ティアナ様は告らせたい~少女(一部女性含む)たちの恋愛頭脳戦~ 作:アルブレヒト・ミュンヒハウゼン
グーパン一つでジュンの鎧を凹ませた。
……ではなく、ジュンがアキノをワンパンで沈めた。
ランドソルでも一、二を争うほどの豪華なホテルの最上階。そこは一階層全てが客室として提供されている。もちろん、そんな贅沢な客室でサービスを享受できるのは相応の財力と品格を持った人物でなければならない。
そんな場所に見合う財力を持つアキノは、部屋に備え付けられている、いくら動いても音一つしない椅子にゆったりと腰掛けていた。
手にはソーサーと、淡い色合いの紅茶が注がれた白いカップ。その中身は半分程度まで減っている。
アキノは静かにカップのハンドルを三指で掴むと、カップを浮かせる。
そして、カップを中空に留めた状態にすると、
「……それで?」
平坦な表情で、斜め上をねめつける。その視線の先には、黒鉄に光る全身鎧に身を包んだジュンが佇んでいた。
アキノからの刺々しい視線を受けても、ジュンは微動だにせず正面を見据えたまま、
「はっ。
私が事前に受けていた内容は以上となります」
必要となる言葉だけを並べ、アキノへの報告とした。
双方とも、簡潔というよりは素っ気ない態度のため、その様子を傍から見ると、
(……なんで私がいけ好かない主みたいになっているのでしょう?)
(……なんで私が気の利かない従者みたいになっているんだろう?)
当人たちも思うように、どことなく疎遠な主従の関係のような馴染み方をしていた。
何度か利用していることもあってアキノの寛ぎ方は堂に入っているが、ジュンはどことなく手持ち無沙汰というか、この部屋の豪奢さに緊張しているようにも見える。直立不動で受け答えしていることもその印象を強くしている要因だ。
もちろん、緊張しているわけではない。常日頃から鎧姿でいるジュンの素性は王侯貴族。女王に謁見も可能で、必要とあれば直に言葉を賜ることすら可能だ。しかも王家直属ギルド、【
ではなぜ立ったままかというと、単に備え付けられている椅子に座ることを拒否したためだ。
着座を促すアキノに対し、ジュンはいくら最高級のホテルだとしても、鎧のままでは椅子に傷がつきかねない。クッション等を下に敷けばなんとかなるかもしれないが、鎧の手入れに使っている油で汚れるかもしれないから、とそれすら難色を示した。
そのため、立ったまま話をする、という選択をし、その頑なさに苛立ちを含んだアキノの態度が加わったことで、より主従感が鮮明になった、というわけだ。
視線を先程よりもやや下に落としながら、アキノは内心で嘆息する。
(……この、意地っ張り)
ジュンが立つことにこだわっている理由はそんなことではない。
もっとシンプルに、自分が危害を加えたアキノと同じ目線になることを拒んでいるだけだ。自身の
もちろん、それをジュンが口にしたわけではないし、アキノも確認したわけではない。
ただ、なんとなくそんな気がしたのだ。そして、この思考は正しいだろう、とも。
アキノは自身の直感を信じている。それで幾度も危機を逃れたことがあるだけでなく、商機をものにしたことも。
だから、信じるに足る。方向感覚? ああ、よく皆さんに言われますが、私が間違っているのではありませんわ。道が間違っているのです。
では、ジュンは何に対して気兼ねしているのか。
それは当然、アキノへ理不尽な暴力を振るったことに対する罪悪感だろう。常識的に考えれば。
だが。
アキノはそれも否定する。謝罪が含まれているのは事実だろうが、せいぜい半分、というところ。
もう半分はおそらく、
(サレンさんが関連しているようですわね)
共通の友人であるエルフを思い浮かべる。
サレンは社交界という、狭く隔絶したコミニティで知り合った同年代の友人であり、そして商人、あるいは実業家としてはライバルと呼べる相手だ。
とはいえ、商材がバッティングする商敵ではなく、単純に共通の話題で盛り上がれる仲間、というのが正しいのかもしれない。それでも十分に稀有な存在だ。
決して女性の商売人が少ないわけではない。界隈で著名な女性商人なら【リッチモンド商工会】のギルマス、クレジッタがいる。彼女はあらゆる方面でその辣腕を振るっているが、アキノと同世代というわけではない。
それに、家の格では及ぶべくもない。相手の素性はよく知らないが、貴族名鑑への登録はないしキャッシュという家名の露骨さは眉をひそめる。そのため、庶民の出だろう、という程度の認識しかない。
つまりアキノにとって、自分以外にも家と年代とを兼ね備えた存在であるサレンは別格の相手なのだ。当然、思い入れも別格であり、少しだけ自惚れるなら相手にとっても同じように思ってもらえていると思っていた。
そのサレンが。
事もあろうに、アキノにいわれのない暴力を振るったのだ。
……まぁ、実際に手を下したのは目の前……じゃなかった、横に侍るジュンなのだが、国防から猫探し……あこれ私関連ですわね、ええっと、しょ、庶民の困りごとをも引き受けている【
ジュンは力を振るうことに対する重大さ、そして並々ならぬ覚悟を持っていると言っても過言ではない。その現れがこの全身鎧なのだ、と理解している。
もちろん、事前情報として貴族ならではの奇習であることは知っている。だからといって、年頃の女性が家の事情に固執しているとは思えない。
とはいえ、その覚悟は生半可なものではないようで、聞くところによると【
(きっと、日頃から暴力装置であることを自認していらっしゃるのでしょう。自らは手を出さず、その身をもって受け止めるという戒めのための全身鎧姿。
素晴らしい!! なんと高潔な!! トレーナーの鑑……じゃなくって、さすが王侯貴族ですわ!!)
先のワンパンも避けることなく受けたことも相まって、アキノは感心しきりだ。
……実情とは一切異なるのだが、今のアキノには知る由もない。もうじき知れるが。
ともあれ、サレンとジュンが共謀し、アキノに実力行使したことには変わりがない。そのことがショックなのだ。
否。
それだけでは今のアキノの心境を表しているとは言い難い。彼女の心中にはなんとも言えない複雑な感情が渦巻いている。即断即決をモットーとしているアキノにとって、自分の感情にきちんとした名称をつけることは得意な方ではない。それでも無理やり言葉にするとすれば、喜び、驚きと戸惑い、そして納得、というところだろうか。
まず自覚できているのは、これまでユウキに関して引き気味だったサレンが、自分の意志をきちんと出してくるようになったことへの喜びだ。殴られて喜んでいるのではない。そんな奇矯な心情は持ち合わせていない。
きっかけとして思い当たるのは、例のクリスマスでの一件だ。
やっと素直になった、とある意味では喜ばしく思ったものだが、ユウキへの想いを常々表に出しているアキノにとって、強力なライバルの出現は脅威そのものだ。だからといって、それを恐れるようなアキノではない。むしろ大歓迎だ。
何より、見えている敵がいるにも関わらず、争わずに勝つことは性に合わない。それが無二の親友であるならなおさらだ。
サレンが自分と向き合ったことは喜ばしい。だからといって、武力を行使してまでアキノの思惑を阻止してくるとは思いもよらなかった。
クリスマスの一件を経てより強力に主張するようになった、と思えば納得できなくもないが、だからといって、
(殴ることはないでしょうに。私だって、口で言われればきちんと理解できますわ)
内心で憤るも、そうではない、と自身の思考を否定する。
サレンがアキノの性格をそれなりに把握しているのと同様に、アキノもサレンの性格をそこそこ把握している。
即断即決をするアキノは、これと決めたら必ずやりきる。例え採算が取れないとわかっていても、失敗するとわかっていても、とにかく自分の直感を信じ、突き進む。捻じ曲げることはせず、その代わりに【メルクリウス財団】の面々が苦労する。
……自覚してますわ。ですから、麦しゅわとか内職とか鯛焼きとか多めに見てますのよ?
対するサレンは、熟慮に熟慮を重ねてから動く。基本的には最短距離を望むので、事前に予定を組み立て、その予定通りに物事を動かしていく。自身の思考と計画の進捗を大事にするが、それを金科玉条とまではしない。変えるべきは変え、その代わり無理と判断すれば撤退する。
ただ、譲れなければ突き進み、激突するなら恐れずに立ち向かう。それも腹案として持っているだけでなく、必要とあればそれを計画に組み込んでくるため、最小限のリスクにすべく小細工を弄することもある。滅多にないとはいえ、やる時はやる。
これを踏まえれば、
(……サレンさんは、私をユウキ様の看病に携わらせたくなかった、ということですわね)
小さく、口の中で唸る。
確かに、アキノは誰かに看病されたことはない。小さい頃ならいざ知らず、物心ついてからは体調不良など起こしたことはないからだ。だから、看病とはどんなことをするのかさっぱり見当もつかない。
他の【メルクリウス財団】の面々もそんなスキルを保持しているとは思えない。タマキは面倒見がいいところがあるので最低限くらいはできそうだが、ミフユは効率重視なのできっと無茶なことをしでかすだろう。ユカリはできそうな雰囲気を持っているが、自分のことすらままならないときがあるので見込みは薄い。
そうなれば、自分たちはあーでもない、こーでもない、とやりだすだろう。看病すべき患者を放っておいて。それは流石にどうだろう、と自分たちのことなのに他人事のように思う。
そして、サレンはそこまで見えていた。それ故、サレンはユウキの看病をさせないためにアキノを止めたのだろう。
看病する、と息巻くアキノに対し、絶対にさせたくないサレン。ひと悶着生じるのは必至だ。
ならば先手として、手を出すのもしょうがない。
……それで納得してしまうのもどうかと思うが。
中空で遊ばせていたカップをソーサーに戻すと、軽く息を漏らす。
(……ユウキ様のお見舞い、くらいの覚悟にしておけばよかったですわね)
掛かり気味だったことは……いえ、適性は短距離ですから、そのくらいはいいではありませ……素直に反省いたしますわ。
それと同時、サレンが発動させたのは"独占欲"ではなく、あくまでユウキの体調を慮って、という理解、そしてそのための抑止だったと納得はする。
つまり、全面的に自分たちが悪い。
それと同時、ユウキを巡ってのサレンのスタンスが垣間見えた。
すなわち、アキノとは問答無用で争う、という姿勢だ。しかも武力衝突も辞さないし小細工もどんとこい、ときた。
漏れそうになる息を逆に飲み下し、カップに視線を落とす。
……先程からずっと悩んでいるのはこの部分だ。
もちろん、アキノにサレンの思惑や思考を完全に知ることなどできるはずもない。この結論はあくまで状況から判断したアキノなりの帰結であり、サレンの抱いている思考そのものではない。
なのだが、ジュンから聞いた内容からすると、かなり強固な決意を持っているようだ。
それはアキノの知るサレンから発せられた着想としてはありえないほど飛躍しすぎている。良からぬ人間から入れ知恵されたのでは、と邪推するほどだ。
ただ、それだけユウキに対して真剣に、そして入れ込んでいる、とも捉えられる。
だから悩む。
今後、サレンに対してどう対応すべきかを。
そう。
アキノはサレンに対し、どういう心変わりをしようとも認め、その上で戦う気でいる。
ユウキが関わっているとなれば決して負けられないし、先にも触れた通り、サレンが相手ならば不足はない。
もともとの気質である負けん気に加え、ここ最近
当然、正々堂々正面から受けて立つ。がっぷり四つに組む、というやつだ。
サレンについてはそれでいい。というより、どう出てこようが関係ない。
アキノは細かい条件分岐や代替案を用意して物事を進める性質ではない。始まりと終わりを決め、都度確認のためのポイントを用意し、通過したことを確認することで進捗を図る。なので、イレギュラーが生じても段階を飛ばして帳尻を合わせることができる。もちろん、あとですっ飛ばした分は取り返す。主にお金で。
そのため、余計なことを考えて初動を逸するより相手に合わせて行くほうが手っ取り早い。
正直、待ちの姿勢は性に合わないが、サレン相手なら一手間違うだけでとんでもない差になりかねない。現状分析から対抗策を練り直して、などと立て直しを図る時間の方が惜しい。
だから、何も生じていない今の段階であれこれと悩むより、何か生じてから対応した方がありがたい……ありがたい、ということはない。ええと、その方が都合がいい。
決意も固まり、気持ちの整理もついた。今後の方向性も定まったところで、新たに発生している懸案に思考を向ける。
ソーサーを机に置くと、ちらり、と隣を見る。
懸案とは、この黒鉄の鎧の存在だ。
アキノは素直に思う。
(……なぜ、ジュンさんはまだここにいるのでしょう?)
説明やら謝罪やらのためだけでなく、実際に手を下した本人だから責任を感じて残っていた、ということは分かっている。
そして、それらはついさっき終えた、と認識している。加えて、アキノは現状の理解と一応の方針も決めることができた。
カップにしても、紅いお茶の色より白い陶磁器の色合いがしっかり見えている。
つまり、アキノがここに留まる理由はなくなり、それと同時、ジュンがいる意味も消失した。
なのに、ジュンはまだアキノの隣で所在なさげに立ち尽くしている。立っているだけならまだしも、何か言おうという雰囲気を出しては消し、消しては出し、を繰り返している。何がしたいのか分からない。
更に、ジュンが強度の受け身であることもアキノを落ち着かない気分にさせていた。
アキノとしては解散したい。今から追いかければサレンに追いつける。そしてユウキの看病……否、ここはお見舞い。お見舞いに行ける。
ただ、この状況ではこちらから言い出さなければ動きそうにもない。だというのに、アキノが口を開こうとするとジュンが阻害するような雰囲気を発する。
それ以上に……正直、ちょっと威圧感があって怖い。全身鎧は黒いし鈍く光っているし、近いので手入れに使った油の匂いがやや強く香ってくるため、武具であることを強く主張している。
それに何より、ジュン自身が女性にしては大きいこともある。
アキノも女性としては背が高い自覚はあるが、ジュンはそれ以上だ。下手をするとユウキより上背があるかもしれない。
その所為もあって、アキノ自身も迫力で負けないようにと意地になってしまった。それが態度に出てしまい、先のように主従関係のようなやり取りになってしまったのだ。
アキノは思案顔を作る。気分云々というよりは間が持たない。
社交的で顔見知りが多いものの、特定の相手との関係を深めることはあまり得意ではないアキノにとって、世間話とはその場をつなぐためだけに紡がれるただの言葉の羅列であり、意味があるものではない。ただ、そこまで割り切っている分、用意は周到にしておく。
パーティを主催する場合、招待状を用意する段階で相手のパーソナルデータは読み込んでおく。そこから読み取れる状況を基にいくつかの会話パターンを用意しておく。実際に話を始めたらあとは直感任せだ。その場で対応できる、あるいは事業に繋がりそうなら話を続け、そうでなければ適度に切り上げる。
そして、その話の内容を記憶しておき、時期が来たらそれを用いて商機につなげる。
アキノにとって、社交界とはそれ以上でもそれ以下でもない。事実、そうやって新規業務を開拓することで【メルクリウス財団】を拡大してきたのだ。
だから、共通の友人がいる相手と世間話以上の話をする、というのはなかなかにハードルが高い。
何しろ、既にサレンからジュンのことを聞いているためにその
ジュンの実家には既に御用商人がついているので入り込む余地はない。ジュン個人を客とすることはできるだろうが、結局は個人相手の商売になるため、そこまでいい収益にはならない。というより、なっているなら既にサレンが手を打っていると思う。まぁ、顔見知りを相手に商売をするとたいていろくでもないことになるのでやらない、が正解な気もするが。
では友誼を深めるための話を、となるのだろうが、そうなるとやや突っ込んだ話をせざるを得ない。
ジュンに限ったことではないが貴族相手に突っ込んだ話はしにくい。したくないのではなく、しにくい。商売相手としては興味がなくても、公私に渡ってサレンと縁のある相手に興味はある。
だが、貴族は触れてはいけないあれこれがどこにあるかわからないためだ。実はサレンにもある。内容は……個人的なことなのでノーコメントで。
本来、その手のNGは先にある程度共有されているものだが、こんな遭遇戦のようなタイミングでジュンと一対一になるとは思っていなかったため、その前情報が少ない。
アキノが持つ情報は、ジュンは鎧をはじめとした防具全般を扱う工房を数多く抱える領地出身であること、その家訓により年中鎧姿であること、その素顔を見た者の数は片手の指で事足りること、そして鎧について言及すると完全に閉口すること、だ。
つまり、
この縛りは非常にキツい。
貴族の仕事は着替えること、と嘯く者もいるくらい、服装やその格好にこだわる。それは最も簡単に自らの権威を示す手段だからだ。
それは同時、話しかけてくる相手を言外で選別することができる。
パーティの時間は有限だ。参加している全ての人間と話すことなどできない。そこで、これだけのものを揃えられる自分と話すには同等であることは最低限、と示せる。あとはそれ以上のものを身に着けている貴族か、商品として扱っている商人だけだ。最も、商人の場合は格下であっても顔を覚えてもらおうと話かけることもある。大抵ろくでもないことになるが、人間経験しないと理解できない輩は一定数いる。
だが、ジュンの全身鎧はその全てを跳ね除ける効果がある。そして、その効果は現在進行系でアキノにも発揮されている。
ジュンの対人スキルの低さの解答にたどり着いてしまい、気付かれないよう、小さく息を吐き出す。
(……人と関わる機会が少なければ、対人スキルを磨きようがありませんものね)
つまり、アキノから解散を申し出ないと、察する能力に乏しいジュンはこのまま突っ立ったまま、ということだ。
意を決し、顔を横に向ける。そして、解散を告げるために口を開こうとした、その時。
「これでは話がし辛いから、正面に座ってもいいかな?」
ジュンが長居する、と宣言した。
既に顔をジュンへと向けていたアキノは、その言葉に思わず思考、そして行動が停止してしまう。
その止め方が悪かった。
あまりにも想定外の内容に、びくり、と小さく震えてしまったのだ。
その小刻みな動きを許可と解釈したのか、ジュンは足音すらさせずにアキノの正面、空いた椅子に体を滑り込ませる。
細かい彫刻が施された割にしっかりとした作りの椅子は小さく、ぎしり、と音を鳴らすが、それで終わりだ。
座れるじゃありませんの、とは言わない。一瞬思ったが、そこは我慢した。
……否、分かっていた。
まず、このスイートに備え付けられているということはランドソルでも一級品の椅子だ。そんな椅子がちゃちいはずがなく、鎧込みでも100キロには届かないであろうジュンを支えることなど造作もない。
それに、【
油云々も同様だ。確かに汚れるかもしれないが、客がチェックアウトすれば肌が触れようが触れまいが全ての調度品の掃除や洗濯を行うのだから、宿泊者が心配する必要はない。とはいえ、わざわざ心配しているのはジュンの人間性からの発露であり、そこには敬意を表する。
第一、武具を専門とする領地の人間が、人と会うと分かっているのにわざわざ汚れをつけるような油を選ばないだろう。
だから、着座できるのはアキノの想定済みなのだ。
……などと思っていなければやっていられない。
なぜ、今この段になって長居する宣言をしたのか?
決まっている。
(……ここからが本題、というわけですのね)
アキノは正面を見据え、表情を引き締める。
とはいえ。
この事後承諾による着座は少々品がない。戦闘系だからお上品な虚礼には縁がない、と言い訳するかもしれないが、それを言うならそもそも王侯貴族が下々の者が行うような粗野な振る舞いはどうか、と突っ返せる。その上で、正式な許可を出さずに正面に座ったことを遺憾として席を立てば済む。
ジュンがアキノを再び座らせるためには関係修復のための謝罪とその補填としての譲歩を用意しなければならない。
とはいえ。
アキノとしては、先のいわれなき暴力に対する謝罪を受け入れたのだから、この場における遺恨は解消したと理解している。今更蒸し返す気もない。
それに、ジュンに対して思い入れはない以上、ことさら仲良くしよう、などとも思っていない。相手のやり方も礼を逸している以上、付き合う必要はない。つまり、謝罪も譲歩も必要ない。
この話はここでおしまい。ハイ解散。鶏ちゃんこでもいただきましょうか。じゃなくってお見舞いに。
……とするはずだったのだが、アキノとしては興味を持ってしまった。
わざわざアキノをハメて……言い方が下品ですわね、計略を駆使してまで、ジュンは何をするのか。何を言い出すのか。何を求めているのか。それを知りたい、と思ってしまったのだ。
このときばかりは自身の好奇心を恨む。
元から好奇心は旺盛だとの自負はあったものの、このところ妙にいろいろなことに首を突っ込み……興味・関心が湧く。まるで
ただ、だからといってその時間を無駄だとは思っていない。費やした時間そのものは無駄かもしれないが、興味を持ち、調べたことはいずれ役立つ時があるかもしれない。必要な時に思い出せれば、その時に費やす時間を減らすことができる。そんな広い視点で捉えることができるようになった。
そう心がけておけば、このジュンとの会話もきっと何かの糧とできるに違いない。
……たぶん。
どうしましょう、「ああ、いいお天気とってもとってもいい天気お天気がいいといいですね明日も絶対いい天気」なんて始まったら……ぼっちなんですの?
アキノの困惑をよそに、
「やはり……この姿では萎縮させてしまうかな?」
ジュンは想像の斜め下の意見を口にする。
対するアキノは胸中で、「外見ネタ大丈夫なんかい!!」という"
やはりアキノの内心を全く気にかけていないジュンは、ためらいを含んだ口調の癖には何度も練習したかのようななめらかな動きで兜に手をかけ、なんの躊躇もなく上へとずらす。
黒を基調とした無骨な兜の下から現れたのは、菫色の髪を長めのボブカットにした妙齢の女性だった。
思わず漏れそうになった声を我慢する。ジュンの家訓を知っているが故、その行動には驚いた。そして、それ以上にジュンの素顔にも。
少々目力が強いものの造形は整っている。まだ顔の各パーツに若さ、あるいは幼さを持つアキノに比べ、そのほとんどが成熟している。これ以上の成長の余地がないのではなく、理想の通りに成長しきった、という様子はまさに大人の女性、といった面持ちだ。
そして。
先程の当身は眼前にいる彼女から受けたものだ、と納得できた。あまりにも突然の攻撃だったため確認が取れておらず、実はついさっきまで半信半疑だった。本人が「自分がやった」と言うならそうなのでしょう、くらいの捉え方をしていたのだ。
そんな美貌を持ち、非常に穏やかな表情を浮かべている彼女に、アキノはいよいよ混乱する。
だが、相手にイニシアチブを持たせたままで進める訳にはいかない。それではジュンの思うツボだ。
だから、アキノから口火を切る。
「驚きましたわ。まさかジュンさんがご尊顔を披露なさるなんて。
……さて、どんな重要なお話をしてくださるんでしょう?」
じろり、とジュンを睨めつける。
そこで気付いたのだが、美貌を晒したジュンは薄く化粧を施していた。
基礎のファンデーションは注視しないと気付かないほどに透明感のあるもので、今季話題となっている薄紅のチークを薄く重ねている。加えて、唇はリップクリームのような軽さを感じるピンクで彩られており、チークと併せて健康的なイメージを構成している……というか完全に取る気満々でしたわね?
つまり、家の意向を無視してでもアキノと素顔で話をするつもりだった、ということになる。
その事実に、自然と背筋が伸びる。
そこまでの覚悟を見せられたのだ。アキノとしても、軽い気持ちで望むわけには行かない。
だが、多少の意趣返しくらいはしたい。負けず嫌いの発露というより、やられっぱなしは性に合わない。
軽く顔を斜めに構え、少しだけ嘲るような色を入れた声で言い放つ。
「そのご様子では、兜を取ることを前提にしてらしたのね」
口元に手を添える徹底ぶり、というか悪意をあまり理解していないアキノが聞きかじりで演じた、精一杯の表現だ。
すると、
「サレンちゃんの大事な友人に対して、失礼は許されないからね」
至極まっとうな、というよりはアキノの悪意に一切気付いていないことがまるわかりな返答が来た。
何か含んでいるものでもあるかと訝しむも、ジュン本人は薄くはにかんでいる。その目には喜色しか浮かんでいない。その様子は、サレンの友人と話ができる、と高揚しているように見える。
その様子に、ぎりぎり、と胸が締め付けられる。ほんの少しの出来心で悪意を見せただけで良心の呵責に苛まれてしまったのだ。
だというのに、ジュンは意に介した様子すらない。
これでは露骨に負けん気を出したアキノが恥ずかしい。
今日一番の重い息を長く吐き出しながら、かくん、と首を落とす。
その様子に、ジュンは慌てたように言葉を作る。
「な、何か拙かったかい!?」
いろいろと拙い。そして、それを口にすれば察しの悪いジュンのことだから、一から説明しなくてはならない。そんな苦行は勘弁だ。
だから、アキノはのろのろ、と口を開く。
「……お話、伺いますわ。素直に」
そんなアキノの敗北宣言に対し。
「さ、さて。
ええと……きょ、今日はお日柄もよく、いくぶん残暑も和らぎ……」
先とは一転、顔がこわばったジュンは明らかに慣れてないとまるわかりの時節の挨拶を口にする。
その言葉を耳にしたアキノは、思わず口走る。
「嘘でしょう……?」
アキノはジュンの演説を右から左へと受け流しているのだが、それに気付いた様子もない。
周りも見えず、自身の言葉に酔っている……のかは疑問だが、ひとまず現状として完全に舞い上がっていることが一瞬で分かってしまった。ちなみに今のランドソルはまだ春を迎えたばかりで、やっと肌寒さから開放されつつある。
……正直、逃げたい。大逃げに徹したい。あしまった脚質に合っていない。いや、
ではなく。
ここでやっと、この場から去りたい、というかジュンと関わりたくない理由に気付く。
ちぐはぐなのだ。
先程、アキノを欺いてみせた鎧を使ったトリックは完全に人の思い込みを主とした思考や心理を読み、そして巧みに利用したもので見事の一言だ。悪辣で狡猾……これは私の感想ですわね。ええと、防護を具現した自分の姿を最大限に活かしたその手腕に、まだまだ王家、そして貴族も人材の層が厚い、と思い知らされた。
だが。
今アキノの眼の前にいる妙齢の女性は人に慣れていないし相手の反応を見てすらいない。ただ自分の言いたいことを並べるだけの演説だ。稚拙で未熟で単純……は感想として。普段から黒鉄の全身鎧に身を包んでいるのは脆弱な自身の対人スキルを隠すためで、その防護がなくなった今、菫色の髪を持つ女性からはただのコミュ症の雰囲気しか感じ取れない。
時間が経過したから違和感の正体に気付けた。やはり直感は間違っていない。
……だというのに。
未だに、アキノは席を立とうと思っていない。
否。
直感が告げているのだ。
ここで、立ってはいけないと。
「私は、我が故郷の救済を願う。万能の願望機をもってして、全身鎧の滅びの運命を変える」
まだ続いているジュンの演説を、今度は左から右へと受け流しながら、アキノは考える。
……いや
それに、たとえ戦場の高速化などのドクトリン変化が生じたとしても、未だ騎馬による突撃や軽装歩兵による白兵戦が主である以上、防衛兵器としての全身鎧はまだ不可欠だ。
というかまだ滅びていないだろうにもう滅びたときの事考えてますの? 早すぎません?
ではなく。
なぜ今、アキノの中で相反した直感が働いているのか。
ジュンの歪さは垣間見た。それ故、「この場から離れろ」、は分かる。
ではお暇を、と思うや即座に後者、打ち消しの直感が制止を促す。
(……これもおかしいですわね)
これまでは曖昧ながらもそうした方がいい、のような消極的な提案を受けている印象だった。
だというのに、今回はかなり露骨だ。いまだかつて、訴えかけるようなことはなかった。まるで
(……そんなはずありませんわ)
何しろアキノの胸中で繰り広げられている葛藤なのだ。余人の関与するようなものではない。
……はずなのだが、どうしても気になる。
そんなこと、今までなかったのだ。
なぜ今なのか。
そこで、ある一つの仮説が浮かぶ。
(……まさか)
アキノは正面、未だ演説をぶつ女性を見る。
「幼いのにひとりでキャンプするとおっしゃっていたので、持ってきていたほうじ茶をお渡ししたんです」
……ヒヨリさんがホットサンドメーカーで焼いた肉まんと一緒に頂いた話だろうか。いろいろタイムリーですわね。
ではなく。
(この状況に直感……ジュンさんが関係している?)
だとすれば合点がいく。
とはいえ、確証はない。
ならば。
「ジュンさん。
先の鎧を使ったトリックはご自身の発想ですの?」
アキノは演説をぶった切り、直接問い正す。
ここまで来て婉曲な物言いは好まない。何より、ジュンに意図が通じないかもしれない。
果たして。
ヒスタミンを大量に放出した時の弁明をしていたジュンは、ぴたり、と口を止める。
「あー…………信じて……もらえない、かも、しれないけれど…………私にも、よくわからないんだ」
これまでの滑るような舌の回りが嘘のように鈍く、そして歯切れの悪い言葉が並ぶ。
続けて、
「サレンちゃんに、そういう手段がある、と伝えたのは確かに私だ。でも、それを考えついたのは私じゃない」
ジュンは目を伏せながら、しかしはっきりとした口調で告げる。
その答えに、普段のアキノであれば『貴族にもアタオカが発生するようになったか』、と思うところだが、今回は不思議とすんなりジュンの言葉を信じることができた。
更に言うと、たったそれだけの言葉だというのに、ジュンに起きたであろう現象にも思い当たる節があった。
それはアキノ自身にも生じた、
「……現実とは程遠い光景を、自身ではない誰かの視点でご覧になったことがおありですのね?」
アキノはコッコロの視点でジュンと対峙したその時のことを思い出す。
信じがたいが、アキノはその光景を現実だと
コッコロは
その対峙した場所も王宮の地下、しかも牢屋だった。そんな場所にペコリーヌさまが囚われた、というモノローグがあったが、その人物とはユウキが所属している【美食殿】のギルドマスター、ペコリーヌのことだろうか?
どことなく気品をまとわせつつも、あまり考えなしで大食漢の彼女が囚われるなど、食い逃げくらいしか思い当たらない。その程度の軽犯罪で、王家に係る重罪を犯した者を収監すると言われている王宮地下牢に繋がれるだろうか。
百歩譲って、ペコリーヌがそこに収監されていたとする。それを、コッコロとユウキが救いに行く、というのも理解ができる。やっていることは逃亡の幇助なのでそれも重罪だが、それも百歩譲るうちに含むとして。
それを、【
そう。
論理的に考えればありえる話なのだ。前提が狂ってさえいなければ。
アキノはペコリーヌの素性や
だが、そんな見かけた程度であっても、犯罪を犯したり、現行法を蔑ろにしたりする人種には見えなかったし、そういう人間が持つ、独特のやらかしそう、という雰囲気もない。
となると、
(ペコリーヌさんが、王家にとって看過できない存在だから……?)
今思いついただけで、根拠はどこにもない。
否。
直感だ。ならば信じるに足りる。
自然と、彼女のことを思い出す。
(確か、年の頃は私と同じくらいでしたわね。明るい栗色の長髪に、つくりがしっかりとしつつも美麗な装飾が施されたティアラ。仕立てのよいドレスには無骨な肩当てをされていて……腰後ろからはみ出すほどの両手剣をお使いでしたわね。歩幅はやや広め、ステップはしっかりとしたもので、上体の揺れは最小限。前衛らしい力強さでしたわ。
性格は……話したことがないので流石にわかりませんけれども、ユウキ様からは行き当たりばったりが多いけど明るくていつもお腹をすかせている、と伺いましたわ。健康的な肌艶をしてらしたから、食には困っていなさそうでしたわね)
……やはり分からない。
普通の、どこにでもいそうな彼女がどう王家と関わっているのか。
否。
先程、自分が思い出したペコリーヌの姿を再び思い出す。
(つくりがしっかりとした
貴族の仕事は着替えること、と嘯く者もいるくらい、服装やその格好にこだわる。それは最も簡単に自らの権威を示す手段だからだ。
そして、それは貴族を統べる王家にも当てはまる。
アストライア王家を示す装備といえば、当代の女王のみが身につけることが許されているティアラ。
かつて、目を慣らすためと称して父親から最上級の品のみを掲載した図録を見せられたことがある。一点ものである女王のティアラが掲載されているはずもないので、見覚えなどない。
だが、ペコリーヌの装着しているティアラはそれに載っていたどのティアラよりも美しい、と感じた。だから、ほとんど面識がないにも関わらずアキノの記憶に引っかかっていたのだ。
そして、アストライア王家の正当性を示すために代々継承されている両手剣。
それは相当の業物で、青く光るその刀身を見れば一目で持ち主が王家の者であると確証が持てる、という。伝聞調なのは実際に刀身を見たことがある者がほとんどいないためだ。確かに、刀身を晒す、ということは戦意をひけらかすことと同意だ。そして、王家の者であると確証が持てる、ということは王家に疑念を抱く者、つまりはこれから処される反逆者ということだ。貴族にほど近い立場ですが、反逆など一文の得にもなりませんし、見る機会なんてありませんわね。
ただ、こちらもユウキから聞いた話になるが、ペコリーヌの両手剣の刀身は青く光るらしい。そして、とんでもなく切れ味がいいとも。
…………は、反逆者じゃありませんわよね、ユウキ様?
気を取り直す。
(……以前、アストライア王家には私と同じ年頃の娘、つまり将来の女王が存在している、と聞いたことがありますわ)
アキノは息を飲む。
彼女の中で、
だが。
ならば。
(……今の、ユースティアナ陛下を名乗る
アキノの思考は、ジュンの言葉によって遮られる。
「その物言いからすると……アキノちゃんも
一旦、根拠のない事実は置いておくとして、ジュンの言葉に対して小さくうなずく。まさか、「貴方が殺気丸出しでユウキ様に迫ってました」なんて言えない。言ってもいいが、その後絶対鬱になる。ええ、この方そういう雰囲気持ってますわ。部屋の片隅で膝を抱えてルール―言いそうですわ。
アキノのうなずきを同意と取ったジュンは、そのまま続ける。
「私も、そしてサレンちゃんも見たんだ」
「ジュンさんだけでなく、サレンさんも?」
ジュンはああ、と首肯し、
「サレンちゃんは少年、ユウキくんが危機に陥るところを見たそうだ」
とんでもないことをあっさりと口にした。
……駆け引きという理解はないのでしょうか? やはりこの方、対人スキルが低いですわね。
否。
ジュンにとって、アキノは既に身内だと思っているのだろう。
だから、本来であれば時期を置いて共有するべきだろう事項を、こうもあっさりと伝えてきた。
ほぼ初対面なのにサレンの友人というだけで信頼されている、と思うとなかなかに面映ゆいが、実際はそこまで深くは考えていないだろう。
(……身内に甘いのは貴族の特徴ですわね)
内心でくすり、と笑うが表には出さない。
それと同時、サレンの豹変の理由が分かってしまった。
……まぁ、私でもそうなりますわね。納得です。蒸し返しはしませんけど、それなら先に一言欲しかったですわ。
ひとまず、そちらは置いておくとして、ジュンからもう少し情報を仕入れることにする。
「ジュンさんは、どのような?」
会話なので、キャッチボールを心がける。
本来であればこちらから言うべきだろうが、まだ壁を向いてルール―言わせるのは早い。
すると、ジュンは一瞬でチークよりも頬を上気させる。
「私は……あー…………少年と仲良くするよう促された」
「は?」
抽象的すぎる。しかも主語がないので誰からそう促されたのか分からない。状況も不明だ。ただ、この言いよどみ方から良からぬシチュエーションであることだけは察した。
……気になるが、追求はあとだ。
「ジュンさん、そしてサレンさんはその情景というか、見た事象を信じたんですの?」
聞かなくても分かる。アキノ同様、信じたのだろう。それ故、サレンはユウキをより強く欲するようになった。
だが、それならジュンは?
サレンを応援する立場になっているが、それでいいのだろうか?
ジュンは軽くうなずきを返す。
「にわかには信じがたいよ。王都が襲撃され、そんな中で
……ホントこの人【以下略】
突っ込まない。突っ込まないが、後で必ずルール―言わせる。
「ただ……その光景は現実なんだと
ええと、私はあまりコミュニケーションが得意ではないから、どうしてそう思うかをきちんと説明できないんだが……なんというか……」
言葉を作るたびにくるくる、と表情を変えていたジュンの動きがぴたり、と止まる。これは長考に入りそうだ。たぶん考えても出てこないだろう。
ここで止められても困る。慌ててアキノは言葉を作る。
「ジュンさんのおっしゃっていること、なんとなくわかりますわ。いろいろと疑問しか生じませんけれども、なぜか私も、それが現実に起きたことだと納得してますの。
……問題は、なぜ複数名がそんな光景を見たのか、ですわ。それも、日頃あまり接点のないジュンさんと私が」
当初、アキノはジュンが関係していると考えていた。
だが、サレンも見た、と知り思考を方向転換させた。
つまり、この異変……というか、奇妙な体験の発端はサレンなのではないか、と推測したのだ。
……だが、そこまでだ。
鼻の上にシワが寄るのを自覚しつつ、こめかみに手指を添える。
訳がわからなくなってきた。そもそも、複雑なことを考えるのはアキノの性分ではない。そういうのは【メルクリウス財団】の面々に任せている。
それに、あくまで分かっていることだけを並べただけで、根拠もなければ直感もない。第一、サレンただ一人の心変わりだけで複数名が奇妙な体験を体験するなど、それこそ妙な話だ。
偶然、と片付けるには出来すぎているが、必然、と割り切るには根拠に乏しい。
「ふむ。
……もう少し、情報が欲しいですわね」
「そうだね」
ジュンもあっさりと苦笑を漏らす。そして、表情を崩さずに口を開く。
「不思議だとは思うけれど、実のところ、私はあまり気にしていないんだ。
というのも、現状生じているのは非現実的な光景を突然見るだけで、それ以上のこと、例えば身体に影響が出るなどといった実害はない。
気に留めておくことは大事だけど、そればかりに囚われていては日常に支障を来しかねない」
流石にジュンは地に足の付いた考え方ができている。何となく浮ついているので怪しんでいたものの、そこは職務に忠実だ。
実際、その通りなのだ。
なんの脈絡もなく、非現実的な光景を見せられるので困惑するものの、実害は生じていない。というより、ただ単純に見せられているだけ、のように思える。
だが、だからといって対策を講じないのはダメ商人だ。
「ジュンさん。今後もそのようなことがあるかもしれませんわ。ジュンさんやサレンさん、私だけでなく他の方にも。
まずは情報収集を。情報が揃っていないのにああだこうだ、と考えるのは筋違いになりかねません。
とはいえ、全ての情報が集まることなどありませんから……そうですわね、定期的に顔を合わせる"お茶会"でもいたしません?」
短いながらも、こうしてジュンと話をして分かったことがある。
ジュンは他者とのコミュニケーション、主に自分語りに飢えている。先の演説はその最たるものだろう。
それはそうだろう。
ちなみに、アキノの推測は概ね間違ってはいない。
クリスティーナは他国とはいえ貴族で、しかも同年代だが、話を合わせてくれない。大抵向こうががー、っとしゃべって、それをジュンが諫める、という役割分担が板についている。そのため、他人と喋りたい欲求は満たせない。
トモもあれはあれで人の話を聞かないし、させてもくれない。マツリに至ってはテンションについていけない。すぐトラタイガーネタになるし。
話を戻して。
ジュンがこのランドソルで友人以上の関係を構築した相手となると、サレン、そしてユウキくらいだろう。この二人であれば世間話ばかりになるが、共に忙しく、加えてまとまった時間は取りにくい。
となると、会いたいという欲、そして会えないという不満すら積もり積もっていく。相乗効果によって、ジュンの抱く願望は凝り固まったものになっていたことだろう。それこそ、歪みきった万能機とやらに願うほどに。
そこに、サレンとユウキ共通の友人であるアキノが現れた。
ジュンにしてみれば、貴族にも見劣りしないウィスタリア家のご令嬢となれば、サレン同様、数少ない同類……というより、もっと端的に友の友は友、という発想に行き着いてしまったのだろう。
ジュンの名誉のために言及しておくと、流石のジュンも、本来であればそこまで舞い上がらない。貴族なのだから、もう少し分別を持って接する。
だが、普段なかなか会えない相手から、「あなたにしかできない」、と頼られたらどうなるか。
……結果は見ての通りだ。
ちょろいのではない。どんなに強い人間でも、社会と隔絶してしまうと精神的に参ってしまう。そこに付け込まれればあっさりと陥落してしまう。
そこで、アキノは一計を案じた。それが、"お茶会"という名の定期的な情報交換の場だ。
これなら、ジュンの渇望を満たせるだけでなく、サレンやジュンの持つ情報に合法的に触れられる。サレンが話題にしなかったり、あるいはもっと直接的に嫌がったりしても、恐らくジュンが漏らす。その辺の人間関係を察する能力はかなり緩めなようなので期待大だ。
もちろん、アキノの見た情景も伝えなくてはならないが、それはまぁ……頃合いを見計らって、ということで。あいや、今日この後で。ルールー言わせますわよ。
果たして。
素顔を晒したジュンは少しだけ口を開いた表情を見せ、
「ふふっ」
そのまま小さく笑みをこぼす。
その仕草はやや幼さを感じさせるものの、ジュンの心境を表しているかのようだ。ただ、アキノにはどうしてそんな表情をしているのかが分からない。
確かに、ジュンが求めているものを提供している、という自覚はあるが、そこまで喜ばせるような提案だとは思っていない。
商人として気になる。こういう時は自分だけで悩まない。
「どう、されましたの?」
すると、ジュンは柔らかさの乗った表情を崩すことなく、
「いや、【メルクリウス財団】の人とは飲み物で繋がるな、と思ってね」
"お茶会"をそのままの意味で捉えた発言をする。
ただ、これにはアキノが引っかかった。
恐らく、アキノの意図には気付いているようだ。でなければわざわざ【メルクリウス財団】の人、という言い方はしない。端的に、その人物の名前を言えばいい。
それをぼかした、ということは、
(相応の情報と交換、ということですわね)
やっとそれらしい感じになってきた。
だが、アキノの思い込みかもしれない。
だから、敢えてアキノは尋ねる。
「ちなみに、どなたと?」
聞きつつ、アキノは考える。
飲み物のイメージがあるのはユカリだが、正直彼女の酒癖は悪い。それに行きつけのお店も、女性向けの小洒落たバルよりも、あまり品がよろしくない酒場が主だ。
王侯貴族であるジュンとは釣り合いが取れない。というか酒飲むのかこの人。
アキノの想像力を総動員しても、全然イメージが沸かない。いくら飲んでもけろり、としているようにも、すぐ飲まれてべろんべろんになる絵も浮かんでしまう。
だが、この二人が飲んでいる、と思うとなんとなくしっくり来る、とも思うのだ。
目の前の、不器用だが仲間思いで望まれれば悪役を買って出るようなお人好しと。
私生活では少々だらしがないが、なんだかんだと面倒見がよく裏方に徹することを苦としない身内がつるんでいるのは、
(……面白いですわね)
内心でくすり、と笑う。
だが。
ジュンはアキノの問いかけには答えず、
「サレンちゃんには私から伝えておくよ。
……"お茶会"、楽しみにしているよ」
座った時同様、音をさせずに椅子から立ち上がると、ジュンはその場を後にした。
扉が閉ざされ。
アキノはどっかり、と椅子に体重を預ける。
「失念しておりましたわ。ルール―言わせるの……」
そうではない。
否、それもあるが、アキノには、"お茶会"の前にやらなければならない大事なことがある。
眉を立てた表情を作ったアキノは、小さく口の中でつぶやく。
「……サレンさんと、お話しなくてはなりませんわね」