暗くなった校舎の中を成幸と歩く。2人並んで寄り添って、手を繋いでゆっくりと。絡まった指から熱が伝わって、2月だというのに体はポカポカと暖かい。
こんな風になればいいなとずっと夢見ていたけれど、実際に叶うなんて思ってもなかった。現実感がまるでなくて、ときおり成幸の横顔をチラチラと見て、手を繋いでいる相手が成幸なんだということを確認している。
「なあたけ……うるかはなんで教室で待ってたんだ?」
「呼び方まだ慣れてないん?」
「しばらくは勘弁してくれ……。それでなんで待ってたんだ? 俺が戻らなかったかもしれないのに」
「図書室にいるの知ってたろ」と成幸が追い打ちをかけてくる。なんというか話を逸らそうとしたことで察してほしい。そう思って見つめ返すけど、成幸はキョトンとした目で首を傾げたままでいる。
裏も何もない純粋な目。この目を見るといつもズルいと思う。こんな目で見つめられたらなんだって言ってあげたくなってしまう。
「……まあ、カンタンに言っちゃえば今年もヘタれちゃったっていうか……。今年はちゃんと直接渡そうと思ったんだけど渡せなくってさ。いつもどおり机に入れようとしたんだけど、そしたら成幸が忘れ物してるのに気づいて」
ケッキョク根負けしてしまった。言ってしまえば情けないだけのハナシで、あれだけバレンタインに全てを賭けるつもりでいたのに、それすらやりきることが出来なかったというのは我ながら恥ずかしかった。
「6時まで待って、もしそれまでに成幸が来たらチョコ渡そうって思ったんだ。それで渡せなかったら今年も諦めようって」
「そうだったんだな。……間に合って良かったよ」
成幸は心底ホッとしたように呟いた。成幸が忘れ物をしたのも、あたしがそれに気づいたのも、時間までに成幸が来てくれたのも全部偶然だけど、その偶然を成幸も大切に思ってくれているのが嬉しくて、胸の奥がじわりと暖かくなった。
「それでなんで逃げたんだ?」
「うぇっ!?」
「結構心折れかけたんだからな」
「だ、だって今日は渡すだけで勇気使い切ったのに、その上隠れてチョコ渡してたのまでバレちゃって、ちょっと色々限界になっちゃったっていうか」
これで許してくれない成幸は中々のドSなんじゃないだろうか。……というか、これは絶対に言わせたいだけだと思う。
だってそーいう顔してる。いたずらっぽいイジワルな顔。あたしの慌てる様子を見て、愉快そうに微笑んでいる。
成幸にこんなイチメンがあるのは意外だったけど、そういうところも見せてくれたのだと思うと悪い気はしない。なんなら嬉しいとさえ思ってしまう。
「へー。……もう逃げるなよ」
「ひゃっ!?」
一歩体を寄せられて、そんな言葉を耳元で囁かれた。雷でも落ちたみたいに体が痺れる。こんなの反則だ。
逃さないと態度で表すようにギュッと手を握りしめてくる。そのちょっとした痛みが愛おしい。
嬉しさと恥ずかしさでどうにかなりそうで、顔は火傷してしまいそうなほど熱い。
何か喋ろうと口を開いたが言葉にならない声しか出なかったので、無言のままうつむき加減で足を進めた。
視界の隅に、あたしの顔を見つめて満足そうにしている成幸のイジワルな顔が映る。それを見てときめいてしまうから、付き合ったばかりでこれは我ながら色々とダメなんじゃないかとか、もう手遅れだろうかとか、そんなことを考えて悶々としてしまった。
◆◆◆◆◆◆
教室について中を見回す。チョコがあのときのまま机の上に置かれているのを確認して、ほっとため息をついた。
「チョコ残ってる! よかったー!」
「いくらバレンタインだからって、箱の蓋空いたチョコ盗るやつなんていないんじゃないか?」
「せんせーが持ってくかもしれなくない?」
「……確かにそれはあるか」
テキトウな雑談を続けながらチョコのある机に近づく。机の周りに放り出されたままの成幸のカバンが、あのときどれだけ急いで追いかけてくれていたのかということを教えてくれた。
悪いことをしてしまったという気持ちもあるけど、それよりもこんなにも自分のことで必死になってくれて嬉しいという気持ちのほうが大きい。成幸があたしに追いつくなんて、どれだけ頑張ってくれたのだろう。
逃げて困らせてしまったというのに我ながら酷く自分勝手な感想で、自分にこんなにもワガママな一面があったなんて意外だった。とても成幸には言えないけれど、この胸に広がる暖かさはきっと一生忘れないと思う。
「チョコありがとな。残りも大事に食べるよ」
「うん……」
「……うるか?」
成幸の声を無視してチョコを渡さず少し考える。あたしがチョコを渡そうとしないから、成幸は不思議そうにあたしの名前を呼んだ。
よし、やろうと決めて、チョコを一口サイズに割って成幸の口元に差し出す。いわゆるあーんというやつだ。
さっきの仕返しとばかりに口角を上げて成幸の顔を見つめる。さっきは不意打ちでドキドキさせられてしまったから、今度はあたしが成幸をドキドキさせたい。
差し出されたチョコを目にした成幸は、面を食らったような顔であたしの指先を見つめている。少し積極的過ぎた気がするけど、しっかり効果はあったみたい。
「う、うるかお前な」
「あ、あーん!」
「……わかったよ」
成幸は顔を赤くして口を近づけてくる。上手く行ったのは嬉しいけど、成幸が近づいてくるのを意識してしまって指が震え始めてしまった。
これじゃあ成幸が食べづらい。震えを止めようとしてみたけど、成幸がゆっくりと近づいてきていることのほうを強く意識してしまって止まりそうにない。チョコをぶつけてしまわないように一度指を引っ込めようとすると、それを追うように成幸が迫ってきて。
「あ」
その勢いのまま、成幸はチョコを口に含んだ。あたしの指のおまけ付きで。チョコと一緒に人差し指の先端が熱い体温に包まれていて、反射的にまぬけな声を上げてしまった。
「わ、悪い! 汚いよな、今拭くから……」
成幸はなにか喋って、ガサゴソとポケットを探っているようだ。慌てている様子は感じられたけど、こっちはそれどころじゃなくてほとんど頭には入って来なかった。
成幸が咥えた指。もう離れているのになんだかとても熱く感じた。ぼうっと見つめてしまって、無意識のまま口元に添える。チョコの甘い匂いがして、思わず舌を指先に這わせていた。
チョコの味。成幸の味。頭の中がフワフワと痺れるような多幸感に包まれていて、心臓の音が耳元で鳴っているように感じる。
キスだってもうしたのに。それより軽いことのはずなのに。なにか悪いことをしているかのような背徳感が甘やかに背筋を伝っていて。
だから、目の前に迫っている成幸には気づかなかった。
「お前な……そんなふうに誘われたら流石に俺も黙ってないからな」
「え!? あ、いやこれは違くて! 誘ったとかじゃなくってつい無意識でやっちゃっただけっていうか……」
じりじりと後ずさりして壁につく。けれど成幸もゆっくりと近づいてくるから、目の前にいるのは変わらない。問答無用と言わんばかりの強引さで、見たことのない表情はちょっと怖い。だけどそれより、こんなにも男の子を感じる顔をあたしに向けてくれているということに感情が強く乱されていた。
嬉しくて、怖くて、なにか期待していてどこか不安で。
「……嫌だったら言ってくれ。……その、押し返すとかでもいいから」
声が震えてるように聞こえたのは、きっとあたしの気のせいじゃないはずだ。
緊張も不安もあたしと同じように感じている。それに気づいたら強張っていた体から力が抜けた。
だからとりあえず今のところは。身を委ねてみてもいいかなと思った。
二度目のキスは、やっぱりチョコの味がした。
◆◆◆
結局あの後、見回りの先生の足音が聞こえて、2人して我に返ってそそくさと帰宅した。
もしも来なかったらどこまで行っていたんだろう。あたしも、きっと成幸も、なんのジュンビもなかったからあれ以上はさすがに断って――。
「ジュンビってあたし何考えてんの!? ていうか学校だし!」
妄想を振り払おうとして、叫びながらベッドの上でジタバタしたけど、しばらくするとママに叱られてしまったので大人しくする。
大人しくしているとまた妄想が始まってしまって余計に眠れない。かといってもう暴れていいような時間でもない。
今も体に残る成幸の体温を想いながら、ベッドの中で眠れない、けれど幸せな夜を過ごした。