「成ちゃん、テストどうだった?」
「まあそれなり。小林は?」
「国語はちょっとよかったけど、後は平均くらいかな。大森はどう?」
「俺もだいたい平均くらいだったわ」
高校に入学して約2ヶ月。5月も終わりに差し掛かった頃、先週受けた中間テストが全て返却された。
成績は大体中の上。悪くはないけど特別VIP推薦を目指すと思えば物足りない点数だ。もっとも自分がなんでも出来る人間じゃないことはよくわかっている。高校生活にも慣れ始めたし、勉強を続けてこれから成績を上げていけばいいだろう。ここがスタートラインだ。
「うえー。英語補習になっちった……」
「うるか、さすがに赤点は取るなよ」
「気抜きすぎ」
「だって高校のベンキョー難しいんだよー!」
窓際の方から聞き慣れた武元たちの声がする。聞き耳を立てるまでもなく聞こえてくる音量で、テストの結果を話していた。武元は赤点だったらしい。何やってるんだ。というか周りに聞こえるような声であんなことを言うのはなんだかモヤモヤするのでやめてほしい。
「でも唯我あれだけ勉強してる割には点数そこそこだな」
「え? あ、ああ、いいんだよ。元々勉強の要領いいわけじゃないし、コツコツやってもっと成績上げていけば」
武元たちの方に意識を向けていたところに大森から声をかけられる。不意を突かれて少し反応が遅れてしまったが、大森の方に意識を向け直して返事をした。
今回のテストで物足りない点数しか取れなかったのは確かだけど、今の自分がどのくらいにいるのか、どのくらい努力すればいいのかという目安がわかっただけでも十分だ。
「うおーストイック! カッコいいな!」
「ていうか失礼でしょ」
「あ、そうだよな。スマン!」
俺の言葉に大森は大きく感心したような声を上げ、小林はそもそもそんなことを言うなと咎めるようにツッコミを入れる。大森の謝罪の言葉に俺は「全然気にしてないから」と苦笑しながら返事をしたが、小林はまだ少し説教をするようだ。
小林の苦言を聞きながらふと武元の方に目を向けると、机に突っ伏して絶望したような顔で長いため息をついていた。川瀬と海原はそれを見て笑っている。感情をそのまま態度に出しているのがなんだか面白くて、見ている俺もついくすりと笑ってしまった。俺が見ていることに気づいていたのか、武元がぴくりと反応を示したので慌てて目をそらして小林たちとの会話に加わった。恨みがましい視線を感じるような気もしたけれどそれには気づかないふりをした。
◆◆◆◆◆◆
「あれ、武元?」
「な、成幸!? なんでこんな時間に!?」
図書室で軽く今日の復習と明日の予習を済ませたあと、帰宅するため昇降口へと足を向けるとちょうど武元が靴を履き替えようとしているところに出くわした。珍しく一人でいたので気になって声をかけると、武元は慌てた様子で返事をした。
「ちょっと勉強してた。武元は部活帰りか?」
「ううん。補習受けてた」
「ああ、英語の」
だから一人なのか。納得して頷く。
「初っ端から補習って……。英語赤点だったんだって?」
「あっ! やっぱ聞いてたんだ!」
「あれだけ大きい声で話してたら聞こえるって」
武元が非難めいた声を上げるが、あれは聞こえるような声で言う武元が悪い。そもそも別に聞きたいわけじゃないのだ。まだ武元のことをよく知らないクラスメイトが、あれを聞いて武元のことをバカだと思うんじゃないかと思うといい気分はしなかった。まあそんなのは勝手な想像でしかないけれど。
ともあれどう考えても俺は悪くないはずだけど、武元はまだジトーとした目で俺を見ている。あまり見られ続けるのもつらいので、話をそらすためにも「一緒に帰ろうか」と提案した。
「い、一緒に!?」
「な、なんだよ。そんなに驚くようなことか?」
「う、ううん。そうじゃないけど……」
軽い気持ちで言ったのに、思いのほか激しい反応が返ってきて戸惑う。武元は大きく手と首を振って違うと言っているが、どことなく歯切れが悪い。もしかして高校生になったのだし、周りに影響されて武元も男女関係を意識するようになったのだろうか。だとすれば悪いことを言ってしまった。
「まあ確かに入学式のときしか一緒に帰ってないけどさ。もしかして男と2人で帰るの嫌だったか?」
「い、嫌じゃないってば! べ、別に今までだって嫌だったわけじゃないかんね。時間が合わなかっただけだから!」
2人で帰ることが嫌じゃないか確認すると武元は慌てて否定した。嘘を言っているようには見えない。だから余計にさっきの反応はなんだったのか気になったが、あまり深堀りすることでもないだろう。改めて一緒に帰ろうと武元に促すと、今度は「わかった」と嬉しげに返事をした。
◆◆◆◆◆◆
「でもいきなり補習って、ゴールデンウィークとか何してたんだよ」
「部活と遊び!」
「お前それ偉そうに言うなよ……」
2人で会話しながら下校していると、武元の補習に話題が及んだ。ゴールデンウィークに勉強をしなかったのはしょうがないにしても、それを元気よく言われると脱力してしまう。
「だって高校入って初めての連休だししょーがないじゃん! まあ勉強してた成幸は偉いと思うけどさー」
「……まあ俺もずっとやってたわけじゃないし少しは遊んだけどさ。でも少しくらい勉強しろよ」
「正論やめてー!」
武元はそう叫んで頭を抱えた。まあ武元の気持ちはよく分かる。新しく出来た友達と遊ぶなら絶好の機会だし、実際俺も少しは遊んだ。とはいえテストが近いというのに全然勉強しなかったのはダメだろう。ただでさえ高校生になって勉強の難易度も上がっているのに。
「ところで英語以外はどうだったんだ?」
「な、何が?」
他の教科がどうだったのか聞いてみると武元は露骨にとぼけた。冷や汗をダラダラと流して俺から目を背けている。あまりにもあからさまなその反応でだいたい予想はついたけど、確認のために聞いてみる。
「何がって、中間テスト」
「え、えーっと……」
「そんなに悪かったのか?」
「いや、その……赤点ギリギリ?」
「……全部?」
「ゼンブ」
予想以上の結果に思わず「おお……」とどこか感心したような声が漏れてしまった。いくらなんでも入学したばかりで赤点ひとつに他も赤点ギリギリというのはマズい。武元だって受験に合格して入ったというのになんでそんな成績になるんだ。
「お前何してたんだよ。高校受験のときはあんなに頑張ってたじゃないか」
「だ、だって高校合格って目標達成したら気が抜けちゃってー!」
「わかるけど限度があるって」
「うー」
会話を続けると武元は涙目になって唸り声を上げた。……少し言い過ぎたかもしれない。受験勉強を乗り越えて入学したばかりなのだから、つい気を抜いてしまう気持ちはさすがにわかる。まして武元は元々勉強が好きじゃないのだ。
フォローしようとかける言葉を探してまごついていると、逆に武元から声をかけられた。
「……でも成幸、あたしが頑張ってたの見てくれてたんだね」
「え? ……まあ同じ高校目指してた仲だし気にはしてたよ。ノートもよく貸してたし」
「そっか。そっか」
武元は俺の返事を聞くと満足そうにして前を向いた。そうしてひとつふたつ頷くと「えへへ」と誰に見せるともなく微笑んだ。いつもの快活な笑顔とは異なるあどけない笑顔。不意に見せられた表情に心臓がドキリと跳ねた。少しだけ顔が熱くなるのを感じて、武元にバレないようにそれとなく顔を背ける。
「ねえ、成幸。英語赤点だったから、お願いがあるんだけど」
「な、なんだよ」
武元のことを直視できないでいるところで、急に名前を呼ばれた。咎められているような気がして思わず声が上擦ったが、英語が赤点だからというのであればきっと勉強のことなのだろう。少し安心する。
お願いというのは勉強のためにノートを貸してほしいというあたりだろうか。別に武元が相手ならいつものことだからいいのだけど。
「その……べ、勉強教えてくれない?」
「教える? ノート見せるとか写させるとかじゃなくて?」
「うん。成幸がよかったらなんだけど直接教えてくれないかなって」
予想外の提案で思わず聞き返した。勉強が嫌いなはずの武元が勉強を教えてほしいなんてどういう風の吹き回しだろう。
「……なんで? 中学のときはノート見せただけで教えたことなんてなかったろ」
「だって高校の勉強難しくって、自分でやっただけじゃチンプンカンプンなのー! あたしだって全然勉強しなかったわけじゃないかんね。一応やったつもりだったけど思ったよりわかんなくってさー」
ひとしきり勉強に対して不満を言い終えると武元は唇を尖らせた。確かに高校の勉強は中学の頃より難しくなっている。まだ高校生活に慣れきっていなかったり、部活が大変だったりして余計に頭に入らないのかもしれない。先生たちじゃなくて俺に教えてほしいというのは少し気になったけど、きっとまだ高校に入ったばかりだから武元でも先生には聞きづらいと思う気持ちがあるのだろう。
「それくらいならいいぞ。自分の復習にもなりそうだし」
「ほんと!?」
俺の返事を聞いた武元は目を輝かせて喜んだ。勉強を教えるというだけのことがそんなに嬉しいのかと少し驚く。もしかして断られると思っていたのだろうか。
自分の復習になるというのは嘘ではないし、それ以上に勉強嫌いな彼女が自分から勉強したいと言っているのだからその気持ちを尊重したかった。それに武元が困っているというなら出来る範囲で助けたい。
「ありがとね、成幸! 代わりにあたしからもなんかするから!」
「いいよ別に。自分の復習にもなるって言ったろ?」
「ううん、そういうわけにもいかないっしょ。あたしがお願いして教えてもらうんだから」
武元からの申し出を断ろうとしたらすぐさま却下された。武元の目は真っ直ぐにこちらを見据えていて、その視線はどんなに遠慮しても無駄だと百の言葉よりも雄弁に語っていた。折れるしかないと悟って「わかったよ」と頷くと、武元は満足そうに笑みを浮かべた。
「じゃあわかんないことあったらLINEで聞くから教え……そーいえば成幸スマホ持ってないんだっけ?」
「う……しょうがないだろ」
「いま本体もプランもそんな高くないのも多いよ?」
「俺が持つと妹も持ちたがるだろうし、そうなるとなあ」
俺がスマホを持っていないししばらくは買うつもりもないと聞いた武元は残念そうに肩を落とす。わからないところをすぐ聞いてあげられないのは悪いと思うけれど、こればっかりは仕方がない。それほど高くないとは言ってもお金はかかるのだ。
「勉強教えるのは放課後に定期的にって感じになっちゃうけどいいよな?」
「うぇっ!? ほ、放課後定期的に? 2人で集まって!? い、いいの?」
「いいのって連絡つかないんだからそれしかないだろ。いつならいい?」
「え、えっと。月曜日は練習が休みなのと水曜は部活が短いからその辺りなら」
「わかった。じゃあ月曜と水曜な」
月曜日と水曜日の週2回。そこまで多くはないけど武元は部活も忙しいのだからこのくらいがちょうどいいだろう。勉強の習慣がつくだけでも意味があるはずだ。武元が赤点を取ったなんて騒ぐ姿を見なくて済むようにはなるくらいには頑張らないと。
「水曜日は部活あるからちょっち遅くなると思うけどいいん?」
「終わるまで勉強してるから大丈夫。気にすんな」
武元の心配に問題ないと返事をする。自分としても学校に残って勉強をするきっかけになるから別に迷惑にはならない。それよりは部活をした後に勉強をする気力が武元に残っているかどうかのほうが心配だった。始まる前から気持ちを挫いても仕方がないのであえて言わないけれど。
返事をしてから少しすると隣で武元が小声で「どうしよ」なんて言っているのが聞こえてきた。本当に勉強することになったのが予想外だったのだろうか。前途に少し不安がよぎる。
武元の様子に少し不安を抱えながら歩いていると、武元と分かれる道にたどり着いた。武元を見ると気づいていなさそうだったので声をかけることにした。
「武元。ここで曲がるんだったよな」
「え? あ、う、うん、そう! これからよろしくね。じゃあね、ありがと!!」
武元は分かれ道に差し掛かっていたことに気がつくと、慌てた様子で返事をして、弾むような足取りで少し速歩きに帰っていった。その様子を見る限り勉強することを嫌がってはいなさそうで心配は杞憂だったなと安心した。さっきの独り言はなんだったのか少し気になったけど、それはまあ考えても仕方がないだろう。
「どうやって教えるかも考えないとな」
姿が見えなくなるまで見送って、改めて歩き始める。ちゃんと人に教えるというのは初めてだけど、面倒だとかいう気持ちがあまり沸かないのは我ながら意外だった。相手が武元だからかもしれない。昔から水泳に全力で打ち込んでいるやつだし、助けられた相手でもあるから、俺が助けになれるのならなってあげたいと思う。
けれど冷静になって考えてみると、2人きりで勉強するというのは相手が武元であっても緊張するものがある。2人で帰るのだって少しは意識しているのだ。あっちはどうなんだろうと思ったが、武元から勉強しようと言ってきたのだからきっと緊張しないのだと思う。さっきは武元も男女関係を意識するようになったのかと思ったけど、それは多分気のせいだったのだろう。
あっちが意識していないのにこっちだけ意識するのはちょっと悔しいし、勉強したいと思っている武元に失礼だ。最初からとはいかないかもしれないけど、なるべく速く余計な意識をしなくなるように、武元といることに慣れようと一人密かに決意した。