【完結】ハンターハンター世界で転生者が探偵()をする話   作:虫野律

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9話~13話まで連続投稿です。

また、今後の展開が分かりかねない情報を目に入れたくない方は、このお話の後書きはスルーでお願いします。


いかあおいあお! いかあおいあお! [伍]

 チードルは強化系だ。だから発など使わなくとも肉弾戦は問題にならない。

 そもそもチードルの発──『常在健常(ノンストップドクター)』は、対象の免疫力の強化及び正常な状態を自然な範囲で維持する強化、放出、操作の系統複合能力である。したがって、操作系能力を防御できる点を除けば直接戦闘ではほとんど意味を持たない。

 

 だが、それでもいいのだ。なぜなら基礎を、心源流の型を、愚直に、ただただ真っ直ぐに反復して完成させた技があるからだ。それはもはや人の肉体の枠を越え、丹念に打ち込まれた日本刀のごとき鋭さ。

 そこに強化系特有の効率的身体強化が加わる。並みの相手では障害になり得ない。そのはずなのだが──。

 

「っく!」

 

 黒い少女だった魔獣(ナニカ)──肥大化した肉体に猛禽類の顔、さらに背中からは太く長い触手が6本飛び出している──の触手に強かに打たれ、後退を余儀なくされる。

 

 いったぁ……!

 

 チードルの堅を抜き、確実に衝撃を与えてくる。防御力には自信があったのに信じられない。

 救いは、少女に繊細な体捌きを行う技術と高度な戦略を練る知能がなさそうなことだ。

 しかしそんな状態にもかかわらず苦戦を強いられている事実が、チードルの精神に確然たる痛みを蓄積させる。

 けれど。

 

「……なめんな」

 

 チードルにもプライドはある。信念もある。こんなところで負けるわけにはいかない。

 

「──gyadmkhad!!」

 

 少女だったモノが非生物的な叫びを上げたかと思ったら、チードルは殴られていた。

 

 見えなかった!? 速くなってる?!

 

 身体スペックがどんどん上がっているのだ。技術や駆け引きとは最も遠い所、有り体に言えば野生の強さが少女にはあった。

 触手がチードルへと迫り──エヴァンが手にした短剣に引き裂かれる。

 

「!」

 

「この切れ味よ!」エヴァンの軽口。「相性悪そうだな。交代すっか?」

 

 チードルにクリストファーの対応をしろ、ということらしい。拒む理由はない。

 

「分かったわ。この子はお願い!」

 

「オッケー」

 

 あくまで軽いノリを改める気はないみたいだ。そうでもしないとやってられないのだろう。

 チードルにもその気持ちはよく分かる。自らを奮い立たせて誤魔化そうとしても、彼我(ひが)の地力の差は如何(いかん)ともし難い。つい絶望という名の底無し沼に足を取られそうになってしまう。

 

 駄目! 集中しないと。

 

 エヴァンとスイッチはした。けれど楽な相手に替わったわけではない。

 クリストファーは野生の獣のごときゴリ押しはしてこないが、しかし基本的には濃密かつ大量のオーラを前提にしているから方向性は似ているだろう。ただし人間特有の嫌らしさが多分に含まれた戦い方である点は、少女と大きく違うと言える。

 

 クリストファーは息を乱してすらいない。静かに口を開く。

 

「今度は貴女が相手ですか。いい加減諦めて私たちの仲間(・・)になりませんか? きっと悪くないですよ」

 

 戯れ言を……!

 

「あなたにとっては悪くないのでしょうね。心底くだらない!」

 

「……」

 

 ふいにクリストファーの表情から“何か”が抜け落ちる。ゾッと強烈な悪寒が走る。

 

「そうですか。ではもういいですね。さようなら」

 

「なn」

 

 何をするつもり、そう問おうとして、しかしすぐにその意味がなくなってしまう。

 

「Tjwdmekagatem──!!?」

 

 少女のオーラが暴風となりて場を蹂躙し──刹那の無──そして、クリストファーの首が引きちぎられる。少女だ。少女がやったのだ。

 

「!?!!?」

 

 あまりの光景に理解が追いつかない。

 

 なぜ? 操作されていたんじゃないの?

 

 初めは“ゾバエ病患者が危険を察知した際の状態”所謂“狂化”へと変貌させられたのかと思ったが、いや、この過剰にオーラが噴き出している感じは以前観た研究所の映像と同じだ。

 狂化はしているように見える。

 そして風貌も変わっている。まるでモンスターのようだったそれは鳴りを潜め、形は普通の少女とそう変わらない。しかし肌だけは普通ともゾバエ病患者の普通とも違う。

 

 黒い肌──黒人の人間的な肌とは違う人工的な漆黒色──に、深紅の幾何学模様? 何よ、これ……。

 

 幾何学模様が血管であるかのように、どくどく、脈打っている。

 エヴァンの気配が横に。

 

「操作が解除された。普通に考えたらそうなるよな?」

 

「それは……」

 

 そうだが、状況が上手く理解できない。チードルにとってはイレギュラーがすぎる。マニュアル通りとは行かなくとも、もう少し前例や常識に配慮してほしい。

 

「ゾバエ病特有のメモリ拡張が、魔獣化とかの変身を伴う除念能力を開花させた。そして除念の原則がイザベラをあの姿にした。当たらずとも遠からずじゃねぇかな」

 

 除念の原則、つまりは除念対象の念を何らかの形で引き受けなければならないという性質。

 少女の場合、自らへの操作を除念で外し、その念を魔獣化という形で負担した、とエヴァンは言いたいのだろうか。

 確かに、除念対象の念及びその根幹にある思いにより魔獣の行動指針が決定されているならば、除念の性質にも矛盾しないのかもしれない。理屈は分かる。しかし認めがたい。

 明らかに強化作用のある魔獣化能力に加え、ゾバエ病の狂化。しかもある程度の理性を残したまま。こんなの簡単には受け入れられない。

 

 チードルの葛藤は、しかし、さらなる現実に嘲笑われる。

 

 少女がクリストファーの首を興味のなくなった玩具を捨てるかのように床に落とす。鈍い音と共に首がこちらを向く。その瞳の奥には誰もいない。誰もいない?

 

 場違いな甘い匂い。香水……。

 

「!」

 

 視線を少女へ戻し、目眩がした。少女の見た目がまた変わっている。背中に大きな翼が生えているのだ。それだけならばまだいいが、その翼を構成するモノがおかしい。

 少女から見て左の翼は、大小様々な幾つもの女の顔が集合し形成されている。そして右の翼はクリストファーの顔の集合体。

 

「ちょっとエヴァン。あれって」

 

「ああ、クリストファーと……おそらくはオータムという女性の怨念を除念(きゅうしゅう)したんだろ」エヴァンの声に揺らぎはない。「よく“死者の念”とか“死後に強まる念”とかって言われるやつだな。やっばいね」

 

 全然ヤバそうな口調ではない。何か策があるのだろうか。

 

 ぎろり、と少女の瞳が、そして翼で(うごめ)(おびただ)しい眼球が一斉にこちらを見た。

 

「っ!」

 

 純粋な恐怖が──。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

──探偵にとって最も重要なものは何か?

 

 推理力? 知識? 行動力? 直感力? あるいはコネ?

 

 なるほど、どれも必要だろう。けど俺が出した結論は違っていた。

 

 それは観察眼。

 小さな小さな伏線(ヒント)を見逃さず、違和感から(ミスリード)を見破る。そして真犯人の底(オチ)を見透かす。それが俺の理想とする探偵であり、名探偵の絶対条件。

 そんなふうに赤ちゃんだった俺は思ったわけだ。で、何をしたかというと凝を徹底的に鍛えた。念に覚醒した0歳と10ヶ月のころから修行の大半を凝に費やしてきた。

 

 そうやって今日(こんにち)まで過ごしてきたら、最近、目に()をしたとき限定で妙なものが見えるようになった。別に幽霊ではない。あ、でもちょっと似てるかも。

 

 

 

 

 

 

 

 数秒先(・・・)のイザベラの行動が、曖昧な幻影となって見える。それに従い、数拍前から回避行動。 

 

 どう、と疾風が頬を(かす)め、鮮血が舞う──イザベラの。

 タイミングを見計らい幻影のルートに短剣を添えていた。結果、絶妙なカウンターとなってイザベラの翼を切り裂いたんだ。

 

「あの動きが見えているの!?」

 

 チードルには捉えきれていないのだろう、驚愕が見て取れる。

 

「いや、完全には見えない」

 

 俺が見ているのは数秒先の行動(みらい)だ。動体視力も悪くはないと思うが、それだけで付いていけるスピードじゃない。俺が強化系だったらワンチャンあったかもしれないけどな。

 

 こちらを振り返ったイザベラが目を細める。

 なんだよ。そんなに見ても何もないぞ。

 

──ニィィぃぃいい。

 

 突然、イザベラが、全てのクリストファーが、オータムが笑う。口は裂け、歯肉が大きく露出している。

 そして全ての口から──が伸びる。

 

「そんなんありかよ!」

 

「私、グロいのそんなに得意じゃないのに!」

 

「かわいいで(す)」

 

 いつの間にか参戦していたサンビカが変なことを言った気がするが、きっと何かの間違いだろう。

 

 何十、もしかしたら百を越えるかもしれない本数の舌──もはや触手だ──が多量のオーラを纏い、うねうねと場を満たしていく。物理法則に反した数だ。

 回避されないように逃げ道を潰しに来やがった。

 ついでにさっきの傷も回復し始めている。この短剣(こいつ)でこれならマトモな武器では一瞬で完治されかねない。

 

 目に硬をするなんて諸刃の剣もいいとこだ。(いわ)んや相手がイザベラなら尚更だ。

 でも解除はできない。先読みがないと俺の身体能力では対応できない。

嘘は真実(リバース)・身体能力』を使うか? しかし制限時間内に勝てなかったときはチードルとサンビカが……。やはりまだ駄目だ。

 しかし現実は俺の思いを容易くねじ曲げる。

 

 幻影が、未来が見える!

 

「っ!」

 

 意識が飛びかけた。あまりにも(しょくしゅ)の量が多すぎて処理しきれなかったんだ。

 

 あーヤバいわ、これ。

 

 回避なんて無理だ。防御も不可能。強化系のチードルなら四肢を全て失う程度にダメージを抑えることができるかもしれないが、俺とサンビカは……。

 

「チードル、サンビカ。全力で離れろ」

 

「な──」

 

「いいから逃げてくれ!」

 

──『嘘は真実(リバース)・身体能力』発動。

 

──練! 練!! 練!!!

 

 頭が痛い。けど死ぬよりマシだ。……行くぞ。

 

 硬い床を踏みしめ、疾駆する。

 一直線にイザベラ本体に肉薄しようとし、多数の(しょくしゅ)により作られた盾に阻まれる。だがこれは狙い通り。これで2人へ行く数が減る。

 

 盾の前で急転換し、イザベラの後ろに回り込む。

 (しょくしゅ)をこれだけ出してたら動きにくいだろう。しかもその大半はイザベラの前方に展開されている。いきなり背後へ持ってくることは難しいのではないか──本数故に刹那のタイムラグがあるのではないか。

 そう予想し、やってみた。すると上手く背を取れた──のだが、イザベラの背が縦に割れたかと思ったら、裂け目から(しょくしゅ)が飛び出してきた。かわせず吹き飛ばされる。

 

 背面も即応可能なんか。くっそ!

 

 迫りくる攻撃を回避しながらも思考は止めない。

 

 しかしどうすれば……。

 

 時間だけは確実に過ぎていく。

 早く何とかしないと『嘘は真実(リバース)・身体能力』が切れてしまう。

 

 イザベラは(しょくしゅ)一辺倒をやめるようだ。(しょくしゅ)を引っ込め、次いで、その機動力を存分に発揮し出した。

 

 それはそれでキツイっつーの!

 

 ……落ち着け。こんな時こそ冷静にならないと。

 もう一度、情報を整理しよう。

 イザベラのこの状態はゾバエ病と除念系能力に由来する。それは間違いない。

 ゾバエ病は害意が消え、一定時間が経過しないと暴れる状態が続くらしい。

 除念能力は原則として除念対象を消すのではなく肩代わりするもの。

 クリストファーとオータムの死後強まる念は、イザベラに取り憑き、逆に除念という過程を経て吸収された。これも正しいはずだ。

 

「……」

 

 除念には通常、限界がある。それは念に共通する性質で、何らかの欠陥──不完全性を抱えるということだ。

 

 一流のプロハンター程度では認識できない速さで動き回るイザベラをよく観察する。

 とりあえずチードルとサンビカは今の彼女の眼中にはなさそうだ。よかった。単純に俺だけをターゲットにしてくれた方がいくらかやり易い。

 

 さらに視る。

 顔の集合体、黒い裸体、幾何学模様。ごちゃごちゃしているが、強化された視覚はそれを障害としない。

 

 ……幾何学模様か。模様に何か意味があるのか? 

 

「……ん?」

 

 何かないか? めちゃくちゃ小さい六芒星?  

 イザベラの裸体にある幾何学模様には小さな六芒星が3つある。直径1ミリほどのそれが、胸にある小さな四角模様の中に収まっているんだ。

 こんなの初めからあったか? 最初は……駄目だ。認識していなかった以上、比較しようがない。小さすぎて見逃していた。

 

 イザベラの拳が振るわれる。衝撃波。

 まるで空間が歪むかのような暴力の嵐だ。檻の中にいる患者が害意と認定しないかヒヤヒヤだよ、まったく。

 

 死合(しあ)いつつ、同時に観察と考察は継続する。俺が勝利を掴むとしたら、この先にしかない。

 他の部位には六芒星も同じ大きさの四角形も見当たらない。

 六芒星の色は紫が2つにピンクが1つ。

 

「……」

 

 素直に考えるならば、紫が“クリストファーの操作の念”と“クリストファーの死後の念”を、ピンクが“オータムらしき女性の死後の念”を表している、となる。

 ということは、だ。同様の四角形が存在しないことから、イザベラが並行して除念できる対象数は3つが上限と考えてもいい……はず。

 

 発動時間は残り1分を切っているころだ。もう迷ってる暇はない。だからやるしかない。

 こんなことやったことないが、制約と誓約を文理解釈──語句を一般的、辞書的な意味で理解したうえで普通の国語文法に従う解釈──により読み解くと可能だとは思う。ただし妥当性に重きを置いた目的論的解釈の度合いが強くなると可能か否かは分からなくなる。

 こういう所が半天然型の面倒なとこだ。念に覚醒した時にはすでに発がほとんど完成していて、制約と誓約も当たり前に存在していた。俺が(いじ)れた部分は極僅かだ。しかも内容の全てが解明されているわけではないと来ている。本当に手の掛かる(やつ)だよ。

 

 チードルがサンビカに耳打ち。即座にサンビカが念獣らしき人形(?)を伴い入り口へ走り出す。

 クリストファーが死んだことで里を隔離する結界が消滅したと考えたのだろう。サンビカのバックパックの中に携帯等があったのかもしれない。最低の最悪で俺たちが全滅しても、ハンター協会に伝えることができたら多少はマシ。チードルとサンビカの判断は正しいと言える。

 

 しかし。

 

「サン!」

 

 チードルの悲鳴。

 俺からサンビカへとターゲットを切り替えやがった。イザベラが音速に届こうかという速度でサンビカに迫る。

 念獣が向き直り、大きな石の盾を作り出す──が無意味。盾は一撃で粉砕され、念獣の上半身が消える。殴り飛ばされたんだ。

 イザベラとサンビカの距離が限りなく0に近づき──。

 

「っ!」「!」

 

 俺とチードルがほぼ同時に間に合った。イザベラに左右から打撃を加えることに成功する──が。

 

「awdjhlajbgodambg──!!」

 

 イザベラの慟哭(どうこく)。そして翼にある無数の目玉から光線が放たれる。

 

「はぁ!?」「っ!」「ぃ!」

 

 至近距離から喰らった俺とチードルは勿論、サンビカも無視できないダメージを負ってしまった。 

 

 残り何秒だ? 

 

嘘は真実(リバース)・身体能力』が切れた瞬間、俺たちの死亡が確定する。

 焦りが精神を乱す。それを自覚するが、否、自覚したからこそ可笑しさが込み上げてきた。

 

「……はは」

 

 この世界で探偵になると決めた時から覚悟はできていたはずだろ? 今更だ。何をビビってんだよ。……やるか。

 

「後は頼んだ」

 

 多分、2人には聞こえていない。まぁ、構わない。気分の問題だ。

 

 そして、それを発動する。

 

──『嘘は真実(リバース)胡蝶の夢(ハッピーナイトメア)』。

 

 ぶち、と意識が途切れた。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 イザベラが虚ろな瞳で空を見上げる。

 

 エリアナの虐めは日に日にエスカレートしている。

 友だちである、と言い張るために分かりやすい傷が残されることだけはなかったが、それ以外はなんでもされた。

 万引きの強要なんてかわいいもので、売春やポルノビデオ出演などもあった。イザベラが秘かに想いを寄せていた男子にどんどん違法ドラッグを与え、いつ死ぬか賭けるイベントに協力させられたこともあった。彼の死体をバラした時のことは生涯忘れられないだろう。

 でもエリアナ・ガルシアに逆らうことは誰にもできない。ガルシア家を敵に回すことは、地獄に落とされることと同義。逃げ道はない。すでに地獄にいるのに、まだ下があるという喜劇に笑いが漏れる。

 

 家に帰っても休まることはない。

 母が極端な理想を押し付けてくるのだ。

 母の娘は、母の次に美しくなければならない。母の娘は、学業に優れていなければならない。母の娘は、カースト上位にいなければならない。母の娘は、完璧な人格を有していなければならない。母の娘は、上流階級とのみ親交を深めなければならない。

 他にも挙げればキリがない。

 勿論こちらも逃げられない。どこへ行っても母の忠実な奴隷である父がすぐに迎えに来るのだ。そうして連れ戻され、拷問も()くやという“お仕置き”が実行される。

 

 これが日常だった。

 

 そしてイザベラはいつしか神に願うようになった。

 

──神様、あなたはきっと偉大な方なのでしょう。けれど一つだけ大きな過ちを犯しました。それは人間を創ってしまったことです。だからどうか自らの愚かさを認め、今すぐに全ての人間を削除してください。そうすれば……。

 

世界(あなた)を好きになれる……」

 

 イザベラからゆらゆらと黒が漏れ始める。

 だからだろうか、外面だけは穏やかに見えなくはない男──クリストファーが話し掛けてきたのは。

 

「こんにちは」

 

「1回33000ジェニー。オプションは別料金です」

 

 明日も成果(・・)を報告しなければいけない。よさそうな客は確実につかまえなければ。

 

「そうですね。ではオプションで」男から得体の知れない……違う、自分と似た“何か”を感じた。「理想の世界に来てもらえますかね」

 

 これがイザベラ・ミルズと教祖クリストファー・オータムの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 クリストファーに案内されたのはホテルでも彼の自宅でもなく、真っ白なビルだった。そこはどうやら新興宗教の施設らしく、受付の女性の美しさも相俟(あいま)って妙な迫力があった。

 けれど、ここにいる人は皆、何かを抱えてここに来たのだと理解した時、迫力ではなく親近感あるいは仲間意識を感じるようになっていた。悪い居心地ではない。

 

 日常(じごく)の中の小さな安らぎをFの会に求めるようになるまで時間は掛からなかった。

 

 クリストファーに教えられた瞑想に励んでいると、ある日、身体から出る煙が見えるようになった。身体からすごい勢いで抜けていく。

 

 な、何これ……。なんか……嫌!

 

 初めてのオカルト現象に驚きもあったが、何よりもイザベラを焦らせたのは、このよく分からない煙と共に絶対に消してはいけない暗い炎も空に昇っていってしまうように思えたこと。

 だから留めた。身体から離れぬように。(いかり)を絶やさぬように。

 

 

 

 

 

 

 

 後日、クリストファーに煙を見せてみた。すると彼は自分のことのように嬉しそうに破顔した。

 

「素晴らしい。イザベラさんは天賦の才をお持ちのようだ」

 

 クリストファーのように真っ直ぐイザベラ自身を認めてくれる人は久しく見ていない。

 傷だらけの心の隙間にヌルリと侵入されるような異物感があったが、嫌な感情は持たなかった。

 

「ありがとうございます」

 

 だから素直に言えた。

 もっと入ってきてほしい。もっともっと。世界が壊れるくらい深く深く。

 

 

 

 

 

 

 

 ある時を境にイザベラの意識は朧気(おぼろげ)になった。それは光の届かぬ深海がごとき安息。

 何かが聞こえる気がする。何かに圧迫されている気がする。でも快も不快もない。どうでもいいこと。やはり悪くない気分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

──あの3人を壊せ。

 

 心地よい声がイザベラを突き動かす。視界はぼやけている。それでも“あの3人”なる存在を認識することはできた。

 

 衝動に従い、飛び掛かり、腕を振るい、背中の()をしならせる。

 途中、鞭に違和感を覚えたが、痛みはなかった。そのまま暴れ続ける。

 

 そして、また声がした。

 

──狂え。

 

 イザベラの中で、カチリ、と何かが嵌まる。しかし。

 

──『天使にデスメタルを(エンジェル オブ デス)』発動。

 

 意識が急速にクリアになっていく。身体が熱い。あの煙が止めどなく溢れている。

 けど、なぜか止めようという気は起きてこない。理由はすぐに分かった。どれほど噴出しようと無くなることがないからだ。煙はこのままでいいだろう。

 

 ふと、手に温い塊(・・・)を持っていることに気づいた。邪魔。ぼとり、と捨てる。

 

──人間を削除しろ。ゾバエだけの世界を創れ。

 

 今度は別の声だ。逆らう必要はない。これは天使の声。イザベラに安らぎを与えてくれる。だから従わなければいけない。

 

 “あの3人”を削除しよう。そうすれば雨がやむと信じて……。

 

 

 

 

 

 

 

 新しく増えた目から熱いモノを解き放つ。ゾクゾクとした感触が全身を駆け抜ける。

 

 なかなか削除できない。

 

 あの3人、中でも灰色の煙の人が鬱陶しい。

 周りにいるゾバエ病患者たち(子どもたち)を傷つけることが許されない以上、イザベラの行動は著しく制限される。その事実が削除を阻害していた。

 

──人間を削除しろ。人間を削除しろ。人間を削除……。

 

 天使が歌っている。

 

 早く削除しないと。削除しないと削除し削除削除削除削除削除削除──!

 

 心の底に(くすぶ)る暗い炎を、大きく燃え上がらせる。煙が加速し、もはや乱気流の様相を呈し始めた。

 イザベラが躍動する。

 

「AmdtjmjmLmekg──!!」

 

 1番小さい人間の脚を掴み「やめなさいっ!」一気に股を裂く。まず1人。

 

「このっ!!」

 

 手に持つそれに暗い炎を灯し、寄ってきた(うるさ)い人間に叩きつける。

 

「Wmdjmaj──!」

 

「──」

 

 変わった松明(・・・・・・)と煩い人間が弾けた。水風船がそうなるように赤い液体が飛び散り、イザベラに掛かってしまった。

 

「?」

 

 灰色の煙が消えた?

 

 しかし暗い炎は直ちに灰色を捉えた。やけに薄い。不可解ではあるが、それより削除しないと。

 

「Da22memcjwtg──!」

 

 接近し、腕を打ちつける。それだけで呆気なく灰色は赤くなった。

 

──人間を削。

 

 歌が止まった。

 いい気分だ。

 空が見たい。

 欲求に促され、首を動かすが、そこにあるのは人工的な色だけ。照明がチカチカと目に刺さる。

 

 ああ、空が見たい。 

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか眠っていたようだ。イザベラが目を開けると雲一つない晴天が広がっていた。

 身を起こし、周りを見る。

 

 学校……?

 

 敷地端にある庭のベンチだ。記憶を呼び起こす。だんだんと思い出してきた。

 

 そうだった。今日はエルと買い物に行くんだった。

 

 腕時計を見ると15時を回っている。そろそろ授業を終えたエルが来る時間だ。

 

 ちょうどいいタイミングで起きることができたみたい。よかった。

 

 程なくしてエルが小走りでやって来た。

 

「お待たせ」

 

「ううん、さっきまで寝てたから待ってないよ」

 

 エルがポカンと口を開ける。美人はどんな顔をしても様になる。

 

「あんたもう少し警戒心持ったほうがいいよ」

 

「そうかな。でも危ない人なんて滅多にいないから大丈夫だよ」

 

「はぁぁぁー」

 

 そんな魂まで抜けそうな溜め息つかなくても。

 ポカポカ陽気だから仕方ないの。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 走っていた。

 なぜ?

 ああ、逃げていたんだった。

 何から?

 デカイ魔獣。あんなんに捕まったら秒で胃袋行きだ。それは御免蒙(ごめんこうむ)る。

 

 ぬかるんだ森の地面に足を滑らせないように細心の注意を払い、しかし全力で走り続ける。

 オーラにはまだ余裕があるが、体力はそろそろヤバい。

 

 真っ直ぐに走っていると森を抜けた。目の前に大きな湖が現れる。

 ほぼ海じゃねぇか。琵琶湖かよ。

 

 後ろへオーラを延ばす。魔獣の気配はない。

 

「大丈夫なのか……?」

 

 俺の円が狭いせいで断言できないのがなぁ。

 でも、どうしようもない。来たら来ただ。どうせもう脚もまともに動かない。

 近くにあった岩に(もた)れ掛かるように座り込む。

 

「はぁ、疲れた」

 

 なんでこんなことに……。

 

 嘆いても状況が好転しないのは理解している。が、あんまりにもあんまりな現実に嘆かずにはいられない。

 

 顔を上げると、遥か遠くに立派な山々が見える。

 湖上空では2匹の鳥(?)が空中戦を演じてる。

 

「鳥……じゃないよなぁ、あれ」

 

 だって火吹いてんだもん。そんな鳥いて堪るか。

 一方の鳥(偽)が翼を広げる。次いで刃状のオーラが大量に飛び出した。

 

 ふむ、変化系と放出系を極めておるの。

 

 などと達人風の脳内解説をして現実逃避。

 刃状のオーラがもう一方の鳥(竜)へと吸い込まれる。深夜の通販番組もびっくりの切れ味だ。きれいにぶつ切りにしやがった。こっわ。

 バラバラにされた竜(鳥)が掴んでいた岩が湖へ向かっていき──しかし湖に着水する前に勝者にキャッチされた。その瞬間、何処からともなくビーム(?)が飛んできて竜(勝者)をぶち抜く。世紀末も泣いて逃げ出す地獄である。

 

 誰からも必要とされなくなった岩が湖に落ちる。遠くでなかったら水浸し──え?

 

 突然、水中から無数の魚が飛び跳ねる。十匹二十匹なんてレベルじゃない。下手をすると千を越えるのではないだろうか。そして魚たちは水中には戻らずプカプカ浮いている。

 

「なんだこれ」

 

 でも、どっかで見たことある。

 

「どこだっけ?」

 

 動画サイトだったか……?

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

「……ぅぅん」

 

 ダルい。頭が痛い。

 

 目を開ける。眩しい光に視神経を痛めつけられてしまった。

 窓から外を眺めていると頭がはっきりしてきた。どうやら俺はベッドで眠りこけていたらしい。多分、病室だろう。それっぽい器具が横にある。

 

「あ、そっか」

 

嘘は真実(リバース)胡蝶の夢(ハッピーナイトメア)』を使ったんだった。

 

「……発動してよかった」

 

 ほっと息を吐く。

 

嘘は真実(リバース)・身体能力』の制約と誓約は「発動時間は3分で、その後は一定時間絶になる」というものだ。これを文字通りに読むと「3分が経過するまでは制約と誓約は存在しない」となる。つまり『嘘は真実(リバース)・身体能力』の発動中にも、他の発──嘘は真実(リバース)シリーズを使用可能と考えられるんだ。

 ただし、俺の念が併用を認めない意思を有していた場合はこの解釈は成り立たない。

 

嘘は真実(リバース)胡蝶の夢(ハッピーナイトメア)』は幻の世界を体感させる、所謂幻術に分類される能力だ。

 一見、非常に都合が良さそうなのだが、そう甘くはない。発動と同時に絶+睡眠状態──睡眠時間は(まぼろし)の内容等による──になってしまうんだ。

 発動即睡眠だから味方がいない状態では、ほぼほぼ使えない。ただ、甘くはないが上手く嵌まればかなり強力であるのも事実。ハイリスクハイリターン、切り札中の切り札と言える能力だ。

 

 1人きりの静かな部屋。不安が湧いてくる。

 

「なんとかなったんだよな……?」

 

 だからこうして生きている。そのはずだ。

 

 ドアの向こうに人の気配。誰か来たようだ。

 ノックもなしにドアが開けられる。入ってきたのはチードルとサンビカ。2人とも無事で何より。

 

「!」

 

「エヴァンさ(ん)!」

 

 サンビカの目尻に涙が溜まっていく。

 チードルが「ふー」と息を吐いた。「おはよう。調子はどう?」

 

 チードルもサンビカも白衣姿だ。初めて見る。

 

「少し頭が痛いかな。あとは空腹」

 

「……パッと見、大丈夫そうね。検査が終わるまで断言はできないけれど」

 

 心配掛けてしまったみたいだ。すまんな。

 

「俺はどのくらい眠ってた? 3日くらいか?」

 

 以前発動した時は3日だった。

 これにはサンビカが答える。

 

「違います(よ)! あの日から今日で13日目で(す)!」怒っているような、泣いているような。「もう目を覚まさないんじゃないかっ(て)……」

 

 ばつが悪いのを誤魔化したいということではないが、なんとなく頭を掻く。

 チードルがニヤついてやがる。

 

「こんなかわいい子を泣かせるなんて悪い人ね→ジンと同類?」

 

「やかましいわ」

 

「……」ふいにチードルの纏う空気が真剣なそれへと変わる。

 

「そうとう重い制約と誓約だったんじゃないの」チードルが目を逸らさずに言う。「狂化状態のゾバエ病患者よ。簡単ではないはず」

 

 確かに簡単ではないけど、そんなでもない。

 

「大丈夫大丈夫。絶で眠っちゃうだけだよ。寿命とかは使ってない」

 

「……そう。あなたがそう言うならこれ以上は訊かないわ」

 

 1秒、2秒と無言。それを打ち破ろうと口を開く。

 

「あれからどうなったんだ?」

 

「あなたが倒れた後、あの少女は少しの間1人で動き回っていたけれど、それも1、2分程度で、すぐに狂化と魔獣化は収まったわ」

 

 狙い通りだな。

 

 俺はあの時、イザベラは『嘘は真実(リバース)胡蝶の夢(ハッピーナイトメア)』を除念できないと読んだ。幾何学模様と六芒星を見て、彼女の除念能力が、ストックは3つまでという制約を持っているように思えたからだ。

 俺が見せた(まぼろし)は「A、イザベラが俺たちを殺し、それなりの時間が経過する」及び「B、世界を憎む必要がない日常」というものだ。

 なぜこの内容にしたかというと、除念の性質──術者が念を引き受ける──を考慮したから。あの瞬間、イザベラは「①俺たちを殺害させようとイザベラを操作するクリストファーの念」並びに「②ゾバエ病患者以外の人間を否定するクリストファーの死後の念」及び「③世界を憎むオータムの死後の念」を抱えていた。この3つの(おも)いを全て引き継いで行動する魔獣になっていたわけだ。

 これらのうち①に関しては、俺たちを殺せば念はその目的を果たし氷解する。②に関しては、俺たちが死ぬ(まぼろし)を与え目の前の憎悪の対象を失わせ、さらに世界を否定する必要のない日常を見せて念の存在理由レベルでの消滅を図った。③も同じく日常を見せ、憎む理由を喪失させた。

 こんな感じで、謂わば“除念能力によらない除念”を気取り、魔獣化の解除を目指したんだ。

 そしてもう一つはゾバエ病特有の狂化だが、これはチードルが教えてくれた「殺意等がなくなり一定時間が経過するまで半永久的に」の言葉をそのまま(まぼろし)に反映させるだけで鎮静化には十分と判断した。その結果がAの「イザベラが俺たちを殺し、それなりの時間が経過する」という(まぼろし)だ。

 ただ、不安要素も存在した。それはイザベラの魔獣状態が自己操作の性質を孕んでいるパターンを否定しきれなかったことだ。すでに操作されていた場合「早い者勝ちの原則」により俺の発が弾かれてしまう(俺の発が操作系とは別の概念である可能性もなくはないが……)。

 とはいえ勝算はあった。除念は基本的に特質系に属するという点と魔獣化能力も特質系か具現化系である点がそれだ。

 

 まぁ、そんなこんなで実行したわけだ。成功してよかったよ。ゾバエ病のパンデミックからの人類滅亡はマジで笑えない。

 

 チードルが説明を続ける。

 

「その後は地上に出て、ハンター協会に連絡を入れたわ。……蜂の巣をつついたような騒ぎだった」チードルが遠い目をする。

 

「イザベラ……魔獣化していた少女はどうなったんだ?」

 

「彼女は、いえ彼女だけじゃなく、あの場にいた全てのゾバエ病患者は、V5が共同出資して造る専用施設に収容される予定よ。けど今はまだ神殿地下に隔離されたままね」

 

 数が数だもんな。簡単に受け入れ先なんて見つからないよな。ましてゾバエ病患者だし。

 つーか依頼失敗だよな、これ。あーあーあーあー。

 

「もうだめだおしまいだぁせかいのおわりだぁ」

 

「急にどうしたのよ?」

 

「大丈夫で(す)。私がついてま(す)」

 

「ぅぅ、ミステリー、新しいミステリーをくだちぃ……」

 

 チードルとサンビカが、俺から距離を取りこそこそ話し出した。

 

「先輩、これっ(て)……」

 

「ええ、ミステリー依存症ね。このレベルは珍しいから今後のためにもよく()ておくといいわ」

 

「分かりまし(た)! ……あ! 新しい薬を試してもいいです(か)? (承認はまだなんですけど)」

 

「エヴァンなら大丈夫よ。好きにしなさい」

 

「やっ(た)。がんばりま(す)」

 

「……」

 

 全部聞こえてんだよなぁ。皆、俺のこと何だと思ってんだろ。(ミステリー)である。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

「嫌な夢を見ていた。君がいなくなってしまう。そんな夢だ」

 

「大丈夫。私はどこにも行かないよ」

 

「そう……だな。こんな時間に起こしてすまん」

 

 柔らかな感触。

 

「……安心したなら眠ろう。明日も早いよ」

 

「ああ、おやすみ」

 

「はーぃ、おやすみぃ」

 

「……」

 

 さよなら。オータム。

 

 

 




「『これらの情報は真実ですか?』と訊いたら『はい』と答えますか?」→「はい」

①エヴァンは日本で『HUNTER×HUNTER』を読んでいたため、ある程度の原作知識を持つ。
②エヴァンには特出した念の才能がある。
③エヴァンは自身の発『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』を半天然型と認識している。
④『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』の制約と誓約は、文理解釈又は目的論的解釈(併用を含む)により解釈及び運用される。
⑤エヴァンは、嘘をついていないとも言えるし嘘をついているとも言える。

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