家路を急ぐ   作:東大和

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不運なアイツ

 

 

 

 

 

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「人の話はちゃんと聞きなさい」

 

幼い頃に誰もが習う教訓だが、これを(ないがし)ろにしたことをこんなにも悔やんだことはない。そう思う程に、鷹野は面倒なことに巻き込まれていた。

 

クラスメイトの女子に「通らないほうがいい」と注意されたルートを使った結果、目の前には鋭い目つきでこちらを睨んでくる不良男子──鳳《おおとり》と、その隣でにこにこと笑みを浮かべる可愛い女子──准《じゅん》、そして自分を含めたその3人を遠巻きに見つめてくる野次馬達──一刻も早く帰りたい鷹野にとって、厄介以外の何者でもない状況が広がっていた。

 

困惑する鷹野を無視して、鳳がこちらに近づいてくる。パーソナルスペースを易易と踏み越えて、彼は鷹野に目と鼻の距離で思いっきりガンを飛ばしてきた。正直、初対面でこの距離はキツい。鷹野は思わず一歩後ろに下がる。それを見た鳳は、一瞬目を丸くして、しかしすぐに鷹野のことを鼻で笑った。

 

「フッ、入学式ランナーってのも案外ビビりなんだな」

「……はぁ?」

 

入学式ランナーとはなんのことだろう。見に覚えの無いあだ名で呼ばれて、首を傾げる。その様子が気に食わなかったのか、ついに鳳は鷹野の襟元を掴んできた。

 

(とぼ)けんなよ……出走しただろ?入学式レースによ!お俺が出られない間に、ぽっと出のお前ごときが入学式レースに出やがって!」

「は?何言ってるんだお前」

「入学式レースに出られなかったのは君が帰宅禁止のペナルティを食らってたからでしょ!」

「うるせえ!関係無いやつは黙ってろ!」

「……何言ってるんだお前ら?」

 

さっきからにこにことこちらを見てきていた准も口を挟んできて、いよいよ自分が全く知らない内容で話が進んでいく。新手のイジメか何かだろうか。

 

これ以上無駄な時間は費やしたくもない。鷹野はそっと立ち去ろうとしたが、襟元を掴まれているので当然逃してくれるはずもない。鳳が鷹野が逃げる素振りを見せたからか、「まぁ待て」と再びこちらを繋ぎ止める手に力を込める。

 

「おいおい、まさか入学式ランナーともあろう方がオレから逃げるのか?」

「無駄な時間を使いたくないだけだ」

「ッ……!オレに話しかけられるのが時間の無駄だと!?」

「そう言ってる。早く帰らないと」

 

鷹野の眼中に最初から自分など映っていない──そう受け取った鳳が激昂する。だが、鷹野ももうただ黙っているだけの穏やかな段階は過ぎている。鷹野が反撃しようと拳を握った時、廊下に凛と高い声が響いた。

 

「やめなさい」

 

語気が強い訳でもなければ、声量が大きい訳でもない。ただ、その圧倒的な威圧感だけで騒然とした廊下が静まり返る。鷹野も思わず声の主の方に振り返る。そして、声の主を見て思わず息を呑んだ。

 

一本の荒れも見つからないブロンドの髪。宝石のような碧眼。腕には輝かしい「生徒会」の腕章をつけた、人形のような美しさを備えた女を見て、しかしその美貌に釣られてではなく、鷹野は目を見開く。

 

(この人……ユキが見てた──!)

 

目の前に、入学式の放課後に妹のスマホで見た人物が立っていることに驚く。名前は確か──

 

「天神……!」

 

鳳が敵意をむき出して彼女の名前を呼ぶ。そうだ。名前は天神だ。帰宅部は辞めたらしいが、どうやら生徒会のメンバーらしい。

 

彼女は荒ぶる鳳をものともせず、涼しい顔で彼をキッと鋭い切れ目で見つめ返す。

 

「先輩をつけなさい、鳳くん。それとも帰宅禁止の期間を延ばされたいのかしら?」

「……ッ」

「そういうわけでもなさそうね。……貴方の悪名は生徒会にまで響いているわ。これ以上私の手を煩わせる前に──失せなさい」

 

天神が見せるのは、鳳のような炎を吐き出す怒りではなく、どんな熱すらも奪う絶対零度の静かな怒りだ。逆らえばどうなるか分からない──有無を言わせぬ雰囲気に、いつの間にか野次馬の大半は随分と距離が離れていた。

 

鳳も興が削がれたのか、つまらなさそうに舌打ちをして鷹野から手を離す。その時、鳳がボソリと鷹野に向かって話しかけた。

 

「……合唱コンだ。そこでお前を潰す」

「は?」

 

そう言い残し、鳳は鷹野がその真意を確かめる前に苛立ちを隠さない足取りで去っていく。鷹野が呆然とその後ろ姿を目で追いかけていると、再び天神の声が聞こえた。

 

「貴女も。あんな男に油を注いじゃだめ」

「うぅ、ごめんなさ〜い」

 

喧嘩両成敗。今度は鷹野をいざこざに巻き込んだ准が天神に怒られている。もっとも、天神も先程の氷のような怒りではなく、くどくどと長い説教を准にしている。准はしゅんと落ち込んでいたが──

 

「──全く()()()()別のクラスの子まで巻き込んで……」

「か、関係なくないです!」

「……え?」

「関係ないこと、ないです」

 

准が、弾かれたように声を上げる。それには一方的に説教をしていた天神だけでなく、隣で聞いていた鷹野も目を丸くした。准はキュとスカートの端を握り、天神と鷹野を真っ直ぐ見つめる。

 

「彼は関係あります」

「だ、そうだけど?」

 

肩をすくめてこちらに目配せする天神。そんな天神の問いかけを、准の祈るような眼差しを、鷹野は一蹴した。

 

「さぁ。知らないですね」

「えっ……」

「だいたい、さっきの男の子もそこの女の子も今日初めて会いました」

「ッ……!?」

 

准の顔が、段々と赤くなる。目尻に少し涙が浮かんでいる為、怒っているようにも悲しんでいるようにも見えるが、そんなことは鷹野には関係ない。

 

「……ばか」

 

准がそう呟くが、それは徐々に放課後の喧騒を取り戻した廊下では、鷹野には届かず虚空に溶ける。結局、そのまま准は鷹野達に背を向けて走り去っていってしまった。残されたのは天神と鷹野だけだ。

 

自分まで説教されては堪らない。鷹野は先手を打つ。

 

「先に言っておきますけど、自分は巻き込まれただけですよ」

「知ってる。見てたから。えっと、鷹野君、だよね」

「へぇ、生徒会っていうのは新入生の顔と名前が一致するんですね」

「……入学式に出走する新入生の噂なんて嫌でも耳に入るわ」

「入学式に出走?なんですか、それ」

 

この人も変なことを言う。だが、話を振ってきた当の天神は、鷹野よりも不思議そうな顔をしていた。

 

「えっ、あなた、帰宅部じゃないの?」

「いえ、帰宅部ですけど……あっ!」

 

妹が見ていた動画、それはこの天神という先輩が帰宅している映像だった。そして、彼女が出ていたレースは確か「全国高校帰宅選手権入学式大会」とかいう名前だった気がする。

 

「あの、もしかして自分──入学式レースに出走したことになってます?」

「……自覚なかったの?」

 

彼女の反応を見て確信する。自分はどうやら知らぬうちにとんでもないことをしでかしていた。大きくため息を吐いた鷹野を見て、天神がクスリと笑う。

 

「なんだ。じゃあ鷹野君は本気の帰宅部って訳じゃないんだね」

「もちろんです。そんなのになる気もしませんし」

「だから鳳のことも知らないんだ。彼、帰宅界隈では結構有名なのよ?」

「知りませんよ、そんな奴。あの日は入学式どうこうじゃなくて、妹が入院してたから早く見舞いに行っただけですし」

「妹さんが……そう。──私と同じね」

「えっ?同じ?」

「あ、ううん、なんでもないの」

 

何が同じなのか。鷹野は気になったが、天神にはぐらかされてしまう。そういえば、天神は有名な帰宅部員だったはずだ。妹が知っているくらいなのだ。さぞ実力者なのだろう。手土産でも持って変えれば喜ぶだろうか。妹のためならなんだってする──鷹野は思い切って口を開いた。

 

「あの、先輩は帰宅部なんですよね。妹が動画見てました。よければ妹の名前でサインでも……」」

「やめて」

「え」

 

帰ってきたのは、先程まで天神が鳳に向けていた冷たい眼差しだ。鷹野は人の感情に敏感ではない方だが、それでも今目の前の先輩が怒っていることは容易に察せられる。鷹野がゴクリと息を呑むのと同じくして、天神が口を開く。

 

「帰宅部なんてくだらないわ。あんな誰の迷惑も顧みずに帰るだけの部活……」

 

天神の口から、怨嗟のような言葉が並べられていく。彼女の目線はこちらを向いているが、憎しみはこちらには向けられている気がしない。どこか遠く、鷹野など眼中に無いかのようにも感じた。

 

「とにかく、鷹野君に帰宅部になる気が無いのが分かってよかったわ。変に絡まれる前に、部活に入ったらどうかしら。入りたい部活とかはないの?」

「無いわけではないですけど……」

 

質問に対して、鷹野は歯切れ悪くそう返す。天神がそんな鷹野に不思議そうな視線を送るが、鷹野はそれから逃げるように目を逸らした。

 

「えっと、自分、早く帰りたいので」

「えっ?あぁ、引き止めてしまってごめんなさいね」

「いえ、それでは……」

 

足早に廊下を立ち去り、ようやく学校を出る。何かを振り切るように、鷹野は駐輪場へと向かった。

 

部活に入れるのであれば、とうにそうしている。それができればと、何度考えたかはもう分からない。

 

駐輪場まではほんの十数メートル。

 

もしかしたら──という願いを込めて、鷹野は思いっきり脚に力を込めて駆け出した。その瞬間、そこにピシリという不安な感覚が響いた。

 

(……)

 

今更嘆いたところで、()()がどうにか なるわけではない。駐輪場に着くまでのたったこれだけの距離で痛む足に、期待などしない。自分の自転車の鍵を回して、サドルに跨る。

 

──運が悪かったのだ。

 

そう自分に言い聞かせて、鷹野は自転車のペダルを踏み込んだ。思い出した不安を胸に、鷹野は今日も家路を急ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー……ん?」

 

鷹野が家に着くと、玄関に見慣れない靴が置いてあった。茶色のローファーで、サイズ的には女子のものだろう。妹のユキは、学校にはスニーカーで登校しているので、彼女のものではない。友達でも遊びに来ているのだろうか。退院したばかりの妹に来客というのも考えにくいが、ユキは身内びいきを抜きにしても人付き合いが上手いと感じることがある。学校ではよほど人気者なのだろう。

 

こういう時、身内というのは水を差す要因でしかない。友達と遊んでいるときに兄フラなど最悪だろう。リビングにいた母親に「ただいま」と告げる。いつもは「おかえり〜」とだけ返してくる母親だが……

 

「あ、正美、お客さん来てるよ〜!」

「……知ってる」

 

ユキの客をなぜ自分に知らせるのか。不思議に思いながらも、ユキのために買ってきたケーキを冷蔵庫にしまい、2階にある部屋へと向かう。

 

階段を上り、ユキの向かいにある自分の部屋のドアノブに手をかける。だが、阻むように背後でガチャリと音が響いた。ユキか、客が部屋から出るのだろう。鷹野は、反射的に振り返る。そこには──

 

「あっ」

「……は?」

 

先程廊下であったばかりの、別のクラスの女子がいた。鷹野はポカンと口を開ける。目の前の女子は、顔を赤くしてパタパタと手で顔を仰ぎ始めた。

 

「えっと、その、お邪魔してるね、正美ちゃん!」

「……学校の女子……不審者……110番でいいのか?」

 

混乱した鷹野の口から漏れたのは、通報の準備だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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