Re:ゼロから苦しむ異世界生活 作:リゼロ良し
超えた――――。
地獄の入り口に見えた扉の先。
その先に広がる光景は朝焼けの空が広がっている。
厳密には、ロズワール邸の数多の窓の1つから見える外の光景ではあるが、それがあまりにも神々しく見えたのは、決して気のせいなどではない。
「は、はは……。なんだよ。……死ななかった。……でも、こんなにもあっさり朝が来るなんて」
スバルは思わず立ち尽くす。
身体から力が抜け、気を抜けば倒れてしまいそうな所をどうにか踏みとどまりながら。
「っ! やったぞ兄弟!? 超えたぞ! 超えた!! 超えたんだ!」
呆けている時に、思い返すのは5度目の死を回避してくれた恩人であり、この繰り返す喪失感を共有してくれる唯一無二の存在であり、兄弟であり、仲間でもある男、ツカサだ。
恰好を付けていたスバルだったが、目には涙が滲む。
死の恐怖は脳裏に、魂に刻み込まれてるが故に、その絶対的な恐怖である死を乗り越える事が出来た時の安堵感,感動はどうにも堪えようが無いらしい。
それに、気を許せるツカサだからこそ、見せれる相手だからこそ、と言う理由もあるだろう。
「って、アレ? 何処行った??」
スバルは勢いよく、先ほどまで、禁書庫内では自身の隣にいたツカサの方を見るが……、そこには誰も居なかった。
いや、自分の周りには誰も居ない。
「んだよ! 感動的な場面だってのに、オレほったらかしかよ!」
スバルはそう愚痴ると滲み、溜まり、零れ落ちそうになっていた涙を ぐいっ、と拭うと行動を開始しようとした。
この歓喜をぶつけれる相手ならば、誰でも良い。
いや―――やっぱり一番は……。
「スバル」
「!! エミリア!」
涙は見せたくない。
恰好はつけたい。
男が惚れた相手なのだから。
丁度、涙を拭ったのが幸いした。
ある程度誤魔化しが効くだろう、と安堵した。
なので、スバルはまるでエミリアを抱きしめるかの様な勢いで接近。パックにやられても構わない程の勢いで駆けつけると。
「な、なぁ、聞いてくれ! 今、今日、この朝。とうとう、迎える事が出来たんだ! エミリアも、オレも、皆無事で。村にいく約束……、それと他にも沢山やりたいこと、話したいこと、いっぱいあるんだ。いっぱいあったんだよ。それをエミリアたんにも知って欲しくて――――」
まだまだ話したりない。言葉が口からドンドン先走る様に出てくる。
勢い任せで、その身体を抱きしめたい衝動だけはどうにか抑えつつ、そのまま続けようとしていたのだが。
「スバル。一緒に来て」
「え?」
エミリアはスバルの言葉に対し、何一つ返事を返す事なく、ただ強引にスバルの手を引いた。
これまでにない程の強引さには面食らった様子だったが、そのままされるがままの状態でスバルは手を引かれて、廊下を速足……いや、走り出した。
――――只事ではない。
歓喜の感情が全面に出ていたスバルにも、それが解った。
タイミング的にはほぼ同じ。1分にも満たない間だった筈だ。それなのに、既に隣には居なくなってるツカサの存在。
そして、何よりもエミリアの横顔。
隠しきれない動揺、そして焦燥感。……そして何よりも決して見せたくない悲痛に満ちた様な様子も混ざっている。
「な、なぁ? いったいなにがあったんだ? 教えてくれ。それに兄弟……、ツカサだって力になってくれるって言ってくれたんだ。情けねーけど、いつかオレももっと頼れる男になるから、まずは話を……」
と、最後ま聞く事は出来ない。
エミリアの返事を待つ事も無い。
ただただ――――この長い廊下の先から、聞こえてきたから。
それは絶叫。――――いや、或いは悲鳴なのかもしれない。
高く、何処までも高く尾を引く様な悲しみに満ちた絶叫。
先ほどまで自分自身が感じていた感情とは真逆のモノ。
聴けば聴くほど、まるで足が鉛の様に重くなっていくような感覚がするが、エミリアと共に、通路を更に抜けて上階へと向かった。
確実に、その悲鳴の元へと近付いてるのが解る。
近付けば近づくほど……、心臓を鷲掴みにされてる様な感覚がする。
死に戻りを打ち明ける時、それに類する追及を受けた時に感じた、あの魔女に心臓を握りつぶされるかの様な 死の感覚とはまた違う。
心臓ではない。――――心が悲鳴を上げてしまう。この悲痛に満ちた悲鳴、魂を裂かれるが如きの苦痛。……慟哭が、自我を侵し、魂までも彩ってしまう。
「ロズワール……?」
軈て、その根源の場所であろう部屋の前で、ロズワールが目印の様に立っていた。
直ぐ傍には、一番最初に部屋を出たベアトリスの存在もある。
決して部屋の中には入ろうとせず、ただただ、その表情は無だった。
ベアトリスの手の中に居るパック。それも同じく。
促されるがまま、その部屋の中へとスバルは足を運んだ。
そこに居たのは……、エミリアが来る前に探していた男と………女2人。
片方はまるで眠っているかの様だった。
部屋の寝台で、ただただ眠っているだけだと思った。………思いたかった。
「ぁぁぁあああああああああああああぁあぁぁぁぁあああああああ――――――――っっっ!」
1人は、ただただ縋り付き、絶叫し、悲鳴を上げていた。
桃色の髪の少女……鬼の片割れ、ラム。
普段の彼女では決して見せない姿。
その先には……、同じく鬼の片割れ、青い髪。空色の髪を持つ少女、レム。
前回の周回では 自身の命を狙った。
殺したくて、殺したくて、殺したくてたまらない。
そんな殺意を一心に向けてきた存在。
一番警戒していた相手。
その少女が―――――……。
「どうして……、どうして、レム……が?」
ただ、眠っているだけだと思いたかった。
でも、そうではないと言う事を否応なく証明される。
生気の消えたレムの青白い顔。閉じられた瞳はもう二度と開かれる事はないだろう。
「どうして、どうして……?」
足元が覚束ない。
ただ、何とか部屋の中へと進むと、ラムの隣―――否、やや後ろで控えている男、ツカサの肩を摩った。
「なんで、なんで、レムが……?」
肩をゆすり、そしてツカサの顔を見た。
その表情から、その目から、一筋の涙が流れ落ちていたのが解る。
「最後に、レムと話した時、楽しそうに話してくれたよ。……好評してくれてありがとう、って。また、また作ってくれるって」
ツカサは涙をぐっ、と拭った。
確かに、やり直せるかもしれないが、それでも、決して慣れる事は出来ないだろう。幾らやり直したとしても、今 現実に起こった事は拭い去る事の出来ない事実なのだから。
やり直すから、何とも思わない。そう、割り切るだけの精神は持ち合わせていない。
それが解る瞬間だった。
「っっ、っ……」
それが伝わったからこそ、スバルは口を閉じた。
閉じる代わりに……ただただ考える。
「これが……
原因系が解らない。
自身の弱々しい力で出来る事など、たかが知れているけれど、考える事は出来る。最善へと目指す事は出来る。
その為にも、考え続ける。
間違いなく、スバルを殺そうとしたのがレムだ。
魔女の残り香、と言う冤罪の元、疑わしきは罰せよの精神で命を奪いに来た。
だが、そのレムが殺されたとなれば……、呪術師とレムは同一人物ではない、と言う事。
この屋敷にきて、最初の死は……レムでは無かったという事。
覚束ない足取りで、ツカサを横切り、そしてレムを見た。
誰がしたのか解らないが、死に顔は綺麗そのものだ。自分自身の死に顔を見る事は叶わないし、見たいとも思わないが、少なくとも過去4度の死の顔は、ここまで綺麗なモノじゃない、というのは理解出来る。
本当に死んでいるのか、と疑いたくなる程に。
「――――触らないで!!」
気付かぬうちに、手を伸ばしていた様だ。
レムの身体に伸びていた手は、ラムによって弾かれた。絶対不可侵領域である事。拒絶された一撃だった。
命の灯が消えたレムを―――妹を護る様に、いまだに止まる様子の無い涙を流しながら、スバルを睨みつけた。
「レムに……ラムの妹に触らないで!」
拒絶の言葉。
そう叩きつける。そしてスバルは動かない。これ以上は侵さない事を悟ると、ラムは再び大粒の涙をこぼし、レムに縋り付いた。
姉のそんな燐憫を誘う様子にも……レムは、妹が答える事は無い。
普段の彼女だったなら、何よりも姉の事が大好きなレムであったのなら、飛び起きて優しくあやす事だろう。
それこそが、レムの魂が今この場にはもう存在しないと言う事の証明になってしまう。
「……最後まで、レムを疑ってた。あの呪術もレムだって………」
あまり考えたくはなかった。
憎悪を滾らせているのは、体感したから解っているが、呪った上に撲殺……そこまでは考えたく無かったが、これではっきりした。
「呪術とレムは……別だ。これで、容疑者は絞れた……? いや、まだ色々と検証をしねぇと……」
1度目の死は、そのまま呪術に身体を衰弱……蝕まれて死亡した。
2度目は、呪術で身体を衰弱させられ、殺されかけたが ツカサのお陰で命を繋ぎ、レムの攻撃をも防いでくれた。
つまり、2度目は呪術師と接触して、呪われた上にその影響で死にかけてる所を、これ幸いとレムが狙った、と言う事になる。
だが、やはりまだ解らない事が多い。
「オレが、何も無かった……、オレが呪われなかったから、代わりにレムが標的になったのか……? 一体どういう因果関係……」
レムには明確な殺意があった。理不尽だとは思うが理由があった。
だが、呪術師とは面識が無いし、そもそも命を狙われる理由が皆目見当がつかない。
王都で目が覚めた? 時も、命を狙ってきそうなのは腸狩りのエルザくらいで、その他のリンガ売りのおっさん……商業関係者やら、街行くファンタジックな世界の住人から恨まれる思えも……。
「いや、絡んできたチンピラどもなら…………、いやいや、それはねぇだろ」
王都で絡んできた3人組の事を思い出す。
何なら殺された事だってあるから、殺意と言った面に関しては間違いないと言える。
だが、呪いと言う力を酷使出来るのであれば、あんな下町のチンピラみたいな真似はしてないだろう。
「兎に角、今回は村……村に行ってねぇ。……どうにかしねぇと……」
ツカサの言う通り、大まかではあるが、容疑者を絞る事は出来たとしよう。
他にも複雑な事情が入り乱れているとするならば、解らないかもしれないが、兎に角手持ちのカードで対応するしかない。
色々と考えふけっていたその時だ。
「随分と、真剣に悩んでいた様だねーぇ?」
スバルをまるで見下ろす様に、高い位置から呟きかけるロズワール。
その表情は明らかにスバルの事を疑ってかかっていると言ってもいい。
まだまだ考える事が多く、完全には纏まってない頭の中だったが、その声、見下す所作には不愉快さも覚えた。
それに気づいたロズワールは、
「いいやーぁ、失礼したね。お客人。……私も少々気が立っていた様だ。さぁすがに可愛がっている使用人がこんな目に遭わされたと思うとねーぇ」
確かに、その口は謝罪の一言だが、態度は一切変わらない。
ここで、ツカサの方に対してはどういう考えを持っているのか? とスバルは思えた。自分だけならまだしも、スバル自身を守る為、昨夜の行動を共にしていたのだ。ベアトリスが証言してくれるとは思うが、確証はない。アリバイと言う意味ではスバルとツカサは同じ。
……彼の事まで疑い掛かるのは、見下されるよりも不愉快さが浮き出てくる。
だが、ロズワールの表情は、視線はツカサの方を向けたりはしない。
ただただ、レムを、泣き叫ぶラムを見て……そのピエロの様な表情を固めていた。
「火で炙り、水で犯し、風で刻み、土に沈める。――――私の全霊を持って、相応の対処をしなければ、この返礼にはならないと思うくらいだ。………こんな事を聞くのもなんだけど、お客人。……何か心当たりはないかねーぇ?」
低い声で聴かれた。
冗談めかした響きは一切ない。まごう事なき真実を、そのピエロに扮した表情で表していた。
そんな時だ。
「……スバルは、関係ありませんよ」
もう一度、涙を拭ったツカサが レムとラムの元を離れて、ロズワールとスバルの間に入る様に言った。
「昨日の夜。―――ロズワールさんから……、レムから、とても美味しい夕食をご馳走になった後……、ずっとベアトリスさんの書庫に居たから。レムを……、レムに、手をかけられるワケがない」
ぐっ……と拳を握り締め、血を滴り落している。
それが演技の類ではないと言う事が痛いほど伝わってくる。
やり直す事が出来るのを知っているスバルでも、そう伝わる。
獲り返しはきくのだ。……だが、
起こってしまった事実は拭いきれない。
忘れまい、忘れまいとしている。
そして、何より―――死に戻りの影響下で、十全にツカサの戻る能力は使えないのだから、もしかしたら、回避出来なかった問題になっていたかもしれない、その可能性だって高いのだ。
「ツカサ君。君の意見は尊重したいよ。……でもねーぇ。事態に重きを置くべきはすでにそこには無い。実行犯が別に存在した、言いよう、やり様は幾らでもある」
「…………なら、オレだって同等の筈だ。スバルとオレは………一緒にいたんだから」
「………私が可愛がっていた使用人の訃報を、その死を、目の当たりにした瞬間から、そこまで悼んでくれている君と、目撃して直ぐに考えに耽る客人。……同等だとしても、どちらにまず重きを置くかは、明白だ。……ラムがレムに触れる事を許可した所を見ても……ね」
あまりにも配慮に欠けていた、あまりにも不用意だった、とスバルは嘆く。
考える時間は、あの戻る時間の狭間で、幾らでもある筈だ。筈……だった。
なのに、こんな場面で、誰もが悲しみに打ち震える場面で、たった1人、自分だけ物思いにふけっていたとするなら、例え状況証拠だけだったとしても、例え演技だと思われてしまったとしても……、初動を見誤ってしまえば、もう手遅れだ。
「ボクもロズワールに賛成だよ、ツカサ」
「パック……」
ベアトリスと一緒にいたパックも参戦してきた。
「君は、元々スバルの事を気にかけていたのは嘘じゃないのは解ってるし、やっぱり魔獣襲撃の際の結界の一部欠損の件かな。……君は、人為的なモノの可能性を見出して、村の次はこの屋敷で何かが起こるかもしれない、と言う予測を立ててくれた。クルルとも話をしたけど、色んな意味で信頼は勝ち得ているよ。何も起こらない様に、ここに留まる事にしてくれた事も含めてね。……でも、スバルは ただ昨夜辺りを警戒する様に、しか言ってないんだ。……何故なのか、その理由は一切言わずに、ただリアに警戒する様に、ってね」
愛娘と言うだけはあり、エミリアの身を案じているスバルの心情は解っているパックだが、あまりにもスバルにとっては状況が悪過ぎた。
スバルは、魔獣騒ぎの事は知っているが……、
「心情的にも恩義的にも、ツカサの様にスバルに肩入れはしたい、って気持ちはあるよ? 君が彼を弁護する理由も気になるけどね。……でも、スバルに肩入れて、物事の見極めを誤ると、報われない子がいるんだ。………未練や迷いが残れば、魂は救われない。……そのまま魔に堕ちてしまう。……それは一介の精霊としても、そして少なからずあの子と接したボクとしても悲しいことだから」
スバルを庇おうとする気持ちはパックにはあるが、何かを知っているというのは、その様子から明白だから、エミリアを助けたという恩義だけで、この悲劇に目を瞑る事はしないとの事だ。
横で見ているベアトリスも、ただ無言でスバルを見ていた。
ツカサとスバル、立場は同じ筈なのに、最初に拗れてしまえば、亀裂が入ってしまえば、もう崩壊は免れない、と言う事なのだろうか。
「……スバル、お願い。何か知ってる事があるのなら、話して……? ラムや………レムの為に」
「っ………そ、それは……」
ここで、全てを打ち明けてしまいたい。
それを礎に、協力者を更に増やして、この悲劇を踏破すれば良いのではないか? とスバルの中で強く想ってしまった。
そうすれば、ツカサにかかる負担も軽減される。いや、殆ど無くなるかもしれない。命さえ落とさなければツカサに負担は掛からないのだから、かなりハードルが低いと言える。
そう―――だから………。
《——————————————………ダメ》
「っっは!!!」
打ち明けようとした、打ち明けたかった。聞いてほしかった。
それを頭の中で考えただけの筈なのに……、強制的に遮断された理不尽な現象が起きた。
あの手も足も目も舌も動かずに、空気すら完全に世界から切り離され、音もない無音の絶対空間。
ツカサが、死に戻りについて言い当てたあの時と全く同じ――――、否、それ以上。
クルルモドキが言っていた、《誰にも知られたくない》と言う強烈過ぎる想い、理不尽で最悪な一方通行の想いが、スバルを蝕む強さを倍増しで上げてきた。
思わず身体が跳ね上がり、精神崩壊……いや、失神くらいはしてもおかしくない状況だったのだが、間一髪で元の世界に戻ってきたのだ。
「スバル!?」
その尋常じゃない様子にエミリアも思わず手を貸すが、スバルは首を横に振った。
言いたくても言えない状況があまりにも辛すぎる。
これは、恐らくツカサの口から言っても無意味。
ツカサが口に出せば、例外で許容しているのはツカサだけ。他のメンバーに聞かれでもすれば、心臓を握りつぶされると確信出来るから。……そして、これで死ねば……、そのツケが訪れるのはツカサだ。
次もしも戻るとするなら、死んで戻るしかないと言う最悪のループになっしまう。
エミリアが再度、そしてロズワールとパックも集まり、終わらない出口が未だ皆目見当もつかない質問攻めを再開しようとしていたその時だ。
「―――何か知ってるのなら、逃がさない」
鬼の慟哭が消えた。
「ぁぐぅっ!?」
突如、突風が部屋の扉を揺らし、スバルの頬に激痛が走った。
思わず頬に手を振れると、そこにはベッタリと血がこびり付いている。風の刃……? と思った次に再び豪風が沸き起こった。
「……何か知ってるなら、洗いざらいぶちまけなさい」
「ラム、待ってくれ。……お願いだ。ちょっとでいい。……オレに、任せてくれないか?」
「任せられない。………これ以上は、もう何ひとつ任せられない。ラムが知りたい事を邪魔しようとするなら、お前ももう、許さない」
「ぐっっ……!」
スバルとはまた違う。
刃ではなく、風の壁となってツカサを部屋の外へと押し出した。
丁度、スバルを遮る壁になっていたから、それを排除した形だ。
傷をつけず、この場から退席させただけだと言うのが、今のラムに残った唯一の感謝と良心、それだけかもしれない。
妹の死に涙を流してくれたツカサに対する。
だが、スバルの存在が、それらの想いを完全に打ち消してしまった。
「さぁ、吐きなさい」
「ま、待て、ラム……、それは……」
ちらり、とツカサの方を見るスバルを見て、更に激昂する。
この男は他人に頼らなければ生きていけない、言葉の1つさえ発せられないのか? と余計に憤慨させられる。
そんな人間に、大切な妹を奪われたかもしれないのなら―――――――……。
「ッッ!!」
当事者かもしれない、と思った矢先に目の前が真っ赤に染まり、激昂した。
殺さない程度に痛めつけても問題ない、と判断した。
風の刃が再びスバルに襲い掛かろうとしたその時。
その凶刃と止めたのは、部屋に戻ってきたツカサではない。そしてエミリアでもない。
「―――約束は守る主義なのよ」
驚いた事に、スバルとラムの間に入って、彼を庇ったのはベアトリスだった。
半死半生を避けられない生き地獄な一撃を何事もなかったかの様にかき消して、ただ感情は籠らず淡々と告げる。
「屋敷に居る間は、この人間の身の安全はベティーが守るかしら? 惜しかったのよ。後2日。……約束の1週間を過ぎていたら、ベティーはこんな事する手間省けたかしら」
「ベアトリス様……!」
何の感情もない。
ツカサの様に、信じて庇い立てするような真似も無い。
レムには全く無関心、退屈、気怠そうに言い放つベアトリスにラムはスバルに向けた様に、憤慨する。
それを一瞥した後、ベアトリスはロズワールの方を見て言った。
「ロズワール。お前の使用人が、お前の客人に無礼を働いているのよ。屋敷の主として、そのあたりはどう判断するのかしら」
水を向けられ、ロズワールは一瞬だけ眉を寄せるが、直ぐにいつもの様子を取り戻した。
軽く片目を瞑って肩を竦めながら話す。
「確かにねーぇ、誠に遺憾な事だとも。……出来る事なら、私も直ぐに彼を客人として改めて歓待したい所だーぁよ? ……勿論、その胸の内に秘めているモノ全て吐き出した後にねーぇ」
「……アイツだけの言葉じゃ足りないと言うのなら、ベティーとクルルが証人かしら。コイツは禁書庫に居た。これは動かし様がない事実なのよ」
「んっんー? ベアトリス。中々話す事が無いからか、ほんのつい先ほどまで彼と話をしていた事を聞いてなかったよぉだねーぇ? ……言った筈だ。彼が何処で何をしていようが、もうそこが問題ではないのだ。昨夜どこに居ようが関係ない。…………いやぁ、しーかし? 未知数の精霊を操り、書に記された可能性が大いに高く、期待も出来るツカサ君じゃなく、彼の方を身を張って守ろうとするなんて、……たった数日で、よぉーーっぽど、彼の事が気に入ったのかなぁーぁ?」
「冗談は化粧と性癖だけにするかしら。ロズワール」
最初から交渉の余地はない。
ベアトリスが提示できるスバルのアリバイは、今し方ツカサが行ったばかりだ。それは無意味と言われたばかりだった。だから、例えスバルやツカサより遥かに信頼のおけるであろうベアトリスの言葉だったとしても、聞き入られる筈がない。
ベアトリスと対峙、交渉が決裂するのはロズワールも解っていたのだろうか、両の手に魔法を発動させた。
その手の中には、様々な色の球体が浮かんでいる。
赤、青、黄、緑―――四属性全てを集中させたその魔法力は、無知蒙昧なスバルであったとしても、それがとてつもなくヤバイ力である事は理解出来た。
あのツカサの起こす暴風を、思いっきり凝縮させた球体、とでも表現すれば良いだろうか。
「相変わらず、小器用な若造なのよ。……少しばかり才能があって、ちょこっとだけ他人より努力して、ほんのわずかだけ家柄と師に恵まれた。……それだけの子供が思いあがって」
「それは随分手厳しぃねーぇ。もっとも、時間の止まった部屋で過ごす君が、常に歩き続ける我々とどれほど違えるか―――試してみても良いと思うよーぉ?」
互いの魔法力が、放たれても無いと言うのに、既にぶつかり合ってるかの様だ。
空間が歪み、この屋敷が揺れ、一触即発。
まるで天変地異の前触れかのよう。
「契約―――ほんと厄介なモノだぁーね」
「絶対なのよ。契約は絶対。何よりも優先される」
ぶつかり合う気、高まり合う魔法力。
茫然と呆けているスバルの引っ張り、後ろに立たせるツカサ。
2人の力の余波を受けたら、それだけで致命傷になってしまうのが目に見えているから。
それがいつ爆発してもおかしくない空間。そんな空気を貫く様に、ラムがいきり立った。
「どうでもいい!! そんなのは全部、どうでもいいのよ!!」
地団駄を踏み、巨大な力が交差する場面で決して怯まず臆さず踏み入るラム。
「もう、誰も邪魔しないで。ラムを通して。………何か知っているというのなら、全部話して。……ラムを、レムを助けて………」
「スバル……(スバルは言えない。……言わないんじゃない。言えないんだ。……飛ぶしか…… いや……でも……っ)」
あまりにも解らない事が多く、人手が足りない。スバルだけを護るのであれば何とかなるだろうが、レムまで犠牲になったとすれば、手が足りない。戻ってもまた堂々巡り。心だけが苦しむだけになってしまう。
せめて、せめて、もう1つ、打開策があれば………。
「(……いや、そんなの、言い訳だ。戻れたとしても、オレの記憶に、魂には刻まれてしまったんだ。…………)」
スバルの前にツカサが、そしてその隣にはエミリアがたった。
「ごめんね、ラム。私はそれでもスバルを信じてみる」
ベアトリスとツカサの2人に加えて、エミリアもスバルを信じる側へと回ってくれた。
嬉しい事なのだが、何も好転はしたりしない。
ただ、ラムをイラつかせるそれだけ。
そして、エミリアが訳を改めて聴こうとしたその時だ。
「ごめん、本当に、ごめん……。出来ないんだ……、ごめん……っ」
涙を流し 懇願する様に頭を下げるスバル。
精神が持たない、我慢できなくなった様に、まるで子供のように。
―――もっと哭きたいのはこちらなんだ、涙が枯れない。――――お前じゃない。
ラムの目が再び真っ赤に染まると同時に。
「もういい!! 殺す、絶対に殺してやる!!」
完全にタガが外れ、風のマナを全力全開で打ち放った。
それを合図にロズワールとベアトリスも衝突。
一瞬にして、場は修羅場と化した。
「――――――今ッ!!」
「ごめん、ごめん………」
スバルを引っ張り上げると、ツカサは ラムの風を利用し、そのまま屋敷の窓から投げ出される形で、風に乗って離れた。
そして―――鬼は、その光景を目に焼き付けるのだった。
致死性の高い暴風に乗り、屋敷の全てを見渡せる小高い丘にまで到着した2人。
「スバルが悪いんじゃない。仕方なかった。オレだって、まさかレムが………。想像さえしてなかった。死ぬなんて思う筈がないじゃないか。あれだけ強くて……、あんなに、笑ってたのに」
地上に降りても、スバルの身体は小刻みに震え、止まる事が無かった。
「違う。違うんだ。オレは、どうせツカサが……、ツカサが戻してくれるから、って完全に甘えてたんだ。みっともねーよ。だから、悠長に考え事をしてた。……そんな事、してれば疑われるなんて、俺にだって解る事なのに。テメェの事はテメェで面倒見れない上に、他人に頼るしか能がないってのに………それ以上足を引っ張ってたら、世話ねぇよ……もう。オレが、何か……何か出来たなら……、オレに、もっと、もっと力があれば……」
スバルは、ぎゅっと拳を握り締めた。
あまりにも小さく、あまりにも弱々しい。
死ぬな、死ぬな、と言われて、そんな事さえ出来ない。
辛さを、苦しみを共有出来て、救われたのに、救ってくれた男に報いる事も出来ない。
何の為に、この異世界に放りだされたのかが解らない。……存在意義さえが見えなくなってしまった。
「――――じゃあ、ここからは、スバルには頑張って貰うよ。オレの為に」
「え?」
そんな時だ。
理解が及ばない言葉が、ツカサの口から聞こえてきた。
どんな慰めも、ただ無力な自分を責めるだけに繋がると思っていた矢先の、この言葉。
「戻るのは簡単だ。……でも、もう暫く、オレのわがままに付き合って貰いたい」
「……え? いや、それなら全然……、一体どういう……」
理解が追いつかない。
だが、その真意は直ぐに明かされた。
「もうオレは、ラムを放っておけない。戻ってまたやり直したら、元通りなのかもしれない。……でも、あの姿が目に焼き付いて離れないんだ。…………だから」
――――
ゼロへと繰り返すこの旅に もう1人。
―――鬼を連れて行く。