「やっとシフト終わったな! 唯我、文化祭一緒に回ろうぜ!」
「あーいや……俺は予定があるから」
「予定? まさか女子か!?」
「い、いやその」
「そんなの無理に聞かなくていいでしょ」
文化祭当日。自分のシフトを終えたところで、同じタイミングでシフトを終えた大森から誘われた。
おそらくこうなるだろうと分かっていたけれど、武元と文化祭を回る約束をしていることは言わなかった。自分から切り出すようなことでもないし、武元に変な迷惑がかかってしまうかもしれないと思うと言い出せなかった。そのままズルズルと来た結果がこれだ。大森と同じく何も聞いていなかったのに、フォローしてくれた小林には手で「すまん」とジェスチャーをして感謝した。
「くそ、裏切り者ー! これから他校の女子ナンパしてくるけど、集団デート行くことになってもお前は呼ばないからな! 行こうぜ小林!」
「え、ナンパ? なら俺もいいかな」
「なんだって!? お前がいなきゃ俺の計画はどうなるんだよ!?」
「知らないし勝手に人を巻き込まないでほしいんだけど」
「あはは……じゃあ相手待たせてるから俺はこれで」
小林は呆れた顔で大森を見て、大森は計画が狂ったショックで騒いでいた。
約束をしていないとはいえ元々大森たちと文化祭を回る気でいたし、それを反故にしてしまった罪悪感があったのだが、このやり取りを見ているうちにそんな気持ちは失せていた。
小林の「頑張ってきなよ」という声と大森の「ちくしょー!」という叫びを背にして、俺は足早に待ち合わせ場所へと向かった。
◆◆◆
「あ、成幸!」
「すまん。待ったか?」
「ううん。大丈夫」
文化祭の飾り付けをした正門のところで、待ち合わせていた武元と合流する。武元は水泳部の出し物の手伝いをするため一足早くクラスのシフトを終えていた。
クラスで待ち合わせをする手もあったが、なんとなく恥ずかしいのでどちらともなくそれはやめることにした。そのときはそれで正解だと思ったのだが、今考えると失敗だったかもしれない。
門の周りを待ち合わせに使っているのか、辺りには恋人らしき二人組が大勢いて、どこか甘い空間が出来上がっていた。傍から見ると俺たちも恋人のように見られているのかと思うと落ち着かない。
武元は周りの空気にあてられたのかソワソワと忙しなく目を泳がせている。見ているとこっちまで緊張してしまいそうだった。
「け、結構人多いな」
「う、うん。やっぱコーコーの文化祭って違うね!」
緊張で声を出すのに詰まる。武元の声も少し上ずっていた。確実に自意識過剰なのだと思うが周りから注目されているような気がする。周りにこれだけ多くの人がいるのだから、自分たちだってそれに埋もれているはずだ。だから周囲の話し声も俺たちとは全く関係ないことを話しているはずで。
「ねえ、あれ武元さんだよね? かわいー! あれで水泳も凄いんでしょ!?」
「全国1位なんだっけ。やっぱ雰囲気あるよな」
だから周りの人たちが俺たちの、武元のことを話しているのが聞こえてきたときは、心臓が止まるほど驚いた。武元がこの間表彰されていたことを思い出す。考えてみれば武元は全校生徒の前で、全国1位として表彰されているのだ。他の学年やクラスの生徒達から注目されてもおかしくない。他の学年どころか同じ学年の別クラスからもよく知られていないであろう自分とは、知名度が全然違うのだということを実感した。
「ん? 成幸どうかした?」
「あ、い、いや。なんでも」
周りの声が武元に聞こえているかどうかわからないが、少なくとも気にしているようには見えなかった。中学の頃から大会で勝ち続けていたし、きっと俺と違って注目されることに慣れているのだろう。
「隣の男子誰だろ。彼氏?」
「付き合ってるって噂聞いたことないし違うんじゃね? なんか雰囲気も違うし」
周りの声がまた聞こえてくる。今度は俺のことも話題に出ていて、まあ客観的に見ればそうは見えないだろうなと、納得しつつ受け止める。
「……これからどこ行く? そのへんの店でも見て回るか?」
「えっと、それもしたいんだけど、先に体育館行ってもいい?」
動揺を隠すようにして会話を続ける。武元は周りの言葉が聞こえていないのか、聞こえているけれどあえて無視しているのか、普段と同じ調子で返事をしていた。今日は武元が誘ってくれたし変な心配をせずに楽しんでほしかったから、気にしていないようで良かったと思う。
「体育館だな、わかった。何か見たいのやってるのか?」
「水泳部の先輩たちがダンスやんの。それで衣装運ぶのとか手伝ってたんだけどさ。やっぱコーハイとしてはちゃんと見ないと!」
「へーダンスか。武元はやらないのか?」
「毎年引退した後に3年の先輩が文化祭でなにかやるのが伝統みたい。ダンスって決まってるわけじゃないんだけどね。趣味で音楽やってた先輩が集まってたときはバンドやったこともあったみたいだし」
楽しそうに、誇らしげに武元は語る。先輩たちのことを心底尊敬していることが伝わってくる。きっと水泳部は先輩後輩の仲がよくて雰囲気がいいのだろう。部活に入らなかったことを少しだけ後悔するくらいに羨ましくなるいい表情だった。
「じゃあ行くか。何時からなんだ?」
「あと30分くらい。ちょっとだけならこの辺見て回れるけどどうする?」
「いや、それで遅れたら大変だし早めに行こう」
「りょーかい! 行こ、成幸!」
武元はそう言うと体育館へ向かって歩き出した。横に並ぶようについていく。また周囲からヒソヒソとした話し声が聞こえてくるような気がしたが、今度は中身が聞こえてこないように武元との会話に集中した。
◆◆◆
体育館に着くと軽音楽部が演奏をしていた。武元に確認すると水泳部のダンスはこの後だということなので、周りの邪魔にならないように、適当な場所に移動して終わるのを待つことにする。ちょうど切り替わりのタイミングだったのか、入ってきたときに演奏をしていたバンドが退場していき、次のバンドが準備を終えて演奏を始めた。
耳をつんざくように激しく、胸を震わせるように技巧的な音を立てるギター。ステージ上の小さな女子は、曲の終わりに向けて激しさを増しながら、指を指板の弦に踊るように滑らかに叩きつける。可愛らしい見た目とは真逆のシャープなサウンド。ダンスが始まるまでの時間潰し程度に考えていたのだが思わず聞き入ってしまった。
音楽に詳しくない俺でも努力と実力の程が伺えるほど鮮烈な印象を残した演奏は、最後にギターの高い残響を残して終わりを迎えた。
「ありがとうございましたー!」
ステージの上のバンドメンバーは観客へ向けて感謝をすると、肩で息をしながら満足げな顔をして壇上から去っていった。
「今のギターの人凄かったな! でもあんな女子同級生にいたっけ?」
「あのちっちゃい人? 前に川っちに聞いたことあんだけど、あの人先輩らしいよ」
「え!? そ、そうだったのか」
「あたしも見たのは初めてだけどね。でもギターめちゃくちゃ上手くてカッコよかったね」
武元とバンドの感想を言い合っているうちに、ステージ上では残されていたドラムやアンプが綺麗に片付け終わっていた。司会の合図ともにステージの袖から水泳部の面々が現れ、曲が流れ出すと一拍置いてダンスが始まった。
「せんぱーい! カッコいいー!」
「おお! キレがあってカッコいいな!」
アップテンポの曲に合わせて壇上で踊る。全国クラスの強豪部ということもあって運動神経もいいからだろうか。一糸乱れぬとまではいえないものの、メリハリの効いた躍動感のある動きはそれを補って余りあるほどの迫力だった。
「でしょー! 先輩たち、国体終わってからずっと練習してたんだ!」
俺が水泳部のダンスを褒めると、武元は我が事のように喜ぶ。一瞬だけこちらに顔を向けると、またすぐにステージへ向けて声援を上げていた。俺たち以外の観客の反応も上々で、ステージの上の水泳部の先輩たちも楽しそうに踊っている。武元ほど感情を出すのは得意ではないけれど、俺も精一杯盛り上がろうとステージに集中して武元の隣で見入ることにした。
ゆっくりとしたメロディに合わせて滑らかに、激しいメロディのソロパートではそれぞれがダイナミックに。恵まれた身体能力を活かしたダンスで客席を大いに盛り上がった。そのまま最後まで動きを鈍らせることなく踊り切ると、ステージ上の部員は息を整え揃って礼をした。
「ありがとうございました!」
体育館が大きな拍手に包まれる。隣の武元は一際激しく拍手をしていて、俺も負けないように拍手をした。
拍手の音がまばらになり始めると、水泳部の面々は舞台袖に下がっていって、次はダンス部がステージ上に姿を表した。このまま見るのかと武元の方に目を向けるとちょうど武元もこっちの方を向いていた。
「ごめん、成幸。先輩たちに挨拶しに行っててもいい?」
「わかった。じゃあ俺は出口のとこにいるから」
「うん。あんがとね! すぐ戻るから!」
「ゆっくりでいいよ。待ってるから」
武元が控室へ向かうのを見送って一人出口へと向かう。歩きながらさっき見た水泳部の先輩たちの顔を思い返す。みんな一様にやりきったような満足げな顔をしていて、それが強く印象に残った。きっと3年間一緒に部活に打ち込んできた仲間とやることだからあんなに気持ちのいい表情ができるのだろう。
最後の国体が終わって、これが部としてやる最後の活動になるはずだ。国体は大会である以上みんなが満足する結果を残せるわけじゃない。結果に満足できた人はいいけれど、残念ながら悔いが残ってしまった人もいるだろう。だからそういう部員のために、国体の後にある文化祭での活動を最後にして、少しでもスッキリとした気持ちで部活動を終えられるようにしているのかなと部外者ながらそう感じた。
「あ、成ちゃん」
「あれ、唯我? お前なんで一人なんだ?」
体育館から外に出たところで小林と大森の2人に出くわした。ナンパをしている様子はなく、誰かを待っているかのように雑談していた。
「ああ、ちょっと先輩のとこに行ってるからここで待ち合わせしてるんだよ。2人こそなんでここに? ナンパはどうしたんだ?」
「そうなんだよ聞いてくれよ!」
「俺はナンパしてないけどね」
「お前が付いてこなかったからだぞ!」
「いや知らないし」
言い争い、というよりは大森が一方的に怒って小林が受け流している。ここから大森のナンパ失敗談が続いたが、同じような話の繰り返しだったので途中からは小林を見習って聞き流した。要約するとナンパに乗らない小林と分かれて一人でナンパを試みたものの、がっつきすぎたのが原因なのか全然うまく行かず、諦めて散策していたところで小林と合流したらしい。
「俺はそのとき川瀬と海原と回ってたから、そのまま一緒に回ることになったんだよ。今は2人が水泳部の先輩のとこ行ってるからそれ待ち」
「へー……」
ここで待っているのは自分と同じ理由だった。ということはこのまま待っていると武元と鉢合わせしてしまう。小林は大丈夫だろうけど、大森に見つかるとまた面倒なことになりそうだ。こういうときにスマホでも持っていれば連絡ができるのだが。持っていない身が恨めしい。
「はあ。俺のジンクス作戦が……」
「ジンクス?」
「なんだよ知らないのか? ここの学園祭には後夜祭の最初の花火が上がるときに触れ合ってた男女は結ばれるってジンクスがあるんだよ」
「初耳だな。小林は?」
「俺も初耳」
3人中2人が知らないとなるとあまり有名なジンクスではないのかもしれない。効果の方も推して知るべしだろう。
「誰か女の子をナンパして、手を繋いで花火を迎えるという俺の完璧な作戦があったんだぜ。それがさあ……」
「どこが完璧なんだよ。手を繋ぐまでが一番大変じゃないか」
「そこは雰囲気でなんとかいけんだろ!」
「うわ適当」
大森の雑な作戦を2人で笑う。どこまで本気かわからないが大森の顔はいたって真面目で、それが余計に笑いを誘った。このあとも適当な話をして武元か川瀬たちが来るのを待っていた。
雑談を続けているうちに川瀬と海原が武元より先に来て、小林と大森と一緒に校舎の方へと帰っていった。川瀬と海原の2人からニヤニヤとした顔で見られたのは気恥ずかしかったが、武元の頼みを聞いて先に来てくれたのだろうから文句を言うわけにもいかないので、苦笑いを浮かべたまま黙って手を振って見送った。
小林たちが立ち去ってから少しして武元がやってきた。キョロキョロと辺りを見回している。小林たちがいないかどうか確認しているのだろう。武元は小林たちがいないことを確認し終えると、足早に俺の方へと向かってきた。
「お待たせ成幸! ごめんね。海っちたちがこばやんたちと一緒にいたとは思わなくってさー」
「あれはしょうがないって。そんな待ってないしさ。それよりこれからどこ行く?」
手を合わせて謝るうるかに気にするなと手を振って返事をする。予想外のことを気にしても仕方がない。それよりはこれからどこへ行くかの方を話したかった。
「うん、ありがと。それじゃーとりあえず正門の辺りの屋台見て回んない? さっき行けなかったし」
「そうだな。じゃあ行くか」
そう言って武元とふたり、校門の方へと足を向ける。何を食べようかなどと呟いている武元はこれ以上ない表情をしていた。だから俺も全力で楽しんでもらおうと心に決めて、ポケットに入れていたパンフレットを右手でそっと握りしめた。
◆◆◆◆◆◆
『――後夜祭に参加される方は校庭にお集まりください』
「後夜祭……もうそんな時間になってたんだな」
「ね。もっと見て回りたかったんだけどなー」
後夜祭の始まりを告げるアナウンスが響くと、残念そうな顔で武元が呟く。窓の外を見るとすでに日は落ちていて、すっかり暗くなっている。武元と出し物を回るのに夢中になっていて放送が流れるまで気づかなかった。
「後夜祭行くよな?」
「モチロン、トーゼンっしょ! ガッコーで花火見れるとかめっちゃ楽しみだよね!」
「……だな! 俺も楽しみだ」
武元は満面の笑みを浮かべて楽しそうに語る。俺も武元と同じく後夜祭の花火を楽しみにしていたのだが、ジンクスのことを聞いてしまったせいで純粋な気持ちではいられなくなっていた。
武元がジンクスを知っているか気になったけれどそれは聞けなかった。武元がジンクスのことを知っているのか知らないのかはわからないが、もし知らなかったのならわざわざジンクスのことを知らせて俺のように変なことを気にして純粋に楽しめなくさせるわけにはいかない。
「今日は色々回ったけどどれが一番楽しかった?」
あまり花火の話題を続けて不自然な態度になってしまってもまずいので話題を変える。武元は顔を上に向けて考え込んだ。
「んー。先輩のダンスは別枠として……やっぱあれかな、お化け屋敷。ケッコー本格的だったよね」
「お化け屋敷凄かったな。俺もそこが一番だ。特に人体模型からカタカタ音なったの死ぬほど驚いた」
「あーあれビックリしたよね! 普通の人体模型にしか見えなかったし、近くに人もいなかったのにどーやって動かしたんかな? そーいえばなんかお化け役の人もビビってなかった?」
「そうだったのか? 全然気づかなかった。でも自分たちの出し物でそんなに驚くことあるか?」
「まあそうなんだけど。あたしの気のせいかなー?」
たわいのない会話をしながら校庭へと歩く。なんてことのない話だけれど次から次へと話題が続いて、いつのまにか校庭についていた。
気がつけば周囲は花火を見に来た生徒でいっぱいで、ちょっとした人混みになっていた。満員電車という程ではないけれど、都会のスクランブル交差点くらいには人が密集している。少しでもいい場所で花火を見ようとしてか場所取りで動き回る人の流れも生まれていた。
「な、成幸」
声が聞こえた気がしてふと横を見ると、武元が人混みに飲まれそうになっていた。そのままはぐれて行ってしまいそうだったので、思わず手を掴んでこちらに引き寄せた。
「っと。大丈夫か」
「うぇっ!?」
なんでもないふうを装いながら、繋いだ手の柔らかく滑らかな手触りに内心で驚く。突然手を掴まれた武元はびくりと体を震わせて、戸惑っているような恥じらっているような顔をした。
勢いで手を握ってしまったが、手を離したほうがいいか、このまま繋いだままでいるか。迷う頭に大森から聞いたこの文化祭のジンクスが浮かび上がった。
『後夜祭の最初の花火が上がるときに触れ合ってた男女は結ばれる。』
瞬間。悩む間もなく手を離していた。たとえ何の根拠もないジンクスであっても、成立してしまったら意識しないでいられる自信がない。武元のことをそういう目で見てしまうことがなぜか怖かった。
弾かれるように離された手を武元はじっと見つめている。考え込むような、あるいは何も考えられないかのような表情。胸がチクリと痛んだ。
『大変お待たせいたしました。これより、一ノ瀬学園後夜祭花火の打ち上げを執り行います』
なんと声をかけようか悩んでいるうちに、花火の打ち上げの放送が流れ出す。それを合図にしたかのように武元は手から目を離して俺のほうへ顔を向けた。
『3』
「そういえば後夜祭の花火のジンクスって知ってる?」
「ジ、ジンクス!? ま、まあ一応知ってるけど」
「……そっか」
それだけ言って武元は黙ってしまった。何か致命的な間違いを犯してしまったような気がした。背後に流れるカウントダウンを聞き流しながら、何か言わなければならないと口を開こうとしたところで。
『2』
「わっ!?」
「うわっ!? だ、大丈夫か?」
誰かに押されたのか武元が体勢を崩してこちらに寄りかかってきた。何もない空中へ向けて体を支えるように投げ出された手を掴んで武元の体を支える。図らずも先ほどまでと同じように手を繋いでしまった。密着するように体が寄せられていて、甘い匂いが鼻をくすぐった。
『1』
カウントダウンの音は聞こえていた。だから繋いだ手を離そうと思えば離せたのだと思う。けれどさっきは当然のように離せた手が、今は全く動く気配を見せなくて。
結果として、後夜祭の花火が上がるその瞬間。俺と武元は手を繋いだまま、互いに互いを見つめ合っていた。
「……あたしの夢、まだ言ってなかったよね」
「あ、ああ」
花火の音が鳴り響く中でも武元の声ははっきりと聞こえた。
夢とは何のことかと考えて、そういえば元々武元の夢を教えるから文化祭に付き合ってと言われていたことを思い出す。
「この間言ったけど、ちっちゃい頃はお姫様に……誰か素敵な王子様のお姫様になりたいって思ってたんだ」
武元は俺に寄せていた体を少しだけ離す。手は繋いだままだった。それから俺のことを見ながら決意した眼差しをして武元は言葉を続けた。
「今は誰かじゃなくって、好きな人の一番になりたい」
「一番?」
「うん。一番。それがあたしの夢」
落ち着いた、それでいてはっきりとした口調で武元は宣言した。なにで一番なのかとか。なんの一番なのかとか。聞きたいことはいくらでもあったけど、武元の真剣な表情の前で聞けることは何もなかった。感情の機微に聡いほうではないと自覚しているけれど、その表情からは武元がどれほどその相手が好きなのかが嫌でも理解できた。
「……ごめん」
「何が?」
罪悪感に駆られて謝罪する。結果的に知ってたとはいえジンクスのことを黙っていたことや、花火の直前に離すタイミングがあったのに手を離さなかったこととかが、こんなにも好きな人がいる相手にしたことだと思うとなおさら後ろめたかった。
「ジンクスのこと、お前に変に意識させるかもしれないから」
「どういうこと?」
「好きなやついるんだろ? なのに俺なんかがジンクスの相手になっちゃって」
武元の視線から逃げるように目をそらして、ごまかすように返事をした。言葉にしたあと、すぐに言ってはいけないことだったと気づいた。詳しく説明せずに謝ったのも、卑屈なことを言ったのも、我ながらどうしようもなく身勝手だなと呆れる。
否定してほしかったのか、肯定してほしかったのかはわからない。ただ今まで純粋に武元の気持ちに応えて勉強を教えていたことが不純な気持ちだったことになるんじゃないかとか、高校でも有名になっている彼女と平凡で打ち込めることもない自分がそんな関係に見られてしまうのは迷惑なんじゃないかとか、そういうようなことを考えていたのだと思う。
後夜祭に来る前にジンクスのことを知っているのか聞けばよかったかと後悔したが、少しだけ考えて、聞けるわけがないと当たり前の結論に達する。もし武元がジンクスのことを知らなくて、俺の質問で初めて知ったとして。そのせいで後夜祭に行くのをやめようなんて言われていたら、きっと立ち直れない。
俺の言葉を聞いていたはずの武元は、肯定も否定もせず、ささやかな笑みだけを浮かべていた。花火を背にした微笑みは穏やかで、どこか儚げで、そしてひどく大人びた感情の読めない笑顔だった。
夢も目標も持っていて、それに向かって迷わず進んでいる彼女は、はっきりとした夢を持たない自分なんかよりずっと早く成長しているのだと実感した。
だからだろうか。今更ながら手をつないでいる相手が女性なのだということを強く意識して、頬が熱くなっているのを自覚した。心臓が早鐘を打って、手から伝わる体温が急に高くなったように感じた。小さく柔らかな手はきめ細やかな絹のようで、手からにじむ汗でそれを汚してしまうのではないかと不安に駆られる。
武元は何も言わないまま、微笑みを残して花火に顔を向けた。彼女の真似をするように花火を見る。繋がれた手に力はなく、離そうと思えばすぐに離せた。けれどなぜか手放す気にはなれなくて、でも力を入れてしまうのは気恥ずかしくて、曖昧な力のまま武元の手を握る。繋がった手から伝わる熱が、腕を通って頭へ達して脳を融かす。
熱に浮かされたまま、花火を見るふりをして気づかれないように武元の顔を横目で見つめる。見られると思っていないからだろうか、今度は感情が読み取れた。
花火で明滅する横顔に浮かぶ笑みには喜びよりも悲しみが色濃く浮かんでいる。武元がそんな表情もできるということを微かな驚きとともに受け止めて、同時にそれを思うと胸が締め付けられるような痛みを感じた。
武元は中学からの友人だ。感情をすぐ表情に出すやつだから、天真爛漫な笑みも、喜びに破顔するところも、穏やかに微笑むところも、困ったように笑うところも見たことがある。それでもこんな風に寂しげに憂う笑顔は見たことがなかった。武元にこんな顔をさせる男がいるのだと思うと、胸が酷くざわついた。自分以外の誰かが俺の知らない武元の表情を見ることを思うと、どうしようもなく苦しくなった。
だから、きっとこのときに、俺はいつからか武元うるかに恋をしていたのだと自覚したのだと思う。