ティアナ様は告らせたい~少女(一部女性含む)たちの恋愛頭脳戦~ 作:アルブレヒト・ミュンヒハウゼン
グーパンでジュンの鎧を凹ませ……られるわけないでしょう常識的に考えてくださいまし? まぁ私、非常識枠に該当していますけれども。
そもそも、そういうお話ではなかったでしょう?
よろしいこと、前回は私とジュンさんが和解し、その勢いを持ってサレンさんとの間に生じたわだかまりを融かそうと決意する、という内容ですわ。
……え?
あ、もしかしてこちら、以前の次回予告のあらすじなんですの? ああ、ならば……そんなの書いて、何の意味があるんですの?
それを望んでいらっしゃる方々はいらっしゃるんですの?
王都ランドソルの一等地にある【メルクリウス財団】のギルドハウスは広いが、メンバーにあてがわれた執務スペースは奥の方に集約されている。
質素な装いに見えて重さと硬さを備えた実用的な机と、長時間使用しても疲れにくいとされる曲線を描いた背もたれの椅子。それらがそれぞれ四つ。二つずつは隣り合い、そして互いに向き合っている。
それらの四つを見守るような位置に、他と同じ机が置かれている。ただ、椅子は黒革張りの豪華なものになっている。座り心地は良さそうだが、その風景にはそぐわないといえる。
だが、椅子の主がいればその風景は一転、飛ぶ鳥を落とす勢いを持つギルドの執務室にしか見えなくなるのだから不思議だ。
当の椅子の主であるアキノは、自分の胴ほどもあろうかという分厚い背もたれに体重を預けながら、手にした書類に視線を向ける。
だが、その視線は紙面の一点を注視したままで、縦にも横にも動かない。しばらくそうしていたかと思えば、今度は紙面から視線を外して正面を向く。その顔は眉を中央に寄せたもので、顔芸の豊富なアキノが採用するものとしては一、二を争う使用頻度だ。その割に中身が薄い。加えて、その中身はアキノ以外の面々に余計な仕事という災厄となって降り掛かってくる。
だから、誰も気に留めない。むしろ積極的に無視したいが、巡り巡って被害を被るので半ば諦めている。
といっても、その場にいるのはアキノの他には一人だけ。アキノから見て左側の、ひときわ大きな書類の山を築いた机に向かっているエルフのユカリだ。
アキノの視線は一度紙面に戻るも、瞬き二つ分程度であっさりと場外へと走り、ユカリのいる左側へと抜ける。そして、何気なさを装いながら彼女の様子を窺う。
刈安色の長髪の多くを背中に流した彼女は、自身に課せられた業務に集中している。
彼女は自分の席に着いてからこの時間まで、一心不乱に書き物をしている。かと思えばペンを持つ右手を止め、左側に置いた書面の表面を視線でなぞる。口の中で何事かを小さくつぶやくと、止めていた右手を動かす。今日この席についてからその繰り返しを既に数十、数百と繰り返している。
……アキノが数えたわけではない。気もそぞろなのは事実だが、ただの比喩だ。78回までは数えていたが、その時間の三倍は経過しているので回数には信憑性がある。
今日ユカリが行っているのは商品有高帳を作成するための前段階、書面による在庫確認だ。
棚卸はまだ先だが、【メルクリウス財団】では扱う商品はアキノの思いつ……一ぞn……優れた先見性によって拡大の一途を辿っている。だというのに、その管理を行う人材は極めて少ない。能力不足ではなく、単純な物量の話だ。ランドソル郊外に借りている【メルクリウス財団】名義の倉庫の品物全て、となると品数は万、いや十数万を超える。いくらタマキの身軽さ、そしてミフユの観察力がずば抜けていても、とてもではないが数日はかかる。決算のための本格的な棚卸ならともかく、ただの確認という雑用に彼女たちを使うわけにはいかない。
だからといって、やたらと人手を使うわけにはいかない。
【メルクリウス財団】はランドソルでも有数の商業ギルドだ。しかも、扱う商品はアキノの審美眼を活かしたお高めの商品が多い。客単価を高く設定するため、というよりはアキノが捕まえてくる顧客の求めているものが、アキノも納得する品質の品々だった、という簡単な理屈だ。もちろん、それ以上を求める者も少なからずいるし、そんな者たちをも満足させる商品も揃えている。
そのため、素性の定かではない人間に商品管理をさせれば当然、盗難の恐れがある。
一応、管理人として数名の人間を雇っているものの、彼らは窃盗への対応、つまり警備が主だ。商品の搬入出には立ち会うものの、あとは受領や納品を証明する書面のやり取りだけだ。扱うロットが大きいため、箱に詰められたままやり取りをすることも多く、そうなれば当然、その中身の数が定数に達していない、破損、あるいは過分、ということもないとは言い切れない。その手の管理に長けているユカリにしても、把握できているのはあくまで金銭ベースであり、品数ではない。
つまり、アキノたちが把握している商品数と実際の在庫数が合わないこともあり得るのだ。これでは急遽入用となった時にない、という事態も起こりうる。
そこでユウキの出番だ。
もちろん公私混同ではない。アキノだけではなく、ギルド全員の賛成もあったため共はn……これ以上ない適任だとの全会一致の人選だ。
公私混同ではないという根拠はある。
ランドソルの公営物資集積所で類似案件に携わったことがあるユウキは、言うなれば経験者だ。なので研修も最低限で済むので効率的だ。慣れている作業なら動きも素早い。どんな商品であっても粗略に扱わないし、お願いした通りに書類もまとめてくれる。
しかも週に一回必ず会える。
いい事ずくめだ。公私混同と謗られても平気ですわ。そのまま指を咥えてらして。おーっほっほっほ!!
……話を戻しますわ。
ユウキに依頼したのは、その週に生じた取引の書面と実際の在庫数とを突合させる、というお仕事だ。
数を数えられ、商品の種類が理解でき、商品名と数字の読み書きができれば問題ない。
……バカにしているわけではない。こういう変化のない単調な作業は慣れが来ると間違える。なのに、ユウキはこれまでひとつも間違えたことがない。まだ二ヶ月程度なので慣れていないだけかもしれないが。
それに商品の種類も多いだけでなく、置き場所も結構まばらだ。家具なら家具、小物なら小物で固めたいところだが、ミフユが効率を重視し、空いている隙間に全く関連のない商品を入れるよう指示した。その結果、倉庫の容量を最大限利用できるようにはなったが、搬出業者にしてみれば商品の置き場に関連性がないことから探す手間が、そして搬入業者にしてみればぴったりと収まるように隙間を見つけさせ、そこに置くよう強よ……徹底したため煩雑さが増した。そして、ミフユは目を閉じた。
そんな状況にも関わらず、ユウキは嫌な顔ひとつしないで取り組んでくれる。
正直、ユウキの優しさに甘えている、という自覚はある。特にミフユ。
……誰が正座を解いていいと言いました? ……効率? ではこの石を膝上に載せてくださいまし。私の考える最も効率の良い方法ですわ。
脳内でミフユに反省を促しつつ、アキノは思う。
……本当は、ユウキにはもっとまっとうなお仕事を頼みたい。
否。
仕事などせず、自分の傍にいてほしい。穏やかに笑い、他愛もないお話をしてほしい。
私だけに、笑顔を向けてほしい。私だけに、お話をしてほしい。
そして、私だけを見てほしい。
本当であれば、【メルクリウス財団】の面々にだってユウキを会わせたくない。特にミフユ。
……拷問? そんなことさせるとお思いですの? 私なりに効率よく反省させるための処置ですわ。お好きでしょう、効率。
タマキは関心などない、という雰囲気を持ちつつも抜け目なくすり寄っているし、ユカリに至っては持ち帰ってもらうために痛飲、という手段と目的が入れ替わっている有様だ。身内ながら恥ずかしい。
だが、拒否された。
正確には、そんな煩雑で面倒なお仕事ではなく、アキノの身近で仕事をして欲しい、とお願いしたことに対してなのだが、結論としては同じことだ。
なのに、サレンディア救護院の仕事は手伝っている。それは、サレンの身近で仕事をしているということだ。
悔しい。
サレンなら良くて、アキノはダメとはどういう了見なのか。
……分かっている。自分本位な、ただの言いがかりだ。
普段であれば、同居しているのだから当然でしょう、と諫める自分の意見が勝る。それに、手伝うと言っても組織運営ではなく、買い物や畑仕事など、体力が必要となる雑務に近いことばかり。ユウキでなくてはならない、というものではない。
なのに今は、そんな当たり前のことを言っているから遅れを取っているのでしょう、と反論する自分がいる。
……分からない。この思考は、果たして本当に自分が考えついたことなのだろうか。
先日の、ジュンとの会合で相反する直感に振り回されたことを思い出す。
今もまた、相反する思考を持っている。
だが、先日とは異なり、今回は揺らぎがない。素直に、サレンの抱えるイニシアチブが大きいと訴える反論の方が正しいと思えている。
ただ、それが本当に自分が導出した思考なのかに関しては自信がない。
以前感じていた
否。
これは確かに自分の思考だ。認めなくてはいけない。
今、自分はサレンを妬ましく思っている。
ユウキから信頼を受けていることに。ユウキから拒絶されていないことに。
……こんなに、サレンを妬ましく思うことがあるなんて。
嫉妬とは、あらゆる欲望の根本にある感情だ、という話を聞いたことがある。色欲、暴食も、強欲も、憤怒も、怠惰も、そして傲慢も、そのどれもが嫉妬から始まる、という。
その辺の話は興味深いが、今は置いておく。アキノが直面しているのは自身が抱えている嫉妬という感情が、サレンによってもたらされているという現実だ。
気持ちと感情の整理がつかない。
自分の感情と向き合ってこなかったツケが、今更ながらにアキノに牙を向いている。しかも、明日の午後にはジュンと約束した会合の一回目を迎える。
こんな気持ちでサレンと会えばどうなるか。
泣くのだろうか。それとも、怒るのだろうか。はたまた、むっつりと押し黙ったままなのか。
流石、あらゆる欲望の根本にある感情だ。さっぱり見当がつかない。どれもやりそうで、どれもやらなそうでもある。
だから、
「ねーアキノさん。なにか困り事? 話くらいなら聞くけど?」
紙片をめくる手を止めることなく、ユカリが問うてくる。視線も紙片に向けられている。握ったペンも動いている。
それでも、彼女の意識はアキノを向いている。
向けてくれている。
たったそれだけなのに、胸の奥でつかえていたものが少しだけ抜けたような気がする。
ならば。
小さくうなずくと、アキノはユカリへと顔を向ける。
そして、
「すみません。ちょっと悩んでいることがあって……お時間、よろしいですか?」
素直に、年長者に助けを乞うことにした。
ドローイングルーム中央に鎮座しているミノタウロスの革を張ったソファに、アキノとユカリは向かい合って座る。
アキノが淹れた紅茶に口をつけたユカリは、ソーサーを持ったままの格好でアキノを見る。
いつもは根拠不明の自信に満ちあふれているアキノが、今日は朝から消沈しているというか、どことなく奇妙だった。もちろん、アキノだって人間だ。自分が発端となるミスを犯した日くらいはおとなしい。それでも、どうやって取り返そうか、という気迫は感じ取れる。
ところが、今日はミスもしていないというのにおとなしいし、気迫もない。まぁ、取り返すものがないので当然と言えば当然か。
こういう状態をしおらしい、というのだろうか。
ユカリの知る人間は総じて人の話を聞かな……主張が強すg……うるさ……げ、元気が有り余っているので、しおらしい、という状態を知らない。これがそうなのだろうか。だとしたら怖い。病気? いやいや、アキノさんが病気に罹っているとしたらランドソルは既にパンデミック通り越して全滅一歩前。つまりはこれがしおらしい、という状態。納得。
こんなアキノは気味が悪い、と言いたいところだが、ユカリは全く別の感想を持っていた。
正直に言う。
うれしい。
こうして、仕事以外で頼られたのは初めてなのだ。
先の発言だって、一種の社交辞令だ。まさか本当に相談を受けるなんて思っても見なかった。
それと同時、少しだけ不安も生じる。
アキノが抱える悩みに対し、答えられるかどうか。いや、答えなくてもいい。的確な助言ができるかだ。
率直に言えば、ユカリはそこまで人生経験が豊富というわけではない。経理や財務といったお仕事に関してなら任せて欲しいが、今回の様子だとプライベートな悩みのように見受けられる。
プライベートとなると、自分のことながら眉をひそめる有様だ。酒癖は褒められたものではないし、交友関係もどちらかというとお酒関連。かなり狭いし、まだ未成年のアキノには勧められない。それ以外となると……年頃なので男女の、ということもありうる。となればユカリの出番は皆無に等しい。だってこの歳になってもカレシはいないし、以前からいたこともな……ではなく。多分そういうことは聞いてこない。万が一そんなこと聞かれたら……む、麦しゅわ飲んでやるんだからぁ!! やってられないもの!!
早くも何を飲むかを考え始めたユカリに、アキノは意を決したかのように口を開く。
ランドソルの目抜き通りから一本入った通り。
そこに、薄紅の長髪をバンダナでまとめた女性が歩いている。まとめているのに長髪だと分かるのは、かなりぞんざいなくくり方の所為で幾束もの髪の毛が飛び出しているだけでなく、後頭部に関しては完全にまとめきれておらず、大部分が背中に流れているためだ。
ただ、その無造作さが逆にまとまりを見せているためか、不思議と似合っている。そこだけなら違和感を覚えることなく、彼女を周囲に埋没させることができているのだが、問題はそれ以外のパーツだ。
目元には大きなハートを形どったサングラスをしており、顔全体を確認することはできない。そのチョイスもどうかと思うが、それ以上に問題なのは普段通りの扇状的な服装だ。本人は身元がバレないようにと変装目的で行っているにも関わらず、髪以外はほぼいつも通りなので見る人が見れば一瞬で誰だか分かってしまう。
街中なのにスカートも履かず、メッシュが入っているとはいえ胸元は大胆にハートの形に開いているワンピース……いやワンピースというよりは全身タイツみたいな出で立ちでランドソルを歩き回るのはただ一人しかいない。
その露出きょ……人物はもちろん【ヴァイスフリューゲル ランドソル支部】に所属しているクウカだ。
変装をしているらしいクウカは、その怪しげな姿のままできょろきょろと辺りを見回す。そして、胸に手を当てると露骨に息を吐き出してみせる。
どうやら、なにもないことに安堵しているらしい。そんな仕草も余計に彼女の異質さを物語っている。そのせいでむしろ周囲の奇異の目は増えたというのに、それには気付いた様子もない。
クウカは普段のアルバイトで踊り子をしているため、人から注目されることに慣れている。そのため、気付かないのではなく気付けないのだ。
そのことにまでは至っていないようで、クウカはそのまま道を進む。十数メートル進んでは辺りを見回す、という分かりやすい不審者ムーブのままで。
この場にエルフの幼女、キョウカがいれば確実に通報しただろう。
クウカがこんな愉快なことをしているには訳がある。
クウカはある時を境に、誰彼構わず話しかけられるようになった。しかも、皆なぜか相談を持ちかけてくる。
先日の『
多少人見知りの傾向があるクウカにとっては災難以外の何者でもない。とはいえ、幸いなことに全然知らない人たちではないことだ。
……いえ、クウカにとっては全然幸いじゃないですぅ。辛いんですぅ!! 一本多くありません?
皆、ユウキの関係者なので知らないわけではない。
……いえいえ、いくらドSさんのお知り合いだとしても、クウカにははじめまして、の方ばかりなんですけどぉ!! やっぱり一本多いですよねぇ!?
大丈夫。全然無理強いとかされてないでしょ?
……いえいえいえ、無理強いされてないから大丈夫、って論理展開おかしいですぅ!! ははーんさては貴様理系ですねぇ!!
そうですが何か?
……ともあれ。
断ってはいるのだが、生来のドM気質では断りきれず、むしろ押し切られてしまうのだ。
昨日の魔族の美少女はやや大人しげで控えめだったものの、どでかいデスサイズの迫力と何故か宙に浮くドクロの卑猥な言葉に押し込まれてしまったので目下全敗中だ。
(く、クウカはそんなの得意じゃないのに~)
自分の柄ではない、と思っている。割と本気で。
だってドMですよ? 人に命令されるのは嬉し……楽しいが、逆にクウカからアドバイスをするのは分不相応だと思っている。そもそも、ドMの言葉に耳を傾ける相手など……ほややん、とした笑顔を浮かべる一人の青年の顔が浮かぶが、それは今考えない。
ただ、クウカの言葉を聞いた皆は一様にどことなくスッキリとしたような顔をして、感謝を述べてくれる。
それが嬉しくて、つい断りきれない……ということもありません~。クウカがそんな、そんなみなさんに感謝されて嬉しいだなんて……いえ、それは嬉しいのですけど、やっぱり何か、むず痒いというかクウカの求めているものと違うというか~……もっとクウカをなじるような感じでお願いしますぅ!!
ぜいぜい、と肩で息をしながらようやく一ブロック先へとたどり着く。
すると、右側の小道の方から、
「あら、クウカじゃない」
女性の声がクウカの名を呼ぶ。
思わず、びくり、と大きく体を震わせる。
これまでのことがあり、敏感になっているのは確かだ。
とはいえ、これまでの連中はまず異口同音に「クウカか?」と誰何してきた。つまり、クウカとはほとんど面識がなかった。だから怖かった。
だが、今回はクウカをクウカとして認識した上で声をかけてきた。つまり、クウカと面識がある……向こうが勝手にクウカを認識しているだけかもしれない。
思い出せ、一番最初の『
そんな前科があるのだから、警戒するに越したことはない。
恐る恐る右側を向くと、
「……あ、サレンさん。ご無沙汰してますぅ」
クウカにとっては恩人とも言える、顔見知りのエルフがそこにいた。
かつて、魔法の国から来たアンチビーストの影響によりクウカが
その時、同様に
迷惑をかけた自覚がある中、そんなできた人物に覚えてもらえていたことは嬉しい。
しかも気さくでコミュ力が高く、観察力に優れている。やや人見知りの気があるクウカにとって、一時的なものとはいえ知らない環境で過ごすことは負担が大きい。それを見越してか、雑談程度の軽いコミュニケーションから始まり、緊張を解してくれた。そのまま色々と話が弾み、最後は簡単な軽作業まで……あれ? クウカ無料奉仕してません? ……と、ともあれ、すぐに馴染むことができたことは非常にありがたい。
更に美人だ。通りから外れた路地をバックに、両手にジュースを抱えているだけだというのにその姿は思わず息を飲むほどだ。
……天は二物を与えず、というのは嘘だ、と素直に思う。
欠点なんて見当たらないし、きっと困ったことなど自分だけでどうこうできてしまいそうだ。
そこで初めて、張り詰めていた気分が少しだけほぐれる。完全ではないのは、サレンを疑っているわけではなく、単純に街中だからだ。相談しようと凸ってくる連中はクウカの事情など理解してくれない。誰といようと来る時は来る。恩人であるサレンを嫌な気分にはさせたくない。その思いが、クウカを半分警戒状態に留めたのだ。
に、しても。
こんなところでサレンと出会うなんて珍しい。
言ってしまうと、通りから外れているのであまり治安の良い場所ではない。クウカだっておっかなびっくりだ。いつガラの悪い連中からドSさんばりの無理難題を突きつけられるかと思うと……じゅるり。ではなく、怖い。
対して、サレンは貴族の子女だ。本人は爵位を持っていないものの、貴族の子女となれば護衛がついてもおかしくない。そんな立場の人間がこんなところにいるなんて。
しかも、なぜかジュースを二つも持って。
……初見でも気付いていたが、緊張状態なのでサレンよりも周囲への警戒がより優先順位が高かったためだ。
クウカの警戒心が一段階昂ぶる。じゅるり!! じゃなくって、いやサレンみたいな美少女に強気で命じられると思うとご飯が進む(暗喩)だけの昂りはあるが、今は警戒しなくてはならない。
クウカがその先を……ご飯進む(暗喩)方ではなく、サレンの不自然な動向について思いついた、その瞬間。
思考を遮るようにサレンが言葉を並べる。
「ちょうどよかった。
実はそっちの通りで友人二人と買い物してたんだけど、休憩用にジュースを買ったタイミングで向こうに急用ができてしまって。
返品しようにも、食べ物でしょう? どうしようかと悩んでたら見慣れた姿が見えて。
よかったらもらってくれない?」
そういう事情だったか。なんとなく言い訳じみた長文だったが納得できた。
それより、気になる一言があった。
「あのぉ……すぐにクウカだって分かりました?」
わざわざ変装していたというのに、見慣れた姿、と言われてしまった。そんなに変化がなかったということだろうか。
「え? ……え、ええ。変装には……なってないわね」
少しだけ顔がひきつっていながらも、素直に答えてくれる。こういうところもありがたい。あまり知りたくない事実だったが。
サレンから手渡されたジュースのカップは結露で薄く濡れている。購入してそう時間は経っていないようだ。とはいえ、このまま立ち飲み、というのはちょっと下品だ。相手は貴族なのだし、せめて椅子があるところまでは行くべきだろう。
……と思っていたら、サレンはあっさりとカップに口をつける。
こくり、と喉が鳴る小さな音がやけにはっきりと聞こえる。皆と同じ仕草のはずなのに、なぜか洗練された所作のように見えてしまう。やはり美人は得だ。
「……ふぅ。
あ、ちょっとはしたなかったわね。ちょっと喉乾いてて。
クウカも、どうぞ?」
そう言われて、クウカも喉の乾きを思い出す。こそこそ、と歩いてきたのと、警戒状態が長かったこともある。品がないと遠慮していたが、奢ってくれた相手は飲んでいるし、促されては飲まない訳にはいかない。
サレンの言葉に甘え、
「で、ではいただきますぅ……」
一口だけ含むと、じわり、と水分が口に染み込む。それと同時、体が欲していた甘さが広がる。砂糖のようなメリハリの効いた甘さではなく、熟した果実由来の、幾重にも深みを感じる甘さだ。少し喉に引っかかる、この濃さもまたいい。
この味はよく知っている。ウィンドウショッピングをしていて、その休憩時に購入しているクウカの好きな果実ジュースだ。
同性から見ても素敵なサレンに、自分の好きなものを知ってもらえている事実はとても…………あれ?
異変に気付く。
(……なんで、クウカの好きなジュースを知っているんですぅ?)
クウカはサレンと一緒に行動したことはない。それに、ウィンドウショッピングはクウカ一人で楽しんでいるため、ギルドの面々だって行動の詳細までは知らない。
なのに、なぜこんなにピンポイントでクウカの好みを把握しているのか?
いや、思い込みだろう。この辺でジュースを売っている場所なんていくらでもある。そのうちの一つなのだから……否。このジュースを売っているのは確か、三ブロック後ろ。【ヴァイスフリューゲル ランドソル支部】のギルド近くだ。
そんなところでジュースを買って、結露が少しだけ?
じわり、と背中に冷たい汗がにじむ。
果たして、本当に偶然なのか?
むくむく、と警戒心が膨れていく。
クウカの
ここにいてはまずい。ご飯(暗喩)が進んでしまう。いやでも、これだけの美人から命じられたら……じゅるり。
だが、体は正直だ……そういう意味ではなく。
自然と、サレンから距離を取ろうとして、軽く身動ぎする。
その瞬間。
サレンがぐりん、と音がしそうなほどに性急な動きで首から上をクウカに向ける。そして、色を感じさせない目でクウカの動きを諌める。その目でしばらくクウカを眺め、移動の意思がないことを確認できると、ゆっくりと表情を和らげる。
それは先ほどと同じ、朗らかな表情だ。
……目以外。
その目は朗らかさとは一切無縁、殺伐を表現していた。
嫌でも思い出す。
これは、『
つまり、
「また相談と称した自分語り聞かされるんですかぁ~~~っ!!」
そういうことだ。
……お疲れ。
「これは私の、友人の話なのですが」
アキノはあっさりと事実を口にする。
隠すことなど何もない。ただ、サレンとうまくいっていない、と素直には言えなかった。
ちょっとぎくしゃくというか、これまでの関係とは違う方向に行っている自覚がある。とはいえ、明言することで本当になってしまいそうだった。
だから、名前は控える。その代わり、内容はそのままで。
「これまで懇意にしてきた友人が、私に対してちょっと当たりが厳しくしてきまして」
端的すぎる気もするが、それ以上となると長文になるし、アキノが悩んでいることが薄くなってしまう。
今回解決しなければならないのは、今のぎくしゃくした関係を解消すること。それだけを考える。自分の気持ちは……流石に自分でなんとかしなくてはならない。
問題が山積しているからといって、一気に消し去ることはできない。あくまでひとつずつ解消していく。
一方、アキノの正面に座るユカリは冷静だった。
「これは私の、友人の話なのですが」
この切り出し方を受け、
(ああ、サレンさんとのことね)
あっさりと正解の変換を行う。
ユウキ捜索に奔走していたあの日、アキノは夕方まで戻ってこなかった。
すわ抜け駆けか、と疑念を抱いたが、戻ってきたアキノは疲れ切っていた。その落胆ぶりから抜け駆けの線は消えたものの、そのまま解散を宣言したためにそれ以上の追求はできなかった。
それ以降、どことなく腑抜けた感じがしていたが、そういうことだったのか。納得した。
(サレンさんと明言しない、ってことはこれまでとは関係性が変わったことに戸惑っているのね)
更に、
「これまで懇意にしてきた友人が、私に対してちょっと当たりが厳しくしてきまして」
(……ふーん。仲良しこよしだったこれまでとは一転、友人としてぶつかるべきところが見つけられるようになったんだ。
アキノさんもサレンさんもお年頃、ってことね。
じゃあ……アドバイスはナシの方向で。これは自分で見つけてもらわないと、ね?
その代わり……そうね、その手がある)
ほぼ正確に状況を把握し、自身の方針も定めた。
広場に備え付けられている長椅子の左側に座ったサレンは、視線で逃さないように連行してきたクウカを右側に座るよう促す。怖いのでクウカが従うと、今度はそちらを見ることなく口を開く。
「これはと、友達の話なんだけど」
クウカは叫ぶ。
「その入りで友人の話じゃないのは丸わかりですぅ~~~っ!! ご自分の、雑な、語りなんでしょおぉ~~~っ!!」
もううんざりだ。ベタすぎる。もう何人目だと思っている。しかもその連中も偽りきれていない。その度、律儀なクウカは叫んだ。何度でも、何度でも。そして何度も繰り返されたため、もう慣れきってしまった。
そんなクウカの魂が乗った叫びに、流石のサレンもたじろぐ。
「そ、そんなわけないでしょう、ははは、まさかまさか」
声が泳いでいる。クウカからは見えないが、まず確実に目も泳いでいるだろう。
つまり自分のことを相談したいのだ。確定した。なのでもう帰りたい。
だが、クウカは理解している。
手にしたジュースに視線を送る。一口飲んだ後は口をつけていないが、
(クウカは正式に依頼を受けたわけではないですが、このジュースに口をつけた、ということは略式で受けた、ということですぅ)
完全に油断していた。
否。
サレンに限って、そんな搦手を使ってくるとは思っていなかったのだ。来るならもっと真正面からと思いこんで…………あれ?
異変に気付く(二度目)。
(サレンさん、以前と考え方が変わってますぅ?)
正確には考え方というよりはその派生の仕方、だろうか。
今までのサレンであれば、こんな搦手ではなくきちんと正面から依頼してくる。クウカが難色を示せば、交渉を仕掛けてくる。あれこれとアメとムチを並べ、クウカの首が縦に振られるまで続ける。
時間はかかるだろうが、双方が納得する方法を採用する。
だというのに、今回は力技と言っても過言ではないような強引さだ。
ただ、短い付き合いなので確実とは言い難いが、時間をかけずに目的を達成しようとするなら今回のような少々強引な手段も取るだろう、という予感はあった。
とはいえ、そこまで切羽詰まることもないだろう、とは思っていた。何しろサレンは人を動かすのがうまい。クウカも、知らずに仕事をさせられていたのだから……ちょろいから? ち、違いますぅ本当に上手なんですぅ!!
「またアイツったら妙なことに巻き込まれて……クウカさん、だっけ? 貴方も大変ね」から始まって、次は「ねぇクウカさん、貴方の
……今回はクウカのちょろさではなく、むしろ迂闊さがサレンの攻撃的な部分を引き出しているので自業自得だ。
欲しがりのうっかりクウカはともかくとして、サレンへの考察はほぼ間違っていない。
確かに、サレンの思考は変化した。一歩引いて自分の気持ちを控える消極的なスタンスから、自分を主張して独占しようとする積極的なスタンスへ。
それは親友でありライバルであるアキノと同じスタンスに変化することだ。
だからこそ、サレンは悩んでいる。
恋愛のあれこれにするとサレンが頭抱えて悶えるので経営に例えると、同じ目標を掲げた同業者が同じ経営戦略を掲げる。そうなると、先行している方がより早く目標にたどり着くことができる。これは火を見るより明らかだ。
そして、アキノは既に先行どころか大逃げを打っている。何しろ意思表示は既に終えている。ユウキが煮え切らない、というか少し引き気味なので差がないように見えるだけで、実のところは誰よりも至近に迫っている。
追込タイプのサレンはこれからの脚勢に期待したいところだが、この恋愛レースは変則ルールだ。どれだけ進めばゴールするかが分からない。もしかするとアキノは既にゴールを通り過ぎているかもしれない。
だからこそ、ついてしまった差がそのまま結果に直結する。
なのに。
なのにアキノは、サレンをいつまでも同格に扱う。
これまでと同じ、友人として。
口ではライバルなどと言っているが、それはアキノの性格ゆえの発想から出した関連だ。本当の意味で競り合おう、だなんてこれっぽっちも考えていない。
それが気に食わない。
対して、サレンは本気になった。汚い手だろうがなんだろうが、自分が許せば使う。最小のリスクで最大の効果を得られると判断したならためらわない。
その現れとして、アキノへの攻撃だ。
ジュンが手を下したとはいえ、提案を許可したのはサレンだ。つまり、サレンがアキノを攻撃したのと同意だ。
もちろん、多少は行き過ぎたとは思っている。
だが、そうでもしないとアキノはこちらを、サレンを敵だと認めてくれない。
ただ、やはり暴力はダメだ。しかも何の罪もないアキノを打撲した上、放置した。もう人としてどうか、というレベルだ。
だから、正式に謝罪をしたい。その上で、新たな関連を築きたい。
とはいえ。
(素直に謝罪するというのも……)
謝罪に難色を示しているのではない。謝罪はできるし、きっと受け入れてくれる。
問題は、その行動に至った根本についてだ。
何しろ、敵として認めてくれていないから殴った、だ。
そのまま謝罪すれば、おそらく以下の通りになる。
「あたしを敵として認めてほしくて実力行使しました。ごめんなさい」
「無理ですわ。サレンさんは私のお友達ですもの。
まさかそんな理由で私に暴力を?
……お可愛いこと」
目を細め、口元に指を添えたアキノの絵が浮かぶ。
なまじ似たような境遇だからめちゃくちゃ似合ってるのも気に入らない。
それもあって素直に謝りたくない。それに恥ずかしすぎる。というか古今東西、そんなことで暴力を振るうだなんて。孤児院の子供でもやらない。やったらあたしが怒る。つまりあたしがあたし自身を許せない。なのにアキノさんに許してほしいだなんて虫が良すぎる。
だから。
サレンはクウカへと向き直ると、
「喧嘩してしまった相手との仲直りの仕方について相談したいのだけど」
素直に、そう言い切った。
対するクウカは素直に驚いていた。
(なんでもかんでもクウカに聞かないでくださいぃ~!!)
ではなく。
(完璧に見えるサレンさんも、悩むことがあるんですね……)
クウカが世話になっていた時に見ていたが、サレンの働きはまさに八面六臂。率先して自分が動き、課題をバンバンと片付けていく。
その働きには悩んでいる素振りはなく、結果へと至る手順を辿っているかのようにしか見えなかった。まさに、課題の山が物理的に見えていたとしたら、根本からごそり、ごそり、とスコップで削り取っていくかのようだった。
そんな相手からの相談だ。
クウカは顔をひきつらせる。
「サレンさんが悩むことを、クウカが解決できるわけないじゃないですかぁ!!」
素直に、そう言い切った。
「実は先日、その友人からいわれのない暴力を振るわれまして」
アキノの告白に、ユカリは目を見開く。
「えっ!?」
いくらこじらせたからとはいえ、まさかサレンがそこまでするとは。
思わず激昂する。
「それはダメじゃない!! 暴行罪よ!! ケダモノよ!!」
「ケダモノ!? い、いえ、ただの当て身でしたから」
「だとしても!! 暴力はダメよ!! モラルがないわその相手!!」
「はぁーーー? なんですかぁその理論~」
サレンの告白に、クウカは白い目を向ける。
「クソオブクソじゃないですかぁ。自分からやっておいて、よくもまぁぬけぬけとホザきますねぇ~」
クウカの叫びを無視したか……友人の話なんだからとことんこき下ろす。
「モラル、ってのがないんですかねぇ。絶対面倒くさいですよサレ……その友人」
「今あたしって言わなかった!?」
「言ってませんよぉ? ご友人の話、なんですよねぇ? 自意識過剰じゃないですぅ?」
「くっ……。
い、いやまぁ、それでも友人は暴力を振るうべきじゃなかったのも確かだと思うわ。
もっと穏便に済ませる方法はあった筈なのに、そうしなかった」
否。
「そうしたくなかったのよね……」
「でも、その件は間接的にではありますが一応謝罪はありましたし、決着はしているんですのよ」
直に手を下したジュンからは直接、そしてジュン経由でサレンから謝罪の書簡はもらった。内容も特に問題はない、簡素な謝罪の文言が認められていた。だからこれ以上の追求はなし。そう決めた。
決めたはずだった。
「ですが……その謝罪があまりにも形式的すぎて」
「あぁ、それはイヤよね。謝罪したからって暴力を振るった事実は残るもんね。そんな軽い出来事じゃないはずなのに」
こういう時、ユカリは素直だ。いいことはいいと褒めてくれるし、悪ければきちんと叱ってくれる。
だから、共感してくれることは嬉しい。
だが、アキノはどうしてもしっくり来ていない。
あのサレンが、何も考えずに暴力を振るうだろうか。何か、見逃していることがあるような気がするのだ。あるいは、サレンが込めた意味とアキノが捉えている意味との間に隔たりがあるような……。
それが分からない。
分からないから、
「少しだけ、恨めしく思ってしまうのも、仕方がありませんわ……」
「うるせぇバーーーカ!!」
クウカはサレンを見下すように顎を上げて気持ちよく叫ぶ。
「謝ったんですよねぇ!? だったらその話はそこでおしまい!! 何ひきずっとんねんって話ですよぅ!!」
クウカはすっかり忘れ……サレンの作り話に乗っかり、宣言する。
「クウカから言ってやりましょうか!! その馬鹿な友人に、ビシッと!!」
すると、隣から腹に響くような低い音が帰ってくる。
「お前を、殺す」
グリーンリバーライトに近似したイケボを受け、漏れ…………ご飯(暗喩)行けてしまった。そして、先程まで感じていた強気な感覚は霧散してしまった。
今はもう、
「ひえぇぇ、す、すみません調子乗りましたぁ!! もっともっと!!」
いつものエンジンがかかった。じゅるり。平謝りするしかない。でもきっと聞き入られず、クウカは衆人環視の元、サレンさんにいいように……ぐふふ、ぐふふふ。もっともっと!!
……結局、アキノもサレンも自身の抱えた悩みに対して結論を出せないまま、初会合の日が来た。
ジュンの要請により、会場はサレンディア救護院の庭となった。
サレンは考える。
「なぜ庭?」
それも気になるが、それ以上に先日の悩みが解決していないというのに、今日を迎えてしまった。つまり、この後何の対策もなくアキノと顔を合わせるということだ。
とはいえ、クウカとの会話で、ある程度方向性は見えた。
きちんと、正面から謝罪はする。それをしなくては仁義に悖る。
ただ、なんと言えばきちんとこちらの思惑が伝わるのかが分からない。
これまでに何度も繰り返してきたシミュレーションを再度開始する。
「ごめんなさい、アキノさん。
許してくれとは言わないわ。だからあたしを敵として認めて」
「許すも何も、サレンさんは私のお友達ですから。謝罪はともかく、敵と認めるなんてできませんわ。
あら、もしかして私に敵と認定されたいと?
……お可愛いこと」
目を細め、口元に指を添えたアキノの絵が浮かぶ(三時間ぶり59回目)。
ダメだ。許しを得られないのだから敵対、というパターンも考えてみたが、アキノはサレンを敵とは認めてくれないだろう。くっ、ここまでアキノに包容力があるとは。
もっと、他の方向性はないだろうか? あ、これまでと違うパターン思いついた。
「謝らないわよ、アキノさん。
だから、私を敵として見て」
「……ええと、サレンさん? 友人として、それはどうかと思いますわ。
あと、敵? どういうことでしょう? 私とサレンさんは友人でしょう?
あら、もしかして私に敵と認定されたいと?
……お可愛いこと」
目を細め、口元に指を添えたアキノの絵が浮かぶ(37秒ぶり60回目)。
これも、経緯としても結論としてもダメだ。結論が全く一緒になってしまう。あれこれあたしの想像力がないせい?
「ぐぬぬ……」
謝罪しつつ、しかし本当の意味で競い合える、アキノのライバルになる方法などあるのだろうか?
アキノはジュンと共に、馬車の客車に腰を落ち着けていた。
その行き先は、もちろん【サレンディア救護院】だ。
サレンディア救護院はランドソル郊外にある。公共事業に資金が十分に投入されていないため、街道以外はきちんと整地されていない。歩く分には気にならないが、人員輸送用の小型の馬車となると揺れを体感する。ただ、馬車だけでなく客車内部に備えられた豪奢な座席にもスプリングが仕込まれているらしく、その揺れの大部分を吸収してくれていることが救いだ。
今アキノが気がかりなのは、その揺れでお茶会用の荷物が崩れたり壊れたりすることではない。正面に座るジュンがどことなく浮かれていることでもない。
……【
話を戻すと。
どんな顔をしてサレンと顔を合わせていいか分からない。正確には、サレンの真意が分からないのでどう対応していいか分からない。
結局、ユカリとの会話では不自然なまでに共感されて終わりだった。ユカリの優しさは嬉しいが、欲しかったのは明確なアドバイスだ。麦しゅわ飲ませればよかったのでしょうか。
その点、ユカリではなくミフユの方が良かったかもしれない。すぐに結論出さないと効率的じゃない、という信念があ……いえ、そんな面倒くさい相手とは縁を切った方が効率的、とか言い出しかねませんわね。やっぱりナシで。
分からないならいつも通りに振る舞えばいいのではないか。ついさっきそう考えた。
だが、
(……私、サレンさんと会う時ってどんな顔をしてましたっけ)
それすら分からない。
アキノは顔芸ができない。すぐに感情が出てしまうと言われ続けてきた。なのに、親友と会う時の顔が作れないなんて。
だからだろうか。
「アキノちゃん。何か、悩み事かい?」
ジュンにすら気を使われてしまう。
どうしよう。アキノは素直に悩む。
ジュンはユカリよりも年長者だ。だから人生経験も豊富なように見えるが、対人スキルは最弱だ。アドバイスを求めてもありきたりなことしか帰ってこないだろう、という確信がある。
だからといって、無私の善意を無視できるほどアキノは悪人ではない。
果たして。
「実は、先日のことが気になっていますの」
誰と言わなければ、ジュンに当身を食らったことが気になる、と取れる。サレンと出会うことにまだ気がかりがある、とは思わないはず。
……たぶん。
すると。
「……それは、そうだね」
鎧が発する声のトーンが少しだけ低くなる。それはまるで、自分がしでかしたことを悔いるように。
だが、
「サレンちゃんが、あそこまで感情を出すのは初めてだからね」
ジュンはあっさりと主語を補完してみせる。
……なぜバレた!? え、顔に出てました!? 対人スキルザコオブザコのジュンさんが!? あいや失礼。でもなぜ!?
ジュンはアキノの動揺に気付いていないように続ける。
「暴力的な提案をしたのは私だけど、サレンちゃんからゴーサインが出るとは思わなかった。
……今回の議題とする、例の妙な光景を見て、サレンちゃんも戸惑っているんだと思う。あるいはそれを見て、変わらなければならないと感じたのかもしれない」
なるほど、と素直に思う。
てっきり、アキノがユウキを危険な目に合わせたからだ、と思っていた。それもあるだろうが、あのコッコロとユウキが目の前のジュンと敵対するなどという非日常的な光景を目にすれば考え方に何らかの変化があってもおかしくない。
アキノですら、その光景には違和感しか覚えていない。ジュンの口ぶりからすると、サレンやジュンはもっと衝撃的な光景を目にしていたかもしれないのだ。
そしてサレンは、そこから何かを感じ取り、変わることを自身に課した。
その変化が、暴力を振るうことも辞さない、ということなのだろうか?
(……違いますわね)
サレンは時折迂遠な物言いをすることがある。商人として直接的な表現を使わないという意味ではなく、本当に遠回しな言い方を用いる。貴族言葉を使うこともあるが、それでは通じる相手が限られるので大抵は薄皮に包んだ物言いだ。それは直接伝えないことで波風を立てないようにするサレンなりの配慮だ。
だとするなら、暴力すら可愛く思えるような強烈な事実を含んでいる、ということだろう。
あるいは、アキノ相手だから暴力を振るった、とも言える。
(……私、だから?)
自分で考えておきながら、どういうことだろうと思案に耽る。
(……頑丈、だから?)
まさか、そんな理由で暴力を肯定されると流石に凹む。第一、アキノ以上に頑丈な連中は多い。目の前は見た目からして硬いし、アイドルなんて全員硬い。
一人は召喚した精霊だがあれを崩すとなると一苦労だった。結局範囲攻撃で本体を叩くという、最も格好悪い方法で勝利を強奪するしかなかった。
……いえ、開花時のシャドウ戦の感想なんて聞いてませんのよ。私の話です。
アキノは再び考える。
サレンとの関連となると、即座に出てくるのは親友であるという事実。
商人であること。
実業家であること。
同性であること。
そして、ライバルであること。
あとは…………なんだろう。思いつかない。
恐らく、この中に答えがある。直感なので確実だ。
だが、足りないのも事実だ。直感なので確実だ。
……きっと、既存の事実と、不足の事実を組み合わせたもの、ということでしょうね。でなければアタオカですわ。
ただ、その不足が分からない。
「ぐぬぬ……」
暴力を振るいつつ、しかし本当の意図を隠した、サレンの心境の変化とはなんなのだろうか?
不屈の盾の異名を持つジュンは、その名の通り諦めることを良しとしない。根が真面目かつ正直であり、加えてそれだけの実力があるためだ。
だが、今回ばかりはそのキャッチフレーズ……いや異名だが、それを封印したくなっていた。
何しろ、期待していたような雰囲気ではない。正直に言うと、悪い。
その元凶は、言うまでもなくサレンとアキノ両名。
双方ともに、テキパキと食器や……名前が分からない。ええと、食べ物を盛るタワーみたいなのを設置していく。
淀みなく進める様に問題があるわけでもないし、会話がないわけでもない。
「アキノさん、このティーセット、二組しかないのだけど?」
「もう一組は違う箱に入れてきましたの。私が対応しますわ」
こんな風に、きちんとコミュニケーションも取っている。
なのに、なぜか空気が重い。
双方ともに素っ気ないのは事実だが、露骨に悪感情を持って対応しているわけでもない。
それに、無視しているわけでもない。サレンもアキノも、きちんと相手を見て作業をしている。相手の動きを読み、邪魔にならないように予測して動いているのは流石だ。
そこまでしているのだが、その態度がまるで関連の浅い顧客仕様なのだ。
なんというか、もっとこう……友人同士で和気あいあいと用意する感じでは一切ない。
サレンディア救護院に到着し、すぐにこれだ。それがこの先も続くとなると……。
(ダメだユカリちゃん、私には荷が重い)
先日、定例のサシ飲み会に参加したジュンは、サシの相方であるユカリから、アキノがサレンとの関連に悩んでいる、と聞かされた。
「アキノさんがね、真剣な顔で『友人からの当たりが強くってどうしよう』なんていうから驚いちゃって」
ぐびり、と麦しゅわのジョッキを煽る。
「ユカリちゃん。個人のプライベートをそう簡単に口にするものじゃないよ」
ちろり、とワインのグラスを舐める。
「本音は?」
分厚いベーコンをかじる。
「なにそれ面白い。お金払えるじゃないか」
チーズと薄焼きのパンを一緒に頬張る。
「そっちの方がどうかと思うけど……」
ぐびり、と麦しゅわのジョッキを煽る。
「安心してくれユカリちゃん。今度二人と会うから、その時にきちんと仲直りさせてみせるよ」
がぶり、とワインのグラスを干す。
「……ジュンさんってそういうキャラだっけ?」
酔眼のユカリは訝しげにジュンを見る。
「そんなキャラ付けはないけれども、なんだか最近、
だから期待してもらっていいよ」
ジュンは鎧の胸部をユカリに見せつける。
そして、同時に言葉を放つ。
『生、おかわり』
「は~い生二丁~」
宣言通り、その日の払いはジュンが行った。
(……明日から頑張る。だから今日は見逃してもらえないかな?)
すっかり気弱になった、ジュンの率直な心境だ。
だが、彼女は軽く兜を左右に揺らす。
(いや、ユカリちゃんは暗に、私に事態の収拾を依頼したんだ。ここでくじけてどうする)
不屈の盾は、そう簡単には屈しない。
(要するに、二人を一気に仲良くさせよう、とするから荷が重いんだ)
タレコミがあったのはアキノなので、アキノの態度を軟化させればいい。
それならできそうな気がする。
ちょうど今、サレンが救護院内に向かったため、アキノが一人になった。
今しかない。
再び、
「アキノちゃん。君に、話があるんだ」
ちょうど救護院内に用事があったためにその場を離れたものの、
(どうしよう……)
サレンは動揺していた。
周囲に誰もいないことを確認し、それでも表情は崩さないままに息を吐き出す。
顔を合わせれば、なんとなくその場の雰囲気で喋れるようになる、くらいにしか考えていなかった。
というより、アキノまで悩んでいるとは思わなかった。
アキノは何もないように振る舞っているが、そういう時こそかなり深刻な状況にある。何度も見てきたのでよく分かる。
意味が分からない。なぜアキノまでそんな状態になっているのか。
否。
恐らく、サレンの緊張が伝染しているのだろう。ああ見えて、アキノはその場の雰囲気に影響されやすい。となると、このまま妙な空気のまま、お茶会と称した情報交換の場に臨むことになる。
いくら実務的なサレンでも、友人といるのに気楽さとは無縁の状態で終始いるのは御免だ。
やはり、改善のためにはサレンから謝罪するしかない。
この際、敵だの何だのというのは二の次。今をどうにかしないとこの先すらない。
……否。
謝ってどうするのだ。
これまでのシュミレーションの通り、どうせ「……お可愛いこと」を引き出すくらいにしかならない。
アキノだって現状には悩んでいるはずだ。なら、堪え性のないアキノから態度を軟化させるに決まっている。
ならばどん、と構えていればいい。
そんな折。
「サレンさん」
背後からアキノに声をかけられる。急だったため、思わずびくり、と肩が震えてしまった。
……ビビっている、と思われるのは心外だ。誤魔化すように大きく動いて振り返る。
そこには、アキノがいた。
ただし、サレンが思っている以上に近い。
否。近すぎる。
サレンの足で一歩と少し。アキノなら、一歩だ。
つまり、既に手が届く位置にいる。
その事実に気付いた時には、既にアキノは右手を体の横、肩上にまで持ってきていた。そして、素早く内側へと振り抜かれていた。
距離とその迅速さに呆気にとられてしまったものの、即座に軌跡を計算する。
否。
そんなことをしなくてもわかっている。その動きは、サレンの頬を叩こうとするものだ。
だが、納得した。
それはそうだろう。先に殴ったのはサレンだ。目には目を。それをしなければ、謝罪は受け入れられない。アキノがそう考えるのは当然だ。
……納得はしている。しているが、それではサレンの目論見である、本当の意味で戦えるライバルとして認識してもらうことはできない。
結局、関係はこれまで通り。
……残念だ。
だが、それでいい。サレンはあっさりと納得した。
ライバルである以上に、親友なのだ。
気が合い、話が合い、立場も似ている。
そして、好きな相手が同じ。その想いの大きさも同じ。
そんな相手、もう現れることなどないだろう。
……最近知り合ったアイドルを思い出したが、あれは立場が違うので排除。気も合わない。合わないったら合わない。
それに、こんな風にサレンの一方的な思いを無理やり押し付けるようなやり方にはやはり抵抗がある。
第一、親友として今度も過ごしていればライバル宣言をする機会は訪れる。その時が来るまで、関係がこじれないようにすることもまた大事だ。
そう考え、素直に、サレンは目を閉じた。
だが。
いつまで経っても、打撃はない。肌を叩いた時に生じる甲高い音もだ。
その代わり、平手が着弾するだろう箇所に何か尖ったものがちくり、と刺さる。
その違和感に眉が動くが、目は開けない。アキノからの罰を受け入れることにしたのだ。彼女が動きを止めるまでは無抵抗であるべきだと思ったのだ。それがサレンの覚悟だと示すために。
刺さっただけで終わりかと思ったが、サレンの肌を刺したまま外側へと動く。
くすぐったい。堪えられない程ではないが、長くなると少し身じろぎしそうだ。
そう思った矢先、その動きは止まる。そして、尖ったものがサレンの頬から離れる。
恐る恐る目を開けると、そこには少しだけぎこちない笑顔を浮かべたアキノがいた。
そしてアキノの手、さっきまで頬の上を動いていたものの正体を目にする。
アキノが手にしていたのは、全天候でも問題なくサインできるインク封入済みのペン。それは【
ただ、機構が複雑でインクも専用のものでないと液詰まりを起こしやすいため、退団時に返却していた。だって高いんだもの。使い勝手はいいけどねー……。
つまり、その特殊なペンを現役で使っている人は、サレンの周囲には一人しかいない。しかも、扉の向こうに。
(ジュンさん……ありがとう)
やっぱり尊敬でき、頼れる先達だ。本当にありがたい。
同時に気付く。
それを持っている、ということは。
ぎこちない笑顔のまま、眉を少しだけ下げたアキノが口を開く。
「大事なものには名前を書く。素晴らしい文化ですわ。そして、それを実践されていると」
視線に力がこもる。サレンを非難するかのように。
「……ユウキさまに、書いたそうですね」
思わずサレンが身動ぎするが、アキノは意に介した様子もなく続ける。
「だから、私を遠ざけた?
……いいえ、今は問いませんわ」
その視線は十分問うてるじゃない、と思う。
アキノにもそれが伝わったのか、首を小さく首を横に振って続ける。
「だから、貴方に私の名前を書かせてもらいました」
言われ、そっと左の頬に指を添える。なめらかな肌の感触以外に、少しだけ凹凸を感じる。それだけで『アキノ』と書かれているかは分からないが、そこで嘘をつくことも必要もないので、アキノの宣言通りだろう。
つまり、アキノが言いたいことは。
「ユウキさま同様、あなたも私にとって大事な人ですわ。
同性の親友として。商人として。実業家として。
そして」
笑みを緩やかにしてみせる。
ただ、目に力は入ったままだ。
それは先程とは異なり、真正面からサレンをねめつけるものだ。その視線にはアキノらしい、負けん気の強さが見て取れた。
その表情はまるで、
「全力で競い合える相手として」
サレンが願い求めた
その表情のまま、アキノはペンと指先の上でくるり、と回す。サレンにペンの尻を向けた形、否、サレンがペンを取りやすい格好だ。
心持ち左頬を前に出しながら、
「あなたにとって、私はどういう相手ですの?」
問いかけてくる。
そう言われて、引く気はない。
何の逡巡もなく、差し出されたペンを手に取ると、無言でアキノの頬にペン先を置く。
そして丁寧に、『サレン』と書き込む。
……『アキノ』と書こうとしてしまい、『サ』が歪んだのは内緒だ。
書き終わり、どちらともなく吹き出す。
「いい年して、なんだか気恥ずかしいですわね」
「そうね。でも、そういうことができる相手ってありがたいわ」
素直な感想だ。
そして。
「……これからは、いつも通り、よね」
サレンの確認するような言葉に対し、
「いいえ」
アキノはあっさりと首を横に振る。
そこに浮かんでいたのは、先程浮かべた表情だ。
眉が立ち、目はまっすぐにサレンを見据え。
口角は少しだけ上がっていて、なんとなく余裕を感じられる。まぁ、気の所為って分かっているけれども。
その表情のまま、アキノは宣言する。
「同性の親友として。商人として。実業家として。
そして、恋愛に関しても。
公私全てに至るまで、全力で競い合う
その宣言に、サレンも顔を変える。
眉を立てて、目はまっすぐにアキノを見据える。
口角は少しだけ上げて、多少の余裕を演出。そんな必要はないけれど、なんとなくそうしたかった。
その表情のまま、サレンは宣言する。
「全身全霊、受けて立つわ」