勇気を出した人魚姫   作:フユキ 

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燦爛たるその姿に彼は[x]を抱く

 夏休みが始まりしばらく経った8月。うだるような猛烈な暑さが連日のように続いている。家から外に出るのもはばかられるような酷暑のなか、俺は水泳の補習のために一ノ瀬学園に登校していた。夏休み中の学校は閑散としていて、グラウンドから聞こえる運動部の掛け声がよく響いている。

 校舎に入って滝沢先生に声をかけ、更衣室で水着に着替えて室内プールへと向かう。補習を受けるのは俺一人だと言っていた。情けないようなホッとしたような複雑な気分だ。念のため水泳部が練習しているかどうか聞いてみると今日は水泳部の練習はないと言われた。教える気満々だった武元には悪いと思うが、それでも情けないところを見せなくて済むと思うと安心する。

 室内プールの前に着いてドアを開けようとノブに手をかけたところで、中から水音がすることに気づいた。補習でも水泳部でもないのに誰かいるのだろうかと訝しがりながらドアを開けると。

 

「あれ? 唯我くん?」

「唯我? 覗きにでも来たのか?」

「川瀬と海原!? 覗きじゃないっていうか、水泳部の練習はやってないって聞いたのになんでいるんだよ!?」

「うるかの自主練に付き合ってるんだよ。水泳部は先生に言えばプール使わせてくれるから。ほら、うるかも今上がって来た」

 

 川瀬が指差す方を見ると、ちょうど武元がプールから上がって来るところだった。武元は首を振って水を飛ばすと、俺がいることに気がついたのか驚きの声を上げた。

 

「な、成幸!? なんでプールにいんの!? あ、もしかして今日が補習!?」

「……そうだよ。補習で来たんだよ」

「補習?」

「水泳の補習。赤点にならないように受けろって先生に言われて」

「唯我くん運動得意じゃないとは思ってたけど、補習になるくらいダメだったんだ」

「うっ……」

 

 武元どころか川瀬と海原にまで補習を受けることがバレてしまった。そもそも隠すことでもないし自意識過剰なのだろうけど、好奇の目で見られている気がして落ち着かない。

 

「今日補習ならそうだって言ってくれればよかったのに。たまたま来てたからよかったけどさー」

「あ、うるかは知ってたんだ」

「うん。夏休み前に聞いてたんだ。あたしが水泳教えてあげるって言ってたのに」

「補習の日教えるためだけに電話するのもちょっとなって思ったんだよ」

 

 半分本当で半分嘘。そのためだけに電話をしづらかったのは本当だけど、武元に教えてもらうのは緊張してしまいそうなので電話をしづらかったというのも理由の一つだ。それを聞いた武元は不満そうに唇を尖らせている。

 

「別にそれだけでもなんでも電話してくれていいのに」

「すまん、悪かった」

 

 そう言って武元に謝ったところで滝沢先生が室内プールへやってきた。滝沢先生が水泳部の顧問だからか、一瞬で武元たちは真面目そうな顔つきに変わっていた。

 

「唯我、補習を始めるぞ。お前達、悪いが1レーン使わせてもらうぞ」

「あ、はい」

「わかりました、大丈夫です」

 

 武元は顔つきだけでなく返事もどことなくかしこまっている感じがする。俺のどこかぼんやりとした返事とは全然違っていて、こういうところは体育会系なんだなと妙に感心した。一年生だから余計にそうなのだろうか。

 武元たちは自主練を再開し始め、俺は滝沢先生の指示に従って準備運動をする。これから情けないところを見られると思うと気が重いが、赤点を回避するためにも真面目にやろうと気持ちを切り替えた。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「うーん……なかなか上達しないな」

「うぅ……すみません」

 

 滝沢先生が眉間にシワを寄せて難しそうに呟く。何度教えてもらっても浮くことすらままならない有様で、情けないやら恥ずかしいやらで落ち込んでくる。

 

「苦手なことは誰にでもあるし謝ることじゃない。ただこれだと合格にするにはな……」

「あ、あの! 先生!」

「ん? どうした武元」

「その、あたしに成幸に教えさせてもらえませんか!?」

 

 悩む滝沢先生に、自主練が一段落した武元が声をかける。先ほどからこちらをチラチラ見ていたので声をかけるタイミングを見計らっていたのだろう。

 

「そうだな、同学年のほうが伝わりやすいかもしれないし……いいぞ、教えてやってくれ」

「はい!」

 

 武元は満面の笑みを浮かべて返事をした。ずっと俺に勉強を教えられていたからお返しにとか思っているのだろう。武元の気持ちは嬉しいのだけれど、正直なところ感謝の気持ち以上に緊張とか情けなさとかそんな感情のほうが強かった。

 先生の許可を得た武元はスーッとこちらに泳いでくる。泳ぐどころか浮くことすら出来ずに四苦八苦している俺とは大違いだ。

 

「じゃあ成幸、あたしが教えたげるね!」

「あ、ああ」

 

 俺の目の前で泳ぎを止めて顔を上げた武元は、滴る水を拭って嬉しそうな声を上げる。武元の水着を見たのは一度や二度ではないけれど、こんなに近くで見ることはそうそうない。ジロジロと見ないように、なるべく意識しないように努めようとするが、そんなことを考えている時点で手遅れだ。自分でもわかるほど態度が不自然になってしまって、それが武元にも伝わってしまったのか、武元も顔を赤く染めて緊張してしまっていた。

 

「えと、じゃあ……よろしく……」

「こ、こちらこそ……」

 

 お互いに顔を赤くしてぎこちなく挨拶をする。自分が緊張するのは目に見えていたけど、そのせいで武元にまで緊張させてしまうのは想定外だった。こんな調子で大丈夫だろうかと思っていると、武元は突然頭までプールに沈んだ。それからすぐに浮かび上がると頭を振って水飛沫を飛ばし、髪を絞って声を上げた。

 

「よし! じゃあ成幸、あたしが説明しながら見本見せるからよく見ててね!」

「お、おう!」

 

 一瞬で気持ちを切り替えた武元に合わせて返事をする。こういう切り替えの速さはアスリートらしいなと感じる。俺のほうは正直切り替えきれていないけれど、真面目に教わらないと武元に失礼だ。できるだけ教わることに意識を集中させて、武元の説明を聞くことにする。

 

「じゃあまずは、いい感じに息継ぎしながらこうドンッって行って!」

 

 そう言って武元はとんでもないスピードで泳いでいく。

 

「ギュワッとターンしてビャーッて戻ってくる感じ! じゃあこんな感じで一緒にやってみよ!」

「できるか!!」

 

 行きと同じくらいのスピードで戻ってきた武元は笑顔でそう言って俺に泳ぐよう促した。できるかと言い返しつつ、試しにと思ってドンッという感じをイメージして泳いでみたが案の定全く泳げなかった。擬音ばかりでどう泳げばいいのか全くわからない。

 

「あれー? ドンッて行けばいいのになんで沈んでんの?」

「無茶ぬかすな!!」

「ほら、こんな感じ」

「いやだからこんな感じとかじゃなくて具体的なアドバイスを」

「これは無理そうだな……」

 

 武元に具体的に言われないとわからないと言っても、こんな感じと実演されてしまう。擬音ばかりでどうすればいいのか見当もつかないのだが、武元はなぜ伝わらないのかと不思議そうな顔をしている。感覚が違いすぎて参考にならない。これが天才というやつなのだろうか。プールから上がって見守っていた滝沢先生もこれではダメだと悟ったのか、苦笑しながら呟いていた。

 

「よし、じゃあビート板を使って泳ぎきれば合格に……あっ!?」

 

 何事か言いかけていた滝沢先生が、壁にかけられた時計に目を向けた直後に叫び声を上げた。俺も武元たちも何があったのかと驚いて滝沢先生を見つめた。

 

「しまった。3時までに提出しないといけない書類があったんだった……!」

「あ、それなら待ってますからそっち先に済ませてください」

 

 滝沢先生が珍しく焦った顔をしている。きっと重要な書類なのだろう。補習でこれだけ長引いてしまったのは覚えが悪い自分のせいだろうし、滝沢先生に迷惑をかけたくないので先に用事を済ませてもらえるように促した。

 

「すまんな、なるべく早く戻る。唯我は危ないから私が戻るまでプールから上がって待っているように」

「はい」

 

 プールから出ていく滝沢先生の指示に従ってプールから上がる。どちらにせよ体力が限界に近かったのでちょうどいい休憩だ。タオルで顔を拭き、プールサイドに腰を下ろして息をつく。まともに泳げたわけではないが、泳ぐ練習を長時間するのは泳ぎ慣れていない体にはキツかった。

 

「あー疲れた……」

「お疲れ様、成幸。ゆっくり休んでて。その間あたしの泳ぎ見てベンキョーしてなよ」

 

 武元はそう言って泳ぎを再開した。相変わらず信じられないほど速くて見入ってしまう。泳ぐフォームも素人目にもわかるほど綺麗で、こんな泳ぎができるようになるまで必死に努力を積み重ねてきただろうということが伺えた。今日一日だけとはいえ自分なりに水泳に必死になってみたからこそ改めて、スピードでもフォームでもとても敵わないなと思わされる。才能だけでも努力だけでも、きっとあの域には辿り着けないだろうと思う。

 

「おい、唯我」

「うわっ!? な、なんだ、川瀬か」

「呼んでるんだから気づけっての。うるかのこと見過ぎ」

 

 いつの間にか隣にいた川瀬から声をかけられた。その隣には海原もいる。2人は呆れているようにもからかっているようにも見える表情をしていた。いつからそこにいたのか全く気づかなかったが、この様子からするとしばらく前からいたようだ。じっと武元の泳ぐ姿を見ていて2人に気づかなかったのだと思うと急に恥ずかしくなってきた。

 

「見てろって言われたからだよ。お前らは泳がないのか?」

「んーまあ練習来るのには付き合ってるけどねえ。うるかの練習に着いていくのは無理かなあ」

「体力持たんわ。オーバーワークで怪我する」

 

 恥ずかしさを誤魔化すように話題を変えると、苦笑しながら武元と同じ練習をするのは無理だという反応が返ってきた。

 

「へー。中学から一緒に水泳やっててもそうなんだな」

「そりゃねえ。体力なんて個人差あるから」

「あいつの場合、昔から練習も半端なくやってるから体力も凄いんだよ」

 

 2人は武元のほうに目を向けて、どこか憧れと嫉妬をないまぜにしたような感情を滲ませながらそう言った。武元と一緒に水泳を続けて来た2人だからこそ感じる複雑な思いもあるのだろうか。なんと言うべきかわからず、ただ黙って2人と同じように武元を見ていた。

 

「……この間国体に行けなかった3年の先輩は引退してさ。だから今の水泳部のメンバーは1、2年と国体が決まった3年の先輩たちだけなんだけど、うるかはその国体が決まった先輩たちにも負けないくらい、もしかしたらそれ以上に練習やってんの。一番才能あるうるかが一番頑張ってるんだ」

「まあうるかも国体決まってるけどね。でもあんなに努力できるのは才能とか関係なく凄いよ。ほんと」

「そっか。あいつ高校でもそうなんだな」

 

 武元は昔から変わらず、高校生になった今も努力を続けているようだ。武元の一番近くにいる2人がそう言うのであればそうなのだろう。武元の水泳に打ち込む姿勢が変わっていないことが自分でも不思議なほど嬉しかった。

 

「ふーん? 高校でもって中学から見てきたみたいに言うじゃん」

「……まあ、同じ部活だったお前らほどじゃないと思うけど」

「えっ、ほんとに見てたんだ!?」

 

 感傷に浸ってしまっていたせいか余計なことまで言ってしまった。武元が中学の頃から懸命に努力していることはよく知っていた。妹の水希も俺も、その姿に勇気づけられて救われたのだ。とはいえそのことを2人に言えるわけもなく、返事をするのも気恥ずかしくて無言で頬を掻いて誤魔化した。

 川瀬と海原の2人から見られているのを感じる。今度は自意識過剰ではなく本当に好奇の目で見られているだろうことを感じながら、2人の視線には気づかないふりをして武元の泳ぐ姿を見つめた。

 そうしているうちに泳ぎ終えた武元がプールから上がる。武元の纏う水滴が光を浴びて白く輝いていた。褐色の肌と白い輝きのコントラストは幻想的なまでに美しくて目がくらむよう。「白銀の漆黒人魚姫」というあだ名を付けた人は、きっとこの光景を見てそう名付けたのだろうと確信に近いことを感じながら、憧憬に近い心持ちでその姿を眺めていた。

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