曇り陰る帝王 作:運の命さん
日本ウマ娘トレーニングセンター学園。通称、トレセン学園。
国民的スポーツ・エンターテイメントとして位置付けられているトゥインクル・シリーズでの活躍を目指すウマ娘が集まる全寮制の中高一貫校であり、今の今まで多数のウマ娘と呼ばれる女の子たちが在籍している。
ウマ娘というのは、この世界における希望の象徴でもある。
芝、ダート……そんな地を蹴り、ライバルと競い合い、共に一点のゴールを目指していく。
人々は、その有志を見て、興奮し、盛り上がっていくのだ。
「有馬記念……もうそんな時期か」
ある一人のトレーナーが、自身が担当する一人のウマ娘のトレーニングを眺めながらボソリと呟く。
自分に関しては、数年前に腕をかわれ異動を命じられた身だ。前任のトレーナーに似た何かを感じるからとかなんとか。
担当するウマ娘の名を聞いたとき、私は素で困惑した。名前こそ聞いたことのある注目株の子であったが為である。
何故私? 他に適任はいるのでは? と散々聞いた。正直有難い事ではあったのだが、本当に私に務まるのかどうか、という不安の感情もあったからだ。
命じた人は『本当なら、敏腕のトレーナーのいるチームに在籍させるべきなんだが』と言って、言葉を詰まらせた。
曰く、『それだけでは足りない』とかなんとか。
だが、理由はすぐにわかった。
「終わったよ、トレーナー」
「ぉ、おう。お疲れ、トウカイテイオー。今日のトレーニング……もう完遂か、問題点も大きな点は見当たらない」
「当たり前だよ。テイオーだからね」
迫を感じない声で私に語り掛けるのは、今担当しているウマ娘、トウカイテイオーだ。
先日行われた菊花賞、天皇賞の春と秋、全て一着で完走した現在この界隈で一番注目されているウマ娘――だと思う。
いや、それに間違いはないのだ。彼女は正真正銘、そのトウカイテイオーで間違いない。
だが、私とてトレーナーになる前に、その有志はしっかりと見ていた。どんな走りをしているのか、どういう技術を持ってるのか、それらを眼に焼き付ける為に、競馬場を訪れて彼女をその眼で見ていた。
そうだというのに、トレーナーとして任命されて初めて彼女と出会ったとき、当時と比べて完全に見違えていた。一瞬『誰?』と思ってしまったほどに。
眼は虚空を移し何も映していない。背の高い私を下から眺める時、その瞳に私を映してはいなかった。綺麗に整っていた髪は、原形こそ変わっていないが、少々ハネ毛が見えたのを覚えている。最も、今は私が整えているので、そこはマシにはなったのだが。
映す努力――はしているのだろう。そうでなければ、今頃彼女は私の指示など聞いてないだろうから。
「トレーナー。それで、次の課題は何?」
「まだやるのか? 今日の課題は全部達成しているというのにか?」
「やれるよ。やらなきゃいけないもん」
淡々と、それが当たり前であるかのように口を紡ぐ。
そういえば出会った当初も『絶対に有馬記念で1着を取れるように、徹底指導で』と私に念を押していた。その固執は異常なほどであった。正直ドン引きする程に。
言われた通りに、俺は朝から夕刻まで、昼食をはさみ、程良い水分補給を取る以外は、時間を全て彼女のトレーニングに捧げた(勿論、勉学も落とさない限りは入れさせてもらったが)。
しかしそれでも、彼女は足りないといって聞かないのだ。記録は十分すぎる程だし、これ以上やっても過剰だというのにも関わらず、だ。
「もう刻限も迫ってる。足にも負担はかかるし、このままだと怪我するぞ?」
「……大丈夫。だって……もう、慣れた事ですし」
何とも言えない表情で語る。口元も一切動かなかった。
一体、彼女に何があったというのだろう。実は私も、前任のトレーナーについてはほとんど聞かされていない。
やむを得ない事情によって、私が代わりにトレーナーを担う事になった、としかわからない。
しびれを切らし、私は追加でなるべく足に負担のかからない筋力のトレーニングを入れた。
仕方ないので、怪我をしない程度に付き合ってやろう。
その加減が、未だに分からないのだが。
〇
夜。
しんと静まり返った夜道を、普段ならいる筈もないであろう私が駆け抜ける。
その手には、一本の花。
他にも何か必要だったかな? と部屋を漁ってみたけれど、相応しい物は何一つ見つからなかった。
というより、何がふさわしい物なのかも、分からなかった。
家を出て30分、私程の足ならそんなに時間はかからなかった。
雰囲気漂うその墓地は、今となっては私唯一の拠り所となっていた。昔は、興味なんて全くなかったのに。
「……」
一つの墓標の前へ歩み、その手にもつ一本の花を置く。
せっかくだし、花束一つでも買おうかなと思ったが、トレーニングに時間をかけすぎてしまった。
いや、しょうがない。これも、次の有馬記念で勝たなければならなかったから。
「ごめんね……
物一つ言わないというのに、気づけば何度も謝罪の言葉を口にしていた。
それもそのはず、こうなってしまったのには私に責任があるからに他ならない。
あの時、私がちゃんとしていれば。あの時、私と一緒に帰っていたら。
後悔の念が、何度も何度も私の背中を押しつぶす。
「……身体が重い……走れないよ……」
走るどころか、今や歩く事すらままならなかった。
自分ではどうすればいいのかすらもわからない。
その日、私は朝日が微かに顔を除くまで、その場でずっと泣いていた。
傍から見たら、変人だと思われるだろうが、幸いここは墓地の中でも端っこだったので、気づく人なんて一人もいなかった。
こんな私を見たら、皆は何て言うのだろうか? わからない。
少なくとも『情けない』と、言われるんだろうな。