Re:ゼロから苦しむ異世界生活 作:リゼロ良し
スバルの姿が見えなくなっても、ガーフィールはしばらくその方向を睨み続けていた。
先ほどまで二人の間にあった穏やかな空気は、すでに失われている。スバルが去ったことで多少は和らぐかと思われた威圧感も、むしろ一層強まっているようにさえ感じられた。
レムはそんなガーフィールを静かに、それでいて真っすぐに見据える。確固たる意志は、まるでガーフィールがレムを呼んだ筈なのに、ここからは通さない、と言わんばかりだった。
レムとガーフィールは、ラムともそうだが、もう随分と長い付き合いになる。
ラムに対する好意を隠そうともしないガーフィールのことは、レムもよく知っている。ラム至上主義なレムにとってはガーフィールとは実に煙たい相手だった。身の程を弁えろ、と幾度も思い言葉を交わし、時には鉄拳制裁もあった。
ラムが誰よりも素晴らしく、愛らしく、可愛らしいのは当然だが、だからといって許容できるものではない──と、いうのが以前までの自分だろう。
ラムの傍らにいるのはレムであり、全てを姉に代わってやらなければならない。それがレムの存在意義だったが今は違う。
ラムには、ツカサがいる。
レムには、スバルがいる。
それぞれに最愛が、そして英雄がいる。できたのだ。
以前とは何もかもが変わったのだ。
ただ、それが目の前のガーフィールに伝わるかどうかはわからない。
その表情は憤怒に溢れている。
──ここ聖域は強欲の魔女の終焉の地。
それに対して憤怒とは、どうなのか、とも思えなくないが、レムはガーフィールの出方を伺った。
「……オイ。レムてめェ、こいつァ一体どういうつもりだァ?」
ガーフィールが口を開いた。
挨拶も前置きもない、唐突な問いかけだった。その声には、普段のような軽口も、ラムの前で見せていたあの感じでもない。手に取るように分かる幼稚なガーフィールはどこにもいない。
ただただ、相手の返答次第では容赦しないとでも言いたげな、牙が、そして剥き出しの警戒心が込められていた。
「……どういう、とは何でしょうか?」
「とぼッけんじゃねェよ。あの三下のことに決まッてんだろォが」
「三下ではなくスバルくんです。──そのスバルくんが、どうかしたのですか? ガーフ」
そのレムの返答に、ガーフィールの眉間に深い皺が刻まれた。視線が鋭くなり、ギリッと歯を食いしばる音まで聞こえてくる様だ。
「……チッ。テメェ、本気で言ッてんのか?」
レムは答えなかった。
ガーフィールが何を言おうとしているのか、見当がつかないわけではない。先ほどからスバルに向けられていた視線は、明らかに尋常なものではなかったからだ。
だが、レムは答えを待った。自分からではなく、ガーフィールの口から聞きたかったからだ。
そして予想通りの答えが返ってきた。
「……てめェもわかッてッだろ! レム! あの三下、墓所出てッからだ! あの魔女臭ェ瘴気! いきなり変わッたことにッよォ!!」
その瞬間、レムの表情が変わった。
ほんのわずかな変化だった。だが、ガーフィールは見逃さなかった。柔らかな微笑みが消え、青い瞳に一瞬だけ鋭い光が宿ったことを。
「……ガーフも、気づいていたのですね」
「当たり前だろォが。つーか、俺様より、テメェが気づかねェわけねェだろ。あの三下ァ、魔女教徒だ。
吐き捨てるように告げると、ガーフィールは一歩、距離を詰めた。
「俺様ァ忘れてねェぞ。昔、ここにあの連中が来たときのことも、そんときのテメェが何をしたかもな。ババアどもが真ッ先に気づいてなけりゃァ、
レムの瞳が、わずかに揺れた。
魔女教徒。
その名を聞くだけで、胸の奥に冷たいものが広がる。
そして煮え滾る怨嗟の炎も沸き起こる。
かつて鬼族の里を襲い、家族を、故郷を、そして姉の大切な角を奪った者たち。レムが心の底から憎み、決して許すことのできない唾棄すべき存在。
無論、レムの中のその憎悪はスバルたちと出会った今でも消えていない。
かつて聖域で魔女教徒と遭遇したときも同じだった。
あの忌まわしい臭いを感じ取った瞬間、胸の奥に押し込めていた感情が噴き出した。相手が何を企み、何を目的として現れたのかなど、当時のレムにとっては二の次だった。ただ、目の前に魔女教徒がいる。それだけで、許せなかった。
レムは戦った。ラムには近づかせない。ロズワールの手も煩わせない。贖罪にはならなくとも自らの手で、あの連中を殲滅する必要があったから。
そしてガーフィールもあの場にいたのだ。
「……レムも忘れていませんよ」
レムは静かに答えた。
「忘れられるはずがありません」
「だったら、何でッだよ」
ガーフィールの声が低くなる。レムを鋭く睨み何一つ挙動を逃すまいとしている。レムの強さはわかってる。わかってるからこその最大限の警戒だろう。
何よりレムが魔女教と共にいること自体がありえないのだから。
「何でテメェが、あんな野郎の傍にいやがる?」
レムの怒りはガーフィールは間近でみている。鬼族の本質、本性とも言える破壊の限りを。
だが、今のレムはあの時のレムとは似ても似つかない。
「俺様ァ見てたんだぞ。あんときのテメェが、どんな面ァしてたか。あの連中を見つけた途端、どんな目ェして、どんなふうに叩き潰してやがッたかもな! 正直、俺様も学ばされるモンがあッたぜェ!」
言葉を重ねるにつれ、ガーフィールの声が荒くなっていく。
「テメェがあの連中をどんだけ憎んでるか、俺様ァ知ッてんだよ! なのに、何でだッて聞いてんだろォが! 一歩間違えャ大惨事になるッてんのによォ!」
ガーフィールはさらに踏み込んだ。
目と鼻の先にレムがいる。
今にも胸ぐらを掴み上げようとでもするかのような勢いだった。その身に秘めた膂力は並ではない。至近距離から放たれる威圧感は、並の者であれば思わず後ずさってしまうほどのもの。
でも、ガーフィールの危惧する理由は痛いほど分かる。
魔女教とは、世界に対して数多の惨劇を生み続けている存在なのだから。
だけど、レムは一歩も退かなかった。
「スバルくんは、魔女教徒ではありませんよ」
ガーフィールの目を見据えてはっきりと告げる。
その目を見たガーフィールはすかさず続けた。
「何でそう言い切れんだよッ!」
怒声が響く。
「あれッだけの瘴気! あれッだけ魔女臭ェんだぞ! あの連中と同じ、胸糞悪ィ臭いがすんだろォが! それを知ッてて、何であんな野郎を信用できんだよ!」
レムはガーフィールを見つめたまま、静かに息を吸った。
彼が何を疑っているのか、ようやく理解できた。
そして、その疑念が決して軽いものではないことも。
「……ガーフ」
「何だァ?」
「レムが、どうしてスバルくんを信じているのか。聞いていただけますか?」
「……あァ?」
ガーフィールの眉が動いた。
「今、そんな話を悠長にしてッられねェだろォが」
「いいえ。これはとても大切なお話です」
レムは首を横に振った。
「ガーフは、レムがスバルくんに恋をしているから、何も見えなくなっていると思っているのでしょう?」
「……そうじゃねェッてんなら、何なんだよ。『恋に落ちたマグリッツァは目が見えなくなる』惚れた男のこととなりゃ、まさかテメェまで目ェ曇らせちまうのかよォ。万が一にでも、ラムにも危険が及ぶかもしれねェのによォ!」
「──そうかもしれませんね」
「……あァ?」
予想外の返答だったのだろう。
ガーフィールの表情に、わずかな困惑が浮かんだ。
「スバルくんのことになると、レムは少しばかり欲張りになってしまいますから」
そう言って、レムは小さく微笑んだ。
しかし、その微笑みはすぐに消えた。
「でも、ガーフ。レムは、
レムは真っ直ぐにガーフィールを見つめた。
「ただ、知っているんです。あの臭いの前に、スバルくんが、一体どんな人なのかを」
「……だったら、聞かせてもらおうじゃねェか。俺様を納得させられるだけの事なのッかよ? 納得できねェ時ァ容赦しねェ噛み千切る。たとえレム。てめェが何をどうしようとも、だァッ!」
ガーフィールは腕を組むことも、距離を取ることもしなかった。
ただ、鋭い眼差しを向けたまま、レムの返答を待っている。
「レムは、最初からスバルくんを信じていたわけではありません」
「……何?」
「むしろ、ガーフと同じでした。あの臭いがするというだけで、スバルくんを疑って、怖れて……そして、酷いことをしてしまいました」
その言葉を口にした途端、胸の奥が小さく痛んだ。
思い出したくない記憶だった。
自分の手が何をしたのか。何を信じ、何を見ようとしなかったのか。そのすべてを、レムは覚えている。
「……ですが、スバルくんは、そんなレムを助けてくれました」
「助けたァ?」
「はい」
レムは頷いた。
「初めはメイザース領での、魔獣騒動の時────」
脳裏に浮かぶのは、あの森の光景だった。
暗い森。草木を揺らす獣の気配。次々と迫り来る魔獣たち。そして、その中心に立っていたスバルの姿。
剣の腕が立つわけでも、強大な魔法を使えるわけでもない。身体能力だって、あまりにも頼りない。もう一人のツカサと比べたらまさに天地の差だろう。
それでも。
「スバルくんは、レムを助けてくれたんです」
レムの口元に、かすかな微笑みが浮かんだ。
「自分が危険な目に遭うとわかっていても、レムを助けてくれました。怖いはずなのに、痛いはずなのに、それでも最後にはみんなで笑って帰ろうって……そう言ってくれたんです。レムにも、笑え、と」
あのときの声を、今でも覚えている。
数多の魔獣を前に奮い立ち、鬼の本能のままに飲み込まれそうになっていたレムを、我が身構わずに救い出してくれたんだ。
「そんなモン、口じゃ何とでも言えッだろうが」
ガーフィールが吐き捨てる。
「『儲け話の陰にデリデリデあり』ってなァ。あの三下がレムを助けたからッて、魔女と関係ねェ証拠にゃならねェだろォ。寧ろテメェらに取り入る為にやっただけかもしれねェじゃねェか!」
「……そうですね」
「だったら――」
「ですが、それだけではありません」
レムは言葉を続けた。
「白鯨と戦ったときも、そうでした」
その名を聞いて、ガーフィールの表情が変わり、目を見開いた。
白鯨──嫉妬の魔女が世界に解き放ったとされる三大魔獣の一角。
その存在は、ガーフィールにとっても、決して聞き慣れないものではない。
長年にわたり人々を恐怖に陥れ、多くの命を奪ってきた大魔獣なのだから。
「……白鯨、だァ?」
「はい。レムたちは、あの三大魔獣が一角、白鯨と戦い、そして勝利しました。勿論レムたちだけではありません。たくさんの方々が力を合わせて、あの大魔獣に立ち向かったんです」
あの戦いも思い出す。
地響きにも似た咆哮。空を覆う巨大な影。絶望的なまでの力を持つ魔獣を前に、それでも退かなかった人々。
クルシュ陣営。
アナスタシア陣営の鉄の牙の傭兵たち。
そして、ツカサとスバル、剣鬼。
多くの者が傷つき、命を懸け、互いの力を信じた。
そして、スバルも間違いなく立役者の一人。主役の一人だった。
「スバルくんは、白鯨を倒すために、たくさんの人を動かしました。誰もが恐れていた魔獣に立ち向かうために、自分にできることを考えて、諦めずに行動してくれたんです」
「マジッかよ。……それも、あの三下がやッたッてのか?」
「はい。嘘ではありません。じきにルグニカ中に轟くでしょう。そして、世界を駆け巡る筈です。四百年も世界を跋扈し、蹂躙し続けてきた三大魔獣を英雄が討伐した、と」
レムは迷わず答えた。
「スバルくんも、ツカサくんも、ヴィルヘルム様も、クルシュ様も、リカード様たち鉄の牙も、たくさんの方々が頑張ってくださいました。でも、スバルくんがいなければ、あの戦いは違う結果になっていたかもしれません」
胸の奥が温かくなる。
白鯨との戦いは、決して楽しい思い出ではなかった。命を落としかねない恐怖があり、数え切れないほどの危険があった。
それでも、あの場所でスバルが見せてくれた姿を、レムは誇らしく思っている。
「スバルくんは、自分が強くないことを知っています。でもそれでも立ち上がり、聡明な頭脳を以て、あの空を泳ぐ白鯨を地に落としたんです」
「……ケッ」
ガーフィールは鼻を鳴らした。正直、にわかには信じがたい内容だが、嘘を言っているようには見えない。いつも、ラムに対して全肯定するときのような雰囲気は一切ない。
しかし、その表情から疑念が消えることはなかった。
「それが本当ッてんなら大層な話じゃねェか。だったら、その英雄サマが何で魔女の臭いなんざ纏ッてやがんだよ」
「……それは」
「答えられねェんだろ?」
ガーフィールが畳みかける。
「白鯨を倒した? 人を助けた? そんな話をいくら並べられたところで、肝心なことがわかんねェじゃねェか」
その指摘は、決して的外れではなかった。
レム自身、スバルがなぜあの瘴気を、魔女の残り香を纏っているのか、魔女に魅入られた者にしか纏えないあの悪臭を。
その理由を、本当の意味ではレムは知らない。
知れば危険だと言う理由で聞かされていない、と言うのが本当だ。そしてレムも納得をしている。
だからスバルを疑う理由はない。
最愛の姉が、その姉が愛したい英雄が、示してくれている。
何よりレム自身も。
「スバルくんは、怠惰の大罪司教とも、戦いました」
「……あァ?」
「ペテルギウス・ロマネコンティ。魔女教の【怠惰】。大罪司教の一角です」
ガーフィールの瞳が細くなる。
レムは、その名を口にするだけで込み上げてくる嫌悪を押し殺した。
忘れるはずがない。
あの狂気に満ちた言動も、魔女への歪んだ信仰も、何もかも。
魔女教徒の中でも、とりわけ忌まわしい存在だった。
「スバルくんは、あの大罪司教に立ち向かいました。魔女教の企みを止めるために、みんなを守るために、最後まで諦めずに戦ってくれたんです。スバルくんが魔女教徒ならば、そんな事をするわけがありません」
「……魔女教を、相手に、それも
「はい」
こればかりは、驚きを隠せなかった。
魔女教だと疑っていた男が、まさか六つある内の一つ、しかも世界中に惨劇を振り撒く悪名高きあの【怠惰】を相手に、あの非力さで立ち向かったというのか。
「……そいつァ、ずいぶん都合のいい話じゃねェか」
ガーフィールの声が低くなる。
ガーフィールの中での確信に満ちたものに、亀裂が入る、が、完全に瓦解はしていないようだ。
スバルの纏う瘴気。
それがガーフィールの中にまだくすぶっている。
だが、無論疑問符はいくつも生まれてきている。魔女教ならば、身内を滅ぼすなんてあるのだろうか?
そんなガーフィールの心情を読み切ったように、レムは視線を鋭くさせてガーフィールを見据えていった。
「……ガーフは、スバルくんの何を知っているんですか?」
「……あァ?」
「スバルくんと、どれだけお話ししましたか? スバルくんがどんな人なのか、知ろうとしたことはありますか?」
「何を言ッて――」
「ただ魔女の臭いがする。それだけですよね?」
ガーフィールの言葉を遮ったレムの声には、それまでとは明らかに異なる強さがあった。
「ガーフが言っているのは、そればかりです。スバルくんが何をしたのか、どんな人を助けてきたのか、どんな思いで戦ってきたのか……何一つ、知ろうとしていません」
「だからッ! そんなモンで、あの臭いの説明がつくッてのかよォ!」
「つきません! 必要もない!!」
即座に返された声に、ガーフィールが目を見開いた。
レムは一歩も退かなかった。
むしろ、今度は自分からガーフィールへ踏み込むように、真っ直ぐにその瞳を見据えた。
「レムだって、スバルくんからどうしてあの臭いがするのか、知りません! でも、それとスバルくんがどんな人なのかは、別の話です!」
「……テメェ」
「ガーフは、スバルくんの上辺しか見ていません!」
レムの声が、さらに強くなる。
「皆を助けてくれた。そしてレムを助けてくれた、レムの英雄がどんな人なのか! その中身を見ようともしていないじゃありませんか!」
言い切ったレムの胸が、大きく上下した。
自分でも驚くほど、強い声が出ていた。
けれど、止められなかった。
なぜなら、ガーフィールが口にする言葉の一つ一つが、かつての自分を思い出させたからだ。
魔女の残り香。
それだけを理由に、スバルを疑った。疑わしきは罰せよ、排除しようとも考えていた。実行しかけていた。
スバルがどんな人間なのかを知ろうともせず、何を考え、何を願っているのかも確かめず、自分の憎悪だけを正しいものだと思い込んでいた。
そして、取り返しのつかないことを、してしまうところだった。
あの頃の自分が、今も胸の奥にいる。
決して消えることのない罪悪感とともに。
「……何度も言います。レムも、ガーフと同じでした」
先ほどまでの強い声音が、わずかに静まった。
「レムも、スバルくんのことを何も知ろうとしませんでした。あの臭いがするというだけで、勝手に決めつけて……酷いことをしました」
ガーフィールは何も言わなかった。
レムが魔女教を憎んでいることは知っている。
その憎悪がどれほど激しいものなのかも、実際に見ている。
しかし、今の彼女が語っているのは、ガーフィールの知らない出来事だった。
「……レムは、間違えたんです」
レムは胸元に手を添えた。
「自分が正しいと思っていました。あの臭い、あの悪臭がする存在はは、きっと災いを齎す。災禍なのだと。だから、排除……そう思ってしまいました」
言葉にするたび、胸の奥が痛んだ。
けれど、その痛みから目を逸らすつもりはなかった。
「でも、違ったんです」
レムは顔を上げた。
「スバルくんは、レムが思っていたような人ではありませんでした。怖い思いも、痛い思いも、たくさんしてきたはずなのに、それでも誰かを助けようとする人だったんです」
その姿を、何度も見てきた。
不器用で、格好をつけたがりで、ときには無茶をして、周囲を心配させる。
それでも、誰かが泣いていれば放っておけない。
誰かが苦しんでいれば、何とかしたいと手を伸ばす。
自分にできることが少ないと嘆きながら、それでも諦めることだけはしない。
そして────英雄の背を追いかけ続ける事が出来る。
レムは知っている。
「……スバルくんは、完璧な人ではありません」
レムは小さく首を振った。
「失敗することもあります。落ち込むこともあります。自分のことを嫌いになってしまうことだってあります」
かつて、そんなスバルの姿を見た。
自分には何もできないと、誰かを傷つけることしかできないと、苦しそうに訴えていた。
レムがどれほど好きだと伝えても、その言葉を信じられないほど、自分を責めていた。
あのとき、レムは思ったのだ。
スバルが自分自身を嫌いになってしまうのなら、自分がその分まで好きでいようと。
自分の良いところを見失ってしまうのなら、何度でも伝えようと。
「レムは知っています」
レムの瞳に、強い光が宿った。
「そんなスバルくんが、どれほど素敵な人なのかを。どれほど頑張ってきた人なのかを。どれほどたくさんの人を救ってきた人なのかを」
「……だからッてよォ」
「ガーフ!」
再び、レムが声を張った。
その剣幕に、ガーフィールが言葉を止める。
「レムは、ガーフにスバルくんを無条件で信じてほしいと言っているわけではありません!」
「……何?」
「ガーフが何を信じるのかは、ガーフが決めることです。レムが無理やり決めることではありません」
レムはそこで一度、息を整えた。
「でも、何も知らないままで決めつけないでください」
それは、かつての自分に言い聞かせるような言葉でもあった。
「スバルくんを疑うのであれば、ちゃんとスバルくんを見てください。お話ししてください。何を考えて、何をしようとしているのか、知ろうとしてください」
「……テメェ、俺様にあの三下を信用しろッて言いてェのか?」
「違います」
レムは静かに首を振った。
「知ってほしいんです。レムが信じるスバルくんのことを」
今度は、レムが微笑んだ。
それは先ほどまでの激しい言葉とは対照的な、柔らかな笑みだった。
「レムにとって、スバルくんは英雄です。でも、それは白鯨を倒したからでも、大罪司教を倒したからでもありません」
レムは胸に添えていた手を、そっと握り締めた。
「何もできないと泣いていたレムに、暗闇に蹲っていたレムに、手を差し伸べてくれたからです。ずっと自分のことが嫌いだったレムに、笑っていてほしいと言ってくれたからです」
あのときの温もりを、今でも覚えている。
初めて、自分自身のことを認めてもらえた気がした。
姉の代わりでも、誰かの劣化品でもない。
レムという一人の少女を、見つめてくれた。
「……だから、レムはスバルくんを信じています」
その言葉には、迷いがなかった。
「魔女の臭いがすることも、知っています。ガーフが心配する理由も、わかります。でも、それだけでスバルくんを疑うことは、もうしたくありません」
ガーフィールは黙り込んだ。
目の前のレムが嘘をついているとは思えなかった。
もう長い付き合いなのだから。
かつてのレムが、どれほど姉に依存し、姉以外のものに対して頑なだったのかも知っている。
そのレムが、今は姉ではなく、一人の男のために、これほどまでに声を荒らげている。
しかも、ただ惚れた男を庇うためだけではない。
自分自身の過ちを認め、傷をさらけ出してまで、相手を知ってほしいと訴えているのだ。
その変化を、ガーフィールは否応なく感じ取っていた。
だが、だからといって、疑念が消えたわけではない。
「……ケッ」
ガーフィールはようやく口を開いた。
「随分とご立派な英雄サマじゃねェか」
その声音には、なおも棘が残っていた。
「……ガーフ」
「だがよォ、俺様ァ納得してねェぞ。レムみてェに、見たわけじャねェッからよぉ」
ガーフィールはレムを睨みつけた。
「だが、テメェがあの三下を信じてる理由ッてのはわかッた。あの野郎がテメェにとッて特別だッてこともな」
そこで一度、言葉を切る。
「だが、それと俺様が信用するかどうかは別の話だぜ」
「……はい。分かってます」
「見させて貰う。妙な真似したらそん時ァ……」
「スバルくんの傍にはレムが居ます。そんな事はするわけがない、とだけ言っておきますねガーフ。何もしてないのに噛み付こうとしたら、レムは殴りますよ。スバルくんを【三下】と呼んだ数だけ」
レムは頷いた。
「……チッ」
素直な返答が、かえって気に入らなかったのかもしれない。
ガーフィールは苛立たしげに舌を鳴らした。
「俺様ァ、聖域を守る最強ッの盾だ。もう一度言う。テメェが信じてるからッて理由だけで信用するわけにゃいかねェ」
「……そうですね」
ガーフィールの眼光が、再び鋭くなった。
「見させて貰うぜ。