突き刺さるような寒さでかじかむ手を叱咤して、撞木に繋がる綱を握る。一拍間を置いて息を吸い、そのまま振りかぶって思い切り鐘を鳴らした。
境内に鐘の音が響き渡る。大晦日の除夜の鐘。煩悩を払う澄んだ音。自分も含めて初詣に来ている参拝客が大勢いるから鐘の音だけが響き渡るとは行かないが、それでも自分の煩悩を払うだけなら十分だろう。
「成ちゃん景気よく鳴らしたねー。大森も除夜の鐘鳴らして来ないとじゃない?」
「いいんだよ。俺は煩悩のために生きてるんだ!」
「潔いけど偉そうに言うことじゃないでしょ……」
「お待たせ」
除夜の鐘を鳴らし終えて友人のところへ戻る。年越しも目前だというのにいつもと変わらない調子の会話で、こいつらといると飽きないなと苦笑する。
「大丈夫。でも珍しいね。成ちゃんがこういうのやりたがるって」
「そうだな。こういう目立ちそうなのあんまりやらなそうだけど」
「まあたまにはさ」
「何か払いたい煩悩でもあったのか?」
「い、いや別に!?」
「…………」
大森に図星を突かれて慌てて否定する。大森はそうかと納得しているけれど、小林のじっと見つめる視線が痛かった。相談したこともあって小林にはだいたい想像がついているのだろう。
小林に相談して武元を誘うことをやめようと改めて決意してから1ヶ月半くらい。武元との付き合い方で大きく変わったことがあるわけじゃない。以前と変わらず放課後には勉強会をして、勉強会のある日は武元が作ってくれたお弁当を一緒に食べて。それ以外のときも普通に話して遊んで笑っている。
これまでと同じように過ごしているはずなのに、武元が好きだという気持ちは雪のように静かに積もっている。今までと同じように過ごせば今までと同じくらいに好きなままでいられると勘違いしていた。好きだと自覚することの意味を深く考えていなかった。これが好きという気持ちなのだと自覚すると、武元と過ごす時間が今まで以上に色鮮やかに思えてしまって、武元の一挙手一投足に今まで以上に意識させられていた。
普段の生活の中で武元を好きになったのだから、同じように過ごせば同じように好きな気持ちも増していく。そんなことに気づいたのはごく最近で、気づいた頃にはまだ武元を遊びに誘わないという以前した決意が揺らぐほどにその気持ちは大きくなっていた。
だから除夜の鐘を鳴らそうと思ったのはそういう煩悩を払うためだった。もちろん鳴らすこと自体に意味はないけれど、気合を入れ直すにはちょうどいいきっかけだ。
今は自分が武元にふさわしい人間なんだと思えるように、自分のために出来ることをやろう。それで手遅れになったりダメだったりしたら仕方がない。そのくらいの気持ちでいたいと思う。
「怪しいな……まあ唯我が言いたくないんならいいけどよ」
「だ、だからなんとなくだって。それより夜に来ようって誘ったのは小林なんだから小林はいいのか?」
「俺? 俺は別に。ほら、こんな深夜に出かけてもなんにも言われないのって今日だけだし誘ってみようと思って」
これ以上追求されないように小林に水を向けたがあっさりとかわされた。確かにこんな夜中に出歩けるのは今日だけだ。夜中の澄んだ空気の中、友達と一緒にいるというのは非日常的でどこか心が躍る。
「小林はいいんだな。じゃあ先にお参り済ませるか? それとも屋台回る?」
「んー……屋台のほう行こうか。年明けまで少しあるし」
「じゃあそうするか」
大森が尋ねると小林はスマホの画面を確認してから屋台のほうを選んだ。時間を見ていたのだろうか。腕時計もスマホも持っていない俺には今何時なのかわからないので、小林たちを頼るほかない。
小林の歩くほうへついていく。お祭りのように屋台が出ていて目移りさせられる。無駄遣いはできないけど何か買おうかと財布を探っているときに。
「な、成幸!? なんでいんの!?」
聞き慣れた声の叫び声が聞こえて驚きながらそっちへ振り向く。そこには鮮やかな花柄の和服に身を包んだ武元の姿があった。
「た、武元!? お前こそこんな夜中になんでいるんだよ!?」
「あ、あたしは海っちと川っちと初詣に来てて……成幸も?」
「あ、ああ。俺も小林と大森と初詣に」
武元のそばには海原と川瀬の姿もあった。2人とも武元と同じように和服を着て、面白そうに笑っている。たまたま会ったから笑っているのだろうけどこっちはそれどころじゃない。
休みの日に武元に会うなんていつ以来だろうか。はっきりと思い出せないくらい久々で、それだけでも緊張するのに和服姿を見るのなんて初めてだ。武元に和服がこんなに似合うだなんて知らなかった。いつもと違うようにまとめられた髪と淑やかな雰囲気を感じさせる和服がどこか大人びた雰囲気を醸し出していて、普段の武元の様子とのギャップでさっきから心臓がドキドキと悲鳴を上げていた。
「あれーみんな奇遇じゃん! 初詣来てたんだー!」
「うん。この辺で大きい神社って行ったらここだしね。海原たちもそれで?」
「そうそう! やっぱご利益ありそうだしねー」
小林と海原が話す声が聞こえてくる。お互い初詣をするためにここへ来たようだ。大きい神社のほうがご利益がありそうだし賑やかなところのほうが安心だし、考えてみれば知り合いに鉢合わせしてもおかしくない。今さらだけどそのくらいのことは考えておくべきだった。
「めちゃくちゃ白々しいけどさすがに唯我気づくんじゃない? うるかは今唯我と会って頭いっぱいだろうから気づかないと思うけど」
「いやー、唯我も結構鈍いところあるから気づかねえって。あいつも慌ててるみたいだし」
大森と川瀬も小さな声で何か話しているようだけど、こちらはよく聞こえなかった。というか目の前の武元に目を奪われていて、他のことがあまり頭に入ってこない。煩悩を払うとかいうさっきの決意はどこへ行ったのかと、我ながら節操の無さに呆れそうになる。
「ていうか和服着てきたんだ。みんなよく似合ってるね」
「でしょー。着るの大変だったんだよこれ」
「そうそう。苦労したんだからもっと褒めていいぞ」
「和服いいよな! 露出少ないのになんかエロいし!」
「それ私らだったら許されると思って言ってんのか? それとも褒めてるつもりか?」
俺が武元に見惚れている間も小林たちは話を続けていた。和服のことを話題にしている。少しだけ頭が冷えたので武元のことを改めて見てみると、なにか言って欲しそうにソワソワとしていた。目の前にいるというのに、武元の和服姿を見ただけでこんな様子も気づかないくらいいっぱいいっぱいになっていたと思うと焦ってしまう。似合っているとか褒めなければと急いで口を開こうとして。
「た、武元。その――か、可愛いな」
「ふぇっ!?」
気づけばそんなことを口にしていた。
確かに、確かに今一番心の中を占めている言葉はこれだ。だからってそれを無意識に口にしてしまってどうするのか。言われた武元も何か叫んだかと思うとすぐさま後ろを向いてしまった。
「な、成幸。今なんて……?」
「す、すまん。つい無意識に……」
「い、いいから!」
「いや、その……か、可愛いよ」
「はぅ……も、もう一回!」
「か、可愛いって!」
俺が焦っているに気づいてからかおうとしているのか、それとも別の理由があるのか。わからないけど何度も言ってとねだられる。口を滑らせてしまったのが悪いと思って半ばヤケになって繰り返していた。視界の隅に生暖かい目をしている小林たちの姿が見えた。
人前で好きな人に可愛いと連呼させられている。今年の最後に今年一番恥ずかしい思いをしている。何か違いがあるわけではないけれど、新年の初めにこんな恥ずかしい思いをするよりは年の終わりでまだ良かったかなと、恥ずかしさを誤魔化すために適当なことを考えながら武元が満足するのを待っていた。
◆◆◆◆◆◆
お参りをするため本堂へ向かって足を進める。さっきのことを引きずっているのか、6人組だけどなんとなく4対2に分かれている。俺達の前を小林たち4人が先に進んで、俺と武元は少し離れてその後ろを2人でついていく形だ。
あの後こちらに向き直った武元の顔は寒さのせいか赤くなっていて、それからなんとなくお互いに無言のまま歩いていた。
「休みの日にこうやって会うの久々だな」
武元と2人の時間は気まずい沈黙ではなかったけれど、せっかく休みの日に会えたのだし何か話さなければと思って口を開いた。あまりいい話題じゃなかったなと言ってから気づいて少し後悔した。
「う、うん。ケッコー誘ってくれてたのに部活とか色々あってごめんね」
あんな話題の振り方をしたらこう言われるよなと心の中で独りごちる。本当にあったのかという言葉が喉まで来ていたがなんとか飲み込んだ。もし本当は何もなかったとして、それがわかったからといってどうするつもりなのか。武元と気まずくなってしまうだけならそれこそ意味がない。
「い、いや別に。部活とか忙しいんだろうし気にしてないから」
「そ、そっか。よかった」
武元がホッとしたようにため息をつく。演技でやっているようには見えなくて、都合のいい考えだとわかっていても、本当にずっと用事があって断られていたのではないかと信じたくなるような表情だった。
「そ、それよりさ。成幸こそこうやって2人で歩くの嫌じゃないん?」
「……は!? 嫌なわけないだろ!?」
「だって文化祭の花火のとき凄い勢いで……あ、あたしの手離したじゃん?」
好きな相手から思わぬことを言われて思わず声を荒げてしまったが、続くセリフでなんでそんなことを言われたのかを理解した。ジンクスの成立を嫌がっているかのようなことをしたのだから、恋人のように見られるかもしれないことを嫌がっていると思われていても仕方がない。小林と話していた想像はしっかり当たっていたようだ。
「あたしとジンクス成立するの嫌だったんでしょー」
武元がからかうような口調をしているのはあまり気にしていないということなのか、それとも俺が気に病まないようにと思ってのことなのか。どちらにしても俺にとってはあのときのことを謝って誤解を解くチャンスだ。
「う……あ、あのときはすまん。でも違うんだよ!」
「違うって……実際離したくせに」
「ま、まあそうなんだけど、確かに離したけど、別に嫌だから離したわけじゃないんだって!」
「……じゃあ、なんで?」
先ほどまでの口調から一変して、真剣な声色になったように感じられた。武元はじっと俺の目を見て返事を待っている。誤解を解こうと思っている俺と同じくらいに真剣なように感じられて、それが少し意外だった。
「あれは……周りに見られて武元が変な噂立てられたら迷惑だろうなって思ったんだよ。結果的にジンクスが成立しても何もなかったから、余計な心配だったけどさ」
「……迷惑だろうなって、その後あたしのこと遊びに誘ってたのに?」
「そ、それはその……」
まさかジンクスのおかげで武元のことを好きだと自覚したから誘ったんだなんて正直に言うわけには行かない。聞かれるだろうとは思っていたので、用意していた答えを伝える。
「だから、変な噂とか何もなかったから誘ったんだよ。お前と遊ぶの、す……た、楽しいからさ」
「そ、そっか。……そ、それだけ?」
「それは……」
嘘ではないけどそれだけでもない理由。用意していたはずなのにそれでも口を滑らせてしまいそうになった。幸いそれには気づいていないようだけど、その代わり本当にそれだけなのかと聞かれてしまった。武元が意外と鋭いのか、それとも俺の態度が不自然だったのか。きっと両方だろうと思う。
「花火のときお前の手離したこと、悪いことしたって思ってたんだよ。弾みでだけど嫌がってるみたいな感じで離しちゃったから気にしてるかもって。……関係あるのかわからないけどなんか落ち込んでたし。責任っていうと大げさだけど、俺のせいだったら俺が元気にさせなきゃって思って誘ってたっていうか……」
本心からの言葉だけど、どんどん声が尻すぼみになっていく。今までのことを思い返すとどうしても声に力が入らなかった。
武元が落ち込んでいたのはジンクスの相手が好きなやつじゃなかったからだと思っている。だから俺と遊んだから元気になってくれるなんて、簡単に行くわけじゃないことは最初からわかっていた。
だけど俺がジンクスの相手だったからと好きな人を落ち込ませてしまったのに、それで武元が好きな誰かが武元を元気にさせてしまったらと思うと、あまりに情けなく感じられて耐えられなかった。武元が他の誰かを好きだとしても、落ち込ませてしまった武元を元気にさせるのは、他の誰かじゃなくて自分でなんとかしたいと思った。
……まあ、結果は何度も誘いを断られたわけで。やっぱり自分じゃダメなのだろうとほとんど心は折れたけど。
「というかさ。誘ったの断ったやつが聞くなよお前……」
情けないと思ったが、愚痴をこぼすのを止められなかった。小林と話してそれなりに立ち直ったとはいえ、傷口に塩を塗るような真似はやめてほしい。
「ご、ごめん! ほ、ホントにたまたま全部ダメだったの! 今度、ていうか冬休み中に遊びに行こ! あたし冬休み暇だしさ!」
「……え? い、いいのか?」
「も、もちろん! ほらお詫びにお年玉でおごるから!」
「い、いらねえよそんなの。……そっか。本当に用事があったんだな」
「う、うん!! ……お詫びとか楽しいからとかで良かった」
武元の力強い返事で肩から力が抜けて下を向く。目から涙がこぼれそうなのを必死で堪えた。武元からしたらたまたま行けなかっただけなのだから、遊びに行こうというだけで泣いてる俺を見たら気持ち悪いと思われてしまう。安堵のため息をつきながら、涙を堪えきれたのを確認して、ずっと下を見ていると不自然に思われないように顔を上げた。
「……武元?」
「ア、アハハ……」
顔を上げると武元はなぜか気まずそうに目をそらしていた。不思議に思って見つめていると武元は愛想笑いを浮かべる。そういえば返事の後に小さい声でお詫びとかなんとか言っていたけどあれはどういう意味だったのだろうか。細かいところまではよく聞こえなかったし、なんのお詫びかも見当がつかないから考えても仕方がなさそうだけど。
ともかく結局のところ、小林の言うとおり本当に行けなかっただけだった。勝手な思い込みをして一人で勝手に落ち込んで、一体何をやっていたのかと自分で自分を責めたくなる。
「と、とりあえずさ! 成幸は冬休み一緒に遊びに行ってくれるってことでいいんだよね!?」
「お、おう。俺も予定ないし、いつでもいいから」
「良かったー! じゃあお参りのあと予定決めよ!」
武元は鼻歌交じりの軽い足取りで弾むように歩いている。急に上機嫌になった理由はよくわからないけど、きっと用事があったとはいえ誘いを断っていたのが武元の中で引っかかっていたとかそんな理由だろう。
それよりもこの間やるだけのことをやるまでは武元を誘わないと誓ったのに、自分から誘ってないからといって遊びに行くのはいいのかという自問自答が頭を過ぎる。とはいえこれを断って武元を落ち込ませてしまっては元も子もない。そう言い訳をして余計な考えは無視することにした。
そもそも久々に武元と遊びに行けると思うと自分でも驚くくらいに嬉しくて、断るなんて全然頭に浮かばなかったから全部後付でしかない。自分の意志の弱さに苦笑しながら、隣を歩く武元の心から喜んでいるような笑顔を横目で見ていた。
◆◆◆◆◆◆
「初詣終わり! このまま遊びに行こうぜ!」
「いやこの服装で行けるか。だいたいこんな夜中に行かねえっつの」
「えー!? せっかく和服なのに行かないのかよ!?」
お参りを終えて騒ぎ出す大森に川瀬がツッコむ。多分本気で言ってはいないと思うけど、川瀬とのやり取りが面白くてクスリと笑う。
「何がせっかくなのさ……。それより大森は初詣なにお願いしたの?」
「当然、可愛い彼女ができますようにってお願いしたぜ! 小林はなに頼んだんだ?」
小林が大森の話を打ち切らせるように話しかけ、大森も調子よく答える。だいたい想像通りのお願いだった。叶うといいなと思いながらも、小林が何を願ったのか気になったので2人の話に聞き耳を立てる。
「俺? 大森と似てるけどいい子と付き合えますようにってお願いしたよ」
「は!? お前はそんなお願いする必要ねーだろ!? 嫌味か!?」
「嫌味でするわけないでしょ……。割と真剣なんだよ」
大声を上げる大森に小林は落ち着いて応じる。なるべく表に出さないようにしているが、俺も小林のお願いを聞いて大森と同じく驚いた。誰々から告白されたなんて噂を毎月のように聞く小林のことだからきっと誰かいい子なんてつもりではないと思うけど、そうすると誰か好きな相手がいるということになる。普段からそんな素振りを見せたことがなかったので目を剥くほどには驚いた。大森が叫ばなければ俺が声を上げていたと思う。
「ねー、成幸は何お願いしたん?」
「わっ!? た、武元、脅かすなよ」
「フツーに聞いただけなんだけど……? んで成幸はなにお願いしたん?」
衝撃の事実に驚いていたところに声をかけられて思わず叫んでしまった。女子同士で話していたはずだけどいつの間にか抜けていたようだ。ドキドキと動悸をしている心臓を抑えて深呼吸。冷たい空気を取り込んで気持ちが落ち着かせてから返事をした。
「俺は……まあ大したことじゃないけど、成績がこのまま伸びますようにとか家族が健康に過ごせますようにとかそんなとこ」
本当はもう一つあるけどいくらなんでも本人には言えない。
「あれ、特別VIP推薦に選ばれますようにとかじゃないん?」
「あー……選ばれるのは3年になってからだからまだ早いと思って」
「そっか。でもマジメで成幸らしい」
「……褒められてないよな?」
「いやいや、褒めてるつもりだかんね!?」
少しからかうと武元が慌てる。焦る姿があんまり可愛らしかったので思わず口元がほころんだ。
特別VIP推薦のことを願わなかった一番の理由は、それで行ける学校では教員免許を取ることができないからだ。絶対に教師を目指すと決めたわけではないけど最近はその道を強く意識している。
学費のこともあるし特別VIP推薦を目指すのをやめたなんて軽々しく決められるわけではない。ただ目指すかもわからないものをお願いするのは違うように思えてなんとなくお願いするのはやめていた。
「まあいいけどさ。そういうお前は?」
「あたし?」
「ああ。やっぱり今年も国体1位になれますようにとかか?」
「んー、それは一回叶えちゃったしお願いしてない。団体で全国行けますようにとかも考えたけど、それも自分たちでタッセイしたほうがいいかなって」
武元の言葉に感心してため息が漏れる。武元は才能に溢れていてもそれ以上に努力を重ねるやつだから、自分の力で叶えるという気持ちが強いのだろうか。アスリートじゃない俺にはよくわからないけど、それにしてもストイックだなと思う。
「そっか。じゃあ何お願いしたんだ?」
「えーっと……言うのちょっち恥ずかしい、っていうかメーワクかもしれないんだけど」
武元はそう言うと、頬を朱に染めて、少しだけ目を泳がせる。気になるから言うように促すと、小さく頷いてからゆっくりと話しだした。
「その……な、成幸が先生になれますようにって」
「……え!? な、なんでそれ知って……!?」
教師を目指しているだなんて誰にも言った覚えがない。確かにそれを意識し始めたのは武元に先生に向いていると言われたからだけど、それだってほんの少し話しただけで、そんな真剣に目指しているとか思われるようなものじゃなかったはずだ。
「あたしが先生に向いてるとか言ったから気づいたってのもあるかもだけど……成幸さ、最近図書室で先生になる方法みたいな本よく読んでるじゃん? もしかして本気で考えてくれたんかなって思って。大きなお世話かもしれないけど、もし先生になりたいと思ってるなら叶えてほしいなって思ったんだ」
一言一言、余計なことを言ってはいないかと心配そうにしながら、けれど淀みなく武元が話す。
よく読んでいるとは言っても変に気遣わせないようになるべく隠そうとしていたはずだ。そんなに俺のことを気にしてくれていたのだろうか。
「あたしじゃどうにもならないことだから、カミサマにお願いするしかないし。日頃のお礼も兼ねてっていうか……まあこんなん、なんのお礼にもなんないと思うけど」
武元は恥ずかしそうに頬を掻いて目を逸らす。それから改めて俺に向き直ると優しく笑った。
「落ち込んでるの気づいてくれてたり、成幸があたしのことちゃんと見てくれてるの凄く嬉しいんだ。でもね」
武元はそこまで言うとゆっくりと息を吸う。自分を勇気づけるような、そんな仕草だった。
「あたしだって成幸のことちゃんと見てるんだよ?」
武元はそう言って柔らかく微笑む。深夜だというのに武元の周りだけ輝いているように感じられて。その瞬間、俺の目には武元以外の何も映っていなかった。
「武元、す――まん。変な心配させちゃって。全然大きなお世話なんかじゃないよ。ありがとな」
自分の好きな人が自分のことを見てくれている。それだけのことが信じられないほど嬉しくて、思わず馬鹿なことを口走りそうになる。
俺の拙い感謝の言葉を聞いた武元は、えへへと無邪気に笑いながら、恥ずかしそうに俯いていた。どうしようもなく可愛いなと、心の底からそう思った。
ああ、やっぱりこいつのことが好きだ。
改めて自覚した。出来ることをやって、それでもダメなら仕方がない。そんなことを思っていた自分の考えがどれほど甘かったか思い知らされた。こんな言葉一つで揺らいでしまうほど自分が武元を好きなんだということすらわかっていなかった。ダメなら仕方がないなんて、そんな覚悟もできていないくせによく言えたものだと自分自身に呆れてしまう。
自分が武元に見合う男だなんて思えない。一生かけても釣り合いなんて取れないかもしれない。それでも彼女が幸せになるのなら、他の誰かの隣ではなく自分の隣で幸せになってほしい。我がままで身勝手な願いだけれど、どうしようもない衝動だった。
やるだけのことをやったなんてまだ全然思えない。武元にふさわしいだなんて自分自身すら騙せない。だけど鐘をついて振り払ったはずの煩悩がすでに蘇っていて、今度は振り払えそうもなかった。
今じゃない。今じゃないけど、武元が好きな誰かと結ばれてしまう前に。手遅れになってしまう前に気持ちを伝えようと、そう決意した。