調子が絶好調のうちにもっと書かなきゃ……
「すごかったね、スズカ!」
「トレーナーさん」
一目散に彼女のトレーナーが駆け寄ってくる。興奮冷めやらぬといった感じで、現にレースを走り切ったサイレンススズカよりも息を切らしていた。
彼女の名は秋月陽音。こうしてレース本番でスズカに大逃げをさせるきっかけを作った張本人であり、新人トレーナーである。
「どうだった、走ってみて」
「……とても、気持ちよかったです。練習だけじゃ到底見れないような──いい景色でした」
スズカは笑みを浮かべる。とても満足げだ。
「ただ、その……耳鳴りが」
「えっ、大丈夫!?水飲む?」
「すみません、いただきます」
手渡されたペットボトルの蓋を開け口をつけると、ゆっくりと水かさを減らし始めた。
一息ついた後、彼女はおもむろに話し始める。
「耳鳴りと言っても、何かが違うんです。……こう、ゾーンに入るというんでしょうか。突然力が高まって、目の前の景色だけに集中できたんです」
「ゾーンかぁ。うーん、火事場のバ鹿力ってやつ?心が強いんだね」
「心、ですか?」
陽音はうなずく。
「そう、心。決意だったり意地だったり、何か心に決めたことはいざという時に力になってくれる。信念とも言うのかも」
「心……」
彼女は胸に手を当てて、通ってきた道を振り向く。
通路の先から、レース場の喧騒が聞こえる。観客のざわめきが未だ伝わって、スズカはまさに夢見心地といった感じだろう。
あの夕日。なぜそれが見えたのかは分からない。練習でどれだけ自分を追い込んでも、あんなことは起こらなかった。
しかし、恐ろしく綺麗だったのだ。たった一度きり、その一瞬に見た景色。
──もう一度、見たい。
「あの……トレーナーさん」
「ん?どうしたの?」
陽音がスズカの背中へと歩み寄る。そうしてスズカは左からくるりと回ると、楽しそうに微笑む。
「私にとっての信念は、先頭の景色を、私だけの景色を見ることだと思うんです。だから……」
「うん!一緒に頑張ろう!」
そうして彼女は手を取った。
◆ ◆ ◆
綺麗な景色が好きだった。
自然の景色、都会の景色。それを覆う昼の青空や雲、夜の星々。
ただ一人で堪能する。その感覚がたまらない。
誰かの姿、声、足音。静けさを乱されるのは嫌いだった。
レースはその延長線とも言える。
自分の脚で逃げた先で見る特別な景色。ただ“見る”だけでは絶対に味わえない征服感。
初めから常に先頭で見るからこそ美しいのだ。邪魔をされるのは気に食わない。
それらはもはや信念を超える。執着の域だ。
以前、模擬レースで作戦立てて走ったことがあった。
最初から前に立つのではなく、体力を温存して終盤で抜きにかかるという常套手段だ。
だが上手くいかなかった。前が見えないのだ。
前だけを見ていたい、景色だけを見たい。誰の背中も求めていない。それが大きなストレスとなってスズカにのしかかり、実力を抑え込んでしまったのだ。
その落ち込みようと言えば壮絶だった。その日のうちは魂が抜けたかのようになり、なんとか外に連れ出し色々な景色を見せることによって調子を取り戻させた。
故にトレーナーである陽音は、最大限スズカの気持ちを尊重して走らせている。
いつかそれだけでは勝てなくなる。頭のどこかでは分かっているのだが、今はまだ──と目をそらしているのが現実だった。
日も暮れ始め、今はレース場から帰るところ。陽音の運転する車の後部座席で、スズカは目を閉じて安らかに眠っていた。
陽音はスズカの走りに魅せられた多くのうちの一人だった。
デビューを目指すウマ娘はまず学園に入り、そこで実力を見せトレーナーに付いてもらわねばならない。
そこでスズカは圧倒的な走りを見せたのだ。
スカウトしたい。そう思うのはトレーナーとして当然である。
大勢のトレーナーたちを搔い潜り、そして様々な偶然が重なり、彼女はスズカと運命を共にすることになった。
経験も何もかも足りない。他のトレーナーが付いたほうが良かったのではないか。そんな悩みもありながらも、懸命に支えてきたつもりである。
「着いたよ、スズカ」
「ふぁあ……?あれっ、いつの間に寝て……」
学園寮に着き、眠るスズカを起こす。あくびをしながら目を覚ました。
あれだけの大逃げを見せたのだ、最悪彼女を背負ってでも寮に連れて行こうと思っていたのだが、杞憂に終わって安心する。
車から降りると、陽音は寮へとスズカを先導する。
「じゃあ、今日はゆっくり休んでね。明日からまた頑張ろう!」
「はい。よろしくお願いします」
学生寮にトレーナーは入れない。二人は玄関で別れを告げると、各々帰路に就いた。
「なー」
「ひょっ」
トレーニング中、スズカの走りを外野から見ていた陽音は、突如後ろから声を掛けられ肩をすくめる。
振り返るとそこには、すらっと高い身長に美しい芦毛、整った顔。同じ女性と分かっても目を奪われるような、そんなウマ娘が立っていた。
見慣れた学園のジャージを纏っているため、一応ここの生徒のようだ。
突然のことにどう言葉を返せばいいかと迷っていると、それを察したのか向こうから口を開く。
「お前、あの娘の担当トレーナーだろ?」
「え?……そ、そうだけど」
「アタシ気になっちゃってさ。今はどんなトレーニングさせてんの?」
「今は……体力をつけさせようと、走り込みさせてるよ。──スズカー!またペース上がっちゃってるよー!落ち着いてっ!」
容姿からは想像もつかないフランクな口調にギャップを感じたが、質問に受け答えながらもスズカに指示を出す。
対して芦毛のウマ娘は、陽音ではなくスズカのほうを注視していた。答えを聞いていたかどうか怪しいところだ。
「あの……あなたは……」
「──なあ、あいつ天才だろ?」
「え?」
彼女は柵に手を掛ける。
「アタシもおんなじ天才だから分かっちゃうんだけどさ、あいつは才能の塊だよ。走り方から嫌っていうほど伝わってくる」
「ほ──本当に!?自分のことじゃないのに、なんか照れくさいかも」
「だけどな」
スズカに注視していた彼女が急にこちらを向いてくる。その薄桃色の瞳と目が合った。
「だけど……スズカって言ったか。スズカは才能だけだ。お前が言ったペースとかもそうだし、フォームも荒いな。見てみ」
そう言われ、陽音はもう一度トレーニング中のスズカをじっと見た。
「例えば腕の振り方に上半身の動かし方。あれだとムラがあって必要以上にスタミナを使っちまう」
確かにそうかもしれない。陽音は感服する。
彼女のフォームは一歩進むたびに微細に変化していた。言われた場所に更に注目すれば、多少の乱暴さを感じることだろう。
なぜこんな基本的なことに気が付いてあげられなかったのだろう。深く反省するとともに、隣の彼女に感謝の念がわく。
ところで、その彼女の名前は何なのだろう。
「そういえばあなたの名前、まだ聞いてなかったんだけど──」
「あーっ!腹減ったなぁ!なんか食わねーとアタシぶっ倒れちまうよおぉぉぉ!」
いきなり芦毛のウマ娘が叫びだす。それに陽音は面食らう。
「えっ、ええっと……このトレーニング終わったら、一緒にご飯食べる?」
「マジ!?よっしゃぁ!ゴルシちゃんうれし……」
「ゴルシ……?」
あれだけ騒がしかった彼女が急に静かに──厳密には口笛を吹いているのだが──なる。
そしてゴルシという名前に陽音は聞き覚えがあった。
「ゴールドシップには気をつけろ」
学園に所属したての頃、先輩トレーナーに不意に言われた言葉だった。
気をつけろ。それがどういうことを意味するのかはまだ分からないが、
「もしかして、あなたゴールドシップ?」
「い、いや……?なにそれ……?」
波乱の幕開けということは間違いなさそうだった。
個人的に銀髪とか大好きなんです。
なので他にも出てくる予定です。