〜Elysion〜 作:楽園
「なぁ、麻弥」
「なんですか?」
「ずっと俺の隣に居ろよ」
優しくそう微笑んだ君彼。
「たまには外に出かけようぜ?」
「ジブン、今日は家に居たい気分ですね」
「え〜、行こうぜ!? 久しぶりに麻弥と出かけたいからさ〜」
そう言って膨れて怒る彼。
「これ、誕生日プレゼントです」
「え? 麻弥……これ、ペアリングか?」
「そうですけど、もしかしてあまり嬉しくなかったカンジですかね……?」
「そんな事ねーよ! ありがとな、麻弥!」
そう言って喜んで泣いてくれた彼。
愛してますよ、ずっと。
もし……君がジブンの事を忘れたとしても。
▼
いつの日か夢を見た。二人で小道を歩いていた夢。いきなり君がジブンに背中を向けて歩いていく夢。
ジブンは何度も君を止めようとしたのに、それでも君は見向きもしなかったっスね? 現実は夢より厳しいなんてよく言うけど、これ以上辛い事なんてあるだろうか。
季節は冬。
もうすぐクリスマスというイベントが来るっていうのに二人の間には冷えたような空気が流れていた。
「俺、病気なんだって」
「……え?」
突如、彼に言われた、俄かに信じがたい話。ましてやこんな事をあっさりと言うから尚更っスよ。
「若年性アルツハイマーっつってさ、記憶がどんどん失くなるって」
そう言って苦笑した彼の顔は、冗談の表情ではなかった。
……何、言ってるんスか? 分かっているつもりでも、頭がその事を理解しようとしていなかった。
「……今までの思い出とかさ、消えてっちゃうって……」
徐々に涙声になっていく彼の声、堪えきれず零れ出した澄んだ雫。強がりで勝ち気な彼の久々に見る涙だった。
儚くも弱々しいその姿を自分はただ見ている事しか出来なかった。気が付けば彼は涙で喋れなくなっていた。
自分は全然理解……というか、受け止められずに居た。頭ん中、ぐちゃぐちゃになっていたけど、気をきかしてなんかのドラマみたいっスねって、抱きしめてあげられたらよかったのに。
『大丈夫っスよ!』
そう言ってあげたかった。彼を励ましてあげたかった。でも……そんな余裕は、今の自分にはなくて……ただ、泣き崩れる彼をを見ている事しか出来なかった……
自分はまだ、辛さなんて解ってなかった。昔読んだ本に書いてあった言葉が、脳裏に過ぎる。
『忘れるの事と忘れられる事、どっちが辛いんだろう』
ただジブンは怖かった。
彼のの中から消える事も、目の前にある掴んだ幸せが手をすり抜け、どこかへ行ってしまう事も……
それからジブン達は、以前よりたくさん会うようになった。少しの時間も、惜しく感じたから。時折見せる彼の切ない笑顔が苦しくて、本当にジブンは何も出来ないんだって、思い知らされる。
こうやって病気の事を、少しの時間でも忘れさせる事くらいしか、何も見つからない……ジブンは、彼にとって頼りになっているんだろうか、彼の支えになれているんだろうか? 。
頭の中はジブンの事でいっぱいいっぱいな気さえしてならなかった。その日は遊園地に来ていた。暗くなってきて、遊び疲れも溜まって来たのかベンチに腰を下ろす。
「去年もさ、2人で遊園地来ましたよね」
「うん、来たね。懐かしいな……」
微笑む君を見て安心し、視線を観覧車へと移しそのまま話し出す。
「ここのベンチで、二人でアイス食べて、お互いに違う味だったから食べ比べ……」
「ごめん」
「え?」
言葉をいきなり遮られ、しかも謝られた。目を丸くして視線を彼に戻す。
「……覚えて、ないんだ」
そう言って、彼は苦笑した。
そ、そうっスか……
もう、彼の頭の中は少しずつ蝕まれていっているんだ。少しずつだが、確実に。ジブンは返す言葉が見付からず、先程の場所へ視線を戻した。
「観覧車……乗りませんか?」
「ん? ……あぁ」
それから、一緒に観覧車乗って。ありきたりだけど頂上でキスをした。
観覧車の動く速さが、いつもより早く感じた。ふと、彼に視線を向けてみると外一面に広がる夜景に釘付けでジブンはそんな彼を微笑ましく見ていた。今日の彼が今まで見て来た中で1番綺麗に見えたから。だから、変に言葉をかけたりはしなかった。焦る事なんて、ないんだ。
何も、いきなりジブンの事を忘れる訳じゃない。今まで積み重ねてきた時間がある。忘れてしまったのならまた新しい思い出も忘れた分だけ作っていけばいい。そうっスよね……単にジブンは気を張り詰めすぎなんだ。
肩の力を込めるなんていつでも幾らでも出来る。だから今は純粋に、彼との時間を楽しみたい。彼との思い出を沢山作りたい。忘れられないような……思い出を。
解ったフリだったのかもしれない。辛い顔の彼を、支えてやれてるかさえ解らない。迫り来る恐怖は、確実に彼を蝕んでいく。
ジブンには……まだ何も理解出来ていなかったみたいだ。頼りないジブンでごめんなさい。
今日は仕事があって、外にいた。仕事の帰りにたまたま公園の前を通るとベンチには人影があった。
こんな時間に?
少し気になりジブンは少しずつ距離を縮める。近づけばすぐに解る、そこに居たのは彼だったから。彼は、今にも泣きそうな顔で下を向いている。
「どうしたんスか?」
はっとしたように彼は顔をあげ、ジブンを見た。彼の横に腰を下ろし、そのまま視線を向けた。
「なんか……怖くてさ」
そう言ってジブンから視線を外しまた俯く。
ジブンは……彼にに何も出来てないじゃないですか……。
仕事して楽しそうに同僚と笑って、彼はこんなにも苦しんでるのに。解ったようなフリしてるだけだじゃないですか。
彼は、いつ記憶がなくなるか解らない恐怖の中、過ごしてるのに。そんな恐怖感……ジブンには解ってやれなくて。
「いつ忘れちゃうんだろう、って……」
苦笑を漏らしながら、ぽつりぽつりと彼は話し出した。
「麻弥からもらったプレゼントとかも、一緒に撮った写真も今までの思い出も……」
言葉を紡げば紡ぐ程、どんどん泣きそうな表情に変わっていく。
「全部、消えちゃうって……」
……そうだ。
ジブンは自分が忘れられたらって事ばかり頭にあった。自分の事ばっかで、忘れる方も辛いって考えてやれなかった……
「……ごめんなさい」
優しく彼を抱きしめて小さく囁く。彼の手は、ジブンの背中にしがみつくように抱き着いてきて。何と無く、手が震えている事が解った。
「忘れたく、ねぇよ」
「ジブンは、どんな風になっても貴方が好きですよ」
「俺も麻弥の事好き、なのに……こんなに……愛してるのに」
優しく彼の頭を撫でながら、空に光る月に目を移す。気付かなかったけど、今日は嫌な程の綺麗な満月だった。
──満月に照らされながら、ジブン達は抱きしめあった。
彼の温もりが、肌に直接伝わる。
ジブンの肩に、涙の生温い感触。
彼と離れたくないですよ、このまま、時が止まってほしいっス。
──気が付くと、ジブンの目からも涙が零れていた。でもその涙を拭う事さえしなかった。一瞬でもこの涙を拭えば、すぐにでも消えてしまいそうで……
「……愛して、いますよ」
そう囁いた言葉は、通りすぎたバイクの音と共に駆け抜けていった。
▼
現実は甘くないなんて解ってた。
だけどそんな物信じられなかった。
こんなにも、胸が痛むなんて。
……こんなにも、泣きそうになるなんて。
今日は彼のお見舞いに行く事になっている。つい先日、交通事故に遭い入院していたから。
幸い命に別状はなかったし、入院といっても検査入院みたいなもので特に心配する必要はなかった。
いざ家を出ようとして、不意に写真立てにぶつかり、床に音を立てて落ちる。
「あ……」
落ちた写真立ては、ガラスの所が少し欠けていた。
床に割れ落ちたガラスを拾って所定の位置に写真立てを戻す。帰ってきたら新しいのに変えよう。そう思って、家を出た。
その写真の中には、ジブンと彼の幸せそうな笑顔が写っていた。歩いてる間のジブンは何も心配していなかった。いつの間にか病院に着いていた。
受付でお見舞いだという旨を説明して病室へと向かう。ジブンがお見舞いに来たらどんな反応をするのだろうか、心配かけてしまったとバツが悪そうな顔でもするのだろうか? 優しい彼の事だから、先ずは謝ってくるんだろうな。
病室に入る前に服装に乱れは無いか、髪型はおかしくないかをチェックする。よし、問題は無さそうですね。ゆっくりと扉を開けた。
「おはようございます! 飛んだ災難でしたな〜!」
そう言って明るく話しかける。
ジブンの言葉を聞くと……寧ろ、ジブンを見て彼は眉を小さくひそめた。
「すみません。貴女、誰ですか?」
──脳への障害なんて、たいしたことないと思っていた。
そんなのに、自分達が負けるはずないって……なのに、残酷にもその時は突如訪れた。
本当に覚えてないんですか……?
「あはは……もしかして逆ドッキリとかですかね……?」
「ドッキリって何の事ですか?」
「……ジブンの事、覚えてませんか?」
「あの、どこかでお会いした事がありましたっけ?」
「……本当に覚えていませんか……?」
「ごめんなさい。どこでお会いしましたっけ?」
あぁ……運命とはこんなにも残酷だったんスね……
「い、いえ……前に少しお話しした事があるくらいなので覚えてなくても当然ですよ!」
ジブンは込み上げてから悲しみと涙を堪える。そしてその事を悟られぬよう、笑顔でこう答える。
「私の名前は大和麻弥です……!」
始めようここから。また新しいスタートを。
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……忘れるまでの、恐怖。
自分の中から思い出……大切な人がいなくなる恐怖感。
忘れられた時の苦しみ。
大切な、愛してる人の記憶から自分がいなくなった苦しみ。
──辛いのは……どっちだと思いますか?