あまり期待せずに待っていてくれれば幸せになれるかもです。
ていうかこの様子だとコロッと失踪するのでは……?
たまには一作品くらい完結させたいものです。
「雨ですね」
「そうだね」
体育館に響く拍手のような轟音。窓を見れば、ガラスに数多くの雫が伝っていた。
見上げれば曇天の空模様。本来なら外で走っていたというのに、二人は憂鬱な気分で床に座っていた。
「雨、ですね……」
「そうだね……」
同時に溜息を吐く。
陽音とスズカの二人がこうしているのにはもちろん理由があった。
前々から出走予定だったレースが、明日に迫っているのだ。
芝に降り注ぐ数多の雨粒。それは土壌を緩く変え、明らかに走りにくくさせてしまう。
普段得意とする場であろうとも、いつも以上に慎重に走らざるを得ない。感覚が変わってしまうためだ。バ場状態は良くて稍重といったところだろう。
さらに彼女らにはもう一つ懸念していることがあった。
「明日、晴れるといいね。虹とか、出ないかな」
「……そうですね」
スズカが好むのは、綺麗な景色。そしてその中に、曇り空や雨雲は含まれてはいないのだ。
彼女は頭の中で想像する。雨に打たれながら走り抜ける自分の姿を。
だが、どうにも頭の中に詳しい景色は浮かんでこなかった。
スズカを霧に包むように、真っ白な世界が辺りに広がる。足元にある芝以外、何も見えない。
「……トレーナーさん、明日私は、勝てるんでしょうか」
それがスズカには、とてつもなく不吉な予感に思えたのだ。
「きっと勝てるよ。スズカなら、いつも通り走れる」
自信を持たせるために、陽音はそう言ってくれたのだろう。それでも、スズカの手は未だ震えている。
「──ほら!これからのことなんか誰も分からないし?今私たちにできることを精いっぱいやろう!」
「そう……ですね。私、頑張ります」
スズカは立ち上がった陽音の手を取る。くよくよしていても始まらない。彼女の手のひらの温もりを感じつつ、心の内で不安とともに決意を固めたのであった。
◆ ◆ ◆
『前日まで降りしきっていた雨により、今日のバ場状態は稍重と発表されました』
『なんとかレース終了までに雨が降らないといいですね』
昨日あれだけ降っていた雨。天気予報でも高めの降水確率だったにもかかわらず、奇跡的に曇り空で持ちこたえたのだ。
まだレース場も少し濡れているようにみえるが、雨の中を走るよりずっといいだろう。
レース出走前、スズカはゲート前へと歩いていた。
「大丈夫、大丈夫」
自分にそう言い聞かせ、高鳴る心臓を少しでも落ち着けようとする。目の前に広がる彩度の薄い景色は、皮肉なことに彼女の気分を高揚させずに済んでいた。
深く息を吐く。感じていた心配も、少しずつ薄れてきた。
祈るように目を瞑り、そしてすぐにゲートの中へと──。
「……っ」
なぜか、入れなかった。
理由は分からない。ただ、ここまで来たというのに、胸の中を一杯の不安が満たしたのだ。
「トレーナーさんっ……」
鼓動の音が耳をつんざき、無意識に観客の中に陽音を探す。まさか見つかるはずもないのに。
その様子を見かねて、スタッフが声をかけてきた。
「どうしました?体調が悪いようでしたら、最悪出走中止もできますが……」
「──!それだけは……っ!私、走れます!」
正気を取り戻したスズカは、一目散にゲートの中へと収まる。
今すぐにゲートの下をくぐってでも逃げ出したい。寂しさだろうか、無性に陽音の顔を一度だけ見たい。それだけで自信をもって走れそうな気がする。
『各ウマ娘、ゲートに収まりました』
もう始まってしまう。覚悟はまだ決まっていなかった。
「しっかりしなきゃ。いつも通り、前だけを見て……」
ここまで来て尻込みして引き返すのは違う。今までの努力も無駄になるし、何より陽音の期待を裏切ってしまう。
だから前を、前だけを。
一斉にゲートが開く。
「あっ──」
わずかにスタートが出遅れた。脇から何人かのウマ娘が抜けていく。
出鼻はくじかれたが、まだ間に合うはず。先頭に出るべく足に力を込める。
濡れた地面に足を取られそうになる。コース取りは慎重にしなければならなさそうだ。
とにかく先へ。一番前での走り方しかスズカは知らない。
『さあ最初の先頭争い、二番人気サイレンススズカは追っていく形です』
『出遅れた分、なんとか頑張ってほしいですね』
一番前にいるウマ娘との距離は大したものではない。今からでも抜こうと思えば抜けるくらいだ。
しかし中距離を走る以上終盤のために余力は残しておかねばならない。前に出るのはチャンスがあったときだけだ。
今は二番目で抑えておくべきだ。最後の直線ですべての力を出し切って抜き去る。
「だけど……!」
普通に考えれば、レースとして考えればその通りだ。それが勝利へと繋がる。
だがスズカとしてはそれでは納得できないのだ。
先頭の景色が見たい。誰もいないレース場を走り抜けたい。それがレースを続ける理由だ。
そのためにトレーナーである陽音に無理を言ってきた、鍛えてもらった。例のカフェテリアで消し飛んだ所持金も景色のためだ。
何が曇天だ。何が“彩度の薄い”だ。そんなこと先頭での景色という特別さに比べれば些細なことに違いない。
風にだって、稲妻にだってなって見せよう。全てはあの時見た自分だけの景色を見るために。
「はぁぁ……ッ!」
『レースも中盤、ここでサイレンススズカが先頭に抜けだしました!果たしてこれはどうなのでしょうか?』
『少しタイミングが早すぎる気もしますが、彼女の脚質には合っているでしょう。その代わり負担がかかりますから、体力が持つか心配ですね』
ゴールまではまだ1000メートル近くも距離がある。この走りは無謀かもしれない。
逃げるだけなら簡単だ。このまま走り続ければいいのだから。
──それが難しいのだ。最後まで体力が十分に続くならずっとトップスピードで走ってしまえばいい。それができないから普通は温存する。そもそも温存したとしてもラストスパートは辛いものだ。
だから最終的には根性が試される。勝ちたいという意思が、間違いなく強さに直結するのである。
その根性でもどうにもできないほどに体力を使い果たしてしまったら?……それは考えたくないものだ。
「あとはこのまま、前へ……!」
無理やり先頭に出て数十秒。いよいよ最終コーナーが目に入った。
昨日の雨で内側はとても滑りやすく、そして転びやすくなっているはずだ。もしものことを考えて、外側を走ることに決める。
曲線との距離がぐいぐいと縮まっていく。ここを越えればあとは走り抜けるだけだ。
自然と足に力がこもる。体力もまだ何とか持ってくれそうだ。
件の最終コーナーに差し掛かる。予想通りコーナーの内側は荒れている。ここを避け、あとは逃げるだけ──。
「オラァァァァァァッ!」
その内側を、赤い弾丸が駆けて行った。
「あっ!?」
あの勝負服、長髪、そして声。ゴールドシップに違いない。
そしてそれに続くように、続々とスズカの後ろから抜け出していく。
一人、また一人。背中は少しずつ遠ざかっていく。
──もっと速度を上げないと。そうじゃないと、先頭の景色なんて……!
「足が……重い……っ」
どうしてだろう。あともう少し頑張れば、もしかしたら勝てるかもしれないのに。
前を走り、自分だけが見るはずだった景色の中に、彼女たちがもうすでにいると考えただけで、どうしようもないやるせなさを感じるのだ。
順位を下げていく。あの時の景色が見る見る遠ざかっていく。
確かにレース場を走っているはずなのに、もう周りは色を失っていた。
そしてゴール板を通り過ぎたとき、目の前はもはや真っ白だった。
ぐらぐらと視界が歪み、芝がほんの少し濡れる。
空には一着となったゴールドシップを祝福するようにうっすらと虹が架かっていたが、最後までスズカは気が付くことはなかった。
自らを負かしたゴールドシップを恨む気持ちはない。ただ、前へと進めなかった自分が憎いのだ。
何より、デビュー戦で見たあの景色が見られなかったことに、壮絶な後悔を感じていた。
絶望。今の彼女の心情を表すのに、これ以上ふさわしい言葉は見つからないだろう。
陽音の優しい声も、今のスズカにはまったくもって届かなかった。
結局順位は八着に沈み、今日一日彼女は顔を上げないまま魂が抜けたように眠った。
そういえば11日は桜花賞ですね。せっかくなので見てみようと思います。
サトノレイナスって名前の馬がいまして、「もしかしてサトノダイヤモンドの子供か!?」って思ったんですが、なんか違うみたいですね。
でも名前が好きなので応援しようと思います。頑張れ!