ティアナ様は告らせたい~少女(一部女性含む)たちの恋愛頭脳戦~   作:アルブレヒト・ミュンヒハウゼン

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前々々々々回のあらすじ
ユウキが風邪を引いた。



コッコロは防ぎたい

 コッコロは静かな表情でベッドを見下ろす。

 コッコロの視線の先、そのベッドにはユウキだけが寝ているはずだった。

 だが、今。

 仮眠前のコッコロの記憶にはない、余計なものが存在していた。

 その様子に、コッコロの表情は普段通り、のように見える。

 日頃、表情が表に出ないと言われるコッコロだが、もし今の彼女を見ることができる人間がいるとすれば、そんな評価をした者に疑問を呈しただろう。

 確かに、冷静というより、平静というべき落ち着き払った様子は普段とそう大差はない。

 だが、その奥に秘めている感情はありありと分かる。何しろ、その目がコッコロの心中を雄弁に表している。しかもかなり露骨だ。分かりやすい、と言い換えてもいい。それくらい、今のコッコロからは感情が溢れていた。

 その目はこう語っている。

 

 この、泥棒猫が、と。

 

 ユウキは先日まで、風邪の所為で顔から赤みが消え、苦しいのか時々短く息を吐き出す素振りを見せていた。コッコロはそんなユウキにほぼつきっきりで看病をしていた。

 ただの風邪とわかっていても、敬愛する主が苦しむさまは見ていて気持ちのいいものではない。

 ユウキが体調を崩すのは初めてではないし、これまで大事に至ったことはない。結果論だが、今回も問題なく快方に向かっている。問題は生じなかった。その事自体は喜ばしい。

 それでも心配なのだ。

 ユウキは日頃から友人を僭称する女性たちに振り回されることが多い。そのため、体はかなり丈夫だ。鍛えられている、という向きもあるだろうが、コッコロにしてみれば真顔で無理を強いてくる毒婦……言い過ぎでございますね、常識の足りないアタオ……褒め言葉だそうですね。常識の足りないアタオカばかりで非常に困ります。

 頑丈だからといって振り回すことを認めたわけでも、体調を崩すことを看過しているわけでもないのだ。

 

 いつか。

 いつか本当に、主の身に取り返しのつかないことが起きてしまうのではないか。

 

 常識の足りないアタオカばかりなのだ。心配しすぎてしすぎる、ということはない。

 だからといって、縁を切れ、とは言えない。

 袖触れ合うも他生の縁という。アタオカがきっかけで得られるものだってあるかもしれない。まぁ微レ存、というところでございましょうか。

 コッコロの心境とすれば、期待はしないが無視はできない。なんとも複雑だ。

 だから、自分のできることを全力で行う。それがガイド役であり、今で言うなら看病だ。

 否。

(体は丈夫とはいえ、気の緩みから体調を……いえ、主さまに気の緩みなどございません。なにかの思し召しでございます。恐らく、わたくしに甘えるための方便でございます。いいこいいこ。

 いえ、素直に仰っていただけておりませんので悪い子です。めっ、でございますよ主さま)

 ぷく、と左頬が小さく内側から膨らむも、その顔は微かにほころぶ。

 いついかなる時であっても、主さまの不満を解消して差し上げたい。ほんの少しであったとしても苦悶を取り除くことができるのであればなんでもする。

 その一心で、コッコロは不眠不休に近い状況で動き続けたのだ。

 それなのに。

 

 本来であればベッドには毛布の浅葱色と肌の雄黄色、ややくたびれたシャツの生成り色、そして癖のある短い髪の紫黒という、四つの色彩しかないはずだった。

 なのになぜか、肌の薄卵色、少し皺が目立つブラウスの藍白色、そして長く癖のない髪の黄蘗が追加されている。

 紫を含んだ黒に、ややくすみの入った鮮やかな黄色のコントラストは白い清潔なシーツにはよく映える。

 だからこそ許せない。

 一瞬でも、お似合いだ、などと思ってしまったことが。

(主さまのお隣は、わたくしだけのものなのに)

 ……従者は文字通り付き従う者なのだから主の隣にいるのは問題あるのでは、というまっとうな意見は聞かなかったことにする。誰も仰っしゃりませんので。

 

 コッコロが眠る前にはなかった、というか追加された色の持ち主はコッコロに休むよう促していた。

 つまり、

(わたくしが寝入るのを待って、主さまの寝所に忍び込んだ……)

 相手を的確に示す言葉がある。泥棒猫というのだ。つまりわたくしの認識に間違いはございません。

 ……この、泥棒猫が。

 

 そんなことを思いつつ、コッコロは観察を続ける。

 コッコロから見て手前側に寝ている主と、そしてその奥に寝転がっている不届きな闖入者を眇める。

 ……この闖入者、そして寝不足の所為で気が立っているために普段は至らないような攻撃的な思考になっていることには気付いているものの、やはり落ち着いてはいられない。

 それに、少々看過できない体勢になっているのだ。

 コッコロはベッドを回り込んで逆側からベッド上を観察する。

 

 ユウキは右肩を下にして寝息を立てている。

 顔色には赤みが戻り、息遣いも穏やかで微かなものになった。例え微かであっても、エルフであるコッコロには聞き取ることができる。その小さくもしっかりとした音が、ユウキの快復、そして無事を伝えてくれる。

 ほっと息を吐き出すのもつかの間、再び目つきが引き締まるのを自覚する。

 ユウキの体の下側にある右手は肘の部分で折り曲げられているが、その手指はコッコロからは見ることができない。何しろ、闖入者の顔の下に潜り込んでいるからだ。

 しかも、その折り曲げた部分。ペコリーヌほどではないにしろ、年頃の女性としては標準以上の胸が主の肘を押さえ込んでいる。普段は形をきちんと保持しているのに、今は主の肘で大きく歪んでいる。それだけで柔らかさだけでなく、歪んでもなお形状を維持するだけの張り、そして弾力があることが見て取れる。

 この駄肉が!! 主さまを解放しろ!! くそぅ!!

 ……おっと。言葉遣いが。悪態は誰も幸せにしませんから、めっ、でございますよ。

 それに、胸に関しては将来に期待だ。何しろペコリーヌと同じものを食べているのだ。大きくならないはずがない。キャルは……ええと……お、お可愛いこと。

 それ以上にけしからんのは左手だ。

 寝相が良ければ体の上にあるべきユウキの左手は、だらしないことに体の前へと落ちている。もう少し正確に言うと、闖入者の方に投げ出されている。

 

 とはいえ、見えるのは肘までで、その先は毛布によって隠されている。腕の可動域と長さから推測すると、闖入者の腰下にまで伸びている可能性が高い。腰下、ということは臍の下、そして更にその下、ということもあり得る。

 当然、コッコロは主を信じている。そんな破廉恥なことをするはずがないと。信じているが、確認しないとならないこともある。

 コッコロは何の逡巡もなく毛布を手に掛け、そのままめくる。もちろん、証拠を残すために丁寧に、だ。主従関係? 主の過ちを諌めるのは従者の役目だ。よってこれは正しき行い。

 すると、コッコロの予想通りの光景が広がっていた。

 すなわち、主の左手は闖入者の腰下、もっと具体的にはスカートの中に手首が入っていた。

 ただ、入っているのは手首だけなので膝寄りの太ももしか触れていないことは幸いだ。よかった、主さまが犯罪者とならなくて……ではなく。

 同衾している時点で犯罪者……でもなく。

 息を小さく吐き出す。落ち着きなさいコッコロ。まだ早い。

 コッコロは結論を急がず、そのまま主の手とその周辺の布を確認する。

 主の潔白を証明するためだ。決して、主を疑っているわけではない。疑うはずなどない。そもそも、何を疑うことがある。この行いは忠義のためである。

 スカートの裾部分は手に沿うように、内側に巻き込まれている。もし、何らかの意図を持って後から手を動かしたとすれば、内側に巻き込まれるのではなく、手首の部分に留まるようにまとまっているはずだ。

 そして、

(手首は……ひねっておりませんね)

 スカートの先、指も伸びているようだ。

 見えているわけではない。手を握る、あるいは曲げている場合は手の甲側に数本の筋が走る。今それがないので素直に指を伸ばしている、と判断したのだ。

 つまり。

(サレンさまが主さまの手を股に挟み込んだ、ということでございますね)

 ……主が突っ込むなどありえない。それは前提だ。

 そして、その前提がないので全てはサレンの罪、ということになる。

 むふー、と鼻から息を漏らす。

 やはり泥棒猫で正しかった。

 

 結論を出したコッコロはゆっくりと体を起こす。もちろん、物音を立てないよう、慎重に。

 きちんと背筋を伸ばしたところで、小さく息を吐き出す。

 傍らにある椅子は経年劣化から大きな音を立てることが多いため、避けながらベッドから少しだけ距離を取る。

 

 

 普段のコッコロであれば、下がることなく即座にサレンを叩き起こしド詰めする。それはもう、苛烈なまでに。

 だが、今日のコッコロは違う。

 サレンをそのまま寝かせておくことにしたのだ。

 

 もちろん、納得しているわけではない。ユウキと共に寝てもいいのは自分だけだ。きちんと理論武装……ではなく、理由はある。

 それは彼女がアメスから信託を受け、ユウキのガイド、そして世話を仰せつかっているためだ。

 ここでいう世話とは、おはようから夢の中まで、とコッコロは解釈している。そして今現在に至るまで、それを実施している。

 起きている時の身の回りは当然のこととして、夢の中までお世話するためには、まず就寝の質を高めなくてはならない。となればもちろん、心音の測定は必須だ。そのためには一緒に寝て、その胸元に耳を押し付けなくてはならない。

 安定した心音を確認できたら、次は自分を認識させる。軽く頬をこすりつけ、自分の匂いを立てる。睡眠時でも呼吸はしなくてはならないので、コッコロ特有の匂いをさせるのは効果的だ。

 ペコリーヌによると、コッコロはミルクを彷彿とさせる少々甘ったるい匂いらしい。ユウキもそれは認識済みだ。

 ……一応女性なので匂いを指摘されるのは少々気恥ずかしいですが、それも主さまのため。そしてわたくしが夢に出るため。

 胸元で匂いを立てるので、余すことなくユウキの鼻腔へと運ばれる。寝ている最中にコッコロの匂いがすれば、確実にコッコロの夢を見る、と考えたのだ。

 ちなみにキャルはお日さまの匂い、らしい。ペコリーヌが食べ物で例えないことには驚いた。そして指摘されたキャルはユウキへの認識を拒否した。

 コッコロと同じく、女性なので匂いを気にした、というのが理由なのだろうが、ユウキのためならその程度は些末だ。まだまだお子ちゃまだ。お可愛いこと。

 ペコリーヌさまはたまに主さまに抱きついておいでですので、泥棒猫二匹目……ではなく、主さまも匂いは把握されているでしょう。くそぅ。おっと、失言でございましたね。

 ……今後のぎゅー、は許しません。駄肉ユーザーめ。いえ、違いました。主さまのお世話の邪魔にしかならない抱擁は不要ですので。決して、少しだけ困ったような主さまの顔を間近に見られることを羨ましいなどとは思っておりません。

(……おや?)

 コッコロは自身で思ったことに対して、素直に疑問を思う。

 

 ペコリーヌの抱き癖は【美食殿】の面々に発揮される。

 コッコロも随分と抱きしめられ、駄肉の感触を頬に受けてきた。柔らかいだけでなく、地味に良い反発なのが気に食わない。

 それはユウキもしかりだ。とはいえ、コッコロとは身長が異なるので駄肉を受け止める位置は異なる。ユウキの場合、だいたい胸の下半分あたりだろうか。ペコリーヌは正面から行くのでユウキの顔を下から見上げるような形となるため、自ずと顔と顔の距離も近くなる。羨ましい。

 これまでは普段通り、何も考えていな……朗らかな笑顔を浮かべていたが、先日抱きつかれた際は少しだけ眉をひそめるような素振りを見せた。

 正確には五日前、ペコリーヌ特製野菜たっぷりのシチューを作るためにイリス樹海へと材料採取に赴いた際のこと。

 樹海内に住まう特定の歩き茸が味のアクセントになると知ったキャルがいつも通り「魔物食は嫌だ」とゴネた。その後、なぜか大量の歩き茸が湧いたのだ。

 探索して採取する必要が省けたとはいえ、シチューではなくミルク風味のきのこ汁になるだろう、というほどの量になったのもいつも通りだ。生態系の維持など考えないのでしょうか?

 ただ、流石のペコリーヌも長時間かつ連戦続きだったため、疲労を隠せなかった。キャルにまで慮られるほどだ。

 それでも気丈に振る舞うペコリーヌだったが、ユウキが水汲みのために隊列を離れると護衛と称してそれに同行した。そして、辺りをきょろきょろと見回してから抱きついたのだ。

 その際、頬を薄く上気させたペコリーヌさまとは異なり、主さまの表情にあったのは困惑でございました。間違いありません。付かず離れず主さまをストーキn……従者であるわたくしでなければ見逃してしまうところでした。

 

 その時はペコリーヌの疲労と抱擁に関連があるのか疑問に思い、それが表情に出ていたのだろうと思っていたが、

(主さまが他の方の感情を気にすることなど、これまでほとんどありませんでした……)

 すっかり失念していた。

 ユウキが笑顔でいれば皆も笑顔、あるいは苦笑を浮かべる。そのため、ユウキは対人関係で生じる感情の軋轢に触れてこなかった。

 たとえユウキが笑顔でなかったとしても、記憶喪失であることを伝えれば大抵の人間は同情やそれに近い思いを見せ、それ以上の強い感情をぶつけなかったことも大きい。

 他者の感情に揉まれないということは、他者の感情を理解しなくても済んでしまうということだ。

 

 【美食殿】のメンバーに限らず、ユウキの周囲に屯する毒h……友人たちはなんだかんだで面倒見がいい。体は大人、頭脳は子供というユウキに対しても嫌な顔をせずに面倒を見てくれた。

 具体的には間違った判断を下さないよう、過保護にも近い対応を取り続けてしまったのだ。

 ユウキの笑顔を守るため、というよりは自分たちの経験則から失敗すると分かっているので先んじてアドバイスする、という善意からの発露だ。

 ……甘やかした、とも言う。いいこいいこ。

 前者ならまだしも、ほぼ全員が後者の対応なので、流石に咎めることができない。

 結果として、ユウキは記憶同様、人の思考に対してそこまで深い理解をすることなく今に至ってしまった。

 その事自体は悪いことばかりではない。優しさだけで世界が構成されているのであれば。

 残念なことに、このランドソルには悪意が蔓延っている。そして、そんな悪はユウキのような良い子を食い物にする。それを阻止するには失敗しないようにケアをしなくては、と躍起になり……という悪循環に陥ってしまった。

 

 そこで初めて、コッコロは眉を中央に寄せる。更に厄介なことに気付いてしまったのだ。

 それは男女の違いや心理、欲求など、いわゆる性徴に関しては一切触れてこなかったことだ。

 悪意から守っているという満足感と、その結果日々ユウキが一般的な感覚や知識を身につけてきつつあることも、見ようによってはマイナスに働いた。更に、感覚や知識に付随して、性徴に関しても同様に身についた、と勘違いしてしまった。

 あるいは単純に、年頃の男性の性徴についてユウキの友人たちが詳しくなかったこともある。毒婦のくせに。というか教師や闇医者? もいるのにそのへんのことに触れなかったとは……え、どういうことでございますか。

 ……分かっている。ただの責任転嫁だ。

 アメスさまから信頼を得て、主さまの面倒を見させてもらっているという立場なのに、お役目を果たせていない。それは全ては自身の至らぬがゆえ。自身の弱い心こそ諌めるべきだ。

 

 とはいえ、実のところコッコロもそう詳しいわけではない。せいぜい、女性は体が丸みを帯びることや月のものが来るようになるくらいの知識しかない。男性に至っては筋肉質になり声が低くなる、くらいの理解だ。

 心理に至っては恋すら……いや、ユウキへの思いは思慕というよりは敬愛というか、精神的なものだ。年頃の男女が思うようなあれやこれ、というものとは程遠い……のではないかと思っている。つまり、ええと、その……。

 コッコロは更に眉を寄せる。そして、率直に思う。

(……分かりかねます)

 

 ユウキのことは好きだ。この身を捧げてもいいと思えるほどに。

 だが、それは男女というよりは家族に対する思いに近いのではないか、と思う。

 家族にしたって重いだろう、と思われかねないが、もし家族が大怪我をして輸血の必要があったとして、コッコロは迷わずに血液をぎりぎりまで提供する覚悟はある。家族でなくとも、ユウキがそのようなことになればコッコロは躊躇わない。

 とは言うものの。

 ユウキの手を引いたり、お世話と称して触れ合ったりすると、家族へ同様の行為をした時とは異なる、満ち足りた気分になるのも事実だ。

 もっと触れてみたいと率直に思うし、更に言えばそれ以上のこと、例えば、

(キス……)

 先程、ジュンが口走った言葉を反芻する。

(接吻。口づけ。口吸い。チュウ……)

 なんと表現方法の多いことか。それだけ、人類は口と口を重ね合うことに執心してきた、という証拠だ。

 コッコロの中で、キスという行為は恥ずかしいことだ。人前ですべきことではなく、相手を想い、想われ、そしてしたい。そういう行為だ。

 だというのに、ジュンは人前で、何の想いもなく行動に移そうとしたことが衝撃だった。

 ジュンがユウキに対し、年の離れた友人以上の思いを持っていることはなんとなく理解している。ただ、実際に行動に移すほど強いものだとは思っていなかった。

 そのこともあり、

(わたくしと、主さまが……?)

 つい、不敬と知りつつもそんなことを思ってしまう。

 すると、自身の唇に何かが触れた。

 驚き、辺りを見回すが何もない。当然だ。ここにはユウキと自分しかいな……ああ、泥棒猫がおりましたね。人間ではないのでカウントしておりませんでした。

 否。

 唇に触れていたのは、自身の指だった。

 その事実に、再び驚きを得る。

 もちろん、意識した動きではない。

 自身ですら気付いていないその行為が、何に起因するかが分からない。

 

 否。

 分かっている。分からない、と頑なに理解を拒んでいるだけだ。

 

 認めたくない。

 今まで主さまと共に培ってきた関係が壊れてしまうかもしれないから。

 

 認めたい。

 今までとは違う主さまとの世界へ進むことができるかもしれないから。

 

 迷う。

 どちらを選んでも、そしてどちらにしても、これまでの関係には戻れなくなる。

(わたくしは……どうしたら……)

 

 ……などとコッコロは考えているが。

 彼女が出した結論は、年齢の割には冷静かつ客観的ではあるものの、あくまで知識としての域から逸脱していない。

 何しろ、今最も気にすべき事柄である恋や愛を理解していないのだ。未経験の出来事に対して妄想することはできても、現実にそぐう結果を出すことは困難だ。類似した知識や経験の積み重ねも少ない以上、導出した結論はコッコロの勝手な思い込みでしかない。

 それに、少ない情報から正解を捻出しようとすると、必ず自分にとって都合のいい事実を積み重ねた正解しか出てこない。願望、あるいは妄想と言われても仕方のないような、そんな歪な解だ。

 そもそも、それなりに年齢を重ねることでより現実的な解答を得ることはできるようになるが、現実においてはそれすらも正解ではない。

 というより、この手の感情の発露から生じた問題に正解など存在しない。そこまでたどり着いてやっと、自身の出した答えに納得するのだ。

 否。

 させられるのだ。それも、自分以外の者から思い知らされる形で。

 

 そんなこととは露知らず。

 コッコロは名残惜しそうに指を外しながら静かに息を吐き出す。

 考えてもしょうがない、というよりはこれ以上自身の思考からは進展がない。

 とりあえず、今置かれている状況を直視することにする。

 ユウキはもちろん、泥棒猫ことサレンにももう少し眠ってほしい。

 

 サレンディア救護院に住まう全員からの大小様々なサポートがあったことも忘れていないが、サレンは別格だった。

 いろいろとあまり良からぬ表現を使用しているものの、ユウキの快復にはサレンの鬼気迫る献身あってこそだ。コッコロさえ引くほどの、と付け加えるとよりその凄みが分かりやすい。

 今寝息を立てているサレンの顔色や肌のハリを見るに、恐らくこの三日間きちんと睡眠を取っていない。まさに不眠不休だ。

 そこまでしてもらった恩と感謝は揺らいでいない。表現も、次からは少しだけまろやかにいたしましょ……この状況で相殺いたしましょうか泥棒猫。

 ともあれ、恩義に報いるためには、

(この状態には目をつぶりましょう)

 同衾を許したのではない。黙認、が最も正しいかもしれない。

 起こして、コッコロが休んでいたベッドに移動してもらうのは手間だと判断したためだ。そんな時間があるなら休んでいてもらいたい。

 決して、起こして現状を把握させ、失態を自覚させないようにするため、ではない。

 第一、この状態を失態だと思わない可能性もある。

 否。

 最近のサレンは失態ではなく、好機と捉えかねない。

 

 サレンの真面目さや高潔さは理解しているつもりなのだが、この度のユウキへの献身、そして執着は明らかに逸脱している。

 救護院の子供達の誰かが病気になったとしても、ここまではやらないだろう。

 つまり。

(サレンさまは、主さまのことを……)

 軽く頭を振り、率直に浮かんだ言葉を捨てる。ついでに二度と思い出さないようにしっかりと封をする。『サレン 主さま 感情』をNGワードに、っと。

 特別な思いを持っていることは確実だ。ただ、それがコッコロと同じなのか、それとも異なるのかが分からない。

 これまでのサレンからはコッコロと同じ方向性の思いを感じ取れた。多少意識の方向の相違はあっても、どことなく思いを強くすることに躊躇っているような雰囲気があった。まるで何かに遠慮しているかのように。

 だが、ここ最近は遠慮は鳴りを潜め、その代わりにユウキへの露骨な執着、そして自身を鼓舞するような言動が目立つようになっている。

 まるで人が変わったかのような、否、なにかに背中を押されたかのような生き生きとした感じ。言うなれば、()()()()()()()()()()()()印象だ。

 再び、小さく頭を振る。

 そんなのはコッコロの思い込みだ。

 サレンにだって強情で聞き分けのないところがある。ユウキが風邪を引いたことでそれらの部分が少しだけ緩くなっただけの話だ。たったそれだけでも人間の印象は変わる。

 コッコロとサレンが同居しているために相手の変化に気付きやすい、ということもある。

 決して、

(……主さまを、好)

 ぺし、と頬を叩く。

 ひとりのためか、はたまたそう広くない部屋のためか、思ったよりも音が響くことに驚きつつ、反省をする。

 考えないと誓ったはずだ。

 第一、そんなことを考えてもしょうがないのだ。

 何しろ、ユウキは人を好きになるという事自体をまだ理解できていない。せいぜいが家族に向ける感情としての理解だ。

 だから、いくらサレンが想ってもユウキはそれを受け入れることはない。

 正しくは、コッコロが思うような、相思相愛の関係にはならない、ということだ。

 だから、考えない。そんな「たら・れば」は存在しないのだから。

 

 だが。

 だが、もしも。

 ユウキがサレンの想いを男女の仲として、正しく理解できたとしたら。

(……)

 コッコロは思考を止める。

 それこそありえない「たら・れば」だ。

 そんなことを長々と考えるより。

「……今のこの状況を盤石なものにいたしましょう。不本意ではございますが」

 

 

 毛布を元のように戻し、静かに部屋を出たコッコロは、その足で一階へと向かう。

 普段であれば子供たちの声がうるさいくらいに響き渡る時間帯にも関わらず、しん、と静まり返っていることに疑問を持ったのだ。

 事情を知っているだろう存在はサレンともうひとり。

 その該当者は一階、客間代わりにしているリビングにいた。

「スズメさま」

「あ、コッコロちゃん」

 スズメは椅子に座って一息ついているようで、その手元には湯気を立てているマグカップと冊子が置いてある。にこやかに、手でどうぞ、と対面を指し示される。

 促されるまま座ると、いつの間にか用意していたマグカップにお茶を入れてくれる。普段とは異なる鮮やかな動きに、少しだけ感心する。慣れ親しんだ動きでは下手は打たないようだ。

「ユウキさんの看病、お疲れさまです」

 サーブされたマグカップを包むように手にし、

「いえ、わたくしの力など微々たるものでございます。

 それよりもスズメさま、そしてサレンさまのご配慮のおかげでございます」

 素直な言葉が口から滑り出す。これは本心だ。

 ただ、内心は複雑だ。状況が状況なだけに、あまり長く部屋を離れたくはない。促されたために座ったものの、長居する気はない。とはいえ、情報を得るためには必要なこともある。

 これも必要なことだ、と割り切る。

「いえいえそんな。当然のことですよ。

 何しろ、ユウキさんもコッコロちゃんも、サレンディア救護院にしてみれば家族同然ですからね」

 にこやかなスズメの言葉には何も含まれていないことが分かる。本心でそう思ってくれているのだ。

 それに対し、自分は。

(主さま……どうか早く目を覚ましていただき、ご自身のベッドからサレンさまを追い出してくださいまし)

 ……しまった、本心が。

 まぁそういうことだ。

 

 コッコロは考えた。合法的にサレンを追い出す方法を。

 とはいえ、恩義を感じている相手を、恩義とは程遠い方法で叩き出せばそれはただの無礼だ。例え敵……とは穏当ではない物言いだが似たようなものだ。そんな相手であっても、力づくで追い出すなどということはしたくない。まぁ正直、体格やその戦闘スタイルからして勝てるとは一切思っていないが。

 つまり、コッコロ自身が手を下すことは難しい。

 だが。

 自分では難しくても、ユウキが起きてなにか言えばいいのだ。流石にサレンだってユウキが起きてしまえば行動を起こしづらいだろう。

 ……逆にサレンが起きて、ユウキの寝込みを襲ったら……ヤバイわよ!?

 その可能性を失念していた。早めに本題に入る。

「ところでスズメさま。この時間帯にしては静かですが、皆様はどうなされたのです?」

 すると、

「あ、子供たちはちょっと早いですけどお昼寝の時間なんです」

 スズメは指を立てた手を口元に当て、少しだけ声を潜めて話し出す。

「このところ、お嬢様がユウキさんにつきっきりで、口には出さないですけど寂しい思いをしている子もいたんです。

 この救護院で引き取る子供は、保護者からの愛情というか、そういう感情的な刺激に飢えている子が多いですからね。なので普段は特別扱いはなるべくしないように、ってお嬢様も気を使っているんです。ただ、今回はちょっとユウキさんにかかりきりになりすぎてしまって。

 そういう子はすぐに体調に出てしまうので、不眠だったり逆に過眠になったりと不安定になりがちなんです。

 けど、ノゾミさんと一緒に歌って踊っていたら吹っ切れた、というか発散できたみたいで。

 それに、まだユウキさんは完調とは言えませんからね。なので、お嬢様がみんなでお休みにしましょう、ということにしたんです」

 なので私も、とカップを掲げ、手元の冊子を指し示してみせる。

「それは重畳でございます。わたくしと入れ替わりでサレンさまもお休みになりましたので」

 すると、スズメはわかりやすく力を抜く。

「そうですかぁ、よかったです。

 このところ、お嬢様は全然お休みになっていなくて、そちらも気になってたんです」

 コッコロは先の光景を思い出し、ぼそり、とつぶやく。

「……永遠に寝かせましょうか」

「やだコッコロちゃん。最近冗談が上手になりましたね」

 ころころと笑うスズメに、ゆっくりと口角を上げてみせる。

 いや冗談ではなく割と本気なのだが。

 

 ふむ、とうなずく。

 結論までが長かったが、静かな理由が判明した。

 ユウキにかかりきりになっていても、面倒を見ている子供たちの様子まできちんと把握しているのは流石だ。そうでなければこの世知辛い世の中で実業家としてやっていけないのだろう。やはりただの労働者である自分たちとは異なると実感する。

 同時、その裏にサレンの思惑が絡んでいるということも理解した。

 要するに、サレンは自分でこの状態を作り上げたのだ。

 誰もが動けないが、自分だけは満足できる状態を。

 皆を静かにさせれば他人の動きを封じることができる。コッコロ同様、サレンもエルフであり、その聴力は鋭い。そのため、外で動きがあれば即座に気付くことができ、対応も可能だ。

 自分も動けないというデメリットはあるものの、ユウキと同じ部屋にいるだけでも十分だと考えているならば問題はない。それだけで充足できてしまうほど諸々煮詰まっているのだとすると少々危険な気もするが。

 

 となれば、その思惑に乗っかり、サレンの想定にはない抜け漏れをコッコロが抑える。そうすればこの状態を維持できる。

 ただ、サレンの想定はほぼ完璧だ。コッコロとユウキはわざわざ家主の意向を無視するようなことはしないので、子供達が再び騒ぎ始めない限りはまとまった時間を稼ぎ出せるだろう。

 ならば、コッコロがやるべきことはふたつ。

 まずは、目の前のスズメだ。

「スズメさまはお休みにならないので?」

 すると、スズメは小さく笑みを浮かべ、

「私はお昼寝必要ありませんからね。ユウキさんからいただいたマンガを読んでいました」

 開いたページをゆっくりと撫でる。

 ちらり、と見開いたページを見ると、いくつかの四角形の枠が描かれ、その枠内にバストアップの人物が描かれているのが見えた。吹き出しと呼ばれる、キャラクターの発言を示す中身までは読めないものの、内容は知っている。

 ちょっとオラオラ系の後輩と、天然で柔和だがどことなく影のある先輩に迫られる、という、ユウキいわくありきたりなラブコメ、という物語だ。

 今スズメが開いているのは主人公である女性が後輩の男性に言い寄られている場面で、印象的なので覚えている。とはいえ、コッコロにしてみればあまりいい印象を持っていない。

 スズメが少しだけ眉を下げた表情でその場面を評価する。

「いいですよねぇ、"壁ドン"。私もされてみたいなぁ……」

 どうやらお好みのようだ。

 だが、コッコロは、

(壁に追い込み、殴りながら告白とはなんとも粗野な振る舞いでございます)

 真逆だ。

 そのような暴力的な告白などありえないし、どこに惹かれる要素が含まれているというのだ。コッコロには一切共感ができない。それ故に覚えていたのだ。

 それに、なんとなく理屈は理解できていることも共感できない理由だ。

(確か、吊り橋効果、でしたか)

 恐怖と恋愛における高揚感は類似しているという。それを疑似的に、そして最小限の設備で再現した行為が先の暴力的な告白なのだろう。

 確かに効果的ではあるが、それはことを有利に進めんがためのただの小細工、謀りであり、真の意味での恋愛とは言い難い。

(この程度のことを理解していなくても、恋愛はできるものなのですね)

 なんとも拍子抜けだ。

 

 

 ー某所。

 

 朽ち、欠けた身を持つ少女が叫ぶ。

「待ってコッコロたん!!

 そんなのエロゲでセッ……男女の行為を分かったつもりになるのと同じよ!!

 それにその内容は完全にフィクション!! それに微妙に古いし!! 本当の恋愛はいろいろな要素が混じり合い、それはもう玉石混淆!! 人の数だけ恋愛模様は存在するのよ!!

 もちろん王道は幼馴染みが互いを意識……それじゃサレンか。

 じゃあお隣の異性……シズルとリノぉ~。

 ええっと、クラスメイト……ユイとマコトか。実はマコトには頑張って欲しいのよね、じゃなくって、じゃあ後輩……カスミェ。

 ば、バイト先は……黒江ェ。

 あぁもう、ないシチュがない!! さすがサイゲ!! じゃなくて!!

 本来はもっとこうね、お互いが分かりあっていき、関連を築いていくのが……え、時間がない? そういうシステムじゃないでしょ? あ、そういうシステムだったか……」

 

 あのー……そういう物語とはいえ、サラッとメタいこと言うのやめてもらえますー?

 (ナレーション:アルブレヒト・ミュンヒハウゼン)

 

 ……アメスのような声が聞こえたような気がした。

 神託にしては俗っぽいのできっと何かの間違いだろう。たぶん実況かなにかだ。中山の直線は短い。

 

 

 先程から松竹梅で言ったら梅だのなんだのと語っているスズメの言葉を右から左に受け流し、コッコロは内心で顎に手を当て、見下げるようなポーズを取りながら考える。

(……お可愛いこと)

 だが。

 この程度だからこそ、注意しなくてはならない。

 教えなくてはならないユウキは、初手で硬貨を口に含むやんちゃさを持っている。ただ、きちんとお伝えしたら次からはそのような奇行は収まった。

 つまり。

 正しい知識を伝えなければ、次からも奇行は続く、ということだ。

 

 金髪で幼なじみのエルフなどではなく。

 乳のでかいプリンセス? でもなく。

 素直になれない猫獣人でもなく。

 事あるごとに幼児退行するドラゴン族は……大丈夫、なんの心配もない。

 

 クールな魔族でもなく。

 キュートなヒーラーでもなく。

 パッションな猫獣人でもなく。

 

 年中掛かり気味な狼獣人でもなく。

 乳のでかい豪商の娘でもなく。

 新進気鋭のアイドル×3でもなく。

 年中鎧姿の貴族でもなく。

 ドM? 以ての外だ。

 

 年下で大人しく、聡明なエルフの従者こそ主さまが選ぶべき正しい伴侶……選択である、と。

 そのためには。

「わたくしも学ばねば」

 小さく決意をする。

 

「さて」

 目の前で動き出そうとするスズメに、声をかける。

 嫌な予感がしたのだ。

「スズメさま、何をなさるおつもりで?」

 問われ、スズメはにっこりと笑う。

「お嬢様が起きたらなにか召し上がっていただこうと思って」

 そうだろうと思った。

 コッコロは慌てず、しかし食い気味に、

「おやめください」

 スズメの料理の帰結には結果が見えている。制止は当然だ。これは恩義ではなく、常識的な判断だ。

 だが、

「大丈夫ですよ、最近は爆発の指向性を絞れるように」

 コッコロは慌てず、しかし食い気味に、

「おやめください」

 寝起きに食すものは爆発を伴わない。そんなもの、お腹に刺激が強すぎるではないか。

 スズメとコッコロはじっと互いを見合う。スズメは少しだけ非難を込めた視線をコッコロに投げかけるが、コッコロは平静にその視線を受け流す。

 しばらく見つめ合い、果たして。

「おやめください」

「まだ何も言ってませんよ!?」

 

 コッコロは足早に二階へと向かう。

 一階の秩序は保たれた。具体的にはシチューを作るので、まず具材の皮むきをしてほしい、とお願いしたのだ。火を使わなければ爆発はしないだろう。

 ……したらしたで恐ろしい。

 否。

 考えない。そんな「たら・れば」は存在しない……はず。自信はない。

 もうひとつお願いをしておいたので、それまではスズメのことは置いておいて、次の懸案事項の対処を行う。

 次はもちろん、隣の部屋で眠っているはずのノゾミだ。

 

 とはいえ、コッコロは既にノゾミが起きていることを確信していた。

 前衛として常に体を張っているノゾミが、頭を打った程度でダウンするはずなどない。例えしていたとしても、回復魔法をかけられてそれなりの時間が経過している。

 なのに、物音一つさせないことの方がおかしい。間違いなく息を潜めて周囲の様子を窺っている。

 そのため、コッコロは敢えて外に出たのだ。

 

 ノゾミが起きており、コッコロが部屋から出たことに気付いているなら、ユウキの寝ている部屋へと侵入を図るだろう。

 この建物は古いため、例え細心の注意を払っても行動を起こせば必ず音がする。聴力の優れたエルフ(コッコロ)ならすぐに気付けると踏んだのだ。

 だが、先の槍の一撃をあっさりと回避してみせたように、相手は体の動かし方を熟知しているアイドルだ。動けば音がすると分かっているなら、それを踏まえて動くだろう。それくらいはやってのける。

 だから、コッコロは一計を案じた。

 ぎしり、と二階の床を踏み、その後も露骨に足音を立てながら部屋へと向かう。焦らず、自然な様子で扉の前まで来ると、ちらり、とドアノブ、足元の沓摺(くつず)り、そして蝶番の部分を見る。

 まず、ドアノブを確認する。

 鍵穴がノブについているタイプで、当然鍵穴はまっすぐになって……いない。ほんの少しだけ、右側に倒れている。この建物の建て付けが悪いのではなく、コッコロが出掛けにわざと少しだけゆるく閉めたためだ。

 爪先程度の傾ぎはコッコロの記憶の通りだ。

 次に沓摺(くつず)り。

 ここにはメモの切れ端を挟んでおいた。これみよがしに。そのため、動いたような形跡はなく、やはりこちらもコッコロの記憶通りだ。しゃがみ込み、メモの切れ端を手にする。

 そして、蝶番。

 ……何も挟まっていない。髪の毛を挟んだとしても柔らかいため、なにかの証拠にすることができないので意味がない。

 そうではなく、扉を閉じた状態で太めの線を一本書いたのだ。

 敢えて分かりやすい印をつけておくことで、相手に気付かせるためだ。それに気付いた相手は当然、合わせるために細かく動かすことになる。ただ、ここの扉は細かく動かすとギシギシ、と音がする。その割に大きく動かすと音がしにくい。そのため、きちんと合わせるためには最小限の回数で、かつ大胆に動かさなければならない。

 この救護院に住まう、あるいは寝床としている人間なら知っていることでも、今日初めて訪れた人間には知る由もないことだ。

 ユウキと、サレンのためにここまでした。ここまでやったが、ノゾミが動いた様子はない。

 必ず動く、と思っていただけに拍子抜けするものの、コッコロの杞憂で済んだのなら幸いだ。

 スズメにも念押ししたし、あとはコッコロが部屋に戻り、鍵を閉めてしまえば安全だ。

 自分が部屋に詰めているなら、ノゾミが訪れてもいい。主さまの寝顔を拝むくらいは許そう。名前は絶対に書かせないが。というか、これ以上書く場所などない。

 そんなことを思いながら、ドアノブに手をかける。

 すると、ドアの向こうから、

『………で…ない………かた……ちゃった』

 聞き慣れた声が聞こえた。

 それなりの厚さの木材を挟んでいるため、加えてまだ寝起きのためか発声がしっかりしていないため内容はおぼろげにしか聞こえなかったものの、その口調と声の調子は確かにユウキのものだ。

 慌てず、しかし急いでドアを開ける。

「主さま、お目覚めですか?」

 ベッドに寝転がったまま、小さく身じろぎをするユウキの姿がコッコロの目に入る。

 ……隣のサレンは未だに寝入ったままだ。コッコロの願いは叶わなかったものの、ユウキが起きたのであれば他の手段が取れる。

 即座にその方法を採用することにしたコッコロは、ユウキの元へと急ぐ。もちろん、足音をさせないように。

「主さま。サレンさまは先程お眠りになりましたので、起こさぬようお願いします」

「うん。

 ……コッコロちゃん、看病ありがとう。もう大丈夫だよ」

 いつものように話の流れに脈絡はないものの、ユウキからあっさりと感謝の言葉が出てくるとは。

 思わず涙が零れそうになるが、まずはユウキの退避だ。

 だが、ユウキはゆっくりと体を起こすと、少しだけ申し訳無さそうに、

「……おしっこ」

 つぶやく。

 すかさず、コッコロは口を開く。

「いけません主さま。そのような直接的な物言いは。

 男性の場合は『雉狩りに向かう』、とおっしゃってくださいまし」

 誤った時こそしっかりと訂正し、覚えてもらうことが肝要だ。

 果たして、ユウキは小さくうなずき、

「えーと、き、雉狩りに?」

 たどたどしいが、言われた通りに言い直してくれる。

「さすがでございます」

 そう。

 素直で勤勉なユウキは、正しい知識を教えればきちんと理解してくれる。教わったことを忘れないように、きちんと身につけるようにと努力を欠かさない。

 だからこそ皆から慕われる。それは誇るべきことであり、従者としてそんな主に仕える事ができて鼻が高い。

 

 とはいえ。

 いくら素直で勤勉だからといって、すぐに本調子に戻るわけではない。

 特に、これまでずっと寝込んでいたのだ。筋肉が動きに慣れていないだけでなく、感覚も寝込む以前とは少々鈍くなっている。

 その証拠に、起き出してきたユウキは数歩歩いたところで、足に力が乗っていなかったようでよろける。

 もちろん、それはコッコロとて予測済みだ。彼女は既にユウキの右内側に入っていたため、支えるように力を入れる。

 だが、小柄な少女がやや痩せ型とはいえ青年期にある男性を支えきることなどできるはずもない。なすすべもなく、コッコロはユウキによって押し込まれる、

 更に悪いことに、ユウキがよろけた側には壁があった。しかも、壁との余裕はほとんど存在しない。そのため、このままいけばコッコロはユウキの体と壁によって押しつぶされてしまう。

 

 だが。

 ユウキは素直だ。性格だけでなく、その動きも。

 彼は反射的に、コッコロを自身の胸元へと抱き寄せる。

 そして勤勉だ。

 誰かをかばう動きは、ペコリーヌやジュンを見て学んだのだろう。コッコロを抱き寄せると同時、壁へと腕を叩きつける。

 体重を支える下半身の衰えはともかく、上半身はそこまで衰えているわけではない。動きも最小限のため、機敏に動かせることができたようだ。

 その結果、ユウキはコッコロを"壁ドン"する格好になった。

「ごめんね、すぐに」

「い、いえ。それよりお体は」

「大丈夫」

 そう言うと、ユウキはそそくさとコッコロから離れる。そして、階下にあるトイレへ向かうべく足早に部屋を出ていく。

 

 部屋に残されたコッコロはぺたり、と尻を床につける。

 そして、先程ユウキと触れ合った腹の半ば辺りをさすりながら、ドアの向こう側を眺める。

 ユウキからの行為に、コッコロは息を飲む。

 "壁ドン"されたことに対して、ではない。

 ユウキに抱きかかえられた際、コッコロの腹に押し当てられたものの硬さ、そして熱さに対してだ。

 それはユウキの臍下かつ腰前にある、男性特有の組織が通常時とは異なる変異をしている、ということだ。

 

 コッコロは思い出した。性徴に関して、最も重要なこと。

 それは、男性は女性に対して性的な魅力を感じた際、興奮を示すということを。

 

 寝起きに膨張していることもある。名誉のために言っておくが、見たわけではない。朝、なんとなくユウキが股間を気にしていることを覚えているだけだ。一緒に寝ていても、掛け布団を隔てているので触れたことはない。

 このところ寝てばかりのため、ユウキの体が今を朝だと勘違いした、ということも考えられる。

 コッコロは可能性としては残しつつも、頭の片隅ではそれを否定する。

 そして、寝ていた時のことを思い出す。

 

 ユウキの右手先は、先程まで何を触れていた?

 ユウキの右肘は、先程まで何が置かれていた?

 ユウキの左手首は、先程までどこにあった?

 

 そして。

 あの位置なら、サレンの匂いはしっかりと感じ取れるはずだ。

 

 お日さまでも。

 ミルクでもなく。

 

 適齢期の女の匂いで発情したとしたら?

 

 五日前、ペコリーヌに正面から抱きつかれた際に(ユウキ)が浮かべた困惑の表情を思い出す。

 あれは、まさか……。

 そして、今。

 本当にトイレに向かったのだろうか?

 否。

 本当に、お小水目的なのだろうか?

 

 コッコロは小さくつぶやく。

「……急がなくては」

 金髪で幼なじみのエルフなどという、愚かな選択をしないようにしなければならない。

 もちろん、駄肉ユーザーでもなく、ツンデレの猫獣人でもなく、思考が極端な魔族でもなく、告りたがっているヒーラーでもなく、お人好しの猫獣人でもなく。

 脳みそが茹だっている狼獣人でもなく、全体的に赤い豪商でもなく、アイドル×3でもなく、口下手な全身鎧でもなく、ドMでもなく。

「主さまが、間違う前に」

 腹前に置いた手をきゅ、と握る。

 

「…………()()()()()

 

 そう宣言する幼いエルフの目には、昏い炎が宿っていた。




 王宮内。
 最奥も最奥、選ばれた者しか入れない場所がある。そこは広間と階段で構成されている。
 階段は上に上がる度に小さく狭く狭まっていき、最上段には一脚の豪奢な椅子が鎮座している。
 微細な箇所にまで細工が施されたその椅子に座れるのは、アストライア大陸広しといえども一人だけ。
 当代の女王、つまり、ユースティアナ・フォン・アストライアだけだ。
 そこには今、狐耳を頭に備えた妙齢の女性がどっかりと腰を据えていた。

 彼女は長く細い足を組み、頬杖をついて佇んでいる。その姿から女王としての品格は感じ取れないものの、威厳だけはしっかりと伝わってくる。
 その目は軽く伏せられており、まるで周りに気を配っている様子はない。
 広間には誰もいないので気を配る必要はないとはいえ、強権的な為政は少なくない数の貴族から疎まれている。これまで直接命を狙われたことはないものの、一人でいるなら、と乱心を抱えた者がいれば危険この上ない。
 だというのに、余裕すら感じられる。

 事実、余裕なのだ。
 彼女に勝てる存在は、()()存在しない。
 ()()()()ができる存在は、()()()()()では生まれ出ない。それは()()している。
 だからこそ、彼女は慎重にことを進める。

 ()()()()()()()()()()()

 それに、用意しなくてはならないのは彼女が用意していることだけではない。
 いくつかの破片(ピース)が必要だ。それは忌々しいことに、自分以外の存在に委ねなければならない。わざわざ力を漏らしているのはそのためだ。
 だが、その結果として事態が進めば勝手に揃う。
 現に、今この瞬間、また一つ破片(ピース)が揃った。

 あと少し。
 あと少しで、彼女の願望は果たされる。
 簒奪の女王ではなく、真の意味での女王となれるのだ。

 小さな一歩ではあるものの、着実に進んでいることに対し、彼女は素直に満足する。
 普段とは異なり、鼻歌でも歌いだしかねない雰囲気をまとった彼女は、ゆっくりと目を開く。
 そして、その口を小さく開く。

「そう、よねぇ。
 ……()()()()()()()()()()()()
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