそ五メートルほど先には黒鉄の全身鎧が。
その奥、左側には黄蘗色の長髪を背に流したエルフが。
それぞれの得物を手にして待ち構えていた。
そして、その二人の更に奥にあるベッドルーム。
そこには見覚えのある、寝癖がついた頭があった。向こう側を向いているためか、顔を確認することはできない。
だが、それ以外のものも見えた。
それは、床に散乱する男物の服の数々だった。
あの肩当ても。
あのマントも。
あのアウターも。シャツも。ズボンも。
全て、アキノにとって見覚えのあるものばかりだ。
その散らかり様はまるで、
思考より先に、思わず叫びが先行する。
「サ、サレンさん……あなた、一体何を……?」
アキノは言いながらも、反射的に腰横に備えていた剣を抜き放つ。念の為にと武器を持参しておいてよかった。
とはいえ、街中やこういった格式の高いホテルでも違和感のない、儀礼用に用いる細剣だ。形状はサレンの使用する細剣に似ているが、鞘が豪奢なだけで中身の刀身はやわい。一合もやりあえばあっさりと折れてしまう。正直、アキノが力を込めればあっさりと折れかねない。四股踏みすぎたせいでしょうか……。
それに、立ち回りも変わってくる。
普段の大剣は大地を踏みしめることで威力を増しているが、小枝のような細剣でそんな立ち回りを行えばスタミナを消費するばかりだ。となれば、自身の筋肉を用い、瞬発力と速度で威力を増すほかない。やはり四股は裏切りませんわね。
あまり得意とはいえないが、キレたサレンを相手にするなら、やらなければならない。
……と思っていたのだが、
(まさか、ジュンさんまでいらしたとは……)
小さく息を飲み込む。
【
鉄壁とも言えるその防御力、そして攻撃を自身のスタミナに転嫁するユニオンバースト、"インフェルノ・シールド"と相まって、このランドソルにおいて最強の盾と断言しても誰も反論しない強者だ。
そんな相手に、自身の持つ儀礼用の細剣など何の役に立つだろうか。
否。
やらなくてはならない。やらなくては、ユウキを救えない。
こちらの覚悟を読み取ったのか、
「いいんだね、
「構いません、
二人の全身から殺気が漏れ出る。一切手加減のないその殺気は――
薄暗く、どことなく肌に湿気がまとわりつくようにジメジメとした場所。
居心地が悪くて当然。ここは、王宮の地下にある牢屋なのでございますから。
主さまと
ところが、主さまはジュンさまともお知り合いでした。いい加減、主さまの交友関係を諌めるか、後学のために紙に書き出した方がいいのでしょうか。
ともあれ、顔見知りなら見逃してくださるか、と淡い期待をしましたが。
主さまと分かっても、ジュンさまは先程にも倍加するほどの殺気を叩きつけてきました。その躊躇のなさに、思わず怯んでしまいます――
「今、のは……?」
アキノは剣を持たない手で頭を押さえる。
眼前に
正面を見据えながらも、一瞬だけ見えた光景を整理する。
視点の低さ、そして話し方、ここでは考え方だが、その丁寧かつ慎重な様子から、コッコロの体験した出来事のようだ。いろいろ突っ込みたいところはあるが、一旦置いておく。
なぜコッコロがしたであろう体験がアキノに
ただ、言えることとしては、
(先にコッコロさんが感じた恐怖に比べれば、今の殺気など児戯に等しいですわ!!)
気持ちを奮い立たせ、体の正中線の延長上に細剣を構える。
前衛のジュンは防御主体だとはいえ、攻撃をしないということはない。アキノの眼前、その長剣の構えは自然で、ぴくり、とも動かない。その様からは何千、何万と繰り返してきたかのような安定感がある。サレンのような攻撃の技がなくとも、相手を圧倒するだけの技量があることが伺える。
普段は中盤よりやや後ろから攻撃主体の支援をこなすサレンは、今はジュン同様、自身の細剣を正眼に構えている。支援より攻撃を行う意思表示だ。
サレンの技に関しては目を瞠るものがあることは認めるものの、純粋な剣技となるとアキノには劣る。とは言え、十分に使える部類には属しているため、油断は禁物だ。
そして、その事実はサレンも理解している。だからこそ、スタンダードな前衛・後衛のスタイルでアキノに迫ってくるだろう。
そこまで考え、
(……あら?)
疑問が生じる。
ならば、なぜジュンはここまで強烈な殺気を放っているのだろうか。
防御主体であれば、露骨なまでの殺気は必要ない。殺気は相手を萎縮させるため、あるいは自身の本気を示すために発するものであり、戦う覚悟を決めたアキノにはほとんど効果がない。むしろ、前衛は冷静に相手の出方を見る必要があるため、邪魔な発露だ。
先のコッコロへと発した殺気の方が鋭いと感じたのは、恐らくコッコロが戦いを回避するような心持ちだったためだろう。だからこそ、奇妙に思えたのだ。
そこで気付く。
ここまで騒動……というか、明確な戦意に満ちているというのに、ユウキはおろか、コッコロすら出てこない。別の部屋にいることも考えられるが、それは従者として振る舞う彼女にとっては最もありえない思考だ。何しろ、一時期はベッドの中まで共にしていたという。
……まぁ、ユウキはあれでコッコロもそれなので、何かおかしなことなど起きようも……おっと、淑女としてあるまじき思考に。いいですこと、赤ちゃんはキャベツの中から出てくるんですのよ(大嘘)。
思考を戻す。
と、いうことは、ここにコッコロはいない、と考えた方が自然だ。コッコロがいなければ、ここにユウキがいるとは考えにくい。
そして、目の前には二人。
唐突に、総支配人に言われた内容を思い出す。
『
つまり、二人。
そして、目の前には二人。
数は合う。
そう。
アキノは、はめられたのだ。
(いけませんわね、そんな汚い言葉。
ええと……騙された。ニュアンスは間違ってませんわ)
どちらにしても、気に入らない。
再び眉を立て、ジュンの奥にいるサレンを見据える。その視線は自覚するほど鋭い。そんな顔をすべきではないと分かっていても、引っ込める気持ちはこれっぽっちもない。
それだけ、腹に据えかねている。
アキノを騙してまでユウキを独占しているのだ。それだけでも十分に腹立たしいが、何よりも腹立たしいのは、そんなくだらないことにお金を使ったことだ。
アキノを陥れるくらいなら、救護院の子供たちに使え、と思ってしまう。
……ち、違いますわ。そんなこと考えたこともありませんわ。ええと、その……あ、ユウキさまを探さなければ!!
そう、ユウキ探しは振り出しに戻ったのだから、即座にここを辞さなければならない。
ただ、なぜこんな手の込んだことをしたのか、くらいは聞いておきたい。そうでなければ腹の虫が収まらない。
表情、そして視線の先を変えることなく、アキノは口を開く。
「サレンさん。
あなた名義でこんな部屋を借りてまで、何がしたいんですの!?」
だが。
「それは違うよ、アキノちゃん。
そんな声が背後から聞こえたと思った瞬間、どが、という鈍い音が響く。そして、じんわり、と後頭部に鈍い痛みが走る。
先の音源は自分の後頭部からだ、と気付いた時には既に視界が狭まっていた。
地面がぐにゃり、と揺らぐ。
急いで足に力を込めるが、その足は既に力を失っていることには気付けていない。
そのまま腰が落ち、尻が硬いフローリングの感触を伝えてきて初めて、自分がへたり込んでいることに気付く。
かろうじて上体は維持できそうだが、そもそも今の自分の状態を把握するだけの意思が保てない。
首が力を失う直前、
「おっと」
先の声がアキノの右横から聞こえる。
最後に残った意思で理解できたことは、結局上体を維持できずに後ろに倒れそうになったこと、その体を誰かが横から抱きとめてくれたことだった。
アキノの狭まった視界の中、そこには肩上で切りそろえられた菫色の髪に、切れ長の目を持つ女性の顔があった。
この場にそんな女性は居なかったはずだ。そして、知り合いにそんな女性はいない。
ただ、声だけはどこかで聞いた覚えがある。似たような声はいつも硬質なものに阻まれてくぐもっていたため、判別がつかない。
だから、アキノは素直に問う。
「ど、なた……?」
回答を得る前に。
アキノの意識は途切れた。