ティアナ様は告らせたい~少女(一部女性含む)たちの恋愛頭脳戦~   作:アルブレヒト・ミュンヒハウゼン

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前々々回のあらすじ
ユウキが風邪を引いた。


サレンは見舞いたい

 ランドソルでも一、二を争うほどの豪華なホテルの最上階。そこは一階分が全て客室として提供されている。もちろん、そんな贅沢な客室でサービスを享受できるのは相応の財力と品格を持った人物でなければならない。

 そんな場所に見合う財力を持つアキノは、同じくそんな部屋に見合う格式を持つジュンからお手本のような鋭い一撃を受け、くたり、とその身を崩す。

 ジュンの当て身は強烈だ。攻撃が強いのではなく、きちんと狙った場所に叩き込む。余計な力を込めなければ動きは速く、そして正確になるため、巨漢ですら一撃で昏倒させてしまう。

 その体を、

「おっと」

 これまたお手本のようなお姫様抱っこで掬い上げる。

 だが、当のアキノは何事かをつぶやくように口を動かしていた。どうやら一撃ではアキノの意識を刈り取ることはできなかったようだ。

 対人戦闘に秀でたジュンにしては珍しいと思いつつ、それでも結果に対してほっ、と息をつく。

 

 何しろ、ウィスタリア家の名義でホテルに入って一息入れるか否か、くらいのタイミングでフロントからアキノが来た旨を告げられたのだ。サレン達も困惑したが、もっと困惑していたのは伝えてくれた総支配人だろう。接客のプロなのに、その声にはサレンが分かるくらい焦りが含まれていたほどだ。

 そんな状況下で、かつ圧倒的に時間が足りなかったというのに、その中で結果を残せたのだ。安堵するくらいは許してほしい。

 皆の焦りの理由は単純で、アキノの到着が早すぎたことだ。最も、感情は同じでも総支配人とサレン達とでは発露の根本が異なるが。

 総支配人は聞いていた予定とは異なるタイミングでVIPが来た事による焦りで、サレン達は自分たちの仕込みが確実に失敗し、用意が一切できていない事による焦りだ。

 確かに、サレン達はアキノに踏み込んでもらう……とは少々角が立つ言い方かもしれないが、そのための仕込みを行っていた。ただ、その仕込みが効果を発揮するのはそれなりに時間が経過してから、と想定していた。そのつもりで総支配人には伝えていたのだ。

 だというのにこの結果だ。明らかにサレンの仕込みは機能していない。

 とはいえ、これは失敗だとかそういうレベルの話ではなく、アキノの直感によるものだろう。

 

 アキノのこういう時のひらめきというか、正解を嗅ぎつける能力は天賦の才能としか言いようがない。いつもそれにやられてきた。悔しいが流石、と言わざるを得ない。

 そのため、本来きちんと行うはずのユウキが寝ているような偽装がかなり中途半端になってしまった。なんか脱ぎ散らかしたような感じになってしまい、だらしなくて少しイラッとくる。

 とはいえ、やったのはジュンなので苛立ちを見せるようなことはしない。それに、ジュンの名誉のために付け加えると、彼女はサレンより作業量が多かったのでやむを得ない。

 何しろ、彼女は全身鎧を一から組み上げたのだ。着るより中身のない鎧を組み上げる方が大変らしい。手間はあまり変わらない気もするが、まぁ、ジュンにとっては普段着のようなものだから着込む方が楽なのだろう。あまり突っ込まない。

 そんな重労働に加え、そう軽くもないアキノを抱え上げて丁寧に寝かせたというのに、ジュンの顔には一切の疲労が見えない。

 サレンはというと、慣れない魔力操作を行っていたためか、頭の中心の辺りに少しだけ重さを感じる。とはいえ、わざわざそれを出す必要もない。苦労したのはジュンも同様なのだから。

 

 けろり、としているジュンに小さく笑みを向ける。

「お疲れさまです、ジュンさん」

 素顔のジュンはサレン同様、軽い笑みを浮かべてみせる。

「ああ、うまく行って何よりだ」

 その言葉と同じように、表情で満足を表現してみせる。大人の女性であるジュンの、そんな素直な感情発露に戸惑う。少しだけ頬が熱くなっているのを感じる。彼女の笑顔、というより、そもそも素顔を見慣れていないこともその原因だ。

 かつて【王宮騎士団(NIGHTMARE)】にいた数年間の間で、ジュンの素顔を見たことは一度しかない。そのため、初めてジュンの素顔を見た時は感情がどうの、という以前に、あの鎧の中身が存在していたなんて、と唖然としたものだ。

 だというのに、彼女の素顔を間近で見るのはここ一月程度で二度目だ。これまでは何を言っても、何をやっても兜すら取ろうとしなかったというのに、今回はジュン自ら脱ぐ宣言……なんだか違う意味が含まれてそうよね、この言い方。ええと、鎧を装着しない宣言をした、でいいわね。

 

 ジュンの中で、何かが変わっている。それはサレンも漠然と感じ取っている。

 これまでは家訓第一で、サレンや他の団員が何を言っても聞く耳を持たなかった。といっても、貴族の家訓に口出しすると、最悪家同士のいざこざの元になりかねないのでとやかく言ったことはない。ただ、少なくとも素顔や鎧に関する話題に対してはサレンが口にする以前にジュン自身が露骨に避けていた。それはもう、手練手管をまだ身に着けていなかったサレンですら理解できるような露骨さだった。

 そのため、サレンもそういうものか、とあまり気にしたことはな……嘘だ。なんとかしてあの兜を脱がせたい、と画策したことは何度かあるが、結局思うだけで終えた。流石にサレン個人の興味、そして好奇心で双方の実家を巻き込んでの宮廷抗争をやらかす気はなかった。

 家訓だの風習だのといった、貴族として引き継いでいかねばならない根本の部分に関することは本当に厄介だ。

 貴族というのは恩は一瞬で忘れても執念は末代まで語り継ぐ。そんな社会に辟易し、サレンが距離を置くようになったのはむしろ必然だった。

 そんな面倒は避けるに越したことはないし、いつまでも気長なことはしていたくはない。

 

 だが。

 近頃のジュンは少々異なる。家訓を軽視しているわけではないようで、これまで通りの抵抗は見せる。ただ、こちらが強く出れば押し切れる。今素顔を晒しているのがいい例だ。

 ……まぁ、今回はとある事情と多少の弱みにつけ込んだのは事実だとしても、たったそれだけで折れてしまうというのは驚きだ。この変化は、家訓は家訓として認識しつつ、それ以上に自分の意思を見せることに抵抗がなくなった証拠ではないか、と捉えている。

 サレン個人としてはいい傾向だと思う。ジュンと普通にショッピングやランチなどしてみたいと常々思っていたため、鎧の装着にこだわらないのであれば誘いやすい。それに、ジュンの私服も気になる。今は味気ない庶民風の出で立ちなので余計に。

 ただ、なぜ家訓より自分の意思を優先するようになったのかが分からない。

 否。

 恐らく、という推測ベースでの話にはなるが、その要因について気付いてはいる。

 それはユウキだ。

 

 彼女がユウキに対して抱いている感情まではわからないが、明らかに男性として意識をしているのは分かる。他の連中のように露骨に接触をしようとか、接点を増やそうとしているわけではないので分かりにくかった。それに、出会ったとしても声や態度が変わるわけでもない。

 ただ、どことなくそわそわというか、落ち着かないというか、ユウキの前では不屈の盾が揺らいでいるのが分かる。これはかつて背後からずっとその姿を見ていたから分かった……のではない。ただの女の勘だ。

 正直に言うと、たかが感情程度で揺らぐなんて信じられない。

(まさかジュンさんが他人、しかも年下の男の子を気にするなんて)

 そもそも、家訓云々以前にあまり人間に興味がないものだとばかり思っていた。

 

 貴族は奇矯な風習があることも多い。ジュンのように服装に関する規定は言うに及ばず、挨拶の仕方に始まり食事作法、有事の際の馬の乗り方、果ては……ええと、夜伽の際の進め方や手順など、ありとあらゆるところに規定が存在し、あらゆる場面で発揮される。それを蔑ろにすることは自身と、というより貴族であることを否定することになるため、馬鹿馬鹿しいと思っていても続けている。

 そのため、目を背けたくなるような行動を取っていても、軽く諌めることはできても全否定はできない。何より貴族同士としての繋がりを重視するためだ。

 なので、見た目などという一番触れやすく、取り繕いやすい風習にいちいち何かを思う貴族はほとんどいない。まぁ、若輩や成り立ての貴族にはその手の風習がないので面食らうこともあるだろうが、それにしたって見ぬふりをする程度でなんとかなる。

 

 事実、サレンはジュンと初めて出会った時も、その見た目に関しては何も思わなかった。ただ。晩餐会はどうするのだろう、と率直に思っただけだ。

 つまり、周りは鎧姿を認める、というか黙認する空気なのだ。なのに、本人はずっと引き気味で、最低限のコミュニケーションすら行わなかった。

 だから、一族で最も武芸に秀でたが故に表に引っ張り出された苦労人なのね、と思っていた。まぁ、実際に下で働いてみたら前半しか合っておらず、ただの拗らせ系だったと知って今に至る。

 その割に人間関係に関しては慎重というか臆病だ。

「やりすぎた、かな?」

 大の大人だって叩き伏せる人が手加減なくぶん殴ったのだ。その悩みは順当だろう。

 ただ、相手は耐久役(タンク)も担うだけの頑健さをも持ち合わせている。

「大丈夫よジュンさん。アキノさん頑丈だから、このくらいじゃ凹みもしないわ」

 アキノは意識を失う寸前に下手人の顔は見ただろうが、それをジュンだと認識はできていないだろう。何しろジュンの素顔を見たことがある人間は……最近まではほぼ片手の指で事足りていたが、現状においても決して多くはない。せいぜい両方の手だ。その中にアキノは含まれていない。

 ただ、菫色の髪を持つ女性がジュンだと知れば多少の軋轢は生じるだろう。つまりジュンが正体を明かさなければバレない。完全犯罪の成立だ。

 それに、アキノはそこまで根に持つタイプではないので大丈夫だろう。

 ……サレンの指示だった、と知れればまた話は変わってくるが、大丈夫、あたしは何もしゃべらない。

 すると、ジュンは笑みの質を変え、サレンを眩しそうに見つめる。

「……いい関係のようだね」

「うーん……その感想は違うと思うわ」

 羨ましそうにしているけど、なんというか、そういう関係ではない。まぁ、いい関係だとは思っているのでそこは否定しない。

 

 それ以前に気になったのは、ジュンから遠慮のない当身を食らったにも関わらず、アキノが即座に意識を失わなかった点だ。ジュンには悪いが、思い当たる事実を口にする。

「……もしかしてジュンさん、失敗しました?」

 すると、笑みは変わらないものの、そこに苦味がプラスされる。

「アキノちゃんの髪の毛のボリュームに目測が誤ってしまったよ。要研鑽だね」

 素直で分かりやすい言葉が帰ってくる。

 無手での対人制圧術に関しては、ランドソルで右に出る者がいないほどの腕前を持つジュンがミスをするなど……などとは思わない。

 サレンは良くも悪くも慎重だ。

 人はミスをする。自分で犯すこともあれば、他者の干渉もありうる。その前提で動かねば物事を円滑に進めることはできない。

 そこで思ったのは、ジュンのミスではなく、アキノが抵抗をしたのではないか、と思ったのだ。

 【王宮騎士団(NIGHTMARE)】方式の当身では後頭部と首の付根、いわゆる生え際の辺りを叩く。このやり方なら誰を相手にしても同じ結果を得られる。

 そのため、髪の量が多かろうが見誤ることはあまりない。手練であるジュンがその程度の差が生じた程度でミスをするはずがない。

 つまり。

(……アキノさんも、この直前に何かを()()のね)

 その結果、ジュンの策を読み、回避を図ったのだろう。ただ、完全にうまく行かなかったため、結局ダウンしたというわけだ。

 突拍子もない思いつきだが、根拠はある。それはジュンが背後につく直前、頭を押さえるような素振りを見せたことだ。

 痛みを覚えた時の動きのようにも見えたが、そもそもまだ殴っていない。そうではなく、現状とは異なる風景を見たからではないか、と思ったのだ。

 その現象はサレン自身、そしてジュンにも同様の経験があったためだ。

 ただ、それが何を意味するかまでは分からない。何しろ、そんなことはこれまで一度もなかった。それに、あまりにも現実からかけ離れている。あのランドソルが廃墟寸前にまで荒廃しているなど考えられない。

 

 正直、わかりたくない、という忌避感もある。何しろ、サレンが見たのは愛しの……あいや、大事に思っている、くらいで。

 ……時間経つと決意鈍るわね。そのユウキが……直接的な表現はやめるとして、ええと、実質カロリーゼロになる情景だった。

 しかも、ユウキだけでなく他のメンバーが何かと戦っているようだった。ということは、ランドソルを廃墟にしかねないような戦力と対峙しているということだ。

 そんなことがありえるだろうか?

 可能性としては極めて低いが、ないとは言えない。何しろアンチビーストだの街中にあふれるもふもふだの合体超合金だの夏休みプロデューサーだのによる攻勢によって、地味に危機には瀕しているのだ。

 だが、その相手として魔法少女やセイバーズ、工場長と工員、そして【王宮騎士団(NIGHTMARE)】が正常に機能……一番最後はちょっと怪しいが、ともあれ未然に防いでいる。多少の被害は生じているものの、どちらかというと人的な被害が主だ。街並みが変わるほどではない。

 そんな規模の攻勢など、個人ではなく軍勢でなければ成し遂げられない。しかも、後先考えずに街を攻撃できるような。

 となると、魔物の軍勢による攻勢しか考えられない。

 だが、それはにわかには信じがたい。

 サレンがかつて【王宮騎士団(治安維持を司る組織)】にいたからこそ知り得ることだが、例外を除き、魔物が徒党を組むことはほとんどありえない。

 異種族は当然として、同種族であっても一定以上の集団にはならない。集まっても、街を破壊できるほどの徒党、そして戦意を維持することはできない。

 これは単純な話で、魔物同士で複雑なコミュニケーションが取れないためだ。加えて、街を破壊するほど好戦的な雰囲気が続かない。そして、街を破壊するメリットがない。

 魔物は単純に見えてかなりロジカルに動く。死ぬまで戦うような魔物もいなくはないが、ほとんどの魔物は冒険者などに攻め立てられ、自身の命が危険に晒されればあっさりと逃亡する。

 ゴブリンやオークなどの亜人系種族は拠点を持つ傾向があるため、攻め込まれれば死ぬまで戦う傾向があるが、逆に侵攻している際、不利に直面すれば逃亡する。

 と、いうことは。

(人為的に操られた魔物の軍勢による、ランドソル襲撃……?)

 だとするなら、なぜ自分は動員されなかったのか。

 他人の視点というか思考が見える、ということはその場にいなかったから、だろう。つまり、ランドソルの危機にサレンはその場にいなかったことになる。

 別に、悔しいとかそういう次元の話ではない。動員を指示されなかったということは、現役ではない予備役を必要としなかったことを意味する。それは喜ばしい。

 ただ、街が破壊されるほどの攻勢であれば、人員は多ければ多いほど防護効果は高くなる。そういう単純な効率を鑑みての思考、そして現場の判断に対する疑問を抱いているのだ。

 

 こう言ってはなんだが、サレンは元【王宮騎士団(NIGHTMARE)】副団長だ。戦力としても、そして有事の際の指揮には慣れている。特に、ユニオンバーストの"エンドオブフェニックス"は対軍勢においては絶大な威力を誇る。

 そのため、最前線で指揮を採りつつ戦闘をこなすことも、避難誘導で活路を拓くこともできる。例え予備役であったとしても、声がかかってもおかしくない。

 否。

 そんなことになれば、子供達を安全な場所に誘導してから前線に繰り出す。もしかしたら、子供達を守りながら戦うかもしれない。

 それだけの覚悟と、それだけの技量がある。

 なのに、なぜ自分にはその時の記憶がないのか。

 もちろん、サレン達が見たのは現実ではないのかもしれない。ただの白昼夢、あるいは集団幻覚を見ていたのかもしれない。

 だが。

 サレンには、ある種の確信があった。

 ()()は、確かに起きたことなのだと。

 ランドソルが何らかの理由で半壊し、ユウキ達がその相手と対峙したこと。

 そして、ユウキ達が勝ったこと。

 もちろん、根拠はない。サレンが見た光景すら確実性がないのに、それを現実に起こり得たことだと判断することはできない。

 それでも、サレンは信じている。

 ユウキが勝ったことを。

 例えどんな傷を負ったとしても、ユウキは、そして彼を支える【美食殿】や【トゥインクルウィッシュ】などの面々が諦めることなく、貪欲に勝利を求めることを。

 

 そして。

 そこに、自分がいないことを。

 

 そう。

 サレンは理解している。

 自分やアキノにどんな力があったとしても、ユウキの助けにはならないことを。

 正直に、謙遜や引け目などなく評価するが、アキノやジュン、そして自分の戦闘能力は【美食殿】や【トゥインクルウィッシュ】の面々に比肩しうる。いくつかの項目に関しては上回っている、と断言してもいい。

 主力として、手腕を振るうのに何ら問題はないのだ。

 なのに。

 サレンに課せられているのは優秀なサポート性能。

 確かに、サレンの持ち味はメンバーの長所を伸ばす能力であり、自身が最前線で相手を圧倒することではない。そういう役割が必須であることも認める。自分が適任であることも。

 だが。

 自覚した今なら思う。そうではないのだ。

 

 サレンが欲しているのは、サポートだけでなく、他者を圧倒することもできる、直接ユウキの助けとなれる。そんな絶大な――

 

 べち、と頬を叩く。

 ジュンが目を見開いてこちらを見るが、なんでもない、と首を振る。

 そうしている間にも、当然のように鈍い痛みがじんわり、と広がる。

 それと同時、眠気の靄がかかっていた頭が少しだけクリアになる。

 

 悪い方向に考えすぎだ。

 第一、()()が生じたことだと思っているのはサレンの主観であり、確定事項ではない。

 とはいえ、だからこそ、自分がユウキ達と共に戦っていないことが気になってしょうがない。

 否。

 サレンはまた別の戦場で戦っていたのかもしれない。直接ユウキの力にはなっていなくても、巡り巡って彼の助けになるようなことをしているかもしれない。

 ……だが。

 それでも、あたしは――

 

 べち、べち、と頬を叩く。今度は二度だ。

 再びジュンが目を見開いてこちらを見るが、なんでもない、と首を振る。

 サレンがユウキに対する想いを確立させたためだろうか。どうしても直接的な思考と行動を望んでしまう。

(あたしってこんなバカだったかしら?)

 恋は盲目、とはよく言ったものだ。

 

 今、この思考は止める。どうやってもただの妄想にしかならないし、第一恥ずかしい。

「ふぅ……」

 サレンは諸々の感情がこもった息を吐き出す。

 先の妄想にしてもそうだし、ジュンが抱いている気持ちに対する懐疑もあるが、一番はやはりほとんど苦労も損害も出さずにアキノを確保できたことへの安堵だ。

 アキノを迎え撃つ用意も何もできておらず、思わず固まってしまったサレンに、ユウキの装備を身に着けたジュンから提案されたのは普段から鎧姿のジュンだからこそ可能な、この騙し討ち……否、一種のイカサマのようなトリックだった。

 ……説明は後にさせて。まずはアキノを仕留めた……おっと、無力化させたことから。

 

 鎧櫃から取り出した鎧を組み上げ、長剣を正眼に構えた状態で固定。その内部にはジュンの声を録音した魔石を仕込んでおく。中身のジュン……間違ってないけど、なんとなく違和感あるわね。ともかく、本人は扉の死角となる場所で待機。あとはアキノが扉を開ければ芝居を開始。

 重要なのはジュンが接近するための時間を稼ぐこと、そして内部にジュンがいないことを悟られないこと。前者のために、サレンは必死に殺気を練り上げた。

 とはいえ、相手は親友でありライバルのアキノだ。怒りはいつでも沸くが、殺意となると覚えようもない。

 普段であれば。

 

 今回は殺意を覚えるのに十分な要件が存在する。それはユウk……ではなく、お金の恨みだ。

 先日、ギルド管理協会宛ての工芸品と一緒に馬車で強制送還した際、アキノがその工芸品ひとつを持って帰ってしまったのだ。しかも木箱を壊して。

 たったひとつとはいえ、約定した定数を揃えていないために欠品扱いとなり、事前交渉時とは異なる状態での納品ということで契約違反となってしまった。普段であれば実家の業者を使うのだが、ユウキとデーt……急ぎで、しかもバレるのを恐れ……実家の馬車が出払ってしまっていたため外部の業者を使用したことも災いした。

 サレンか実家の人間であれば、その場で経緯などを含めて申し開きをすることができただろうが、事情も知らない御者協会の人間にそこまでを期待するわけには行かない。

 結果として買取ということになった。再提示された金額はサレンの想定内に収まったのだが、定期的な納品までこぎつけるというゴールから遠のいてしまったのはかなり痛い。

 その後、不調を訴えたユウキを実家の馬車でランドソルまで連れていって病院に叩き込むと、その足でギルド管理協会へと出向いて協議した。

 その結果、これまでの実績やその時の状況を勘案してもらえたことで、売れ行きがよければ不定期にではあるものの販売を継続する、というところまでは持っていけただけでも良しとすべきなのだろう。

 だが、アキノに対して引けない理由がもう一つできてしまった。それはアキノに破壊された木箱だ。

 借り物だったため、破損分の支払いもしなくてはならなくなった。更に、頑丈な木箱を壊したということで警戒されてしまい、顛末書を書かされる羽目になった。しかも完全に想像で。

 ……悪いのはアキノさんなのになんであたしが怒られなくちゃならないのよ。しかも、業者にはあたしが素手で壊したことにされたし。この柔腕でそんな破壊行為ができると思ってるの!? 普段は中衛でTP上昇手助けしたり、水着で奇妙なポーズ決めて皆の行動速度上げたり、ってサポート枠よ!? 攻撃はじわじわ削るくらいなんだから!! 体力減少すると手加減できなくなるけど、それはそれ。

 これらの想定外の損失と濡れ衣により激怒を通り越すことができ、安定した殺気を供給することができた。

 

 後者はサレンが無理をして魔法を使うことで対応した。

 先述の通り、サレンの魔法適性は低い。低いだけで、魔力に単純な指向性を持たせることや簡単な操作は可能だ。例えば、ランタンに火を灯したり、鎧を支える、といった具合に。

 ただし、そう長い時間は続けられないし、細かい動きはできない。

 ここでいう長い時間とはせいぜい五分ほどを指し、そして細かい動きとは上げた鎧の腕を下げることを指す。

 ……全然できないのはサレンも承知している。ただ、多少なりともできることと全くできないことには天と地ほども差がある。今回の作戦はサレンが魔力操作ができたからこそ成立した。

 当初、ジュンからは無理をしてまでも動かす必要はないのでは、と言われたが、

「ジュンさんは鎧が構えをとっているのを見て、人が入っているかどうか、って見抜けますか」

「それは見抜けるよ。

 ……ああ、そういうことか」

「相手は剣士としては極めて優秀なアキノさんです。用心に越したことはありません」

 アキノに違和感を覚えられては企みそのものが破綻してしまう。確実性を高めるためには、皆が今、足りない中でできることをするしかないのだ。

 ジュンが鎧を脱ぎ……いやなんか生々しい感じがする。キャストオフで。キャストオフするなら、サレンは血管切れそうになりながら魔力操作をする。それでアキノを無力化できるならそれでいい。

 

 それより、こんな器用というか搦め手を対人スキルのそう高くないジュンが提案してくるとは思っていなかった。

 アキノをおびき寄せるのは簡単だが、一時的にでも無力化することはかなり難しいだろう、と当初から諦めていたのだ。その辺をジュンと話して解消しようと画策していたのだが、この突発の襲来だ。時間は全く足りていない。

 前衛として頼れるジュンがいるなら戦闘もやむなし、と腹をくくりかけたその時にこの提案だ。

 確かに、常に鎧姿で過ごしている、というジュンの特徴を知る人間なら確実に嵌る。例え知らなくても、目の前に全身鎧があり、小さくても動きがあれば人が入っていると判断する。その、人間の思い込みを利用するとは。

 やはり、サレンの知っていたジュンとは違う。ただ、それがユウキによるものかは分からな……いや違うな。ジュンさんと同じくらい対人スキルの低いユウキが影響を与えたとは思えない。

 その手に強いのはクリスティーナだ。発言は短絡的だが深慮遠謀の策謀家だ。しかも不可思議な能力がなくても複数名の団員を圧倒する戦闘力と継戦能力を持つ。そんな彼女が副団長なのだから、戦術面で影響を受けるのは当然だ。

 ただ、この手の搦め手は正攻法を好むクリスティーナらしくないというか、なんとなく違和感を覚える。かといって、では誰が、と問われると誰も思い浮かばない。

 ジュンに正したいところだが、限界が来た。

「ごめん、ジュンさん……」

 言葉と同時に溜め込んでいた息を漏らすと、がしゃん、と甲高い金属音が連続する。サレンの魔力で支えていたジュンの鎧が重力に従い、床に落ちたのだ。

 毛の長いカーペットが敷き詰められているというのに音が大きい。それだけ重いのだ。よくそんなものを毎日着込んでいるな、と感心する。

 ……後で下の階の人、そして総支配人には謝罪しなくてはならないだろう。ごめんなさい。

 更にもうひとり。

「あああ……」

 泣き出しそうな声で非難するジュンに対し、

「ほ、本当にごめんなさいジュンさん。慣れないことはするもんじゃないですね……」

 心の底からそう思う。

「……まぁ、そこまでしなければ、アキノちゃんはどうすることもできなかったよ」

 完全に沈んだ声で、こちらを労るように聞こえるがその実自分に言い聞かせるためにひねり出した言葉が投げかけられる。本当にごめんなさい。まさかそこまで凹むとは。え、でもジュンさん、鎧の扱いってかなりぞんざいでしたよね? 昔から狭い道では壁にガッチャンガッチャンぶつけて歩いてて、とてもじゃないけど大切になんてしてる素振りは……あ、いやなんでもないです……。その目はやめて。

 ……こんなに顔芸多用する人だったんだ。道理で兜を脱ぎたがらないわけだ。

 

 雨に濡れた子犬のような目をしたジュンから視線を逸らすと、その代わりにベッドに横たわるアキノの姿が目に入る。

 大きく盛り上がった胸元の毛布がゆっくりと上下しているのを見て、単純に眠っていることに安堵する。いや、ぶん殴って意識がなくなっているので、素直に寝ているわけではない。

 そこでやっと我に返る。

(……あれ? これって()()にならない?)

 

 アキノに対してはまず暴行、そして拉致監禁が成立してしまう。一応、このスイートルームはウィスタリア家名義で押さえているものの、アキノが知らない、と言い張ればそれまでだ。何より、サレンが勝手に名義を使っているのだからそもそも詐欺だ。

 となると、ホテル側はスイートルームを勝手に専有されてしまい、他の客に貸し出すことができないために威力業務妨害が成立する。先程の鎧落下で備品を傷つけていたなら器物損壊もプラスされる。

 そして、ジュンに対しては意に沿わないことをさせたことによる強要……いや、意外とノリノリだったし、言い出したのはジュン本人だからこれはセーフじゃないかし……ダメね、そういう考え方。

 

 そもそも、アキノを武力で押さえる必要はなかった。

 時間さえあれば、否、時間がなくてもまず説明をすることができれば、ジュンが手を下すのは本当に最後の手段で済んだはずなのだ。そのためにわざわざジュンは確認を取った。

 なのに、サレンはあっさりと攻撃へのゴーサインを出した。

 普段とは異なり、なんでこんな手荒な思考になったのか。

 ……分かっている。

 ここに至るまでの全て、ジュンにユウキの格好をさせたのも、アキノをおびき寄せるためにわざわざ一芝居打ったのも、ウィスタリア家名義でホテルのスイートルームを借りたのも、そしてこんな攻撃的になっているのも。

 寝不足で思考の足りていないサレンが悪いのだ。

 

 まず、色々と渋るジュンにユウキの格好をさせた。

 年中鎧姿なのは家訓である素顔を晒さないようにする、という大義名分のためなのだったら、コスプr……変装ならいいじゃないか、とサレンが押し切ったのだ。

 そんな無茶なサレンの強弁に対し、普段のジュンであれば家訓を盾に何が何でも抵抗するだろう。

 だが、今回に関しては()()()()()から逆らえないジュンは渋々了承した。正体がバレなければいいようだ。随分と柔軟性の高い家訓になったものだ。

 ジュンの了解は得たとはいえ、外見の問題がある。

 ジュンの方がユウキよりやや背が高いし、なんだかんだで出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるという女性的な体つきをしている。

 そこで、ジュンには猫背になってもらうのと同時、ユウキが普段から装着しているマントで体を覆うことにした。

 一見すると奇妙な出で立ちだが、ユウキの体調が優れない、という話はなぜか既にある程度の人間の耳に到達しているため、寒気がしているためにマントを巻いている、と思わせることができる。

 そうして変装させたジュンと連れ立ち、()()()()()()()()()()()()にランドソルの街中を歩いた。といっても、即座に発見、バレてしまいそうな目抜き通りや【美食殿】、【自警団(カォン)】、【メルクリウス財団】のギルドハウス近辺は避けた。あくまで見かけてもらうためであり、当事者に見つかるのは得策ではない。

 ……まぁ、結果としてはあっさりと、しかも当事者に見つかってしまったのだが。

 結果論はともかくとして、見つからないようにするのではなく、ある程度時間が経過した後に見つかるように画策したのには、もちろんそうする理由があってのことだ。

 ……まぁ、結果としては全くの無意味になってしまったわけだが。

 

 つまり客観的に見れば、サレンは嫌がる友人をけしかけ、別の友人の暴行を強要し実行させた、ということになる。

 端的に換言すれば人でなしの犯罪者。

 顔から熱が抜けていくのを自覚し、思わず声が漏れる。

「どうしよう……」

 すると、ほのかに明るい笑顔を浮かべたジュンがサレンに顔を向ける。

 サレンが落とした鎧に傷はなかったようだ。一安心。いやそう簡単に傷なんてつかないだろ……あ、しまった、この人鎧の扱いぞんざいだった。金属疲労がたたって壊れてたらどうしよう……?

 サレンの残念な内心は読めなかったらしく、そのままの表情で口を開く。

「そんなことだろうと思ったよ。

 私が残って、アキノちゃんにことの経緯と、そして謝罪をするよ」

「でも」

 素顔のジュンは、すっ、と手のひらを見せる。

「やる意思を見せたのはサレンちゃんかもしれないけれど、実際にやったのは私だ。

 それに、もしも厄介な方向に話が進んだ場合、市民からの通報や苦情、相談を受け付けるのは【王宮騎士団(NIGHTMARE)】だ。そのトップが対応するのは決しておかしなことではないだろう?」

 それは……そうなのだが、当事者が自分への通報を捌くのはおかしなことではないだろうか? あれ、あたしのおかしいの定義がおかしい?

 

 ひとりでてきぱきと、そして意気揚々と鎧を着込んだジュンと、未だ意識を飛ばしたままのアキノを置いてホテルを出る。

 アキノの名義でホテルを借りたり、放置したりは少しだけ良心が痛むが、

「工芸品の取引の破談と諸々の代金と思えば安いでしょ、アキノさんにとっては」

 自身が納得できるような言葉を選び、口中で紡ぐ。

 随分と引っ張り過ぎな気もするが、あのアキノが直接的な妨害工作をしてきたのが初めてだったのでショックを受けたのだ。

 だから、サレンも直接的な行動に出た。

 ゲーム理論で最も最適な対応は、やられたらやり返す。それに則っただけ……とは、やはり牽強付会だ。

 

 実際のところ、なぜアキノに対してここまで固執しているのかが自分でも分かっていない。

 思い当たるフシはいくらでもある。

 ユウキを危険に晒したこと。

 ユウキを体調不良にした原因を作ったこと。

 自分でも口にした工芸品取引のこと。

 余計な出費を強いられたこと。

 だが、どれもそこまで固執するほどのことではない。普段であれば、アキノ案件は本人にちくちくと小言を並べればだいたい溜飲が下がる。

 ただ、今回に限ってはそんなことを思いつきもしなかった。たぶん、小言だけでは済まないだろうという思考がどこかにあった。もっと直接的な、掴みかかる以上のことになりかねない、と、そんなことを考えてしまっていた。

 だから、止めてくれそうなジュンを誘った。不屈の盾であれば、感情的になったサレンを諌めてくれる。そんな思惑があった。

 ……まぁ、結果としては【以下略】

 

 こめかみに手をやり、少し乱暴に地肌を揉む。

 寝不足由来の頭痛がじんわりと和らいでいくのを自覚しながら、再び口中で言葉を作る。

「……現役だった頃はこのくらいの徹夜でも、もう少し動けたと思うんだけど」

 ちなみに三徹目だ。つまり、ユウキが倒れてから一睡もしていない。

 忙しいのは事実だが、普段は子供を相手にしながら執務をこなしているのだからその程度は慣れっこだ。期日に追われたり、作業量の膨大さに切羽詰まっていたりで夜ふかし程度はするものの、確実に翌日のパフォーマンスを落とす徹夜などしない。

 ただ、今回は別だ。

 コッコロ共々、ユウキの看病をつきっきりで行っているため、非効率と分かっていながら徹夜をしている。コッコロは年齢もあって都度休ませているが、サレンはそれ以外にもやることがある。ギルドマスターというのは日々こなさなくてはならない仕事が多いのだ。

 日々時間を見つけてはこなしているので、看病の合間にこなさなければならないほど期限に追われているわけではない。ただ、何かやっていないと逆に落ち着かないのだ。

 あれこれと手を付けてはコッコロを休ませてユウキの看病をし、コッコロが起きてきたら再びあれこれと手を付ける。そうしてズルズルと休むのを忘れ、今に至っている。

 

 単純に考えることが多く、体力を余計に浪費しているためだろう。年齢が原因ではない、と思いたい。

 ただ、ここまで考えることがあるだろうか、とも思う。アキノ関連はともかくとして、何がそんなにサレンの脳内リソースを食っているのか。

 ……分かっている。ユウキのことだ。

 意図的に気付かないようにしていただけで、本当はずっと悩んでいる。

 

 彼が寝込んでからというもの、ずっと心配でしょうがないのだ。

 ただの風邪と分かっている。医者もそう言っていた。数日安静にしていれば快復する、とお墨付きももらっている。というか書かせた。

 なのに。

 寝息も立てずに眠っている姿を見ていると、もう二度と目を開けないのではないかと不安に駆られるのだ。

 あの光景が、ユウキの体に穴が空いてしまったその瞬間が、ずっと頭にこびりついている。

 そのせいで、サレンは不用意に休めない。

 ただの風邪なので、もちろんトイレや食事のタイミングで起きる。そのタイミングを逃さないようにしていると、自身の休むタイミングがない。

 例えコッコロが看病をしている時間帯であっても、ユウキが目を開くところを確認したいのだ。

 目を覚ます都度、二、三言は交わしているし、時間が経過しているので見てわかるくらいに赤みがかっていくため、快復しているのは分かっている。

 それでも安心できない。

 ではなぜ今外出しているのか。それは見舞いに来たジュンが気分転換に誘ってくれたためだ。

 だが、サレンはゴネた。ゴネにゴネた。"中央(トゥインクル)"に引き抜かれそうになり最強のウマ娘に歯向かうように。その結果が悪ノリにも近いジュンへのコスプレ強要、そしてアキノへの意趣返しだった。

 ……あまり対人スキルの高くないジュンにまで気を使わせてしまうほど状態が悪かったようだ。

 ジュンが素直に飲んでくれたのはそれもあるだろう。恐らく、ジュンは一種の気晴らしになればと泥をかぶってくれたようだ。

 眠気が少し飛んだ今、そこは素直に反省するが、かといってユウキが快復するわけではない。

 ……違う。いや事実ではあるんだけれど、ジュンへの反省とユウキの心配を同列にするのは確実に違う。

 軽く頭を振ると、思考が再びユウキの心配へと戻される。

 早く戻らねば。そして、起きたところでまた会話をするのだ。

 

 

 ユウキはゆっくりと目を開ける。そこには、

「……あれ、サレンちゃん?」

 腰に手を当て、見下ろしているサレンがいた。

 

「あれ? じゃないわよ。ほら、朝よ?」

 彼女は自分の後ろを指す。そこはカーテンが両端にまとめられた窓があり、そこからは陽光がやや高いところから差し込んできていた。

 朝、というにはだいぶ経過しているようだが、なんとなく彼女の求めていることに見当がついているので、そのとおりにする。

「……おはよう」

「よろしい」

 にっ、と音がしそうな、眩しい笑みを浮かべた彼女は、そのままユウキへと顔を近付けてくる。

 手を伸ばし、ユウキの前髪を手で上へとすくい上げると、自身も同様におでこを露出させる。

「さて、熱は、っと……」

 そのまま、ユウキのおでこと自身のおでこを軽く触れさせる。

 彼女の整った顔が、焦点が合わないためにボケて見えてしまうことに戸惑う。

「……うん、下がってるわね」

 子供にやるように、おでこを使って体温を測ってくれたようだ。

 だが、ユウキは子供ではない。あまりにも近いことに、思わず戸惑いの声を上げる。

「サレン、ちゃん……」

「あら? なんだか熱く、なって……るんだけ……ど」

 触れている彼女のおでこの温度もまた、上がったような気がする。

 サレンも、今の格好に気付いたようだ。

「サレン、ちゃん……」

 ユウキは再びサレンの名を呼ぶと、そのままぐい、と顔を近付け、そして――

 

 

「ぶはっ!?」

 危なかった。妄想に溺れるところだった。

 いくら眠気がぶり返してきたからといって、街中で妄想を爆発させるわけにはいかない。それではまるで闇のドMではないか。ぐふふ。

「……早く帰ろう」

 そろそろユウキが目を覚ます頃だろう。その前に先の妄想をこなしてしまえば、しばらく余計なことを考え……しまった、この時間はコッコロ起きてるわね。自重自重。

 ……コッコロ寝かしつけてからね?

 

 今いる場所からサレンディア救護院へ最短距離で結ぶには、大回りになってしまう大通りを行くよりいくつかの小道を細かく経由した方が早い。

 ただ、いくつかの小道は女性が一人で通るには少々荷が重い。歓楽街への入り口や、小物だがガラの悪い連中の根城となっている区画をかするためだ。

 流石のサレンも、ここばかりはユウキのことがなくとも早足になる。身の危険を感じるため、ではない。身の程もわきまえず絡んでくる【検閲】が厄介なのだ。手加減できない、という意味で。特に寝不足で気が立っている今は。ちょうど体力も二割程度しか残っていないし、いつもの倍近い攻撃が繰り出せそうな気がする。小物なら瞬殺だ。

 そんなこともあり、そそくさと危ない一角を通り過ぎようと角を曲がったところ。

 左側の壁際に蹲っている女性がいた。

 よりによってこんな面倒な場所で、という思いより、力あるものの義務が先行した。

 うつむいて一切動かない彼女に駆け寄り、

「あなた、大丈夫? 気分が悪いの?」

 即座に抱えて移動できるように斜め後ろにしゃがみ込む。もちろん、周囲を警戒するのは怠らない。サレンの研ぎ澄まされた感覚には、既にいくつかの視線を捉えているからだ。

 ただ、どうにも違和感がある。この辺の小悪党やゴロツキなら女性を下卑た感じの視線で捉えるはずなのだが、サレンと、蹲る彼女へと向けられた視線は、どことなく不安を含んでいる雰囲気がある。

 サレンの過去を知っている輩だろう、と流す。普段なら少しだけ気にするが、今は好都合だ。

 それよりも、この女性の安否が問題だ。

 反応がないことに焦り、再び声をかけようとすると、

「この声……サレン、さん?」

 どこかで聞き覚えのある声がサレンを呼ぶ。その主は目の前の女性だ。

 彼女は俯かせていた顔を上げ、こちらへと向き直る。

 その動きに合わせて、枇杷茶の長髪がふわり、と揺れ、流れ、そして落ち着きながら彼女に収まる。それらの一連の動きは、まるで作られた仕草のような美麗さを備えている。

 貴族として立ち振舞を叩き込まれているサレンも息を呑むような完成度だ。サレンだって作法は身につけているが、一挙手一投足を彩るような芸当は必要とされていない。

 否。

 彼女はひとつひとつの小さな動きにしっかりと、相手に見せるためのメリハリがついているのだ。そのため、動きが全てがつながると作為的ながらもなめらかに見える。

 そこまでの動きを身につけるためには血がにじむような鍛錬だけでなく、執念にも近い覚悟が必要だと理解しているサレンは思わず息を飲む。

 そこで、やっと相手の正体に気付く。

 それは【カルミナ】のセンター、ノゾミだった。

 

 市販品のありふれたジャージ姿であっても彼女の持つ美貌、そしてトップアイドルのオーラは消しきれていない。

 この辺りの連中が見ているだけで何もできない理由がわかる。畏れ多くて近寄れないのだ。むしろ、ノゾミのオーラで自分の矮小さに気付いてしまうだろう。

 ちょっとだけ、サレンも気圧されているのを自覚する。さっきまでちっちゃいことでうじうじ悩んでたから……いやちっちゃくはないんだけど、まぁ……うん、アキノさんには改めて謝ろう。あとジュンさんの中身……じゃない、鎧なしでお茶に誘おう。

 

 そして、小悪党が近寄らない理由がもうひとつあることに気付く。

 ノゾミは、目の周りを赤く腫らしていた。それだけでなく、明らかに目から流れ出た水の跡が頬に光っている。ええと、鼻の下は気にしてね?

 スカートの隠しポケットからハンカチを取り出すと、それをノゾミに握らせようとする。

 すると、ノゾミはぐしゅり、と鼻を鳴らしながら受け取ろうと手をのばすも、サレンの顔を見るや、ひっ、と息を漏らし、肩を震わせ始める。

「え、ちょ、ちょっと……」

 当然、今来たばかりで状況が見えないサレンには戸惑う以外の行動が取れない。何より外聞が悪い。これではまるで、サレンがノゾミに何かやらかして泣かせた、と思われかねない。

 ひとまずハンカチを目元に押し付ける。泣かせたかもしれないけど、ちゃんと面倒見ている、って見えるわよね? あとは慰めれば……いや外聞のことじゃなく……あ、そういえば出禁にしてたわ。それのこと? じゃあ原因あたしね。

 ……そういうことじゃないでしょう?

「いったいどうしたの? もしかして……あたしが出禁にした件?」

 後半は小声で。ほら、ゴロツキとはいえ周りに無関係の人いるから。それと、あたしの精神安定のため、違うと言って。

 すると、

「ご、ごめんなさい、わ、私のせいで、ユウキくんが……」

 小さく、答えになっていない答えをつぶやく。

 

 ただ、なんとなく読めた。

 ノゾミはユウキの風邪について責任を感じているのだ。

 確かにあの日、彼女が【メルクリウス財団】所有の飛空艇に搭乗していたのは知っているし、あの荒天下で対物理バリアーを展開していた本人であることも知っている。

 なるほど、確かに自分が原因だ、と思うのは理解できる。

 

 サレンが思考を続けるよりも早く、ノゾミは顔を歪める。

 そして、ひゅお、と鋭く息を吸い込むと、

「ユウキくんが、し、死んじゃっったー!!」

 とんでもない声量で、とんでもない内容を絶叫する。

 流石アイドル。腹から声が出ている。

 ……ではなく。

「ちょっと!! 生きてるわよ!!」

 思わず同じ位の声量で言い返す。歌には自信あるからね。

 だが、ノゾミも引かない。

「嘘だー!! 出禁にして会わせてくれないのは死んじゃったからだー!!

 葬儀は近親者のみでしめやかに行われてて、後日のお別れの会にも呼ばれないんだー!!」

「違うわよ!! そして縁起でもない!! 死んでないから葬儀もしてない!! あのね、あたしにだって都合とかいろいろあんのよ!!」

 後半は事実だ。というより、面会お断りにしたのはサレン自身のこともあるが、一番はサレンディア救護院は孤児院であることだ。

 皆が皆、アヤネのように見知らぬ人に対して気安く……はないか、それなりの態度で接することができるわけではない。むしろクルミのように、苦手な子供の方が多い。

 そこに、ユウキの知り合いというだけで見知らぬ人たちが大挙してドカドカと訪れてきたらどうなるか? 混乱が生じることは火を見るより明らかだ。

 だが、それをここで事細かに説明するのは少々厄介もあるが、何より危険だ。

 ……完全に誤解を含んだ視線がズバズバと突き刺さっているのが実感できる。というかなんでゴロツキ(あんたたち)がこちらの事情に興味津々なのよ!! あ、もしかしてノゾミのファン? ならあたしが来る前に紳士的に対応すればサインくらい……あ、泣いてたから無理だったと? ヘタレ。

 じゃなくって視線で訴えすぎよ!! そして理解するだけでなく丁寧に突っ込むあたし!!

 

 がくり、と肩を落とす。本当に力が抜けてしまった。

 寝不足で疲労もマックスにほど近い。先のアキノの件で追い打ちされ、心身ともに耗弱状態だ。頭を使うのも億劫なくらい、何もかもが面倒だ。

 それに、恐らくノゾミに言葉で説明しても埒が明かない。頑固というより、彼女には言葉よりも実際に見せた方が何かと楽な気がしてきた。通称諦めが人を殺す。

 そう判断したサレンは、露骨に息を吐き出しながらつぶやく。

「……しょうがないわねぇ」

 すると、ノゾミはぴたり、と涙を止める。芸達者な。

「なにが?」

 嘘泣きじゃないだろうな、とか、早まったか、と思ったが、既に口から出た言葉は撤回できない。

 ため息と共に、決意を告げる。

「ユウキに、会わせてあげるわよ」

 すると、ノゾミはすくっ、と予備動作なしで立ち上がる。

 慌てて見上げると、そこには満面の笑顔があった。

「言質いただきました!!」

「クソ!! あ、ナシ、今のナシ!!

 あーもう、嘘泣きだったのね!!」

「違いますホントに泣いてましたー切り替えたんですぅー!!

 さぁ早く!! 早く行きましょう!!」

 待ちきれない、と手を伸ばしてくる。

 やはり早まった。

 だが、ここまでされては折れるほかない。見抜けなかったサレンが悪いのだ。もうそういうことでいい。疲れ果てた。

 何度目かの嘆息と共に、伸ばされた手は無視して立ち上がると、踵を返……いやゴロツキ。あんたらは来るな!!

 

 

 

 道中は終始無言で、ノゾミが話を振っても一言二言で()()()()という不機嫌を隠そうともしなかったサレンの後に続き、救護院のドアをくぐる。

 確かに、さっきのは悪かったと思う。とはいえ、ユウキに会える、と聞いただけで涙が引いたのだから、そこはしょうがない。自分でも現金な涙腺だと思う。いや、正直、かな?

 とはいえ、このサレンの対応には閉口せざるを得ない。現状罰ゲーム実施中のような心境だが、ユウキに会えるのであれば甘んじる。全てはユウキのため。

「戻ったわよー」

 その声を聞き、ノゾミは素直に驚く。

 先程までの疲労困憊の様子を一切感じさせず、むしろ少しだけ弾んだ声になっている。

 声は調子を変えやすいが、その分体調の影響を受けやすい。カルミナを結成する前のノゾミも、体調の調整に失敗してやらかしたことがある。そのため、体調管理にはかなり気を配るようになった。

 サレンの疲労具合を見るに、これだけ華麗に180度変えるのはかなり難しい。必ず、どこかでほころびが生じる。

 だが、声に関しては(自称)専門家であるノゾミが聞いてもその変化には何の違和感も覚えないところから、日常的に使いこなしているのだろう。

 ……なんだか日々大変らしい。ええと、ごめんなさい、なんかいろいろと。

 

「おかえりなさい、ママ・サレン」

 出迎えた幼女はそのままサレンに飛びつく。

 子供特有の遠慮のないタックルを、サレンは軽く腰を落とすだけで威力を殺し、受け流す。

 流れるような体重移動ができないと子供に衝撃を跳ね返してしまうというのに、疲労があっても難なくこなすとは……もしかしてサレンさん、疲れてない? え、疲れてるような演技されるほど嫌われてる、私?

「ただいま。急に飛びついたら危ないわよ。

 ……ユウキは?」

「お兄ちゃんはまだ寝てる」

 すると、サレンは小さく息を漏らす。

「そう。お寝坊さんね、あいつ」

「風邪引いている時はおとなしく寝てるといいんだよ」

 何気ない会話のはずなのに、なんというか、ほっこりとするやり取りだ。本当に親子のように見えてしまう。

 その後も何合かの会話が交わされる。完全に蚊帳の外だ。

 だが、急にひょこ、と音がしそうな勢いで幼女がサレンの腰から顔を出す。

「あれ、お客さん?」

 子供独特の話題転換の早さだ。慣れていないどころか蚊を追い回していたノゾミは戸惑いが先行し、対応できない。

 対するサレンは慣れているらしく、

「ええ。【カルミナ】のノゾミよ。知ってる?」

 あっさりと紹介をこなす。ただ、個人名だけではなく、なぜわざわざユニット名を口にしたのかがわからない。それに、少しだけ声を大きくして、だ。

 ただ、相手の反応は顕著だ。

「……え、ノゾミ、ちゃん?」

 幼女は目をまんまるにして名前をつぶやく。人間って本当に目が丸くなるんだ、という発見は、

「ウッソだろママ・サレン。ノゾミと知り合いなの!?」

「ノゾミって、カルミナの!? すっごーい!!」

 他の子供達の反応でかき消されてしまう。

 その声と興奮は、他の子供達にも伝播した。

「カルミナの踊り好きー!! ノゾミちゃんのダンス、元気になれるんだよ!!」

「あ、ありがとう」

 即座に、拙いながらもステップを踏んで見せてくれる。これはちょっと嬉しい。あ、そこはもう少し細かく振ると見栄えがいいよ?

「チカの声もきれいだよ!! ちょっと前、ここに来たことあるんだよ!!」

「あら、そうなんだ」

 前後の文脈が一切つながってないんだけ……え、なんで? チカが子供に興味あるイメージはない。あ、深い意味はなくって!!

「衣装もかわいいの!!」

「そうよね、私も好き」

 惜しいツムギ。でも本職で認識されてるのはいいんじゃない?

 あっという間に子供達に囲まれる。その勢いに負け、ノゾミはされるがままになりそうになる。

 すると、視界の端でサレンがそろり、と部屋を出ていこうとしているのが映る。逃さない。

「みんな、ありがとう。でも私、今日はユウキくんのお見舞……」

 本来の目的を思い出し、そして決意を込めて言い直す。

「看病に来たの。だからその後でね」

『えー?』

 子供達の抗議の声々に紛れ、

「ちっ」

 部屋隅に退避していたサレンの舌打ちが耳に届く。その端正な顔は明確に歪んでいる。随分と庶民臭いな、この貴族様。

 そして、なぜサレンがノゾミをユニット名も込みで紹介した理由が分かった。どうやらこれを狙っていたようだ。

 子供達には嘘というか、それに近い詭弁は使わないだろうと見越されていた。事実、ノゾミは自分の願望をあっさりと、自覚なく自白させられてしまった。

 ノゾミに限らず、ここに来たがる面々であればお見舞い以上の世話を焼きたがるのは当然と言える。とはいえ、ノゾミにしてみればこれは別に隠し立てするようなことではない。単に、あっさりとバレた、というだけの話だ。

 

 サレンの後に続き、廊下を進む。

 たったこれだけのやり取りで分かったこととして、サレンに対しては誤魔化しやおためごかしは一切通用しない。

 恐らく、ここに来るまでのやり取り……ノゾミが一方的にしゃべっていただけの気もするが、とにかく相手を把握することに費やしたに違いない。

 短時間で相手を理解するには、相手に好きなように喋らせればいい。そこから、興味関心やその深度、視点、考え方を知ることができる。

 もちろん、それだけで相手を知ることはできないが、だいたいの人となりが分かれば性格の推測や思考は想像がつけられる、というわけだ。

 

 突き当たり左側には階段があり、サレンはその階段を登っていく。どうやらユウキは二階にいるらしい。

 それとは別に、ノゾミにとってはさらにもう一つ、分かったことがある。

 ……明らかにサレンには嫌われている。それはもう、ここに呼びたくなかったレベルだろう。

 それでも呼んだ、ということは、

(私って、そんなに面倒くさいのかな?)

 一応、そう冗談めかしてみせる。

 もちろん、そうではないことは分かっている。互いに対して感情を得られるほどの接触をしていない以上、好きだの嫌いだのと感想を持てているわけではない。

 そう。

 互いのことを殆ど知らないのに、サレンからは取り付く島もないほどに好かれていない。

 これは明らかに奇妙だ。

 クリスティーナ(プロデューサー)からは『彼女(サレン)はやや直情的で頑固な部分はあるが、しつこさはなくさっぱりとしている。真っ直ぐだから、お前と相性はいいだろう☆』、などと言われていたが、実情は全くの逆。完全に粘着質で執拗。直情的で頑固、のよろしくない部分しか合っていない。

 これでどうして仲良くできるだろうかいやできない(反語表現)。

 それでも、ユウキにたどり着くための辛抱だ。

 いくら嫌われようがここまで来た以上、今更引き下がることなどできない。

 小さく気合を入れると、

「……ありがと」

 急に、前を行くサレンから感謝を述べられる。

 その意味が分からず、

「ええと……何がでしょう?」

 素直に聞く。嫌われているのはしょうがないとして、勝手な判断でこれ以上機嫌を損ねるわけには行かない。

 サレンは段差を利用してちらり、とこちらに視線を向け、すぐに前へと戻す。

「……あの子達のことよ」

 ますます意味がわからない。ノゾミにしてみれば、さっきのはただのファンサービスのようなものだ。取り立てて感謝されるようなことではない。

「最近、ユウキにかかりきりだったの。あいつが風邪引くなんて初めてだったから、あたしに余裕がなくって。

 それであの子達には気を遣わせちゃってたのよ。だから」

 なるほどー。それで私にも

「あ、()()()はただ単に気に食わないだけ」

 ……違った。そして、急に話し方が砕けた。

 それも含め、

「どーして!?」

「さぁね」

 階段を登りきったサレンは口元に手をやり、くすり、と笑う。

 そして、一番手前の部屋の前で立ち止まる。

「ここよ」

 

 サレンは目の前の扉を短く三回ノックをする。向こう側から、

『どうぞ』

 コッコロの落ち着いた声が聞こえる。

 その様子から、ユウキの容態が安定していることが伺える。

 すると、背後から小さく吐息が漏れるのが聞こえた。

 サレンもだが、ノゾミも緊張していたようだ。

 だが、念の為。

 ノゾミの方を向くと、

「いい? 病人で、休んでいる相手よ? それと、看病にはコッコロがついているわ。あの子も疲れているから、くれぐれも落ち着いて行動しなさい」

 そのまま目に力を入れ、ねめつける。

「抱きついたり布団の中に潜り込んだりおでこで体温測ろうとしたりしないでね」

「しません!! あ、でも最後は」

「し・な・い・で」

「……はい」

 ふっ、と息を吐く。

「手くらいは握ってもいいわよ」

 譲歩ではない。思いつめ、あんなところで泣くくらいユウキを心配してくれているのだ。少しくらいは安心してもらいたい。それ以上は絶対に許さないが。おでこで体温測るのはあたし……あ、コッコロがやってた。それで羨ましいと思った……ええと、エルフの特権だから!!

 

 だというのに。

「ユウキくん!!」

 ベッドで寝息を立てるユウキを見るや、さっそくノゾミは絶叫し、間合いを詰める。

 だが、

「えぃ!!」

 表情に疲労が浮かぶコッコロは、気合とともに自身の槍を水平に振り抜く。どうやら、廊下での会話が聞こえていたようだ。良い判断だが、抜身の穂を室内で振り回すのはやめてほしい。子どもたちが真似すると危ないから。

 ……違った。ノゾミの心配すべき……まぁ、大丈夫か。

 サレンの胸中の通り、ノゾミは無事だった。

 コッコロの槍を膝を床につけ、上半身を大きく仰け反らせることで回避。勢いを殺さずそのまま床を滑ったのだ。どっかのパフォーマーみたいなことするのね、じゃなくって、さすがアイドル。

 

 ノゾミはコッコロの一撃が顔の前を通り過ぎていくのを見ながら、そのままの勢いで床を滑る。

 手入れされている床でよかった。毛羽立っていたらこんなに滑らない。あときっとジャージはダメになっていた。

 部屋に入った時に目測で得た情報なら、あと一秒でベッドにたどり着く。ただ、勢いが付きすぎているので、空気抵抗を増やすために上半身を起こす。

 それと同時、即座にユウキの手を握れるように姿勢を制御する。

 果たして。

 ベッドの縁に膝が触れるのと、上半身が起ききるのと、ユウキの顔を覗き込むような態勢になるのはほぼ同時となった。

 すると。

 

()()()は、倒れ伏したユウキくんを覗き込みます。

そして、呼びかけます。

「ユウキくん、ユウキくんっ!! お願い、しっかりしてくださいっ……!!」

普段は冷静なコッコロちゃんの、焦った声が耳元で響きます。

「主さま!! どうか、お気を確かに!! いま回復魔法を使います……!!」

でも。

……ユウキくんの傷は、塞がることなどありませんでした。

 

「ユウキくん!! ユウキくんっ!!」

 

 ノゾミは、それが自身の上げた絶叫だと気付かなかった。

 それだけ、急に()()()光景に見入ってしまっていた。

 

 破壊され、煙を上げるランドソル。

 見知った顔も、見知らぬ顔もボロボロで。

 それでもなお、負けないと言う意志を漲らせて前だけを見ていた。

 なのに、ユウキは――。

 

 耳元で声がする。

「ノゾミさま、お静かに。主さまはお休み中です」

 その主はコッコロだ。先程はあれほど取り乱していたのに、今はなんでこんなに冷静なのか。

 その冷静さに、思わず苛立つ。

「コッコロちゃん!? は、早く回復魔法を!! 早くしないと、ユ、ユウキくんが、ユウキくんが!!」

 それ以上を、口にしたくなかった。

 できなかった。

 再び、視界がじわり、とにじむ。

 鼻の奥がつん、と痛くなり。

 

 そんなノゾミの肩に、ぽん、と手が置かれる。

 それは、サレンの手だ。

 あれだけ頭に昇っていた血が、さぁ、と一気に引くのを自覚する。

 ここに入る前に、あれだけ念を押されたというのに、叫ぶわコッコロに当たるような真似をするわ。

 怒られてもしょうがない。

 だが。

 

「……あんたも()()のね?」

 

 サレンは静かに、ただそれだけを言った。

 その表情には、怒りも、戸惑いもない。もちろん、ノゾミを咎めるような色もない。

 達観したような、ただ事実を見つめるだけのような静かな表情を浮かべていた。

「……その話はあとにしましょう」

 ちらり、とコッコロに視線を向ける。それだけで察する。

 小さくうなずきを返し、いつの間にか目尻に浮かんでいた涙を拭う。

 

「コッコロ、代わるわ。もう寝なさい?」

 すると、小柄な従者は小さく、しかししっかりと首を横に振る。

「……いえ、まだ主さまは快復しておりません」

 そう言う彼女の顔には隠しきれない疲労の色と、白い肌に刻み込まれたかのような隈の黒がくっきりと見える。

「もう二日もろくに寝てないでしょ? あたしはもう少し頑張れるから。

 それに、うるさくしたノゾミもすぐに帰るって言うし」

「え? いえ、私も看病」

 有無を言わさない。

「すぐに帰るって言うし」

「……看b」

 有無を言わさない。

「すぐ帰るって」

「…………はい」

 すべてはコッコロを安心させるためだ。決して、ユウキの寝顔を独占するためではない。

 

 コッコロは同じ部屋に備え付けられているベッドに寝転がると、そのまますぐに寝入ってしまった。

 その安定した寝息に、ノゾミはくすり、と笑みを浮かべる。

 年相応だと思うと同時、倒れる寸前まで誰かを真摯に思えることを羨ましいと思う。

 その誰か、ユウキを見ると。

 おでこには"サレン"。

 右頬には"ジュン"。

 そして、左頬には"コッコロ"と、落書きがされていた。

「……なんで落書き?」

 

 すると、この場にいて、かつ、起きている犯人はがりがり、と後頭部を掻きながら、

「……じ、自分の持ち物にはちゃんと名前を書きなさい、って子供達に教えているからよ……」

 なぜか頬を赤く染め、少し怒ったような様子で答える。

 ノゾミは小さく小首をかしげる。

「え? ユウキくんは持ち物じゃないですよね?」

 

 サレンは確信する。

(この子、おバカだわ……)

 なら、力技でなんとかする。真相には近づけさせない。

 そのためには、感情を表に出さず、淡々と言葉を並べる。

「……ええ、そうね。

 ええと、あまりにも気持ちよく寝ているから、つい魔が差して、ね」

「……いいなぁ」

 対するノゾミは、ぽろり、とこぼす。

 ぴくり、と頬が動くのを自覚するも、脳内のアキノに"エウレカ!!"と叫ばせる。そうすれば感情が消え、スン、とした表情が維持できる。

 ……大丈夫、バレたわけではない、はずだ。

「そういうの、憧れるじゃないですか。仲良くないとできないっていうか。

 私、そういう関係の人たちっていなくって。カルミナのメンバーはなんていうか、そういう感じじゃないんですよね」

 ……大丈夫だった。ただのじゃれ合い、と理解してくれたようだ。

「そうなのね。仲がいいのといたずらできるのとはちょっと違うものね」

 なら、このまま畳み込む。

 だが。

「描かせて?」

 ……何を聞いていた? ユウキと、あんたは、どういう関係なわけ?

「もう三人も描いているんだからいいじゃないですか」

 ああ、そういう……いいわけないだろう。いや、落ち着け。

「……これ以上、どこに書こうっていうのよ?」

 ひくひく、と頬が揺れる。我慢だ。

「ええと……え、どこに書こう」

 書くことを前提に考えるな。いや、落ち着け。

「あ、顎のところならなんとか書けそう」

 "エウレカ!!" ほらくりかえして!! "エウレカ!!" くり返せってんだ!! "エウレカ!!" "エウレカ!!" ほら言え!!

 

 サレンは先程、ノゾミをおバカと称したが、それはあくまで一般常識において、だ。

 アイドルは記憶力はもちろん、即座のアドリブにも対応できなくてはならない。アドリブはその場の雰囲気を読み取り、その上で最適を見出す。

 道すがらに声をかけてきたノゾミの話題は多岐に渡っていた。それに、同じ返答であっても、少しでも好意的な反応を示した話題に関しては掘り下げてきた。こちらの反応を探り、なんとか会話を続けようと尽力したのだ。その間、同じ話題は一度もなく、その代わりに違うアプローチで攻め込まれ続けた。

 実のところ、サレンもこんなやり取りは好きだ。疲労がなければ付き合うのにやぶさかではないが、とにかく頭を使いたくなかったので塩対応だったのだ。

 だから、これ以上ごねると余計なことを考えかねない。サレンの反応から、真の意図に辿りつきかねない。

 それだけは避けなくてはならない。

 ……ここは許すべきではないのか? ユウキの顎に"ノゾミ"、と書かれるだけだ。たったそれだけで、ノゾミが満足してこれ以上思考しないのであればそれでいいじゃないか。

 

 否。

 素直に認めることなどできない。

 何しろ、先日覚悟したのだ。

 ユウキを、自分のものにすると。

 ジュンは協力してくれるのだからやむを得ず、コッコロは従者としてしょうがなくだったが、今日がほぼ初対面のおバカな子に、自分の決意に水差すような行為を許すというのか。

 それだけは許せない。

 とはいえ、露骨にNoを言えば、余計に怪しまれる。

 

 Yesと言えず、Noも微妙。

 果たして。

 覚悟を決めたサレンは、王侯貴族が本来の意図を隠して会話をするために使う、独特な言い回しを用いた。

す、好きにしたらよろしくってよ

 

 ノゾミは即座に、その言葉の意味を悟る。

 声のトーンの変化、サレンの頬の動き、そして視線の動きから、この言葉遣いは普段使いされるものではなく、ごく限られた相手と交わすための特殊な言葉遣いであることに気付いたのだ。

 更に、これまでのアイドル活動で培ってきたその直感と、相手の気持ちを慮って書いてきた作詞能力で()()に成功する。

「きゅぴーん!! わかりましたわ!!」

人類種(イマニティ)の小娘風情に何が分かったというにゃ?」

 ただし、ツッコミは無視するものとする。

 つまり。

 

す、好きにしたらよろしくってよ

(訳)他の面々ならまだしも、ポっと出のアイドルなんかがあたしの恋路に入門してくるなど、絶~~~~ッ対に認めんのだァ!!

 

 ……ニュアンスは合ってると思うのでこのままで。

 込められた意味を理解し、思わず叫ぶ。

「独り占めなんて!! わ、私だってユウキくんのことがす」

 そこで、気付く。

 何を口走ろうとしているのだ。

 自分でも自覚していなかったことだというのに、よりによって最も強敵だと思われる相手に、ただの勢いで口走るなんて。

 

 サレンの目の前で、ノゾミはみるみる真っ赤になっていく。

 ……これだけでも十分な状況証拠だが、もうひと押ししておく。

「あら~? アイドルは恋愛禁止でしょう?」

「ひ、秘めてるだけなのでノーカンです!!」

 ……語るに落ちた。

 

 つまりは敵だ。

 

 とはいえ。

 苦笑が漏れる。

 サレンも、まさか王侯貴族が用いる言葉を初見で翻訳されるとは思わなかった。

 ただ、アドリブや言葉を操るのは得意でも、政治や腹芸はできないようだ。その手をことを引き受けているのが現プロデューサーのクリスティーナなのだろう。確かに適任だ。

 ……ではなく。

 苦笑を濃くして、つぶやく。

 

「やっぱり、あんたは気に食わないわ」




「……」
「なんだか落ち着きませんね。どーしたんです?」
「あ……あのね……私、も、お見舞い……行きたい、な……って」
「ダーメでーすよ♪」
「うぅ……」
「そんな目で見てもダメでーす」
「……な、んで?」

「だって、不確定要素が増えちゃうじゃないですか♪」
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