ティアナ様は告らせたい~少女(一部女性含む)たちの恋愛頭脳戦~ 作:アルブレヒト・ミュンヒハウゼン
若緑色の長い髪を風に遊ばせながら、アイドルグループ兼ギルドである【カルミナ】に所属しているチカは周りを見渡す。
視界に映るのは、いくつかの小さな雲が浮かぶ青空。その青色は地上で観測できるよりはやや薄く、そして雲の位置も目線よりも少し上に感じられる。こんなに近くに見えると、手を伸ばせば届きそう、などと錯覚してしまう。
それもそのはず、今彼女がいるのは飛空艇の中。フローラ湖畔を越え、タリア火山へと差し掛かる上空だ。平野から山地へと切り替わるため、徐々に飛空艇の高度を上げているのだ。そのため、普段は感じられない空の色の違いが実感できている。
その変化が興味深く、チカは少し前から風景に見入っていた。
チカは唱喚士として魔物と戦うことを第一義としている。それは本人も自認しており、同時他の人間にも公言していた。そのため見落とされがちだが、チカはアーティストとしての才覚、特に感受性に優れている。チカ自身、【カルミナ】結成当初は戦闘以外で歌を歌うことに抵抗があったため、そんな感覚があるとは思っていなかった。
だが、アイドルとして人前で歌うことに抵抗がなくなったこと、そして踊りを交えて表現することでこれまでの自分の不足に気付くことができたこともあり、もともと備わっていた感覚が磨かれ、開花したのだ。
加えて、ノゾミとツムギの存在も大きい。同じユニットの構成員である彼女たちの持つ能力に触れるだけでなく、パフォーマンスを間近で見ることで自身の表現力のなさを実感することができた。
チカは歌を媒介として精霊を召喚する
とはいえ、チカは自身の美貌にそれなりに自信を持っている。涼し気な目元に、すっと通った鼻梁。薄くつややかな唇。女性としての身体的なボリュームはそこまでではないものの、その分様々な服を試せる。
だから、ただ歌を歌っているだけでも十分だと信じていた。相手に届けるのに必要なのは歌の技量だ、という確固たる思いも相まって、歌唱力だけを絶対視していた。
ただ、考えてみれば当たり前のことで、歌とは誰かに伝える手段だ。アイドルとしての活動では精霊ではなく、人間に伝える必要がある。ただ、人間相手には精霊以上に様々な情報を伝えられる。その情報の伝達手段が自身の見た目や演出、舞踊能力というわけだ。
逆に言えばチカにとってその観点はなかったからこそ、その発見が更なる高みに登れるという自信に繋がった。別に、
……今チカが抱いている感覚は、芸術系の人間にはありがちな思考と感覚によるものだ。
ひとつの分野に秀でた者は他の分野においても習得速度は常人と比較して数倍早い。しかも、学習は真似るところから入れば習熟は格段に速い。その真似る相手が自分よりも優れているなら観察も、そして理解もしやすい。
その結果、チカは恐るべき速度でトップアイドルと遜色ないパフォーマンスを身につけることに成功した。
ただ、同時に物足りなさも感じていた。
ノゾミとツムギは間違いなく一流のパフォーマーだ。そこは疑いようがない。
ツムギはただ動けるくらいだったはずだが、レッスンを重ねるごとにめきめきと上達していき、今やノゾミに匹敵するほどだ。
対して、基礎がしっかりとできていないチカにとっては、彼女たちを真似るだけでも十分なレベルに達している。ファンからの評判も悪くない。
だが、チカが求めているのは真似て得られるレベルや、悪くない、で終わる程度のものではない。
彼女たちと遜色ないレベルの実力が欲しい。
彼女たちの隣にいても、見劣りしない能力が欲しい。
否。
彼女たちに勝るとも劣らない、聴衆を虜にして釘付けにするだけの、圧倒的なスキルが欲しい。
……チカが陥っているのは、生真面目な人間が突き詰めると簡単に暴走する典型的な例だ。とはいえ、それだけの伸びしろがあるからこその発露なのだが、そのステージに至るためには熱意だけでは到底追いつけない。絶対的な時間と質が求められる。
ノゾミは既にそのふたつにリソースを突っ込んでおり、ツムギは生来の運動神経と優れた観察力のおかげで、ノゾミに追従するほどのスキルを身に着けている。
チカは二人に体力面で劣ることはないものの、これまでは単純に体を動かす程度の経験しかなく、そしてサポートに長けた後衛職ということもあり、運動神経はそこまで優れてはいない。加えて、これまでソロで活動していたため、視野が広い方でもない。
だから、人一倍の努力が必要とされる。それこそ、寝食を削るほどに。
だが、チカの本分は魔物を退治し、人々に安全を提供することだ。
アイドルとしての能力を追求する時間があれば、ひとつの村を守ることができると知っている。それは比喩ではなく、限りなく現実的な真実だ。
だからこそ、チカにとってこの思いは決して叶うことのない妄想じみた願望でしかない。
だからこそ、憧れる。
ただの娯楽のため、努力することに。時間を費やすことに。
自分の望みを、叶えることに。
そこで、チカの口元に薄く笑みが浮かぶ。
不可能だとは言わない。ただ、相当の時間がかかることくらいは分かっている。
だから、今はただ夢想するのみ。
それくらいは許されるだろう。
そんなことを思いながら、空を眺める。
「さて、いいかな?」
そんな声が聞こえたのは、空の変化がほとんどなくなった頃だ。
チカが背後へと視線を向けると、先の高く跳ねるような声の持ち主であるノゾミは、顔に笑みを浮かべていた。
「今回のツアーは小規模だけど、アストライア大陸を横断するもの。これから向かう街は主要な街道と接続してはいないけど、比較的ランドソルからは近いから、はじめましての人より既存のファンが見込まれるよ。
それに、最終日は会場のキャパの関係で抽選制。選ばれたファンだけ参加できるから、期待値が高い状態になっているはず。
だから規模に騙されることないで、気合い入れていくよ!!」
ノゾミはいつもツアー前にこんな口上をする。決意というか、自分に言い聞かせることでモチベーションを保つためらしい。過去に本人からそう聞いた。
といっても、チカはノゾミのモチベーションが低くなっている状態を知らない。いつも高止まりというか、高い状態で維持されていると感じている。だから、この口上はノゾミ自身ではなく、チカやツムギへと向けられた言葉なのだと思っている。まぁ、呼びかけているのでそうなのだろう。
だが、今回は違うと気付く。
普段より声のトーンが少しだけ高い。これは初めて顔合わせするスポンサーに挨拶する時、いわゆる営業向けのトーンだ。
ノゾミがそんな声を自分たちに向ける時は、たいていアイドル活動とは異なる状況で緊張をしている。しかも、その原因があまり良い事態ではないことも。
事実、ノゾミの顔には少しだけ陰りが見える。追い込まれている、とは違うが、どうにも厄介を抱えているようだ。
とはいえ、だからといって何があったのか、などと聞く気はない。ノゾミの悩みのタネが【カルミナ】に関連しているなら既に共有を受けている。となれば、個人的な要件だ。
そこまで考え、チカはふとあることに気付いた。
(……そういえば、この二人とプライベートで行動したことはほとんどありませんね)
全くないわけではないのだが、ほとんどが個人の生活に影響の出ない範囲で留まっている。
それに、ギルドメンバーなので会話がすぐにお仕事に紐ついてしまう。気を抜いたら全員揃ってのステップのタイミングや歌い出しの入りなどの話題で数十分話し込めてしまう。これではプライベートとは言い難い。
共通の話題で盛り上がろうにも、チカは少しだけ人見知りの気があるため、自分から行くことにまだ抵抗がある。そこそこ長い付き合いだというのに、未だに互いの好きな食べ物や服装くらいしか知らないので振れる話題が少ない。
否。
共通の話題は、なくもない。
そう思ったチカの脳裏に、一人の青年の笑顔が浮かぶ。柔らかい、包み込むような笑み。人とは違うことを認識しているがゆえに人から距離を取っていたチカに対しても、何の抵抗もなく話しかけてくれる、ちょっと変わった青年。
それを思い浮かべただけなのに、顔に血が上るのを自覚する。
チカにとって、彼は特別な存在だ。
だからこそ、その話題は振りたくない。
何しろ、彼に対しては皆がチカと同じ想いを抱いている。言葉にして確かめたことはないが、あまり対人スキルが高くないチカですら、ノゾミやツムギの想いに気付けている。となれば、その手のスキルが高い二人には自分の気持など当然のように気付かれているだろう。
とはいえ、チカは隠し通せるとは一切思っていない。むしろ、二人に対しては分かりやすい方がいい。どうせ隠せていないのだったら、正面からぶつかった方が手っ取り早い。ああだこうだと気持ちをこねくり回し、相手の心理を窺うよりははっきりと白黒つけた方が後腐れもない。
……脳筋、という単語が浮かんだが気にしない。
そもそも。
恋愛は戦いなのだ、と誰かが言っていた。つまり戦わねばならない。たとえ相手がノゾミやツムギであっても、だ。
私戦う 勝つ 弱者 死ぬ カワイソウ。
まさにその通り。戦って、勝つ。それこそが恋愛頭脳戦……頭脳? あれ? 今の発想、完全に肉弾戦的なニュアンスでしたよね?
先住民のゴリラゴリラ三角氏です。
誰がゴリラですか。この細腕を見てください。それにドラミングもできそうにない薄いむn……ふ、二人と比べると大きさはちょーっと見劣りしますけど、形はいいんですよ?
ホントにぃ~? 見てみないとわからなくない?
ほら、この…………み、見せませんけどもッ!!
脳内でひとしきりツッコミ終えると、ノゾミの方を見る。なんだかんだ言っても、ギルドメンバーであり、友人なのだ。何かを抱えているのであれば、負担を少なくできるよう働きかけることくらいはできる。
とはいえ、ノゾミが抱えているものが何か分からない。例え分かったとしても、即座にどうにかできるとは思っていない。チカの能力不足というよりは即効性のないことばかり思い浮かぶためだ。
食べ物で釣ることはできるだろうが、そうなるとチカまでツムギに睨まれる。
体を動かして発散、というのは飛空艇内でやりたくはない。それにこれから限界近くまで動かすのだ。体力は温存したい。
趣味、となると……確かノゾミの趣味は舞台鑑賞とダンス。どちらも今は無理だ。
……打つ手がない。
じわり、と額に汗がにじむのを自覚する。
これでは脳k……先の単語が正しかったように思えてしまう。
やっぱりゴリラゴリラ三角氏。
だ・か・ら、違います!!
違うことを証明するために、チカは口を開く。
「どうしたんですか、ノゾミ。なんだか表情が優れませんけど」
すると、
「あ……」
ノゾミが小さく息を漏らす。その目は大きく見開かれている。
分かりやすい驚きを示しているが、それが指摘されたことへの驚きなのか、それともチカが指摘してきたことへの驚きなのかまではわからない。そこそこ長い時間を過ごしているのに、その機微を図ることができないとは。脳筋と言われても仕方ない。
その事実に打ちひしがれ、肩が落ちかける。
すると、ノゾミはチカの気落ちを察したのか、慌てて言葉を作る。
「あ、いや……私、あまり高いところ得意じゃなくって」
今度こそ、かくん、と肩が落ちる音がする。
……ただの高所に対する恐怖とは。
ノゾミのそんな一面も知らなかった自分が情けない。
だから、チカは決意する。
いずれ戦う相手のことを、知らなければならない。
敵なら簡単だ。相手より強くなればそれでいい。
だが、味方、しかも同じギルドとなればそうはいかない。それに、戦うといっても実際に物理的にぶつかることはできない。やってもいいが、チカたちは同じギルドであり、同じアイドルグループなのだ。
というか、壁役と、開花前なので火力は低めとはいえ、二人は前衛職だ。後衛職のチカが耐えられるとは思えな……さっきの言葉を認めておけばよかっただろうか。
あ、いや、そんな気にしなくていいから。それより切り替えよう、ね?
なんとなく慰められたような気がするので切り替える。
つまり、物理的な衝突ではなく、精神的な衝突ならどうだろうか?
グループ内で生じる不協和音は新たなものを生み出すきっかけという向きもあるが、それを収め、前を向かせる能力が必要となる。そして、そんなスキルはチカにはない。
だから、勝ち筋を見つけなければならない。
武力ではなく、知力で。
それなら十分以上にやりあえる。
……まぁ、確かにねー。あの二人、あまり賢さは高そうじゃないし、
ですよねっ!! ねっ!! ねっ!?
……ソーデスネ。
肯定され、やっとタイトルらしくなったことに満足する。
……チカは理解していない。
恋愛において、賢さは必須ではない。必要なのは、いかにして相手よりうまく立ち回れるかだけだ。相手と正面からぶつかることも必要だが、相手をいかにしてその気にさせるかもまた、駆け引きの領分となる。むしろ、その手の機微を感じ取り、動かすことこそ必須となる。
そして頭脳戦においてもまた、賢さは必須ではない。必要なのは、いかにして相手を自分のペースに巻き込むかだけだ。戦うといっても正面切ることは必要ではないし、何なら戦わずにことを進め、相手を屈服させることこそ最上だ。
その点において、群集を操作できるレベルにまで達しているノゾミや、群衆に同じ感動を与えるほどの演出ができるツムギと対等に戦えるはずがない。
だが、歌うことではずば抜けている事実が背中を押しているだけでなく、ここ最近自分に伸びしろがあることを自覚し、向上心に燃えるチカでは、まだその圧倒的なまでの実力差には気付くことができない。
それでもなお、彼女たちのステージで戦い競うことを選ぶ選択は素晴らしいが、結果は明白だ。
あえて言葉にするなら、
「……お可愛いこと」
まぁ、そういうことだ。
そんなこととは露知らず、チカは先ほどより少しだけ青ざめたノゾミへと声をかける。
「高いのが苦手なら、なぜデッキ近くにいたんですか?」
チカとは逆側、右舷側のデッキにある手すりを掴んでいるノゾミは、何かを誤魔化す時のように視線を泳がせる。
「いや、あはは……えーと、ちょっとだけ旅行気分を味わいたくて、ね……。
で、でも、もういいかなぁー、って」
そんなことを言いつつも、その手は手すりを握り込んだままだ。出航時は気にならなかったのだろうが、高度が上がったため恐怖心が勝り、離すに離せなくなったようだ。
その推測に、チカは少しだけ笑みを浮かべる。
そして、
(仕方ありませんね……)
ノゾミを救出すべく、動こうとしたその時だった。
「動かないで」
やや高めの声が空に響くと、ノゾミの体が急にこわばる。
否。
体の外側から干渉を受け、その自由が奪われたのだと気付く。
この場でそんなことができるのはただ一人。衣装だけではなく、ライブにおいて総合演出をも手掛けるメンバー、ツムギだ。
彼女は衣装を縫い上げる糸を駆使して戦闘を行うため、単体での戦闘力そのものは高い方ではない。
だが、彼女の真価は相手の陣形を崩すことでこちらの有利を引き出す、という
今ノゾミの体を拘束したのは前者の糸の使い方を応用したものだろう。ノゾミはその体勢のまま、飛空艇の中央へと強制的に横移動させられた。
……ツムギの手腕は見事だとは思うが、顔見知り相手でも平気なのか、と素直に思う。
当のノゾミの顔には安堵と感謝が乗っていることから、本人は特に気にしていないようだ。ならばいいのだろ……いや良くないだろう。もう少しこう、何というか、手心というか……はっ!? 痛くしないと覚えないから!?
あのー……いちいち話広げるようなことでもないし、進めてもいいでしょうか?
え? ええ、もちろんです。私が脱線させているわけではありませんから。
……。
なぜ無言を書き込むんですか?
チカの正面へと移動してきたノゾミと、そこにツムギが近寄ってくる。
「ありがとう、ツムギ」
「風の流れが変わって、急に高度が上がりましたからね」
「あ、やっぱり?」
チカはさっぱり気が付かなかった。
それだけ景色に没頭していたと見るべきか、はたまた二人との差を見せつけられたと捉えるべきか。
二人はチカの抱いた煩悶に気付いた様子はなく、話を始める。
「ノゾミさん。今回は東側にある街とランドソルの二箇所だけ、なんですよね?」
「そうだよ」
「それでランドソル縦断ツアーとは……まぁ、プロデューサーっぽい言い回しですよね」
「あははは……。
そもそも、今回の話は私の無茶というか、そういうのを聞いてもらった代わりに、って話でね」
「しっかし、ランドソルとそこだけを往復するのに飛空艇を使うなんて、私達も贅沢になりましたね」
「そうしないと間に合わないくらい知名度が上がったのは嬉しいけど」
「いえ、気楽じゃないですか」
「うーん、そうなんだけど、私は手間も楽しみたいんだ」
「ノゾミさんっぽいですね。
……そういえば」
ツムギは近くに寄るよう目配せをする。その意味に、ノゾミだけではなくチカも小さくうなずくと、それぞれを頂点とした三角形の陣形を作る。
ツムギは最小限の動きで周囲をくるり、と見渡すと、唇を動かさずに話すという特殊な手法を用いて問いかけてくる。
「さっきも話題に上がりましたけど、プロデューサーが【
今この飛空艇には【カルミナ】の三人とプロデューサーであるクリスティーナ、そして彼女がチャーターした飛空艇を運用するために雇った航空士、そして操舵手だ。
ただ、クリスティーナは他にやることがあるらしく、乗船するや操舵席の下に設えられた船室に籠もりきりだ。他の二人は飛行中ということもあり、こちらにまで注意を向けていない。
だからといって、安心とは限らない。特にクリスティーナ。あの身のこなしは明らかに戦える側のものだ。足元はヒールにも関わらず、足音を立てずに歩く静粛性、そして衣擦れを起こさぬよう歩く運脚に優れている。いつの間にか後ろにいて、話の内容を全て聞いていた、なんてことがあっても一切驚かない。以前似たようなことがありましたしね……。
それに智謀にも長けている。しかも自分が楽しめればそれでいい、という無分別な快楽主義者だ。きっと自分とそれ以外、とカテゴライズされているのだろう。迷惑な。
そんな相手に
……い、いえ? 私はプロデューサーのことは女子と捉えてますよ? 拗らせた感のちょっと厄介っぽい匂いしますから。ただ、私以外の、特にツムギがどう捉えているかはちょっと…………ごめんなさい。
話を戻すと、チカもノゾミからそんな話を聞いたことがある。
なんでも、ノゾミの日課となっているジョギングのコースを整えたのがクリスティーナだというのだ。
その話を聞いた当初、チカは半分くらい信じた。クリスティーナの所作は貴族だと言われても納得できるほど丁寧で、庶民とは思えないところがあったためだ。
とはいえ、貴族がアイドル活動のプロデュースに勤しむか、と問われると首を傾げてしまう。しかもやることなすこと大成功ばかりだ。貴族に対してあまり知識のないチカでも、それが特異なことであることくらいは理解できている。
そんな思考もあり、王宮の周りを走っているときに変なファンに絡まれ、それを助けたのがクリスティーナだったというストーリーを面白おかしく脚色したのだろう、くらいに捉えていた。
だが、コースの便宜と引き換えにこのツアーが組まれたと聞かされたとなれば話は変わってくる。
チカたちが今向かっているのは防具全般、主に全身鎧の生産で有名な街だ。そこそこ平和なランドソルで、武器ではなく防具を生産するのは理にかなっているが、扱っているのが鎧となると極端に卸先が限られてしまう。
その最大の卸先が【
そう考えると、鎧の生産地が集客には向かないことも明白だ。庶民にとって鎧は不用品であり、加えて高額すぎて手が出せない。だというのに、そんな街で行うということは、
(貴族同士の繋がり、でしょうね)
おそらく、クリスティーナとこの先の街を治めている貴族との間に何らかの取引が生じたのだろう。クリスティーナは便宜を図ってもらったお礼として【カルミナ】のライブツアーを敢行する。集客には向かない街でも、ライブが行われるとなればファンは来るし、そうなれば街にいくらかはお金を落としていく。
双方による直接お金のやり取りは発生しないものの、お金が落ちる名目があれば恩を売った、という大義名分が成り立つ。日程や規模が多少しょぼくても、【カルミナ】が来るとなればある程度は見込めるし、その【カルミナ】を動員できたという実績も付与価値となり、クリスティーナには有利に働くことになる。
そう考えれば腑に落ちる。多少脚色はあるものの、まるっきりありえない話ではない。
だから、
「あんな格好してても、所作は丁寧ですよ」
チカはあっさりとクリスティーナ貴族説を肯定する。
ただし、チカとしては気になる点がある。
「言葉遣いには時折、異国の訛りが入りますけどね」
訛り、と言ったものの、そこまで露骨ではない。言葉を区切る時に多少の癖のような、小さな破裂音が交じる程度だ。このランドソルの公用語にはそんな発声方法はなく、確か海を越えた軍事大国出身の人間が、ランドソルの公用語を喋る際に発する癖だった。
ただ、それを異国由来のものだと気付けている人はかなり少ない。この場ではチカしか気付けていないだろう。
事実、
「……詳しい、ね」
目を丸くしたノゾミが小さくつぶやく。顔を並べているツムギも同様だ。
「ランドソル近郊の国々の歌は、何曲か聞いたことがありますから」
稀有な存在である召喚師としてだけではなく、単純に歌が好きだからだろう。他国から来た商隊や旅行者を探すのはそれなりに時間はかかったが、探究心ゆえか苦とは思わなかった。
すると、二人は示し合わせたように顔を見合わせる。
「近郊の国々……かぁ」
「ランドソル中ならほとんど行きましたけど、他の国は行ったことないですね」
この言葉に、チカは内心で首を傾げる。
(……あれ?
これ、二人の中では私が各国を回って聞いた、ってことになってます?)
……チカは理解していない(二度目)。
彼女自身は、自分の能力向上のために費やす努力は研鑽のためと割り切っているため、誇るほどのものではないとと捉えている。
だが、その実力を理解している人間からすれば、その研鑽は血を吐くほどのものであると理解できてしまう。そして、ノゾミとツムギはその研鑽を理解できてしまう側の人間だ。
しかも、チカの上昇志向とそれに伴うかすかな敵愾心にも気付いていた。というより、常に嫉妬や羨望にさらされるノゾミや、クリエイターとして他者との比較や経営者として自身の製品の優位性に関する視点を持たざるを得ないツムギにしてみれば、チカの感情は何も隠せていないに等しい。
そんな丸出し同然のチカから、唯一二人も太刀打ちできない歌唱に関連する話題、しかも自信ありげな様子の口調で言われれば、素直に称賛するものの、それ以上に対抗意識に火がついてしまうのは仕方がない。
「ああ、だからですか」
ツムギは何気なさを装いつつ、しかし普段より棘のある言い方で相手を誘う。
すると、同じく感化されたノゾミも、
「なにが?」
普段より棘のある言い方で聞き返す。
こうなるとツムギも止める気持ちがなくなる。生来のツンデレ気質以上に自分の専門領域の話なので止める気がない。
すぅ、と小さく、しかし音が聞こえるほどに息を吸い込むと、吐き出す勢いのままで喋りだす。
「プロデューサーのドレス生地、異国で話題の生地使ってるんです。伸縮性が高いのに縫製はそんな難しくなくて扱いやすい素材なので話題なんですけど、ランドソルではほぼ入手不可能なんです」
商業で栄えているランドソルにおいて、手に入りにくいことはあっても、不可能はほぼありえない。大抵は資金力で殴ればなんとかなる。
だが、その素材に関しては入手困難な理由は別にある。その理由を知る個人事業主は嘆息混じりに回答を口にする。
「生産数が少なくて地産地消しちゃうんです。
出回っても、だいたいウィスタリア家が買い占めるから……」
……すみません。資金力でなんとかなってましたね。
「実は、その国に行って直接買い付けも考えてみたんです。無駄足にならないように、『うちは卸としてはそう大きくないので素材として扱うので仕入れさせてほしい』って手紙を出したんですけど、回答はNo。小規模ロット数の話ですらさせてくれませんでしたからねー……」
悲しいかな、小規模の職人と大規模な商人の違いが浮き彫りになった形だ。
その事実を薙ぎ払うかのように、ツムギは続ける。
「それなのに、肩周りと腰回りに大胆に使用されているんですよ!! 伸縮が高いから、そう簡単にポロリ」
瞬間、チカがやさぐれた顔になったのを視界に捉え、
「……か、型崩れしないんですっ」
即座に言い換える。この辺は流石、としか言いようがない。
「でも、入手できないっていうのはランドソルだけじゃないよね?」
ノゾミの言葉は正鵠を得ている。地産地消が常となるほど生産数が少ないのであれば、たとえ他国であっても事情は変わらない。
だが、そうではない。
「貴族なら入手しやすい、ってことです。
領地内に必要な物資が全て揃っていることなんてないので、お互いに融通しあうんですよ」
要するにお金よりコネ、というわけだ。
そこでノゾミがぼそり、とつぶやく。
「……あー、『お醤油貸してください』、か」
「なんです? それ?」
「あ、いや、ちょっと前に読んだ本にね……」
【サレンディア救護院】で客室に押し込められている時に読んだ、枕元においてあったマンガが出典、とは言わない。
最初はコッコロとサレンの隙を伺うための暇つぶし程度の考えだったのだが、思いの外面白くてずっと読みふけってしまった。少々冊子には痛みが目立ったので、少し前の作品なのだろう。展開も、定番のお隣さん同士のすれ違いラブコメなのだが、その手の物語には疎いノゾミには斬新なものと映った。
その結果、ユウキの寝所に忍び込むのを忘れてしまったことも黙っておく。
字面だけ見るとアホ……不名誉だが、それがユウキのお見舞いに行ったときのことだと二人に知れれば、ここで一線交える事になりかねない。
それはまずい。
今ここでは全力が出せない以上、ここではやれない。
心配そっち!?
先程、チカに問われた時はとっさに高いのが怖い、と誤魔化せたが、実際には飛空艇そのものに恐怖を感じている。
そう。
何しろ、自分の考えのなさでユウキを危険に晒してしまった。
一番の原因は天候だったり、アキノの無茶な思いつきだったりと、直接ノゾミが悪いとは断定できない。おそらく、法廷で裁かれたとしても、物証がない以上はノゾミが裁かれる可能性は低い。それ以上に、悪天候下で飛空艇を運用したアキノの方に咎があると判断されるだろう。
だが、そうではない。
今、ノゾミが背負っているのはユウキへの贖罪ではなく、もしも自分にもっと力があったなら、という悔恨だ。
もっと、自分の力を扱えていたら。
もっと、自分の力を使いこなせていたら。
否。
右の手のひらを見る。先程まで、飛空艇の縁を掴んでいた手だ。そこにはまだ細かい震えが残っている。現在進行系で空を飛んでいるのだから当然だ。
否。
そうではない。
それは、ノゾミの弱さの象徴だ。
弱いから、好きな相手を傷つけそうになった。
弱いから、言い訳を探し出して納得しようとしている。
弱いから、こうやって態度に出てしまう。
弱いから、好きな相手すら手に入れられない。
そんな思いを打ち消すかのように、ぐ、と拳を握る。
克服しなくてはならない。
今すぐに強くはなれないが、この軽度な心的外傷程度は可及的速やかになんとかしなくてはならない。
そのためには、もっと飛空艇に慣れる必要がある。
幸か不幸か、ノゾミにはその機会が多く訪れる。
だが、足りない。ランドソル縦断ツアーはそう多くはないし、クリスティーナの立てるスケジュールは負担が少なめだ。これでは克服する前に、ユウキが誰かのものになりかねない。
このところ、ユウキに群がる連中の圧力が高まりつつある。
ノゾミもその一人だという自覚はある。そして、今このやり取りの中でツムギもその一人だと実感できた。チカは……どうだろう。圧力はあるものの、生来の控えめな部分があってわかりにくい。
ただ、この手は化けると怖い。
対人スキルが低いがゆえ、空気を読まずに突っ走る傾向があるからだ。そして、暴走した勢いのままうまくいってしまうこともある。
それを阻止するためには、相手を知らなければならない。
となれば。
「そうだ。
このツアーが終わったら、みんなでどこか行ない? 飛空艇使って、ちょっと遠出しようよ」
ノゾミはいいこと思いついた、のようなテンションを装って発言する。
とはいえ、正直なところ、どこかに遠出したいという思いはあまりない。
というのも、アイドルとしての名声が高まれば高まるほど、遠征のような距離を一日かそこらで往復する必要が生じるため、わざわざ苦労して遠くへ出かけよう、という気分が薄まってしまったのだ。
だが、先のチカからのマウント、そして、ツムギの博識ぶった物言いもノゾミを大きく煽るものだった。
とはいえ、少しだけ冷静な部分がツッコミを入れる。
(私って……こんなに喧嘩っ早かったっけ?)
アイドルとして、感情を制御することには長けているつもりだ。それはチカとツムギも同様のはずだ。
チカは常に落ち着いた振る舞いを心がけているし、ツムギは事情によって多少感情が大きくなることがあるとはいえ、自分を見失うほどではない。
だというのに、自分のみならず二人までここまで露骨に敵対を示すとは。これまでは意見の相違はあっても、どこかしらで妥協、あるいは共感することで収めてきた。だというのに、今回はたかがマウントを取った取らない、という本当にくだらない内容だ。その程度でギスギスするほど、惰弱な関連は築いていない。
だからこそ、明らかにおかしいと気付けた。
以前は妙な高揚感というか、誰かから背中を押されるような感じがあった。その度に、自分らしくない言動を繰り返してきた。それはこの二人以外にもやらかしたような気がする。主にサレン……は別にいいか。
だが、今はそんなことがない。
(……ん?
小さく息を飲む。
そうだ。
全能感にも似た、高揚した感覚はすでになく、今は地に足がついたまっとうな感覚しかない。
……いや、自分で自分をまとも、という人間がその通りだった試しは一切ないが、とはいえこれまでなんとなく感じていた違和感がない、というのは、それはそれでおかしな感じがする。
正常に戻ったのだろうとは思うが、では間違っていたかと問われると首を傾げてしまう。何しろ普通に過ごせていたのだ。今とその時とを比較したとして、果たして今が正常なのかと問われれば自信がない。
(ええと……要するに……私は変わった様子はなくて、でもちょっとおかしいなぁ、って感覚はあって……え、どういうこと?)
よくわからないが、わかっていないことを追求しすぎることは効率が悪い。
今考えるべきは、どこなら連中の弱点を探れるか、だ。
そうなると、行き先は自分にとって思い入れのある場所がいい。それを二人も知っていれば断りにくくなる。余計なストレスを感じることなく過ごせ、なおかつ相手を常に観察できるよう、視界が開けていれば最良だ。
「そうだ。
このツアーが終わったら、みんなでどこか行ない? 飛空艇使って、ちょっと遠出しようよ」
そんなノゾミの無茶振りに、ツムギは少しだけ思案する。
正直に言う。
めんどくさい。
ノゾミの無茶振りには慣れている。慣れたくはないが。
そうではなく、
(結構オーダー溜まっているんですよねー……)
自分の店の話だ。
お客はツムギの腕を見込んで依頼してくれている以上に事情を理解してくれている。とはいえ、それにあぐらをかいていいわけではない。
それに、今回は突発すぎてきちんと説明できていない。それもこれもノゾミの所為だ、とまで言う気はないが、にしても急すぎた。
……という言い訳を用意したが、実際にはツムギが仕事に集中できていない所為だ。
先日、レイに盛大に喧嘩を売った場所で仕事に打ち込めるほど、ツムギは人間ができていない。ふとした瞬間にその時を思い出しては頭を抱えてしまう。
正確には、その発端となった発言に対して、だ。
(なぜ私は、
今だって悶えそうになる。
だが、反省はしていない。
ユウキに想いを抱き続ける以上、レイとはぶつかることになる。それに早いも遅いもない。
否。
レイが
いつからかレイが使えるようになった、体感時間の伸長。強制的に超集中状態へと入ることで判断力と選択肢を増やす。この能力の会得により、一度の機会で多数の相手にもダメージを与えられるようになった。しかも数が多ければ多いほどクリティカルアタックが出やすくなるという、一種のチート能力だ。
だが、あの厄介な能力には致命的な欠点がある。それゆえ、そこまで脅威とは捉えていない。
と、そこまで考えてふと、我に帰る。
……なぜこんなに好戦的なのだろうか。別にレイと戦う必要はない。今考えるべきは自分の作業効率の向上だ。そこまでいかなくてもいい。せめて、店で作業している時くらいは集中できるようになりたい。
そうなると、行き先は気分を切り替えることができる環境がいい。できれば静かに自分と向き合えて仕事もでき、素材も揃えることができれば最良だ。
ならば。
「私は海がいいなぁ」
「山がいいですね」
二人の言葉が高空ですれ違う。
「……」
「……」
しばらく睨み合いが続くと、
「山がいいですよね!?」
「海だよ、海!!」
再び息を合わせて互いの意見を被せる。流石同じグループ。相手の出鼻を完全に理解している。ただ、同時なので微妙に聞き取りづらい。
だが、次の手はツムギが取った。
「山はいいですよ。涼しいし、自然で溢れています」
チカはまぁ、そうですね、と心中で同意する。とはいえ、その発言に全てが詰まっているわけではないこともわかっている。
大方、何度聞いても覚えられないツムギの店で使う素材採取も兼ねているんだろう、と察する。
それに、だいぶ仕事も溜まっているだろう。
このところ、【カルミナ】の方にかかりきりだったと言っていたし、そうでなくても一点ものには時間がかかる。ただでさえ遅滞気味なのだから、どこかで取り戻したいと考えるのは当然だ。
だが、この手の張り合いではノゾミも引かない。
「海の潮騒は最高の子守唄。潮風が夏の火照りを吹き消してくれるよ」
少しだけ遠くを見つめるように目を細めながら、随分とポエミィなことを言い出す。きっと妙なものに影響されたのだろう。一昔前のマンガとか。
チカとしては、物語としては嫌いではないが、いかんせんどいつもこいつも恋がしたい感が強すぎて胸焼けしがちだ。好きな人だけに振り向いて貰えばいい。振り向かせるのも可。追われる恋が理想だ。ついてらっしゃい。
第一、今はまだ春に入ったばかりだ。そんな時期に海など行けば、風邪を引きかねない。
とはいえ、チカとしてはこの提案を無碍にしにくい。ノゾミの海への思い入れはかなりのものだ。そして、それはツムギも知っている。だからこそ、ノゾミがなりふり構わずに己の要望を通そうとしていることが理解できた。
となると、図らずも出遅れたチカが裁定を下さなくてはならない。
その予想通り、二人の目がチカを射抜く。
「チカ!!」
「チカさん!!」
『どっち!?』
そんな勢いで言われても困る。何しろ、単に出遅れただけで、チカの心は最初から決まっている。
だから、即答する。
「山、ですね」
「さすがチカさん!!」
「なんでー!?
海は生命の原初だよ!?
降り注ぐ太陽が……人間を都会のルールから解き放ち、本能的な生物へと戻すんだよ!?」
また妙なことを。どんなマンガ読んだんだ?
訳:海に行くと開放的になるよね!!
そうはならんやろ。
「どういう意味ですかノゾミさん」
「海に行くと開放的になるよね!!」
なっとるやないかーい!!
うるさい。
見解の相違が見えたのでこれ以上の追求は無駄だと悟る。
ではなく。
ノゾミからの鋭すぎる視線に対し、きちんと理由を述べることにする。
「私が常々行きたいと思っていたのは山です。
ただ、山といっても、オソレヤママウンテンに行きたいんです」
ノゾミだけでなく、ツムギまで妙な顔をする。
それも当然だ。正直、知名度はほぼない。チカだって冒険者から聞かなければ知ることすらなかった。
「オーエドの北、オーマの近くにある峻険な山です。
そこには特殊な技能を持つ方々がいらっしゃいまして。なんと、死後の魂と交信できるそうなんです!!」
「……10年くらいかかるかな」
「……うちに魔力隠匿したエルフはいないからもっと早いと思いますよ?」
「……ドラゴンくらいはいそうだよね」
「せめてパンは柔らかいのがいいですね」
二人の声を無視し、チカは続ける。
「楽しみですね!!
召喚士の方のお話は当然として、歴史に名を残した歌姫さま、それにそれに!!」
普段の様子からは想像もできないくらいに興奮しきりのチカに対し、二人は行きたくない、とは流石に言えない。特に、山と言ったツムギは引っ込めることができない。ノゾミにしても、海に行きたいのは本心だ。
とは言え、なにかに取り憑かれたかのように生き生きとはしゃぐチカに同意はできない。何より怖い。
二人は互いに顔を見合わせ、その心情を口にすることなく共有する。
そして、
「……その時が来たら考えよっか?」
「……そうですね。今はツアーに集中しましょう」
結論を先延ばしにすべく、玉虫色の回答をする他なかった。
「ほらチカ戻ってきて。ツアーの打ち合わせするよ」
「そうですよチカさん。まだ始まっていないんですから」
「もう……。
このツアーのあとのお楽しみ、ですね!!」
鼻歌を歌いだしかねないほどのチカのテンションに恐れをなし、流れを叩き斬るべくツムギが口を開く。
「そ、そういえば、最終日って、ランドソルにある学院が会場でしたよね」
奇妙な雰囲気はそのままに、チカがその後を引き継ぐ。
「ええと、何でしたっけ?」
どことなくほっとしたノゾミは解答を口にする。
「聖テレサ女学院だよ。その学園祭の名前が変わっていてね。確か……」
聖テレサ女学院。
伝統あるお嬢様学校として名高い学院であるが、時代の流れには逆らえず、男女共学化することで事業を継続する方針を採用した。とはいえ、まだ男性はたったひとりで、とても共学とはいえない状況にある。
そんな学院の教務主任であるマザー・ヒルダは、穏やかそうに見える笑顔を浮かべつつも眼の前にいる人物の発言に困惑していた。
その人物は毎回おかしなことを言うので慣れている。いや慣れても困るのだが、実際麻痺してしまっているので気にしていない。
否。
最大手のスポンサー様のご意向だ。聞かなくていいはずがない。発言がアタオカなどと思ったことは一度もない。ないったらない。
そんな疑念をおくびにも出さず、彼女は目の前の相手ににこやかな笑顔を向ける。もちろん営業用のとっておきだ。ここで相手の機嫌を損ねるのは最悪手だとわかっている。
とは言っても、相手はランドソル中に名が知れているほどの商人の娘であり、親譲りの辣腕を振るっている。自分の娘ほどの年齢だというのに、すでにランドソルで動く金額の数パーセントを担っているという。
そんな相手なのだから、こちらの思惑など見透かされているのは分かっている。対して、こちらはただの教職であり、笑顔の意味など褒める時以外に浮かべる用途しか知らない。あ、嫌味言う時も浮かべるわねおほほほ……。
それでも、やらないよりやる方がいい。それが彼女の考え方だ。
だが。
なぜか目の前の相手はまるで興味がなさそうな表情のままだ。とはいえ、何かリアクションがほしい訳では無い。いちいちそんなものを欲しがるような年齢でもない。そうではなく、この露骨なまでの塩対応に違和感があるのだ。
目の前の相手の普段といえば、とにかくテンションが高く、そして突拍子もない。いついかなる時でも高笑いを発し、そしてそのままの勢いでアタオk……あまりにも非常識な言動でこちらを振り回す。寄付の増額の話をしようとすると問題児のことばかり話題にするなど、かなり扱いに困る相手ではある。
ただ、その言動からは明確なお金の匂いがする。だからこそ固執する。だからって校舎を全壊させるのはおやめくださいね? もう、校舎の残骸の中で「さぁ諸君、授業を始めよう」なんて言いたくない。こっちは女だ。タマなどない。おっと失敬。
彼女は教職員が聖者でなければならないとは一切考えていない。むしろ日々の糧を得るためには率先して金儲けをすべきだとすら考えている。
結局、学びは稼ぎに直結する。その事実はどんな教師の優れた授業より身につく。それを身に着けられなければ、人生という一度しか受けることのできない授業において、時折課される試験で単位を取得できずに落第するだけだ。
学業と異なるのは、その単位を取り直すことはほぼ不可能であることだ。彼女は今のところ、及第点を取り続けている。そして、取り続けている限りは授業と試験を受け続けなくてはならない。
そして、今は今後の成績に影響する小テスト、といったところだろうか。
つまり、何が何でもいい点を取る必要がある。その加点は、自分だけでなくこの学舎の運営に直結する。全教室に冷暖房完備となった時、自分の立場は盤石になったとさえ思ったものだ。まぁ、校舎全損の口止め料だったわけなので、結果プラマイゼロだが。
だから、今は笑顔を絶やさない。
少しでも稼ぐのだ。主に銭、そして信頼を。
「……文化祭を、開きなさい」
その内容に少しだけ眉をひそめるが、笑みは保つ。
「……失礼ながら、わが校には文化祭はなく、加えて他校で言う文化祭に該当する聖学祭は既に開催済みでして」
知らないとは言わせない。何しろ、その時も来ているし、さんざんあの問題児たちと絡み、そして一銭も落としていかなかったのだ。こちらは嫌でも覚えている。
だが、
「今週末にもう一度、やりなさい?」
やはりアタオカだ。こちらの話を聞いていなかったようだ。おそらく一銭も落としていかなかったことも覚えていまい。
「それと、この設計図通りの物を作りなさい」
はらり、と広がった紙片に描かれたものを見て、思わず顔がひきつる。
「こ、このようなものを制作する予算は」
建築は専門ではないが、校舎全壊のおかげか、図面を見、規模と予算を見積もることくらいはできる。世間一般においてはそれでも十分おかしいのだが、今の彼女にはそんな事実はいらない。いるのはいかに相手を不機嫌にさせずに不可能かを告げる言葉のチョイスだけだ。思わず出た否定を打ち消しつつ、しかし全否定するようだと最高だ。
だが、
「資材と金は出すわ。搬入の手配は終わっている。
それと、こんな時期にやるのだから、これはあなたへの手間賃」
作法など存在しないかのようなぞんざいさで、どん、と袋が置かれる。両手で抱えなくてはならないほどの大きさのその袋は、贔屓目に見ても汚い。価値などほぼないだろう。
だが、入り口から見えた金色の輝きには戸惑いを吹き飛ばす効果があった。しかも硬貨ではない。棒だ。しかも複数。換金の手間はこの際考えない。
「ごぉうかぁ~くっ!!」
……違った。ストレートな言葉が出てしまった。これは個人宛ではなく、学院への寄付だ。
「え、ええと……こ、これだけあればより充実した施設を整えることができます。
それに、成果発表の機会が増えることは、生徒たちの向上心にも繋がりますわ」
「そう? 良かったわぁ?」
普段とは異なり、大して感情がこもっていない声だが気にしない。全ては金のためだ。
心の底からの笑顔を振りまきながら、更なる寄付を募ろうと口を開くが、
特徴的な薔薇色の髪に向かい、声をかける。
「あの、もう少し寄」
「今週末、楽しみにしているわぁ」
見事なまでに鮮やかさでこちらの言葉を遮ると、その長髪を高い位置でひとつに纏めた
露骨すぎたか、と渋面を作るが、
とはいえ。
姿はいつも通りの、わがままボディにわがまま頭髪。赤を主体とした装甲の施されたドレスを身にまとい、背丈と同じほどの大剣を背負っている。
ただ、表情は平坦で、普段のような起伏がなく、どことなく声も低めだった。頭の先から抜けるような高笑いを一度も発さず、淡々と言いたいことだけを並べた話し方。
それはまるで、
そこまで考え、息を吐き出す。
どこかの連中が好きそうな入れ替わりネタなど、現実にあるはずなどない。女性なのだからそういう日もあるだろう、と鷹揚な理解を示すことにする。
ただ、このところランドソルでは複数名の同一人物の目撃例があることを思い出す。自分や娘など、身近な人物ではないものの、王侯貴族の娘同士が戦っているだの、過去に聖テレサ女学院にも訪れたことのあるアイドルが複数名現れてファンを混乱させただの、そんなことを耳にしたことがある。
だが、どれも又聞きで、しかもその噂の出典は不明だ。そんな曖昧さでは信用に足らない。
だから信じない。年齢の問題ではなく、単純な経験則だ。
彼女はそれ以上のことを考えることをやめた。
何しろ、告げられた内容は少々変わっているし、何より指定された今週末までは三日しかない。
教員の主だった面々と、生徒会を招集する必要がある。
頭の中で工程表を描きながら、目の前に広げられた図面のタイトルを見て、率直な感想を口にする。
「Devote One's Heart Fes. 。
……心を捧げる祭り、とは穏やかではありませんわね」